2011-11-24

小さいけど確実な変化 その2

自分の老化に直面し、「今引き戻さないと、とんでもない事になる!」とおののいた私。 最近は引き戻しの為に、小さいけど確実な変化を自分のライフスタイルにおこしている。

2.日焼け止めを塗る





北半球の奴らがやんちゃをしてくれたおかげで、NZ上空にはオゾンホールがある。 結果、こっちで浴びる紫外線の量は日本の7倍! NZで発生している癌の中で一番多いのが皮膚癌だ。 それぐらいにビシバシすっごい日差し。

うちの前の"非常に都会的でコンパクトな"公園ですら、このギラギラ感。 





街中の公園でお花とかに囲まれているだけで、「あなたは小人ですか?」ってスケール感覚になってしまう、このガリバー島。 葉っぱ物ですらこんなに大きい。 木じゃなくてもこのサイズってすごくない…?

植物からしたらこっちの日光って本当にたまらないんだろうな。 栄養満天。

そんな日光の元では、特にヨーロッパ系の子たちは日焼け止めを塗らないで晴れた日に外にいると、簡単にサンバーンしてしまう。 サンバーンは、日本語の日焼けの持つニュアンス"肌色が濃くなる"ってのとは違って、"やけど"って感じ。 真っ赤にただれて、下手すりゃ病院送り+命に本当に関わる。 だから皆日焼け止めを塗る。 オプションではなく、必須。多分、世の中から急に日焼け止めが消えたら、NZやオーストラリアからヨーロッパ人も同時に消えるだろう。





そんな中私は全く日焼け止めを塗った事がなかった。 有色人種だからサンバーンも滅多におこらないし、日焼けしたかったし。 上の写真みたいに日陰に座っている人を「なぜこの太陽をエンジョイしないのだ?」と奇人扱いし、太陽の真下を1人でがんがん歩いていた。

しかしなんだか最近肌がみそぼらしく、常にただガサガサしている感じになってきたのよ! 鏡の前で肌を触って、目を見開きながら、小さな声で「ひゃーっ!」っと悲鳴。 その場で日焼け止めを塗ったくるようになった。



自然って厳しい…!

2011-11-23

小さいけど確実な変化 その1

自分の老化に直面し、「今引き戻さないと、とんでもない事になる!」とおののいた私。 最近は引き戻しの為に、小さいけど確実な変化を自分のライフスタイルにおこしている。

その1.  DV夫と妻のような関係であった、「タバコと私」に終止符を打つ

汚いし、貧乏臭いし、下品だし、醜いし、だらしないし、臭いし、アホみたいだし、もうこれは別れなくてはと思いつつもだらだらと関係を続けていた、私とタバコ。 タバコに関して言えば、老けるどころか「これ以上吸ってたら、明日にでも癌になる」って本気で怖くなった。

こんな自己破壊的な行為に身を染め続けてはならぬという事で、離婚。 もう二度と近づかない。

ノンスモーカーになってまだ二週間位しかたってないけど、結構変化があったと思う。

錯覚だったのかもしれないし、確認のしようはないけど、直接的に私が感じていた喫煙のダメージは、吸った直後に鬱っぽくなる事だった。 タバコを吸うと、どよーんと頭に黒い雲がかかる感じがしていた。 そして体温が下がって、急激にダウナーになった。 要するに暗くて汚い状況。 わざわざ薬物摂取してそういう精神状態になってたなんて、絵に描いたような中毒者。 ミー ジャンキー じゃん! 気持ち悪い。

とにかくその「暗くて汚い状況」が一日に何回も訪れないってだけで、祝福。

今でも人と話すときとか、お酒の場なんかで、若干タバコが恋しいなと思う瞬間がある。 まだ体が「こういうときは薬物摂取していたよ!今回はしなくていいの?」と混乱したシグナルを送ってくるのがわかる。 体が一瞬「暗くて汚くて、じめっとした状況に戻ろうよ」と誘ってくる感じ。 でも長続きはしない。 もっても10秒位。

肌からも若干くたびれた感じが抜けた気がする。(2週間しかたってないので、ただの錯覚かもしれないけど)

いやはや、本当にこの最悪な物品の所為で、暗くて嫌な道を通ったなと思う。

健康に関していえば、これが自分が人生でしていた最悪の悪癖で、今後これ以上のダメージを自分が自分にすることはないと信じたいものだ。


ふち

最近、ババアになっていくのを感じる。

未婚で一回も子供も産んだ事がない27歳にして、なんだかもう既に人の良いどっかのお母ちゃんみたいな感じ。 

家でエプロンしている姿とか、窓の反射とかで見る度に「ひゃぁ…!!」と恐怖におののいてしまう。 特に太ってから(今年の私はいつもより迫力を持って太った…!)拍車がかかって、もー、本当に「子供三人いるどっかの肝っ玉母さん」。 

自分で自分に声かけたいもん、「お母さん、今日もおつかれさま」とかって。 脇の下に子供がっしり抱えてそう、私。

少女の先にはレディーの通る道と、ババアの通る道があるのかもしれない。 

私は確実にババアの道に両手を挙げて突撃していっている感じだ。 おぞましい…! 一旦引レディーとババアの分かれ道まで引き戻して、レディーの道に進まなくては…! これ以上本能に従って一本調子に進んだら危ない…!


