2012-03-29

自分の属する時間

誰かといる時は、こういう時間の中にいたいと思う。
そんな雑誌。 特に夫とはこういう時間を生きたい。

まぁ、勿論、一人の時はもっとビビッドでハードコアなんだけどね、私。

すきぃぃぃぃぃーー!


どっか遠くの国の子供服、MUKUが美しい! 好きだー!

2012-03-25

今でも

今でも昔好きだった人の事が好きで好きでたまらない。

環境も変わったし時間も流れたし
相手の事も具体的には忘れたし
相手が私の人生にいない事は
徹底的に普通になっているんだけど
それでも相手の事を思い返したり、
思ったりすると、
好きな気持ちがぐわーっと溢れる。

今でも、これからも、これまでもずっと好き。

初恋の麻疹恐るべし!

心が時間とか越えちゃうのよ!
風が野山を駆け巡るごとく。

いやー、すごいね、人間の感情って。
すっごく単純。

2012-03-23

海外就職

最近海外就職ネタをよく聞く。
ついに出稼ぎ一般化か。

これはいいことだと思う。
人間とか社会って挑戦がある方が成長する。
人生において何をどこまでやるかっていう、
スコープが大きければ大きい程伸びる。

「自分の社会に閉塞感を感じている」とか「出稼ぎが必用」とかっていう
要するに一旦、自分を、立場的には弱い挑戦者の立場に置くってのは良い事じゃないだろうか。

私の場合は高校大学でいた場所で就職したから
海外就職って言う程の海外就職じゃないんだけど
それでも挑戦だった。

自分の母体じゃない社会の中で
競争をするってのは非常に楽しい経験だった。
もー、やりたい放題。

自分と似通った奴らとドングリの背比べをする、
消耗合戦とはひと味違う経験になったと思う。

何しても人と違うからね。
瑣末な事に悩まなくてすむ。

だから皆若いうちに数年感位やってみりゃいいと思う。

2012-03-18

プロポーズ

知り合いの50歳の誕生日パーティーに行った。

派手で陽気でヒッピーな中年達が沢山いる森の中での深夜のパーティー。
結構クールだ。

彼女が子供みたいにキラキラと喜びながら、
誕生日ケーキのロウソクを消した。
「来てくれてありがとう! この場に来てくれた人、本当に愛してる。
これ以上に幸せな事ってない!」とニコニコしながら言った。
で、「あ! 結婚しよ!」と思いつきで言った。
周りは、一瞬きょとん。
で、その後うわーーーっと盛り上がった。
その場に担ぎ出される彼女の三十年来のパートナー。
「結婚しよう!」と彼女がいたずらっ子っぽく、我が儘な感じで言うと、
彼は大げさに、仕方がない、その我が儘受け入れるしかないって演技をしながら、
「オーケー、イエス、イエス、イエス」と答えた。

その場で誕生日パーティーは婚約パーティーに変わった。

産まれて初めてプロポーズの現場に居合わせた。

私の連れ合いは、一昔前の"自由な人"願望がある。
なのでそのヒッピーな知人をロールモデルとしてうっとりして眺めている。

自然な流れで「あー、あのプロポーズ、本当に素敵だった。 あー、本当に素敵だった。 あーいう感じで結婚したい!」とその後もずっと言っている。

どうやら連れ合いのロマンティック願望を満たしてあげるためには、
20数年後、私の50歳の誕生日の深夜の森で、
酔っぱらったついでにプロポーズしてあげなくてはいけないようだ。

まあね、それも素敵だよね。
問題は特にない。

こっちでだとデ・ファクト(事実婚)や
シビルユニオン(連帯のための市民契約)
とか制度がいろいろあるから
マリッジは特にしない人が多い。
多分それで余計にマリッジには独特のロマンスが漂う。
「丘の上の小さなお家」的な、なんかすっげーキリスト教っぽい感じのロマンス。
すごく宗教的で秘技っぽい感じがする。

