2008-11-29

Wolf Parade I'll Believe in Anything

大学三年生の時永遠と繰り返し聞いていたWolf ParadeのI'll Believe in Anythingを今日パーティーで久しぶりに聞いた。 心に響いた。 多分今日の心境とあっていたのだろう。

今日人とお別れをした。 バイバイをした後、生まれてはじめて、ただ悲しくてオイオイ泣くという経験をした。 意識の上ではある種の達成感があって正しい事がおこっていると思っているのに、ただ体の反応として涙が止まらなかった。 ああ、繋がっていたのは言葉だけじゃなくて、身体もだったんだなあ、体が悲しがっているんだと泣きながら、ちょっと冷静に思ったりした。 私の体が相手を大好きだったんだ。 

ただその人に関してはほとんどの事がそうだったように全てが結構奇跡的に美しかった。 その時森にいたんだけど(ニュージーランドらしいでしょ?)息が止まるほどに美しかった。 相手の声も、多分鼓膜が聞いた事がある中で一番美しい音だった。 深くて、息があって、震えていて、潤っていて、響いていたさ! 色彩の祭りだ。 

バイバイした後は、正しい事が今自分におこっていると思う時に訪れる、静かな美しさがあった。 落ち着きと悲しさと、絶望と希望と全部が静に調和した気分でいて、でも声を上げて一人で泣いていて、頭の片隅でロスコの絵の事とか思い出していた。 そういえば、いつでもその人の事を思っていた時はロスコとか思い出していたなとか、そういう変に現実的な事を冷静に思いながら、体は悲しくて悲しくて涙が出た。 私の中のロスコの絵画はその人に捧げようと思う。 別にその人の事を具体的に思い出したいとかって感じはないから、マークロスコの絵画の中に気持ちを埋め込もうと思った。

そしてその後に行ったパーティーでこの曲が流れていた。



この曲のタイトルは"I'll believe in anything"という。 良いタイトルだ。 グッケンハイム美術館で行われた蔡國強のタイトルは"I want to believe"だった。 このタイトルには心のドアをジェントルにノックされた。 これも良いタイトルだと思う。



"I'll believe in anything"と"I want to believe"。 ちょっとしか違わないタイトルだけど意味合いは結構変わる。 ただ両方、かなり核心をついている言葉として私には響く。

ついでに言うと、数年前のヴェネチアビエンナーレで行われた展覧会"In Dreams and Conflicts"のメインキュレーターFrancesco Bonamiの出したステイトメントのタイトルは"I have a dream"だった。 その文章には素朴に良い事が書いてあったので、コピーしてノートに張ってある。 終わる事の無いテロや戦争、そして差別の話しをした後に、"Today our society still needs to dream and strive to make dream reality. History is an endless stream of dreams generated by conflicts, and the endless stream of conflicts is the tragic concequence of unrealized dream."と言ってその状況で芸術は何をするのか、巨大な国際展の立場とは何かを議論している。

そして同じようなコンセプトで行われたデザインのコンファレンスが今年のアアルトアカデミーの"It's a beautiful day"だ。 この閉塞感溢れる社会情勢の中でどうやって自分で決心をして美しい一日を送るか、そしてデザインに何ができるかってのがテーマだったらしい。 その後コンファレンスの結果の着地点として、参加していたデザイナー達が選び、合同でデザインする事にしたイベントが"結婚式"だったのが面白かった。 デザインのトレンドが9.11以降保守に戻ったと言われている。 人々は安心感があり温かく頼りがいのあるオブジェを選ぶようになっているそうだ。 家を要塞のようにしたいんだろう。 そこで、そういう風潮に反発したがっているデザイナー達が、ウルトラ保守の代表格のような結婚式っていうイベントををテーマに選んだってのは、これに参加したデザイナー達の密かな決心を感じる事が出来て面白いと思う。 あえてそこにいくかって感じの所で挑戦する人達は賢い。 (プロジェクトのドキュメントはここを見て。

