2009-04-28

この部屋の奥には喜びがある

  •  昨日は伝説的に仕事が楽しかった。 「いつでも心にジョンマエダを」をテーマに落ち着いてコツコツと働いたら、結構うまく行った。 すっごく気持ちがよかった!! 自分のアトリエに入った瞬間に「この部屋には喜びが詰まっている」と思えた位に。 ドアが輝いて見えた。

  •  最近トクマルシューゴが好き。 日本人のミュージシャンだとウリチバン群とかトクマルシューゴとかジャラジャラキラキラ、カーニバル系が好きだ。 祭りっぽい感じには心をひかれますね。 楽しいですから。 作業がうまく行くと、大音量でそういう音楽を聴いて一人でお祭り気分になっている。







  •  チャーリー・カウフマン監督のSynecdoche, New Yorkを見た。 この映画の邦題は「脳内ニューヨーク」。 (酷い邦題じゃないか! それとも日本ではこういう言葉遣いが今はやってるの?) 良かった。 非常にブラックでダークで落ち込んでいる、「病気と死と孤独」がテーマの映画。 私の性格にぴったりだ!


    一緒に見に行った相手に「この映画の主人公みたいな気分になった事ある?」と聞いてみたら「ない」と言われた。 あまり孤独を感じない性格なんだそうだ。 なるほどねと思いながら夜道を散歩。 




  •  最近結婚した友人に贈り物がしたくて、つれづれと何が良いのかと考えている。 何か日常的に愛用できる、普通のものを送りたい。 プレゼントらしいプレゼント(木彫りの熊とか)とか、家庭用品とかじゃなくて、もっと本当に生活に密着したものが良いなと考えている。 でもまだ思いつかない。 

  •  友達の友達のブログが面白い。 一回飲み屋でちらっと会った事がある程度の人なんだけど、しっかりした意見をきちんとした言葉で書けているところに感心する。 能力の高い人なのだなあ。 そんな彼はTwitterをしている。 Twitter、英語圏だと馬鹿流行しているけど、日本でもやってる人いるんだね。 彼のTwitterは面白いけど、私が面白い事が書ける気はしないので手は出さない。 Twitter系のコミュニケーションメディアを見ていると「ここまで来たか」って感慨も得る。 アイディアとしてはあまり好きじゃない。 ただやはりどんなメディアでもそうだけど、上手く使う人はいい結果を残すし、ただの残骸としか言いようが無い醜態をさらす人達もいる。 メディアの性質云々よりも、単純にそのメディアを使いこなして面白い事をするか、それともメディアに使われるかどっちかなんだろうな。

2009-04-27

君だったのか

 昔見たサイトで、印象に残っているものが何個かある。 でもまた探し出すのってすごく難しい。

 アマゾンのシステムを使ったサイトで特徴的で面白かったのがあり、暇なときに宝探しのようにネットサーフィンをしていた。 ただなぜか(絶対に有名なはずなのに)見つける事が出来ず最近はあきらめていた。 

 今日、たまたま、尊敬しているデザイナーの一人、山中俊治さんのブログを見ていた。 (彼は今活躍しているデザイナーの中でこれまでもこれからも評価され続ける人だと思う。 だって、なんかやってる事正しいんだもん。 「まっすぐっすね!」ってぐらいにしっかりしている。 デザイン業界の理性だ。) そこからのリンクをクリックし続けていったら、なんと、また巡り会えた。 yugop.com内からリンクが張ってある、amaztypeというプロジェクトがそれだった。

 検索した作者名が、関係書物の表紙によって作られていくってだけの遊びなんだけど、なんかしみじみと面白い。 作者名によって、勿論表紙のデザインも違うので、結構名前の周りに面白い世界観が出来るんだよね。









 「ああ、巡り会えたね」と一人しみじみ。 作者のYugo Nakamuraさん(漢字が分からん)はいつも「すっげーなぁ」と思っていた人の一人なんだけど、まさかamaztypeもこの人の作品だったとは驚く。 山中俊治さんも工学部出身なだよね。 正直言ってその天よりも高く、なおかつ澄んでいる頭がうらやましいです。 やっぱり技術力がある人が作る作品って、めちゃくちゃ実験的。 すっごくかっこいい。 そして本質的に美しい。 

 ってことで、技術よりもよりストレートに(悪く言えば短絡的に)美を追求したがる性質を持っている美大出身の私はちょっとしょげるのです。 でも美大出身者には美大的教育方法から得たの長所があるはず! そういえば、それを原研也は「馬鹿力」と言っていた。 「美大生が特徴的に持っている能力は馬鹿力だ!」と美大出身の彼が多摩美で行った授業で言った際には会場が沸いたものだ。 タフと言えば聞こえが良いが、馬鹿力と言うと、なんだかちょっと物悲しい。 でもこれまで結構この力を行使してきたので、その通りですとも思う訳だ! 馬鹿力に一票!

 って、話がずれたけど、エニウェイ、エニハウ、Yugo Nakamuraさんのブログのタグおよび、リンクの付け方がすごく面白い。 かっこいいね! 頭がいい人がやる事ってのはかっこいい。 硬質な美。 要するにクール。 良い態度してるね!

 多分、彼の作品だと思われるuniqloのutzoomもめちゃくちゃシンプルなのにかっこいいので見てみてください。

 技術力。 なんだかの形で自分が関われるようになりたい。 要、工学。 

2009-04-25

のどかな そして 気まぐれな


  •  久しぶりに一人っきりで集中して自分の為の仕事をした。  ほとんど好きな人と一緒にいるときのような安心感と心地よさがあった。  そして好きな人がくれるような自信やら自尊心やらもがむくむくと沸き、めちゃくちゃ心が満たされた。 やっぱり仕事っていい!

  •  好きな韓国人作家のスゥ セオクのことを考える。 心が満ちる。 今目指しているのは彼の作品のような空気感。 暖かさときめの細かさで満ちた、大らかな物が作りたい。

 

  •  音楽好きな友人が新しい音楽をくれる。 プライベートのことで最低に煮詰まっていたときに啓示のようにひらめいた「人生を変えたかったら聞く音楽を変えろ」って断言はなかなかに核心を突いていると我ながら思う。 新しい音楽に触れ合うのは、ほとんど新しい土地に行くのと同じように、単純に驚かせてくれる。 友人は私がお勧めの曲を聴いていないとわかると、次に私がipodに電源を入れたときにその曲が流れるようにしこみをいれておいてくれる。 そのたびに「おおっ。 何じゃこりゃ」となって楽しい。 Ariel Pink's Haunted Graffitiの曲が流れ出したときには驚いた。 録音最悪なんだもん! でもそれがすごくかっこいい。 友達が「音楽ってのるかそるかだと思う。 いい音楽にするためには、ぎりぎりなラインで音を鳴らさないといけないと思う。 すっごい惨めな失敗と、最高の結果が隣にあると思うのよね。」的なことを言っていた。 音楽のことはちっぽけも知らないからその言葉の重要性はわからないけど、なんかいろいろあるんだな。 友達が悩んでいるときには「ハイリスクハイリターンで行け!!」と言う割には、小心者でぬくぬくとしていたい私には無い態度だ。





