2007-12-29

祈りのように

 ここ数日間はほとんど祈るかのごとく、毎日何本も映画を見ている。 


それにしても、元々は字幕なしで見ていた洋画を、日本語の字幕をつけてみると色々と違う視点に持って行かれる。 


リズムや面白さ、独特のユーモアなんかは大抵なくなってしまうけど、ストーリーに対してある種のコントロールを持って見えるようになる。 ちょっと面白い。


 そして、人といる時もちょっとした祈りがある。 深く息を吸ったときのように、相手の存在を感じたいと思う。 友達とはそうやって遊ぶ。 勿論それは一瞬だけで、すぐに面白さに戻るんだけどさ。


日本に帰ってきてからよくパーティーに行く。 遊ぶのは楽しい。 


ざわざわとした空間にいると心が洗われると思えたりする。 それも一つの祈りだと思う。







この人達、かっこいいね。

2007-12-27

モーツァルトとクジラ


 モーツァルトとクジラを見た。 

アスペルガー症候群を抱えた男女二人がいかに恋に落ち関係性を達成しあっていくかが描かれている映画で、小粒ながら良い映画だった。 「向き合いたい」という気持ちと、「普通」という見えない軸にがんじがらめになっている状態の描写が素晴らしかった。

もう、描写が…、描写が人ごとじゃなくて、本当に途中で何回も心臓が止まるかと思った。 普遍的なものの宝庫な映画な気がする。 本当に「これぞ、私の日々の問題の半分以上を書き出している映画だ」と思った。 とんだリアリティーだよ。 やけに似ている題名の映画イカとクジラに続く名作。 両方とも骨身に沁みる内容で、見ている最中に終始悶えた。 

「ああ、これは私の見ている世界だ」と思える種の映画は貴重だし、そこに芸術の力の側面を感じる。 自分の背中を真後ろから押してくれて、今の自分を少しだけ前に動かしてくれる、そういう映画って意外と少ないよ。  他人事じゃない、って本当に思える事柄ってあんまりなくない? 

あまりにも、日常的に私が難しいと思っている事柄をきちんと書き出してくれている映画なので、周りの人達にも見ていただいて、「どうよ! 君たちも、いつも問題なんてありませんって感じにやってるけど、こういう面だってあるんでしょ?」と確認をとりたい。 (だからって、別に確認し終わった後になれ合いたくはない。 そういう事する奴は大抵ディックだ。)

「普通になりたい」「普通でありたい」と寂しい時に言うと、「普通って何さ?」とか「みんな変だよ」とか言ったり言われたりする。 そしてよくそう考える。 「あー、また変な事しちゃった」って自分で思う時は、勿論「普通って何さ」って思うようにしている。 

ただ、そこには拒否がある気がしてしまう。 

「普通って何さ」っていう発言は、「自分が普通じゃないと思う事自体が高飛車で、理解に苦しむ程に愚かな事だ。なおかつ、致命的にわがままだ。」と聞こえてしまうことがある。 だからちょっと考え込んでしまう。 

目的は人と向かい合う事で、その為に変な事をしてしまった時、自分の不器用さと戦っている人を見た時、どうやって対処したら良いのかはまだ分からない。 でも、「なんかあるぞ。 大丈夫だぞ。 大丈夫だ。」と映画を見た後に思えた。 良い映画だったよ。 心臓が止まりそうになるから、滅多には見れない映画だけど、良い映画だった。 すっごいリアル。

自由だ!

親知らずから生ずる悲劇に巻き込まれた人達が私の周りには多い。 

話を聞くだけで痛い。 

そして、私のも具体的に痛かった。 

でも認めたくないから、いつも「これはイマジネーション、これはたまたま、私が周りの人達からのストーリーで作り上げている幻想。 アンナさん、妄想が過ぎますよ! はい、終了!」ってやっていた。 

私の特技である「直前まで認めない」の実践ですね。 自分でも強く信じ込むから途中からどっからどこまでが自分の洗脳による技か分からなくなる。 

今日は、うずく歯を抱えながら歯科大付属に行って抜歯をしてきた。 口では「まあ、抜いとくと安心だからね。先行投資だよ、あはは。」と言いつつも、びびりにびびって、親に仕事を休んでついてきてもらう。 だって、本心では「あたし完全に死ぬかも!」状態でした。 

本当に本当に怖かったんだよ! 

言っている事とやっている事と思っている事が全くかみ合っていないから周りから見ると何がなんだかって感じなんだけど、怖かったのよ。 だって、多分、結構、親知らずが痛かったっぽいんだもの。

既に失神しそうな気分で診察台に座り、歯茎に麻酔の注射をされる。 緊張のしすぎで心臓がバクバクして看護婦さんに、「体調が変です。」と訴えるも、「あー、注射した時に本当にアンナさん、硬直していたし、息をしていなかったからでしょうね」と言われて、あまり取り入ってもらえなかった。 頭の中では「げーーーー! このまま変になっちゃったらどうしよう」とくらくらしているんだけど、「そうっすか」とクールに過ごす。 

そして麻酔がききはじめるまでちょっと五分ぐらい待っていて下さいと言われたと同時に熟睡し、何か言われているな、誰かが私の口の中に何かを入れているぞと思いつつ眠っていたら全てが終わっていた。 えええ? なんてアンチクライマックス。 もっと、もっとすっごいドラマと極端に痛い目にあうんだと思っていたら、昼寝しているうちに終わってしまった。

先生に「親知らず抜きにきているのに、こんなに診察台で熟睡できるって凄いねえ」と言われる。 「ビビりすぎて寝ちゃいました。 癖なんです。」と言ったら、呆れられた。 そして、別に何も起こらず本当にそのまま終わった。 料金を払い、処方箋を貰い、痛み止めを手に入れ、完了。 

ついてきてくれた母はてっきり私が泣き叫んで、先生と殴り合いの喧嘩をして、口から血をだらだら流しながら出てくるんだと思っていたみたいで、寝ぼけながら出てきた私をみてきょとんとしていた。 あまりにも私が寝ぼけているから全身麻酔でもされたのかと言い、「いや、奥歯の所だけ。 でもこんなに深く寝たのは始めてってぐらいに眠りこけた。」と返事をしたら呆れられた。 

そして、痛すぎて何も食べれないダイエット+家族からの同情というもくろみもどうやら失敗しそうだ。 帰り道に普通にお腹がすいたからご飯を食べてきた。 

うーん…。 何もかもが予想以下。 


とりあえず、めでたい!


それにしても! それにしても!

親知らずがないってファンタスティック。 このアゴに生じる素敵なVoid.

そう、この空間の広がり。 清々しさ。 自由だ。 今私の口内空間は久々の自由を手に入れた。 愛しの広場。 クールな禅寺。 潤わしの庭園。 ワンダフル。 ジャストワンダフル。 親知らずを抜く事でこんなに自由な気持ちになれるとは思わなかった。 勇気って出してみるものだわね。

2007-12-26

面白いもの

現代美術は面白いと思う。 面白さの深度が他と違う。 ふっとその面白さを噛み締めた瞬間が今日あった。

そうするとものすごく悔しくなる。 そして焦る。 現代美術関係の仕事で生きていこうと決心しなかった事を後悔する。 

でも、それが原動力になる。 現代美術から与えてもらった勇気を私なりの形にしていきたいと単純に思える。 答えたい、応えたいと思わせてくれた事柄はほとんど全部いつでも美術関連からだった。 そしてその応え方を探しているうちに今日が来ている。 明日も私なりの方法で答えるだろう。 

たまたまその気持ちがピークに達した時、この面白さを違うフィールドでやってみようと思えた。 私が意識的な選択らしい選択を、挑戦らしい挑戦をする事ができるようになったのは、変な話しだけど出会えてきた数々の芸術のお陰なのだ。 それを忘れちゃいかんと思った。 「こたえたい!」と思える事柄に短期間に現代美術やらを通じて出会いまくれた幸運を忘れちゃいけない。

本当に面白いと思っている。 現代美術は、本当に面白い。

そして現代美術が面白いと言う事は、勿論、世の中が面白いという事でもあるのだ。 芸術は理想やら幻想であると同時に、非常にアクチュアルなものでもあると思う。 それが何よりも鑑賞者側に勇気を与える。 
美術を面白いと思えているうちは大丈夫。 少なくとも、私はそう思う。

2007-12-25

Merry Christmas!

 久しぶりにクリスマスを実家で過ごしました。 友人を招待して、家で父の焼いたターキーを食べて、子供の時のクリスマスと同じプロセスをやった。 凄く凄く良かった。 

私の家はあまり団らんをしないし、結束も弱く、電車の中吊りで様々な雑誌が広告している「家族の力が子供の能力を伸ばす」系の真逆を突き進んでいる。 誰も誰とも気が合わないって言う意味で気が合っている家族だ。 

でもクリスマスは特別。 クリスチャンでも何でもないんだけど、the 家族のイベントとして長らく重要視されている。 そして父の焼くターキーが絶対に世界で一番美味しい。 いろんな人の家でターキーを食べたし、ここ五年間ぐらいは一晩に三件ぐらいパーティーをはしごしたりして遊んでいたけど、落ち着く先はこれなのねと思う。 

家族の味ってのは年々変化していくものだけど、ターキーはシンプル故にいつも同じような味になる。 付け合わせもソースもいつも同じ。 だから最高に良い。 一年に一度こうして最高のごちそうを家族で食べるのって幸せだ。 こんなにゴージャスは食事は一年に一回で良いな。 それ以外は粗食で過ごそう。 だって一番美味しい食事はもう私は知っているんだもの。 

そして年がら年中遊んでいる友人たちと、クリスマスまで一緒にいる必要は無いなとも思った。 もっとこんな日ぐらいは我侭に、親しい人を家に呼び、実家のメンバーと共に飯を食べさせるぐらいの感じが良いのだ。 勇気がいるけど、やってみると清々しい。 そして愛おしい。 

2007-12-23

グレート ギャッツビー

 期待もなく読んでみたら、澄み切った文体と、響き合っている物語性にガッツリやられて、今まで読んだどんな本とも違う、凄い読書体験になった。 優れた作品の持ち合わせている深い静寂を感じた。 こういうのは好きとか嫌いとかを超えて、まるで始めから人生の一部であったかのような存在感で、しっくりと心に住み着くね。 不思議な体験だ。


 夜、NHKのドキュメンタリーを何気なく見たら涙が止まらなくなった。 にっぽん 家族の肖像っていう番組の第一章の再放送だったんだけど、自分でも泣きながらどうして自分が泣いているんだろうって驚くんだ。 悲劇に対して泣いているのか、同情から泣いているのか、それとも一貫して描かれている「それでも、それでも人間は愛を持って生きているのだ」という姿勢に共感してなのか。 ああ、ただ絶対にこの番組に出てきていた人達に幸せな、幸せな、幸せな余生を送ってもらいたいと思うよ。 本当に。 悲しい、ひどいと思うと同時に人間に対する尊敬を持つ。 ギャッツビーの最後の文章が、アンビリーバブルに素晴らしかったんだけど、ドキュメンタリーを見ながら頭の中でずっと最後のフレーズを噛み締めていた。


