2011-12-30

癒しの力

日本に帰ってきてから、その日常っぷりに驚いている。

本当にこの国って現在進行形で人類史上最悪の原子力事故が起こっているんだっけかと、不思議な気持ちになってしまう。

人々は優しくて、誰かを喜ばすために作られたデザインとかが溢れていて、清潔で暖かい。

圧倒的な日常がある。

もしかしたらこれが本質なのかもしれないと思う。

どれだけ痛みを抱え込みたくても、
ゆっくりと傷を癒しがしたくても、
私たちの持っている圧倒的な生命力と生産性が、
傷や悩みすらをも再生の渦に巻き込み前に進んでいってしまう。

圧倒的な命の力がある。

「忘れっぽい」とかって次元ではない。
私はこれは忘れっぽいとか情報統制されて放射能の脅威が分からないからって次元を超えて 「再生の力がすごすぎるから」だなと思う。

痛みや、傷や、問題すらをも巻き込んでこの社会は再生して行っている。

圧倒されずにはいられない。

いいか悪いかなんてわからない。ただただ凄い。

2011-12-23

一足先に

メリー クリスマス!


数年前にクリスマスのミサで貰ったお祈り。 
人生に必要な質を、いろいろと言い当てている。
とてもいい言葉だから読んでみて。

全てのもしもが当てはまる。
だからこそ、祈りが必要。

xoxo

--

もしも、あなたが悲しんでいるなら、喜びなさい
クリスマスは喜びだから

もしも、あなたに敵があるなら、和解しなさい
クリスマスは平和だから

もしも、あなたが傲慢であるなら、低くなりなさい
クリスマスは謙遜だから

もしも、あなたに負債があるなら、弁済しなさい
クリスマスは正義だから

もしも、あなたに罪があるなら、悔い改めなさい
クリスマスは恵みだから

もしも、あなたが暗闇に沈んでいるなら、灯をともしなさい
クリスマスは光だから

もしも、あなたが心得違いをしているなら、反省しなさい
クリスマスは真実だから

もしも、あなたが心に恨みを抱いているなら、捨てなさい
クリスマスは愛だから

もしも、あなたが絶望をしているなら、キリストに目を向けなさい
クリスマスは希望だから

もしも、あなたに友人がいるなら、探し出しなさい
クリスマスは再会であるから

もしもあなたに愛する人がいるなら、愛を告げなさい
クリスマスは肯定だから

もしも、あなたの身の回りに貧しい人がいるなら、助けなさい
クリスマスは贈り物だから

優しくなりたい




今年はこの曲をよく聞いた。 

震災の時、NZでも日本でも「日常の埃が災害でどけられて、黄金色の心が出た」という話しを聞いた。 悲しい事ばかりだったけど、それでも思い返したら、黄金色に光る年になるんだろうなと思う。

英語で、have a heart of goldというと、「美しい/強い心を持っている」という意味になる。

ニール ヤングのこの歌は、黄金色の心を探す炭坑夫になるってテーマの歌だ。
優しくなりたい人の歌。

歌は、
僕は生きたい
僕は与えたい
僕は心の黄金を探す為の炭坑夫なんだ
って歌詞から始まる。

もう、この冒頭部分のインパクトたるや。

I want to live,
I want to give

あっぱれ。

子供の頃、なりたかった自分、
思春期の頃、保ちたかった自分の質が
この二行に表れきっている。

そして、結構私も素朴な炭坑夫だった事を思い出す。

十年前は、この歌を聴いて、自分が何かを思い出すだなんて思いもしなかっただろう。
この歌みたいな感覚こそが全てだった訳だから。

今は思い出す為に聞いている。

優しくなりたい。
人に何かを与えたい。
生きたい。

そして年をとっていく。

あー、一日ニール ヤングになれたらな。 
そんな事になったら歌いまくるよ。
一日トム ウェイツになれたらいいなとも思う。
あと、レナード コーエンとか。
おっさんになりたいねぇ。


"Heart Of Gold"

I want to live,
I want to give
I've been a miner
for a heart of gold.

It's these expressions
I never give
That keep me searching
for a heart of gold
And I'm getting old.
Keeps me searching
for a heart of gold
And I'm getting old.

I've been to Hollywood
I've been to Redwood
I crossed the ocean
for a heart of gold
I've been in my mind,
it's such a fine line
That keeps me searching
for a heart of gold
And I'm getting old.
Keeps me searching
for a heart of gold
And I'm getting old.

