2012-06-29

6.28 2

それにしても日本帰ってきてから毎日が楽しい。

それは多分久々に罪悪感から
解放されているからだ。

NZにいた時は遠くにある日本が
本当に悲惨で悲劇の真っ只中に見えた。

国外で被曝もせず地震も感じず
のうのうと暮らしてるのが苦しかった。
何かずるをしているような気がした。

心から楽しい気持ちにはなれなかった。

だから日本にいる事で、
逆に久しぶりに罪悪感のない毎日が過ごせて
気持ちがとても楽なんだろう。

自分の大好きな人達に
どんな災難がふりかかっても
幸せで強くいろってのはおかしい。

でもそれで自分が駄目になるのもおかしい。

震災以降そのジレンマでぐちゃぐちゃな気持ちになっていた。

乗越えたいけど、乗越えられない。
だって、相手を見捨ててしまったような気分になるから。

この考え方が変なのは分かる。
でもどうもフィックスできなかった。

だから私は日本に帰ってきた。

このままでは私は一生心配に呪われた、
ふっきれない不幸な人間になると思ったから。

日本に滞在する事にしているこの一年間で
私は強く、強くならなくてはいけない。

この島にいる間に
この島の住人たちなら「絶対大丈夫!」って
強い希望を見つけ出さないと
多分本当に私は受け身で、
悲劇に圧倒され続ける人間になる。

良心と希望を見いだせる強さが欲しい。

ある種の親離れ、独立のトレーニングなんだろう。

丁寧に生きて、毎日良心と希望を見つけ出して、
どこにいても、すくっと立っていられる人にならなくては。

6.28


仕事が終わる頃は、NZの深夜。

家につく頃にはあっちではみんな寝ちゃうから
職場から駅までの間歩きながら話す。

その時間がすごくいい。

今日はトロンと話した。

彼とは毎日何回も(それこそティーンエージャーみたいに)
テキストメッセージを送りあってるけど
声の持つインパクトって全然違う。

彼の人生相談を聞きながらも
嬉しくって気持ちは上の空。

「ごめん、
大変なのも大切なのもわかるんだけど、
今私トロンの声が聞こえて、
あんまりにも幸せで!
トロン大好きって気持ちしか浮かばない!」
としか言えなかった。

そうしたら相手も
「そうだよね!俺もそう!いますごく幸せ!
心配事の相談なんてもう良いや。」
と返してきた。

なんともプリミティブな会話。

犬が二匹散歩で出会って
尻尾をすっごくふっちゃってる感じ。

それ以上でもそれ以下でもない。

尻尾ふりまくり!

人生、all goodな気分になる。

--

その後乗った電車で右隣にいた
すごく綺麗な格好をした
おばちゃんグループの内の1人が
「私の実家は北茨城で放射能とか
原発の影響がすごくて大変。
あちの親戚が心配で。
って切り出していた。

他のマダム達は
「まー大変よねー。姪御さんとか大丈夫なの?」
なんて言ったりしてて。

左隣に立ってたこざっぱりとしたスーツを着たおじさんは
「首都直下型地震 震度七で東京壊滅!一億玉砕!」
って感じの雑誌の記事を熱心に読んでいた。 

ファーック!
何これ、SF?

