2006-11-29

アンニョハセヨ

みなさん今日は。

韓国通信です。

今ソウルにいます。 こっちのほうが日本よりずっと寒くて、空気が凛としています。
銀杏や、かえでが紅葉し、街道を色鮮やかに彩っています。
落ち葉がいたるところでひらひらと飛んだりはねたりしていて、
幸せな光景が続いています。 

今のところ私の見ている韓国は日本のパラレルワールドのようです。
何もかもがとても似ているのに、少しずつずれていて、
とても不思議!! 隣の国ってこういう感覚なのかと初めて知りました。
似ている外国なんていったことがなかったからさ。 

空港からソウル市内に向かう地下鉄の駅で、
韓国人のおじちゃんに「この電車はどこどこにいきますかね?」的なことを訪ねられた。
淑も横に立っていたんだけど、確実に、私に向かって聞いていたよ。
あっはっは。

これから現代美術館に行ってくる。

アンニョハセヨ

2006-11-28

ジョー

 メゾン ド ヒミコを見た。 メイキングが本当に素晴らしいという話しを聞いていたので借りたんだけど、レンタル用のDVDには入ってなかった。 

 オダギリジョーがものすごくかっこ良かった。 腰とか、ズボンとか、鼻とか、口とか。
後、勿論田中泯も良かった。 柴咲コウも良かった。 音楽も良かった。 でもなんかが凄くphonyだったと思う、思春期の子供のような私。 いや、うそ。 わざと思春期ぶっただけ。
 いつかこういう策略的な感じのする映画だって、一つの大丈夫な物として受け入れる事が出来るのかなあ。 本当に悲しい事、相手を傷つける為に行われる暴力や、いじめ、そういうのを、物語を動かすためだけのハプニングとして使っているように見えて気分が悪くなった。  大抵はそういうことを気にしないんだけど、でもそのとんでもない嫌な落ち込む事をしかけとして使ったのに、最後はそのレベルかい的な虚しさを感じてしまったのですたい。
 でももしかしたらそこがこの映画の個性なのかもしれないから、わかんないけど。 例えば私はリヒテンシュタインが嫌いで、アンディーウォホールが好きなんだけど、洗練さとか知性を重視したら、ウォホールよりもリヒテンシュタインでしょ。 私はそういう感じに結構あか抜けない方向につっぱしってしまう性格だから、この映画が分からないのかも。 「魂見せてないし、ど根性を感じないから」。 わかんないけどね。  


 でも男の子たちの、レイディーをエスコートするためにめかしこんだり、手をつないでベッドに行ったり、そういうチャーミングな所が出ていて良かった。 そういうかわいい男の子たちを結構知ってる。 でも意外と映像とかだと彼らのキュートな自意識とかって無視されていない? こんなにかわいくない生命体は無いってぐらいに、1mmもかわいくない男どもが出ている映画が多い気がする。 嘘なのにね、そんなの。


 村上隆が狂わんばかりに否定していた、途中のミュージカルっぽいパート、確かに変だと思ったんだけど、でもみんなが踊るときに流れた音楽が、尾崎紀世彦のまた逢う日までだったのよ。 これは…、もう何回でも見るしかないじゃない。 映画見終わった後、そこだけリピート。 ふりが覚えたい!(どうぞこれを見ている私の友人たちよ、DVDを借りてきてふりを一緒に覚えて、私と一緒に踊って)

2006-11-27

コクヨデザインアワード2006

 コクヨデザインアワード2006の表彰式+トークショーに行ってきた。
審査委員が、コクヨの社長さんと、佐藤卓、石橋勝利、山中俊治、そして吉岡徳仁。
そう、吉岡徳仁。 ちょっとミーハーな気持ちで盛り上がったわよ。 あの人の作品は本当にゴージャスだからね。 それは勿論ワクワクするさ。 今まで伝説上の人物のように思っていた人が目の前で離したり動いたりしているのを見ると、全部この体が発端であの作品もこの作品も出来たんだなと本当に不思議な気持ちになる。 不思議で不思議でたまらなくなる。 どうして作者とか本物の作品を見ると急に自分が対等なチャンスの上にあるって事実にリアリティーがわくんだろう。 (逆に言うと、どうして私は紙媒体とか言葉とかからだけできちんと把握できないんだろう。)


