2010-03-31

オークランド 日々カルチャーショック 2

 オークランドに引っ越してきてから色々と驚いた事は多い。 環境+ライフステージの変化による相乗効果のカルチャーショックに日々驚いている。 「のばらいろのひび」っていうよりも、「がちょんのひび」。 一日一回は「がちょんっ!」ってなっていると思うわ。

 まずここ最近最もがちょんときたがちょん。

 職場の同い年の子たちが二人とも敬虔なキリスト教原理主義者なんだ。 まず超自然的な神様を信じている人と関わった事がこれまでそんなに無かったし、「そうかー、この人達からしたら地球は神様がエイヤって作った物で、ついでにこの人達からしてみたら私は地獄に落ちるんだよなあ。」としみじみさせられるよ。

 そんな彼らは基本的に生活態度は超保守的。 その割にはプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神の相性の良さによることなのか、経済的には新自由主義をサポートしていたりする。 自由なの? 保守なの? そして日常的にすっごい沢山ヴォランティアとかしていて、だったらはじめっからもうちょっと弱者に優しい政党に投票してみたらいかがなものかと私は思ったりもする…。

 そして性格がめちゃくちゃ良い。 そして温かい。 身内意識がすごく強いみたいでグループで固まり、グループ外の人達に対してシャイで、自己主張があまり無いかんじだけど、でも基本的に善人だ。 善人である事に対して野心的。 大志を抱いて善人街道を進んでいく感じだ。 性格がよく、清く、強く、勤労である事に命かけてるかんじ。 本当に勤労。 偉い! だから仕事仲間としては最高。

 

 

 

 

オークランド 日々カルチャーショック

 オークランドに越してきて驚いた事が沢山ある。 

1. まず、教会が多い!

 三歩歩けば教会がある。 そしてここに来てほとんど生まれて始めてキリスト教原理主義の人達に出会った。 それも結構な数に。 地方出身の友人たちに「ウェリントンが特殊なだけで、ニュージーランドにはキリスト教徒が結構いるんだ」とか、他にも色々実家が原理主義的だったりで苦労した子たちの話を聞いていた。

 「ちょっと大げさに言ってるんじゃない?」とかって思って聞いていたんだけど、実際結構いたから驚いた。

 進化論を信じない、地球温暖化現象を人間の所為だと思わない(そもそも温暖化現象そのものを信じてない)、婚前の性交渉をしない、どでかい結婚式をあげるなどなど、色々「世の中にはいろんな人がいるのだな…」ってのをオークランドに来てから学んだよ。 リチャード•ドーキンスとかがマジ切れで無神論の啓蒙をしている理由がある程度まで分かった。


2. 国民党支持者がいる。 

 国民党支持者に会ったのもほとんど初めてだった。 ウェリントンの私の周辺の人達は労働党やら緑の党やらの支持者しかいなかった。 労働党は長い事ニュージーランドの与党だったから、てっきり国民党支持者ってどっか遠くの幻想の先にいるもんだと思ってた。 そしたらオークランドに来てみたら普通にいっぱいいた。 国民党支持の人達はこっちからすると色々とドカンドカン地雷踏みまくりな事を言う。 リベラルを支持しない人達ってのは本当にいるもんなのだなと、カルチャーショックを受けた。

 Wikiからのコピペなんだけど、ニュージーランド国民党(中道右派保守主義政党)のキャラクターはこんな感じ↓
 面白いのが、多くのアジア人移民が「当然」って感じでこの政党をサポートする事。 アジア人一般の保守主義への愛は、自分の人種への偏見や不平等をも無しとする。 なので私が支持しないと言うと目ん玉をひんむいて驚かれる。 お返しにこっちも顎が外れる勢いで相手に対して驚く。 共産圏や仏教文化圏出身の人達ほど、案外権威主義、保守主義、拝金主義がお好き。 不思議なもんですね。 


3. エスニックごとに別のエリアに住む

 その地域に住んでいるエスニックごとにコミュニティーのキャラクターが際立っていて面白い。

 ウェリントンは郊外を含めても人口が40万人ぐらい。2001年の国勢調査によれば、ウェリントン市民の85.6%が、民族分類上自分はヨーロッパ系だと回答していて、マオリ系が4.1%、残りが南太平諸国の系統やアジア系、およびその他の民族である。 要するに、ウェリントンは白かった。

 オークランドは、市内の人口は41万7000人、都市的地域人口は124万7000人。 内訳としてヨーロッパ系が約68%、先住民族マオリ人が約 15 %、「ニュージーランド人」と認識する人が約 12.9 %、アジア系は 9.2 %、太平洋諸島系 6.9 %。 このリストに出てくるような、メジャーなエスニックグループの場合、どのグループでもそのグループ内で暮らしていけるだけの人数があるんだよね。

 よって住み分けがおこっている。 それで地域ごとにすごい特色がある。 面白い!

 私が住んでいるエリアは、100年位に前に開拓された住宅地で、町並みもその当時からあまり変わっていない。 旧い街や建物が好きなので結構満足している。 どでかいヴィクトリア朝のヴィラ建築に友人らと6人で住んでいます。 

 旧い建物があり、ヨーロッパ的だからだろうか、私の近所には有色人種の人達がほとんどいない。 すごい白い住宅地。 多分、7年近く住んだウェリントンも、それ以前に住んでいたイギリスも、基本的にヨーロッパっぽかったからだと思うんだけど、私はなじみやすい。
 
 大抵歩いて10分から20分位で次の住宅地になる。 中心に小さなお店が並ぶ商店街があり、周りに家々が連なる。 住んでいるエスニックグループによって、そのお店が変わるので、ここにどんなグループの人達が住んでいるのかが推理できる。 やっぱりみんな生活必需品が徒歩圏内で売っている場所に住みたいからエスニックグループごとにまとまる傾向にある。

 オークランドの中心部を背に向け、私の家から西側に歩いていくと、まずインド人街につきあたる。 なので勿論お店も八百屋さんとかスパイス屋さんばっかり。 ヨーロッパ系のお店は皆無になる。 そしてお酒関係も無い。 ボリウッド映画や、それ関連のDVD屋さん、寺院やらが連なる。 そして多分、インド系のイスラム教徒のコミュニティーもあるんだろう。 街にあるお肉屋さんは全部ハラールをしているし、レストランで肉を出すところ(インド人街は基本的に菜食だけど、肉関係も若干はある)もハラールされた食品を扱っている。 屋台で売っている物はサモサ。 (しかし、絶対に韓国系移民の経営している日本食屋や寿司屋はどこの街にでもある。 韓国のオモニ達強し!) 

 次の住宅地は中国人街だ。 外食産業花盛り。 ここは中国かってぐらいに中国。 元気! 何故かレストランで出てくる物が全てしょっぱい地帯。 中国人がいっぱいいるお店の料理は、私にはしょっぱすぎる。 そしてここら辺の人達は生野菜を食べない。 そして肉食いまくり。 アジア人は肉食大肯定派が多いんだと思う。 他のエスニックグループが、屠殺方法や、家畜の扱い方で宗教的、倫理的な問題提起やら議論やらをしている間、そういうこと一切おかまいなく、とりあえず「肉食ってたら豊」って感じに肉を食している。 多分アジア人にとっての食事って「美味しいか美味しくないか」とか、「自分の体にいいか、良くないか」なんだと思うんだよね。 結果アジア人が経営しているスーパーのお肉は安い。 多分、倫理的にずさんな肉工場から仕入れているから。 こういうのを見ていると、日本もやっぱりすごくアジアなんだよなと思う。 意識の持ち方に共通点が多い。 

 もっと進むとポリネシア系の島々の人達が多く住むエリアになる。 ココナッツやらタロイモやら、アロハシャツやらを売っていて、多くの人々が巨大。 そしてなんか街の雰囲気が穏やか。 加工食品がすごく多く売っている。 巨大なコーラのボトルとか、コーンビーフの缶とか。 南の島でだと、そういう輸入食品が重宝されてきていたからだろう。 まだ食生活が島に住んでいた頃のを引きずっている。