そしてこの全体にある自分達の持っている無力感に対して立ち向かおうという風潮はなんなんだろうか。 そしてどうして私もわざわざそういうのばっかり選ぶのだろうか。 本当に世相が悪いんだよなあ…。  そういう状況で強いステイトメントを言う為には本当に勇気がいる。 「ただでさえ失敗が重なっているんだから、これ以上の損をしない為に黙っておこう。」ってなるじゃん。 でもこんなときだからしたたかでいたいし、足りていない物を真剣に考えて、補っていきたいとも思う。 個人的なレベルで言えば、私と相手の間には長い間足りていなかった、言われていなかった言葉とかがあって、それを言うのは簡単な事じゃなかったけど、言った後は少しだけ物事が正しい軌道に動いた気がした。 やった感ありました。 うん。 そんなかんじ。

ある光

日本のミュージシャンで間違えなく一番好きなのは小沢健二だ。 小沢健二ファンの友人のブログを見ていたら、懐かしい曲が貼ってあって、思わず見入ってしまった。 

この曲、"ある光"は良い曲だとは思っていたけど、歌詞の意味が正直全く分からなかった一曲だ。 ただ今日聞いていたら、今私がいる時期に近い状況を歌っているのだと気がついた。
こういう時期の事をこう表現できる人がいるのか。



ある光

作詩:小沢健二 作曲:小沢健二

新しい愛 新しい灯り
麻薬みたいに酔わせてくれる痛みをとき

連れてって 街に棲む音 メロディー
連れてって 心の中にある光

この線路を降りたら赤に青に黄に
願いは放たれるのか?
今そんなことばかり考えてる
なぐさめてしまわずに

見せてくれ 街に棲む音 メロディー
見せてくれ 心の中にある光

この線路を降りたら赤に青に黄に
願いは放たれるのか?
今そんなことばかり考えてる
なぐさめてしまわずに

この線路を降りたら
虹を架けるような誰かが僕を待つのか?
今そんなことばかり考えてる なぐさめてしまわずに

強烈な音楽がかかり 生の意味を知るような時
誘惑は香水のように 摩天楼の雪を融かす力のように強く

僕の心は震え 熱情がはねっかえる
神様はいると思った 僕のアーバン・ブルーズへの貢献

摩天楼の雪 融かされる日に
あと15分ばかりでJFKを追い

連れてって 街に棲む音 メロディー
連れてって 心の中にある光

この線路を降りたら
虹を架けるような誰かが僕を待つのか?
今そんなことばかり考えてる
なぐさめてしまわずに

見せてくれ 街に棲む音 メロディー
見せてくれ 心の中にある光

この線路を降りたら
虹を架けるような誰かが僕を待つのか?
今そんなことばかり考えてる
なぐさめてしまわずに

この線路を降りたら 海へ続く川
どこまでも流れるのか?
今そんなことばかり考えてる
なぐさめてしまわずに

“let's get on board”
“let's get on board”

2008-11-27

近況

 数少ない友人たちへ(かなり私的な近況報告)

あの女は大学が終わったと言っていたけど、今何してるんだと思っていらっしゃるでしょう。 思ってくれていると良いな。 たまには私の事も考えよう!

さて終わったは良いけど、新しい始まりに戸惑っている私です。 正直どこにどう舵をとっていいのかよくわからないというのが現状です。 

私の友人たちの間では、あまりまともに就職活動をしたりした人がいなく、若かった頃の私は「ああはなるまい! 絶対に私は就職して、長いものに巻かれるのだ」と生意気にも思っていました。 ただ、この考え方には二つの奇妙な点があります。 一つは就職を長いものに巻かれるためだけに考えているところ。 仕事はただ巻かれるためにするべきではないし、仕事をそのように考えるのは情けないです。 そしてもう一つは私がただ周りの人たちの人生の持ち方に反発していただけで、そこに私が何がしたいのか、何をしようとしているのかが全く反映されていないところです。 案の定、この考え方では方向性を考えるという意味では動機付けが薄く、卒業後に速攻で「クラップ! 私これから何すんの?!」となりました。 

卒業してから二週間強、昼間は緩い就職活動をしてみたり、軽いプロジェクトを手伝ったり、呑んだくれてみたりして、夜は布団の中で悶々と考えたりしていました。 そしてまだ指針みたいなのは出来上がっていません。 いや、自分の中にはぼんやりとあるんだけど、まだ形になっていません。

