2009-06-29

朝ご飯

 朝が苦手だ。 最近は人に起こしてもらえると起きれるんだけど、一人じゃ無理。 ああ、なんて愚かな人間なんだ。 ってことで毎朝同居人に起こしてもらっている。 そして朝ご飯を食べさせてもらっている。 

「ううう…。 ベッドまで朝ご飯持ってきてくれたら、起きる…」

2009-06-28

今日の私は頑張るよ

 今、日本とイギリスにいる友人たちとオンライン上のポートフォリオ+ブログを作っている。 永遠と時間がかかり、永遠と進まないこの作業。 私と友人はそんな状況を打破するべく今日決起したのだ。

 今日の私は頑張る! 

2009-06-27

近況

 1. シオネちゃんがフランスから郵便を送ってくれた。

 とても嬉しかったです。 もうもありがとう。 やはり、友達からの郵便って良いですよね。 家に帰って、誰かから何かが届いていると、本人には遠くに住んでいるので直接は会えないのですが、一瞬その人に会えたような気分になるのです。 相手の体を感じます。 それは日常へのすごいご褒美だと思う。 ああ、シオネちゃんがフランスに行って、どこかでちょっとした時間を使ってこのカードやプレゼントと、私の為に関わってくれたんだなと思うと、やっけに愛されている気分になりました。 ふれあいを感じました。 どうもありがとう。

 2. 最近はずっと工作+雑事+マネージメントをしています。
 
 インダストリアルデザインには色々な工程があります。 まあ、勿論どんな仕事でもそうだと思うけどさ。 今の会社の場合一つのプロダクトに開発から発表まで六ヶ月ぐらいかかります。 私の働き方ですと大雑把に言うと三段階あります。 プロジェクトそのもののデザイン、プロダクトのデザイン、最後に全部の実現に向けての"ひたすら"な作業があります。 最初の二つの段階ってのは、結構どういう商品を作っていても似たような方法をとるのだと思う。 勿論、調べる領域とかは変わるけど、なんか底辺に流れる感じは同じ。 ただ最後の部分はあまりにも見事な雑事の集合体的な実務なので、本当に状況による事が多く、作っているもによってやる事が全然違います。 そして関わる人の数が急激に増えます。 関わり合う人も作っている物によって変わります。 結構にひたすらな作業。 今はそのステージにいるので、本当にひたすら。 プロジェクトの骨組みが出来上がった後の、「さあ、後は全部雑務と実務を繰り返すのみ!」って段階は、実際に働いてみないと経験できない事柄でいちいち初体験で、いちいちおどおどです。 ここで踏ん張れないと物は出来上がらない。 ここが頑張りどころだと思います。 その中には結構「これってインダストリアルデザインって言うより、インダストリアルエンジニアリングだべや…」って作業とか、「これってほとんど現場監督だよね?」っていうのが含まれとります。 要するに、この最後の段階になってしまうとデザイン(計画)する事よりも、実行する事の方が増えるので、デザイナーとしての仕事はあまりないのです。 そのかわりひたすら実務関係の事をします。 ああ、工業デザインって名に恥じないぐらいに、ひたすら工業に関する仕事だなあと実感する次第です。 楽しいです。

2009-06-25

きれいな景色

この間ウェリントンにいた時、夜中に友達とドライブをして懐かしい場所を巡った。 気に入っていた岩場とか、湾とか、浜辺とか、灯台とか。

2009-06-23

家庭の味

 体調がまだ本調子じゃないから、体に優しい物を常に求めている。 なんか胃にもたれず、味付けが薄く、でも食べごたえがあり、明日に響かない物が食べたい。 そう、まるでトムとマフューの料理のように! って事で隣の家の人達の「夕飯の代わりにビールでお腹を膨らませないかい?」というとんまな誘いを断り、家でさっき料理をした。

 彼らは徹底的なベジタリアンで、しかも"男の料理"しかしない。 手が込んでいたり時間のかかる料理ははなっから相手にしていない清々しさがある。 ものすごい大量の野菜を、薄い味付けでドバッと出してくる。 じつにいさぎよい。 結構なバリエーションが存在するんだけど、特に定番の"あー俺もう今日は疲れたから野菜食って寝る"スープを私も作った。

 手順は簡単。

1.お湯を沸かす。 ローリエ、コンソメとニンニクをいれる。

2.大量の野菜を入れる。 なんでも冷蔵庫に入っている野菜をぶつ切りにして入れる。 

3.ちょっとだけ白みそを入れる。 適当に家にあるハーブ、スパイス類を好みの程度に入れる。(ここが肝なんだけど、ほとんど魔法のようなプロセスなので言葉で説明するのは無理)