2009-04-24

安尚秀がデザイナーで一番好き、かも。

 へなちょこデザイナーとして奇妙な興奮状態のアップアンドダウンを繰り返している私を、上質に励ましていてくれているのが韓国のグラフィックデザイナー、アン•サンス(安尚秀)の作品だ。 彼は胸が震えるほどに美しい作品を作る。 彼の作品には素敵な熱がある。 元々韓国のグラフィックスは気品が半端無くて、温かくて、美しくて大好きなんだけど、特に彼の作品は「生まれ変わったら安尚秀になりたい!」と実は思っている位に好き。

 彼のインタビューを読んでいたら、その愛らしさに胸ががっしりつかまれた。 

タイポグラフィの実験は(言葉遊びのようで)楽しくて、実験的なもの.

実験的タイポグラフィは意味から離れて自由を獲得する.
斧のような視覚言語でからっぽの空間の秘密を切り開き,
自分のイマジネーションは周りの空間に溢れ出す.

タイポグラフィの実験は視覚感覚が他の感覚と出会うところに生まれる.
それを我々は知覚できる領域の彼方へ高める.

外的な力によって変化をとげる.
「我々にはもう何も残されていない?」
自分たち自身への問いが実験的な作品へと我々を導く.

私は私である.

伝統というものが木の根っこであり幹であるとするならば,
実験というものは新たに萌え出た葉のような,
補完的な存在である.
実験と伝統は同じ木に属しているのだ.

木の太い幹は,
光合成を活発におこなう葉によって,
美しい花を咲かせる.
より大きく美しい木となるために.


安尚秀、無敵。 彼の作品について、杉浦康平さんが文章を寄せていた。 神様対決。 全文引用したい位に素晴らしい文章で涙が出そうになる。(ってことでみんなアイデアのバックナンバー「韓国のグラフィックデザイン」を買って全部読もう!)

印象的な部分を引用「安尚秀は、韓国のよき伝統を身に纏う。 繊細さ、大胆さ、そして磊落さ。 対極のものが混在し、緊張を生む。 だが究極の調和に包まれている。 韓国の美の魅力の根源に潜む「矛盾を孕むおおらかな調和」。自然の営みに似たこの調和が安尚秀の作風にも滲みでる。」って所で、そうなんだよと膝を打つ。 なんなのこの大らかさ!!

いいなあ。 いいなあと思いながら安尚秀の作品を眺めています。

2009-04-23

今日も誰かの誕生日だろう

 23日産まれの友達が多い。 多分、今日も誰かの誕生日だろう。 誰かさん、おめでとうございます。

2009-04-20

panda panda panda

聞いた事無いなんて人生損していると説教され、deerhoofを初めて聞いた。

このpanda panda pandaは、曲名が曲名なだけあり、あだ名がアンナパンダタイガーな私は「是非あなたの人生のテーマソングに!」と何人かの人に言われていた。 聞いてみて納得。 本当にこりゃパンダについての歌だ。



パンダパンダパンダパンダパンダパンダ!

とりあえず、人生のテーマソングが見つかってよかった。

でもタイガーについての要素がコンプリートされていないから、テーマソング(仮)だな。 

現状としては良し。

後最近きれいでびっくりした音楽。



坂本龍一の音楽ってきれいだ。

えんがちょ!

 元クラスメイトがウェリントンから週末遊びに来ていた。 彼女は私からすると狂いきった変な女性だ。 彼女と一緒にいると世界を歪んだ鏡を通して見ているような気分になる。 そして最終的に強い吐き気と足下のぐらつきに襲われる。

 彼女と、長い長い散歩をながら、これまでにおこった様々な事が出来る限り将来へのダメージにならないように、こんがらがった糸を解こうと沢山話した。 話せば話すほどに私の生きている世界が足下からバラバラになっていく感覚に襲われた。 それ位に何かが徹底的に違って、相手が不気味に歪んでいると感じる。

 彼女は多分、私が持っていると勘違いしている何かを欲しくてたまらなかったのだと思う。 私のキャパシティーを超えた要求を終始してきていた。 こんなに一人の人に挑戦され続けた事は無かった。 もう過去の話で、今は彼女が日常的に身の回りにいない事が、悪夢から目が覚めた時のように嬉しく思える。 彼女は私からすると歪んでいる。 そして悪夢のようにねっとりとしている。 残念だけど、私と性質があわない。

 途方も無い無力感と、相手に対する嫌悪感、同時に相手を知り尽くしている感覚や、ある種の愛着、そういうのが一気に襲ってきていた。 「三年間私はあなたのためだけに生きてきた。」と言ったとき、相手は嬉しそうにしていた。 多分そういう相手がいてくれるのが嬉しいのだ。 誰かに犠牲に成ってもらう事で力を得た気分になるタイプなのだろう。 でも私はもし誰かにそんな事を言われたら、「そんなんじゃ駄目だよ! 自分の為に生きて、たまに一緒に働きかけて、一緒に楽しむ程度が一番良いよ! クールにいよう。」って言うだろう。 ただ見事に負けて、確かに私は三年間、相手へのいらつきと、なんとかしたいっていう衝動にかなり多くの行動を制約されてきていた。
 
 そういう差がものすごく悲しい。 あまりにも差がある。

 そして、その差のでかさから、私が人に心身を委ね過ぎ無いのか?という疑問が頭にぐるぐる回る。 でも思考停止になる位に意味の分からない世界に私を連れて行く相手に、簡単に自分を差し出せる位に自由な性格は私はしていない。 残念だけど、結構そこら辺私は頑固なのだ。 そしてその頑固さが相手に火をつけたのだろうとも思う。 なので暴力的なバトルが日々行われいた。 最終的には私が「私がこんなんだからいけないんだ」と始終思っていた。 いやいや、そんな自分に無茶を強いるほど価値のある関係じゃないからと距離のある今は思うが、近くに彼女がいると、彼女の欲求不満や、彼女の不安定が全部私の至らなさに直結している気がして、非常にめげた。

 例えば、他に大切な人がいる場合「こんなに吸い取られきった感じで家に帰って、彼に会うのは申し訳ないぐらいに社会悪だから、この女の問題とはディスコネクトしなくては。」と堂々と思える。 でもだんだんと周りの人を切り取られていって、自分には彼女しか今いないのだという心理状況に持っていかれているときは、もう、彼女の事を狂っていると思う私が狂っているのかと、なんでだか全部完全に私の所為な気分になって惨めきわまりなくなる。 人生がこれっぽっちも楽しくなくなるんだよね。

 昨日の夜、家に帰り、深夜会ったまともな友達と遊んだ。 途中まではかなり楽しくのどかな時間を過ごしていたんだけど、酔いが醒めてきた時に「度があっていない眼鏡をかけたときのような、歪んだ鏡を見たときのような気持ち悪さが取れません…」と言いながらめそめそした。 そしてボカンとむかつきが沸き、「もう二度と会いたくない。 関わりたくない! えんがちょ!!!!」と心が叫んだ。 無駄だ! もし私が狂っているのならば、「残念な人生だったな、アンナ」と自分で自分を受け入れなくてはいけないし、もしそうではなく、彼女と私の相性の問題だったのならば、えんがちょだ。 

 もー、なんなんだろう、この感じ。 本当に歪んだ鏡を通して世界を見ているような気分になってしまうのだよ。 普通? こういうのってよくある事?