それも悪くないなと最近は思う。

もしかしたら生きている間で行う最大の宗教行事なのかもしれないし、
やったらやらないより、魂ほっくりして長生きしそう。

まぁ、当分(20数年)はプロポーズの必要はない様子なので
とりあえず今は忘れとこ。

とにかく、デ・ファクトであれ、シビルユニオンであれ、マリッジであれ、
伴侶に対して持つべき心構え…、
相手の生命への讃歌と、繁栄の祈りみたいなのは一緒。

皆好きに生命讃歌しやすい方法で勝手にくっつきゃいいと思う。
どんな形であれ「この人と繁栄したい!」って思っちゃったなんて、
すっげー良い話しじゃん。

2012-03-16

足を引っ張る予言

占いをしてもらった事はほとんどない。

本格的にしてもらったのは多分一回だけ。

そういうのが好きな子に「この人はすごいから!百発百中だから!」と勧められ
20歳位の時に東ヨーロッパからの移民の女性に見てもらった。

確かにその人はすごかった気がする。
少なくとも、言われた事に外れは無かった。

とりあえず二つ印象に残った事を言われた。
一つ目は、私は仕事を探さないだろうって事。
仕事は誰かから常に貰えると言われた。
それはその通りで、これまで就職活動をしたことは無い。

もう一つは、25歳の時に会った人のいる場所に住む事になると言われた事。
これは恋愛とか結婚とかに関する話だった。
実際25歳になって一ヶ月後に出会った人と一緒になっているし、
今のところ相手の場所に住んでいる。

二つともファンタスティックな予言だ。
あたってよかった。
仕事がある事も、家庭を持つ事もブリリアントでワンダフルな事だ。

でもなんか、この予言が私が次に何かをやるのの足を引っ張っている。

特に「相手の住む場所に住む事になる」ってのがそう。
「何それ、私側の場所はなくなっちゃうって事? 東京なくなんの?!」とどっかでずっと引っかかっている。 そんなん困る。 私、夫の住む場所に身を寄せるタイプの女じゃないし。

あと仕事も相手の方から来るってので、自分から探そうかなというのの足を引っ張っていた気がする。

ねー! こういうのがあるから占いってなんかめんどくさいよね。

自由になりたいのにー!

2012-03-15

「世の中で一番おいしいのはつまみ食いである」

相棒のブログのタイトル「世の中で一番おいしいのはつまみ食いである」を見て超ときめいた。 まさにその通りと、熱り立ってブログを読む。

で、読み始めてから3秒後「世の中で一番おいしいのはつまみ食いである」は
大昔に私が読んでいた本のタイトルだったと思い出して大笑い。
なんだか自分の一部をぽろんと意識してなかった場所から見つけたような気分!

この本は日本に帰っている間
よく本をくれる友人(大山)から貰った。
多分それを相棒の前で私が読んでいたのだろう。

日本に帰る度にいろんな人がオツな本をくれる。
うれしかねー。
本当にありがとねー。

いつもは一緒にいられない分、
時間芸術を共有するってのはいいアプローチだよね。

優れた愛の行為だと思います。

それにしてもさ、自分がどこでどの本を読んでいたか思い出すのって
案外と難しくない?

旅行中に読んだ本は
周りの景色とかも含めて結構はっきりと思い出せるんだけど
日常的に読んだ本はいつどこで読んだのか思い出せない。

本読んでいた時間って、大切な人生の一部なのに
いつどこで経験したのか忘れちゃうってちょっと残念だね。
いい感じに記録する方法とかってないのかなー。


秘宝

人類の秘宝アリエル・ピンクのライブに行ってきた。 

ひっさびさの「この人、天才!」と魂震えるコンサートであった。
生きててよかった!
始まって三分位で私の中で生命讃歌が鳴り響いた。

上出来とか、クールとか、そんな次元じゃなくて、まさに宝。
御宝。
玉。
ギョクッ!!