野菜が柔らかくなっちゃう前に火を止めて、もりもり食べる。 味付けは極力薄めがポイントで、冷えた白ワインとかといただくとあっぱれ。

 コンソメの分量を間違えたので私のは、トム達が作ってくれるのよりかなりしょっぱめになってしまったのが残念。 それでも体に優しい味だった。

 今は友人も"五、六月の風邪は犬も引かない"風邪をひいているそうだ。 そして体に優しいスープを食しているようだ。 シンクロだね。 こっちは犬も猫も豚もみーんなして風邪引いてるよ。 会社で、うがい薬と手の消毒剤が支給されたぐらいに。 君、こっちのトレンド先取りじゃん。





めがね君のブログに張ってあった、Merry Christmas Mr.Lawrenceのリミックスがかっこよかった。 

何があったの?




向かいの会社の前に最近とまっている車。 

 これは一体何をどう使う為にここに駐車されているのだろうかと不思議に思っている。 ここで燃えた訳じゃないだろう。 そういう話は聞かなかった。 ってことは、何かの目的とともにここに移動されたんだよな。 向かいの会社、これを何に使う気なのか。

デメキン デザイン ニュース

 podcastなど新しいメディアで、インディペンデントに番組を発信している人達は本当に尊敬してしまう。 

 なんてクリエイティブなんだって単純に思うのよね。 そして発信している情報にきちんとしたサブスタンスがあったりすると、両手を上げて「おめでとうございます! ありがとうございます!」となんだか関係者みんなに祝福を送りたいような気分になる。 難しい事をそつなくできるって状況は洗練されていて素敵だ。




 最近ききながら、かなり楽しんでいるのがデメキン デザイン ニュース。 カタログ的、広告的でないデザインの話題が聴ける媒体は、それが雑誌であれ、何であれ極端に少ないのですごく貴重。 また、肩肘が張っていないスタイルも良い。 頑張ってくださいと思いながら聴いています。

2009-06-22

べろんべろん

 「べろんべろん」っていう音が好きだ。 「ぐるんぐるん」と同じように、言っていて、気持ちがいい。 さあ、大声で、舌を巻いて言ってみて下さい!

 べろんべろん!!!

 私は近所に友達がいる運が強い。 引っ越すと、大抵となりの家とかに知合いの知合いが住んでいて、大抵仲良くなる。 それで夕ご飯とか作ってくれる。

 今の家の隣には、友達の友達が住んでいて、彼はなかなかのシェフだ。 今日は彼の家で夕ご飯をいただいてきた。 4時間かけて作られたメキシコ料理は美しかった。 ただ、待ち時間にちと呑み過ぎて、我輩ただいまべろんべろん。


 べろんべろん!!!

 今日は夕方に日本の友達とスカイプで話した。 途中で、彼女に私は多分「社会」って言ったときに思い浮かべている景色が違うと言われた。 「アンナにとっての社会って見知らぬ人同士でもちょっといい感じの空気を出し合える空間なんだね」と言われて、確かにそうかもなと思った。 多分こうやって、知合いの知合いって程度の隣近所の人にただメシを食べさせてもらう機会が何故か頻繁にあるのでそういう社会観があるんだろう。 

 ちなみに彼の家はベランダづたいに行けるので、今度からベランダにいる時には窓をノックし合う約束をした。 まさに、社会の窓。

冬なのね 2


枝にも露が。

冬なのね



露でキラキラ。
淑のまね。

2009-06-21

風邪をひいたのね…

 久しぶりに風邪を引いて、仕事を休んでずっと寝込んだ。 週末もずっと寝ていた。

 そんな事をケイスケに電話で愚痴ったら、「風邪を上手い具合に活用して、元気になって下さいね」と言われた。 


 キュン。

2009-06-20

おいしいごはん、その後

 毎日をただ何年間も何年間も、こんこんと一緒に過ごしていた友人とは面白いぐらいに価値観が近かった。 培ってきたもの を感じた。 

 人生で今いる位置も近いし、求めているものも若干被る。 そうすると方法 論も似てくる。

 そんな彼はご飯を食べながら、「僕はこれから三年間は、リレーションシップが作れないと思う」と断言していた。 リレーションシップって、恋愛から生じるパートナーシップについての事。 要するに誰かと一緒に生きるのではなく、単身者として暮すという宣言を三年間分突然した。 「大きく出たな、お前!」と思いつつも、すっげー気持ちは分かった。

