2010-06-30

ゆっくりとした生活

 大学の先生が私の仕事を選んだときの基準の一つは、きちんとした生活が出来るか否かだった。

 教授曰く働き始めた当初に、家庭があって仕事の外にきちんとしたコミュニティーとかが持てている人達や、きちんとした生活がおくれている人達と働かないと、その後の仕事観や生活観、家庭観がちょっとゆがんでしまうらしい。

 だから若いときは、良い人達と働いて、生活ってなんなのかとか、自分が価値を置くべき事はなんなのかをゆっくりと学べと言っていた。 仕事はその後についてくるからってさ。 「規模はどうであれ、誰もがいつかは家族を作るし、子供の見本になるべき大人になる。 そのときに豊かな生活の知恵を持てている方が良い。」ってのが彼の主張。 特にデザイナーで、人に物を作る事が商売な場合はそうだよね。
 
 実際働いてみて、本当に教授の言っている事の意味が分かった。

 規律のある生活は、確かに私を成長させてくれたと思う。 成長…、というか、知らなかった事を知ったと言う方が正しい言い方だな。 時間的な意味で規律を持てると、生活のリズムを作れる。 昨日と同じような時間割の今日を過ごすと、昨日には出来なかった事が、今日は出来るようになっていたりする事に気がつける。

 大きな事じゃないけど、例えば、美味しい料理がぱぱぱっと作れるようになったとか、それで空いた時間で家人にもっと優しくなれるようになったとか…、そういう事を繰り返していける。

 で、すごく心や体に栄養が回った感じがする。

 案外数年したら私は仕事命で、徹夜大好き、サービス残業大好物なワーカホリックになっているかもしれない。 でも大学を卒業した後にした、この生活重視の期間で学んだ事は忘れないだろうなと思う。

越冬

今うちの暖房器具は、暖炉だけ。

暖炉を使って生活していると、一つの部屋を暖めるのに、随分と薪が必要なのだなと気がつく。

一つの冬を越すのに、何本の木が必要なんだろう。 部屋を暖める為だけに燃えて行く薪を見ながら、エネルギーの無駄遣いだよなあとも思う。

実際目の前にある物が燃えていくと、「本当にこんなに燃やす必要があるか」とか、「どれぐらいの温かさを望むか」とか、「いつあたためるか」とか、服の着方とか考えるようになる。

薪を割るのって結構難しくてコツがいる。 割りながら、その木の持っている歴史を考える。 縦に割るのは簡単。 横には難しい。 水をくみ上げていた跡さえ読めたら、そこをこつんと叩けば木は割れる。 暖炉にくべる用の大きさにするときいつも「これだけの大きさになる為に、どれぐらいの時間がかかるんだろう」とか考える。 樹にも命があるって生々しく感じられるようになる。 いつもいただきます、ありがとうございますと言いながら暖炉にくべる。

古い家に住むと、小さな一つ一つの行動に愛おしさや、尊さが生じる。 不思議と、本当に一つ一つの行動に、喜びが宿る。 家に対する働きかけ、家を維持する為の、家と共に生きている実感。 全てがなぜかそういう温かい気持ちに繋がる。

不便だし、(通俗的な意味で)効率的じゃないけど、一回は古い、骨董品みたいな前近代建築に住む事をすすめる。 すごく、すごく良い経験になる。

「こういう暮しかたをしていて、こういう不便さを消したくて、物事は発展して行ったんだなぁ」ってのを生活を通じて知る事によって、批評的な見方が養える気がする。

ザ ロハス!みたいな発言だけど、ロハスっていうよりは、ただ単にもうちょっとおおらかに人々の営みの歴史と繋がる為に一回やってみると良いと思うんだ。 下手すると10年前の生活スタイルすらもが古く感じられてしまったりする。 そういうスピードじゃなくて、「そうかー、じいちゃんばあちゃんが私ぐらいの年齢の頃はこうやってくらしてたのかなー」とか、「案外ママとかダディーが幼い頃もこんなかんじだったのかな」って感じにさ。 再発見出来る事も多いよ。