2009-04-19

気がついたらもう秋だ


 クラスメイトがオークランドに遊びにきたので、また同窓会をした。 なんだかんだでほとんどの週末にウェリントンの友達が遊びにきてくれている。 良い話しじゃないか。

 そして気がついたらもう秋になっていた。 公園を時間をかけて散歩する。 ウェリントンの天候には秋らしい秋がなかったのでとても嬉しい。
 

2009-04-17

ちょっとピンぼけ



朝の私のアトリエが好き。

木登り



 私は木登りが好きだ。 友達と木に登って、枝の上でゆっくりと時間を過ごすのが好き。 夜でも昼でも朝でも、木の上にいると世界はきれいだ。

 結構最近まで頻繁に木に登っていた。 ただヴィクトリア大学の私のキャンパスにはうまく上れるような良い木がなくて数年間木登りをしていなかった。 そうすると、「ああ、もう良い年なんだし、木登りなんてもうやっちゃいけないのかな…。 それに一緒に木に登ってくれるような友達も見つけるの難しくなっていくだろうし…。」と思い始める。 残念だけど、それが悲しくも成熟していくという事なのだろうと思っていた。

 最近出来た友達に「私、木登りがすごく好きだった」という話をした。 そうしたら、なんと相手はナイスな木を見つけてきてくれて、一緒に登ってくれた。

 家の近所にある教会の裏の公園にナイスにでっかい木があるのだ。 そして夜その木に登ると教会の聖歌隊の練習が聞こえる。 「この木が多分一番良い」と推薦してくれた。

 夕飯を食べた後、その木に登り、枝の上にねっころがりながら教会から流れてくる音楽を聞いていると、とても優しい気分になる。 なだらかな丘の上にある木で、下に広がる景色もきれいだ。 都会のど真ん中なんだけど、木の上にいると街から切り離されて気持ちがいい。 そしてステンドグラスやオフィスの窓から漏れてくる光を木の上で浴びるのが好きだ。 友達と枝の上でねっころがりながら、無言の時間を過ごす。

 ただ木の上に人がいる状況を道行く人達は想像していないので、99%すぐ上にいるのに誰も気がつかないけど、たまーに気づかれると、ものすっごく驚かれる。 それにつられて私も驚いて落ちそうになる。 そこだけは気をつけようと思う。 さすがに木から落ちていい年齢じゃなくなったとは思うのだ。

 帰り道、友達に「木に登るのが好きになった」と言われた。 「でしょ?! すっごく良いよね!」と木登りファンが増えた事を喜ぶ。 木登りは良い。

2009-04-16

世の中に存在する物は何でもデザインされている

 友人が今、お棺のデザインをしている。 子供用から大人用まで。 生分解される素材で、エコフレンドリーに。 今や棺桶も環境に優しい。 堂々と自然に帰ろうじゃないか。

 「機能性のテストの時って、自分がねっころがるの?」と聞いたら、「うん。一日十回は棺桶に入っている」と言われた。 (その結果多分、彼の心の底はどっかつながるべきじゃないところに繋がってしまったのだろう。 彼のデザインした竹製の子供用棺桶の名前は「バンブーノ」に決定したそうだ。 竹の英語名バンブーと、イタリア語で子供って意味のバンビーノを混ぜた名称。 多分マーケッターがつけた名前だけど、どうなのか…。 彼はこの名前を奇妙だとは思わないのだろうか。 浮世離れしはじめちゃってはいないだろうか。)

 何はともかく、世の中にある物は誰かによってデザインされてるんだと実感します。

良い物を買え

 "Dress for success"という言い回しがある。 自分のいる領域内で、これを着ていると尊重されやすいとか、信頼されやすい物を選ぶ事をそう言う。 特にデザインの領域だとこれは強いと思う。 これまで関係してきた上司たちはこれにすごく厳しかった。 交渉をする相手によって服を選んでいたし、毎回相手がほれぼれするような服装をした。 そして部下である私の服装にもうるさかった。 

 実際仕事を始めて/というか仕事を得る為に、これほど役に立ったヒントは無かった。 私には教授がたまたま「アンナの服装が好き」っていうシンプルきわまりない理由で今回の仕事を得たという、誇りに思って良いんだか、焦ったら良いんだか分からない経緯がある。 とりあえず、これまでの上司よ、ありがとう。

 上に書いた例は今考えている事柄の一つのアスペクトに過ぎない。 最近、頭を使って暮らす事がなんだかんだでベストプラクティスになっているってのをよく実感するのだ。

 

2009-04-15

オークランド臨時同窓会

 元クラスメイトがオークランドに遊びにきたので、一緒に夕飯を食べた。 

 途中で三年前に一緒に見て、もう題名すら思い出せない映画の話になった。 驚いた。 私たちはお互いをそんな昔から知っているのだ。 私たちの記憶は消えかかっている位に、木から落ちた果物が土にかえっていくように、長い時間を一緒に過ごしたのだ。 もう私の一部じゃないか! 

 呆然と相手の顔を見つめ、とりあえず相手のビール腹をなでておいた。 


 そして頭の中では私の心のトップテンチャートにいつでも入っている、電気グルーブのN.Oが鳴り響いていた。 いつでも今の自分にぴったりと思える曲ではあるんだけど、やっぱりそう。 今の私の心境をここまで歌い上げてくれるのは彼ら位だわ。



普通にすごくかっこいいと思う。 この場にいたかった。




若い頃の彼ら。 いいね。

この歌は新入社員の労働歌として推奨されるべきだと思う。 厚生労働省あたりから。

元学友達にバーでこの歌を歌ってあげる。 ちゃんと歌詞の訳も後でした。 そして「これっきゃねえだろ!」と高らかと宣言。 本当に、学校ないし、家庭も無いし、ひまじゃないし、かっこつかないし、先を思うと不安になるから、今日のトコロは寝るしかないね! 実際は不安で寝れないんだけどね!