 彼の研究に対して奨学金が出たので、これから一年近くまた違う国に留学し、その後アメ リカにある本命の研究所を受けようと思っているアクティブな彼は、「基本的な引っ越し」だけでも、この三ヶ月で四カ国する事になっている。 勿論、入国後 にどれぐらい引っ越しが待っているかってのは未知数だ。 どうしてそんな事がおこってしまっているのか分からないけど、とりあえず彼は、局地的なお引っ越 しの嵐に揉まれている。 

 引っ越しは、心を弱める。 特に国際間の引っ越し(ビザ関係含む)程、最強の去勢は無いと思う。 奨学金の申請も、それが海外のだったり、巨大な額の奴だったりすればするほどに、しなしなにエナジーを吸い取る。 マジで性欲も何もかも吸い取られるプロセスだ。 それを彼はいつも頑張っている。

 彼の場合、自分にかけているプレッシャーが「引っ越しの度にキャリア的にグレードアップ」っていう、当然と言えば当然、でも三回目の引っ越しのゴールがMITのメディアラボに設定されている時点で一回一回の引っ越しで相当なジャンプを求められるすごいやつなので、 余計に「この事以外考えない」って路線になっているんだと思う。 気持ち、すっごくわかる。 「今恋愛なんてやってらんない」ってなるわな。 こんなに自 分が不安定な綱渡りをしていると分かっている時点で、誰かの人生を自分の人生に取り込む事は出来ない。 言いたい事は分かる。

 それにめ んどくさい相手とかに掴まっちゃったら、引っ越しは出来なくなるし、でも愛情もあるから捨てきれないし、自分の冒険家気質みたいなのに罪悪感すら持ち始め るし、ろくな事にならないもんな。 実に合理的な判断だ。 見事に恋愛の値段は調べ尽くしているけれども、価値と可能性には目をつぶっている。 ナイスに 緩い判断だ。 価値に目をつぶり、値段だけ見たら、そりゃあ、パートナーシップなんていう冒険には手を出さないよね! 気持ち分かるよ!!

  気持ちは分かるけど、相手を知り尽くしている私は、「でも絶対君は誰かに好かれて、ちょっかい出されてなびいちゃうんだよな」と思いながら話しを聞いてい た。 手に取るように分かる。 その状況が目に浮かぶもの。 「ああ、こんな価値、気がついてなかった」ってなっちゃうのだ。 だってこんなにいい男なんだもん。 手を出すだろう、それこそ全ての女が!

 そんな事 を考えていたら、相手の事がもっと好きになってしまった。 とりあえず、頑張れよ、失恋が訪れて、どうにかなっちゃいそうな時には、私が横にいてやる。 横で「自分で、こうなるからやらないって言ってたのに」って笑ってやる。 いっぱい頭をくしゃくしゃになでて、大笑いしてやるのだ。

  私は彼のパートナーとしての実務能力の高さを知っている。 そんじょそこらの男の子じゃない。 呆れるぐらいに良い男だ。 心が本当に広いし、勇気もあるし、思いやりも強いし、何よりも人に優しくて愛情深い。 一回この男の子の味を知った ら、他の適当な男の子なんて視界にすら入らなくなる。 そしてそんなにいい男に大抵の女の子は会った事が無いから、速攻で惚れられちゃうだろう。 絵に描 いたようなキウイハズバンドなんだ。 理想のパートナー。 あっはは。 だから惚れられちゃって、求められちゃって、でもわかれなきゃいけなくなっちゃったりとか色々あって、大変な目にあうんだろうな。

 もし、神様っているんだってぐらいの幸運が彼に訪れたら、彼の大冒険について行けるぐ らいに能力が高くて自立していて、どこでも仕事が見つけられる、フットワークの軽くて健康的な良い女の子を見つけられるだろう。 そうしたらしめたものだ。 絶対にその女の子は誰よりも幸せになるし、彼もこれまで以上に素晴らしいパートナーになるだろう。 いつか、絶対にそうなるよ。

 大丈夫だよ。 何がどうなろうと大丈夫。 君は本当にすごい子だからとご飯を食べながら私が大笑いしながら言ったものだから相手は不機嫌になっていた。 自分の必死の決心を馬鹿にされたような気になったんだろう。 

 やっぱり、色んな女の子たちに「彼みたいな親友が欲しい」と言われた理由が分かった。 こんなに面白い子が親友だなんてラッキーだ。 「君みたいな男の子が私の親友なんだと思うと、自分の幸運さに胸が痺れる」と言ったら、「僕も全く同じに思ってる」と紋切り型な返事をされた。 ちょっとまだふてくされていた。 あっはっは。 可愛い。