 うわーん、なんか胸がいっぱいで眠れないよ。

2007-12-14

兄弟愛

最近しみじみと私は兄が好きなんだなあと思う。

これは結構な発見。

私と兄の関係は弱くあまり結びつきもなく、一緒に遊んだ事もあまりなく、一年に二回ぐらいしか話さない。お兄ちゃんの話しは滅多にしないし、私に兄弟がいる事すら知らない人も沢山い る。 私から兄の話しを聞いた事がある人はその私の淡々とした感じから「関係、薄いんだね」と言う。 その通り。 

だけど、どうも私は兄が大好きだぞ。 


お兄ちゃんがいるってことが、人生で最大のプレゼントだと思えてくる。 これを通じて親に感謝する心が湧く。 お兄ちゃんバンザイ!
最近しみじみと私は兄が好きなんだなあと思う。

これは結構な発見。

私と兄の関係は弱くあまり結びつきもなく、一緒に遊んだ事もあまりなく、一年に二回ぐらいしか話さない。お兄ちゃんの話しは滅多にしないし、私に兄弟がいる事すら知らない人も沢山い る。 私から兄の話しを聞いた事がある人はその私の淡々とした感じから「関係、薄いんだね」と言う。 その通り。 だけど、どうも私は兄が大好きだぞ。 

周りの人達が兄弟を愛おしそうに話す所とか、どうもかけがえの無い誰のも

2007-12-13

太陽


 ソフーロフの太陽を見た。

 私にとってソクーロフの映画がとても大切で、観賞後には色々な意味で求めている制作への道を示される気分にさせられる。 彼の作品を見ると熱い思いがみなぎる。 

 映画のおもしろさを教えてくれた映画監督が、私の母国語で、祖国に取っての強烈なタブーを映画化してくれるってのは、なんとも凄いことだ。 大興奮。 私、ラッキー!

 それにしても素晴らしい映画だった。 歴史的な事や、政治的な面は私は知識が無いので、評価の下しようが無いし、私はこれを歴史映画としては見ない、ってか見れない。 ただ、扱いにくいトピックを、これまでに取り扱われなかったような視点で挑戦するという事の素晴らしさを教えてもらったさ。 とても大切な事だ。 


そしてそれを含めて、
カメラがある、
監督がいる、
役者が演技をする、
音がなる、
映像となる、
時間が流れる…、
そういう一連のプロセス、
"映画"とよばれるものとして、ただ素晴らしいと思う。

何も「絵画の平面性」を主張するかのごとく「映画の映画たる質」を重視している訳じゃない。
大前提としての質をクリアして、なおかつ新しい物が表現されている映画を見てみたいと思う。
要するに、私は多くの人がそうなようにただいい映画が見たいのだ。 
そしてそれは私の場合ソクーロフの映画なのね。

映画には役者が収まるべき場所があると思う。
音楽が流れるべき瞬間がある。
シーンが変わるべき位置が画面上の構図に訪れる、
そういう基本的で当たり前の作法をここまで尊重して、
丁寧に適切に作られている映画はない。 
そしてそのように作られている映画の鑑賞から得る体験は、
いつでも私の想像の幅を超えて、想像力の切実な美しさを教えてくれるのだ。

イベントをただ見せる映画がある。
そういう映画においては、Aというハプニングと次のハプニングBの間に流れる時間がただのまつなぎであったりする。 でも実際の時間はそんな風には流れないし、それが時間の残酷さとリアリティーだと思う。 
いかに楽しい時間が流れていて、月日が矢のように過ぎようとも、私たちは一瞬一種の連続を通過しているのだ。 

彼の映画を見ていると、全ての時間が平等の緊張感で構築されている事が分かる。 
「見せ場」だけを力んで取っている映画じゃない。 全ての瞬間に同じ濃度がある。 
そんな、公平な作品を作る為にはとんでもない体力がいるだと思う。 


すごいなと思う文章にも通じるんだけど、そういう淡々とした冷静なコントロールが、本当のクライマックスを作る。 あくまでもこれは表現であると思える事が素晴らしい。 それって、とっても大切な事だともう。 

ああ、愛すべきじゃないか。 



それにしても昭和天皇役のイッセー尾形すごい。 
日本にこんなにすごい役者がいたのかと驚いた。 
トニー滝谷でも、その力量に驚いたけど、素晴らしい表現者がいる事の喜びを彼を見ていると思うよ。

そして素材としてこれ以上に有意義に彼女は使われないんだろうなと思わさせてくれる、
ズバリな数分感を作り上げた桃井かおりの配置もすごい。

ソクーロフと同じレベルの物が作れたらと思わず願ってしまう。




昨日はウェリントンから友達が来たのであった。
夢の中の人に会うような気分だ。 

一緒にいる時は振る舞いがウェリントンにいる時の私の振る舞いに少しなる。 
東京を背景にして自分の振る舞いがちょっと変わると、「こんな自分もそういえばいるんだよな」と新鮮な気分になる。 反省もする。 別にこれで良いんじゃないかと思う面もある。

ふとした時に自分がとる動作やリアクションが「気弱な人」な時があり、自分がウェリントンにいる時に日本にいる時とは全然違うんだなと驚く。 また友達と話す内容が「気が強い人」な発言だったりもして、それにも驚く。 面白いね。 友達には日本に来てもらって本当に良かった。

彼と別れた後に日本の大学の時の相棒に会う。
「コーヒーをのもう」と言って彼女に会う。

私は相棒とルーティーンで会う。 好きだから、楽しいから、会えると嬉しいから、一緒にいたいから、ルーティーンとして会う。 会って、彼女の存在を確認したい。 

すっごい大切な人。 ウェリントンでも大切な事は沢山あるし、大切な人達がいる分、新宿のわけのわからんカフェで会う友達への愛情も深まる。 

二人でソクーロフ賛辞をして、いっぱい面白い話しをして、聞くだけでも気恥ずかしいような「良い芸術とは?」なんて話して、やっと落ち着いた。 そして、とても元気になっていた。


神経過敏になったり、シュウカツをしたり、将来を考えたり、過去を思ったり、東京を歩いていたり、ウェリントンに属する人と山手線に乗っていたり、昔からの友達と一緒に過ごす今日を喜んだり、来年を思って戦々恐々としたり、全ては漠然としている、 でも時間は過ぎていく。 こういう感じを、こういう混乱している時に徹底的に感じる、時間の無常な力強さをソクーロフは映画に出来るんだよなあと感動する。 とても神聖な事だと思う。

2007-12-06

小さなエコ

世帯数は少ない方が良いだろう。 消費電力とか少なくなるし。 お互いに会いに行く為のトランスポートを使わないですむし、冷蔵庫一個ですむし。 なおかつ他の人達も集ってきて、一つの部屋で夕ご飯とかを食べるから暖房もガンガンにいれないし。

ってことで、私は気に入っている恋人同士には「なんで一緒に住まないの?」と一応聞いてみる。 

「二人で住んだ方が楽しいんじゃないの? 私も一気に君たちに会えるし。 さあ、今から不動産屋に行け。」とせっつく。 彼らは私が壮大な、一人アンナ議定書に乗っ取った行動を取っているとはこれっぽっちも考えていまい。 恋に落ちている奴らの想像力なんてお互いにぐらいにしか働かないもんさ。 あっはっは。 

親友があまりにも彼氏さんにめろめろっぽかったから、私なら一緒に住みたいだろうなと推理して、「早く一緒に住みなよ」と彼氏さんの前で言ってみた。 そうしたらそうなるらしい。 イヤッホーイ! 

 私、地球環境にも親友にもある種の貢献をした気がする。

だから広い家を借りて、ちゃんとお客さん用のお布団を用意して、私の為の漫画とか楽しい物とか置いておいて、二人で私をちやほやとしてくれればいいのさ。 ワクワク。

ちょっとキュン





本屋で広告批評の表紙をみて、ちょっとキュン。 可愛い表紙だ。


いつもこんな感じならいいのにね。

片付ける女

最近、片付けてばっかりだ。 結局、一年の内の一ヶ月分以上は引っ越しと片付けに時間を費やしていると思う。 なんて非効率的な日々!



写真を整理していたら、最後ら辺のスタジオの写真が出てきた。 なんてこった! なれって怖いから、この時は別にそこまで汚いと思っていなかった。 「それどころじゃない」ってなっていたし。 一応、これは二日間ぐらいかけて片付けはじめていた状況での写真。 方向性は見えてきたと思った時にとったやつです。 本当はもっとすごかった。 全てを運び出すのは苦痛でした。















シャンプーとタイヤとガスマスクが何故だか一気に置いてあったりするんだもの。 私のカテゴライズの仕方って一体何なの?



 



あと無くしたと思っていた服が数着出てきた。 やったね!







結局五日間ぐらいかかってこの状態になった。 頑張った! 


クラスメイトと「来年は、もっと考えてスタジオで作業しよう」と約束をした。 そう、実は私は全然悪い方じゃなくて、すごい人は本当にもっとすごかった。 あの人達って結局終わったのかなあ…。



今実家の私の部屋も片付け進行中。 せめて年末までに。 頑張ります。

2007-12-04

難しい女

 難しい女のことを考えいていたらメールがきた。 なんていう偶然。
彼女のメールはいつでもポエティックで、こっちはさっぱり理解できない。
ただ、話している時のトーンは私がポエティックすぎて、相手からするとさっぱりなんだそうだ。

とりあえずメールボックスを開けた時に彼女から連絡が入っていて嬉しかった。 
日本に来る、らしい。 

こういうときに布団にもぐって、「お願い! 私からは大人の態度がとれないから、あなたからアクションを! 何も無かったみたいに私に接して! 私に関するぎこちなさを一切私に訊ねないで!」と祈ってしまう人間は何も私だけじゃあるまい。 

そしてそういう人を見て、大人の態度をとるどころか、「なんでお前はそうなんだ」と追っかけてくるやつがいる。 それが彼女。 そうなったら私は走って逃げる。 


ううう、二人とも不器用なのね。


ここは私が母国にいるという地の利を生かし、大人な屈託の無い、拗ねていない態度を取る、しかないのかもしれない。 


 まあ、どちらにしろ楽しみだ!