 受賞作品は、良くも悪くもコンセプチュアルだった。 HAPTICが与えた影響ってどでかいのねとしか言いようがない。 私もHAPTICの持っていた概念は美しく、とても挑戦していたと思うからそっちの方向に流れたのには納得がいく。 そして結構一人一人がそこから違う事を学んだというのが見えて面白かった。 勿論、全員が全員HAPTICっぽさを求めたとかそっちに流れたってことではないけれども、全体をまとめてみるとそういう傾向が強かったってことで、それは単純に私たちが今必要としていたり、どうしようもなく飢えていると思っている箇所なんだろう。 詩的でロマンティックでフルーティーで、ささいな仕掛けが今まで気がついていなかった美しさや素晴らしいという気持ちに導くという上質な偶然をデザインしようとしているように見えた。


 私はぐだぐだと悩んでいる時でも一つの答えは知っている。 それは「この問題は正しい問題でしかも既に誰かが答えているし、耳をすましていればすぐに答えは聞ける」ってやつだ。 そういう経験って誰にでもあると思う。 特に私は切り込み番長みたいな性格はしていないので今思い込んでいる事と違う価値観の物を見た時に感じた違和感がストレートに疑問になる。 だから結構答えも疑問も一緒くたになって目の前にあるし、その不思議はそれを作った人の言う言葉とかで簡単に解決できたりする。 だからぐだぐだと悩みつつも、どっかでちょっと冷めているんだけど、今回ももろにそうだった。 トークショーの間最近感じていた疑問やらぐだぐだとした悩みやらがすらっと解けたりした。 生々しくて温かい、まるで化物の赤ちゃんのような存在が会話の端々に現れて、一体それにどれだけ関心したことか。

 
 今回は山中俊治の作品と言葉にものすごく学んで帰ってきた。 あの人の作品は凄い! 今まで気がついていなかったんだけど、そしてそんなにアテンションを払った事すらなかったんだけど、ものすごく実力のある人なのね。 ああ、私は今まで何を見てきていたんだろう。 
 
 帰り道に、友達に電話してどれだけ私が良い時間を過ごしたかを話した。 彼女はグラフィックデザイナーで、私より数倍仕事も出来るワンダフルな人。 「結局どれだけ良い話しを聞いても私が作品に生かせなかったら無駄だし、これって聞いた瞬間から全部私の問題で、だからなんかちょっと大変な気分になっちゃうよね」と二人でしみじみとしてしまった。 来年は、受賞者として行きたい。 



 夜、古い友人と、彼女の友人たちと音楽を聴いてお酒を呑んだ。 多分、友達の友達の友達の友達ぐらいまでの距離の人と遊んでみると、大抵の噂のあの人的な人には会えるような気がする。 だから自分にとっての世界の理みたいなのも結構友人の友人の友人ぐらいになると、非常識になってしまったりする。 こういうことの繰り返しで、常々私はとりあえず私だけは妄信的に信じないでおこうと思うのですよ。

 
 家に帰ったら、私の部屋が激しく模様替えしてあった。 父が今本気で私の部屋をお洒落な女の部屋にする事に燃えているのだ。 1600mmぐらいの高さの和紙で出来た照明器具とか、黄色とオレンジの混ざった変わった色の薔薇とか(すっげーよ、父さん)飾ってあった。 うちの父は凄い。 変わった奴だとは思っていたけど、ここまでの不思議ちゃんだったとは。 さすが。 助かる。 どんどんやって下さい。 もっと照明買って下さい。


 さて、明日から韓国に行ってきます。 韓国でコビケン(古美術研究の美大用語)をするんだ。 コビケンって、ものすごくリズミカルに発音しなきゃいけないんだよ。 今まで行った事がなかったのは本当に不幸な事だと思う。 考えれば考えるほど、これまで私が韓国に行った事がないって事実が不自然なことに思える。 あー、楽しみだ!