2009-06-16

おいしいごはん

 愛おしい友人と夕飯を食べた。 卒業式に彼が留学先から帰ってきていたのでちらっとは会っていたんだけど、きっちりと二人っきりで会って時間を過ごすのは一年ぶりだった。

 彼とは一時期無節操に親密になり、その後非人道的な喧嘩をし、ぐさぐさな思いを引きずりながらお別れをしたという人には誇れない経緯がある。 今回はそれ以降初めての二人遊びだったので緊張した。 また相手を傷つけるような事を言ったらどうしようとか、逆に相手に不愉快な思いをさせられたらどうしようとか、うだうだうだうだ考えながら待ち合わせの場所に行った。

 二人ともとっても緊張していて、ガチガチになりながら腕を組んで、当たり障りの無い事ばかりを話しながらレストランに向かった。

 「ああ、このまま当たり障り無く、ジョイとかとは遠い感じの夜を過ごすのか。 私たちの一緒に過ごしてきた数年間ってこの程度の夜に集約されて行くのか…」と思いつつも仕方ないかなと諦めてながらワインを呑んだ。 一度出来た心の壁ってのは超えられないのねと悲しく思った。

 でも奇跡は起きた。 出てきた料理が、あまりにもおいしかったのだ! 

 一口食べた時点で二人とも、昔の馬鹿の一つ覚えみたいに仲が良かった頃に戻っていた。 尻尾を振れるだけ振った子犬二匹に戻っていた。 「おいしい!」「おいしい!」と二人で連呼しながら、お互いの顔を見つめにこにこしあうしかできなかった。
素晴らしい料理の力を始めて知った。 ウェリントンで一番おいしいとされているフレンチレストランだったんだけど、素晴らしかった…。 メインを味わった最初の瞬間のセンセーションと多幸感は多分一生忘れない! おいしいごはんってすごい! 

 お互いおめかしして、ガチガチに緊張しながらレストランに入って、一口食べて、とろけて、見つめあって、ほっとしあって,仲直りってその単純な筋書きがあまりにも私たちらしくて笑えた。 本当にどこまで進んでも、何があっても、私たちは単純な昔からの友達で、目が合えば嬉しいし、相手の体が横にあれば幸せなのだ。

 高校大学と一緒だった、私と彼は周りから見ると二人の世界が出来上がってしまっているお友達だったようだ。 よく女の子から「彼みたいな友達が欲しい」と言われたし、彼も男友達から「アンナみたいな女友達が欲しい」と言われていた。 勿論私は彼の現在過去未来全てのガールフレンドに心底嫌われ、何回か黒魔法で呪われた気がする。 逆もしかりで、私とちょっとでもロマンティックな関係にあった男の子は皆、一律に私たちの友達関係を軽く呪っていた。  きっとその所為で彼の毛は最近ちょっと薄いんだと思う。
  
 お互いがお互いに反応しすぎてしまうというのが問題で仲違いをしたのだけど、おいしいごはんに励まされ埃がかぶっていた友情と愛情はいきかえった。 おいしいごはんの力を始めて心から理解した。 やっぱり彼みたいな友達がいないと寂しいし、好きすぎて気が散るからっていう理由で友情関係は放棄するべきじゃない。

 おいしいごはんはそういう難しい感情や、こんがらがった思いをただすーっと解凍してくれた。 ただ、ほっくりとさせてくれた。 おいしいごはんってすごい。

2009-06-15

風邪のときは






にゃーーーー!!!


ちょっと風邪っぽかった友達が防寒用の寝袋のなかに、猫を招き入れるのに必死になっていた。 猫がほっかいろ。

足が大きくなったね


 就職の面接用に大人の男の靴を友人が買った。 足が超大きく見えた! 「アンナ縮んだ?」とからかわれて、「いや、君が無駄にでっかくなった!」と言いかえした。

 こういう形の男の子の靴は、女の子の場合のハイヒールがそうなように非常に車の運転がし辛いんだって。 大人になるってそういう事か。

 それにしても友達が大人の格好をしている姿を見ると嬉しくなる。 だってすっごいかっこいいんだもん。 きゅんきゅんした。

友人の仕事場

浮き島ウェリントン

週末にウェリントンに遊びに行った。

2009-06-13

Wellington

Hey guys!

I am visiting Wellington for this week end to see Matty and Tom. They are my old friends and kinda like my mum and dad. (altho we are all same age...)

Last night, We had gin and tonic.
This morning, cooked pan cake for branch.

Man, it's too good to be true... LIFE IS GOOD!
Spending time with somebody you like is just a blessing! I am so happy now.
If anyone who reads this blog is having difficult time of their life, I say bring your tonic to your friends house and just enjoy it with gin.