私の周りのニュージーランド人たちは大抵「一年間休む」とか「世界旅行に行く」とか言っていて、私はその余裕を横目でみながら、「日本人としてそれはできない。 履歴書に穴はあけられない。 今負けたら速攻で社会の下の下に落ちて一生這い上がれなくて、ネットカフェ難民になってしまう。 きっと悪い事しか将来はおこらないのだから、せめて今小さな良い事をしよう。」と考えていました。 

それに親になんて言われるかとかってのも考えていた。 「お父さんとお母さんになんて言われるか! しっかりしないと絶対に怒られる!! ただでさえ駄目人間なのに!! 負け犬って言われて、親子の縁をきられる!」と結構なプレッシャーを感じていた。

プレッシャーを感じるとやる気が全くおこらないのが私の悪いところで、一人で結局布団の中でぐったりしていました。 心底、ぐったりしていました。

そして昨日恐れていた連絡が親からきて、おそるおそる話をする事になった。 もう、話す前からぐったり。 

ただ結果は想像とかなり違った。 彼らが単純に私を愛している事、結構なんとかなると信じている事、そして焦って何かにコミットしないで、一年間ぐらいかけて、飛び込める穴を探せと考えている事を知りました。 あと、声が聞きたいからもっと頻繁に連絡をとってもらいたいとも言われた。 っそうだ、うちの親はヒッピーだった!!! あまりにも連絡を取らないから忘れてた!! 母はヒッピーだけど、仕事命な女だから、短期間「アンナちゃんは速攻で仕事を決めて本気でそれに打ち込んで暮らすべきだ」と思っていたらしいんだけど、完全にヒッピーな父親に「でも僕たちがアンナちゃんぐらいの年齢のときって完全にぶらぶらしていたじゃん。 彼女もちょっと自分で人生を模索する時期を持つべきだよ。 大きな仕事にコミットするよりも、小さな仕事を沢山経験するべきだ。」と言われて一瞬で納得してしまったらしい。 自分よりぼんやりしている親を持っていてよかった! ”永遠の大学生”をしていた親の二十代に乾杯!

その話を聞いて私は「うちの親はしっかりしてないなあ…。 こんな親に育てられたんだから、私がプレッシャーに弱いのも、社会に対して具体的なアイディアを持ってないのも仕方ないかも。 でも彼らがしっかりしてない分、ある程度自分でしっかり考えてやらなきゃな。 がんばろう。」っていう気分になった。 奇妙にやる気がわいたのだよ。 彼らが信じてくれているのなら私は何とかするだろう! そして彼らの期待は私の想像していた期待と結構違うってことがわかって本当に良かった。 

子供として勿論、親の期待には答えたいし、彼らに誇りに思ってもらいたいと思っているから、辛かった。 「父母よ、トヨタマンになれなくてごめんなさい。 経団連にはどうも入れそうにありません。」と思っていたけど、そんなの相手は全く望んじゃいなかったようだ。

ってことで、私は小さな仕事を沢山する人になります。 就職活動自体もその小さな仕事のうちに入れて、コツコツやろうと思い始めました。 私は典型的な勝ち組には多分なれないし、なろうとも努力しないかもしれません。 友達としてそこにがっかりしてしまったらごめんなさい。 多分、あなた方に赤坂で焼き肉をおごる日は遠いです。 六本木ヒルズにもマンハッタンにも多分住めません。 残念だろうとは思うけど、多分他の人がそういう事をしてくれるだろうから、私にはそういう事は期待しないように。 家でおいしいご飯を作ってたまに招待します。 豪華ではないと思いますが、おいしいはずです。 料理、好きです。 夜景は見えないかもしれないけど、すっごい良い画集なら何冊か持っているので、それをお見せします。 それで許してください。

ただこれは別に「いつかなんとかなるはずだ」とか、「待ってれば勝手に何か良い事がおこる」とかって思って積極性を投げ捨てたとか、「私これから私やら私のやりたい事やらを探します」とか、そういうのじゃなくて、もうちょっと自分の将来の夢に正直に勇気を持って行動しようっていうっていう意味なの。 だから期待は捨てないで!!