2006-11-24

カズオ・イシグロとラス・メイヤー

 今月は時間が湯水のようにあります。 本当にラッキーです。 こんなに幸運な時間を何に使おうかと考えていた時に、まず頭に浮かんだ事が、小説を読むことでした。 

 カズオ・イシグロ の本は、イギリスでもニュージーランドでもいつでも本屋で平積みだから興味はあったんだけど、余裕がなくて読んだ事がなった。 で、今回日本の本屋さんでたまたま翻訳のが出ていたから、日本語でなら短期間で読めるし(英語だと多分一ヶ月はかかる)、今やらないでいつやるんだと、ちゃきちゃきっと読んでみました。 "Never let me go"
、邦題「わたしを離さないで」を読んだ。 美しい題名だと思う。








 読む前に作家に期待したり、人の作り出す想像物がどれだけの力強さを持つ事が出来るのかを知りたがる、ストーリーの内容そのものよりもその背景のコンセプトが何よりも大切だという態度を信じる、そういう人にお薦めの本です。 ディテールの中で何を描写するかしないかを選ぶその倫理やアディチュードが結構力強い。  あと、素晴らしい映画になるポテンシャルに溢れている作品だと思う。 それか、非常に映画的な小説とでも言うのか。 そういう意味で現代的なんだろうな。 


 色々なアスペクトで読む事が出来る小説なんだけど、一つ、多分私が言う事に意味があることを。 この話しは、イギリスの全寮制の学校の思い出と、その後の卒業生の話しなんだけど、その寮の話しの地に足がついている感じが凄い。 寮ってこんな感じだってのを表しています。 寮で育った子には是非読んでもらいたい本だ! 思わず私がまたそこにいるような錯覚につつまれた。  

 面白いと思ったのは、これは感情の小説だってこと。 ハプニングによって物語が構築されるというよりも、これは感情についての話しで、私はいつも一人で悶々と「こんなに感情的で私大丈夫?」と自分のことをうさんくさく思っていたんだけど、とりあえず、もっと感情で世界を見る人がいることが分かって良かった。 そして何よりも、やはり完成度って大切なんだなと学びました。 



 完成度と言えば、ラス・メイヤーの作品を見ました。 友達の旦那さんの一番好きなポルノらしくて、鑑賞会がおこなわれたのです。 いやー、凄かった。 凄いリアリティー。 写楽とか、そういう浮世絵の世界。 現実感はここに生きていると映像を見ながら思ったね。 ロサンジェルスで育った旦那さんは、「これが僕が育った街の色と形なんだ」と子供時代を懐かしんでいた。 凄い所で育ったんだなあ。 ところで、この監督の狂気はその巨乳への情熱だけでなく、とんでもなく斬新なモダニズムの平面構成だと私は思う。 メイヤーがエイゼンシュタインの仮の姿でも驚くまい。 どうして第二次世界大戦で全ての前線に参加し、戦争の記録映像を作っていた男がここまで凄い平面構成を生み出し、なおかつそれを巨乳で昇華したのか。 謎は深い。 でもそこにリアリティー。 

2006-11-18

時差ボケ治った

たまび近辺にいると課題終了間近の人がやけっぱちに呑んでいたりする。
そしてそして気がついたら手伝う事になり、徹夜で作業をする事になったりする。美大生には気をつけろ。 1年ぶりにあった相棒との遊び方が徹夜で展覧会の搬入用のラベルづくりとかになるよ。

ちょっと楽しいぞ! 人様の展覧会の準備の手伝いは何故にこんなに気楽で楽しいのか。 謎だ。


 最近まで私が知らなかったんだけど、ニュージーランド人にとってのfriendは「困っている時にやら、弱っている時に一緒にいる人」らしい。 いつも自分の為にスタンバイしていてくれる人とかそんな感じなのかな。 私は一緒に遊ぶ人だと思っていたんだけど、それはmateなんだってさ。 全然知らなかった。 「僕が恋人と別れたり離婚したりなんかする時に、君はいてくれるじゃない? 君の時は僕がいるし」と言われた時に、ちょっと私真剣に生きなきゃいけないと思ったわよ。 まさに「真の友は第二の自己である」。 今年は狂おしいほどに細々と困った事が連発して日々起こっていたんだけど、その時に申し訳なく助けを求めると「that's why I'm here for」としょっちゅう言われた。 慣用句のようなもので、言わずにはいられない言葉なんだと思うけど、結構確信をついていると思う。 ちなみにmateと同じグループの言葉はmeatで、friendは古英語の「愛する」ってのと同じグループらしいです。 

