2010-08-23

鉄平

多摩美にいた頃、鉄平見たさにMTV見まくっていた。

YUKIちゃんの物まねをする鉄平、幼少期に家族の食卓で「お母さんはお父さんのチンコくわえるの?」と聞いたんだよねけろっと言う鉄平、ささやき戦術で「恋に臆病になっているんだよね」とほざいた鉄平。 全てが笑えた。 そして「こうありたいものよ」と思ったもんだ。

そんな鉄平が癌になった。 自分のラジオ番組とブログで、癌になった事を発表した鉄平。 なんて潔くて正直なんだ。 そんな所まで鉄平らしい…。

若いのに癌。 癌って、身近な病なんだなぁ…。

鉄平、鉄平、鉄平。

頑張れよ鉄平。
元気玉鉄平に送るぞー。 鉄平! 今日本中のMTVっ子が元気玉送ってるぞーーー!! 鉄平ーー!

2010-08-22

夢の病院を作ろう


 時々ここで買物をする。

 会社に入って初めて、世の中の多くの人がなんだかの形で定期的に、そして積極的に募金や寄付をしていると知った。 学生は寄付されて暮しているようなものなので、全く知らなかった。

 稼ぎ始めると、周りの人達とお金の話しをする事が増える。 全体の何パーセントを貯金に回しているかとか、どれぐらいを短期間で消費する目的のお金として取り扱っているかとか…、そして何パーセントを寄付に回しているかってのも出てくる。 人によってはどれぐらいを祖国にいる家族/親戚に仕送りするかってのも含まれてくる。

 一部のキリスト教教会に属している人達は、義務として収入の10%を教会に寄付する。 ポリネシア系の人達の行く教会にそれが多く、彼らは当然の事として収入を寄付して行く。

 そしてたまにそれは職場で、ディスカッションの対象になる。 何故お金なのか。 人に捧げる事が出来る自分のプロパティーは、時間であったり、思いやりであったり、一緒に考えてあげる事であったり、代わりにやってあげる事であったりもする。 お金でなくても良い訳だ。 無批判にお金を誰かに渡すってのが、結果としていい事に繋がる訳じゃないってのは、これまでのエイドなどでの結果で誰しもが知っている。

 祖国の人びとに仕送りをしている同僚は、親族に「お前馬鹿じゃないの?!」っていうお金の使われ方をしているのを知り心を痛めている。(親に何年も仕送りしてもらい、「お前本当に馬鹿だろ?!」ってお金の使い方をしてきていた私としては耳がマジで痛い話しだ。)

 そんなことをたまに話す。

 大概の同僚や上司達は、無宗教でもキリスト教的素養が強いからだろう、10%ぐらいの収入を自動的に寄付や募金に回している。 貧困状態にある片親家庭へのスポンサーになっていたり、海外の子供の里親をしていたり、やり方は様々。 意見も色々ある。 

 「NZは政府の福祉がある程度ある訳だから、スポンサーする必要はない。 それよりも、政府の福祉が機能していない地域の子供にお金を渡すべきだ」「いやいや、それは理想論。 政府の福祉じゃ足りないし、貧困問題は結局の所は自分の地域社会を荒ませてしまうのだから、自分の地元の子供の成長の為にお金を渡すべきだ」などなど。

 お金だけじゃなくて、時間を捧げている人達も多い。 週末に片親家庭の子供を預かる(例えば母と息子だけの家庭の場合は、子育てが終わった男の人が週末に息子を預かって一緒に遊ぶなど)事をしている人達も多い。

 理想はまんべんなく人びとのケアが行き渡る事だろうから、多様性はいい事だ。 人と違う事をする事が大切な領域の一つだと思う。 面白いなあと思いながら眺めている。

 で、私の場合は何となく自分がコンスタントに続けられて、自分にとっての大切な人達の為になるサービスは何なんだろうと思って探した結果、「夢の病院を作ろうプロジェクト」を選んだ。 まず何となく、日本の子供に寄付がしたかった。 別に身内に癌の子供がいる訳でもないのだけど、コンセプトを読んでいたり、買える物を読んでいるうちに「これは必要なんだな」と思えたから。 読んでいるうちに、必要性に納得させられたってのがここを選んだ大きな理由だな。 これが良い選択理由になっているのかは分からないんだけど「デザインがきちんとしているから」ってのも理由のうちには含まれる。 工業デザインという活動のうちの大きな動機の一つを、このプロジェクトを見ていると思い出させてくれる。

 貧困層や、片親家庭、同年代の障害がある人達…、自分の収入の一部をこういった人達に届けたいと思う相手は沢山いる。 「自分がこの立場になったら助けが必要になる」と思う人達は沢山いる。 その中でなんで癌病棟なの?なんで子供用なの?と聞かれるとズバっとは答えられないんだけど、(優先順位を決めるのはとても難しい)とりあえず今はここ。

 買物をするのが好きな人は、是非ここで買物をしてもらいたい。 寄付っていうと抵抗があっても、買物はみんな好きでしょ? 私は、「プラスチックじゃない容器」をよく買います。