 一時間位散歩すると、こういう住宅地を見る事が出来る。

 オークランド、結構面白い。

 違う方向に歩くとまた違う景色が見えるんだろう。

2010-03-26

A single man

Tom FordのA single manを、Auckland World cinema showcase で見てきた。 World cinema showcaseはニュージーランドの4都市で行われるその年度の良い映画の見本市。(街のサイズに関係なくどの街でも同じ作品を上映する。 私はこれが結構偉いと思う。)





A single man,私はすごく好きだった! 色々傑出している要素があったんだけど(配役、美術、構成.などなど)私は単純に作品が特徴的に持っていた態度、そこから導かれるメッセージにとても触発されたよ。





映画って批評っていう軸を持って鑑賞すれば、まあある程度の均一な体験として言語化できるのかもしれないけど、ただ鑑賞/体験した際は、鑑賞者側のコンディションやその日思っていた事に感想が大きく左右される。 映画鑑賞って本当に映画そのものと自分自身のインタラクションだよね。 同じ映画を二回目に見る際に、感想が大きく変わるのもその所為。

なのでこっから先に書いてある感想は完全に「今の私がA single manを見た時にどう思ったか」。 他の人が同じ映画を見ても同じ感想を持つとは思わないし、私はその差を楽しんでもらいたい。





 映画を見た後に恋人との会話で出てきた言葉は

Cherish
1 〈物を〉だいじ[たいせつ]にする;〈人動物を〉かわいがる, いつくしむ;…をやさしく世話する
2 〈希望計画などを〉忘れずにいる, 心にいだく

Uplifting
1 …を揚げる, (持ち)上げる;〈土地を〉隆起させる.
2 (社会的文化的道徳的に)…向上、を高める, 高揚させる
3 〈声を〉張り上げる

Embracing
1 …を抱く, 抱擁する
2⦅形式的⦆〈考え申し出を〉喜んで受け入れる, 快諾する
3⦅形式的⦆〈主義事態などを〉受け入れる;〈機会を〉捕える, 利用する;〈職業生活などを〉進んで選びとる, に喜んではいる
4⦅形式的⦆…を見てとる, 悟る

Fine
1 品質のすぐれた, 良質の, 上等な, すてきな, 結構な;完ぺきな, 申し分のない, 最高級の;finer feelings [qualities]|(愛とか忠誠心といった)高級な感情[資質]
2 混じり物のない, 純粋な;澄んだ;純度の高い;〈人が〉高潔な
3 技術のすぐれた, 巧みな
4 上品な, 洗練された, 優雅な;上品ぶった
5⦅通例限定⦆〈人顔が〉美しい, 整った;〈衣服が〉はでな, 華美な, しゃれた;〈人が〉いきな身なりの;〈言葉文章が〉華麗な, ひどく飾り立てられた

Virtue
1⦅形式的⦆U美徳, 徳, 善;徳行, 廉直, 高潔
2U(特に女性の)貞操, 操, 純潔(chastity)
3U•C美点, 長所, 価値
4U•C(ある結果を生み出す)力, 効力, (薬などの)ききめ, 効能

Sincerity
本心をいつわりなく示すこと, 誠実, 真実, 率直, 真剣, 真心

Compassion
(他人への)思いやり, 深い同情

Intimate
1 (…と)親密な, 親しい, 親交のある, 懇意な
2 私事[一身上]の, 個人的な;〈連想理解などが〉個人的な体験に基づく;〈日記などが〉内心を吐露した
3 (家店食事雰囲気などが)(こぢんまりして)くつろげる, 居ごこちのよい, ロマンチックな, ムードのある
4⦅限定⦆⦅形式的⦆詳細な;造詣の深い
5 性的な;⦅形式的⦆(…と)肉体関係にある, (…と)ねんごろな⦅with ...⦆
6 (関連の)深い, 密接な.
7 内奥の, 奥深い;内心の.
8 本質的な, 根本的な

など、など、とても肯定的なものだった。
観賞後に人生でこれが大切だよなと思わさせられる言葉が、会話にも、自分の心の中にも溢れたよ!


 勿論私自身の生活はこの映画の中で描かれていたようなグラマラスさとほど遠いものなんだけど、人間関係の姿が自分のそれと、そして私の周りにいてくれている人達ととても近い気がして、見た後に結構自分たちに対して肯定観を得た。

 異性の友達と二人っきりで食事をする事。 その後にじゃれる事。 親愛の情を込めた近い身体の距離感。 ちょっとしたテンション。 恋人との関係のフラッシュバック。(こういう時は往々に美しい記憶が甦る。 私はそこに本当に人間の良心を感じるよ。 そして悲しいフラッシュバックにも、どこか同じような良心を感じる。) 安心感と信頼が強い基礎となって築かれている人間関係の持つ優雅さとファインさ。 そして、若い生命の無邪気さと輝き。 若い生命を無邪気で輝いていると、素直に受け取る歳をとった側の成熟さ。 儚い言い争い。 友達にアテンションを注いでもらいたくてする、拗ねた行為と甘え。 それを正してくれる温かい友情。

 話し自体はヒヴィな内容なので上に書いたような事だけで成り立っている訳ではない。 しかし、どこかで、とても重要な側面(いや、側面というよりは内面 サブスタンスがある)が、上に書かれているような親密である喜びや、人と繋がる事の素晴らしさで満ちている。

 映画の前面にそういったcompassionが押し出される訳ではないけれども、様々な次元の人間関係と繋がりが強い、強い、他者への肯定観とともに描かれているように見えた。 明言されないぐらいに、明らかな前提として。

「暴力性やラディカルさから、普遍性のある感覚へたど り着ける」っていう方法が使われていない、全く逆のベクトルから見る側を包摂してくるような映画。

 最近セックスってなんだろうとよく考えていて、そしてその事についてもっと大人が話すべきだと思っている。 そしてまさに上に書いてあるような事が私にとってセックスっていう活動において重要で、そして願わくば多くの人にとってもそうであってほしいと思っている。
 
 あと単純に、めちゃくちゃサクセスフルなファッションデザイナーで、グッチやイブサンローランをファッショナブルに去り、ファッショナブルに映画を作り、一本目から名作作っちゃうトム フォードに、もう、私降参。

 ファッショナブル過ぎる!!

 おすすめな映画なので、見てみてね。

2010-03-24

走ったり、持ち上げたり。

 今までピラティスをやっていたんだけど、引っ越してから通いにくくなってしまったのでジム通いに切り替えた。

 ピラティス教室は高級住宅街の中にあり、中流階級っぽい奥様方と、ゲイの男の人達、及び若干高飛車そうな若年層による少人数のクラスで、非常にととのっていた。 指導も本当に丁寧だった。

 今のジムはムキムキのマッチョメンたちが本気で筋トレをして、あり得ん量の汗をかき、終った後にプロテインがぶ飲みって感じの場所だ。 私はそこに連れ合いの男友達で最も筋肉ムキムキのマッチョ野郎と一緒に通っている。 「アンナ、あともう一回持ち上げるんだ!」「無理です!」「無理じゃない!」ってのを繰り返している。 所変わればですよね。 体の扱い方から、あなたが誰かってのを推理できるね。

 anyway,エクササイズをしている間マッチョ野郎と同じ位に私の心の支えになっているのがipodだ。

 ipodが発売されてからもうすぐ10年経つ。 私はオタクな父とともに勿論発売日に並んで買った。(初代imacも発売日に並んで買った。)

2010-03-23

ミシェル



 メニューバーについているView SubtitleからJpanaeseを選ぶと、日本語字幕がつくよ。

 世の中の男性はミシェルオバマが好きなんだと最近知った。 頭が良くて強い人だし、権力ど真ん中だし、バービーみたいじゃないし、典型的なもてる人じゃないと勝手に思っていたから意外だった。 しかしながら我が家に住んでいる男の子四人はみんなミシェルが表紙になっている雑誌を見ると手を伸ばすし、「美しい」と言って賞賛している。 ミシェル、確実にもてている。

 スピーチとかを見ていると、確かに高貴な感じがして美しい。 神話に出てくる女神のような感じだ。(オバマにしろ、ミシェルにしろ’原型’って感じを醸し出すのが上手だよね。 ミシェルの仕草は「賢い女性の振る舞い方」の原型って感じ。) wikiに彼女に割り当てられたシークレットサービスのコードネームは「ルネサンス」であると書いてあったんだけど、それも分かる。(でもシークレットサービスのコードネームがwikiに書かれてあるってどうシークレットなの?)