牧場とゲイクラッシュ

 ちょっと前の話になっちゃうんだけど、二週間位前の週末はイースターでした。 そして多分、どんなニュージーランド人よりもニュージーランド人らしいイースターの過ごし方をした。

 こっちは21歳が成人なので、大きな誕生日パーティーを家でする人が多い。 家族友人みんな招いて、家でどんちゃん騒ぎだ。 ただ私の友人でそういうこてこてなことをする子が少なかったので、案外参加したことが無かった。 そして、こっちの俗語で知らない人のパーティーに勝手に参加して飲み食いをすることをゲイクラッシュという。 多分酷い意味が影に隠れていそうな言葉なので、使うことをお勧めしないけど、とりあえずそういう。 21歳の誕生日パーティーも、ゲイクラッシュも非常にニュージーランド人らしい行動だ。 両方が交われば最強。 「こてこてですね!」ってレベルに達する。

 今回はそれをやってみた。 別にやりたくてやった訳じゃないけど、友達に車で連れて行かれた先がそこだった。 友達は主催者のうっすらとした知り合いらしく、彼はそこまで怪しくなかったけど私は完全に社会的な居心地の悪い人だ。 21歳になった子のお父さんやお兄ちゃんが泣きながらスピーチをし、お母さんが焼いたケーキをみんなで食べる。 そこでやけに感動して半泣きの私。 でも誰の誕生日なのかはいまいちよくわからない。 素敵なほどにゲイクラッシュ。 ごちそうをたらふく食べて帰ってきた。

 そして次の日、二日酔いの自分は気合いを入れて、オークランドから車で一時間半位の所にあるチーズ工場と友人の実家の牧場および果樹園に行って収穫をしてきた。

 開拓民としか言いようが無い生活をしている場所だった。 そこでは女はライフルを抱えて寝ると言われた。 最初、何の話をされているのか分からなくて「ライフルって何だっけか?」と考えていた。 そして「っえ? ライフルってライフル?」となり、聞き返してみたら、「うん。 開拓民はライフルを抱えて寝るのだよ。 うちもばあちゃんはまだライフル抱えて寝る。 男どもが数日かけた長い放牧の度に出ている間、夜間獣や蛮人に襲われても大丈夫なようにね。」と返された…。 なるほど…。 そうきたか…。 「なかなかにエキセントリックだね」と言ったら「孤立は人をどんどんエキセントリックにする。」と含蓄のある言葉をかけられた。

 崖をのぼり、ものすごい絶景を見る。 あまりのあっぱれ感に心打たれる。 ごろっと羊が死んでいるのを発見する。 「っあ! あの羊死んでる!」と叫んだら「その発見力の強さは絶対に天性の羊飼いのものだ。 羊飼いにならないか?」とちょっとリクルートされる。 私と羊飼いってのは、全く相容れないと思っていたけど、案外気質があるのかもしれない。

 そして夕方果物の収穫。 これも意外と私はうまかった。 友達のばあちゃんの家のをちょろまかしに行ったので、匍匐前進で、地面に落ちている果物を拾っていたのだけど、まるで相手が私に引きつけられているかのごとく見つけられる。 っわ、私牧場とか果樹園とか向いているのかもしれない…。

 夜長いドライブをしながらオークランド市内に戻ってきたとき、200年位タイムスリップをした気分になった。 ライフルを抱えて寝るシチュエーションから、町中で働く工業デザイナーへの帰還。 変な感じだった。

 ウェリントンの友達にこの話を電話でした。 日々、「牧場に行かなくちゃいけない位なら、仮病を使って家で寝る。」とか「ゲイクラッシュなんてプライドの無い行動は絶対にしない。21歳の誕生日パーティーなんてキッチュとおぞましさの結晶だ。」って断言していたので度肝を抜かれる。 「オークランドがお前をそこまで変えたのか…」ってなっていた。 おうともよ。 楽しいじゃないか。 しかもイースターホリデーにそんな事をするなんて、こてこてで面白いじゃないか。 人は変わるのだ。

 

2009-04-14

明るい部屋と土星の徴しの下に

 久しぶりにバルトの「明るい部屋」を読み返している。 多分、世の中に存在する本の中で一、二番目に好きな本。読みながら、この作者の手にかかり、ただ優しくなった世界に触れられて魂が震える。 

 スーザンソンタグの「土星の徴しの下に」(これも半端無い名著)バルトについて書かれた文章が入っている。 良い文章なので、膝を叩いて、「立派じゃないか!」と高らかと言いたくなる。

 両方とも、読まないで大人になってはいけない本なので、時間のある人は読んでみる事をお薦めします。 




光ってた


 アトリエの隅に放置していた展示代用のアクリル板達が日の光を浴びて光っていた。 綺麗だった。 

今週の目標

 四日間のイースターホリデーが終わり、また普通の日々に戻った。 ホリデーは楽しかった。 っが、仕事が恋しかった。

 今週の目標は、二人の尊敬している人達がよく言うフレーズ、「生活は穏やかに、仕事はラディカルに」でいこうと思う。 私生活では無駄なことや刺激を求めず(ここかなり重要)、穏やかに、朗らかに過ごし、仕事では狂いきったレーサーのように、心身ともに野心と情熱にあふれた闘牛士のようにいきたいと思います。

 皆様も、よい一週間を。 はりきっていこー!

2009-04-12

絵画と夜景




 オークランドの美術館で、ランドスケープをテーマとした美術品の展覧会が行われていた。 一緒に行った友人はモデルとなっている場所を探し当てるのが上手で感心させられた。 夜になり、一枚の絵画の題材の地にドライブし、「きっとここだ!」と誇らしげにしている姿に、ぼけっと暮している私は「こいつ、記憶力いいな」と驚く。

 突風に吹かれながら、二人で夜景を見ながらケーキを食べる。 素手で握りながら、男前に崖の上でケーキを立ち食い。 なんでケーキなんだろう…、と考えながら、時間を過ごす。 いまだによく分からない。 

化石、大好き

 私は化石とか、骨とか好きだ。 





友達に「恐竜好き?」と聞いたら、相手の目が輝いた。 よしきた。 恐竜好きに悪い人間はいない。 って事でその場でオークランド博物館に行った。





今オークランド博物館にはシカゴのフィールド自然史博物館からティラノサウルスのスーが来ている。 恐竜好きならピンとくる名前でしょう…。 そう、彼女です。 スーはそのミッシングピースの少なさで有名な、現在最も保存状態のよいティラノサウルスの全身骨格化石で、何とも言えない美しい化石なのです。 閉館間際だと、特別展もただで見れる博物館なので私はリピーターになっている。





こんな大きい生き物が地球上にいたなんて信じられない。 すごい。 そして不思議だ。





本当に綺麗だ…。 不思議であるとか、圧倒されるとか、好奇心を刺激されるっていうのを超えて、美しい。


柳さん! 駆けつけてきて!!

