一人仕事を決めて旅立ったかと思えば、一人仕事が決まらず帰ってきた。
「俺、中国行ってみる!あそこで働いてみたい!」と言って、一ヶ月前に旅立ったクラスメイトは、「あそこだけは勘弁だ」と言って帰ってきた。 肌に合わなかったらしい。 もー、なんだか情けない! でも嬉しい! それにとりあえず興味があったからって理由で現地にちゃんと行ってみただけでも偉いと思う。
国内線乗り継ぎの為にオークランドに彼は止まってくれて、今日会って来た。
会ってその場で進路相談。 「世界で一番雇用がある国から、世界で一番雇用がない国に戻ってきやがって」と私が悪態をつく。 でも彼は元々本当にマスプロダクションされるための工業デザインをやる気がなかったので、中国じゃないだろうと私も思っていた。
元来のしっかり者の彼は、まだ仕事が決まっていないことにかなり焦っていた。 横にいて複雑な気持ちになる。 焦っても何か状況が変わる訳じゃない。 問題は何をするかだと頭では思う。 でも気持ちもわかる。
そしてその後、教授と、中国で工業デザイナーをしている彼の息子も来た。 工業デザイナー四人で集まり、進路とかの作戦会議。 結構教授が厳しい事をクラスメイトに言っていて驚いた。
「君が履歴書をただ送るのが簡単なように、履歴書だけ送られてきても、相手は簡単に断るよ。 ちゃんとその事務所を知っている人を探して、仲介してもらって会って履歴書とポートフォリオを渡しなさい。」とか、「最初はただ働きでいいので、自分が会社にどれだけ貢献できるか知ってくださいって言って働かせてもらいなさい。」とか、「明日自分がコンサルタントをする会社に連れて行くから、そこでちゃんと自分を売りなさい。」などなど…。
うーん…。 やってみたら、自信もついていくんだろうし、どんどん強くなれるプロセスだと思うけど、話として聞くと怖いよなあ。 多分自分もそういう事をこれから何回かはしなくてはいけなくなるのだろうと思う。 そういう事の繰り返しのジュニアデザイナー時代が終わったらまた違う意味での挑戦とかがあるんだろうし。
これからそういう事をする彼と、そういう事をしまくってオランダに仕事を見つけた彼と、簡単に仕事を手に入れた私と、どっかで差が出るだろう。 何が幸運なのかはわからない。 元々打たれ弱い私は、そういう状況に投げ出されたときに大丈夫だろうかと考えた。 うーん、どう考えても大丈夫じゃないだろう。 そんな時に唯一の自分の支えになってくれる「いい経歴が乗っている履歴書と推薦状」のため、今日がんばらなくては。 じゃないと未来の私は今の私に怒るだろう。
息子さんが中国での体験を聞かせてくれた。 従業員五万の工場とかあるらしい。 工場の向かいがその人たちの住む町になっていて、みんな同じ制服を着ているんだって。 まあ、この話はただの「へー!」の一環なんだけど、いろいろ刺激的な話が多くて面白かった。 分業が進みすぎて、これ以上作業工程を割る事はできないってぐらいに単純化された仕事をして、町中みーんな同じ工場で安いヘアドライアーを作っている人たちでって想像してみる。 「そういう状況だとデザインってのはただの絵だと思われるんだ。 天才的な人が三秒ぐらいで絵を書いて、それを法外な値段で売りつけてくるっていう風にしかビジネスサイドの人には思われないんだよね。」と嘆いていた。 でもそんな状況だから挑戦が多くて楽しいそうだ。 私のクラスメイトはそういう状況をみて、絶望的な気持ちになったそうだ。 両方の気持ち、すごいわかる。 どっちも間違ってない。
久しぶりにデザイナーだけに囲まれて、いろいろと考えさせられた。 怖いけど、愉快だった。 不愉快な事が多い世の中、自分のコミットしている分野を面白いと思えてよかった。
多分、これからもずっと仕事ってのは楽しいけど不安定で、それがいろんな形でプライベートの人生にもハネッかえってくるんだろう。
とりあえず、一回ちゃんと行ってみたいと思った場所に行って、なんだかの方向に心を固めたのは偉い。 お帰り友達、これからも頑張ろう。
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