 最近TEDで人々のプレゼンやスピーチをよく見ている。 今までデザイン関係の投稿しか見ていなかったから、まだまだ見終わるには時間がかかる。 その中にあったミシェルがロンドンでしたスピーチがとても良かった。 正解ど真ん中って感じのスピーチ。

 自分が子供のときに聞いたらどうだったかなと考える。 感動は…、ある程度しただろうけど、でもやっぱり勉強するより遊んだだろうな。 教育の根幹は遊びって方針の学校に行っていたし。 「真面目に遊ぼうっ」って決心を強くしたかもね。 ただ、好意的に「こういう意見の人もいる」と思っただろうし、そしてこの考え方がメインストリームな事に違和感を持たなかっただろうとも思う。 ただオルタナティブサイドに居続けはしただろうけど。 そして悩んでいる事があったらこういう感じの女性に相談しに行きたいと思ったと思う。

2010-03-22

結婚式

 つい最近結婚した会社の同僚の、結婚及び結婚式への情熱がすごい。 25歳の彼は、敬虔なクリスチャンで同じ教会に通っていた幼なじみのバービーのように美しい21歳の女の子と7〜8年つきあった末に結婚された。 勿論、それまでちゃんと純潔も守った徳の高い人達だ。

 非常に美しくお洒落なフランス料理屋で一年位前に婚約パーティーをして(そのパーティー自体が、多分私のする結婚式より豪華で情熱的だった)一年かけてドレスやら料理やら全てを選びに選んだ完璧なる、巨額の富を投じた結婚式をなすった。 クリスチャンの子たちにとっては、結婚って本当に、本当に大切な事なんだろう。 そして、それを象徴する結婚式って、もう、一生に一度の大ハッスルデーなのね、きっと。 行った人達曰く、完璧だったらしいよ。 

 そんな彼は、我が社のコンシューマー向けのブログに、自分の結婚式への旅路の記録を最近載せている。 結婚式の前は興奮したラブレターとかを載せていたんだけど、最近はもう達観+こなれた感じに自分の近過去を振り返っているよ。

 いやー、本当に、ぞくぞくとした興奮を持ちながら、他の同僚の女の子たちとあっけにとらつつ読んでいるんだけど、彼は我関せずに超ロマンティックな記事を会社のブログで投稿し続けている。 偉い! 本当に、こういう超越した人が結婚できるんだと思うよ。 せせこましい雑念に流されてないもの。 偉い。

 そしてそういうマーケット方法を選んだ、我が社のマーケッター達。 勇気あるね!!

スニータ・クリシュナン:性的奴隷制との闘い




 メニューバーについているView SubtitleからJpanaeseを選ぶと、日本語字幕がつくよ。

 最近、日本でホットトピックになっていた「東京都青少年の健全な育成に関する条例」内での、若者に関する性描写についての話を聞くたびに、強い違和感を感じる。

 私個人は、本屋で普通にエログロ漫画が売っているのは良くないと思う。 女性や同性愛者、子供たちに’世の中の人達は君たちの事をこういう欲望の対象としてみていて、レイプしたがっているんだよ’ってのを見せるような社会は嫌だ。 結構堂々と女性や同性愛者、子供達の尊厳を傷つけていると思う。 (ってかなんで日本のエロ本って、セックスのディフォルトがレイプなの?) 普通にそういう本が子供の漫画本の横にあったりして、えぐいなと思う。 もし自分たちが次の世代に好かれたり、尊敬されたかったら、もっと自分たちを律する必要があると思う。

 だから、東京都が何かをしようとしている事自体は好意的に見ている。 でもって、彼らの出している提案が始めっからぶっ壊れているのも分かる。 控えめに言っても、インプルーブメントが必要だ。 だから反対意見を言っている人達の気持ちも分かる。 でも、気持ちは分かるけど、多くの意見は好きじゃなかった。

 まず大人達が、セックスとは何か、健全さとはなにか、不健全さとはなにか、性に関する人間の尊厳とはなにか、どこから他者の尊厳を陵辱するのか、誰にどういう影響が出るのかっていうののディスカッションをしていなくて、なんだか暗黙の了解(もしくは甘え)の上で話を進めているような気がするからだ。

 そこのコンセンサスがないのに、話を無謀にも発展させようとしている気がして嫌だ。 すっごい上から目線で話している人が多いし。 自分の属する社会の地位においては、誰の無謀なファンタジーの餌食になるはずが無いっていう勝手な無邪気さを話している人から感じて腹が立つ。 そういうナイーブさが見ていて気色悪い。 ものすごく狭い視野で影響や、意味、当事者、被害者、加害者ってのを定義している気がしてならない。 そして変な意味で利害関係を持ち込みすぎている気がする(eg.漫画文化がクールジャパンで、実際我々はこういうので儲かっているんだから的な意見)。 お前は、出版社の経営者かと突っ込みたくなる。 現状の利害関係とかってある程度、超越して考えなきゃ政治にならなくない? マネージメントじゃなくて、ガバナンスの話なんだから。 漫画家とか出版社とか、妄想の中でしか性の欲求不満が解消できない人の事とか、そういう今利益を得ている人達の立場から考えても仕方ない気がするのよね。

 そして、言論の自由は勿論大切だ。 上の女性のような経験をした人達を勇気づけ、支援し、受け入れる、そのプロセス全てに言論の自由が求められる。 そして性描写を自由に描けるが故に、私達は現実の惨さを他者に伝える事が出来る。

 私は彼女の為に、そして彼女の話を自分が聞けるような状況にいる事で、言論の自由があってよかったとは思う。

 けど、なんか”現状の質の漫画を書き続ける為に”っていう戦術で来られてもねえ。 「そんな漫画いらねえよ」って思うよ。

2010-03-19

聖パトリックの祝日

 3月17日は聖パトリックの祝日だったよ。 聖パトリックの祝日は、アイルランド系移民の一大ハッスルデーで、今騒がんでいつ騒ぐって勢いでギネスを呑み、街をパレードし、伝統的な踊りを踊り、バグパイプを聞き、そして緑色のものを沢山着る日。 世界中のアイリッシュが、そしてその周辺の人達が大騒ぎをする。

 この日は、本当に底なしに呑む。 少なくともニュージーランドでは、本当に底なしに呑みまくる一日です。 緑色を身につけていたらその日は誰でもアイリッシュ。 一族の名誉と栄光のため、呑めるだけ呑めって感じだ。 連れ合いの会社はその日は半ドンで、会社持ちで飲み会になったんだそうです。 酔っぱらいすぎて靴を無くして帰ってきました。






ダブリンの様子。 楽しそう! そして世界で一番大きな聖パトリックのパレードがあるのはマンハッタンなんだって。 是非行ってみたい!!





アイルランドの人たちは非常に直線的に踊る。

そういえば私はバグパイプのマーチングバンドが好きだ。 タカタカとなる太鼓の音も。 こういうお祭りにはバグパイプのマーチングバンドがつきもので、私の胸は高鳴る!! 羊の断末魔のようなその音と、酔っぱらった夫のいびきのようなリズムのおかげで、悪評がとても高いバブパイプ…。 しかしたとえ何と言われようと、私は本当に、情熱的に、熱心に大好きです。 何かが結構鼓舞される。 バグパイプよ、永遠なれ!





ちなみに一番好きな曲は、「勇敢なるスコットランド」です。 たまらん!! しかもけっこう下手なのが好き。


華僑と龍だ!ヤァ!ヤァ!ヤァ!























ヤー!!