Wellington

2009-06-09

夕方は黄金色







昼間は真っ青だけど、夕暮れは黄金色。 滝の方に行くと、空の反射が無いから、本当に金色で気持ちがいい。 友達が「疲れた。 ちょっと寝る。」って言って本当に寝ていたのに笑えた。

そういえば、結構絶景

 そういえば、私は美しい大自然で有名なニュージーランドに住んでいる。 

 住んでいると「大自然」ってのがなんだか分からなくなって、特にそれが特別な事だと思わなくなる。 他所の人から見たら大自然かもしれないけど、こっちの人からしてみたら日常なのね。

 でもこうやって日本語の文章の横に、こっちの散歩道で撮った写真とかを載せるとコントラストで「おおっ」ってなる。 確かに、大自然なのかもしれない。 大自然って言葉の意味はよく分からないけど、ニュージーランドにいると裸ん坊の地球の形と当たり前に、日常的に接する事ができる。 すごく風通しが良くて、からっとした気持ちにさせてくれる。 良い意味で「まあ、こんなもんさ」って思わさせてくれる。

 この浜辺は、どうやって言葉で表現したら良いのか分からないんだけど、裏っかわが崖で、どでかい浜があって、浜には薄い海水の膜が張ってあり、そこにずっと空が反射してうつっている。 砂浜が黒っぽいから、空の景色が鏡みたいに反射するんだ。 だから空の上にいるみたいに見える。 それに周りの山々の景色も反射する。 そして、半端無くどでかい。 どこまでもどこまでもこのビーチが続く。 馬に乗って散歩している人達や、写真のように、犬に散歩されて走り狂っている青年なんかがいたりする。 結構綺麗だと思う。




こういう場所は空からも、海からも、浜辺からも光が反射するので写真を撮るのが難しい。 普通に撮ると真っ白になってしまう。 だからあんまり上手くその場で見える世界を撮れている写真がないんだけど、ちょっと紹介したいと思う。 この写真を見て、「どうせすっごい瞬間だけ狙って撮ってるんでしょ」とかって思ったらそれは間違えで、この写真では現実の景色の5%も情報を運べていない。 実際はもっともっと、すっごい濃密な、でもシンプルなスペースなの。

そして真っ青なの。




 時間帯にもよるけど、例えば足首まで水が浸る海水の深さが始まるのは、水が張っている先から一キロぐらい先になる。 だから本当にただとことこと、空が反射している水の薄い膜の上を散歩できるんだ。 この「歩ける」ってのがポイントな気がする。 薄い水が張っている砂浜を歩くのは本当に気持ちがいい。




 ここをずーっとずーっと奥まで歩いて行ける。 不思議な感じ。 結構綺麗なんじゃないかと思う。 分からない。 これが日常だと「こんなもんだ」って感じになっちゃうけど、でも実際の所は結構良いんじゃないだろうか。








犬の散歩







 犬の散歩って、人生で「日常だけど確実に幸せ」な時間の一つだと思う。 間違えなく! 

 海辺で犬の散歩ってのは特に良い。 実家が鎌倉な私は七里ケ浜でよく愛犬とはしゃぐ。 

 人も犬も海が大概好きなのだ。 好きな物が一緒で良かった。 二人して楽しくて、二人してちょっと幸せ。
 










 この犬はまだ子犬で散歩の仕方をよく分かっていない。 リードを噛んだり、ぐるぐるまきになってしまったり、歩くっていうよりもはねたりしていた。 可愛い。

 途中からしびれを切らした友人が「もーーー、相手がやりたい事をやらしてみる。この子に俺が散歩させてもらう!」と散歩される宣言をした。 結果ひたすら猛ダッシュでぐるぐると円陣を描きながら走るはめになっていた。 私も昔犬に散歩の仕方を覚えさせている頃、しびれを切らして「お前の好きなようにしろ!」と宣言し、猛ダッシュに付き合わさせられた事がある。 考える事は一緒かと腹を抱えて笑った。

お犬様

 多分、今好きな物事はいつかは飽きる。 デザインだって、美術だって、音楽だって、好きな人だって、刻々と変わって行くさ。 

 ただ幸運な事に、これだけは一生間違えなく確実に変化無く無条件に好きだって思える対象がある。 犬だ。 私は犬が心底、触れた瞬間に体中の細胞がぴちぴちと音を立てて喜ぶぐらいに好きだ。 歓喜の対象。 犬! この不思議な生き物! 犬!!! 激しく美しい。 嗚呼、犬。