サイケとかヴィンテージなサウンドとか、奇抜さとか、中央線っぽさとかに1mmも興味がない私ですら信奉してしまう。 そんな魅惑のアリエル・ピンク。

元々私は、サイケな音楽の作り出す「自分がどんどん広がっていく感じ」が苦手だ。 広がらなくて多いに結構。 自分が拡張されて自然の中に溶けていく位ならば、私はもっと繰り返しの音とか、機械的な世界の中に自分を見失いたい。 




多分、だからこそ

いつも気持ち悪がって
嫌悪して、排除して、おぞましがっている分
好きになると、それはもう魅了されてしまう。

マイク・ケリーとかいい例。
ケツの穴から編みぐるみ出てくるとか、もう、おぞましくて思わず覗き見。

おぞましさの中でしか表現出来ない優しさや人の道って絶対にある。
そしてそのおぞましくってヌメッとした温かさこそ、往々にして人類愛なんだと思う。

あー、本当によかったアリエル・ピンク。
来日した際とかには是非皆様聞きに行ってー!
最高だからー!

2012-03-14

名前を忘れる

よく自分の名前を忘れる。 

文字で見たり、
誰かによばれたりして、
「ああ、そういやそんな名前だったね」と思い出す。

みんなもそんな感じ?
一番身近なアイデンティティの割には
自分の名前って、自分の中で存在感薄し。

私はこっちで暮らしている時は
日常的には大概アニーとよばれていて、
職場とかではアナとよばれている。
日本ではアンナ。

他にはたまにアニュシュカとかアーニャとか、
なんか適当につけられたあだ名に囲まれて暮らしている。

元々かなり適当な名前。
AとNがくみ合わさっただけ。
だからかよぶ方もよばれる方も適当になる。
よって、あんまり「これが私の名前です!」ってのがない。

本当に忘れる。
たまに自分がよばれている事にもそんなに気がつかない。

魂にぐっさりと突き刺さっている位に、
響きに響く真の名前があればいいんだけどねー。

2012-03-12

奇跡だった

東日本大震災から一年が過ぎた。

一年前の今日、2011年3月12日、
私はこちらで日本のテレビを見ていた。
原発が水素爆発した様子をただ呆然と眺めていた。 
その時は一年後をどう迎えるかなんて全く想像できなかった。
単純に次の日がどうなるのかすら分からなかった。

2012年3月11日。
多くの日本に住んでいらっしゃる方々が
静かに祈りの一日を過ごせた事は
私がしたどんな楽観的な想像よりも奇跡だった。

ものすっごい努力が影であったのだろう。
命を、沢山の人がかけたのだろう。

日本の人達は自分に厳しいから
現状に対して好意的な事はあまり言わない。
意見を聞かれたら批判的な事を言う。
志が高くて素晴らしい事だとは思う。
こちらの新聞にも日本の方々が言った、
自分たちに対する厳しい言葉が沢山載っていた。
この厳しさが、日本の底力で、日本が大倒れしない理由なのだろう。

でも端から見ているとそんな人達みんなの一人一人の手を握って、
「そんな事ない、あなたは本当に頑張っている。誰もが知ってる。あなたの足跡全てが尊い。」と言って回りたくなる。 

この一年、
地震と津波で国土が暴力的に破壊されて、
大切な社会の人達が沢山亡くなったのに、
アホな原発事故がおこり
ただ悲しみに身を寄せて泣く事も出来ない
辛い状況に日本の人達は置かれていた。

しかもその中で復興の狼煙を上げて。

鎮魂さえ許されない、そんな破壊の中に身を置かなくてはいけない人達の事を想うと、胸が潰される。 日本の中にいた人達が一年かけて通過した忍耐は想像もできない。

家族、全ての友達、
そんな私の大切な人達を守ってくれた社会の人達、
みんなに、頑張ってくれて生き抜いてくれてありがとうと言いたい。
いやー、本当に皆頑張った!

個人的に知っている人達皆
こんなに頑張っているところ
見た事なかった。

何よりも東北の人達、
本当に、本当に、本当に、
頑張ってくれてありがとう。

あなた達が残している足跡が
本当に尊い物だと皆が知ってる!

復興元年。
ひたすら復興しよう。

2012-03-02

気になる

誰かに対して、すごく積極的に、キラキラとした気持ちを持つ事。

大きな声、もしシャイな気分になっていたら小さな声で「あの人が気になる!」と自分に言う事。

はぁ、恋しい。 

恋が恋しい!

夫と活気のあるバーの前を通る度に「こういうの見ると、独り身になりたくなるよね」と言いあう。 本当に!