2010-06-26

GとT

高校大学と通してクラスメイトだった友達が二人いる。 GとT。 私は彼らと大学に入ってから、すごく仲が良くなった。

 彼ら二人は、小学校からの親友で、傍目から見ていたら恋愛関係に見えるぐらいに深い友情を持ち合わせている。 私もずっと彼らをゲイのカップルだと思っていた。

 感度最強の脳内ゲイダー(誰がゲイかを見分けるレイダー)を持ち合わせているとされている、私のゲイの親友(彼も高校からの友達)すらもがずっと彼らをゲイのカップルだと信じ込んでいたぐらいに、強固なブロマンスを育んでいる。 私はそんな彼らの濃密な友愛の輪に入れてもらった。 私達についたあだ名は、Team thresome(チーム 3P). プレゼンの直前に三人で手をつないで輪になって、ぶつぶつとつぶやいていた(祈っていたのだ)所を目撃した講師に名付けられた。

 そんな大切な私のGとTは、最近ヨーロッパに越して行った。

 Gは長年の遠距離恋愛をしていた子と、共同生活を始める為にロンドンへ。 「ロンドン引っ越しても仕事ないだろうから、起業する」と勇気を奮い立たせてイギリスに行った。 そして、そんな様子を見たTは「お前が起業するなら俺も行く」と一緒に働くためついて行った。 さすがなブロマンス。

 でもTが行った先は、御自身の母親の実家のあるポルトガル。 おーざっぱだな!!! まあ、近いっちゃ近いけど、遠いっちゃ遠い。

 そして勿論GとTには「お前もこい」と言われている。 チーム3Pだからね!

 でもさー、NZの子は大抵何個か国籍持ってるし、先祖がEU出身な場合なんかは特に「長野から埼玉に引っ越す」って感じでいろんな国に引っ越せるけど、こちとら、近隣諸国に行く際にすらヴィザを本気で取得する為のプロセスが必要な、国際関係的なガラパゴス、日本国出身者。 

 悪いが私の国にはそんなおおらかな友達はいない。 同盟国であり、基地の提供すらしているのアメリカさんの国土内での労働すら許可されとらん、ひじょーーーに、ガラパゴスな国籍所有者なのでそう簡単には動けません。

 だから乗り継ぎの韓国の空港から私の職場に電話をかけてきて、「俺今からポルトガルに行くけど、あんなもおいでなさい」なんて、そんな無茶ぶりはやめてくれ。 NZでの労働ヴィザをとるだけでも私精一杯ですので。

 私は子供が「なんで私の家ではリカちゃん人形が買ってもらえないの?」って感じにしょげる。 「なんで私の国で産まれちゃうと、どこの国からもすごい難しいプロセスを踏まないと住んで言いよって言ってもらえないの?」って思う。

 でもまあ、考えてみたらつい最近まで、日本のご近所さんは、ロシア、中国、北朝鮮、韓国、台湾と、無条件で人の行き来を許す為には、日本もどっちかっていうと赤くなったり、国政荒れた方がいい感じなコンディション。 日本のシャイさも関係あるかもしれないけど、近所の人達にも難あり! これからに期待だ! 

 なので国際電話で、私の国籍のコンディションを説明した。 「消費者じゃなくて人民にならなくちゃいけなかったし、なっていたら余計にEUなんて行き辛いわい」と。

 ポルトガルに行くTは、お父さんが南アフリカ出身の黒人系アメリカ人、お母さんがポルトガルからの移民一世のアメリカ人(NY出身)で、NYで結婚してNZに来た。 この時点で彼は生まれながらに、NZ国籍(これでオーストラリアで無条件で永住ビザ発行してもらえる)、アメリカ国籍、EUと南アフリカの永住権を持っている。 そりゃ、好きな時に好きな所に引っ越ししやすいよな。 ほとんどの大陸制覇じゃん。