Keep me searching
for a heart of gold
You keep me searching
for a heart of gold
And I'm growing old.
I've been a miner
for a heart of gold.

2011-12-21

明日で仕事納めだー!




フxック   イエーーーーーー!!!!

2011-12-20

そういう考え方って、負けを導くんじゃないか?


私は、たまたま平等とか公平とか、透明性が高いとかそういうタイプの国別ランキングで、ウルトラ上位に入る国にばかり住んでいた。 それに、友人もそういう国出身者が多かった。 北欧とか、オセアニアとか、日本とか。

例えば世界平和度指数のランキングは、2010年度版で、一位NZ、二位アイスランド、三位日本。(最新版でだと上位二国が入れ替わる) 私は、世界中の誰より平和ボケしている自信がある。

しかしオークランドに引っ越してから、そういう優等生国家出身じゃない人達と知り合いになる機会がずっと増えた。 

で、気がついたんだけど、世の中ってあきれるほどに汚い!

そしてそういう所出身の子たちは、そこの常識が世界の常識だと思っているので、結構「?!」ってなる事を言い放つ。 同時に、私の言っている事は相手からしてみりゃ金持ち国家の甘やかされた女が、ぼんやりとした戯言をほざいているって感じに聞こえるんだろう。

特に政治とか政策の話しをする時、最初は「どうしてこうも話が通じないんだろうか。 彼らが現実的で私が理想主義的なのか?」とぼんやり悩みながら話していた。 私が甘いのかと悶々としていた。

しかし最近うっすらと確信している。 「彼ら的な考え方したら、社会って、多分負けるんだ」って。 日本社会が他の人間社会と同じ位汚くても、同時に他に類をみない勢いで高貴なのは、意外と理想主義が根付いているからな気がしてならない。

少なくとも、こういうランキングの下の方出身の人達の持っている、堂々とした、自分の社会階層以外の人間に対する差別心や、人権意識のなさってそこまで日本では見ない。 いくらネット右翼で、他の東アジアを毛嫌いしている人でも、例えば全く関係ない外国で、外国人に向かって、自分がいつも思っている事を堂々と熱弁したりはしないだろう。 した瞬間に激しく馬鹿で恥知らずだ。

でもそういう次元の事って実は世の中、結構多い。

訳の分からない国の人に、訳の分からないどっかまた他の国の悪口とか差別心とかを、恥じらいもなくべらべら喋られて、下手すりゃ同意を求められる事って結構ある。 聞いているこっちとしたら、そういう次元の低さが悪そのものなのではないかと思わずにはいられない。 心底「そういう次元ではオペレートしたくないな」と思わさせられる。

経済発展が先か、社会安定が先なのかは、鶏と卵みたいで私には分からないけど、堂々と人種差別や民族差別、宗教差別が出来るような環境が、発展をもたらすとは思えない。 少なくとも、私が知っている限り、そういうのを悪意なく、自分が正しいという自信とともに堂々と罵詈雑言を言う人達は、あまり情勢の安定した国や出身者ではない場合が多い。

(もしかしたら、相手に対してそう思う事も、差別やスノビズムなのかもしれないけど。)

こういう感じ、オークランドに引っ越してきていなかったら経験しなかったんだろうな…。 最初は「珍しいものを見た」って感じでいたけど、最近は「もしかしたらこれが世界の平均値かも…」と思うようになってきた。

そりゃそうだよな。 上位三か国の安定度が、世界の平均値なわけはないよな。 こいつはまいった、世の中にびっくりだ。

小さな奇跡

日本の社会って本当にすごいなと思う。 ぐちゃぐちゃなところもあるし、真っ黒のところも、不穏なところも、醜いところもある。 でも基本的に、すっごくきれいだ。

小さな奇跡とか、小さな良心とか、小さな自己犠牲とかが積み重なって、誰も見た事がないような大きな成功や達成を成し遂げている。

東北地方の復興活動とかのニュースを見ていると、そう思わずにはいられない。

勿論、醜いところや、救いがないところはある。 皮肉も言いたくなるし、非難せずにはいられないこともある。 

しかしね、これって特に日本人の性根が薄汚れているとかっていうよりも、結構普遍的な人間社会のデフォなんじゃないかなと、思えてくる。 だって原発事故なくても、地震なくても、津波なくても、結構平常時で世界中そんなもんじゃん!