 強烈なシフトがおこらなくてはいけない。 

2007-12-03

難しい

 「あの人は難しすぎる」とか「私は相手にとってきっと難しすぎる」と思ってしまう人っている。

「この女はどうしてこうも難しいんだ!」と思っていた友達がいる。 でも想うと、涙が出そうになって、「あたしが難しかったのかもしれない」と思えてきたりする。 彼女のやりたいようにやらせりゃよかったのかもしれない。

 でももう連絡の取り方が分からない。 メールを書いたら、喜ぶだろう。 電話をしたら、何かが変わるかもしれない。 

 ただ、もう一回二人でやった地獄巡りみたいな、「欲しいところにどうやって行ったらいいのか分からないの!」っていう状況になるのだけは嫌だと思うから足踏みしてしまう。 


 MTVのヨーロッパミュージックアワードを見ていたら、ポップスなんて絶対に聞かない彼女が「こいつは天才だ!」と太鼓判を押して、ヘビーローテーションでかけまくっていた、MikaがGrace Kellyのパフォーマンスをしていた。 私は彼女がアソシエイトする全てが嫌だったので、聞かず嫌いを決め込んでいたんだけど、確かにすごかった。 かなり魅力的。 ある展覧会で彼女の出身地であるアイスランドに関係する作品を見たばっかだったってのもあって、頭の中で妙にはっきりとした輪郭を持った「私たちの関係性とそこにひそむ悲劇と、愛情」みたいなのが出来上がって、胸が締め付けられた。 私が悪かったのか?

 でも、本当に彼女が何が欲しいのか分からなかった。 あいつは謎だ。 


 そんな不思議な気持ちを大量に思い出させてくれる、こんなビデオを興味がある方は見てみて下さい。 ちなみに体や服装、口とか、アゴとかが、私がクレイジーになっていた人(要するに、今年の私はいつも絶えず誰に対してクレージーになっていたんだよな)とそっくりで、なんかそんな意味でも今年っぽい。 なんかすっげー、今年っぽい。 今年ってこんな感じだったなあ。


かっこいいじゃん

 最近のテーマは「かっこいいじゃん!」なアンナです。

「おお! かっこいいじゃん!」って一日に百回ぐらい言っているかもしれない。 日々、脳が単純になっていく。 かっこよければいいじゃん。

 友達と五反田からバスに乗って六本木に行ったんだけど、それが良かった。 もう夕暮れで街の景色が空の明かりから建物から漏れる明かりを中心とした物にシフトする瞬間の東京は、最高に美しい。 バスから見える道の明かりや、空の色彩が変わって行く様子はファンタスティックだった。

 日本の夜の色彩は濃い。 本当に濃い。 黒の美しさでこの国に勝つ地域なんて滅多に無いだろう。 東京の夕暮れから夜にかけての変化を見るだけで、ここにいて良かったと思える。

 こういう情緒が色々な物を支えていると思うんだよねと友達に言うと、友達もにやにやする。

 で、それを一番上手に上品に表現しているのって意外と、降谷健志だと思わない?と言ったら友達が過剰反応をした。 やっぱりな、こいつもそう思っていたか! とりあえず二人で彼がどれだけ正当な評価をうけていないかと話した。 「歌詞がすごい!」「リズムもいい」「色調がすごい」とバスの中でずっと言いあう。 Ivoryとか、よく思いついたよ。

 もっと好きな物の話しができちゃうんじゃないかと、「あの号のIDEAは良かったよね」とか、「あのビデオは?」とか言いあってみる。 意外と趣味が被る。 何よりも、特定の時期の「流行通信」は神がかっていたという所でお互いに握手。 はっはっは。 そして彼は李禹煥をふかーく尊敬しているという面でお揃いなのだ。 乾杯! そんな彼は私にユリイカのジョジョ特集をお土産にくれた。 

 電車も好きだけど、バスも好きだ。 ごしょごしょと小さな声で話さなければいけない感じも、細い路地とかを見る事ができるのも、地理に詳しくなって行く感じも、全部楽しい。 これからは東京都内はバスで移動してみようと思う。

 

+81

+81が好きだ。 かっこいい。

バックナンバーが欲しくて友人と六本木のツタヤに行った。

「むちゃくちゃいい感じじゃない? ただかっこいいとか、ただスタイルが良い物って滅多に無いじゃん!」と友人に言ったら、「あんた、硬質な物が好きよね」と返された。 そうかも。 私が誉めるものはそういうのが多いかもしれない。 ああ、まあなんか答えになってないけど、意見で返された、そんな会話だった。

とりあえず好きになれるものなんて少ないこのご時世、「ただすっげーかっこいい」って物はそれだけでアプリシエイトするべきだと思うね。

2007-12-01

伊東豊雄さんの授業

 多摩美で伊東豊雄さんの授業を受けてきた。 

胸がいっぱいになる授業だった。 生彩で溢れていた。
勇気が出た。 

帰り道の電車の中で、思わずちょっと涙が出た。 


がんばろー!

because I can

 四日間ぐらい部屋に籠って作業をしていた。 大昔に手伝った展覧会とかのTシャツに、タイパンツ、勿論スッピンで、風呂も入らなかった。 正直、それどころじゃなかった。 

 終わった事を喜び、一応服を買おうと街に出た。 髪をセットするのも化粧をするのもめんどくさく、帽子を目深に被り、とりあえずグラジなんだという主張をしようと、真っ赤なヴェルヴェットのジャケットに薄汚いズボンを履き、向かった先はユニクロ。

 なんか全てがめんどくさかった。 クリスチャン・ボルタンスキーの物悲しい本を読みながら行ったよ。

 女物を見るのもめんどくさいと、男物の一番安いセーターを試着した時に「あたしこんなんじゃいかん!」とやっと意識が戻り、一応女物を見る。 で、セーターを買う。 黒いタートルネック。 めんどくさい時は黒いタートルネック。 これはuniversal law.

 名前と被っている帽子が一緒だという事で、友人の永遠の女性であるらしいアンナ・カリーナの話しをよくされる。 「あんなに可愛い服装の女の子はいないよ! 本当に可愛いんだよ」と映画まで見せつけられた事を思い出し、一応ちょっとオーバーサイズを買う。 せめてもの理性。 そして友人への貢献。

 ちょっと回復してきたぞと、もっと服を見る。 

 友達はみんな良い人達だから「可愛い服装をしているね」とかって言ってくれるけど、家族はひどいから「もっと日本に適している服装をしてくれ」と言ってくる。 母は銭までくれた。 でもわかんねーよ、どんな格好したら良いのか。 しかし、この日本滞在期間中の冬服を買わない事には、私にはふざけたTシャツと汚いズボンぐらいしか持っていない。 母に泣かれる。

 服を見ながら段々落ち込んでくる。 何も欲しい物が無い。 着たい物が無い。 お洒落って、怖い。 例えば何か用事がある時、「誰々とどこどこで食事をする」とか「大学のプレゼンで着よう!」とかあればそれはそれは楽しいし、女の子同士で遊びに行く前に準備をしている時とか最高に楽しい。 

 でもなんか今はそんな気分もない訳だ。 めんどくさいし、物欲も湧かないし、思わず、クリスチャン・ボルタンスキー。 こんなんじゃいかんと、なんだかゴージャスなジャン・ヌーヴェルの本も読む。 盛り上がりそうで盛り上がらない。 

 で、服なんて気にするから人生がめんどくさくなるんだと、はっと気がついた。 これはクラスの愛すべき男の子たちの理論を使うしか無いのだとひらめく。 

 「ねーねー、どうしていつも同じTシャツなの? ジーンズ二本しか持ってないの?」と言う度に、because I canと返してくる彼らと同じように生きようと決める。 そう、私はに出来るのだ。 出来るのだ! 何を着ても問題は無いのだ。 何を着なくても問題はないのだ。 Because I can! なんて心強い開き直り。

 そして、先生達。 昔は学生だった彼らもよく見ていると同じ服を永遠と着ている。 ただ、素材感が良くて、Tシャツでもちゃんとアイロンをかける。 そして体を鍛える。 それが一番手っ取り早いんだ。 私のいつも一緒にいた先生は黒いスキニー二本と、Tシャツを片手で数えるぐらいと、同じ色のジャケット三つ(モコモコ、ヴェルヴェット、コーデュロイを気温によって着分けていた)と靴を二足しか持っていないけど、人生楽しそうだった。 そして私はそのミニマルさが分かりやすくて好きだった。

 とりあえず、黒いスキニーを一本と長袖のTシャツ二枚を買う。 これで十分だ。 これと冷凍庫の中にヴォッカのボトルが二本いつも入っていたら私はそれで良しとする。 

 きちんと面倒を見て、清潔に着れば問題無し! 私は質素に生きるぞと、一人で満足。 

 なんだか今、本当にこんなんで良いのかって気分にもなってきたけど、何を持っているか忘れてしまうぐらいに物を持って暮すよりも、ちょこっとの物を持ち、空間に余裕があり身軽な方が今は良い、はず。 

とりあえずこんな感じ。

because I can

 四日間ぐらい部屋に籠って作業をしていた。 大昔に手伝った展覧会とかのTシャツに、タイパンツ、勿論スッピンで、風呂も入らなかった。 正直、それどころじゃなかった。 

 終わった事を喜び、一応服を買おうと街に出た。 髪をセットするのも化粧をするのもめんどくさく、帽子を目深に被り、とりあえずグラジなんだという主張をしようと、真っ赤なヴェルヴェットのジャケットに薄汚いズボンを履き、向かった先はユニクロ。

 なんか全てがめんどくさかった。 クリスチャン・ボルタンスキーの物悲しい本を読みながら行ったよ。

 女物を見るのもめんどくさいと、男物の一番安いセーターを試着した時に「あたしこんなんじゃいかん!」とやっと意識が戻り、一応女物を見る。 で、セーターを買う。 黒いタートルネック。 めんどくさい時は黒いタートルネック。 これはuniversal law.

 名前と被っている帽子が一緒だという事で、友人の永遠の女性であるらしいアンナ・カリーナの話しをよくされる。 「あんなに可愛い服装の女の子はいないよ! 本当に可愛いんだよ」と映画まで見せつけられた事を思い出し、一応ちょっとオーバーサイズを買う。 せめてもの理性。 そして友人への貢献。

 ちょっと回復してきたぞと、もっと服を見る。 

 友達はみんな良い人達だから「可愛い服装をしているね」とかって言ってくれるけど、家族はひどいから「もっと日本に適している服装をしてくれ」と言ってくる。 母は銭までくれた。 でもわかんねーよ、どんな格好したら良いのか。 しかし、この日本滞在期間中の冬服を買わない事には、私にはふざけたTシャツと汚いズボンぐらいしか持っていない。 母に泣かれる。

 服を見ながら段々落ち込んでくる。 何も欲しい物が無い。 着たい物が無い。 お洒落って、怖い。 例えば何か用事がある時、「誰々とどこどこで食事をする」とか「大学のプレゼンで着よう!」とかあればそれはそれは楽しいし、女の子同士で遊びに行く前に準備をしている時とか最高に楽しい。 

 でもなんか今はそんな気分もない訳だ。 めんどくさいし、物欲も湧かないし、思わず、クリスチャン・ボルタンスキー。 

 で、服なんて気にするから人生がめんどくさくなるんだと、はっと気がついた。 これはクラスの愛すべき男の子たちの理論を使うしか無いのだとひらめく。 

 「ねーねー、どうしていつも同じTシャツなの? ジーンズ二本しか持ってないの?」と言う度に、because I canと返してくる彼らと同じように生きようと決める。 そう、私はに出来るのだ。 出来るのだ! 何を着ても問題は無いのだ。 何を着なくても問題はないのだ。 Because I can! なんて心強い開き直り。