 我が家はお犬様一家なので、一家の結束が犬に託されている。 親も私も産まれた時から常に数々の犬に囲まれて過ごしてきた、生粋の犬の相棒なのだ。 私は犬の良き相棒になるように育てられたような気がする。 それだけが我が家の教育方針だった気すらする。 家紋も名字も犬に変えたいぐらいに犬が中心だ。 生まれ変わったら自分の実家の犬になりたいぐらいに、うちの犬は大切にされている。 犬が好きだ! 考えるだけでなんかすっげー温かい気持ちになる。

 今回行った友人の実家は我が実家と同じぐらいに犬への情熱と愛情が溢れた家だった。 私、ここん家の犬になってもかまわないって思った。 これだったのかと思ったわ。 何故私がこの友達に惹かれるのか、そして相手が私に惹かれるのか、そしてどうしてこうも話しが通じるのかが単純に分かった。 要するに根底には犬的なるものが流れているからだ! 私達はお互いの中に犬的な輝きを見いだしているのだ。 犬は善なのだ。 





 友達の実家は子犬が産まれたばっかりで、完全に犬天国になっていた。




 もーーーーーーー、この沸き上がる喜び、言葉では言い表せない。 そういえば私の犬が赤ちゃんだった頃、初めて出た庭で、風とかが分からなくて、風がふく度に不思議そうに顔をかしげたり、鼻をクンクンさせたりしていて、飼い主の愛情大爆発ボタンを押しまくってくれた。 人様の家の子犬を見ると、私の育ててきた犬達の幼少時代を思い出し、胸がとろけて、蜂蜜になってしまいそうになる。




 嗚呼! 犬、万歳!

窓からの景色

 風通しのよく、のどかで、おおらかな友人の実家に行ってきた。 オークランドから車で1時間ぐらいの場所にあるその家からの景色を見て、こんな所で育てばそりゃこういう感じに成長するよなと納得した。 とても風通しが良かった。




Play!

うちの会社にはおもしろがりやな人達が多いと思う。 ほとんどの人達の仕事の仕方は激しくライフハッカー的だ。 よって、仕事が終わったら速攻で帰って家で遊ぶタイプの人達の集団なのね。 社長一同TwitterもやるBlogger達で、新しい感じの事やら面白い感じの事を発見すると速攻でお互いに報告しあっている。



このビデオは社長から送られてきたリンクに張ってあった。
社長から「職場では遊べ! 本気で遊べ! 心底楽しめ!」というビデオが届くとは思っていなかった。
すごく良い会社で働いていると思う。 ラッキーだ。

2009-06-04

大人になってみた

 大人になりたいわと思う。 ちょっとは成熟しないと生きにくいからね。 

 なので対策を練るため、「大人とは?」ってのを考えてみた。 多分、様々な成熟された要素が積み上がって、大人になるのではないかと今は推測している。 それこそマイナーディテールをリストし始めたら一冊辞書が作れちゃう位の様々な成熟。 そして結果の一つの例として、「居心地の良い慣れ親しんだ場所以外にもある程度健やかに対応できる力」に成熟度が反映されるのではないかと考えている。

 さて、私の男の子と週末の冒険の約束をたてていた。 今週末はどんな冒険をしようかってワクワクしていたところで、「よっし、俺の実家で両親と食事ってのはどうだ」と言われた。 そいつはぁ…、大冒険だ。

 私は淡白な核家庭で、淡々と育ち、なおかつ12歳で実家を出て単身者になったので大抵の他所様のご家庭の力学には一直線でひるむ。 その御家庭の培ってきた歴史にひるむ。 その家族がファミリーファミリーしていればしているほどにひるむ。 仲良し家族の輪のなかに入るとかってのが苦手で仕方がない。 同じような学校に行っていた子の家族は扱い方が分かるので全然大丈夫なのだけど、それ意外はちょっとお手上げだ。 「居心地の悪い状況」の典型的例の一つが、「よその家族にふれあう事」なのだ。 

 なのでこれまでは、そのような状況にちょっとでも近づきそうになれば全力で回避してきていた。

 ただ彼の親にはその子のギグの時に後ろから呼び止められ、「まーーー!最近息子と仲良しなそうで!!お会いできて非常に光栄!!」とこっちが別に仲良しだと思っちゃいない時期から存在感を強烈に示されてきた。  よもや子供たちの楽園、夜のクラブで親と鉢合わせするなんて思ってもいなかった私は心底度肝を抜かれた。 「あわわわわ! なんともなんとも! 早急なご家庭で! いやいや、こちらも息子さんとはチャラチャラと遊ばせてもらい、いやはや、いやはや、良い思いを沢山させてもらっております。 良い息子さんをお持ちで。」と慌てふためいた。 不意打ちで後ろから来たので逃げるどころではなかった。 そして彼らは普通の優しく愛情深いリベラルなご両親だった。 破綻している所やエキセントリックなところが全くなく、対処の仕方が分からなかった。 要するに相手は大人であった。 すっげー、大人な親だった。 