 やっぱりなんだかんだで、永住権とか国籍何個か持ってる子たちの方が、就職に対する危機感とか、キャリアの組み立てとか、おおらかにやっている。

 「結婚しよう。そうしたらアンナも動きやすくなるから」とチーム3Pならではな、おおらかな事を言ってくれたので、「考えとく! マジで考えておくから、君はまだ誰ともつきあわないでっ!」と返事しておいた。

 英語覚えろとか、東大に留学生増やせとか、色々小手先な事を日本の人達は最近言っているけど、とりあえず近隣諸国と仲良くなる、もしくはせめて同盟国ぐらいは自由に行き来させてもらえるようになるって次元を求めた方が、英語を覚える意味も、留学生を受け入れる意義も生じてくるよねえ…。 そんな事を思ったなり。 でもそんなプロセス想像するだけでも200年ぐらいかかりそうで(その間に総理200人)ぞっとするから、個人レベルでがんばろうっと。
 
 日本ぐらい国籍からの制約を受けている先進国の国民も少ないだろうから、まあそこを面白がるのも手かもね。 どうやって面白がれば良いのか分からないけど、とりあえず「珍しいだろ!」ってさ。 ミニマリズムの境地だよ。 日本国籍だと国籍一個しか持てないし、融通が効く場所も日本しかないし、もうこれ以上そぎ落とせない境地。
 
 私の友達は大抵Tみたいに、色んな選択肢を持っていて、大人になってから便利に使っている。 比べてもしょうがないけど、どっかは比べてしまう。 考えさせられるよなー。

2010-06-25

言葉

 小さい頃、「イギリス人の英語の発音は綺麗で好きだ」と父親に言った事がある。


 そうしたら父に「僕は色んな国のなまりが残っている英語が好きだ。」と言われた。 父ちゃんはリベラルで国際的なアメリカの大学に行っていたので、移民や難民の研究者が沢山いた。 学生も世界中から来ていた。


 実際自分もイギリスでは誰の英語が正しい英語のアクセントなのかなんて分からない位に、多国籍の子たちがいる学校に通っていたし、彼らのなまりがとても好きだった。 私のなまりも好かれていると知っていた。 よくまねしあいっこをしたし、みんなから彼らの母国語を教わった。 言葉を教えあうのは、遊びの一環だった。


 「考えてみると私も、誰の言葉も大概綺麗だと思うし好きだ。」と気づき直して、父と娘の話は違う横道にそれて行った。


 違う時、「語彙が増えない」と嘆いた私に父が、「ただ語彙を増やそうとせず、頭を使え。 分からない事に適切に質問できる力と、人が教えてくれた事を理解できるようになれ。」と、これまた「そりゃそうだ」なつっこみを入れてくれた。 だからまず、どうやって質問したら、自分が理解できるような返事を貰えるかを考えるようになった。 そして「その言葉の意味が分からないので教えてください」って聞く癖が出来て、これはこれで良かったと思う。 数えきれない程の人達に言葉の意味を教わった。 実際のところ大概の人達はものすごく親身にやってくれる。 私の言葉は、私と社会の協力で豊かになる。


 大学での論文が書けないと嘆くと、「自分の言葉を書きなさい」と父に言われた。 「自分の頭で考えて、並べた言葉を使いなさい。」ってさ。 これは、父ちゃんの大学の先生が、父ちゃんに口をすっぱくして言った事らしい。





 「誰の言葉でも、どのような話し方でも、聞く意義がある。 発音や語彙の量、文法の稚拙さで人を差別するな。」って、親が子供に教えておくべき基本中の基本な事柄だと思う。 大人になってからもいつも気にしている。 相手の言葉のレベルで、相手に偏見をもったり差別したりしていないかって。


 あとわからない言葉がある事も、それを人に質問して、意味を理解しようと頭を使う事も全うだ。


 自分の頭で考えた事を、相手に伝わるように、自分の言葉で話す事も大切だ。 別に自分の意見そのものに執着する必要は無いと思うけど、でもその意見が本当に自分の頭(もしくは心)からの意見なのかどうかはきちんと批判的に考えた方が良いと思う。 殆ど唯一それが、自分自身を知る方法だと思う。