 そして、先生達。 昔は学生だった彼らもよく見ていると同じ服を永遠と着ている。 ただ、素材感が良くて、Tシャツでもちゃんとアイロンをかける。 そして体を鍛える。 それが一番手っ取り早いんだ。 私のいつも一緒にいた先生は黒いスキニー二本と、Tシャツを片手で数えるぐらいと、同じ色のジャケット三つ(モコモコ、ヴェルヴェット、コーデュロイを気温によって着分けていた)と靴を二足しか持っていないけど、人生楽しそうだった。 そして私はそのミニマルさが分かりやすくて好きだった。

 とりあえず、黒いスキニーを一本と長袖のTシャツ二枚を買う。 これで十分だ。 これと冷凍庫の中にヴォッカのボトルが二本いつも入っていたら私はそれで良しとする。 

 きちんと面倒を見て、清潔に着れば問題無し! 私は質素に生きるぞと、一人で満足。 

2007-11-30

because i can

 服って難しい。 

こまごまとした仕事をしていて、三日間ぐらいまともに外に出なかった。 勿論、服も妙なのを着て、汚い話し風呂だって入らなかった。 そんなのどうでも良くなるんだ。

 今朝仕事を送った後に、その足で街に服を買いにいった。 手の血管とかぼこぼこに浮き上がっているまま(最近疲れるとすぐに浮くんだけど、これって何?!)で、ぼさぼさの髪の毛を隠す為に帽子を深くかぶった。 このままジャンキーっぽい外見で突っ走ろうと、そういう感じのジャケットを着て、ズボンをはき、「これって意図を持ってこういう服装な訳です」とやる。 電車で隣の席とか絶対誰も座らない感じだ。

2007-11-27

 恋ってのは簡単におちるものです。

素晴らしいデザイナーを発見。 もう、こんなに好きなスタイルの人って珍しいってぐらいに好き! 

すっごい可愛いし、きれいだし、心掴まれて、ときめききってデザイナーの出身地を見たら、ニュージーランドだった。 っこ、怖い…。 ただ単に私は私がいつも囲まれているテイストが好きなだけ?

とりあえず、まあ、ね…、好きなもんは好き!






Jeffrey Dochertyさん。 はあ…。 なんて素敵なんだ。

2007-11-26

休み最後の数日

 私は自主的にこの夏休みは、今週末までだったという事にします。 一ヶ月近く大した仕事もせず、だらだら豚のように過ごし、私は体力の衰えを恐ろしいぐらいに感じ、もうこんなのは嫌なのだ。 

 もっとリズミカルに、もっと遊び心を入れて、いい感じの一日を送りたい! って事でお休み返上。 

 少なくとも、休止状態は返上。 


 今週末はすごく良かった。 

 数年ぶりの友人の家に行き、餃子を食べた。 日本でのホームパーティーって久しぶり。 とっても楽しかった。 いろんな人がいて、お酒も美味しくて、その家のオーナーの人間力/味の深さに感心。 いつでも彼は刺激になる。 そういう友達がいる事はとてもラッキーだわ。 

 それにしても飲み過ぎた。 ウェリントンにいる時は、どこでもタクシーで1000円圏内だし、どれだけべろんべろんになっても大丈夫っていう変な甘えがある。 一緒にいる人達の体にへばりついて、「うえーい! かえろーー! かえろーーー!」って言ったらすぐ家で起きたら朝で、朝日サンサンで、さあ学校っていうリズムがある。 日本では酔っぱらった後のプロセスが長い。 やれ、電車だの、そこから歩きだの、なんだかかんだかある。 しかも今は学校がないので、それこそ次の日だって「うげろー」っとしているだけで良かったりする。 

 っよ、澱んでいる…。 あたし、こんなのじゃ駄目よ。 次の日にやる事がない日の晩は、本当にほどほどしか呑んじゃ駄目だ。 少なくとも私の場合はそうだ。 学んだ。 

 澱みを引きずりつつ、多摩美時代の相方と会う。 すっげーーー良い再会! 無茶苦茶いい感じだった。 「そうだ、こういう感じでこの人の事をすっごい好きだったんだよな」とか、「愛おしい」と思ってたんだよなとか、そういう具体的な事を目の当たりにして、自分の記憶やら思い出やらのおおざっぱさを笑う。 大切にしなきゃいけない人だわ。 

 さーー! 楽しかったし、再会もあったし、これから良い、プロダクティブな一週間を送るぞ。 

 月曜日から頑張ろう!

2007-11-24

日本に帰国してみたぞ

日本に帰ってきて一週間弱過ぎました。 いやはや。 信じられないけど、私はどうやら日本にいるぞ!


いい友人達とお酒を飲み、家族とケンカをし、彼らと共有していなかった日々の話しをする。

日本語の本を読み、髪を染め、帽子を買い、街を散歩する。

「春にして君を想う」じゃないけど、冬にして人を想う。

最初の一週間ってのはどんなに気合いを入れて強くいようとしていても、南半球にある、わが街や、そこに住む人々を想い、これから数ヶ月感繋げられない私たちの生活を考えるものだ。 少なくとも味わいのある時間である事を祈る。


日本に帰国した最初の数日間を多摩美の時の親友と過ごした。 彼女の恋人に会い、幸せそうな彼女にうっとりする。 

多摩美にある伊東豊雄のファンタスティックな新しい図書館に行き、普通に大学で授業をうける。 日本について24時間以内にわざわざ何をしているんだろうと笑える。 ただ、大学や図書館って、異なる文化に対するきりかえみたいなもので、空港とかと同じ役割なんだよ。 街も国も半球も違うけど、大学、図書館、空港は安心させられる。 空間の変化を少しだけまろやかにしてくれる。


週末は大山君と遊ぶ。 彼と上野にいく。 これも日常。 この男と上野以外で待ち合わせをした事が無い。 昼過ぎから高架下の飲み屋で酒を飲み、芸大に行き、東京駅に移動して、そこから銀座まで歩く。 新しいクールな帽子を買う。 岡本太郎の時計の下でお菓子を食べる。 

バールに入ってワインをがっぷりと呑む。 くだらない話しをする。 彼のノートを見る。 テープ糊をくれる。 彼の恋人の話しをする。 私の男の子の話しをする。 「謎過ぎる!」と言われる。 私もそう思っていた!!

小さな机で二人の人間として向かい合って呑む酒は良い。 できるだけ小さなその空間を二人の色とか温度とかで高めて、お互いの目を見て、楽しいじゃないか! 

彼は彼の恋人を想い、私は別の人の事を考えていて、こうやって独特のちょっとした「空き時間」な男女として過ごす事の楽しさは格別ですね。 熱狂も燃えるような情熱もそこにはないけど、余熱がある。 私たちは対等だ。


そしてハイパーなアレックスと会い、「っさ、さすがです。」の連発となる。 不思議な事にアレックスと会った瞬間に「私日本だ!! 確実に今日本にいるんだぞ」と実感した。 この人の力はすごい。
相変わらずすごいタイツを履いていて、ほれぼれ。 お前の足は世界一だ。

今回日本に帰ってカラータイツが微妙に流行っていて驚いた。 多摩美界隈では数年前からmustな感じだったので、てっきり日本中そうなのかと思っていたのに。 一般界隈では、なんだかソフトな感じになっていて、独特の80’sな感じとか風変わりの頭の良さの感じとかが消えて、なんかマタニティーっぽい…。 もっとエッジーに、クリスプにいきましょうよ!!!  たった一回の人生なんですから!

2007-11-18

日本に帰るということでパニックになっていた。

もともと私生活と仕事で蓄積していた熱狂と混乱が直後に訪れた帰国準備と重なったのが問題だったんだと思う。 私生活や仕事にある種(あくまでもある種の)の終焉があったのにも関わらずパニックは続いた。

一応、引っ越しや身辺整理だけの為に二週間用意していた。 

例えば、引越しと帰国準備と部屋の又借りをしてくれる人探しは同時平行しかできないイベントだけど、マルチタスクが苦手な私にはしんどかった。部屋の広告を出しつつ、いつまで続くかわからない入居希望者達の面接をし、同居人達に対してベストを尽す。町中の大学生達が実家に帰るので又貸ししたい部屋は溢れかえっているけど、同時に部屋を探している人たちは一年で一番少ない。 でも大学が始まる時期は全く逆の状況でその時の部屋探しの悲劇を考えると意地でも又貸し相手を見付けて部屋をキープしておきたい。 全体的に楽しいプロセスじゃない事は確かだ。 又貸し相手を見つけたら家賃の問題は片がつくけど、今度は家の荷物を全部どこかに運び出さなくてはいけなくて、その荷物を預かってもらう場所探しが始まる。 倉庫を借
りる人もいるけど勿論そんなお金は私にはないので、友人に頼むことになる。 何人か見つけ、ちょっとずつ預かってもらう。 そして勿論引越し業者を雇う余裕はないので車を出してくれる人探しも含まれる。 これはどれだけ自分でちゃっちゃと終らせたいと思っても相手の都合があることなので思うようには進まないのだ。 家関係は全部自分と都合が良いようにうまくいくと楽観的に無理矢理考え、それに向けて積極的に働きつつ、うまく行かなかった場合の為のプランもたてて準備をしていなくてはいけない。でも楽観的にはいられないから最悪の場合家財一切捨てて同居人達に怨まれつつも家賃を払う義務を放棄しとんずらだと決心する度にうまれる虚無感と奇妙な程に自由な感じだけがこういう時の心の支えだ。全部は二週間でおこる出来事で、物事の半分以上は他者との交渉でなり立っている。自分は全部うまくいくと信じ込みながら働きかけるのみの存在だ。私がどれだけ人間関係が苦手でそれを苦痛と思っているか知っている人ならこれが私の好みの仕事じゃないことは分かるでしょう。基本的に一人で出来ないことをする為の才能は皆無に等しいの
だ。一人の仕事が好きだし、それか他人のための仕事も楽しい。ただ、私のために人に働きかけるのがとっても駄目。哀しくなるんだよ。


また、友達とこれからの三ヶ月間会えなくなるから殆ど毎食誰かと会う約束があるし、毎晩なんだかの打ち上げがある。 その度に楽しいし、尚且とても切ない。 胸がはりさけそうになる。私は一年で一番素敵な季節をこんなに大切に思っている人たちと、わざわざ好き好んで過ごさないのだ。

2007-11-17

Amy Winehouse

MTV UNPLUGGEDにAmy Winehouseが出ていた。
引き込まれた。 Amy好き。 
髪型も化粧もだめすぎるけど、すっごい魅力的だと思う。

AERA

 アエラが苦手だ。 文章のスタイルも、問題への視点の持ち方も、不愉快になるタイプのものだ。 批評的でいようとしてアグリーになってしまっているものの典型な気がする…。 読む度に腹が立つのだけど、でも人気(?)な雑誌なんだよね? 何故こうも偽悪的なんだ? あー、嫌らしいし、萎える!!