2010-08-21

むっふん

以前シドニーで奇妙な彫刻を複数見た。

街のど真ん中に誇らしげにあった噴水。
全体像はこんな感じ…。




私はこの彫刻は変だと思う。





鼻の穴から水出てるし…。

しかも白人男性(マッチョ)が獣を征服する像って、街の真ん中にあっちゃぁいけないんじゃないかと、見ていてかなり不愉快になった。
「野蛮なのはどっちかって言うとお前だ!」と彫刻の男に向かって喧嘩を売りたくなる。







腰のしなりかたとか、ホモエロティック。




股間を凝視。
混乱させられる。




所変わればだなぁ…。







新しい若者向けのショッピングモールにも雄牛がいた。
でかい玉をぶら下げて。

私はあまりこういうマッチョ彫刻に縁がない地域で育ったので、
町中にこういうムキムキで権威的で、
無駄にリアリスティックな彫刻に溢れたシドニーは強烈だった。

地元の人達からしてみたら誇りなのだろうか。
カルチャーショック。

2010-08-08

さよならG9

 数年間愛用していたCanon powershot G9がついにお陀仏した。

酷使し過ぎていたようで、どうもガタピシャ来ている感じはあった。 そしてある日動くのをやめた。

 高校で写真の授業を取っていたわりには(NZの高校では"幾何" "物理" "統計" "音楽"ってのと同じ割合で"写真"っていう授業がある。)カメラに疎い私。

 当時は勿論フィルムでありましたし、ベージックな働きは一応学びましたし理解はしているんですが、こう、情熱的なオタク達の言説にはついていけない…、ってのが実情です。

 カメラは本当に奥が深い…! 「写真に特化したい」となったら、金銭的にも技術的にも情報的にも本当に人生を捧げなくちゃいけないですよね。

 実は今、写真と製本に関する産業に携わっているので、とても優れた写真家の方々や、特化した印刷技術に関わらせていただいております。 一日にそれこそ何百枚も写真を見ているのですが、余計に「これは…、プロの人に巨大な尊敬を捧げて、私はサポートに徹しよう!」という思いを強くする一方です。 写真は、本当に、一つの宇宙。

 ただ仕事上、ドキュメンテーションっていう側面で一日に何回もカメラを使って写真を撮影しています。 そして私生活でもよく写真を撮ります。 カジュアルな行為としてはとてもとても好きなのです。 ほぼ唯一の趣味であります。

 なのでカメラが無いのは非常にきつい。

 今日はカメラ小僧の友人と一日カメラの買い出しに行ってきました。

 何でもかんでもイメージで決める私の友人は、それはそれは頼もしかった。

 一瞬デジタル一眼レフに自分のカメラをグレードアップさせようかと迷った私に、「杏奈が一眼レフを担いでいる姿は想像がつかない。 似合わない。 かっこわるい。 色っぽくない。 君向けじゃない。」と、ずばっと独断され、一気に選択の幅を狭めてもらいました。

 確かに私の日常的な使い方を考えると、一眼レフは向いていない。

 ってことで、コンパクトカメラのハイエンド機種を検証。

値段のパフォーマンスがいい事から、Canon S90に一瞬心が傾いたが、写真撮影ってやっぱりなんだかんだでマニュアル操作が楽しいんだから、簡単操作系を買っちゃうと、結局使わずにもうちょっと操作できる機種を買い直してしまいそう。  って事で却下。 

ケチな心が出てきて「いや、これも一種の"質素遊び"って位置づけにして安いカメラで手を打つんだ私!」と一時間ぐらい自分を説得したんだけど、失敗。

それで一応G11を候補にあげて、試し撮影をさせてもらう。 頼もしい。 実に優秀。 しかも結構美しい。(デザイン的にはG9がなんだかんだで一番完成に近かった気がするんだけど、それでもG11も他の機種と比べるとずば抜けて美しい)

ただ、心の中にはずっと欲しいと思っていたカメラもあったのだ。 これを口に出したら、欲望に耐えられなくなって買っちゃうと思って、躊躇していたマル秘カメラが。

「がっちゃんこ」と物がはまる感じが好きでたまらないから、工業デザイナーになったと言っても過言でない「がっちゃんこ」好きな私の心をロックオンしてたまらないビューティフルで、ソリッドなワンダーカメラ。 それは…、RICOHのGXR。 発売された時から欲しくてたまらなかった。 

ただNZではニッチすぎるカメラとして非常に値段が高かった+日本にこの間帰った時は円高過ぎて買えなかったので、欲望は強固に封印されていた。

このカメラは工業デザイナーだけに向けて発売されたんじゃないかってぐらいに、私の心をくすぐった。

まず、四角い。

素材の持つ美を最大に引き出しているマット加工。(素材の祝福は工業デザインへの祝福である)