 ウェリントンの海辺の公園で、華僑の子たちが龍の踊りの練習をしていた。 この公園は高校生たちが週末にクラブ活動の練習なんかをしているから、近所の人達がよく朝食の後に散歩しにくる。 私もよく暇つぶしをここでした。

 華僑の人達は、やる事が派手で存在感がある。 上手いよなあって感心させられる。 オークランドでも街ぐるみの春節のお祭りを大々的に企画しているし、華僑の子たちがショッピングモールとかで獅子舞をドンガラガッシャンとものすごい派手に披露していた。 やっぱりそういうのはすごく喜ばれる。 モールにいた子供たちみんな夢中になっていた。 なんか、ツボを心得ているみたいなんだよね。 存在感を残す事や見られる事が上手。

 元々私は、横浜中華街の隣町の鎌倉出身なので、中華街や華僑がやけに好き。 ファン。 なのでこの間、日本の中華街の歴史についての本を読んだ。 華僑の人達が地元の人達に認識してもらうためにお祭りや獅子舞、龍舞を重要視しているってって場所を読んだとき、かなり色々腑に落ちた。 そしていろんな国にある中華街や華僑のグループ同士でその方法を教えあっているんだって。 やっぱり見られる事を、理解してもらう事を強く意識してなかったら、ここまで発進力の強い移民のグループにはならない。 そして移民として地域に受け入れてもらえるか、存在感が残せるかって、いかにきちんと見てもらって理解してもらうかによるわよね。 彼ら、賢い。 自分たちも楽しみつつ、新しい場所に派手にとけ込むってのがお上手。

 上の写真からも分かるように、散歩していた人達が集まってきて魅せられていた。

 自分とかと同い年位の華僑の子たちがこういう事をいっぱいやっているのを見ると、結構感心させられる。 別にだからって、日本文化を発信しようとかとは思わないけど。 特に発信しないし、存在感も強くないってのが、日本文化の本質だとすら思うから。 こういうのが上手すぎる華僑とか、インド系列のコミュニティーと自分を比べる事すらが無謀な気がするし。

 この間インド人のおじいちゃんに、「日本文化はノーブル(高貴)。 日本文化は、下手に売り出すと安っぽくなるからお高くとまっていなさい。 そしてインド文化はミスティカル(神秘的)。 人々を神秘の世界におつれしてなんぼ。」とかなり的確なブランディングの指示を出されたときに思ったわ。 彼ら、自分がやってる事の意味を分かってやってる。 その見上げた移民魂から学び、私は日本人として「団結しない、存在感や影響力を持とうとしない、伝統を持ち込まない、そしてお高くとまる。」をテーマにいこうかなと思っています。

友愛団体フリーメイソン

 ニュージーランドは、結構どんな小さな街にでもフリーメイソンの集会場がある。 フリーメイソンって何? ロータリークラブみたいなもん?











ダーンッ!

リャマ

 この間田舎に遊びに行った時、リャマを見た。 私はあんまり牧場とかが好きじゃない。 虚しくなるのよね。 なんか吸い取られるんだ。 特にリャマとか と目が合ってる時なんか、生気吸い取られる。 どうでしょう皆さん、リャマと見つめあったいる時、自分の境界線が危うくなる感じ…、しませんか? 吸い取られて、リャマの内部の宇宙で永遠と漂うはめにあいそうだ!







2010-03-18

忍者 ジョン キー

 そういえばこの日は、ニュージーランドの首相のジョン キーも来ていた。 サモアのエリアで私は目撃したんだけど、司会の人が「拍手!」って三回ぐらい言ったのに、みんな食べ過ぎで朦朧としていたから拍手をせず、なかなかジョン登場できなかったのが笑えた。 フィール ポリネシア。 こんなに人いたのに。 








 ジョンはなんか「俺らはマジでポリネシア人だぜ」的な事を言って去っていった。 ユダヤ人で、銀行家で、大富豪で、政治家で、しかもポリネシア人で、ニュージーランド人…。 忙しいなお前。 

 メリルリンチにいた頃に、人の首を切りまくって“微笑みの暗殺者”と呼ばれていた彼は、実は“アロハシャツの忍者”でもあった。 職場でジョンを週末に見たと言ったら、複数の人達がジョンを他の場所で目撃していた。 様々なイベント会場で「俺らマジでランナー!」とか、「俺らマジでヨットピープル」な発言をしていた様子。 家に帰って連れ合いにそれを言ったら、彼の職場でもジョン目撃者が多数いたと言われた。 ジョン、忍者のごとし!

ウム!

 お祭りと言えば、ご飯。 美味しいご飯。





可愛いお母さんがご飯をよそってくれたよ。






メニューからしていい匂い。





匂いにつられて、どんなお店も混み混み。









ポリネシアの料理は往々にしてこういうグリルを使う。
地面に掘った穴に、食べ物を入れて、上で火を焚いて蒸し焼く。
マオリ語ではこの調理法をハンギっていう。
ちなみに食事の事はカイって言います。
これは普通にニュージーランドでだと英語の文章内でも使う。
カイ タイム!

トンガとかだと、ウムっていう。
この日のカイはウム/ハンギだった!





私はトンガ料理のオタ イカってのがとても好き。
オタイはココナッツジュースって言う意味で、
イカは魚っていう意味。
マオリ語でもイカは魚。

オタ イカは、ココナッツジュースや
新鮮なトマトなどで生魚をマリネしたサラダ。
半端無く美味しい。
職場でシェア ランチがある時に、
よくポリネシアの島々からの移民の人達が持ってきてくれるんだ。 
そういう時はすごい勢いでがっつく。





これがそれ。
美味しいの!
本当に美味しいの!!





これがウムのデフォルト。
タロイモとバナナと肉。
そして、ルーっていうバナナの葉っぱでお肉を包んだ料理。
お肉にココナッツミルクをいっぱいかけて、
ルーに包んで、蒸し焼きにする。
これが本当に甘くて美しい匂いがするんだよ。
美味しい。





でも今回のはコーンビーフだったから
あんまし好きじゃなかった。
コーンビーフ、苦手ですねん…。

イカかモアが良かったな。
イカは上にも書いたように魚。
これは半端無く美味しい。
私は甲殻類アレルギーなので食べれないんだけど、
カニとかロブスターとかもやばい美味いらしい。

モアは、どうやら食べれる鳥って意味っぽい。
チキンを意味する。

マオリ人がアオテアロア(ニュージーランド)に移住してきた時、
そこにはモアとよばれる鳥がいた。
身長三メートルぐらいある大きな鳥。
全部食べちゃって絶滅しちゃった。

私はてっきりその鳥の固有名詞がモアなんだと思ってんだけど、
どうやらニュアンス的には
食用鳥類って感じだったらしい。

これはトンガに行くまで気がついていなかった。

アオテアロアでだと、絶滅したモアだけをモアって呼んでいるから。

言葉に歴史あり。





そしてデザート。
カイ コーマに襲われる。
ポリネシアでは基本的に、常に食べ過ぎがデフォルトなので、
食後はカイ コーマ(Coma:昏睡状態)に襲われる。

なので、ゴロっと公園で寝っころがってちょっと寝た。





この子とか、自分の頭より大きなデザート食べてるよ。

洒落っ子

 今時のポリネシアの子たちはめっさお洒落っ子。 そしてやっぱりちょっぴり寒がり屋さん達。 私はこの日、タンクトップ着てたぞ! 暑くないのか??

 堂々と光沢素材のレギングスはいたり、カメラを見つけた瞬間にポーズしたり、本当に可愛い。 10歳位年下の子たちはもう、感覚的に孫だね!









Yeah!