2007-11-13

舌の根も乾かぬうちに

 引越しの怖いところは典型的な喉もと過ぎれば熱さ忘れるなところだ。 今朝まで戦々恐々として引越しをしていたのに、もう次の引越し先を考えている。 われながらお気楽で笑える。


 今オークランドにいるんだけど、すごくいい感じなのね! どうして候補地にしたことがなかったんだろう。 なんかウェリントン以外を考えたことがなかった。 でもオークランドナイス。 あたし、引っ越すかも。 


 今結構本気で考え中。 なぜって? かわいい服屋が多いから。

2007-11-12

引っ越し

年々と苦手になっていくイベントがある。 そのうちの最も顕著なものは引っ越しだ。

十一年間、一年以上住んだ家は今の所無い。 要するにその度に私は引っ越しをしているのだ。 しかも一人で。 みんな手伝ってくれるし、可能な限りの事をやってくれるけど、でも基本的には一人で動き回っている。 結構ファック。

今年は四回引っ越した。 四回目にして、本当にもうそろそろやめたいと思いはじめてきた。 

どうしてこうも落ち着きが無いのだ? どうしてこうも私は引っ越しばっかりしているのだ? どうして私には家がないの? どうして私はこうも、あああ。

さすがに疲れてきたぞ。 

さすがに後一年は落ち着いた生活が出来ないだろうけど、目標としては2010年からは安定した生活を送ってみたい。 「ここに住んでもう2年目だわ」ってのをやってみたい。 だって、よく人は「花を咲かす」とかって比喩を使うけど、根が張れないのに一体どうやって花を咲かすのさ。 このままじゃ、人格やら情緒やらなんかそういうのに本格的にダメージがおこるんじゃないかと自分の事ながら私は心配なのよ。 

ちょっと自分をかわいそうだと思ったら気分が良くなってきた。 

今日は色々と頭に血が上っていて、興奮状態だった。 色々と気を散らしながら手元を見ずに作業部屋を片付けていたらざっくりと手を切った。 危ないものが多すぎるんだ。 呆然としていたら同居人が絆創膏を張ってくれた。 2軒先の友達が私の荷物を預かりに来てくれて、同居人と一緒に重いものを運んでくれた。 こうやって、じたばた、ばたばたしているから見えてくる事や経験できた事、山ほどあるじゃないか。 そう思うと、悪い事だけじゃ全然ないと思える。 

よし、引っ越すぞ!

偶然は日常

 日常的に偶然がおこる。 狭い街なのだ。

今日スタジオを片付けて、荷物を梱包し、知人の家に夏の間預かってもらう為に持って行った。 段ボール五箱になったよ。 疲れた…。 私の背丈ぐらいのゴミ箱が二回満杯になったと言ったらその壮絶さが伝わるだろうか。 

 そんなこんなで料理をする気になんてなれないし、なによりも別れが惜しいからみんなで隙を見つけては呑んでいる。 なので昼に友達の友達の家でバーベキューをしに行った。

 ホストをした人は、いつも三歳ぐらいのとても可愛いお嬢さんをつれて学校に来ている人で、直接話した事は無いけどとても目立っているので顔は知っている人だった。 シングルマザーで、もう二十代も後半(もしかしたら三十代なのかもしれない)なのに建築の勉強しているなんてかっこいいなあとは思っていたけど、別に話す必要も無いし、彼女の事は何も知らなかった。

 家はとても素敵で、光がさんさんと降り注ぐ美しい庭があり、家の中はなんだかとても懐かしい感じ。 なんか私の家と似ている。 なんか酷似している。 おお、気があいそうだ、しかも作っている料理も食べた事がる系統のやつだとワクワクする。 とても良い昼下がりで疲れた体にはもってこいだった。 

 そんな彼女に私はインダストリアルデザインやっているんだと言ったら、家の弟もそうよと言われた。 そして卒業した大学名と年度を言われて、「ああ、私の同居人と一緒だ」と答えたら、そいつの名前を聞かれた。 「ノアって言うの」と言った途端に彼女はのけぞり、「それが私の弟!」と叫んだ。 お、お姉様でしたかと私も驚く。 娘さんを見ながら、同世代の男女が一緒に住んでいる訳だからちょっと仲良くなりそうな瞬間ってのは勿論あったので、「私、あなた様の叔母になっていたかもしれません」と奇妙な感慨にかられた。

 よく見ると顔がそっくり。 作る料理だって似ている。 当たり前だ! 同じ釜で育った人たちなのだ。 それにこれは典型的なシュタイナーに行ったヒッピーの家なのだ。 クレヨンハウスっぽくない訳が無い。 家の内装やら持っている物のタイプやら懐かしいに決まっているじゃないか。 毎日見ている。 お互い「すごい偶然だよね」とぽかんとしながら見つめあってしまった。 

 この同居人は私の最近仲良くなった子の同居人と同じチームで働いていたりと、やけに偶然の「こんな所で彼の話しになるとは」が多い人なんだけど、偶然彼のお姉さんの家でお昼を頂く事になるとは驚いた。 

 家に帰ってからその事を彼に伝えたら、別に大して驚いてもいなくて、「よくあるよね」で流していた。 この人は一体どれだけの偶然が日常におこるのだ?と、結構ばったり人に会う運がある方の私ですら彼の「偶然は日常」な態度に驚く。 やっぱり血中ヒッピー濃度が高くなれば高くなるほどにこういう事って怒るのだろうか。 そこら辺、だれかもっと詳しく私に教えてくれませんか?

餃子




友達が餃子を作ったから夕飯を食べにおいでと誘ってくれた。

彼は長い間原因不明の体調不良が続き、
結核じゃないかと疑われ検査をしたりと大変だった。

でもここ二日間で劇的に良くなってきて、なおかつ検査の結果、結核じゃないと分かり、ご機嫌になって料理をしたらしい。

勿論だと、引っ越しの合間に会いに行く。 実は食料品を今一切持っていないので誰かに何かを食べさせてもらえるというのは夢のような幸運なのだ。

彼は元気になった証拠に素足で元気よく料理をしていた。 素足はいい。





こうやって食事にいく時にきちんと花を飾ってくれている所に彼のいたわりを感じ、いい奴だと思わさせられる。 




餃子がいっぱいだーと喜んでいたら、もっと嬉しい事があった。




世の中のどれほどの人間が名前入りの餃子を作って待っていてもらえるだろうか。 名前の綴りが間違えているけど、それもなんだかごちゃ混ぜに愛おしい! 「カメラとってくる!」と走って家に帰った。 彼って傑作!




スープにして頂く。 




勿論ビールは夏仕様。 このビールには、たんまりとスパイスやハーブが入っていて、無茶苦茶美味しい。
とても良い夏の味。 




ロマンティックというのか、ここまでくるとただのアホなのか分からないんだけど、デザートは花とラズベリーの蜂蜜付けを凍らせたものだった。 私の友達同士の愛情表現の示しあい方を人に言うと結構ぶったまげられる。 だからあえて言わせてもらおう。 私たちはどれだけ相手を好きかと表現する為に、花を蜂蜜につけてみたりするんだ。  




美味しく頂きました。

 

私はつまらない女なので、クリスマス用のミンツパイを持って行った。 これは私の好きなパイナンバーワンなんだけど日本でだと手に入らないし、誰もクリスマスソングを歌ってくれないから今日食べる事にした。 友達が歌ってくれて、わーいと喜びながらかじる。 本当の所、これの方が花より数倍美味しかった。 でも、餃子はもっともっと美味しかった。 ムキムキの牧場で育ち、それ故に肉食が出来なくなった菜食主義者の作ってくれた餃子は、名前も入っていた分、非常に美味しかったです。 幸せだ!

2007-11-10

ジェラートとマルガリータ

私とトムの家の間に、地中海料理の専門店がある。 ウェリントンで一番美味しい、ピザとジェラートが食べれる。 大好きだからトムと二人でジェラートをピザとワインを入手しに行った。

トムは半ズボンにTシャツで、彼が一番半端無く素晴らしい感じの外見になる服装だ。 そもそも、私は半ズボンにTシャツで家でゴロゴロしている男の子がとても好きなので、もう一緒にいるだけで胸が高鳴る。 「ひ、膝!! あああ、足首! ウ、ウ、ウ、腕☆」と変態丸出しになり、トムはびびっていた。 

トムの恋人が原因不明の病気で家で寝ているので(彼は結核かもしれなく今検査中で、結核だった場合年がら年中一緒に遊んでいる/彼らの家にいる私はかなりやばい)三人分のジェラートをトムが握り、ワインボトルを脇の下にはさみ、私はピザの大きな箱を持って歩いて2分の家に戻った。

その時が魔法な瞬間だったんだよね。

「溶けちゃうから走るよ!」ってトムが言うから、二人で走ったんだけど、なんかすっごく素敵だったの!

アホみたいな発言なんだけど、昔の映画から出てきた人たちみたいな気分になったんだ。 みんなも一回は、ジェラートとマルガリータとワインボトルを持って、走ってみた方が良いよ。 アドレナリンが出る!

しかも相手は夏休みの小学生みたいな格好をしていると余計にわくわくする。

家について、薄暗い台所で(この家は本当にぎりぎりまで電気をつけない)「いかに僕たちは社会主義者になるべきか」という講義を受ける。 奴らは本気。 マジで、目指しているっぽい。 「ほおぉぉ」と聞き入る。 「で、アンナのニュースは何?」と聞かれて、いかに「バルトが書いているトォウンブリについての文章と同じような質の魅力を持った人に会った」かを話した。 「完璧で、美しくて、ただただファンタスティックなの!」と繰り返し言って、繰り返し「いつも同じような事ばっかりがニュースだね」と流される。 確かに私は「社会主義者になろうかと思って」というような質のニュースは持っていない。 でも良いじゃないか。 それでも良いじゃないか!!!