 なんかこんな事を考えると、私は父親の言語観に強い影響を受けているのだなあとしみじみ実感する。


 言葉は自分を育ててくれた人達からの遺産だ。 大切にしたい。

2010-06-22

この季節のオークランドの空は、
雨雲が漂っているか、虹がでているかのどちらか。

いつも、ちょこちょこと雨が降り、
雨がひくとその度に何個も大きな虹が出る。

ウェリントンではそんなに見なかったけど
こちらでだと、「空には虹が出てるもんです」ってな感じに普通に出る。

よく、"虹の麓"って昔話に出てくるじゃん
てっきり見れないものなんだと思ったてたんだけど、この間見たよ。 

草原の横を車で走っていたら、すごく近くに虹の麓があったの。 

で、車と同じスピードで移動しているように見えた。 

月みたいに。

こっちと同じに動くの。 不思議だったー!

私は虹からロマンティックな感じとか
奇跡とか平和とかはあんまり感じなくて
どっちかっていうと理科の喜びとかが沸き上がる方。

毎日、「ああ、地球って理科の玉手箱だーー!」って眺めている。

うっとりっていうよりは、ワクワク。

2010-06-21

ゆっくりをたのしむ

 ちょこっと体調をこわした。 
焦り過ぎとか、不安感から、変な体調になってしまった。

 病は気からって本当なんだなぁ。

 最近は以前のような無茶が出来ない。
体力の使い方に技術がいるようになってきた。

 ちょっとずつ、新しいことに挑戦していっている。

今やっている事が自分をどこに連れて行ってくれるかが楽しみ。

愛すべき友人の生存をブログで確認。
正直、ちょっと君の事忘れちゃってたよ。

忙しかったのかな。

友達の文章から、
相手の愛ある命を、ちょっと分けてもらった気分。
はっきりと相手の事を思い出した。

そうだ、こんなに素敵な友達がいるんだと嬉しくなった。

さーて、私も、ブログ続けよーっと。

2010-06-20

ひっ ふっ みっ よっ!

 この間日本に帰った時、小沢健二さんの「ひふみよ」コンサートに行った。

 すごく良いコンサートだった。 性的だったし、温かかったし、生き生きとしていたし、カラフルだった。

 私はたまたま恋人が近くにいない者同士で、このコンサートを見に行った。 遠くにいる恋人を思う二人組として。 二人とも見ている先は似ている。 いい感じに平行関係な友情。

 私と彼は、二人でお互いの肩に手を回し、ぴったりとくっつきながら(っが、勿論そこに恋愛的要素は無い。 もっと、共産党員の連帯みたいな親密さだ。)音楽を聞きはじめた。

 すぐに恋人が恋しくて仕方がなくなった。

 彼が奏でる音楽は、二人の成熟した関係の人間たちが、優しくくっつきあって踊る為の音楽に編曲してあった。 誰かと踊る為の音楽。 ワルツ、タンゴ、スローダンス…、恋人達が向かい合って、見つめ合い、頬を寄せ合い、腰に手を回し、お互いの動きに合わせて、音楽を背景にお互いの生を愛しみあう為の音楽だった。 継続を望み、日常を重ね、一緒に歳をとって行く事 を喜ぶ為の音楽だった。 「こりゃ小沢健二さん、良い関係をパートナーと持ってるな」と思わさせられた。 

 また「他の所を見てみたい。そこで暮してみたい。色々知りたい。」っていう単純なアウトゴーイングな性質を、小沢健二さんが今回とても強く表現していたのがとても嬉しかった。 彼の音楽からは、彼が彼のパートナーと一緒に旅行をしているんだろうし、 二人でいろんな意見をかわし合ったり、新しい人達と出会ったりしているんだろうなと思わさせられた。
 