そうだ、そういや今って震災直前で、
放射能の影響を感じ始めるまでの
執行猶予中なんだよなと急に現実に引きも出された。

2週間日本で働いただけで、
そういう危機感みたいなのが無くなった。

仕事って社会との接点であると同時に
最大の断絶でもある。

2012-06-28

6.27

帰り道に夫から電話がかかってきて
すごく幸せになった。

夫と話すと気持ちががらっと切り替わる。

一緒に住んでいる時も
この威力はすごいなと思っていたけど、
単身赴任をはじめてみたらより強烈になった。

自分の人生が戻ってくる。
仕事から、ばつんと切り離してもらえる。

これってすっごいマジカルな事だと思う。

一部の友達もそう。
朗らかで、気持ちがよくて、
ポジティブな友達と話すと
気持ちがすっごく切り替わる。

こういう感覚が多分人生をまわしてくれる。

6.26

●まず、夫が恋しい。

彼自身も、彼の夫的なるものも恋しい。

包み隠さず良心をさらけ出せる信頼感。
協力。 友情。 愛。 触り放題な相手の体。

これで夫的なる質だけが恋しくなった時
遠距離恋愛は終わるんだろうなぁ。

●日本での生活はまだ新鮮で興味深い。

●「まぁきっとこれが日本での最後の長期滞在だから」とかって
自分に浮遊感を持たせるために、よく思う。

本当は"仕事と私"って距離のことですら
"日本と私"って漠然とした距離感にして
緊張や圧から自分をはぐらかしている。

そして、仕事での目標やゴールが見えなくなる。

そういう態度でいるといい伴侶にはなれないと思う。

そんな漠然とした女、妻だったらいけてないから。

● 私の会社の目的の一つは、典型的なロマンティシズムを破壊する事だと思う。 破壊して、破壊して、破壊して。 それが業務内容。変な仕事だなと思う。 私は破壊するよりも、育みたい。 けど、珍しいチャンスだから今は破壊行動に協力する。 でもなぁー、なんか私も破壊されそう!

2012-06-26

6.25

職場の隣が、有栖川宮記念公園なので、昼に歩きに行く。

ここはあんまりニュージーランドの公園っぽくない。

日本っぽい公園。
でもすごく綺麗。

公園の中には図書館があって、そこが結構気持ちがいい。

出来るだけ仕事に、自分自身が吸い込まれないように気をつけている。

あと、夜の広尾の雰囲気はとても良い。

さてさて、私の大好きなユウジロウ君はいつになったら東京に戻ってくるのだろう。
広尾/麻布メイトとして、夜ワインやらコーヒー飲んだりしようよ。

6.24

親友と大好きな日比谷公園に行った。 

私のオークランドの家は
街のど真ん中にある巨大な公園の横にあった。

日比谷公園とその公園はとても良く似ている。
植物のタイプとか、高さとかが。

私にとっての「あー、落ち着く。」がそこにある。

銀座からとことこ日比谷に向かい、
日比谷公園をつっきって、皇居に行き、
植物やら水やらを見ながら丸の内に歩いて行くってコースが好きだ。

こてこての日本(いかんせん皇居で国会議事堂で東京駅)なんだけど、
物のサイズがニュージーランド的ですごく心地がいい。

親友と二人でちんたら、コーヒーを飲んだり、
ワインを飲んだりしながらとことこと歩く。
テラス席が気持ちがいい季節。

もっと暑くなったら、元町公園プールに行こうっと。
今から楽しみ。

2012-06-24

6.23

友達のパーティーに行った。
すっごーく良かった。

まさに東京”な夜。

そうだ! 東京ってこういう感じだった!と
私の中の東京ボタンが押された。

"ブロンドの、ジュリアンアサンジと同じ髪型で
全身トム・フォードの神がかったスーツを着た、
ウルトラファッショナブルな
私より数倍日本語が上手なゲームおたくの
南部出身のエリートアメリカ人(ヘテロセクシュアル)"とか、
「これは東京でしか会えない」って子たちが沢山いた。