なのでこりゃ半端ないぞと真面目に肝にすえ、最近「小さいけど確実な変化」を心がけるようにしている。

2011-11-22

卒業式

根っからの王子様な友人の卒業式に今夜行く。

デザインコンペの表彰とかもあるので、結構華やからしい。 そして彼はもう自分が受賞している事を知っているので、もーー、完全に浮き足立ってる。 うきうきしすぎちゃって、幽体離脱しちゃってる感じ。 もどってこーい!

「何時にどこで会えば良いの?」って聞いたら、ながーいimessageがかえって来た。 「めちゃくちゃ綺麗に着飾ってきて。でも“着飾ってます!”ってばれないように。 髪の毛はつやつやに!!」とか、「僕がコンペに勝った事は誰にもまだ言わないで。驚かせたいから」とか、「君は一体全体どれだけ偉いんだ?!」って感じのアホな発言を連発。





はぁ…、着飾ってるけど、着飾ってないように見せるって難しくない?.

「君みたいにすごく素晴らしくて素敵な男の子の卒業式に参加できるなんて、私は本当にラッキーな女の子だと思うよ。 もう、これにて私の20代悔い無し。 親友でいてくれてありがとう。」と冷やかしで言ったら、結構まともに「いえいえ、どういたしまして」と返される。

さすが…! 育ちがいい人は、言葉を疑わない!

私の友達には「君は一体全体どうやって育ったらそこまで高飛車になるかね?!」って子が多い。

そしてどこかその相手の自尊心の高さや高飛車さに、私は多少なりとも抑圧されているのだろう。 私は伴侶に人類ここまで謙虚になれるのかって位に謙虚な人間を選んだ。

彼の前では私が「今やらねばいつやるのだ!」って勢いで高飛車。

高飛車の最終処分場みたいな我が伴侶はある日突然切れて、窓から私や私の友人を投げ出す日がくるんだろうなぁと今からしみじみ思う。

2011-11-20

国籍


こっちにいると、世間話の一環として国籍の話しがよく出る。

まず「そういえば、国籍どこなの?」ってのから始まって、もしNZ国籍じゃないと言えば「いつかとるの?」と聞かれるし、もし「NZ国籍だ」と言うと、「いつ取ったの?他の国籍は?」と聞く事になる。 「祖国が二重国籍駄目だから、NZだけ」とか、「もう一つはイギリス」とか、そんなかんじに話しはすすむ.

私は日本国籍保有者だ。

日本国籍は
1.二重国籍が認められない
2.おまけで他の国の永住権がついてきたりしない
ってポイント以外では、かなりいけてる国籍だ。

ほとんどの国で審査なしで観光ビザ貰えるし、信用あついし、この国籍でそんなに損する事はない。

それが発展途上国の国籍とかになると、観光ビザですらなかなかおりない。

不法滞在して働かれちゃったり、人身売買が自分たちの国内でおこったりしちゃこまるから。 だから、ビザ申請のときに「金持ち証明」をしなくちゃいけなくなる。 銀行口座にたんまりとお金を入れて「こんなに金持ってますから、不法滞在とかして、陰で風俗で働いたりはしません…!」と証明。 自分が雇われている企業から、「この人は我が社の社員なので、本当に観光だけしてすぐこっちの国に帰ってきて働きますんで、ご安心を」って一筆書いてもらわなくちゃいけなかったりする。

多分、先進国以外ではアッパーミドルクラス以外の人間は海外旅行なんて出来ないのだろう。 一回の旅行の為に何百万も銀行口座に入れて、それの証明を取ってとかってプロセス、ありえないだろう。 無理だよ。「HISで激安のチケット買って、現金10万円位もって海外旅行」なんてウルトラカジュアルな事できるのは先進国の国籍所有者ぐらいっぽい。 他の国の人でそんな額で国境越えようなんて、よっぽどの状況な時以外にはないだろう。 そしてそれは、多分…旅行じゃない…!