 最近1人じゃなんにもできないという開き直りはじめて、もう友達が困っていたら、極力できる事はやろうと心に決めました。 こんなに資源も時間も少ないこの世の中、自分が良い資材で良い時間になれる可能性があるならば、それをすることがプラクティカルだと思い始めたわけです。 友情は天下の回りものだと思います。 そして徹夜して一緒に作業していたら時差ボケが治りました。 そういうもんです。 年取って良かったと思うのは、良い友達が増えた事だと思う。

2006-11-17

女の子の時間

朝から、マニュキュアぬったりしてます。

いひひ。







友達の手がスゴくキレイ。 私の手は、ワーカーの手。 まあ、それも良いよね。

一緒に髪の毛を巻いたり、あと(腰の振り方とか、胸の振り方とか)研究したり、そういう女の子の時間が楽しい。 女の子でよかったなあと思えるのってラッキーだよね。 たまにしか訪れない感情だけど、だからこそ余計に価値があると思う。 でもこうやって女の子女の越した時間をいっぱい保っている女の子をアプリシエイトする男の子はイヤだわ。  って言っても、私も男の子が”男の子らしい”遊びをしているのを見ると嬉しくなっちゃったりもするから(たとえば釣りとか)同罪なんだけど、そんなのを越えた遊びをしたいよ!

焼き鳥

 日本に帰ってまいりました。  
焼き鳥と、まぐろのづけどんと、てんぷらなどと、お酒をのんで、
非常にしあわせです。 昨日の朝までニュージーランドでDVD見ていたのに、
今は全然違うところにいるわけで、ふしぎなもんだと思います。

 日本にいらっしゃって、お時間がある方は、ぜひあたくちと遊んでください。
じゃーね。

 あんな

2006-11-16

まだまだ


永遠と続くからマラソン。
慢性的な寝不足と、
夕飯で食べた辛いインディアンカレーのおかげで
意識が朦朧としていたので結構しんどかった。
辛かったぁ。 
辛い物を食べると、エストロゲンが出て、(エストロゲン? オーガズムの後に出るやつ)
気持ちがよくなるから絶対に辛い物を食べようということで、
一番辛いカレーをオーダーしたんだけど、
食べると本当にお腹がきりきりして、
舌も唇も真っ赤になり、気がどんどん遠くなり
いやぁ…、凄かった。 
今まで私が食べていたカレーなんて、
あってないようなものだったんだね。
エストロゲンは多分いっぱい出たんじゃないだろうか。
マラソン初日は積み木で遊び、
二日目は三人でおままごとをしながら見た。
私奥さん、友人夫、もう一人の友人は私たちの子供。
小さいけど、楽しい我が家だ。 


Eternal sunshine of the spotless mind

結構面白かった。 
規律が凄く強くて、そこがエキゾティックだった。

オーストラリアの変なクレーメーション。
題名を忘れてしまったんだけど、
戦後すぐのポーランドからの難民の話しで、まあ面白かった。
結構落ち込む話しだった。

π
一緒に座っていた友達に頭をずっとなでられながら、うとうとしながら見た。
ピークに眠かった。 途中で少し寝たりした。
眠かったとしか言いようがない。
ここら辺から、もう映画なんてどうでもよくなって、
眠いということだけしか考えられなくなり、醍醐味を感じたね。

史上最低の映画、plan 9 from outer space
なんと言っていいのか。 とりあえず最悪だった。
ここまでクラップなのは凄い。 
男受けする映画なのか、私はほとんど失神しそうに眠かったんだけど、
みんなはキャーキャー言ってた。 
おたくだからか分からないけど、
「これはこうやって撮ったんだ!」ってあてっことかしていたけど、
私は本当にどうでもよかったね。

Monster inc
実は今回見た映画の中で一番良かった。
ものすごく感動した。 
この映画以外がほとんどフェスティバル映画だったので、
私の中で乾いていく何かにばしっとはまりました。
イカとクジラも凄く良かったけど、でも完成度は勿論これだ。 
友達とメイキングを見ながら、
自分たちの学校のスタジオも、ピクサーばりに楽しくしようと誓い合う。
とりあえず、変なシャツを買う事から始めたいと思います。