以上、近況報告でした。

2008-11-25

誰に対してとかじゃなくて

 なんだか状況とか全体とかに対して切ないし、どっか寂しい。

 多分大学が終わって、夏になって、8時になっても外が明るくて、そういうのが重なり合って切ないのだろう。 

 一人に慣れなきゃなあ、慣れなきゃだよなあとしみじみと思っています。

 こういうリンボーな状況になったのが初めてだから

2008-11-23

指輪

 卒業ハイは多分まだ続いていると思う。 ピーク次に比べるとおとなしくはなったけど、まだまだ結構やりたい放題だ。

 今日はクラスメイトと昼ご飯を食べにいった。 そこで彼がしていたブレスレットが可愛かったから、軽く甘えながら「何か身につけれる物が欲しいの、だからくれない?」と言ってみた。 そうしたらこれは誕生日にもらった物だからあげれないけど、何かあげたいと言ってもらえた。 言ってみるものだわ。 二人でちょっと興奮して、じゃあ今から買い物に行こうと街に繰り出した。 そしてかなり可愛い指輪を買ってもらった。 だから私も相手に同じデザイナーが作った男物の指輪を買ってあげた。 

 「ミルクシェイクをのみながら交換しよう。 カフェまで違う道を通って、テーブルで会って、お互いにプレゼントがあるなんて知らないふりをして驚こう!」と言われて、おもしろいと思ったのでそうした。 そして五分後にカフェで待ち合わせをして、私はチョコレートシェイク、彼はバナナシェイクを呑みながら、指輪交換をした。 

 二人ともめろめろにとろけながら「すっごい幸せ!」と連呼。 「実はアンナがクラスメイトの中で一番のお気に入りだったんだ。」と言われたので、私は高らかと「気に入ってもらえた上に、指輪ももらえるなんて、お前と同じクラスで良かった!」と宣言をして、お互いの肩を抱いた。 何たる栄誉。 

 お互いに四年間頑張ったねと誉め合って、そのまま海に散歩に行き、長々と歩いた。 

 男しかいないむさくるしい大学で学んだ事の一つが、いかに男の子ってのがロマンティックで愛らしい生き物かって事だ。 もーすごい、すごい、可愛い。 女の子も可愛いけど、男の子も可愛いのね。 私、男の子産みたいと思ったもの。 

 今日のクラスメイトとのデートは黄金だった。 私は満足いたしました。 本当に可愛い指輪なので、今度写真をアップします。 っくっはーってなるよ!

2008-11-22

結婚式とかについて

 仕事の関係で、結婚式周辺について調べている。 そこらへんのデザインを次はする事になるかもしれないんだ。 

 結婚の経験は今の所全くないので、よってあまり情報も持ってないので、調べていると色々関心させられる。

 オーソドックスな形から、個性的なのまで、もうほとんど結婚式の周りって小宇宙だわ。 「これでもかっ!!」ってぐらいの情熱が沸き上がっている領域なのだと知りました。 周りで結婚した人達の中で結婚式らしい結婚式をした人がいないから、そんなの存在しないんだと思っていたんだけど、する人はする。 そして、私はそれをこれから盛り上げたいと思っております。 

 最近、情けない感じにだけどリレーションシップについて考えさせられる事が多かった。 私やら相手やら、友達同士のやら、定義しようとすればするほどに指の間から砂が落ちるかのごとく、大切な物が失われていくような感じだった。 「うわっ、これは学校では教わらない」と日々思いました。 でもその不器用な、一見無意味な日常の積み重ねから何かは得たような気もする。 そしてそれをなんだかの形で定義やら命名やらが出来たらなあとも思う。

 もし結婚式とかに関していい情報をお持ちの場合、是非教えて下さい。

2008-11-13

昨日から今日

 昨日からいろいろな事がおこった。 結構多くのクラスメイトがウェリントンを去っていくので、昨日が最後のみんなで一緒に遊べる日だった。

 昼間からバーベキューをして、みんなで肉を食べたりビールを呑んで、いっぱい日光浴して、本当に楽しかった!! 