それで皆口がたって、言う事なす事うける。

東京にいる一部の人達の振り幅の広さは半端なく、
そしてそれってウルトラクール。

こういう東京のダンディー達大好き。

その後、女友達と深夜のデート。
「どんな結婚式がしたいか」等、
乙女な会話をする。

遊び方とかは私の方が奇を狙った感じでプレイフルなんだけど、
人間関係の濃度や経験値なんかは彼女の方がずっと上。

「えー! そんな事が…!」とか
「えー! そんな男が…!」と
啓蒙していただく。

東京、最高。

2012-06-23

6.22 2

デモからの帰り道、永田町、国会議事堂、皇居、お堀、日比谷公園、帝国ホテル、銀座と、私の大好きなエリアを通って帰った。

私は夜のそこらへんが大好きだ。
光の感じが本当に美しい。
闇の色が素晴らしい。
美しい、美しい、東京の一角。 

デモして、夕飯食べて、散歩して、酒飲んでって、市民としてのアクティビティーが補完される地帯である。

昼間は広尾や麻布で働いて、夜はオールド東京で遊ぶ感じがベストだと思う。

で、週末は湘南鎌倉で、海見ながら禅寺で散歩。

要するに、比較的植物がはえている
オールドエスタブリッシュメント系のエリアが好きだ。

私はウルトラ俗物。

そんな俗物人間もデモに参加する。 
それぐらい、ファックなシチュエーションなんだよな。

6.22

男友達と会社帰りに会う。

官邸前のデモに行ってきた。

デモに参加していた人の数はすごかった。
主催者発表45000人。
見渡す限り、人、人、人。

参加していた人達も、そして警察官も(人生でこんなに多くの警察官を一気に見たのは始めてだった)とても若かった。 みんなどこにでもいそうで、ぱっと見は「何も考えていなそうな今時のお洒落な若者」だった。

やっぱ、これから子供が産みたいとか、子供が育てたいって世代にとって最も切実なイシューなんだよな、というのを実感。 育欲がピークの時期に原発事故とかあったら、ファックユー状態になるのは当たり前だ。 「私は自分の国で、子供が育てたいんだ! ファックユー!!!!!」ってなるよ。

自分よりも若い警察官の子たちを見ながら複雑な気分になった。







この歌の三人の関係は、俺(私)、女(日本社会)、金持ちの男(原発続けたい人)に思えて、聞きながら感情移入してしまう。 ファック ユー!