私は銀行口座に何百万も入っているわけないワーキングクラスの人間なので、もし先進国の人間じゃなかったら、海外旅行なんて夢のまた夢だっただろう。 たまたま私が日本人だからできているんだ。

本当にこの可能性の格差はすごい。 あっけにとられてしまう。 何なんだこの差は。 同じ人間が、国籍違うだけでこうも扱いが変わるのだ。 国籍の威力恐るべし。


ってことで、NZよりも貧しい国出身の人達は、NZ国籍が取得出来る状態になると、速攻で国籍を変える。 神業なスピードで帰化。 国籍と一緒についてくる自由と信頼を手に入れるために。

2011-11-17

深いねぇ



友達が書いた韓国語のメモを自動翻訳したらこんな文章になったそうだ。

ときおり私は欠乏した人生の中に永遠に席を占めることになることという感じがする。 それは言い換えれば比較的痛みがない倦怠が私に日常的な人生をずっと生きるようにするという感じだ。 しかしそれはまた他の錯覚だ。 持続する倦怠は耐える難しい状況だ。 なぜならそれは近い将来確実な痛みという苦痛な悟りに変わるためだ。 私に現在起きている現象がすぐにそれだ。 via ∞:自動翻訳

片言の言語の美が潜んでいる。  なんかすっごい意味深でクラシックな雰囲気に訳されていて、朝から吹き出した。 友よ、君はフランスの哲学者かなんかだったのか!

2011-11-16

UNHATE

久しぶりに胸が漉かれたような気分になった。 さすがベネトン。 私は、いつでも、いつまでも、ベネトンの広告デザインが大好きだ。 「デザイン」を、直球で投げてくる。

UNHATEなんて素晴らしいキャンペーンネームをよく思いついたなと思う。 まさに、今投げかけられるべき言葉だ。



このキャンペーンのビデオも素晴らしい。



まだまだいける。 まだまだ進める道はある。 ベネトン! よくやった!!!

2011-11-14

うわっ…! なんだかよくわかんないけど、あいしてるかも!

意識しなくちゃあぶないぐらいに、神秘のちからってのはなめてかかれない。 だって瞬間的に興味を持っちゃう対象って、大抵若干神秘的じゃない?

「私には理解し得ないけど、なんかすごそうだし、奥深そうだし、美しい…!」って物のもつ神秘。 「うわっ…! なんだかわかんないけど、あいしてるかも!」って感動。 そこから自分を切り離すのってとっても難しい.

さて、今日のオリエンタリズム。 「うわ、なんだか神秘的! そして、なんだかもうすでに、あいしちゃってるかも…!」

謎の中国のウェブサイト。 クールなシノワズリー。 浅はかなファッション。  読める程度の中国語。 片言な英語。 若干耽美。 私の好みの中心どんぴしゃり。  「き、きみのその片言さとか、でも奇妙に流暢なところとか全部好きだ…!」と興奮。




立ち位置としてこういのが好きだ。 こういう「片言だけど流暢」な人達の中に私も属していたいと思う。




2011-11-09

旅行

もしかしたら、旅行に行くのが好きじゃないのかもしれない。 特に新しいところ、行った事が無い国に行くと考えると、かなり面倒くさい。

「色んなところを見ておかないと、デザイナーとして駄目になる」とか「子供が産まれたらひょいひょい旅行できないから」とか色々思いつつも、「でもすっげーメンドクサイ…!」とうんざりしてしまう。

行き先について調べるのも、やるべき事を決めるのも、「これは見逃したくないぞ」ってのを選ぶのも、何もかもがめんどくさい…!

行ったら楽しいし、帰ってきてからも何回も思い出すし、空港についた瞬間に「来てよかった…!」と思うんだけど、それまでの精神的な乗越えがなぁ。

多分、私臆病なんだと思うんだよね。 想像も出来ない場所に行くのが嫌なんだ。

そんな事をうだうだと考える年末。 旅行、したいような、したくないような…。

2011-11-06

永住権をとった



先週NZから永住権を貰いました。 

これでNZ国内にいるときは、NZ人と同等の権利が得れる。 選挙権も平等に貰える。

永住権がおりた日、街中を歩きながらすごく不思議な感動がわき上がった。

色んな民族の人がいて、色んな言語が飛び交っている。 彼らは民族や国籍は違えど、今から私の「俺ら」なのだ。 私が、weと言うときの範疇は、自分史上最強に広がった。

私はこれ以上になくプロパーに、この移民国家の構成メンバーなのだなと思ったとき、結構な興奮があった。 街角のリビア人も、華僑も、インド人も、パケハも、マオリも、ポリネシアンもみんな私の「私たち」だし彼らのカルチュアルバックグラウンドは、私の社会のカルチュアルバックグラウンドなんだ。

すごくポジティブな経験だ。 嬉しかった。 道を歩きながらすごく嬉しかった。






部屋が暗い

今朝目が覚めて、部屋を見渡したら、すごーく暗かった。 「っこ、これは暗い人の部屋だ…!」と驚愕。 今日は一日かけて、気持ちよくて明るい部屋を作る。 がんばろー!