それにしてもトムの持っているすごく素敵なワイン用の陶器のカップで呑むすっぱい白ワインも、マルガリータも、そして溶けないように急いで食べたヘーゼルナッツとラムレーズンのジェラートも完璧に美味しかった。 

幸せだなあ、ずっとこうやってこの台所で仲良く酔っぱらっていたいなあと思いつつ、影響を受けやすい私はこのままだと誰よりもハードコアで妄信的な社会主義者になってしまうだろうと思い、深夜に退散。 

近所に友達がいるって最高だ。 

機嫌が悪いぞ! 全部嫌いだ。

 昨日の夜友達の家に泊まりに行った。 とても楽しかった。

ただ、そこで色々と話していたら急に腹が立ってきた。 状況にたいしてむかつきはじめたのだ。 

多分日本語で話していたのが良くなかった。 英語の状況だとコントロールしている、「これを詳細に考えはじめたらそれはそれは腹が立つだろう」っていうのを、日本語だと語彙自体に障害がないから思わず詳細に考えたり喋ったりしてしまって、思わずパンドラの箱が開いてしまう。 で、結果怒れる人間になり、知らずうちにモンスター。 

日常的に「人生で大切な事は"appropriate" でいて"compromise"をする事」と信じ込んでいるコントロールフリークな私は 、日本語を喋りだした途端にぶっ壊れる。 我慢なんか知らない。 

一晩中、文句と我侭を連呼し、イライラしたまま街に戻った。

 お気に入りのカフェでゆっくりとコーヒーをのんでスコーンを食べている間に落ち着こうと美術史に置ける”テクスト間相互関連性”についての本を読む。 が、昨日の夜から呑み続けていたんだろう謎の酔っぱらいたちに絡まれる。 私の机の周りに座り、なんだかこうだかと意味の分からん事を言い続ける。 多分、昨日までの私なら席を立つなり、「居心地が悪いから他の席にうつってもらえますか?」と言うなりしたと思う。 しかもやんわりと。 可もなく不可もなくな態度をとったであろう。

 が、今日は、とんちんかんな意味で負けたくないと闘志が燃え上がり、本を読みつつも、奴らと会話をし、なおかつ相手を恥じ入らせようと努力をした。 

しかし、酔っぱらい強し。 

本の内容なんて頭に入らないし、イライラしてくるし、会話も意味が分からないし、完全に私はそのうねりに巻き込まれて我を忘れた。 

「この子はシリアスすぎるよね。」「多分すっごいインテリなんだよ。世界中の事で知らない事なんてないんでしょ?」「なんでそんなにシリアスに人生をとってるの? シリアスに生きているの?」「こんにちわー」とかって言われているうちに、「お前らが下らなすぎるんだ!! 恥を知れ!」となった。 

そして立ち上がった瞬間に奴らのビールは倒れ私にかかった。 「去れ!」と怒り、周りの人たちに同情され、本の内容なんて完全に忘れ、ビールまみれになっている私を見てやっと酔っぱらいたちは自分たちを恥ずかしい存在だと分かり、とぼとぼと去って行った。 

悔しいから座って本を読み直したんだけど、怒っていなくても分からない内容が、色々とごた混ぜになり完全にちんぷんかんぷんになった。

たちが悪いのはここからで、そう、こうならない為に私は、適切に、妥協点を探さなくてはいけなかったのだ。 私は怒りをどうやって消費していいのか分からなくなり、数時間イライライライラしながら「世界が嫌いだ。」「世界が嫌いだ。」「世界が嫌いだ。」「これも嫌い! あれも嫌い! 全部嫌い!!!!」となった。 本当にどうして良いのか分からないぐらいにイライラして、ああああ、もう!

とりあえず、全部嫌いだ!

2007-11-09

変な奴

 学校の友達がみんなどこかに去って行き、Wellington basedの子たち(要するに実家がここの高校時代からの友達)ぐらいしか残っていない。 

 変な話し急に気持ちが楽になった。 大学の人たちがいなくなると、こんなに自由な気持ちになるのか。 どれだけ脳内が占領されているのか。

 そして休みにたいしての情熱と期待が沸き上がってきた。 これからすっごいファンタスティックな時間が訪れるぞ! わくわくの固まりになるんだ!

2007-11-08

トゥオンブリ ラウシェンバーグ



ああ、どうせこの一週間はまともに機能する事が出来ないんだろうなと思っていた。 だったら無理せず、人に泊まってもらったり人の家に泊まったりして過ごそう。 軽やかにいよう、思うままにいようと決めていないと、バランスを崩す時がある。 


最近バルトの美術論集を結構熱心に読んだ。 特にサイ トゥオンブリについての所を。 トゥオンブリはとても親しい友人が敬愛しているので、もうとられちゃっているからとちょっと距離のある作家だった。 だから、私は関連項目としてラウシェンバーグで責めていました。 私はこういう意味の無い振り分けをよくする。 でもまあ、そういうくだらない思い込みで距離を持ってしまうのはくだらないぐらいに素晴らしい芸術家です。 身体にしみいるバルトとトゥオンブリ。 


2007-11-07

いぬ

 犬がいない生活なんて! 友達の犬と遊んでその素晴らしさをまた思い出した。 犬! 犬! 犬大好き。






街の終わりとハードボイルドインディアンカリー

私の住んでいる地域には移民のコミュニティーが集中してある。 一番大きいのはインド人系、続いてポリネシア系、中国系、ラテンアメリカン、アジア系ムズラムとなる。 後、大学生と同性愛者とヒッピーが集中して住んでいる。 ギャング多いけど、なんだか幸せな地域だ。 

様々な種類のスーパーマーケットがあり、それがナイス。 今日はインド系のスーパーに行った。 何を買ってどう使っていいのかすら分からない感じがおもしろい。 だってほとんどパウダーなんだもの。 どうやって混ぜるのかいつの日か深い理解を持ち料理が出来る事が出来るようになりたい。










お昼ご飯に地域で一番美味しいカレーを食べた。 水を入れる容器がアルミですごくチャーミングだった。 サステイナブル!


墓地

 友達のお気に入りの墓地へ犬の散歩に行った。 

この墓地はすごく広くて、小川やらジャングルやら色々とある。 

墓地へ散歩って奇妙な感じがするんだけど、相手がとても楽しんでいたのでリフレッシングだった。 











はなればなれに

 私の被っている帽子がどうも人の中のゴダールの「はなればなれに」感を刺激するらしくて、数人に「見た?」「見ろ」と言われる。 





 友達が泊まりに来て、これを見るぞと示してきた映画も勿論「はなればなれに」。 そんなにこの手の帽子ってアイコニックなのか。 


 見ている間、自分も被りたいと友人が言うのでどうぞと貸す。 この子は隠れ半端ないゴダールファンだったらしくライブでコメントリーをされてちょっとおもしろかった。 


 素晴らしい映画だった。 ただただ魅力的。 すごいな。 








2007-11-04

パーティーじゃーん

レイブな感じか、フューチャーな感じでという注文つきのクラスのパーティーに行ってきた。 90'sのクラブキッズっぽい感じでいこうぜという事なんだろう。 パーティーモンスターもどきに。

ア ホの極みな場所だった。 あっぱれ。 馬鹿だ。 両手をあげて馬鹿で、おどりまくってのみまくって、すっごい楽しかった。 私も相当馬鹿なthe 80'sな格好で行って、「一人でここまで変な格好だったらどうしよう」と思ってはいたんだけど、大丈夫。 みんな私以上に愚かな格好をしていた。 本当 に、ださすぎてあっぱれ。 これぞ我がクラス。 たまには良いよね。 いつもは「こんなに馬鹿で大丈夫なんだろうか」と心配になるし、日常的には(少なく とも私に とっては)もっとゴージャスでセクシーな人と一緒にいようと思っているので、距離がある程度ある分、逆に最高にこういう馬鹿なシチュエーションは良いね。  「最悪じゃん、だっせーー!」と叫びながらクラブに入って、食パンかじって、色々呑んで、ひっどい形のケーキをかじり、「ああ、こうやって一年って終わって行くのね」と思う。 こんな夜も良いじゃないかあ。

2007-11-02

景色が違う

 昨日が最終の提出でした。 これが本当に最後の最後。 さようなら三年生! こんにちは、四年生。


多分、私は四年生になれるだろう。 イーハー!


 昨日、5時にプレゼンが終わった瞬間から、クラス中でのみまくった。 最初に結末を言うと、大学でただでワインが振る舞われたので水のように3杯赤ワインを頂き、その時点で結構できあがっていた私はパブでヴォッカを3杯飲むという暴挙はしてはいけなかったのだ。 途中で考えも無く、ビールも何杯か呑んでいた。 徹夜を二日間している人間がそんなに耐えられるはずも無く、九時ぐらいには「世界がグルングルンです、先生! 立ってられません!」な状態になり、帰宅。 クハー…、なんのための打ち上げなのだ。


 大抵こういう打ち上げとかになるとやけに盛り上がるのは私で、違う学年の人たちとか、私たちを教えてくれていた先生たちとか沢山誘って、「ここまでやったら楽しくなるでしょう」な状態を作り上げる。 間違えなく一番張り切っている子は私だ。 「楽しみ、楽しみ、楽しみ、きゃーー、楽しみーー!」とプレゼンの前から一人で盛り上がっていた。 でも、実際やってみると、いつも誰か一人の人とじっくりと話し込んでしまったり、抜け出そうと誘われて抜け出してしまったりと、その集団のダイナミズムを味わう事なく終わるのよね。 いつもあんまりプレゼンそのものと関係の無い人とかと「終わったー!」って言いながら乾杯とかをしてしまう。 オイ!


 パブについた時は「今日はいろんな人と、かたより無く話そうではないか」と決心しているのに、一杯目から、いつも一緒に呑んでいるので代わり映えのない人と部屋のはじっこに座って、全く年度末と関係ない話しをしてしまった。 クラスの飲み会なのに、クラスメイトじゃない日常的な人と一緒にいるってのは、寒々しい行為だ。 あと、途中で高校のときのクラスメイトで今は大学院でインダストリアルデザインの研究をしている子とちょっとの間消えて、その消えた時間は、消えた時間として、勿論素晴らしいものがありました。 クリスはすっごい珍しい、輝きのある男の子で、結構胸に響いた。 お互い存在は知りつつも高校の時は一回も話した事がなかったし、昨日まで七年間お互いの顔は知りつつも話した事が無かったんだけど、いやー、とても良い男性だった。 思わず、「休みの間日本に遊びにきて」ってやってしまい、「よしきた」ってなっていた。 きゃー☆ でも、考えてみたら彼もアウトオブコンテクストな人で、一体なんの為の打ち上げなのだ!

 
 「もう消えよう、夕飯食べに行こう」と腹が減ると途端にイライラしはじめる友人に誘われ、ケバブを食べに行ったときまでは私は元気だった。 絶対に。 でもケバブのお店で中東のアイドルたちのミュージーックビデオを見ていたら、急に頭の中が混乱しはじめて、ぐったりとしてしまい、一言も口がきけなくなった。 「あ、あたし、今極端に疲れている」とだけ言って、頼んだケバブを一口もかじらず、タクシーに乗り帰りました。 


 こんなに一瞬で、ガクッとなったのは始めてで、結構おもしろい経験だった。 体の中では何がおこっていたのだろう。 間違えなくある時点まではハイパーでクラスの宿敵と二回休戦のキスをしたり、担任の先生に「先生に教わって本当に本当に良かった!」って根も葉もない事を言ったり、楽しい女だったんだけど、一点を超えたら途端に、二日間の徹夜の呪いみたいなのが直接脳に来た感じだった。

 
 打ち上げなのに、クラスメイトとあまり遊ばず、全然関係ない人と一緒にいて、その人と途中で消えて、なおかつその消えている最中にぐったりし、家に帰ってしまったせいで今日は学校の子たちに「なんのための打ち上げなのだ」と怒られた。 そのとーり。 どうして私は目的とそぐわない行動をとってしまうのだろうか。 そんなに、私はクラスメイトに興味が無いの? あっはっは。 だったらお前らのせいだねと笑ってしまった。 


 そして今日、すっごい長い間寝て目が覚めたら、部屋の風景がやわらかくて気遣いに溢れていて、本当にがらっと違っていた。 これは私の目の問題なの? 全然違う。 やわらかくて優しい。 あ、あたしそんなにストレストアウトしていたのか。 ああ、何故だろう、世界が優しい。 


 とりあえず、さようなら、さようなら、さようなら! さようなら!