 最近えらく普通な友達が出来た。 「見事だ…」と相手を見ながらあっぱれな気持ちになるぐらいに、普通なんだよね。 

 しいて言うなら、ジャスパー・モリソン並にスーパーノーマル。 モダニズムデザインから神経症的な純粋への強迫観念を脱ぎ去った先にある「普通」って感じなんだよね! しかも下地に「日本民藝館」的な「健康の美」「正常の美」がある感じで、「柳さん! 走ってきて! この人の事収集して!!」って気分にさせてくれる。 

 さて、そんな普通な人は、普通なエピソードに溢れている。 例えば、幼なじみと一緒にバンドを組んでいるとか、しかもそのメンバーで一緒に住んでいるとか。 なおかつ大学の専攻まで一緒だとか…。 よっぽど気が合ってるんだね。 心温まる良い普通の話しだ。 

 二ヶ月ぐらい前、そのうちの1人が普通な人のお財布を掴みながら、「これを窓から投げてやる!」とふざけたそうだ。 「そんな事をしたらお前のお尻を力の限り下から殴ってお仕置きしてやる!!!!」と宣言をしたものの、幼なじみは窓から彼のお財布を投げ捨てたらしい。 「なんて事するんだこの馬鹿!」と怒った彼は、宣言した通りに幼なじみのお尻を力の限り殴ったそうだ。 そしたら、幼なじみはただ「いってーー!」って叫んでおしまいだったんだけど、殴った本人は手首の骨にヒビはいっちゃったんだよね。 どれだけ固いの、幼なじみのお尻。 強烈な激痛が手首に走ったんだけど、恥ずかしいから一ヶ月以上ほっておいたんだそうだ。 まさかヒビ入っているは思わなかったそうだ。 

 案の定手首がまわらなくなっちゃったから、最近病院に行って、お医者さんに「大人なんだから、すぐに病院に来る! あと、幼なじみのお尻なぐらない!」とものすごく怒られたそうだ。 来週手術。 あっはっは! 普通!

 これまで極端に神経質な友達が多かったので、「誰かが誰かのお財布を投げる」とか「お尻を殴る」なんて事は一切無かった。 そんな事したら一生絶対、恒常的に、心の底から恨まれたし、相手に一生消える事の無いダメージを与える事が出来たと思う。 

 「ヒビ入った事幼なじみに言ったの?」と聞いたら「うん。 暴力のくだらなさが分かったかって笑われた。」と悔しがっていた。  「子供のころ、幼なじみに屋根から飛び降りろってやじをかけたら本当に飛び降りて、足首にヒビが入って、今度自分がする手術と全く同じのを相手がしたんだよね。 業かもしれない。」と別に相手のお尻の理不尽なまでの固さに怒る訳でもなく、普通に許し合っている所にも感心した。 普通。

 そういう私からすると普通な感じを見る度に、胸の中では「柳さん! お願い、駆けつけてきて! 収集! 収集!」ってなっている。 まさか、自分のそんな事を感心されているとは御本人思ってもいないだろう。 

 あっはっは。 それにしてもお尻殴って、手首にヒビ入ったってのはないでしょう。 アホだ。 レントゲン写真を見ながら、車の中で息が出来なくなるまで泣き笑いをしてしまった。 端から見たら、車の中でレントゲンを見て、むせび泣いている女だ。 「どんな不幸が彼女におこった?!」って思われても仕方がない。 実際の事は、彼の幼なじみのお尻の強度に笑いのつぼを押されまくっていただけなのだけれども。 いやー、人によっては、お尻って案外固いから、殴っちゃ駄目よ。

2009-04-11

バルトには決してがっかりさせられない

 好きな人によってころころ変わるのが女という者だろう。 いや、男も変わるな。 この目で見た。 要するに、人は、服装も、考え方も、人生観も結構一緒にいる相手によって変える生き物なのね。 

 以前バルトのメランコリックなウィズダムたっぷりな文章に包まれていないとやってけない相手に思い焦がれていた。 そして最終的に相手は去ったが、バルトは残った。 てっきり、相手への思いとともにバルトへの熱も去るのだろうと思っていたけれどもそんな事は無かった。 バルトへの熱と尊敬は思いの他、深かった。

 人の笑いを取るのが好きなので、友達に「前の恋愛の話しをして」と言われると、思わず浪曲師の様に「闘牛のような恋でありました」と話しはじめてしまう。 「どっちがどっち?」と聞かれるので、「話しを聞いてからそちら側で勝手に決めて下さい…」と答える。 まさかへらへらした日本人のデザイナーの女の子の口から「闘牛」って言葉が出るとは思わないみたいで、その時点で結構笑ってもらえる。

 バルトのテキストの一つにWhat is sport?というのがある。 これは"恋愛のディスクール"において彼が恋愛について饒舌に語ったように、スポーツについてひたすら語っている短いテクストだ。 相変わらず、非常にメランコリックで、美しい、そして死へ真っ正面から立ち向かっている、バルト色炸裂な素敵テキストだ。





 その中で彼はスポーツのアーキタイプに闘牛をあげている。 

 バルトは闘牛のプロセスを数段階に分けて話す。 まず、闘牛士はケープを使い、戦っている牛の事をしる。 遊び、焦らし、避け、自分のルールを示す。 次に闘牛士は槍だけを使い牛との死闘を始める。 その時点ではまだ牛の方が強い。 ただ闘牛士には恐怖心とそれに立ち向かう勇気がある。 牛には無い。 その時点で闘牛士は獣より優れている。 そして闘牛士には牛は知る事の無い知識がある。 闘牛士は牛を知っている。 牛は闘牛士を知らない。 闘牛士にはスタイルがある。 スタイルは難しい動作を徳深い作法に変換させる事を可能とし、乱れを規律し、リズムを構成する。 そして闘牛士は牛に勝つ。

 「私は時たまとんでもない負けず嫌いで、どーでも良い事に競争を持ち込んだり、死闘を演じてしまったりするんだよね。 難しい相手を見たら、ほとんど肝試しの一環としてケープを使って焦らして、相手と遊んで相手を知り、出来る限りに誘惑し、そして相手に立ち向かい、一撃を加えたいと思っちゃうんだ。 以前好きだった人はまさにそんな感じで、ただただ挑戦したい衝動に狩られて、長期戦の闘牛をしたの。 しかも相手も私にそっくりに負けず嫌いだったの。 でも、結局私には深い知識も、強い勇気も意識も無ければスタイルも無かったから、闘牛士のつもりだったけど、実際牛だったのは私なんじゃないかと思えたりもするのよね!結構な衝撃を加えられ続けたし!」と言い切った所で、大笑いしてもらえる。 

 「私、闘牛士のつもりだったけど、もしかしたら牛だったかも宣言」は女の子の口から出てくる言葉として期待していなかったようで、「よくそんな事思いついたね」と感心してもらえる。 バルト、読んでるからね。 