 私はそういうのがとても大切だと思う。 一緒に旅行や冒険が出来て、新しい人に一緒に出会えるようなパートナーがいるってのは素晴らしい事。 一緒にご飯を食べて、一緒に踊って。 成熟したもう一人の人と人生を共に過ごす事の喜びを、きちんと歌っていた。





そして小沢健二さんの持っている社会への意見や好奇心が、私のと同類で、それをとても不思議に感じた。 小沢健二さんの音楽を好きになった小学生の頃なんて、社会意識なんか持ってなかったし小沢健二の政治性なんて知らなかったのに。 普段では、特に日本では「ナイーブ」だと言われて終わるだろう、リベラルでラディカルな社会関心と意見を彼が持っているのがとても嬉しかった。

 本人すらもが意識していない、志向性や、考え方のパターンが、言わずとも溢れ出てしまうってのが音楽/芸術 表現活動なんだとしたら、それって本当にすごい事。アティチュードのコミュニケートする力って驚異的だ。

不思議だし、勇気もわいた。

 英語圏では意見の一つとしてまともに取り扱ってもらえる内容も、日本では社会的に抹殺されている(もしくは始めっから存在しない)ので、彼みたいに影響力がある人が堂々と意思表示する事は良い事だと思った。 勇気が出た。

 私は絶対に彼が言う社会的関心事を、ナイーブな事だとは思わないし(というか、そうじゃない方が逆にナイーブに思える)そういう意見を受け止めてもらえたり、一緒に話せる人が周りに多い場所に住みたい。 要するに、いつでも出来るだけコスモポリタンな状況にいたい。 そうじゃないと見えてこない事ってあまりにも多い。 そして私は、そこから見えてくる物事が見たいのだ。

 旅行や新しい場所に行ってみたい、住んでみたいって思う事や、一週間の生活にメリハリをつけたいと思う事(例えば、都会と田舎、両方で時間を過ごす事)、そして世の中に対して出来るだけリベラルな意見を持ちたいと思う事って、根っ子が一緒だと思う。

 まだその根っ子を「これだ!」って名指す事は出来ないんだけど、この根っ子を大切に、いっぱい色々と自分の中で成長させるぞと思う。

麗艶

2010-06-19

ゆっくりとした週末

 週末なので、連れ合いの実家(森の奥)に来ている。 

 仕事の為にMacを担いできた。 窓からの景色は素晴らしく、すこぶる仕事がはかどる。

 昔は仕事をしに田舎に籠る人達を不思議に思っていた。 別荘をわざわざ買う人とか、スキモノだなぁと他人事として聞いていた。 でも実際自分が家でするような仕事(例えばグラフィックデザイン)なんかをするようになって、初めてその価値が分かった。 確かに田舎の景色の素晴らしい、森の奥にいると、不思議と集中できるのだ。 そしてどうしてもぎすぎすしていってしまう心を解放する事ができる。

 もくもくと作業をする。 平行して、平日では作れないようなプロセスの長い料理を一日かけてする。 夜には家に帰ってきたり、遊びにきた人達とお酒を呑んだり、ちょっと話したりして、早めに寝る。

 「ああ、幸せだ」と胸の中に満ち足りた気持ちが沸き上がる。

 いつか自分がどこか違う街に住むようになっても、やはり週日は都会で、週末は自然の中で過ごすような生活を保ちたいと思う。 まあ実際の所は難しいんだろうなと想像するけど、(今のライフスタイルはたまたま偶然幸福な事にこうなっているって側面が大きい)望めはそうなるだろうから、強く望む。

 そして旅行や、新しい土地に住む 希望に胸をふくらませている。 私は私の日常生活が好きなので、余計に他の地域への好奇心や想像力がふくらむ。 新しい所に行きたいな。

2010-06-17

夜の水







 東京は夜の水辺が好きだ。 これは皇居のお堀。 右側が丸の内、左手が皇居。 皇居は真っ暗。 

 東京の、中心が真っ黒になる感じや、その周りに水がたっぷりとある感じ、そこに光が降り注ぐ感じ、全てが味わい深い。

 真夜中に街を歩いていると、断絶した事になっている、その街の過去とぐにゃりと繋がる感じがする。 お化けもいっぱい出そうだしね。 暗闇の中では、特定の時代から抜け出した、どろりとした固まりみたいな、その土地を覆う空気の中に入る感じがするのだ。