全ての装備を知恵に置き換えること

 ポリネシアの人たちは大概の場合素晴らしいパフォーマーたちだ。 みんな一様に歌がうまく、とても綺麗に踊れて、そして楽器が弾ける。 彼らが音楽さえ始めればどこでもポリネシアの島々の時間になる。

 その時間に包まれる度にいつも石川 直樹さんの「全ての装備を知恵に置き換えること」を思い出す。 ポリネシアの人たちは有史以来、数千キロにも及ぶ過酷な航海を繰り返し、様々な島に散らばっていった人達だ。 彼らの文化を語る時に、その事は無視する事が出来ない。 やはり冒険は全ての装備を知恵に置き換えて、初めて成功するのだろう。 彼らの、どこにいても再生できる文化に私は強く惹かれる。

















おばあちゃん、踊る踊る。
とても優雅。













トンガのヴィレッジ。
トンガ人は本当に、本当に歌が上手い。
踊りも上手い。
思わず泣いた。




そしてフランス領ポリネシアのタヒチ。
フランス領ポリネシアはそれ以外のポリネシアとかなり違う。
派手。 華やか、そしてなんか動きが速い。
御フレンチな風を吹かしている。
そしてなえんかもっと観光化されている。
自分たちの日常の延長で踊るっていうよりも、
”プロフェッショナル”とか”エンターテイナー”とかって認識してそう。

ゴッドファーザー

 もし私に子供が出来たら、オオヤマにそのうちの1人の子のゴッドファーザーになってもらう事に決めた。

Pasifika Festiva

 ポリネシアの島々からの移民の方々が中心にやるお祭りに行ってきた。 開催期間中は色んなワークショップとかイベントがある。 そして週末の一日、ウェスタンスプリングスパークっていう湖のある大きな公園を舞台にドカンと出店や出し物が沢山あるお祭りをする。 それに行ってきたよ。

 ヴィレッジとよばれる、湖を中心に国事に分けられたエリア一つ一つに、その国の特産品や料理、パフォーマンス用のステージが儲けられている。 サモア、トンガ、クックアイランド、フィージー、ニウエ、タヒチ、トケラウ、ツバル、キリバス、そしてアロテアロア(ニュージーランド)の計十島が参加。 全部の島のヴィレッジを回ったら、完全におなかいっぱい。

 オークランドはポリネシア圏内で一番大きな都市で、世界で一番大きなポリネシアの島々からの移民によるコミュニティーがある。 それこそ、総人口はポリネシアの島に住んでいる人達の数より多いとか。

 私の工房があるエリアはポリネシアの島々からの移民が沢山いるんだけど、本当に南国文化持ち込みまくっていて面白いよ。 工房にも沢山ポリネシアからの移民がいる。 だから職場ではずっと南国の音楽がラジオから流れている。 とっても南国。






 とりあえず消耗品のココナッツオイルを買う。 連れ合いはホワイトジンジャーの香りの、私はプルメリアのを。 保湿剤として使う。 めちゃくちゃ良い匂いなの!!











 天気がよくて最高だった!

2010-03-17

なんなんだろうね

 昨日、女友達がtwitterで結構強烈な事を言っていた。 

 彼女は男子に、「男子は正論を言う事に価値を置いているので、議論の場でバシバシと言ってしまい、一般的に女子は議論の場で論理的思考力が弱いから、最終的に泣かせてしまったりしてお話しにならないから議論はしない。」と言われたようだ。 それでそれについてつぶやいていた。

 しかも「では女は泣かずにちゃんと議論できるようになればいいのか?」と問いかけたら「泣いて得する仕事で活躍すれば良いんだ」と言われた様子。 

 マッチョ!! そのマッチョで非開放的なシチュエーション下で"弱者"っていう立場で立ち向かわなくちゃいけないなんて無惨だよなあ…。

 そもそも、相手が泣くような議論って一体何なんだと私は驚いた。 奇妙だ。 男であれ、女であれ、大人であれ、子供であれ、相手を泣かすほどの議論って何だ? そんなにマッチョじゃなきゃ議論って出来ないのか? どんだけ敷板高いんだよ。

 これは彼らが最強に賢くて、カッティングエッジ過ぎるからそういうマッチョな状況になっちゃっているのかなぁ…。 なんか消化の悪い話しだ。

週末のウェリントンの海辺










 街の中心地から歩いて十分位に位置するこの海辺の公園は、週末になると部活動にいそしむ子たちで溢れる。 そしてそれを見に来た親や、近所の人達がカフェでたむろする。 美術館や博物館、図書館が横にあるから、私もよくここで散歩をしたり読書をした。

 キラキラしている場所にいるのは気持ちがいいからね!

 ニュージーランドでは(もしくはウェリントンでは? 全部を言い切れるほどには知らない。)大抵のスポーツの部活動が男女混合チームだ。 プロ選手になるためのトレーニングを受けている場合は性別ごとに分かれたりするけど、「チームワークを学んだり、健やかな身体を育てる為に」っていうのがメインの活動でだと混合チーム。 学校のどんなアクティビティーも混合だったし、そもそも学校内での友達グループで同性だけのがなかった。

 2008年の政権交代まで十年以上、ニュージーランドの首相は女性だった。 大きな会社の社長さんたちも女の人が多い。 2006年頃は国家元首(国王、総督)と三権の長(議会議長、首相、主席判事)すべてが女性だった。 女の人が男の人より偉い立場に立ったり、物事を仕切るのは、男の人がそれをするのと同じ位に普通だっていう感覚がある。 ジェンダーギャップ指数(男女間の格差)も、最も格差が少ないアイスランド、フィンランド、ノルウェー、スウェーデンに続いてニュージーランドは五位。 だからかな、あんまり男子対女子ってカルチャーがない。

 多分私は結構意図的に男女の感覚をごちゃ混ぜにする教育をされてきたんだと思う。 少なくともジェンダーギャップが134カ国中75位の日本よりかは、大ざっぱな男女観を持っているんじゃないかと思う。 特に私はリベラルな学校に行っていたから性的マイノリティーの子たちも多かったし、あんまり男と女が対象であるっていう感じが無かった。 他にもいっぱいいる。 って事で多分性別への線引きが私の場合、結果として緩いのだと思う。 連れ合いとか見ていても、緩い緩い。

 どうしてそうなんだろうと考えた。 色んな要因があると思うんだけど、そのうちの一つとして、小さいときから男女を同じチームメンバーにして協力させるっていう教育方法があると思う。 スポーツでも、グループプロジェクトでも、誰とでも協力できて、いい結果を出せるようにっていうのに焦点が当てられている。 それが流れ流れて、大人になった時、男女格差が少ないっていう社会の結果に繋がっているのかなあと思いました。

Wellington

誕生日プレゼントに、ウェリントン旅行を貰った。
ウェリントンは相変わらず瑞々しくて綺麗な街だった。





水玉が張られている建物は、市立美術館。
勿論、この水玉は女王草間彌生作。
やよいちゃん、ばんざ〜い!
奥の灰色の建物がコンサートホールで、
右手側が市役所、
手前が図書館。






海辺の町並み。 右側。
奥が国立博物館。






海辺の町並み。 前側。





海辺の町並み。 左側。
水がたっぷり。


何年間も毎日散歩していた場所を久しぶりに歩けてとても嬉しかった。
ウェリントン、大好き。

2010-03-16

Louis Garrel




 フランス人俳優のルイ•ガレルが好き。 かっこいい。 エディ•スリマンが撮った彼の写真は美しかった…。 彼の出ている映画や、彼の佇まいも好きなんだけど、ミーハーに、彼のとんでもなくグラマラスな人生が結構好きだ。 世界への距離感を上手につかむ為に、こういうグラマラスな人を一人位心にとどめておく事が必要。

 彼のおじいちゃん、おばあちゃん、おかあさんはフランスの有名な俳優、女優の方々。 なんて華やか。 彼の出身校はパリ国立高等音楽・舞踊学校。 あらまあ、ほんとになんて華やか!

 そしてお父さんは映画監督のフィリップ•ガレル。 あの、ニコの昔の恋人のフィリップ•ガレル。 ルイ•ガレルはよくフィリップ•ガレルの映画に出ているんだけど、その内容が、フィリップとニコの関係をモデルにしている話だったりする。 私は、そこにフランスを感じてしまう。 なんだかかっこいい。 父ちゃんと、父ちゃんの昔の彼女(ルイの母親はニコじゃない)の話を演じる息子。 むやみやたらに華やか。

 極めつけに、ルイ•ガレルの恋人もすごい。 彼はサルコジ大統領の奥さんのお姉さん、Valeria Bruni Tedeschiと交際中。 彼女、45歳。 彼、26歳。 最近は二人でアフリカから養子を授かったんだそうです。 すごいよ、なんかすごい。 私、なんだか元気が出た。 まだこういう世界がこの世に残っていたか。

 こういう人達もいる場所が、この世界なのだということを忘れずにいようと思う。


 

Dirty Projectors - Fucked For Life



Fuck yeah!