モダニズムの申し子のような黒。

近代工業のシグネチャー的動き、がっちゃんこ。

近代工業の礎的コンセプト"ユニット"を仕様。

コンパクトカメラ以上、デジタル一眼レフ以下の、そのたまらない立ち位置。(デザイナーは全ての職業の中間位置に立つのが仕事なので、このカメラには感情移入できる。)

「既存のカメラからの大冒険をしましたな!」っていう、ラディカルなゲシュタルトの変化。

結果として非常に美しい。

要するに、たまらない。

そしてラディカルすぎるので、常に廃盤崖っぷち感があり、思わすその実験性を評価しサポートする為だけにも商品を購入したいという、RICOHのエンジニア+デザイナーさんたちへの仲間意識。

本当に欲しかったんだ。

持っちゃいけない、もったら買っちゃうと思いつつも、思わず触ってしまった。

そして友人にその立ち姿を絶賛される。 「このカメラ、アンナ似合い過ぎ。」と工業デザイナー同士でしか評価ができないような基準で、似合うか似合わないかを審査してもらった。


2010-08-06

ベビ蔵

 朝から歩んちのベビ蔵(はやて君、生後三週間位)の写真を、連れ合いと二人で、穴があく位まで眺めるのが日課になっている。

 ベビ蔵、局地的に超ポピュラー。 「ベビ蔵、今日元気そうだ。」とか、「今日のベビ蔵の泣き顔はいぶし銀的に渋いね。」とか言いあってから出勤。

 はぁ…、大ファン、友達んちの赤ちゃん。

 欲を言いますと、「ベビ蔵とパパ」とか「ベビ蔵と歩」とか、「ベビ蔵一家」とかそういう、ファン心的にはもっとプレミアな喜びを与えてくれる写真を求めております。 ファンだから。

2010-08-02

風邪 色褪せていく

 七月は用事が連なり、毎週末飛行機で旅行に出かけた。
 結果として最後の週は、半分ゾンビ状態になった。

 勝手に自分は体力がある方なのだと信じ込んでいたのだけど、決してそうでもないと知った七月だった。

 弱って行くにつれてだんだんと、夜らへんとか自分の心の色彩が褪せて行ったのを感じた。

 こういう時は頭の中で勝手に自分の身の上におこっている事を、フォトショップ的に認識し始める。

 「ああ、レイヤーが複製されて、上に置いた方のレイヤーがイメージアジャスメントされて、色調と、彩度が、両方とも-100にされた…。 そして、上のイメージ全体の透明度が60で、退色加工終了…。ここで透明度がゼロになったら、ああ…、その時は世界はモノクロ!!」ってさ…。 

 写真で説明すると、下の写真が夜らへんに普通の疲れた時の状態。 疲れているけど、どっかは気持ちがいいし、まあ、普通に日が暮れて行く感じを体感する。 






で、これが疲れた上に、風邪をひいた時の心的風景。(この写真は上の写真にフォトショップで退色加工をしたもの。) 多分、言語感覚がもっと発達した人は、ストレートに「うつうつとしている」とすぱっと言い切れるんだろうと思う。 私はそう言い切る前に、ずっと「フォトショップでならこんな感じ…」と変な分析をしてしまう。 職業病だと思う。


 


とにもかくにも、今週末の私は滞在先のウェリントンで風邪引いて大変暗かった。

友人の送別会に参加している間も、輝くような美男子の友人らとお洒落なカフェでアフターヌーンティーをしている時も、めためたに私の心の中は暗かった。

滞在先で夜、熱を出しながら、うつらううらと、陰惨な事柄に胸を馳せていた。 「海外に引っ越して行く友人を見て、私もそうしたいと思うけど…、もし引っ越し先でこういう心の色調になっちゃったら、多分私耐えられない…。」とか「ああ、もうきっとお先って真っ暗なんだわ…。」とか、「今まで私はなんて呑気に物事を考えていたんだろう。物事がそんなに簡単で心にやさしいわけないのに。 きっとズタボロに傷つけられて、ルサンチマンいっぱいの状態で朽ち果てるんだわ…。」とか、出てくる出てくる、暗い発想。

風邪と疲労、恐るべし。 疲労の恐ろしさを痛感した。


多分新しいところに引っ越したら、こういう心理状況にはなりやすいだろう。 そうなった人を結構知っているし、今回旅行しまくって疲れた結果、自分自身も陥った。

でも結局は移動の多い、色んなところに行くライフスタイルを自分は求めている。 ってことはある種のコーピングメカニズム(対処方法)を見つけ出さないと、自分で自分の首を絞める事になる。

それで悶々と考えた結果、「疲労を貯めない/疲労回復を上手にする」ってのが一番良いコーピングの方法なのではないかと考えがまとまった。

今回は「回復をする為の体力が無い」っていう変なスパイラルに自分が入った気がした。 それこそ、「寝ても寝た気がしない」ってのから始まってさ。 そして気がついたら、結構悪い状況に自分自身を立たせた。

もうこういうのは嫌だ。

疲労回復がすんなりと行える程度への体力は、最低限必要だ。
体力向上させるぞーー!