6.21

品川駅構内で友人と会う。

夕飯を食べて、コーヒーを飲む。

これを言ったら相手にとって
きついだろうって事を、
良い友達でいたいから言った。

傷つきやすさは人によって違う。

夫や同僚になら、確実に言えるレベルの私の意見が
友達になると急に言えなくなったりする。

特に仕事とかキャリア関係はそうだ。

夫は運命共同体だから、
包み隠さずその事を話せる。

同僚は似たような物が欲しい相手なので、
やっぱり簡単に話せる。

友達とは立場や考え方が違いすぎて話せない事が多い。

でも、たまには言わなくちゃいけないと思う。

どう切り出して良いか分からなかったから、
私の以前のインド人の同僚(口うるさくて、ぶしつけで、距離感のない奴)を自分に憑依させた。

品川駅にいた内面インド人な日本人女性。
それは、私。

6.20

誰も帰らないオフィスで「私は一体何時に帰ったら、評価を下げずにすむのだろう」と思いながら、キーボードを叩く、夜8時。

6.19

HBO制作のGirlsのシーズンフィナーレを見た。

Girlsの最後のエピソードは本当に面白かった。

出てくる男の子たちが本当に良くて軽く欲情した。

出てくる人達が皆、本当にそこらへんにいそうなタイプで面白い。

そして私は、皮肉しか言わない登場人物の1人に、
以前好きだった人の事を重ねてしまい、
ちと考え込んでしまうのだ。

愛ってのは無条件にずっと続く情なのだろう。
愛してしまった人の事は、
その後どうなっていても
一生許してしまうし
愛してしまうものなのだと思う。

それってすごい。 
そんな人が自分の人生の中にあるってのは奇跡だ。

まじで、これを増やすのが人生の目的なような気すらする。
それ位に、別れてようが繋がっていようが、
愛した人がいるってのは素晴らしい。

6.18

仕事初日。

色んな迫力にのまれ、圧倒される。

自分自身の能力では絶対に見れない景色や、考えに浸かれる場所であることは確か。

とても、とても圧倒されている。

6.17

中間休暇最後の日。

次の日に始める新生活に緊張しながら、友人と展覧会を見たり、
とても美味しい食事を食べたり、呑んだりしながら過ごした。

この日見た展覧会は生気がなく、
来ている観客達にもたいした覇気やエッジーさはなかった。
教養で見に来ている感じの人達。

建物や展示の方法が、
自由さや気楽さを徹底的に抜き取っている。
それなのに美術館っていう不思議な場所。

なんだかなー。
まったくもって今みたい世界でも、
感じたい空気でもなかった。

その時点で現代美術じゃないと思う。
「私だけの力では絶対にこの景色は見れなかった!」っていう
芸術家の力への畏怖みたいなのがあんまりわき上がらなかった。

夜は気が合う友人たちと呑み会。
性癖の話しになった際に、
結構自分では考えた事がなかった世界観がそこには開けていて、
かなり面白かった。

私のセックスや、私の対人関係ってつまらないなと思った。
フォントで例えてみたら「教科書体」みたいな、
かまととと、奇妙な正義感の混ざり合った感じが、私の性だ。

まぁ、突然は変われないから、
今はそんな自分を受け入れるしかないけどね。

いやはや、興味深かった。

6.16

日本に帰ってきて少々の時間が流れた。
勿論、圧倒されている。

クリシェだと思っていた事が、本当だったと気づく。

例えば日本の住宅事情。
狭いとか高いとか聞いていたけど本当だった。
実家を出た貧乏な若者が健康的な生活を送るのって非常に難しいのだね…。
ってか、若者って部分関係ないか。
若者だろうが、歳取ってようが、
貧乏人には辛いですねって話しですわね!

あー、なんか圧倒的!

基本的に遠くの小さな緑豊かな街(鎌倉、レイストン、ウェリントン、オークランドなど)出身の私としては、東京のぐちゃぐちゃ感はしんどい。

6.15

日中鎌倉で過ごし、夜は横浜に出掛けた。

久しぶりに一日をゆっくりと過ごした鎌倉は新緑豊で非常に美しい。

庭で洗濯物を干している間もウグイスの歌声が聞こえる。

鎌倉は家事がとても楽しくなる街だと思う。 ふと、ここで子育てをしたり、主婦になったり、老後を過ごしたりしたらとても気持ちがよくて五感が満たされるだろうなと思う。

で、「ああ、でも津波も来るし、放射能も飛んでるし、食べ物も汚染されているし…」と暗くなる。

3.11以前と以降の価値観がぐちゃぐちゃと混ざって、混乱する。

そんな中でも一日、一日を喜びながら暮らして生きたいと思う。

悲観的でいないと、現実を見ていない馬鹿であるって態度は受け入れがたい。

6.14

8年ぶりに日本に帰ってくる事になった。


一日一日を大切に暮らそうと思う。

2012-06-22

すっごく

好きな人がいる。 それだけで、結構人生が上々。
愛の力ってすごい。

仕事

楽しい。

2012-06-14

圧倒的に日本

日本に帰ってきて少々の時間が流れた。
勿論、圧倒されている。

クリシェだと思っていた事が、本当だったと気づく。

例えば日本の住宅事情。
狭いとか高いとか聞いていたけど本当だった。
実家を出た貧乏な若者が健康的な生活を送るのって非常に難しいのだね…。
ってか、若者って部分関係ないか。
若者だろうが、歳取ってようが、
貧乏人には辛いですねって話しですわね!

あー、なんか圧倒的!

2012-06-08

引っ越しについて その6

ここはゴミ屋敷だったのかと呆れ続ける、この数日間。 捨てても捨てても、出てくる出てくる、ゴミ、ゴミ、ゴミ! いやー、本当に、ゴミに家賃払ってた感じだわぁ…。 

まだ使えるものは、寄付に回し、これはもう捨ててしまっていいと思う物はじゃんじゃん捨てている。 この小さなアパートに、よくもここまで不必要なものが隠れてたもんだ!