2010-03-15

チームワーク

 この間出したプロダクトがとある賞を受賞した。
私が敬愛してやまないプロダクトを出している会社からコラボレーションの話がきた。

これが自分自身のリードするプロジェクトだったら、どれだけ嬉しいだろうと想像してみる。 その醍醐味を想像すると、自分のオフィスをいつかは持ちたいと思わさせられる。

最近、デザインの仕事がちょっとづつ面白いと思えてきた。

ある光




小沢健二の楽曲のなかで一番好き。

2010-03-12

どうしちゃったんだろう…

 キオラ! 問題山積みな航空業界。 果たして真っ当な会社はあるのかと、目を疑うばかりです。

ニュージーランドのフラッグキャリア、Air New Zealandも相当きてる。 経営面ではJAL程じゃないけど、でもある面に置いては世界で一番やばめな航空会社だと思う。

 まず、やつら、服を着てない…。

「おれらにはなにもかくすことなんてないんっすよ!」っていうキャンペーンを行っていて、広告媒体に出てくるAir New Zealandの職員たち。 皆、裸。





 「そんなやつらの暴挙に目を見張る観客たち」というCMを去年あたりからじゃんじゃか流している。 意味わかんねえ!! どんなプレゼンしたらこの企画は通ったのだろうか。 太鼓判、出たのかしら?? 「脱ぐっきゃねえ」路線にどう流れ込んだのかが気になる。


 そして機内で流す放送も裸でふざけきっている。 これはセーフティー用のビデオ。 ニュージーランド人は基本的に「これはニュージーランド以外の国でやったら問題だろう」ってことをやる事に執念を燃やしている気がする。 変な意味で実験国家。





しかしそれでも意地でも股間と女性の乳首をうつさない、その奇妙なモラル感がいじらしい。 ぽろりを期待して、毎回飛行機に乗る度に凝視してしまう。 本当に、これを、普通に、真面目に機内で流しているの。


メイキングも本当に下らない。 「緊急時はこの袋を開けてね」の袋は当然開かないし、ライフジャケット膨らました後に、それが自分の巨乳かのごとくなでてみたり、必死に乳首隠したり。 下らないもの好きな私にはたまらない一本。





こんな次元の地域に、私、住んでます。


ちなみにJALのがこれ。 裸VSアニメ。 何に価値を置くかの違いが、こうも違う映像を作るのだろうか。 なんで日本でだとニュースやセーフティー用の映像っていう、真面目さを求められるものって3Dアニメになるのかね。 なんかそっちの方が不真面目な気がしてしまう。 日本の謎。 ニュージーランド人の隙あらば脱ぎたがる身体観と同じように、日本の隙あらばアニメ化して生身を写さない身体感も謎。 謎だらけだーー!



Morning tea

 多分、多くのニュージーランドの会社/学校では、モーニングティーとアフターヌーンティーの時間がある。 少なくとも今まで私がいた場所ではあった。 紅茶を飲んだりスコーンを食べたりする時間だ。

 イギリスの学校でもティータイムは一日2回あって、紅茶とビスケット(キッチンレディーの機嫌がいい日はスコーン)とかを食べていた。

 呑気だけど、かかせない習慣。

 今日初めて知ったんだけど、イギリスでは会社とかの場合、もうそんなにモーニングティーしたりする習慣が無いんだって。 学校ではどうなんだろう。 寄宿舎とかじゃないとやらないのかな? 

 多くのニュージーランド人はシェークスピアが異様に好き。 無批判、大肯定。 イギリスでシェークスピアにそこまで興奮している人に会った事が無かったから、「末端ってのは、中央からの影響が固定化し、絶対化するのだなぁ」といつも冷ややかに思っていた。 しかしまさか、モーニングティーまでそうだったとは…。 ちょっぴり恥ずかしいわ。

 でも私はモーニングティーに関しては、無批判、大肯定なので、このまま固定化し、絶対化してもらいたいと思っています。

 ちなみに私の家では週に2回位ティータイム用のお菓子を焼きます。 そして、果物とかと一緒に会社に持ち込んで、それでティータイムをしています。 日曜の夜に今週用のお菓子が焼いていないと、連れ合いと大慌てで夜中にベイキングするはめになる。 それぐらい、好き。

2010-03-11

タイキョウ

あゆみちゃんのあかちゃんのタイキョウ用のサイトを作りました。
せかいでいちばんクールなキッズになってもらうぞ!


「わくわくなまいにち」
http://hey-yo-new-baby.blogspot.com/


なにをのせたら良いか、良いアイディアがある人、是非私に教えてください。

そしてこのブログへのアクセス権を持っている人達(あゆみちゃんと私の共通の友達)、大人のつとめとして、面白い事を見つけたら、いっぱい投稿しよう。

じゃーね!


ラブ
あんな

KISS



たまらんっ!

あゆみちゃん、是非胎教に!

2010-03-10

あゆみちゃんの赤ちゃんの胎教のために

 あゆみちゃんがお腹が重くて家にいた日に、けっこうじっくりと私のブログを読んでくれたらしい。 このブログが特に胎教に良いとは思いがたい!! ってことで、なにか楽しくてワクワクできるような事を書こうと思っております…。 まだ何を書けば良いのか分からないのだけれども…。

chikirin 2

昨日のchikirinの日記、はてなブックマークで結構バッシングされてる。 こういうの見てると、私の人生も、バッシングしている人からしてみたら地獄絵図そのものなのかもなあと思えてくる。 ただ私の立場が地獄ならば、天国には利権にまみれた日本人の男たちか、自縛霊のような人しかいないだろう。 そんな場所、最初っから勘弁です。 お友達、一人も作れません。

2010-03-09

chikirin

Chikirinの日記の2010-03-09 就職氷河期 サイコー!が面白かった。 

日記の中で彼女はこれからの若者の選択肢として以下の事を書いている。

1.「雇ってもらう」ことをあきらめ、起業する。
2.若者にしかできないこと(高齢者にはできないこと)で食っていく。
3.仕事のある中国やインドに行って働く。

それにね。当面、若者はどんどん貧乏になるから、高い家賃が払えなくなっていやおうなくシェアハウスに住む人も多くなる。ああいうところは、神経質すぎる人、清潔でないと生きていけない人、違う価値観の人と折り合えない人にはとてもつらい。

子供の頃から個室が当たり前で育った僕ちゃんは、このままではアジアでなんて絶対働けない。でもお金がなくなるとそうはいかない。いやでも住む場所を他人と シェアすることになる。すると、性格がおおざっぱになり、雑多な環境にも慣れる。そう、インドや中国でぐちゃぐちゃになりながら働くのに適した性格の人が いつのまにか増えるのだ。


お〜!! 日本、明るい!!!

 ここに書いてある事全部に対して、少なくとも自分はそうなるんだろうなという実感を持っている。 私は雇ってもらう事を諦めているし、(というか40才とか超えてまで雇ってもらいたくない。 自分で自分のボスになりたい。)自分の世代の優位な技術とかで食べてかなきゃどうしようもないだろうと思っているし、日本人相手だけに商売する気は無い。

 多分これは私が特に私が意識的にそうしたというよりも、これが私の育ってきた場所の標準だからだと思う。 よその国でどうだかは良く知らないけど、ニュージーランドでは高校でも大学でも、そして就職先でも 1.自分で自分が雇用できる人になる 2.自分の特種技能を持つ 3.若いうちは海外で働く のが基本だとして教えられるし、別に誰もそこを疑っていない。 人口四百万人の国家だと望もうが望むまいがそれが当然の事なね。

 そしてここが日本との違いだと思うんだけど、ニュージーランドの多くの人はそれを誇りに思っているし、人生に与えられた豊かな選択肢だと考えている。 日本でそういう話しを聞くと、「悲劇」とか「悲惨」ってニュアンスになるけど、別にそういう感じはこっちにはない。

 自分がどの国でも働けるような技術を持っていたり、若い頃に様々な国住める事、沢山の経験を積む事はとてもワクワクする話しだし、自分が家庭を持ったら、子どもたちとの時間をもったり旅行に行ったりする為に、やっぱり自分が自分のボスだと何かと楽だ。 リタイアする時は、その会社を売って退職金にすれば良い。