2010-06-14

ぎゅっと

 お互いの体をぎゅっと支えるときは支えあって、一緒にいられないときは恋しがって。 そういう味わいを、自分の日常に与えてくれる、そんな友達は宝物だと思う。

 だらだらしてても、めりはりなくても、疲れていても、お互いにちょっと適当でも、自分も相手もオープンで、お互いにどう思われているかに不安が無くて、嘘が無い関係が築けていたら、それは本当に素晴らしい。 そういう関係持ててたら、ベストだろ。 

 その程度の誠実さを持って接してもらうだけで私はとても幸せになる。

 そして私はそう思えるような質の、仲のいい友達を結構持っている。 私は「友達」よりも「親友/ベストフレンド」の方が多い。

 ぎゅっと、ぎゅっとしあう友達。 意地悪もするし、つれないときもあるけど、でも一緒にいると嬉しいし、楽しい。 自分のいい面を引き出してくれる友人たち。

 大学を卒業して、そういう友達が身辺からがらっと減った。 年齢、環境、そんな事もろもろが影響して。 みんな就職の為に世界中に散らばっちゃったし、会社で作る友達って幼なじみとかとはどっか感覚違う。 それにパートナーが出来始める年齢だから、自分とパートナーの間の家庭への傾注に私生活の時間が使われるようになる。 急激に(私の場合は)友達が周りから減った。





 高校、大学と一緒だった幼なじみの友達とは、鏡を見るたびに二人でくっつきあって写真を撮った。 二人が一緒に写っている写真を持っているのが好きだった。 要するに私は彼が大好きなのだ。 腹心の友だ。

 ロンドンで起業をするために、最近彼はヨーロッパに引っ越して行った。 gmailやらskypeやらを開くたびに、彼が今いる場所の地名が名前の横に出る。 うらやましいし、寂しい。 一緒にいられたら良いのにと思うよ!

 そしていつも簡単にぎゅっと出来た時期の事を、奇跡のようだったと思うのだ。

 いつか長期的に住むところがきちんと決まったり、もっと他の世界と簡単につながれるような地理的状況に身が置けたら(NZ世界のはじっこ過ぎる)絶対にまた良い友達を沢山作りたい。 そんな欲求がぐわわわわーーっと盛り上がった。

2010-06-08

ひふみよ

 友達の結婚式程度では帰国しないけど(失礼)、小沢健二の為なら帰る。
今回の旅の公式な目的の一つは、小沢健二のライブに行く事だった。

 いやはや良かった。 とてもとても楽しい時間だった。

 親友と共に中野サンプラザで、素晴らしい時間を一緒に過ごしたよ。


 ある程度仲良しの友達を親友と呼ぶ癖を、人によく面白がられる。 でもみんな一番だから、どうしてもBest friendって言葉が浮かぶんだ。 距離の近い友達は、比較対象が無いから皆ベストだ。 瑞穂とケイスケを比べたり、ディランとトーマスを比べる事に意味は無い。 “私とこの人の関係の中でベストが築けている”と思えたら、ベストフレンド。


 

2010-06-07

早く会いたいね

 今回の日本の旅行で一番ワクワクした出来事は、勿論妊娠している親友に会いに行く事だった。

 彼が産まれる時(あと3週間ぐらい!)には、私は日本にはいないから、ちょっとカンニングをしてきた。 近代医療技術の発達は素晴らしいもので、今は超音波を使ったスキャンで、お腹の中が覗き見できちゃうのよね。 まだ会えないのならば、覗き見するのみ。

 「君には私が見れないが、私はばっちり君の背骨まで覗くぞ!!」って意気込みで、親友と一緒に病院へ。

 何んかの挑戦なのか?ってぐらいのながーい待ち時間(昼ご飯を食べ忘れた私達は、最終的には飢えた獣状態になった)の間、ずーっと赤様の住んでいらっしゃる親友のお腹をなでくり回し、ちょっとでも赤様が動けば、私と親友で大喜びしたよ。 親友はさすがに彼がお腹の中にいるのに慣れてきたようで、ぽこぽこと優しくだけどお腹をつついていたりした。 私はそんな勇気無いので、終止なでくり回しに徹した。 だから待ち時間長かったけど、楽しかった! 多分これからずっとこうなんだね。 何があっても君がいたら楽しい!