 そして思わず言葉に詰まって、もう会えなくなる子たちの前にたつと涙が出て、切なかった。 

 めそめそしてても仕方がないと、海の横の大きな公園でみんなでサッカーをした。 二時間走りっぱなし。 裸足でクラスの子たちとひたすらサッカーをして、ゴールが入る度にお互いをおんぶしたり、蹴っ飛ばしたりして、本当に楽しかった。 大学の先生に「気がついていないのかもしれないけど、君たちは本当に美しい時間を今過ごしているんだよ」と言われた事を思い出して、また走りながら涙が出た。 私たちは確かにかけがえのない時間を一緒に過ごした。

 家に帰りシャワーを浴びて、お分かれするのは寂しいから近所のクラスメイトと集まって夕飯を食べた。 夕飯を食べてもまだ満足ができないから深夜営業をしているマクドナルドでコーヒーを飲んで、次の日に会う約束をして、さよならをした。



 その後、なんか体の中に力がみなぎっているのを感じたから、ゲイのカップルの家に行き、「あと八時間ぐらいしたら役所が開くから、みんなで行って、君たちは結婚をします。」と宣言した。 そして彼らの家を去り、朝また行き、彼らを叩き起こし、役所に行った。 

 ニュージーランドにはシビルユニオン法という、同性同士でも、異性間の結婚と同等の権利が認められるユナイトの仕方がある。 二人の保証人が必要で、私は勝手に私と私の親友以外、彼らの結婚の保証人にはなれないと決めていた。 元々私と親友が朝食を食べる約束をしていたので、そこに彼らが合流し、そのまま役所に行けば合理的であるとひらめいたのだ。

 役所に行ってみたら、結構二人ともビビっていて(そりゃそうだ)、ちょっと強引すぎたかなとか、不安にもなったけど、まあ、ねえ、本人たちも「アンナが今日結婚しろって言ったんだからしょうがない」って言ってたし、そういうもんなんじゃないでしょうか。 

 うーん…、事のスケールが大きすぎるからよくわからん! ただ彼らだって拒否権は私に対してあった訳だし、多分、これで良いんだと思う。 

 受理されるまで三日間かかるので、月曜日に正式な儀式を役所でする事になった。 とりあえず、それまでは静かに、時間の流れに身を任せるにこした事がないだろう。

 役所の帰りに会ったほかの友達にこの話をしたら、相変わらず強引だと驚かれた。 私もたまに私は強引だと思ったりするけど、さすがに誰かを結婚させたのは今回が初めてで、そしてもう二度としないと思う。 とても、とても、とても、とても、とても大切な友達の人生の事だからやったし、だからこそ、この「友達同士を結婚させる」っていうカードは、彼ら以外には使いたくないんだ。 私の中のこの役目は、彼らのためだけにあったんだと思う。 

 ちなみにシビルユニオンの書類を提出した人の片割れと、保証人である私と私の親友はみんな同じ高校に行った。 その高校はニュージーランドで初の性転換をした国会議員の母校であり、非常に性の平等について神経質な高校だった。 良い高校に行ったと思う。 

 高校時代の事を思い出すと、これと言って特別な事はなかったと思ったりもするんだけど、こうやって高校時代の友達の結婚の保証人になれたりしているから、何かすばらしい事を私たちは共有したのかもしれないと思う。 

 私たちは美しい時間を過ごしているのかもしれない。

2008-11-09

土曜日





 土曜日はひたすら寝た。 金曜日のプレゼンの後、完全に呑みまくって、どっか大切な所がぶっ壊れた感じがした。 いや、まだしてる。 でも土曜日の感じと比べたらちょっと現実感が戻ってきた気もする。 

 興奮しすぎていてベッドでは寝れないので、朝方ベランダにうつって寝た。 ついでにシーツとかも全部洗濯した。 

 お互い二日酔いだから、連れ合いと寄り添って寝る気すらおこらず、ひたすら、ひたすら、寝た。 っが、勿論プレゼンの後のパーティーで、二人を叩き起こしてくれるだけのゴシップがあって、その情報がクラスメイトたちから回ってきたから、頑張って起きて、張本人たちに聞きにいったりした。 そんな感じの一日だった…。

おお、おわった…かな?