最初は物を手放す事に抵抗があって、かなーり自分を説得しながらやっていた。 でも途中で、作ってもらった額縁や、マウントしてもらったお気に入りの絵画は日本に持って帰ろうと決めてから吹っ切れた。 量としては少しであっても、とても大切で良いと思っている物を所有できるのであれば、他の物は捨ててもかまわないと思えたのだ。 それ以降は、じゃんじゃん仕分けしている。

丁度いいから、CDやDVDにバックアップしていた大昔のデータ(それこそ10年ぐらい前の写真とか)をハードドライブに移行。 昔の自分を見て、マジでびびる。 何、この、変で気色の悪い女。 その衝撃に、思わず自我の芽生え2012。 やっと、私は私がどの程度の人間か分かったかも。 夫にまで冷ややかな大笑いをされたよ。 マジで勘弁だよと、一時間ぐらい自分について落込む。 今の自分も、当時の自分が気づいていなかったように、十分変な女である可能性はある。 さいあくだ! よく皆友達でいてくれるな。 あ、だから友達少ないのか、私、なるほどね! 引っ越しって、傷つくわー。


2012-06-07

三年半で得たもの

引っ越しの合間にうちの一階に入っているカフェに行った。 とても美味しく、自然美に溢れた、お洒落なカフェだ。 そこでコーンフリッターを食べながら、その美味しさに身もだえる。

 私の家は大きな公園の向かいに立っていて、窓からはNZ独特な巨大な植物達が見える。 そして一階には、上にも書いたカフェと、大好きなベトナム料理屋さんが入っている。

 オークランドの中心部までは歩いて2分。

 年期の入った厚い木の床に、漆喰の塗られた白い壁。 システムキッチンやカウンターは厚い木と、鉄で作られている。 室内の温度はいつも心地よくて、天井には大きなファンがついている。 シャワーの水圧も最高に良い。 作り付けのベネチアンブラインドも、厚手のカーテンの色も、とても好みだった。

 私はこの家が大好きだった。 社会人になって得た物の象徴のような場所だった。

 心地よさと安心の象徴のようなこの場所で、恋人と二人ケラケラと笑いながら過ごす事が出来たのは、本当にあっぱれな経験だったと思う。 良かった、本当に良かった。 これまで沢山の家に住んできて、その中には数件結構思い出が残っている。 高校時代の森の中にあった家、大学時代のヴィラ、オークランド時代のこのアパートメント。

 これからも窓からの景色が良くて、心地よくて、面白い場所に建っている場所にいっぱい住めると良いなと心から思う。

 東京でも良い家探すぞー!

2012-06-06

引っ越しについて その5

捨てづらいもの


手帳とか、デザインのネタ帳。
非常に捨てづらい。

でも重量的にはとても重い。

一生自分の身の回りにとどめておける物なのかと考える。

この引っ越しで運んでも次の引っ越しではもう運べないかもしれない。

その際に捨てるんだったら、
今捨てても良いじゃんって気もする。

自分の過去の手帳やネタ帳なんて開く時は引っ越しの時位だし。

でもなんか処理しづらい。

読み始めると、記憶がぐわっと甦り自分の人生の濃度が増す。
過去のディテールが甦る。 自分に出会い直したような気分になる。
なぜなら私はすごく忘れっぽいから。 
メモから位しか、物事を思い出すきっかけがなく、
多分、この手帳やネタ帳を捨てるというのは、
自分の記憶を捨てるのと一緒なのだ。

さすがに捨て魔の私もこれは取っといた方が良い気がしてきた…。
そうだ…、飛行機の手荷物で運ぼう。

取っておこう。

捨てなくちゃ行けない時がきたら捨てよう。
そういう物が少しはあっても良いと思う。

引っ越しについて その4

とりあえず手放すプロセススタート

何よりも先にまず、いらない物を片付ける必要がある。
大雑把に手元に残すもの、手放す物を分け、
次に手放し方を考える。

本の場合は寄付が一番手っ取り早い。
英語の本の場合は、どんな図書館にも持っていける。 なんなら古本屋さんにも売れる。
日本語の本の場合は、私が知っている限り二カ所寄付出来る場所がある。