 一つの成功例なんだけど、大学の先生達世代(二十年前の学生たち)のデザイナーは卒業後ウェタワークショップを設立した。 コンピューター技術が自分たちの世代の専売特許になると思ったからだ。 彼らはその産業とともに育ち、ロードオブザリングやアバターの特撮を担当して、数々の賞を受賞した。 彼らは、まあ勿論十分にお給料もらってるだろうから会社売る必要も無いかもしれないけど、そうしたければいつでもリタイアしたいときにリタイアできる。 自分の会社を売った値段が、これからの自分の人生にかかる値段を超えていたら良い訳だから。 そしてそこには海外で就職するのも、自国で就職するのも同じ視線で考えている世界中の人達が働きにきている。 ニュージーランドはそういうのり。

 私の教授たちはそうやって暮してきたし、多分私達はもっとそれが活発になるのだろうと彼らは言っていた。 「これからは住む場所に縛られなくなるから、僕 らの世代より色んな場所に行けて、色んな物が見えるんだろうね」ってさ。 そして彼らはかなり熱心に新しいこれからの産業と技術を私達に探求しろと口を酸っぱくして言ってくれた。

 親世代が今引退を始めているんだけど、やっぱり会社や家を売ってその費用にしている人達が多い。 それで舟を買って世界一周したり、親の家の近くに小さな家を買ってゆっくり暮したりしている。

 勿論、全員が全員そういう起業家体質じゃないから、結局は人それぞれだけど、「人それぞれの成功体験」のバリエーションが、日本より多い気がする。

 最後にフラットについて。 私は世界中の若者の暮しかたを調べた訳じゃないけど、見て来たり聞いてきた話から推測するに、こんなに人間が一人暮らしをしている地域って日本以外に無いんじゃないかなぁ。 やっぱ家電を作ってでっかくなった国なだけあり、白物家電も何もかも一人一人に売りさばくっていう戦略をとったのか、松下? それとも不動産屋さんの陰謀? やっぱ駐車場にしろ、部屋にしろ、小さい場所から最大の利益を上げるって、一人一人から結構な額をとるってことなのかなあ。 私はそうやって解体できる単位にまで社会を解体して消費させた事が、結構根本的なダメージを社会に与えたのではないかと、たまに真剣に思う。 こんなに国民が一人暮らししている国って他にあるのかなあ。

 家電及び不動産業界の人には申し訳ないが、少なくともイギリスでもニュージーランドでは若い人達で一人暮らししている人ってすっごく珍しい。 一人暮らしをしているのはアジア人の大金持ち留学生ぐらいだ。ものすごく狭い部屋に、莫大な費用をかけて住んでいる。 一人暮らしの場合は全てがものすごく小さく、そして高い。

 典型的と言われる人生ラインは18歳で家を出て、フラッティングをし、段々と家賃を上げていって、最後にはけっこう綺麗なフラットに親しい人達や自分のパートナーと住み、今度はパートナーと二人で住み始めるって流れ。 勿論人種や宗教、家族関係によって形は全然違うけど、メインストリームはそんな感じ。

 白物家電は家についている場合もあるし、そうじゃない場合はみんなでお金を出し合って中古のを買って、引っ越す時にまた売る。 家具然り。

 私は引っ越しの際に必要じゃなくなった物は、救世軍に寄付している。 そうすると救世軍の持っているお店で売られて、その売り上げがチャリティーに回される。 宗教的には、全く救世軍とは関係ないんだけど、出来るだけいつも必要な物が救世軍で売っていたらそこで買って、いらなくなったらそこに寄付している。 彼らのチャリティーの活動内容が結構好きだから。 連れ合いは、ホスピスショップ(売り上げがホスピスに行く)を良く使っている。 そうやって生活費を安くして、旅行に行ったり、たまに美味しいものを食べたりしている。 私はこれぐらいで、別に良いんじゃないかと思うのよね。

 光熱費やらなんやらの基本料金も全部家の人と割り勘できるし、家のメンテナンスや掃除も交代制にしているから楽。 階段をあがるように、段々とメンテナンスの必要な大きな家に引っ越していったから、家や庭の面倒のみかたも学んだ。 フラッティングの最大の利点である、安いお金で大きなスペース得て楽しんでいる。 でっかい一軒家が私は好きだ。 居間と寝室とダイニングと風呂とトイレははなればなれであってほしい。 庭も欲しい。

 そして何よりも、私がフラッティングしていてよかったなと思うのは、一緒に住んでいる人達に何かがあった時に支えてもらえる事。 喧嘩をすることもあるけど、風邪引いた時とか、ちょっとくよくよしている時、家の中が健康的で他の子が活き活きとしているのはすごく支えになる。 別に家族でも団体行動でもないので、チームワークは感じても、べったり一緒な関係では全くない。 それでもやっぱり精神的な安定が本当に得れるし、人と一緒に生きるっていう基本的な事を学ぶ事ができる。

 一人暮らしもしたい人はすれば良いけど、でもやっぱり生活方法にはバリエーションがあった方が良いと思うんだ。 色んな暮しかたの中から選べる方が幸せな生活を得やすいのではないだろうか。 その為に「こういう幸せな暮しかたもあるよ」っていうのの品数がもっとあって良いのと思う。 若者なら、一人暮らしか実家暮らし、もしくはネットカフェか路上とかって、選択肢が少なすぎる気がするし敷居高すぎる気がする。 日本の不動産のルール、遠慮を込めていっても奇妙だし高額だし。 もっと、もっと、クリエイティブに、色んな幸せな生活の仕方をどんどん実験していいのではないかと思う。

 そんな事を、ぼんやりとchikirinの日記読んで考えました。

2010-03-08

中年期/初老期の性愛

 中年期/初老期の人の為のデートムービーを見てきた。 オリジナルの題名はIt's complicated(複雑すぎる、ひっちゃかめっちゃかってニュアンス)のなんだけど、邦題だと「恋するベーカリー」という歯が浮くような題名になってしまっている。 何故? 

 私は中年期の人達が男女問わず比較的好みで、特にメリル・ストリープなんかたまらない。 なんか好きなのだ。 彼女が出る映画はほとんど無批判にとりあえず見ている。 なんで好きなのか分からないんだけど、なんかすごく好き。 連れ合いはスティーヴ・マーティンがなんでだかゆるく好きという事で、ゆるーく見てきた。

 この映画は見事な中年男女のデートムービーで、館内は見事に中年男女の組み合わせで溢れていた。 たまーに若いカップルもいたけど、基本的に子供が育って家を出て行った後ぐらいの父ちゃん母ちゃんが、土曜の夜にデートで来ている感じだった。 彼らにしか響かない冗談のコードとかがあったみたいで、映画館の中が一種異様なグルーブ感に包まれた。 おっちゃんおばちゃん大興奮。 私、あんなにおじちゃんおばちゃんのグルーブに抱かれたの初めて。

 細かい話の流れやらは公式サイトwiki のページを見てもらうとして、大ざっぱに説明すると、この映画は中年/初老期の男女の性愛に関するコメディー。 股間がっしり系の映画。 非常に興味深かった。 登場人物は、私が彼らの年齢の時にはこんなに馬鹿でありたくないと願わずにはいられない愚かさと、未熟さをを盾に愚行を繰り返す。 それが本当に笑える。 子供を産んで以来吸ってなかったマリファナのジョイントを子供の企画したパーティーで吸って、それを娘のフィアンセに見つかったり、らりっちゃって踊り狂っちゃって、その踊り狂う姿を見た他の中年が嫉妬をしたり、もう、やってる事ただの高校生。

2010-03-05

Beach Boys

 どうしちゃったんだ地球って位に最近周りの人達が結婚/デファクト/シヴィルユニオンしまくっている。 ほとんど毎週末結婚式的なイベントに満ちあふれている。 どうしちゃったんだ地球!! この強烈なイースターな雰囲気は何? 今みんなで一斉にイースターバニー?  生命力の祝祭???