2007-10-26

Jazz

友達と、のんきにワインを呑みメキシカンを食べ、すっごいゴージャスな場所でジャズを聞いてきた。 エスプレッソを飲んで、キャラメルを食べて、すっごい、シアワセした。 

遊んでいる時間なんてこれっぽっちもないと分かっているんだけど、遊ばずにはいられない。


でも、本当に良かったんだよ。 遊んで良かった。 後悔はなし! 


これでもかあ!ってぐらいにアール・デコのすっごいきれいな場所で、ふかふかのソファーに座って、生の演奏を聴いて、沢山の人がスウィングダンスをしていて、ちょっとよっぱらっていて、いやはや、本当に気持ちがよかった。 色々と考える事が出来た。 友達は完全に音楽に引き込まれていて、私は一人で落書きをしたりメモを取ったり、お酒を飲んだり、音楽に耳をすませたりと自由に遊べた。 こういう時間が必要なんだよ。 本当に。

良い建築の中で、考えられた照明の元、生の音楽が流れていると、どうしてこうもその中にいる人間がみんな祝福されているように見えるんだろう。 不機嫌そうな老人も、ブロンドの乾いた感じの髪の毛をした中年女性も、みんなそれ故に魅力的に見える。 こういうデザインから導きだされる時間の濃度の高さって、無くなってしまったら困るんじゃないかと思う。 贅沢品とかステイタスシンボルとかそういうのじゃなくて、本当にデザインの力ってこういう何気ない瞬間に発揮されるんじゃないかと、しみじみと思った。 いつもはもっと頑な事を考えるし、頭でっかちなんだけど、とても親しい友達と足とかをぴったりとくっつけて音楽を聞いている時、そしてその空間を魔法のようだと思っている時に感じる感動って、ささやかな分大切なんじゃないかね。 少なくとも私はそう思う。 でも多分多くの私のクラスメイトはそうは思わないだろう。 なんかこういう素朴な事って通じない。





足とかの絵ばっかりかいていた。 人の足が好き。 膝の感じとか、がしっと足広げて座っている人の腰とか。 みちゃいかんと思いつつもじろじろ見て、落書きまでしている。 

後、スウィングダンスをしている人たちのゾーニングがおもしろかった。 隣の人と当たらない感じとかに芸を感じました。 東京二十三区の地図を見ている気分になった。

うわっ!

 あっと言う間に、もう26日かよ! 本当に叫びだしたい。 


 助けてーーーーーーーーー!


 終わんないかも、終わんないかも、終わんないかも! 何も終わらないかも。

 うそ! 終わるもんね。 絶対に終わる。 あたし、すっごい頑張るもん。 張り切りまくるもん。 
 絶対に出来る。 しかもナイスに出来る! 

そんなこんなですっごいパニックになった。 思わず、「もうこの精神状態を維持できない」と、ジントニックをがばっと昼間っからあおってしまった。 マンジェラ着ている素敵な男の子と二人で太陽の光をさんさんと浴びながらお酒を呑んで、ちょっと精神が安定した。 で、学校で黙々と作業。 でも今日が卒業制作提出だった四年生が泣きながら作業していたので、思わず手伝ってしまい自分の仕事はおざなりになった…。 くはあ、意外といい人な自分が憎い! そしてエスプレッソののみすぎで、全然寝れなくなってしまい思わず徹夜してしまった。 くはあ…、後先考えない自分が憎い! 

2007-10-23

好きな人更新


 三大好きな日本人グラフィックデザイナー













 考え方がとか、専門的にとか、
そういうのじゃなくて単純にスタイルが好き。 

外見が好きだと断言できるのって意外と少ない物です。 

すっげーーー、好き。

ピクニック






 日本でだったら台風とよぶんだろう、強風の中海辺へピクニックに行った。

 吹っ飛ぶかと、心から思った。 


 タナーの世界のような景色だった。 

La vie en rose





一週間ぐらい前に、La vie en rose(邦題 エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜)を見た。


エモーショナルすぎて怖かった。 でも色々と考えた結果、良い映画だったんじゃないかと思いはじめてきた。 少なくとも私の得意なタイプの映画ではなくて、だから情操教育として良かった。 慣れないタイプの映画って、見てみるものですね。

2007-10-22

La vie en rose


sad and painで思い出したんだけど、La vie en rose(邦題 エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜)を見た。

友人たちがとても薦めてきたので。 
「大泣きだよ!」につられて、泣きたかったから一人で夜中にもぞもぞと行った。 


まず、この映画を好きな人の為に、私は私がいかに幼稚かを説明しなきゃいけないと思う。 私の心の耐久度は著しく低くて、なおかつ感度は異様に鈍い。 そういう私が言う事だって事をまず理解してからよんで下さい。 ただ、こういう映画の見方をした人間が一人いるという事への興味で読んでいただけたら幸いです。 


とりあえず、この映画は私にはホラー映画にしか見えなかった。 全部基本的に怖かった。 「ひいいっ」ってずっとなってみていて、映画館の椅子に一人でのけぞりかえって、椅子の手を乗せる所(なんっていうんだっけ?)をぐわっと掴みながら見た。 確かに泣けたけど、ほとんど怖くて泣いただけで、残念だけど感動の涙とかではなかった。 


まず、細かい模様がいっぱいついているものを見るのが苦手だから、壁紙とかカーペットとか、そういう舞台装置全部が怖くて仕方がなかった。 「お仕置き部屋」ってのを想像する時は、ああいうわけのわからない細かいものがある場所を想像する。 海岸の岩のフジツボとか見ている時に失神しそうになる感じと同じで、だから画面をじっと見れなかった。 テクスチャーが普通の映画の五万倍ぐらいある映画で、本当に細かくて、口の中に砂をいっぱい入れられたような気分になった。 あと音楽も凄くリッチで、細かい音とか、つぶつぶとしていて、それも耳に知らないおじさんが海の匂いがする砂をどんどん入れてくるような感じがして、五感が圧迫されて苦しかった。 そういう意味では凄いリアリティー。 

火曜サスペンス劇場とか、昭和のテレビドラマとかと同じで、うらぶれた気持ちになった。 美空ひばりさんとかの存在に共通するテクスチャー。 「蕁麻疹」とか、「渇いた肛門」とか、そういうなんっていうのか、ようするに高熱系。 高熱を出している時に見る夢と同じカテゴリーの映像でした。 エモーショナルなんだもん。 すっごいエモーショナルで怖かった。

頭では「これは距離感の問題でつぶつぶした感じも、主人公の呼吸の感じも、他人事なんだからもっと遠くからの視点で全体を捉えなくては」って分かっているんだけど、妙に吸引力のある映画で、いちいち翻弄されて、最後はぐったりした。 全然、大きな流れやらを掴む事無く、一瞬一瞬が私対映画の格闘だった。 もしこの経験を作り出す事が制作者側の意図だったとすれば、間違えなく大成功。 そういう意味ではとっても上質な映画かもしれない。 うん、なんか急に自分の中での評価が高まってきたぞ。 

良い映画だったかも!


最近、こういう「お仕置き部屋」系インテリアなバーがウェイントンで微妙に流行っていて、「俺、ちょっと大人なんだ」っていう感じの人達が連れて行ってくれる。 さすがに暗いから、そこまで模様で溢れかえったまるで内臓の中にいるような圧迫感はないけど、だからって広々とした感じはしない。 確かに一緒にいる人との距離は縮まる。 そしてこっちはヒヤヒヤしているから、結果として相手に興奮しているような気分になる。 ただ、お店から出た後の開放感で、全てが吹っ飛ぶけど。 お仕置き部屋。 あんまり増えてほしくない系統のインテリアですね。 ううう。 怖い怖い。

夕方の学校

 夕方の学校ってのはどうしてこうも切ないんだろう。

私の机にはさんさんと夕方の光が差し込み私の手の長い影が作業しているものにかかる。

今日で世界が終わっちゃうような気分にもなるし、同時に悲しいものやら淋しいものやらが光に洗われて消えていき素晴らしい明日が始まるような気分にもなる。 どちらにしろ、そのういう諸々を切ないとよぶんだろう。 

切なさってのは、重くのしかかる何かを押しのけようとする、ささやかな心の運動の余韻な気がする。 余韻のテイストが全面に出て、その味が独特だから分からないだけで、実際の所意外と積極的な行動が原因なんじゃないかと、一日のうちの大半が切ない私は思う。 切なくなる為には、案外力強い生命力が必要な気がする。 影にすごい大自然が隠れていたりするんじゃないだろうか。 それこそ、この崇高すら超えたあっけらかんとしたニュージーランドの大自然のようなやつが。 そう考えると、切なさから大地へと繋がり直す、あっけらかんとした心が生まれる。 こうやって、「ああ、切ないなあ」っていう気持ちはポロポロと違う物語へ持っていかれて、沸々と面白いなあという気分になっていく。 

0トスレスト0







どろどろどろどろーん。
ぴゅーひょろひょろ。 
えいやーえいやー。
遠くからは太鼓の音。
右から左へ通り過ぎていく笛の音。
視界から一瞬消える蛍の光。
不思議な森に住んでいる奇妙な生き物。
時間の流れは少しずれていて、しかしどこか確実な川の流れ。
植物たちは渦を巻きながら葉っぱを飛ばす。
隠れた栄光をたたえる光るコケ。
惑星同士がしかるべき位置関係に来た場合にのみに生じる数々の出来事。






迷惑同士がさわぐべき親密関係になった場合のみに応じる数々の出来事。
じめじめした森の陰の中輝くシダ。
水玉は葉っぱから落ちながら波紋をあける。
雲は逆に流れ元に戻っていて、満月の銀波に沈むあまの流れ。
奇妙なかおりを飛ばす不思議な生き物。
香りを痕跡に一瞬消える紅花。
左から右へ去る行方不明の猫の足音。
枕元からは霧雨の音。
あいごーあいごー。
ナヌーンゴロカンダ。
てくてくてくてくーと。






2007-10-18

赤ちゃん

友達に赤ちゃんが産まれた。 自転車を飛ばして会いに行く。

贈り物としてオリーブのすでにでっかい木を担ぎつつ運転した。
ちょっと滑稽だったと思う。

出産をした2時間後に母子ともに退院っていう超健康なナイス出産で、私はそんな逸話も含めてとてもスペシャルだと思った。 すごいよね。 2時間で退院よ? 