 ちょっと動くだけでも本当に可愛い。 っていうかなんか猛烈にかっこいい。 親友も赤様も幸せで元気なのが、横に座っているだけでもじんわりと伝わってきて、私も本当に嬉しかった。 いっぱい動いてくれて、お腹の上に置いている私達の手に、「元気だぞ!俺ここにいるぞ!」ってメッセージを沢山送ってくれた。 君の生命を感じたよ!!

 それにしてもこんなチャンスないと、いくら親友と言えども、腹の内までは覗けない。 今回、じっくり見て来ました。 いやー、腹黒かった! 暗闇に、ちらりと見える、育ちに育った、すくすくの王子様。 友人の腹の中に鎮座しとった。 もう育ちに育っちゃって、超音波は感度がすごくよく設定されているから、彼の骨やら心臓やら臓器やらの方が、どちらかと言うとよく見えた。 だから今回はまだお顔がどんな感じかとかは分からなかった。 もうちょっと前の妊娠段階の検査では顔とか分かったみたい。





 いやー、こんなデジタルな出会いをしてしまうと、今度ははやく温かい赤ちゃんをキュッてだっこしたくなるね。 はやくいっぱい握手して、チュッチュってして、面白い冗談とか教えてあげたくなるね!

 赤ちゃんが産まれる度に、誰かを大肯定出来る喜びで、胸がいっぱいになる。 「何が何でも大好きだし、大肯定!」って思える人に出会える喜び。 それは産んでくれたお母さんにもそうで、これまでのお前様のどす黒く、けれん味に満ちたファンキーなライフを、友人としてもう、大大大肯定だよ。 でかした! 君、でかした!!

 勿論彼の母親の友達っていうレベルでだけれども、出来る事はなんでもしてあげたい。 私に出来ない事は沢山あるから(一人の人に出来る事なんて限られている)、頑張って出来る事はいっぱいするよ。 おばちゃん、一生懸命なぞなぞとか覚えるよ。 あと、一発芸とかも身につけるよ。 いろんなことを一緒に経験しよう。 母親の女友達としか出来ない遊びってのもきっとある。 世界で一番幸せな人になっていただきたい。 そして、勿論親友にも世界で一番喜びに満ちた親体験を満喫してもらいたい。 これからもいっぱい一緒に遊ぼうね! おめでとーーー!

2010-06-06

雨降りしとしと

 せっかくの週末なのに、雨降っていて残念。 連れ合いとくだらない曲をレコーディングして遊んでいる。 すごいあげあげな感じだけど、実際は全然こんなにあがっちゃいない。 普通の雨降りの日曜日。


2010-06-03

成田→東京

 短期間で帰国するのはいつも楽しい。 前の日まで働いていて、飛行機に乗って、ふと目を閉じて開けたらジャパン。 小さなワープ。

 空港からして既に、違う体の動かし方をしている人達がいっぱい。 そして売っている雑誌の特集が非常に独特。 そして日本語で溢れかえっている。 着いたその瞬間からワクワクする。 なんて独特なんだ! 全てが緻密で、丹精。

 そして成田空港の物語の無さ。 ヒースローやJFKとは明らかにロマンチシズムの量が違う。 (はたはたとたなびくプロ市民の人達の空港に対する抗議活動のプラカードの持つ物語。 まあ、ある種の昭和の物語は強く感じる。) ただそこから大量に日本各地に繋がって行くバスや電車の持つ強烈な旅情。