 そして、あああああ…、私の限界を軽々と超えた状況が数々おこり、最近は開き直って肝試しを楽しむかのように過ごしている。 あああああ…、肝が冷える…。 もうこうなれば私も大人になり、大人の付き合いをするしかない。 大人対大人。 相手も大人なんだから寛容だろうし、私だって大人だから寛容だ。

 なので「よし。 私だって大人だし、人の子だ。 御両親には会う。 お母さんの手作りのごちそうをいただこうじゃないか。 なんなら食後のケーキもいただく。 有り難いし素晴らしい。 ここで一発大人の女の懐の深さを示そう」と思い始めた訳です。

 はぁ…、何が言いたいのか分からなくなってきた。 とりあえず、毎日思うよ。 もっと成熟していきたいし、もっと大人になりたいってさ。 なんかその方が楽しいし、キレイだ。 キレイが一番!

2009-06-03

本屋さんヘブン

 散歩先で行った地帯が本屋さんヘブンだった。 素敵な本屋さんの嵐。 入り口に入った途端に、友達と手をつないでキューンってなったぐらいに素敵な本屋さんが数件。

お姫様達

 ディズニー オン アイス(ディズニーキャラクターに扮した人々がアイススケートをするショー)がオークランドでおこなわれていたらしい。

 週末に友達と家族連れが多いエリアを歩いていたら、そのショー帰りだろう沢山の小さい子達がお姫様の扮装をしていた。 お姫様の格好をしてお姫様のショーを見ると。 プチ社交界。








空間が華やかになっていた。

2009-06-02

海を渡ろう




 私がウェリントンで洗濯をしたりお茶を飲んだりしている写真を見たオークランドの友達が、「こっちでも気持ちがいい事をしよう」と言ってくれた。

 女王様の誕生日のおかげでニュージーランドは、この間の週末三連休だった。 「とりあえず、フェリーニでものって海を渡ろうか」と言い、ちょっと長い散歩/小旅行に行った。





 ちょっと曇りだったのが残念だけど、やっぱりフェリーは気持ちがいい。 ただの暇つぶしの為にフェリーに乗る回数は、近年飛躍的に伸びた。 飛行機とフェリーが好きだ。 普通では通れない所を通れるのが嬉しい。





しばしさよなら、オークランド。


 


すっごく寒くて、がくがく震えながら、友達とデッキの上でお互いにしがみつき合っていた。 

でも、すごく気持ちがよかった。

気持ちがいい事をしよう










 洗濯をした。






 その後にお茶を飲んだ。





 みんなの足元が可愛かった。

2009-06-01

行進

 こっちの大学は卒業式の日にお昼の街を行進する。 首都にある国立大学という事を異常なまでに誇りに思っている我が母校は行進を国会議事堂から始める。 って言っても、現国会議事堂の向かいにある旧国会議事堂(今は私の大学の法学部)からだけど。 ゴールは市役所や、市立美術館、市立図書館に囲まれた市民の広場。 国から市へ。 なんだかわからんが、そういうコースです。 

 ラジオで行進する時間を言ってくれるので、友達や親戚が行進する場合は街頭に出て待つ。 官庁街及びオフィス街を歩くので、みんなお昼休みに見に来てくれる。 高校から友達の子達はやけにできがよく、皆様官僚になられたので、省庁の前で仁王立ちして待っていて下さった。 仲間内で最後に大学を卒業した私の門出を祝ってくれたよ。

 すっげー、この街に育んでもらったんだよなと思う瞬間だった。 思え返せば十年前、ウェリントンに引っ越して以来、毎日のように歩いていた街で自分が行進をしていると、そして街の野次馬の皆様に街頭で拍手していただくと、結構胸いっぱいになるよ! 子供は、街に育ててもらうんだね。 

 初恋の人やら、ふられた相手やら、ふった相手やら、高校時代の友達やら、彼らの親やら、自分の親やらがみんなして街頭にいて拍手しているから、この思いをどう表現していいのやらと混乱した。 これが現実なのか分からなくなって、「私、実は死んでたらどうしよう?!」と思った。 なのでオークランドのスウィートハートに行進しながら電話をして「今行進中!! バグパイプの音聞こえる? 私生きてる?」と確認したぐらいにシュールリアリズムな経験だった。
 