一つはオークランド市立図書館。
もう一つはオークランド大学図書館。
(オークランド工科大学でも日本語を教えているから、もしかしたらそこでも受け取ってもらえるかも)

まず最初にオークランド市立図書館にがさっと持っていった。

そしたら態度がすごく悪かった。 「受け取っても良いけど、使わないかも。 捨てるかも。」って感じの事を永遠と繰り返し言われる。 英語版ドクメンタの記録本(表紙にはマガジンとタイトル付けされていた)を見て、「これなんかは確実に使わないわ。 捨てる事になるわ。 雑誌だし。」といわれ、「ドクメンタ知らないのかお前は! 司書だろ!! しかもタイトルにマガジンって言葉が含まれてるだけで雑誌じゃねーよ!」と無性に腹が立った。 全く…! 「私は怒るべきではない。 私は怒るべきではない。 私は相手に対して残念だと思うべきなのだ。 相手に対して、残念だと思うべきなのだ!」とマントラのように唱えながら帰宅。

次に残りの美術関連やデザインの日本語の本をオークランド大学図書館に持って行った。

そこでの対応はすごく良くて、気持ち良く本を渡す事が出来た。 しかも本を図書館で使う事になったら私の名前の入ったシールを貼ってくれるらしい。 ありがとう、オークランド大学図書館。 君らには品がある。 

オークランド市立図書館ももうちょっと頑張ろうぜと思いながら、本の片付け終了。

次に服。 

これからも着るだろうって服以外は全部処分。
洗濯、アイロンがけをしてから、
ブランド品はブランド品専門の古着屋に、
その他の日常使いの服や靴は
全部Auckland City Missionというホームレスの支援活動をしている組織に寄付してきた。 

私はだらだらと日常を過ごし、本当はもっと行うべきだった社会貢献をほとんどせず過ごしてきてしまったので、こうやって小さな規模ではあるけど何か出来てよかった。

って事で、だんだんと荷物は減ってきている。

つづく…

引っ越しについて その3

前の記事にも書いた通り、いらない物を捨てまくった後は、以下の三つのカテゴリに荷物を分けなくてはいけない。

A. 夫が引き続き使うもの
B. 夫の実家に預かってもらう荷物
C. 日本に持っていくもの(60kg以下)

まずAの夫が引き続き使うもの。
  • 調理道具及び調味料
  • 食器
  • ダイニングテーブルと椅子
  • ベッド及び寝具
  • 本棚やらデスク(元々夫の物)

次にBの夫の実家に預かってもらうもの。 これは別れるかもしれないという事もふまえなくてはいけない。 もし相手に廃棄してもらう事になった際に迷惑はあまりかけたくないのであんまりそんなに沢山は残せない。
  • ドライヤーやヘアアイロンなどこっちの電圧でしか使えない、そして夫は使わない電気系小物
  • 大切な重たい本
  • ハイヒールやヒールのあるブーツ(こっちではいつも履いているけど、日本では地震が恐いから履かないと思うので)

次のD、日本に持ち帰るもの
  • コンピューター関連
  • 飛行機で読む為の本
  • アクセサリー
  • コンタクトレンズやら化粧品やら

日本に持ち帰る物は、基本的にここから数年感以内で消えていく消耗品である。 
これが数年後の自分への優しさだ。 次の自分の引っ越しが困らないように、今出来るだけ捨てる!