 成田エクスプレスの窓から見える、緑豊かな水田や、森や畑。 この数をきっと無限と言うのだと思わさせられるような、大量の葉っぱ、葉っぱ、葉っぱ。 日本のデリケートで小振りな植物たち。 そこに広がる、小さな、小さな、でも大量の葉っぱ。 豊かな、豊かな景色。

 いつも成田から千葉市内に入るまでのその田園風景を見ながら、この景色を力強く、堂々と、美しいんだと言えるような社会になったら、結構今社会にあるジレンマは多少は解決されるのじゃないかと、ナイーブに考えたりする。(でもナイーブさって大切だ。 ある種のナイーブさは正論に繋がっていると思う。)

 窓から見える景色の、美しさ、奇妙さ、歪さ、豊かさ、貧しさ。

 こんなにツルツルピカピカのスーパーファインな電車が作れる位の知力があるのに、大国の首都に繋がる国際空港を成田に建てちゃう愚かさ。 興味深い。

 そして電車は極端に人工物を使った発展を遂げた都市部に突入して行く。 たまに日本の人で「日本人の自然観は特殊である。 そして優れている。 自然崇拝。 八百万の神々。 自然を超越し、自然に打ち勝つ事を目的とした西洋とは違うのだ。」と言う人がいる。 まあ、理論的にはそうなのかもしれないけど、実践レベルではどう好意的に見ても、言ってる事とやってる事ちぐはぐだよなと思いながら眺める。 このエピソードは私に「ものは言いよう」という言い回しの意味を教えてくれる。 そして"西洋圏"以外で行った事がある全ての地域の人達が、全く同じ事を言っていたのを思い出して、これは「とりあえず言っておけ的」な説明なんだろうと推理する。 トンガでも、韓国でも同じような自然観に関する事を人びとは言っていた。 それが八百万かどうかはさておき。

 大量の団地やらマンションやらが立ち並ぶ景色を見ながら、その中で生活している人たちの事を想像する。

 丹精な小さな明かりたち。 その中に、沢山の人びとの一回っきりの人生がある。

 人びとは様々な事を考えながらも、多分、この電車で3時間ぐらいの移動距離の内側での常識や、通じる言葉、プレッシャーに形成される環境での日々を過ごす。

 そしてこの短い移動距離の間にそれこそ、私には想像もつかないほどの自由さや、喜び、伸びやかさや愛情がひしめいているのだなとも思う。

 実家の門をくぐると、私は日本の内側にいて、もう、外側からどう見えるかとかはうっすらとした記憶になる。 
 

2010-06-02

踊る

 昔の同居人と、彼の友人たちが作っているブログ'History of Our World'がとても良い。 私は耽美とかゴシックとかからほど遠い人間なので、身近な人間がその役割を担っていてくれた大学時代は、今思い返せば極端な美しさを伴った瞬間が多かった。

 そんな彼らのブログの昨日の記事がたまたますごい偶然で暗黒舞踏についてだった。 彼らのブログ上にて久しぶりに暗黒舞踏の写真を見て、私は日常的に「こんなもんだよね」とか「あってあたりまえの表現方法」と、どれだけ多くの優れた表現をなめてかかっているのかと反省させられた。

 これからもそうやって沢山の世界の切り口に、私は生々しく出会い直すだろう。 時には他人が促してくれて、時には私の生そのものがその切り口につまずく事によって。 そう考えると、寂しくないね。

 最近芸術表現者たちの訃報が続く。 ピナや、ブルジョワや、そして昨日の大野一雄さん。 今朝、大野一雄さんの訃報を知った。 死神みたいに死者周辺にわき上がる物語に集ったり、死や消滅に伴うドラマに酔いしれたりはしたくない。 ただ、それでも一つの巨大な才能と、表現を、そしてその生を祝福したい。 今、'History of Our World'を見ながら、大野さんに対する歓喜、称賛、喝采が私の中でやまないよ!

 ブラホー! ブラホー! ブラホー!