映画を見終わった直後に、
速攻で家に帰りに荷物を十分でつめて空港に行きチェックインした。

良いマラソンだった。



ずっとだらだら。

2006-11-14

タワー

 友達の家でDVDマラソンをした。 まず、spellbound(邦題:チャレンジキッズ)とかっていう、アメリカのスペリング大会出場者たちを追いかけた不思議なドキュメンタリーを見ました。 笑っていいのやら、感心したらいいのやらで、なんか消化不良になった。 ただ、スペルの覚え方みたいなののコツは掴めたかもしれない。
 


 二本目は、ずっと見たかった「イカとクジラ」。 すっごい良かった!! 期待以上。
本当に想像以上に良かった。 時間の流れとかは普通で、話しの内容も古典的なんだけど、だからこそ素晴らしさが際立った! 

映画を制作する人達と私の生活が違いすぎているからかもしれないけど、ほとんどどんな映画を見ていても、「こんな変な会話の仕方をする人達がこの世にいるのかい?」と悩まさせられる。 内容の問題というよりも、会話から浮き出る道徳観とか、会話を持っていこうとする方向とか、隠そうとするある種の感情や、逆に尊重され続ける面とか、そういった全体のトーンが根本的に私が知っているそれと違う映画が多いんだ。 だけど、この映画はそこにずれが無かった。 常々芸術とかの素晴らしさの一つは、現代をどうしても反映し続けてしまうってことだと思う。 会話がユーモラスで良かったってのよりも、そのユーモアをドライブする倫理から、よくも悪くもそこらんへにある本当にリアルな現実がかいま見れて良かったんです。
 
この映画はその手の感覚が洪水のように溢れていた。 現実的だった。 あと俳優の白いおたくっぷりもよかった。 映像は好感が持てる緩さがあった。 ただ、後半ちょっとライ麦畑で捕まえてっぽすぎて、前半の力量と新しさが続かなかった感じがして残念だった。 でもちょっとそんな感じも好きだった。 いい映画! 

 
 次は、デリカテッセ。 フランスの監督のやつ。 あんまり面白くなかった。 ただ、全ての瞬間は愛するに値するのだという情熱は伝わった。 いい態度だと思う。 だから、友達と来年度から大抵中だるみしてストレスフルな木曜日をフレンチデーとして、何が何でも愛するに値するって態度で過ごそうと約束した。

 
 そしてそろそろ深夜も超えてなんだかしんどいぞって時に、アイスランドの「氷の国のノイ」を見た。 なんかこんな浅い内容でいいのかとあっけにとられてしまった。 でも見ていた友人たちはみんな心揺さぶられまくっていた。 ものすごくよく物事を抽象化したミニマルな映画ととるのか、ただのメロドラマティックでキッチュな映画なのかが、私にはわからない! とても素直な話しで、そこに美しさがあるけど、でもつまらなかった。 アイスクリームとイチゴをたべつつ、ジェンガの偽造品で遊びつつ、映画を見ていて、どんどん退化していく自分が怖かった。

2006-11-12

パーカー

 何も考えずにCMを見ていたら、ものすごい事に気がついた。
そこに理想の服装があったのだ。 このCMの mac君の服装が私の中での正装に近い。
いつもはギャルソンとか着ちゃったりとかするのに、オープニングとかパーティーとかの席になると、やけにこういう格好がしたくなる。 ジーンズのスカートにビーサンみたいな…。
シリコンバレーのおたくの服装が何故私の中での正装のコードと限りなく近いのか?


それは私がmacおたくに育てられたフラワーチャイルドだからだろう。 macの起動時の音ほど、私の体に刷り込まれている音は、スターウォーズのオープニングテーマぐらいしかないんだけど、まさか、ドレスコードまで刷り込まれていたとは。 おそるべしmac。 

茂木健一郎と鉄腕アトム

茂木さんは、鉄腕アトムのポストを狙っているんじゃないかとたまに思う。

2006-11-11

日記

iwebと.macを使って作っているのばらいろのひび が何かのトラブルできちんと公開できない状態になっている。 とっても不安定! だから、解決するまでこっちのブログにがしがし公開しようと思います。

ふう…。 久しぶりに日記らしい日記を書こうと思うんだけど、一体何から書いて良いのかよく分からない感じ。 ブログに何かを書くというのにも、一種のなれが必要だよね。
 

とりあえず、近況を。

展覧会はなんとか無事にオープニングを迎えました。 やったー!