つづく…

引っ越しについて その2


今回私がNZ、日本間で持ち運べる荷物は60kgだ。
飛行機で預けられる荷物が40kg、持ち込める荷物が20kgとなっている。


今回はNZから一度撤退なので、60kgに収まらなかった物は一部をのぞき廃棄となる。


こういう時は、考え方の切り替えが必要になる。
捨てる物を選ぶというよりかは、
持っていく物を選ぶという態度でいた方が、精神的ダメージが少ない。

また無邪気に60kg分の荷物を日本に持ってかると、次の引っ越しが確実に辛くなる。

大抵エコノミーの場合、飛行機で持ち運べる荷物は30kg位だ。

今回はたまたま格安のビジネスクラスのチケットが取れたから、その倍の荷物が持っていける事になっているだけで、次もこうだとは限らない。 日本に住んでいる間にも荷物は増えるのだろうから、はじめっからそんなに荷物を持って行ったら、次の海外引っ越しが辛くなるだけだ。 ここで欲張ると後で痛い目にあう。

要するにこのゲームは、物を極力減らせるだけ減らせたら勝ちというルールの上に成り立っている。


私の持ち運ぶ荷物で重たい物は、
1.本
2.靴
3.ジャケット
って感じ。 

なのでこの3つを集中的に捨てる事からゲームは始まる。
今回は機内で読む本数冊以外は全て寄付及び廃棄する事にした。

本なんてだらだらいつまでも持っていても仕方がない。
靴やいらない服もジャンジャンと捨てている。

そしてその次に3つのタイプに分類する。

A. 夫が引き続き使うもの
B. 夫の実家に預かってもらう荷物
C. 日本に持っていくもの(60kg以下)

つづく…

引っ越しについて その1

いつか引っ越すんだから、荷物だけは増やさないようにと気をつけながら暮らしてきた。

それでも3年半も同じ街に住むと結構溜まる。

今、そのあまりにも理性的じゃない荷物に立ち向かっている最中。
うんざりよ!

子供の頃の私は典型的な物が捨てられない人だった。
本当にグロテスクなほどごちゃごちゃちまちました物を持っていた。
今思うとそのアニマルな空間や金銭の使い方に
罪悪感で胸が押しつぶされんばかりである。
なにかに呪われていたとしか思えない。
それがもったいないお化けなのか、貧乏神なのか、
キャピタリズムなのか分からないけど、
絶対私は何かに取り付かれていた。

さすがに何回も引っ越しをして、物への執着とか依存、愛着は抜けてきたと思う。
そして自分が物を作り売るようになってから、かなり呪いはとけてきた。
物が作られて売られるからくりみたいなのをよく見ると
物への信仰みたいなのは消えていく。

なので、以前と比べると圧倒的に物は少ない。
それでもやっぱり自分では運べない程度にある。

夢が叶えば今後も繰り返される事になる、引っ越し。
忘れない為にもその記録をしておこうと思う。

全てを好きになるのは不可能

そんな単純な事を、近い対象な程忘れてしまう。 

全てを好きになるのは不可能だし、不自然。

日本関連のニュースや、日本文化、言い回し、考え方、
その中には勿論好きになれない事柄が沢山ある。

そういうものに出会う度に、
「あぁぁ、無理だ…! 無理だ! 嫌だ! 日本住めない!」とパニックになる。

イギリスにもニュージーランドにも、私には許容出来ないから、
意識的にだったり、無意識でだったり、選択して無視している事柄は沢山ある。

同じ事を日本にいるときもすれば良いのだ。
同じ事を、トレーニングして、出来るようになれば良いのだ。

海外にいる時に簡単に出来る事が、日本に帰ると出来なくなるってのは甘えだと思う。


誰も私に「全てを好きになって、全てを受け入れて、全てを喜べ!」なんて頼んではいないのだ。


全てを好きになるのは不可能。


そのことを理解出来ないで、日本に対して変な拒絶反応をもったり、甘ったれた子供みたいな文句を自分が言い出したら、きちんと対応しなくてはいけないな。


2012-06-01

私、頑張った

今日でこのお仕事は最後。 退社、退社。

はぁー! 私、頑張った。

清々しい。

自分自身をギュッとハグして、「頑張ったな!」と言いたいよー!