こんなに元気にトトロのパチもんのぬいぐるみを作って、ケラケラ遊んでいる彼女に私は感動した。






彼女は私がニュージーランドで一番好きな芸術家だ。 でもママになったらちょっと違う人になるのかなと自転車をこぎながら変化を考えていた。 制作とかしなくなるのかなあとか、もうあそこまでハイパーアクティブじゃなくなっちゃうのかなとか。 でも、そんなの私の思い過ごしだったようだ。 赤ちゃんをお互いによく見た後、「スタジオに行こう!」と行って、彼女の作品や制作についての話しをされた。 っか、かっこいいーー! 私の好きになる作家はいつでもかっこいいね。 私、すごい。

 






産まれて三日目の女の子は、素晴らしかった。 美しかった。 

もしこの人の事を美しいとよぶとすると、私の今までの美しいって言う言葉とはそぐわないなと思った。

だってただただ素晴らしいのだもの。 深く考える事もなく、美ってのは普遍的な事だと思っていたんだけど、今回得た心の奥底での彼女への共鳴は今までのどれとも違うから、私の考え違いなのかもしれない。 美って、もしかしていっぱいある? 

赤ちゃんなのに、「この人」とよばずにはいられないぐらいに、完成されている人だった。 徳が高いというか、神々しいというか。 本当に、こんなに美しい赤ちゃんを見たのは始めてで、一体どうしてこうも素晴らしいのか分からなかったぞ。 「どうして彼女はこんなに素晴らしいのか」と結構考え込んでしまった。 






この赤ちゃんはお父さんが中国系とヨーロッパ系のハーフなので、アジア人のクオーター。 みんなで「髪の毛黒いねえ! すごいねえ、遺伝ってすごいねえ」と感動した。 (もう、この赤ちゃんに関してはみんなでなにに関しても感動してしまうのよ) お父さんは2週間ぐらい仕事を休みにして夫婦+赤ちゃんでずーっと家に籠る予定なんだって。 すっごい、素敵な旦那様だと、私乙女チックに感動した。 私も子供を産んだ際には、是非、旦那さんに最初の数週間一緒に休んでいただきたい。 そして一緒に最初の家族のボンディングと、ただただ赤ちゃんにとろける時間を過ごしたいよ。 なんでこんなにこの人たちは素敵なんだろう。






この手とか、素晴らしいよね。 思わず、スケールモデルだとつぶやいてしまった。 なんて良いんだろう。 


自分が赤ちゃんだった時の事なんて勿論思い出さない。 だからずっとこのサイズでこの考え方で生きてきたような気がしてしまう。 でも両親からすると、こんなに小さいときから今の私を全て含めて「あんなちゃん」として見ているんだろう。 こんなに素晴らし(かっただろう)小さい私と時間を重ねて、今の大きな私を手にしている彼らは、私が思っている「私」とは全然違う見方で「私」を理解しているんだろう。 そう思ったら、すっごい嬉しくなった。 とてもとても嬉しかったです。 


この家から直接大学にいかなくてはいけなかったので、海岸線を一時間かけて自転車で走った。 とても天気がよくて、海がキラキラしていて、とてもきれい で、写真に取るのもしゃらくさいと思って、ただ一生懸命マウンテンバイクをこいだ。 海風が強くて涙が出た。 どうもよくクラクションを鳴らされるな。  男性がこっちを見るな。 「モテ期?」と疑いつつ自転車を漕いでいて、最後ら辺で気がついたんだけど、風で服がめくれて胸が丸見えだった。 うう、とりあ えず可愛いブラジャーで良かったと、自分をなだめる。 そうか、やっぱおっぱいは良いんだな。 赤ちゃんがおっぱいをのんでいるのを見た直後だったので、 優しい気持ちにすらなったよ。 でも突風の中ヘルメットかぶって、ごっついマウンテンバイクで立ち漕ぎしながら海風で泣いている女の胸なんかで良いのか?  もっといいものがあるんじゃないか?

2007-10-15

細々と色々あった一日 大陸な一日

 今日は、ドローイングのファイナルハンドインだった。 これで選択科目は全部終了で、残すはコアペーパーのファイナルのみ。 


 やっったーーー!!!!


 相変わらず、すっごいラストミニッツになってしまい、「お、終わらないかもしれない」を心の中で繰り返す。 

 でも何故か心中穏やかなのね。 年を重ねるってのは、じたばたするよりもとりあえず何かをやる方が早いと気がつく事なのかもしれない。 前のような、気を緩めた瞬間に涙が出てくるような事もなく、ただマシーンのごとくやった。

 心は穏やかで焦った行動も取らないけど、でも頭の中で流れている音楽と映像はまさにこんな感じ。

 変な組み合わせだと思うけど、この2曲が入り交じってガンガン頭に流れていたよ。


 

 



やっぱ、焦ってたのかもしれん。


それにしても、徹夜明けなので三秒以上連続して同じ事が考えられない。 きちんと構成した文が書けないので、箇条書きで行きます。


★ プレゼンでは瞬殺だろうなと思い、戦々恐々としながら走って行った。 何故走っていたかって? 走らないと間に合わないからさ。 三時間の遅刻。 最後から三人目で発表。 「これこれこれをしました。 さあ、殺して下さい!!!!」とヤケッパッチでやったら、無茶苦茶誉められた。 すっげーーー意外。 最後まで全く読めない授業だった。 ワンダフルで洗練されているとまで言われた。 全部蛍光色でやったのに。 やってる間ずっとマイケルジャクソン聞いていたのに。 うーん…。


★ ブルガリア人とロシア人の教えている単位で、彼らの言っている事は正直、私には全く通じない。 
???となるしかない。 言語の問題ではなくて、(単語そのものの意味は分かる)文脈が全く読み取れないのだ。 奥行きが分からない。 フランス人、ブルガリア人、ロシア人が教わった人たちの中でトップスリーに難解で、チンプンカンプンな人たちで、「ああ、あたしには大陸はでかすぎる」となるのよね。 この御三方は、ドイツ人の先生の時よりも分からん。 ドイツ人の先生の時は言っている事も文脈も分かったけど、なんでそれを望まれているのかっていう動機の部分が全く掴めなかった。 「それしてなにになんの?」が頭の中をぐるぐる回っていた。


★ 考えてみたら、セルビア人とか、ロシア人とか、ブルガリア人とか、今年は(というか結構いつも)私の人生において東欧の人たちがわんさかといたなあと彼らの滑らかななまりを聞きながらしみじみ。 


★ プレゼンの最中にフランス人の子たちがごのごのと話していて「いはーー、君たちの言語はなんでだかこの授業中に聞くと圧迫感があるから黙って下さい」と奇妙に興奮する。 


以上、マルチカルチュアルな、実際ニュージーランド人より外国人のほうが多い教室からでした。


★ プレゼンが終わった時点で既に夜で、打ち上げとしてプルガリア人とフランス人のクラスメイトたちとビール呑み、トルコ料理を食べた。 すっごい楽しかった。 みんな徹夜明けなので、ふらふらなんだけど、こればっかりはさぼれない。 最近、ずっと移住してから何世代かたっているニュージーランド人たちと一緒にいたので、このヨーロッパの感じが懐かしかった。 

そういえば、私は昔イギリスに住んでたんだよなと、急に自分の態度やら考え方やら話し方が変わった事から思い出した。 変なコードがあって、相手によって私の雰囲気がガラっと変わるんだよね。 ヨーロッパのバックグラウンドの人たちと一緒にいる時の自分の態度が一番すっきりしていて、愛らしい行動も簡単にとれるしある意味好きだ。 背骨とか、意志とか、自分とかをある種のコントロールとともに自由に出来る感じが好き。 NZのコードの時に「これって頭が割れちゃうぐらいにbig issue!」って思っている事がアリンコのレベルに変わるのとか、我ながらおもしろい。 

勿論一番純朴で牧童な感じでいられるニュージーランドのコードも、些末な事をごたごたとただ考えていられる日本のコードも、アウトオブコントロールな感じなアジアのコードも全部好きだし、どれもただのツールでやらなきゃいけない事だから比較する事もできないけどね。

ただ、こうやって一緒にいる人によって、まるで季節が変わるかのように自分自身が大きく変化するんだという事は忘れちゃいけないなと思う。 そこには希望がある。

★ ブルガリア人の女の子は、the 東欧って感じのイケイケの色気ぷんぷんとしているのが当たり前な、性への喜びを知っている奴で、その気力体力そして悪気のなさに、ジメっとした陰翳礼賛な私はいつも驚く。 私はただの友達同士の食事だと思って行っていたけど、彼らを家に返した後に「いくなら、あっちの方の男ね」と断言したのとかにびびった。 見定めていたのか!

 私は、他の人の事を思いじめーっとしていた。 が、こうやってガンガン行けば過去は栄光のものとなるのかと納得。 

すげーよ。 

★ 後で他のプルガリア人の子たちが数人合流して話しの内容はそればっかりになった。 「ダブルデートでね」と流し目ぷんぷんに話していた。 「マジで?! あれデートなの?!」と「打ち上げの食事=栄養補給」だった私はまた驚く。 で、みんなしてセックスの作戦をたてていた。 あっけらかんと、悪びれも無く、そして華々しく美しく。 「あんなは2週間後の次のプレゼンまで彼らと遊んで、前の人の事なんて考えちゃ駄目よ。 で、今の人たちが上手くいきはじめてから考えれば良いじゃない。 はっはーん。」と言われ、「っは、っはっはーん…?」と返す。 が、確かに。 彼らってすごい。 大陸の人たちってすごい。 ジェネライゼーションはしたくないけど、これだけイグザンプルが多いと思わずしてしまう。 大陸の人たちって、ダイナミック。 こういう事に関しての文化的な深さが全く違うと思う。 何百年分もの先人たちの叡智が脈々と日常の中に織り込まれているような気がすんだよね。 話しの途中で、その子のお父さんから電話がありプレゼンの結果を聞かれていた。 さんざんだったと言った後に"fuck it"と言われたそうだ。 まさに! まさに! まさに! すっげーよ。 マジで、日が当たる所を歩いている感じがするね! 

★ 私は実はただのカマトトでおぼこい大和撫子もどきな、ださい女なのではないかと数々の「はっはーん」の後に思えて来た。 

★ もう誰も正気が残らないぐらいにふらふらになってきた頃に、「あのクラブで踊りまくれば良い訳よ。 そうしたらやな事なんて忘れるわ。」と言われ、「ああ、あのクラブは”悪趣味なクラブに行ってビールを一杯飲んだ後に爆笑して帰る”っていう、悪趣味に悪趣味で勝つっていうゲームをしていた時に彼と行った所だあぁぁぁぁ」と一瞬陰翳礼賛がぶり返した。 けど、「オッス! とりあえず、2週間大陸的に生きます!」と力強く心に誓う。 が、あのクソクラブには行かんがな。 はっはっは、両方に勝つ。 私は、私の今までの生き方反省しつつ方法論を大陸的なものに変え、だからと言って、今までの美意識は譲らんのだ。 勝つ! 私、勝ちます。


 ★ 今日は、妙に大陸的だった。 太陽がでっかい感じだったね。 オッス!

 

2007-10-14

手紙 たまには手書きで。

カフェで他の仕事をしつつも、暇だったので手書きブログを作ってみる事にしました。 クリックして拡大して見て下さい。