姉のサイトを見て興奮してしまったので、昨晩は久しぶりに彼女に電話をした。
彼女はずっと年上だけど、名前も呼び捨てだし、敬語も使わないし、それどころかかなり細心の注意を払って公平に平等に相手に接しようとする。 彼女には私が私のまんまで関わる事が礼義だと思う。 こんなに私のまんまで接する相手はいない。 「とりあえずこの状況を知って、受け入れてくれ! そして色々とご意見お願いします。」な感じで。
とりあえず近況報告。 お互いまず「今どこに住んでるの?」から。 「南半球のニュージーランドのオークランドって街。 そっちは?」「日本の兵庫」「おお〜!」ってやりあう。 「あれ? いつアフリカから戻ってきたの? そういえばロンドンからアフリカ行ったの? それともその間にどっかいたんだっけ?」って一生懸命相手がたどった道を思い出す。 「あれ、アンナって働いてたっけ? それとも学生なんだっけ?」とかってね。(自分中心な人間たちなので、他人の通った道筋なんて簡単に忘れる。) 自分にとってはスーパービックイベントな話も相手からすれば「またなんかやってんな」の一環なのね。 素晴らしい。 ほとんど人生のバックステージの会話だ。 "表ではこんな事やっております"を説明し合う。
そういう距離感の人と話していて何が素晴らしいかというと、今の状況が全てでないと思い出せる事だと思う。 どんなコンディションやシチュエーションであれ、それが永遠と続く事は無いと長いかかわり合いのある人は思い出させてくれる。 今が全てではない。
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