 実感は全然ないけど、多分終わった! 変な二週間だったよ…。 そしてパワフルな四年間だった! きゃーーー変な気分!!!

 とりあえず、最近とった写真でも。

 提出の前は、毎晩私の家で徹夜パーティーでした。 楽しかったと言えば楽しかった。 みんなのぐったりっぷりがすごい。









 朝方はみんなすっごい事になっていた。 でも毎日こんな感じだった。 この写真は結構記念碑的な写真。 この日を境にみんなが狂気の世界に突入したのね。 ここにうつっている人全員のその後数日の話しを知っているけど、それはそれは見事だ。 あっはっは。

 

2008-11-05

世界が勝った

 明日の朝、卒業制作提出です。 っぎゃーーーー!!!!! 

今日はクラスメイト殆ど全員でアトリエに籠り作業をしてる。 今日が最後なんて信じられないよ! 泣きそう! 

インターネットラジオを流しっぱなしにしてアメリカ大統領選を聞いていた。 「今誰が勝ってる?」「世界が勝ってる。」「今は?」「世界が勝ってる。」っていう会話を繰り返し、オバマが勝った瞬間にとりあえず皆で「世界が勝った!」と叫んだ。 なんだか分からないけど、自分たちもこの卒業制作のプレッシャーから勝てそうな気分になった。 「今だけは楽観主義でいさせて! なんだか世の中これでマシになる気がするの!!」と友人たちが口々に言い、彼の勝利宣言を聞き、涙。 今回のアメリカ大統領選挙は、私のクラスでは勝手に「世界対アメリカ」になっていたのだ。 そしてなぜか、彼に自分を重ね合わせていた。 オバマのカリスマはすごい…。 

さーーーー、あと十二時間、頑張ります! 最後の徹夜だ! 

2008-11-02

提出もぎりぎりだから

 「課題が終わらないから、やけっぱっちな行動をとっても誰も怒らないだろう」と推測し、酔いつぶれる事にした。 

 友達が、同居人の企画した自分の家のハローウィンパーティーにどうしても行きたくなくて、「俺と寝室か物置に隠れてくれ」と頼んできたからだ。 「っじゃあ、物置でお願いします」ともう一人の友人を含めた三人で隠れる事にした。 友達と大喧嘩をしながら車で僻地にある彼の家についたら、確かにこれは嫌かもって感じのノリのパーティーだった。 みんな変装していて、ものすごく酔っぱらっていて、そして楽しい、善人達の集まりだった。 日陰者な我々には若干輝きが強すぎる、そんな感じでした…。 とりあえず喧嘩しながら開場入りをしたのは私たちぐらいだと思う。 出だしから景気が悪い。

 地下の物置は、一応デコレーションがしてあった。 ものすっごく狭い空間で、でも鏡を配置して若干空間に広がりを持たせている所が閉所恐怖症のランドスケープアーキテクトな彼らしく、少々愛らしい。 しかも同居人に「つまんねえ奴だな」と思われたくなかったらしく、一応アロハシャツを着て変装(のつもり?)をしている所が痛々しかった。 上でどんちゃん騒ぎが行われて楽しそうな間、私はこの怪しい照明の物置小屋に景気の悪い男友達二人と隠れていました。 写真を取ろうとしてもドアを開けないと全貌が写せないような空間なんだよ。 ほのかにおもしろくて私一人でずっと笑っていた。





結局酸欠になって、ラウンジに上がり酔いつぶれて私は先に帰った。 次の日の昼過ぎに電話をして結局最後はどうなったのかと聞いたら、パーティーは朝の四時まで続き、最終的には家の壁に穴が空いたらしい。 酸素用の穴? 何考えているんだか分からない友人達は愛おしい。 その調子でこれからも頑張って!

タラちゃん

 タラって名前の友達がいる。 高校一年生の時の数学の教室で席が隣になって以来の友達。 (たしか、それは私が初めて高校に編入した日だったはず。 日本の大学の友達も入学式で席が隣だった子たちだ。 私、友達運が良いか、それとも極端にレイジーかのどっちかだわ!)