 勿論、それだけじゃなかった。 喧嘩だけじゃなくて、温かさや愛おしさだって溢れていた。 ただ、二人の個性がクラッシュしたとき、闘牛的要素が何よりも全面に出てしまったのだ。 とんだ特徴! ほとんど、記念碑。 いやー、スペシャルだった。 友達にそういう話しをした後に「本当にスペシャルだったなあ!」って思いで胸がいっぱいになる。 「闘牛でスペシャルでした」ってのもとんちんかんなスペシャリティーだけど、本当にそうだったし、何故かその頃の私はその面をつよーーーーく愛してしまっていたし、味わいまくってしまっていたのね。 

 マジでもう二度としたくない奇妙な人生経験だけど、結果として「もしかしたら私は牛だったかも」という疑いとバルトが残った。 結構この感じには満足している。 寂しいけど、満足している。

 決して私をがっかりさせない不思議な作家がいる。 バルトはその中心的な1人だ。 彼を知っていてよかった。 じゃなかったらもっと激しく暗中模索だったと思う。 冗談を言えるような感情の余地すらなかったと思う。 テクストってすごい。 優れた文章を残すって偉大だと彼の偉業を通して思います。 困ったらバルトに聞こう!

2009-04-10

あらら、ちょっと可愛いんじゃないの?

 この間クラブに音楽を聞きに行ったら、ものすごく若々しいバンドが演奏していた。 エレキの若大将って感じだ。

 ブースに知合い達とたまっていたら、そのバンドのうちの1人の子がふらふらっと入ってきて「頭をなでて」と言ってきたので、頭をなでた。 その瞬間私の胸らへんにボワンっと沸き上がる母性愛。 小さき者への愛が目覚めた。 「っこ、この手の愛情の持ち方はこれまでに無かったぞ…」と思い、おもわず相手に年齢を聞いた。 そうしたらなんと17歳。 高校3年生。 クラブキッズ様だ。 ってか孫じゃん! 夜遊び的には私の孫ぐらいの年齢じゃん。 そりゃ出るわ、母性、というか祖母性。 たまげた。 横にいた子と「17歳の時なんて私、牧場で友達と追っかけっこしたりしていた…」と感嘆。 早熟な子っているんだなあ。 「こんなに若いのに、これまたまあ、頑張って仕事で疲れた私達をエンターテインして音楽まで演奏して、偉い、偉い、なんか買ってあげようかね?」って心境になりました。

 その場ではキッズと呼ぶには物事の分別を知り過ぎた、疲れた青年達の私達は服の話しをしていた。 「服着てるのって本当に社会の為だよね。 着なくていいなら本当に着ないよ。 許されるなら四六時中下着でうろうろしていたい。 家に帰ったら、服は即脱ぐ」という意見で私達は合意していた。 「そうだそうだ!やんややんや!」とやっていたら、17歳の彼が「そう? 僕服好き。 服を着ている感じが好き。 服を着ている自分も好き。」とおっしゃった。 そこで私も思い出したのだ。 確かに、服を着る事が重要で楽しかった時期はあった。 それこそ「夜遊びをする」って事が新鮮でただ楽しかったように。 着なきゃいけないから着るとか、校庭とか休み時間とかもうないから、人と遊ぶ為にノーチョイスでクラブに行くってのとは違うのだ。 キッズ! 彼らは何でもかんでもやっている事が楽しいのだ。
 
 そういえば牧場で追っかけっこしていたとかって言ってみたけれども、私も結構彼ぐらいの年齢の頃夜遊びをしていた。 みんな自分の事は忘れるのね。 17歳の子をクラブで見つけて早熟ねなんて言えちゃうのは、既に自分に老人性ぼけが始まっているから。 実際は15歳ぐらいの頃から、年上の子達がどこでも連れて行ってくれた。 そしてその場でいつも知らない人達に「15歳?!若いっ!! ってか合法?」とぶったまげられていた。 19歳ぐらいまではその場でいつでも最年少だった。

 今あの頃の周りの人達の気持ち分かるわと思った、25の夜。 そろそろ私も良い年した「いやー、25から27までの人達ってなんであんなに本気で遊ぶんだろう?」ってカテゴリーに入る、子供から青年への生まれ変わりを経験中のお年頃。 いる人の年齢層に幅があるクラブでも中心的年齢層、そしてそろそろ漆黒深く光るバーでも浮かない年齢。 そんな元気さの性質もちょっと変わってきたこのごろ、ただ元気な人が可愛くて仕方ない。 「君に全ての良い出来事と祝福が降り注ぎますように!」って思うね。 なるほどね、みんなこんな感じで祖父母のような愛を注いでいてくれていたのか。 思い出してみたらみんなものすごく優しかった。 前世のようなその頃の事を思い出しながら、ちょっと感慨深かったよ。 

 その頃の私を知っている友達は「あの頃のアンナは言葉が話せなかった。 猿だった。 キャーしか言わなかった。 口から出るのはぜーんぶ感情表現の擬音だけ。」と前言っていたっけ。 そうだよね。 喋れるようになったら、バーに行くようになるなよね。 あらら、時は流れるのね。

 実は私は25歳ぐらいになるのがすごく楽しみだった。 なぜなら、それぐらいの年齢の子達が十代の私をいつも私を連れ出していてくれていたから。 どんなもんなのか経験してみたかったのだ。 してみたら分かった。 自分の子供時代の死を確認し、奇妙な生まれ変わりのプロセスを遂行中だったんですね。 そして10代は孫に見えると! 楽しいじゃないか。

 次は30歳になるのが楽しみだ。 20代初めの子をバーに連れて行って、しこたま呑ませてみたい。 

 こっちの大学に入るまで私は、同年代の子達と集まって遊ぶってよりも、結構広い年齢層で遊んでいた。 大人には遊んでもらった方だと思う。 最近そうやって遊び方を教えてくれていた友達の子供が夜遊びを始めるような年齢になったりしてきて、「やばい。 あの子が変な遊び方を覚える前に、どっか基準値になる所に連れて行かなくては」って感覚を味わうようになってきた。 

 ある程度の年齢になると育欲ってのが出てくるってのは聞いた事があったけど、本当なのねと思う昨今。 こういう事に関して言えば、5年ぐらいの離れているとジェネレーションギャップがあるんだと思う。 そしてそのギャップってかなり面白い。 見せてやりたい、驚かせてやりたいという欲がむくむくと湧く。
 
 やっぱ広い年齢層と遊ぶのって役割多くて楽しいと実感し直しました。 いいですね、本当に。 しみじみとします。

2009-04-08

幸福いっぱい

ちょっとダウンな日は、彼女のことを考える。 

検索もする。 

だって絶対に幸せにしてくれるから!


だから大好き!