行進の先頭はスコティッシュバグパイプ。 バグパイプ大好きな私は盛り上がった。 ただ平均的に人々はバグパイプの音が嫌いである(何故?)。 文句を言ってい る人達が多かった。 でもお祭りと言えばバグパイプだろと、ブリテン島育ちな私は奇妙な所でコンサヴァティブに友人らと喧嘩をした。 羊の死に際のうめき声みたいで、味がある美しい音じゃないか。





この奇妙な服装な人達は大学の教員達。 学位のグレードが上がれば上がるほどにクリスマスツリーみたいになっていく。 学長のガウン、すごかった。 





私の学部のガウンのフードの色はケニアレッド。 学部によって色が違い、学位によって形が違う。 学士には白いモコモコがついていて、修士になるとそれがとれる。 理由は「叡智の炎」に近づく事により、防寒の必要が減るからだそうです。 要するに学士程度だと、「お前の叡智はまだお寒い」っていう事で、モコモコ着きになると。 冗談みたいな本当の話しらしい。 ちなみに帽子の形も変わる。





こうやって市民の広場に集まる。 大学の教員は最後に学位を取得した大学のガウンを着る。 うちの大学のはミニマルな黒だからまだ良いけど、イタリアとかアメリカとかのド派手系の所を卒業しちゃうと、真っ黒なガウンを来ている人達の間で、1人で真っ青とかド紫とかっていう「ルネッサンス期ですか?」的悪目立ちをしてしまう。 あっはっは。 普通はガウンの形なんかでは大学を選ばないから、こんなのこういう状況にならないと分からないよね!




真っ赤なガウンに大黒様の帽子みたいなのを被っている先生に「いやー、目立ちますな! 先生のガウン好きですよ」って言ったら照れてていた。 ちなみに青いフードは理系の子達。 



 行進の間はすごい達成感を感じた。 すごく誇り高い気持ちになったし、嬉しかった。 自分が誇らしかったよ。 友達と「嬉しいね! 達成したね! 誇り高い気持ちになるね!」と言い合う。 みんなで「君と一緒に今ここにいれて嬉しいよ!!」とも言い合った。 ううう…、みんなしていっぱい一緒に徹夜したよね…。 スプレーペイントの使い過ぎでハイになったりしたよね!



 卒業証書の授与はホールで行われた。 教授達が壇上にいて、みんなして仮装大会状態になっていた。 いやー、本当に仮装状態。 アカデミックドレスって仮装。 誰から1人笑ったら、全員大笑いして「もーやめようよ」って言い出しそうなレベルで仮装だった。 でも誰も笑わない。 それがアカデミズムの恐ろしさ。




 そして勿論"先住民族"が式典の始めに踊る。 踊らせておけば、バイカルチャーという政治的正さは保たれるのだろうか。 スコットランドの民謡と共に行進し、オックスブリッジで博士号とかを取った人達が教授達で、みんなして仮装してクリスマスツリーみたいになっていて、そして半裸の先住民族が踊る。 ああ、神よ! 何故我々はどんなに頑張ってもこの程度なのでしょうか!

 私はここら辺から「もう、この冗談は終わりにしようぜ。 ほとんど悪夢みたいになってきたよ。」って気分になった。 クソみたいな気分になり本当に失神しそうになった。 こういう時は本当に貧血になり、体が硬直し「気が狂っちゃう前にここから出なきゃ」って思いで体がいっぱいになる。 なので途中退場しようとし、係の人に「せめて卒業証書は受け取れ」と押し問答の喧嘩をする。 客席から見ていた親は「また娘が最後の最後に気分を変えた!」とヒヤヒヤしたらしい。 友達に「一緒に卒業しよう」と強く言われて残った。 自分の子供じみた感じが恥ずかしく、でもこの状況も堪え難く、すごく難しい気持ちになった。

 思い返せば、ずーっとこのコンサヴァティブさに吐き気がしていたんだよなあ。 相変わらずこういうオフィシャルな場面ではすっげーイライラしやすい人になる。 大人になれない。 アカデミックガウンを着ていないと卒業できないとか、公式な場に出れないとか、「これこれこうしないと、おまえはこうできない」っていう態度を取られるのが苦手だ。 勿論、世の中そういうので溢れているけど、出来る事ならそういうのから遠ざかって生活したい。 

 でも基本的には、すごく達成感があった。 嬉しかったし、自分を誇りに思ったよ。 やっぱり大学生活を頑張ってよかった。 そしてすっごく家族と友達に感謝した1日だった。 多分、こんなに家族に感謝の気持ちでいっぱいになった日は生まれてはじめてだった。 本当に、本当に、家族に感謝した。