この展覧会準備期間におこった事、そしておこらなかった事を人に伝えたいとは思うんだけど、まだ結構深い混乱の中に思い出があって、結構難しいです。 一言で言うと、「大変だった」。 沢山のことを学んだと思う。 

 あまりにも大変だったし、自分の理解の浅さ、また実力の無さから、苦い思いをしたことの方が多く、爽やかに結果を喜ぶ段階にまで進んではいません。 これが現実と大学での勉強の差なんだと思うんですが、大抵大学での課題なんかでは今回はこんなことを集中的に学ぼうとか、実験しようとかと予測をたてることが出来るんですが、この展覧会デザインの仕事の間は多くの事が未体験の出来事でいつも慣れ親しんでいる予定調和的な、「ああすればこうなる」ということがおこらず、大変迷いました。 

 私の中には稚拙な、そしてそれ故に結構強固な「デザインとは」という考えがあったんですが、それが覆されて、全く違う次元に持っていかれるという結果になりました。 想像してなかった事しかおこらなかった。 いつもならば、「いやー、こんなにダイナミックなシフトが自分におこるなんて、なんて良い経験なんだ」と陽気に捉える事も出来たような気がするんですが、いかんせんこれは卓上の空論でなく、現実の問題だったので、そんなみそ汁の上澄みのような発言は軽々しく出来ず、腹を思いっきりパンチされたようなダメージが体に残っています。 良い経験であるということは勿論分かっているのですが、それでも、自分に誠実であればあるほどに、そんな思い出として鑑賞するなんて陽気な行動にはまだ割り切れないというのが実感です。 これだけは失えない最後の砦としての態度として、途方も無い混乱と精神的なダメージがあったとしても、だからってあきらめてたまるか、今以上のことなんて知らないし、今はこれしか無いとつっぱろうと思います。 始まりの音楽が鳴り始めてしまったら、もう意地でも踊り続けるしかないということだけは疑えないからです。 今痛みを忘れようとしたり、混乱をただ放置したりしたら、絶対に私は進歩しない。

 それが適正な態度だったのかどうかは分からないんですが、私は誠実にことに対応しようとしましたし、出来る限りのことはやろうとしました。 だから現実的な批評や意見が実際の所、私の弱い所に触れて痛くてのたうち回ってしまうんですが意外と支えてくれました。 

 今回の経験は勿論パーソナルな面に影響を与えたんですが、それでもこれは専門領域での問題で、圧倒的な面でこれはプロフェッショナルとしての私の経験であって、それ故に今までの自分を励ます方法とかがあんまりきかないって問題もありました。 プロフェッショナルな面とパーソナルな面が完全に融合しているという人もいるのかしもしれないんですが、私の場合は実感としてそれはそれ、これはこれであり、両方で求めている事が結構違います。 そうすると必然的にフィードバックとして求めるものが変わっていくということに、自分のことながら驚きがあった。 

 そういう意味での乖離を実感したということもあり、平行して、周りにいる人へ深く感謝した期間でもありました。 甘い言葉や調子の良い物の言い方でなく、仕事を通じて得てきた理解や態度を、さらっと言ってくれた友達なんかには、本当に感謝しています。 そして、「甘い言葉や調子の良い物の言い方」をくれた人にもものすごく感謝しています。 その人にとっての「友達の女の子」っていう自分がまだいるってのが結構甘酸っぱくていい感じでした。 結果、一日におこった全ての事に様々な意味で価値を感じる事ができ、くたくたになったけど、でも仕事をするって多分こういうことなんだろう。 


で、プライベートではどういう感じかというと、引っ越しです。 日本に帰っている間、友人に荷物を預かってもらいます。 その為の準備に頭が狂いそうになっている今日この頃。 血管が数本ぐらい切れそうです。 でも、今日友達と一日中、家を往復したりなんかしていたら、少しずつだけど気が楽になってきた。 そんな感じ。

日記

iwebと.macを使って作っているのばらいろのひび が何かのトラブルできちんと後悔できない状態になっている。 とっても不安定! だから、解決するまでこっちのブログにがしがし公開しようと思います。

ふう…。 久しぶりに日記らしい日記を書こうと思うんだけど、一体何から書いて良いのかよく分からない感じ。 ブログに何かを書くというのにも、一種のなれが必要だよね。
 

とりあえず、近況を。

展覧会はなんとか無事にオープニングを迎えました。 やったー!

