2009-02-12

Rothko

 好意をまとめて、ロスコの絵画のイメージに収納する癖がある。 「ああ、ロスコの絵画のように特別」とロスコの絵画のように特別な事柄に対して思うし、整理できないほどに感情が溢れた事柄は「とりあえずロスコの絵画と同じように感じつつも、そっとしておこう」と努力する。 自分の生活に密着した作品という意味では、ロスコ以上にパーソナルなのはないな。 意外なほどロスコの絵画が生活の指針になっている。 



 今数時間作業をしていたんだけど、結構楽しくなかった。 なんかが胸に詰まっている感じで、自分が一体何の努力をしているのか、全く分からなかったのだ。 私は一体何をしているのだろうかと作業しながら、三分に一回ずつぐらい思った。 何に向かっているのかは分からないけど、自分は確かにどっかへ向かっている。 だけど意識がそれに気づけていなくて、もどかしいし、なんだか上手くいかない感じの連続だった。

「駄目だこれりゃ、私は絶対にこの仕事は向いていないのだ。 この仕事を終わらせたら、もう手を引こう。 よしっ、人生最後のデザイナーとしての仕事だ。 やるだけやって、もうさよならだ。」と十分に一回ぐらい思った。 そしてもう一人の自分が「そんな事言っちゃ駄目! 引き返しようが無いでしょ?! 一体どこに引き返すつもりなのよ、馬鹿!!」と言って喧嘩していた。 

 そして麦茶でも飲もうと席を立ち上がって、作業していた物を見た瞬間に思わず吹き出してしまった。 「!」の瞬間だ。 単純に私はロスコっぽい物が作りたくて、変に苦労していたのだ。 「ああ、あなたに会いたかったのか。」とロスコに対して思った。 「そりゃもどかしい訳だし、まっすぐ上手くいかないに決まってる。 随分とでっかい目標を立ててたんだな。」と呆れるような、自分の素直さに驚くような。 まさか自分がロスコに会いたくて、しかも仕事を通じてそれに触れようとしているなんて、思いもしなかった。

 自分の作っている物が、クライアントの望むスタイルと違うし、そもそものコンセプトとも上手く整合性がない気がして、「もーーー駄目! 全然ゴールに向かわない!」と焦っていた。 エンドユーザーの存在なんて吹き飛ばして、クライアントにいかに好かれるかのみに反応してしまっていた、嫌な時間だった。 そのわりには、エンドユーザーもクライアントも無視して、自分の見たい物を探してしまっていたから余計に変な時間だった。

 とりあえず、自分が妙に突き進んでいた方向だけは分かった。 妥協点を探そう。 自分が進んでいた方向は分かったから、今度はどうやってそれをエンドユーザに魅力的だと思ってもらえるように発展させていくかが勝負だ。 

 あとちょっと仕事しよう。 はぁ…。 本当に変な数時間だった。 百枚ぐらい試作品を作ったけど、どれをやっていても泣きたくなるぐらいに間違ってる感があって、すっごいホープレスな気分になっていた。

 今回はもうやっちゃったからしょうがないけど、お客様に頼まれている商品を作りながら、その商品の中で探し物をするのはいけない。 それはそれ! これはこれ!って割り切ってやらなきゃ。 どっか深い所では繋がっているのかもしれないし、有意義な行動だとも言えると思うけど、自分に変な苦労がかかりすぎる。 探すのならば、デザイン的な批評性とか有意義な問題への問いを探すべきで、少なくともロスコとか探すのはよそう。 学んだ。
 

 









 

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