 今度は彼女、携帯電話を作ったそうだ。 



素晴らしい。 マジで、全部欲しい。 


auの新ブランドiidaの為に、彼女は三種類のファンタスティックな物体を作られた。 

コンセプトは三つ。 

"ドッツオブセッション、水玉で幸福いっぱい" 

"私の犬のリンリン" 

"宇宙へ行くときのハンドバッグ"。 

圧巻。 
圧巻とはまさにこのことだろう。
誰も思いつかなかった。 でも確実に正解に近い。
本当に、天才って見飽きない。 天才ってすごい。

クサマ万歳!!! 



 メッセージもかっ飛ばしている。

iidaケイタイ電話とクサマの前衛芸術とが一体に交わってきた。
生きてゆく我々の感性が宇宙への神秘にとどろいてゆく。
この瞬間に超発展してゆく我々の五体すべてをiidaのケイタイがかもし出す。
大いなる人類の志を世界に引き込まれてiidaケイタイ電話は我々のすべての哲学を山のように広げていく。
この不思議な喜びの瞬間。
わたし大好き。
私はiidaのケイタイ電話を心から愛している。

草間彌生




誰だってそう思うよ! わたしも大好き!
あなたの携帯、ほとんど愛!



もーー、朝からかましてもらったわ。 あなた大好き!!!




くはあ☆

2009-04-06

ねじ巻き鳥クロニクル

久しぶりに村上春樹のねじ巻き鳥クロニクルを読んでいる。

日本語版だとどう書かれているか分からないのだけど、英語版だと"Spending plenty of time on something can be the most sophisticated from of revenge."と主人公は叔父から言われる。 主人公はこの言葉を聞いて「一体何に復讐を?」とびっくりしてしまう。 しかし、彼は今おこっている事、悲しみの根本的な、そしてシンプルな原因に気がついた時に心から怒りが沸き上がり、全身に怒りがまわる。 そして叔父さんの言っていた言葉を、初めて聞いた時とは結構違う形で理解する。

「怒ったら負けだ」と思ってしまう事がある。 でも怒れなかったら負けって事柄もある。 それが自分にとってエッセンシャルな悲しみを引き起こした事ならば原因に堂々と怒っていいのだと思う。 というか怒らなくてはいけない事柄って絶対にある。 怒らないで屈折してってただ悲しんでっていうプロセスは、よろしくない。 怒れる人になる。

2009-04-05

ジョン様のマフラー

一般の人には有名でなくても、その産業内ではグルのレベルの人っていっぱいいる。 デザイン業界で確実にそのうちの1人なのがジョン マエダだ。 MITの教授職をしていた時、メディアラボの立ち上げをしたコンピューターサイエンティスト/デザイナーで、最近Rhode Island School of Designの学長になった方。 彼の書いた本のタイトルが思い出したくてwikipediaで彼を探したら、その肖像写真に目が釘付け。 

っわ、私、彼と同じマフラー持ってる! 大興奮。 気分は完全にグルーピー。 ああ、このマフラー、大切にしよう…☆☆☆




それにしてもジョン様の、この苦いお顔の時の写真がwikiに乗っているのは果たして彼にとって幸せなことなのだろうか。 ちょっと気になる。

2009-04-04

Kanye West


この写真は何回見ても元気が出る。

2009-04-03

そろそろさようなら

 大学から卒業式に向けてのガイドブックが来た。 こっちの大学は単位を取得してから半年後に卒業なんだ。 植民地時代の名残で、昔はイギリスに論文を送って審査してってプロセスがあったのでこんなに時間がかかるらしい。 あっはっは。 なんかなさけねー。 

 まあさておき、三回大学と専攻を変え、六年間も大学生をしてしまった私には感慨深かった。 終わりってくるんだね! 卒業式がとても楽しみ。

 六年前を思い出すとまるで昨日のことのようで、でも実は結構前で、なーんかしみじみとしてしまう。

 日本の大学の入学式は周りがみんなスーツで度肝を抜いた。 私は何も考えずにアロハシャツにジーンズに金色のスニーカーで行ってしまい、周りに度肝を抜かれたらしい。 まだ言われる。 いやっ、君たちが驚いたぐらいに私も君たちに驚いた、こっちの言い分も聞いてくれ(って言ってもたいしてないけど)って思うさ。 なんでスーツなのよ。 どこでそんなこと思いついたのさ。 しかも私だけ半そでで、完全に馬鹿丸出し。 みんなに寒くないの?と聞かれて、こっちは暑くないの?と思っていた。 

 しかも「起立」とか「礼」って今日まで会ったこともない大人に命令されて、みんなそのとおりに動くのにも驚いたし、相手がそう動くと思っているだろうと思う命令する大人にも驚いた。 また、オリエンテーションという名前の旅行の重要さをあまり理解していなく、同じ夜に友達の家でやるパーティーの方に行くことにして参加しなかったら先生に怒られた。 「泊まりたいところぐらい決めさせてくれ。」と当時は驚いた。 今はそんな事に驚いていた自分に驚くよ!

 当時知り合った人ほぼ全員に「初対面の時はxxxxな理由でアンナに驚いた。」と言われる。 私は普通にしていたら人を驚かせてしまうタイプの人間なのだと思う…。 「うわっ、猿が山から下りてきた」って感じになってしまうのではないだろうか。 (保健所! 保健所に電話!) ちょっとモンキーすぎたなと、昔を思い出して思います。 

 もっともっと文明化したいですね。 

 大学の卒業と同時に野生時代も卒業し、ナイスで適正で妥当な文明人になれたらと思っています。 それを今後の自分に期待だ。 

 それにしても卒業式がとてもとても楽しみ。 きゃっ。

2009-04-01

良い一日

 昨日髪を切った。 どんなスタイルにしたいですか?と聞かれたから、好きにしてと答える。 「あなたがやりたいと思っているスタイルの中で私に似合いそうなのをやって。」と言ったら相手の目が輝いた。 「本当に?」「うん。 本当に好きにしていいよ。 伸びるし。 驚かせて。」と言った。 いつも人に注文ばっかりされていているからなのかなあ、この態度は美容師さんにいつも喜ばれる。 「もうちょっと注文した方がやりやすい?」と聞いたら「いや、出来ると思う」と言われて、こっちも楽しくなった。 いいね。 相手は興奮してシャンパンを開けてくれた。 「僕は切っている間は呑めないけど、君はガンガン呑んで」と言われて、遠慮なく結構呑んだ。 

 結構ディテールのある髪型になって、途中で十分ぐらい立たさせられた。 下から何かをやられていると植木職人に整えられている松のような気分になる。 しかもこっちは1人でシャンパンのボトルを開けているので、軽く垂直に立っているのが辛い。 しかしここでふらっときたら私の髪の毛はとんでもない事になってしまう。 どんなプレイ! 座れた時はほっとした。 結構可愛い髪型になった。 