 連れ合いのバンドには四人メンバーがいるのだけど、彼らの友達の誰かが結婚する際に結婚式で演奏を頼まれる事が多い。 彼らのうちの一人は敬虔なクリスチャンで、彼の周りには勿論クリスチャンが多く、そして日本でだとどうだか分からないけど、こっちの場合クリスチャンは超早婚。 25才位で結婚してしまう。 ってことでそこらへんのグループが特に最近すごい。 いつも誰かの婚約パーティーや結婚式。

 そんなこんなで、ある結婚式でビーチボーイズを綺麗に幸せそうに演奏する事に決めたらしい彼らが最近ずっと練習をしていた。 横で聞いていたら私の中のビーチボーイズボタンも強く押された。 ビーチボーイズ、大好きっ。 仕事中も歌い、ビーチボーイズ世代の人達のときめきボタンも連打してしまい、みんなでビーチボーイズの良さに出会いなおした。









歌詞も最強なんだよねー。


Wouldn't it be nice -素敵じゃないか

もっと歳をとったら素敵だろうな
そうすりゃこんなに長く待たせなくてもすむよ
一緒に暮らせたら素敵だろうな
自分たちのしっくりくるような世界でさ

うんとうんと
素晴らしいだろうなあ
おやすみと言った後も
二人で一緒にいられるなんて

素敵だろうな目をさましたら
朝になっていて二人の新しい一日が始まる
一日まるまる一緒に過ごした後も
夜通し二人で
ぴったり寄り添っているんだ

二人一緒に
僕ら幸せなときを過ごす
ひとつひとつのキスが永遠に続くんだ
素敵だろうな
二人で一生懸命になって考えたりお願いしたり
望みをたくしたりお祈りしたりすれば
実現するかもしれないよ
そうすりゃ二人にできないことは
何一つとしてない
僕ら結婚して幸せになるんだ
たまらなく素敵じゃないか

こんなことを
喋れば喋るほど
今すぐそうしたくてたまらなくなっちゃうね
でもどんどん喋ろう
素敵だろうな
おやすみベイビー
ぐっすり眠るんだよ




ビーチボーイズ、良いですね。

敬虔なクリスチャンで婚前交渉をしない人達の結婚式なので、「よっぽど今お前らはセックスがしたいはずだ!」という推測を込めて、「結婚したら素敵だろうね」って所をちょっと性的に変えて歌う予定なんだそうだ。 「怒られないだろうか、侮辱ととられないだろうか」と心配して、周りと相談しまくっていた。 そんなに心配するなら、普通に歌えば良いのに! でも同感。 ここまで純潔を守っていたんなら、そりゃーーー、もう、すっごい素敵だろうね!! これから普通にセックスするだけでも毎日本当に楽しくて幸せなんだろうな。 こっちが勝手に想像するだけでも、素敵な気分になるよ。

そしてこの歌の魔力に引っ張られ、バンドの男の子達みんな激しくロマンティック(女からみたらただのファンタジー)になっていた。 彼らの周りに妖精さんたち見えたよ。 だからカズオ•イシグロ並のリアリズムを込めた口調で「あんたら、歌と現実ごっちゃにしちゃいけんよ」と言ってみた。 

それこそ、歌の歌詞の中にあるように、
We talk about it
It only makes it worse to live without it
But let's talk about it
Wouldn't it be niceってさ。

2010-03-03

うれしくって抱きあうよ

相変わらず定番の悩みにうじうじしている。 例えば、日本に帰るかとか、まだ放浪するかとか。 

 この悩みは本当に家族の価値とかを考えさせられる話。

 日本に帰ろうかなと思う理由の大きな部分は、実家がそこにあるから。 心の半分は(たまにそれ以上)「家族の近くで幸せに暮らしてなんぼだろう!」と思っている。 家族と幸せに近くにいられるって、最も贅沢で、最も心が満たされる事なんじゃないかとも思うんだ。 これまで育ててきてくれた親の老後期は、私が目一杯お世話をしたい。 何が何でも自分の親の老後を一緒に過ごしてあげたいし、その際一緒に自分の子育てもしたい。 淋しい思いはさせたくないのだ。

 連れ合いは本当に親兄妹と仲が良く、私も軽く一員として一緒に過ごさせてもらっている。 彼は「どんなことをしてでも親を養う」というアンケートで堂々たる世界一のYES率をたたき出したイギリスの若者なだけあり、やっぱり見ていると本当に家族が親密。 「階層内同士でのその頑な連結がイギリスの社会を硬直化させているのではないか…」と嫌味に思ったりもするが、しかし、いやはや、それでもいい面が沢山見える。 その家族への忠誠心に、五カ国中最下位だった日本出身の私ですらも感化された。 本当に、実際、彼の家族愛は立派なもんだ。 とても学ぶ事があった。 親は慈しまなくてはいけない。 ってことで、日本に帰ろうかなあーって方向に考えが進む。 

 親しい友人たちからよく「親と子の立場が入れ替わってきた」っていう話を聞く。 段々と今度は自分が親の面倒を見たい、careしたいっていうふうにシフトしてきたんだよな。

 しかし日本に帰ったら確かに親の近くにはいれて、何かしらの孝行が出来るんだろうとは思うんだけど、自分のライフはどうなるの??って思いがわいてしまう。 「自分ならどの国のどこにいても幸せに暮らしていける」っていう強い自信はまだ自分には無い。 また、一度日本に帰ったら二度と国外で住めなくなるんじゃないかと思うと怖い。 二度と日本以外で住めなくなるってのは、二度と日本に住めなくなるってのと同じ位、私にとっては怖い。

 30をちょっと超えた位の友人夫婦が子供を授かったんだけど、その際に「結構どこでもやっていける自信がある。 あと親になる前にやり残した事が無い。」と言っていたのが印象的だった。 別に、自信が無くても、やり残した事が沢山あっても、状況を楽しめる人は沢山いるし、願わくば自分もそうありたいと思うけど、同時にやはりある程度の自信は、ある程度の年齢までに欲しい。 それが日本に帰るってのとどう両立できるかが分からないんだよな。 シンプルに、海外で労働ビザを取るのは結構難しい。 よっぽどのエリートか専門性の高い人じゃないと自信満々に「コスモポリタンに生きる」とは言えない。 そして私はどっちでもない。 まだキャリアすらちゃんとない。 そういう生活を可能にしている友人たちの姿を見ながら、もうちょっと自分も挑戦し続けたいと思ってしまう。

 少なくとも、確実に、デザイン関係の仕事の場合、かなり近い将来自分が具体的にいる場所は仕事に関係が無くなる。 実際今ニュージーランドで働いている私のクライアントは世界中の人達だ。 今は会社を通してクライアントと繋がっているけれども、もし窓口を自分に出来た場合、本当に住環境には制約が無い。 日本に住んでも世界中の人と仕事が出来る。 逆もしかり。 その際の選択肢を今培っていきたいのだ。 (奈良美智さんは数日間のアメリカ滞在の為にビザを申請したら、十年分おりたんだそうだ。 すっごい、これは本当にすごい。 あのアメリカでだよ?! 多分一生私にはそこまでの’目に見える位ウルトラ級の社会への貢献度’を移民局にアピールできないと思うので、本当に確実さと堅実さが必要になる。)

 自分がどういう形で自由自在になるか(目指すか)ってのは親と同じ位に大切。 なぜならば、これこそが親が私にくれた財産だから。 大切にしたい。





 そんなこんなでこの間、私、26歳になりました。 母校の校長先生の名言「30歳までには幸せな人になっていろ」のカウントダウンが始まった感じ。 先生、大丈夫です。 私、すでに幸せな人です。 ただまだ大人として自由自在じゃなくて技術が無いだけで。







 クライアントの一人がくれた手紙の中に、彼女の故郷であるバルセロナへの思いが書いてあった。 彼女はイギリス人と結婚して今ロンドンにいるんだけど、「故郷を離れる事で、今自分の持っているものだけ(実質沢山!)から暮らす方法を学びました。」と書かれていた。 本当にその通りで大笑いしながら読んだ。 実質沢山! 彼女の為に、バルセロナの思い出をまとめた本を作った。

 こういう事を思うと、怖くて肝が冷えたりもするから、連れ合いとじゃれあう。 最近知った名曲「うれしくって抱きあうよ」が頭にめぐる。

tokyo

Tokyo/Glow from Nathan Johnston on Vimeo.



日本の町並みの美しさの特長は、ロシアアヴァンギャルド並の構成になっている交差点のシマシマだと思う。