 かれこれ8年来の友達。 今日は彼女に私の卒論の校正をしてもらった。

 彼女の家に行ったら、彼女はベランダのハンモックで白い麦わら帽子を被って眠っていた。 ハンモックを揺らしたら起きて、軽くハグをしてくれた。 「夕飯作ってあげるから、ちょっと待ってて」と言われて、ハンモックを譲ってもらう。 午後の日差しが温かくて、最近ちゃんと寝ていないからうとうとした。 「起こしてあげるから寝てなよ」と言われて「じゃあ二十分ぐらい眠らさせて」と言い、速攻で深い眠りに落ちた。 一回目が覚めた時に視界が真っ白で驚いた。 私が日焼けをしないように、彼女が麦わら帽子を私の顔に載せていったのだ。 

 そしてまた寝る。 夕飯が出来たと起こしてくれて、二人でチキンと黄色いピーマンがいっぱい入ったトマトソースのパスタを頂く。 

 ぽろぽろと最近あった話しとかをしていたら、涙が止まらなくなって、わんわんと泣いてしまった。 「美味しいし、タラちゃんと別の国で暮すの切なすぎるよぉ。 タラちゃーん! うわーーん!」と子供のように泣いた。 私が感情的になるのに慣れている彼女は「ご飯食べながら泣かない!! お皿下げるよ!!」と言いながらご飯を食べていた。 「うん、泣かない」と言いながら泣きながら彼女が作った夕飯を食べた。 「人が作ってくれたご飯を食べるのが久しぶりで…。 ほとんどミルクシェイクとスコーンで最近生きていて…、それかビール。 だからパスタが魂にしみた。」と泣いた言い訳をした。 

 食後に彼女が私の文章を直しながら、二人でデザートのチーズケーキと甘いミルクティーを頂いた。 また泣けた。 「このチーズケーキはスーパーマーケットで買ってきた冷凍ものだよ。 もし、工業製品的食品がファンタスティックで泣いているんだとしたら人間として惨めだから、泣くのをおよしなさい。」と突っ込まれ、また泣けた。 「卒業制作、辛い」と言い訳をして同情してもらう。 本当は彼女と違う国に住むのが寂しい。 

 こんなに愛されていると実感させてくれる友達っていない。 「タラちゃん程、一緒にいて愛されているなあ、ケアされているなあと思わさせてくれる友達っていないよ。 タラちゃん、本当に特別。 タラちゃんといると私特別な気分になる。」と泣きながら言ったら笑われた。 「マフューやらトムやら、ディランやらがどれほどアンナの面倒を見てるか知ってるよ。 あんたはただ極端に女の優しさに弱いだけ。」と言われて、確かにと一瞬思いつつも、涙。 日常的な私の面倒を見ているのは彼らの方だけど、私は泣かないどころか注文すらつける。 彼らの前だと「おい、私の靴下脱がせろ」的な駄目女になっちゃうんだよ。
 
 親しい男友達は私が彼の家に行くと、使っていない白いランプシェイドを私の頭にかぶせる。 「これがアンナの安全地帯。 このランプシェイドを被って、僕とソファーに座っている時のアンナは温かい事しか考えない。 仕事の事は考えない。」と私が眠るまで呪文を唱える。 確かに、多分、優しい。 逆の立場だったら私にはそんな忍耐力は無い。 っが、ランプシェイドはごつごつしていて正直、頭に長期的にかぶせるのはどうかと思う。 その点、白い麦わら帽子は柔らかい。 男友達はドラマティックだけど、女友達は細やかだ。 そんな事をぽろぽろとタラに話していたら「靴下脱がさせたの?! あんた妊婦?!」と大笑いされた。 私も泣き笑い。

 あー、タラちゃん大好き。 今日は久しぶりに私もこういう人になりたいなと思った。 これぐらい周りの人が「私愛されてる! ケアされてる! 私って特別!」って思えるような優しい人になりたいよ。 私、優しい人になりたいです。 靴下はこれからは自分で脱ぎます。