この展覧会準備期間におこった事、そしておこらなかった事を人に伝えたいとは思うんだけど、まだ結構深い混乱の中に思い出があって、結構難しいです。

一言で言うと、「大変だった」。 沢山のことを学んだと思う。 

ただ、あまりにも大変だったし、自分の理解の浅さ、また実力の無さから、苦い思いをしたことの方が多く、爽やかに結果を喜ぶ段階にまで進んではいません。 これが現実と大学での勉強の差なんだと思うんですが、大抵大学での課題なんかでは今回はこんなことを集中的に学ぼうとか、実験しようとかと予測をたてることが出来るんですが、この展覧会デザインの仕事の間は多くの事が未体験の出来事でいつも慣れ親しんでいる予定調和的な、「ああすればこうなる」ということがおこらず、大変迷いました。 

 私の中には稚拙な、そしてそれ故に結構強固な「デザインとは」という考えがあったんですが、それが覆されて、全く違う次元に持っていかれるという結果になりました。 想像してなかった事しかおこらなかった。 いつもならば、「いやー、こんなにダイナミックなシフトが自分におこるなんて、なんて良い経験なんだ」と陽気に捉える事も出来たような気がするんですが、いかんせんこれは卓上の空論でなく、現実の問題だったので、そんなみそ汁の上澄みのような発言は軽々しく出来ず、腹を思いっきりパンチされたようなダメージが体に残っています。 良い経験であるということは勿論分かっているのですが、それでも、自分に誠実であればあるほどに、そんな思い出として鑑賞するなんて陽気な行動にはまだ割り切れないというのが実感です。 これだけは失えない最後の砦としての態度として、途方も無い混乱と精神的なダメージがあったとしても、だからってあきらめてたまるか、今以上のことなんて知らないし、今はこれしか無いとつっぱろうと思います。 始まりの音楽が鳴り始めてしまったら、もう意地でも踊り続けるしかないということだけは疑えないからです。 今痛みを忘れようとしたり、混乱をただ放置したりしたら、絶対に私は進歩しない。

 それが適正な態度だったのかどうかは分からないんですが、私は誠実にことに対応しようとしましたし、出来る限りのことはやろうとしました。 だから余計に周りの人達からの精神論的な、「元気出して、大丈夫」っぽい励ましやらはあまり今回は私を支えずに(そんなこと、自分でも五万回は自分に言い聞かせようとしました)現実的な批評や意見が実際の所、私の弱い所に触れて痛くてのたうち回ってしまうんですが意外と支えてくれました。 

 今回の経験は勿論パーソナルな面に影響を与えたんですが、それでもこれは専門領域での問題で、圧倒的な面でこれはプロフェッショナルとしての私の経験であって、それ故に前向きな考え方とか、幸せな生き方とか、そういうのが完全な救いにはならないんです。 プロフェッショナルな面とパーソナルな面が完全に融合しているという人もいるのかしもしれないんですが、私の場合は実感としてそれはそれ、これはこれであり、友達としての私の価値とかってのは仕事をしている人としての私の価値とはそこまで関係ないんだと今回強く感じました。 そうすると必然的にフィードバックとして求めるものが変わっていくということに、自分のことながら驚きがあります。  

 そういう意味での乖離を実感したということもあり、平行して、周りにいる人へ深く感謝した期間でもありました。 甘い言葉や調子の良い物の言い方でなく、仕事を通じて得てきた理解や態度を、さらっと言ってくれた友達なんかには、本当に感謝しています。 そして、「甘い言葉や調子の良い物の言い方」をくれた人にもものすごく感謝しています。 その人にとっての「友達の女の子」っていう自分がまだいるってのが結構甘酸っぱくていい感じでした。 結果、一日におこった全ての事に様々な意味で価値を感じる事ができ