 私がその日最後のお客さんだった事もあって、終わった後に彼が音楽の音量をあげてくれて、2人でしこたま呑んだ。 「すっごい楽しかった! こんなにやりたい放題だったの久しぶり。 絶対また来てね。」と言われた。 やっぱりお互い楽しかったと思うのは気持ちがいい。 そういう状況の方が良い仕事をしてくれるしね。 深夜帰宅。 ただ結構酔っぱらっていたので、今日目をさました時に「しらふの時に見たらありえないぐらいのカッティングエッジな髪型だったらどうしよう」とは思った。 大丈夫、しらふで見ても結構可愛い。

 機嫌良く出社。 激しく集中して働く。 今日一日で絶対過去一ヶ月分ぐらい働いた。 要するにこれまでは全く働いてなかった。 午後教授が来た。 

 出張中の上司抜きでプロジェクトのレビュー。 色々と進む。 だたこれで上司が入ってきたらまた進まなくなるんだよな。 やっぱり現場の人とデザイナーってのは違う働き方をする。 片方は過剰な提案をし、片方はそれを徹底的に押さえる。 会社側は無意識であってもバランスを取ろうとするし、保守に走るんだろうな。 

 私は自分の案を押し切る勇気がなく、結構会社に「駄目。現実性無さすぎ」と言われると、すぐ自分の案を引っ込めてしまう。 帰りの車の中、教授と2人っきりの時に教授にかなりがつんと言われる。 「うわーーーーーーん、もおおおおいい、このままここでおろして!」って高速道路の途中で思う。 

 会社の人がいる時に彼が言う言葉と、2人っきりの時に言われる言葉は最終的なメッセージは同じでもコミュニケーションの方法が違って、きっつい、きつい。 言葉づかいはソフトでナイスだけど、実際言ってる事の内容が厳しい。 怖いぐらいに厳しい。 彼が怖いんじゃなくて、内容が怖い。 こんな挑戦私に出来るのだろうかとびびりきる。 でも出来ると思われたから雇われているんだろうし、やるっきゃないだろう。 挑戦だ。

 とりあえず上司が出張から帰ってくるまでに、かなりまとめあげていて、相手を納得させられるデザインを提案できないとこのプロジェクトは転けると気がついた。 教授の今日のガツンは、ウェイキングアップコールだった。 まじでやばい。 明日、フルスロットルで半端無くやらないといけん。 くはぁぁぁ…。 でもやるっきゃない。

 とりあえず、そんなホラーな状況が車の中でおこっていたとはつゆ知らずな、就職活動中の元クラスメイトと合流して皆でディナー。 教授、彼にもきついきつい。 厳しい!!! 相変わらず言葉遣いはソフトでナイスだけど、もー、内容は泣いて走り出したいぐらいに「コミットしろ、さもなくば去れ」な内容で、アンビリーバブルに怖かったわ。 ただ、すごく良い言葉を私達に言ってくれているんだという事は分かる。 尊敬に値する。 

 教授はそのまま彼の出張先に向かうため空港へ。 私達2人は馬鹿みたいに教授に手を振り、バーへ向かった。 呑みながら、お互いのモラルサポートをする。 私がこれまで人からもらってきて、価値があったと思っている言葉は言えるだけ言った。 そして相手を励ませるだけ励ました。 もう今回は不安のうつし合いはしないと決めていた私は徹底的にクールにいこうと提案し続けた。 そうしたら彼の態度も柔らかくなって、「とりあえずクールにいよう」って感じになれた。 そして今度は私の髪型を徹底的に誉めてくれた。 元クラスメイト達の何が素晴らしいって、新しい服や髪型やらを徹底的に褒めちぎってくれる事だ。 滅多にそこまでやってくれる人達はいない。 「もーーー、今のアンナの爪の形も最高」とまで言えるヘテロの男の子たちは私はクラスメイトしか知らないよ。 みんな優しい。 良い人間たちだ。

 そんなこんなで今一部の元クラスメイトたちは完全にお互いのモラルサポーターになっている。 役目が変わった。

 職場では「昨日よりもっと生産。もっとコミット、もっとギヴィング。」を心がけている私は、プライベートの状況だと「昨日よりもっとバカ、もっと幼稚、もっとそのまんま」になってしまう。 仕事、デザイン、将来の話しをしていた時の私と、他の事を話しはじめた時のギャップが激しすぎたらしく、相手に大笑いされた。 振り幅の少ない人になれるものならなりたかったが、残念ながらそうはいかなかった。 要点押さえて文明化されれば後は野生のまま放置していても許されると思っちゃってるからなぁ。 「よく、そんなバランスを保てるな」と誉められた。 保つも何も、こんな自分を堂々と見せられる人が今近くにいてくれてよかったと心から思ってますよ。 彼がオークランドに引っ越してくるまでは、やっぱりストレス溜まったし、どうして良いか分からなくなったりして、誰もいないのを確かめてから、職場で1人でトランポリンしまくったり、逆立ちしたりしてたよ。 それで、「っうん。 まだいける。」ってなってた。

 とりあえず今の私のプロジェクトがまだ軌道に全く乗っていない事、やる事は山ほどあること、そしてやれば出来ると教授は思っている事、私の今の髪型はナイスな事、そういうのをひっくるめて、すごく良い一日だったと思う。 

 後職場で眠くて眠くて仕方がなくなった時に、これまでは途方も無い自己嫌悪と無力感に苛まれて、全く仕事をしないでただ起きている事に集中していた。 毎日私は昼過ぎの二時ぐらいに眠さのピークが来て、ほとんど何もしないで一時間ぐらい過ごしていた。 目を開けて座っているだけで精一杯。 でも今日自分で自分の悪口を言い始める前に、二十分ぐらい職場のソファーで昼寝をした。 やっぱり起きる時まだ慣れてないから辛かったけど、その後の集中の持続は華々しかった。 そして毎日軽く朝一時間、昼過ぎに一時間、合計二時間も自分自身を心底恥ずかしく情けなく惨めに思っていたのだけど、それをしなくて良いだけで、こんなに前向きなやる気が続くのかと驚いている。 昼寝、万歳。 

白と黒

 我が社の製品は表紙が黒と白のが飛ぶように売れて、色物があまり売れない。 うーん、何故…。 何故なのだ。 

 持ち物に関して言えば、私自身があまり色彩豊かな物は持たない。

 服は全体の9割位が黒で、その日によってスカーフやジャケットで一色投入する感じだ。 元々模様とか柄が苦手なので、無地で質感や形が面白い物を選ぶ。 (前のインターン先は「何が何でも全身完全に黒。そして形素材は変わったもの」っていう不文律があり、場の空気を壊さない為に完全にメン イン ブラックでかなり楽だった。)

 そして部屋の中は出来るだけ全部白。 家具だけ