2011-11-04

宝石泥棒

カープーリングしている同僚がインド人なので、車中でひたすらボリウッド映画の音楽を聞いている。 最近は往年のインド映画の音楽を聞くのが二人の間で流行っている。 これがなかなかに本当に素晴らしい。 ニュージーランドの自然の中を走りながら、大音量でこういう音楽をかけていると、本当に上がる!





上の曲は1967に出た「宝石泥棒」という映画の中で使われたもの。 雰囲気あるよね。

2011-11-01

怖いなと思う事



私は東電の原子力発電所の事故以来、放射能の被害をとても怖く思っていた。 三月の事故以来一日たりとその事や被害の状況を考えなかった事はなかった。 とてもとても悲観的に考えていた。 twitterでも大きな声で戦々恐々とした態度を示している人達を支持してきた。 

正直言って、もう駄目だと思っていたんだ。 関東に住んでいる友達には、全速力で掴むもん掴んで走ってどっかに逃げてほしかった。 実家にも関東の地価が下がる前に家売って西日本に引っ越してもらいたかった。 その話を実家とする度に喧嘩になった.

そして日本のラジオのPodcastとかを聞きながら「なんでこの人達は原発4基が制御不能、内3基はメルトスルー状態、レベル7を超える人類史上最悪の原子力災害が現在進行中で、原子力緊急事態宣言が発令されている国に住んでいるのに、こうもその事を話さず、あたかも何もなかったかのようなスタンスで話しをしているのだろう」と不思議で不思議でたまらなかった。

「私は今関東にいたら、既に引っ越せたのだろうか? それともなんだかんだでまだそこにいるんだろうか? どうしたら、引っ越せていただろうか。 どういう精神構造に自分を持ち込めば、避難するという行動が結果としてできるのか。 自分がその立場になった時の為に、それを考えなくては。 ぱっと、"避難出来る人"でいる為にはどうしたらいいのか。」とかなり考えた。

でもクリスマスに2週間日本に帰ると決めた途端に、これまで消化出来ていた怖い話や悲観的な話しが全く頭に入らなくなった。 聞いても「へぇ〜!」って位になったのだ。 これまでは、いちいち打撃を受けて生活の質が著しく低下していたのに、今じゃ「へぇ〜、こわいね〜」程度。

この急変は見事なものだ。

多分、私の心は、自分がそこに足を踏み入れると分かった途端に、怖い情報を排除し始めたのだ。 私の頭とはそんなに関係なく!

航空券を買うまで、私は本気で悩んだ。 そして人類史上最悪の原子力災害が起っている国(しかも目的地は、原発から半径200KM以内)に行くと決めた途端に、「恐怖に対処出来ない!」と心がギブアップしたようで、怖い事が考えられなくなった。 「何悩んでたんだっけ?」状態。

タバコとかの恐怖とすごく似ている。 吸わない人からしてみたら「なんでそんな危ないもの吸うんだ、お前は愚か者だ」と思うけど、吸う人からしてみたら「私は大丈夫」。

私は今回の事で、全く私の理性は信じられないなと思うようになった。

元々そんなに私の理性とか頭は信じられないと思っていたけど、今回のこの自分自身の激変で「自分の理性は信じない方が、せめて若干は理性的だ」と思い始めた。

本当に、この心変わりのありようが一番恐ろしい。 これが私の抱えている巨大なリスクの一つだな。 もしかしたら、誰でもそうなのかもしれないけど。 怖いな。

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そういえば、マッキンゼーのリポートで日本の消費行動(主にITガジェット系)が他の先進国とくらべてどうだこうだと語られていた。 「この日本人の世界のトレンドへの興味のなさを見ていると、既に先進国じゃない感じ」とまで言われていて、「おいおい、原子力緊急事態宣言が発令されてて、メルとスルー状態の原発3基抱えている国をまだ他の国と同じ次元で語るか?」とシュールな気持ちにさせられた。 そりゃタブレット買うお金あったら、ガイガーカウンター買う方が理にかなってるでしょぅ! でもそんな社会的コンテクストは全く無視で、「はい、日本市場として終了。魅力なし。」と判断。 そりゃ、魅力はないだろう! でもそれはガジェット買わないからじゃなくて、もっと人類史上最強に危ない災害が現在進行中だからでしょ? …って、まぁ暖簾に腕押し。 本当に資本主義ってしぶといしなと奇妙な感慨に浸ってしまった。