逆にどれだけの痛みや衝撃を受けても、それでも良い事をしようとしたり、人を思いやったり、"普通の生活"を他の人に与えようと努力したりしている人達って、それが一見どれだけ小さな行動でも、実は超人的な徳の高い事をしているんじゃないかと思えてくる。 そしてそういう小さな「良くあろう」って思う奇跡の積み重ねが、救済なんじゃないかと思えてならない。 小さな努力をあきらめる事が、今みたいな時では一番の悪なのかもしれない。

きらきらとした小さな小さな行動が、つもりつもって、踏みしめられて、社会の土台になればいいなと思う。 負けちゃいけない。 悪に負けちゃいけない。

2011-12-18

ことの顛末

気がついたら集中力がなくなっていた。

ものすごく気が散るようになっていた。 一つの作業が続けられなくなった。 仕事場で、何かを頼まれる度に不愉快な気持ちになった。 誰とも交流したくなくて、様々な事で「いやいややってる」感じが抜けなくなった。 不安感が強かった。 変化が怖かった。 乗り物に乗るのが怖くなった。 一人でいる時、一日一回は、クライストチャーチ大震災や、東関東大震災、原発事故の映像が頭にわき上がってきて涙が出た。 次は自分自身が被災する気がして、怖くて仕方がなかった。 そしてあまりにも自分が弱々しいので、何かあるごとに自分自身にきつく当たった。

今、自分がいた精神状態をリストアップしてみると、どう考えてもヘルシーではない。

「ああ、こりゃ駄目だ」と思ったのは職場で、同じ作業が五分以上続けられなくなった時だ。 下手すりゃマウス一回クリックしただけで、「ああ、疲れた。もう先に進みたくない。」とぐったりした。 集中出来ないし、継続も出来ない。 それで「なんでこんな事も出来ないんだ!」と自分に対して怒っていた。 怒りながらも、「でもさすがにこれって、私がレイジーだからって次元を越えてるんじゃないか?」と思った。 どう考えても、この若さでマウスクリック一回しただけで精神ぐったり来るってのはおかしい。

しかもぐったりついでに「怖い」って感覚まであるんだよね。 「先に進むのが怖い」ってどっかで思ってるの。 たかがマウスクリックごときで! 進む先なんてたかがしれているのに。 最終的にはクリエイティブ系の仕事内容が、特に怖くて進めなくなった。

その場で「これはレイジネスじゃない、クレイジネスだ!」と語呂合わせチャッチフレーズを作って、心理カウンセラーに予約の電話をした。 指定された日時に心理カウンセラーに話しに行った。

そしたら案の定すごくすっきりした。

きっかけが何なのかとか、原因とか、そういうのは正直言ってよくわからない。 ただ上に書いたような事を、「私だけで抱えていた」ダメージは思っていたよりもずっと大きく、それを外に出せただけですっきりとした。

そう、「私は一回マウスクリックするだけで疲れて、先に進むのが怖くて、明日にも自分が被爆したり、被災する気がしていて、乗り物に乗るのが怖くて、集中力が全く無く、人と関わりたくない女なのです。 時間が過ぎるのが怖いのです。 このまますべてが止まってしまえばいいと思うのです。」と一言声に出して言うだけで、「でもそれって単純に私が精神的にめいっているからで、大抵の時の私はそういう考え方はしない。」って客観的に思えるようになる。

それだけでも結構すっきりする。

「やばいね、私。 私、頑張れ! 意地悪な私に負けるな!」って、優しくなれる。

そんな感じ。

ことの顛末でした。

2011-12-12

出会いを求めて

とどのつまり、これ以上に美しい言葉はないのだと思う。

「出会いを求めて」

よく、こんな音を、意味を、文字のつながりを見つけたなと思うよ、李 禹煥は。

自分が移民になった年だったから、そしてクライシスがおこり祖国の形が大きく変わってしまった年だったから、今年は李 禹煥の作品や文章が本当に胸に沁みた。

力強く、勇気のある移民の先人を知っていてよかった。

私の「この人の事を知っていてよかった」リストに、彼は必ず、いつでも入る。

祖国に災害が訪れるのって、本当に、最悪な気分だ。 育った場所と違う所でがんばらなくちゃいけないのは、結構しんどい。

それでも勇敢さを貫いて、きれいでいて、そして優しくあったり、柔らかくあるための知恵を、李 禹煥の作品から感じる。

出会いを求めて!

ガルルルル!!

2011-12-08

ちょっぴりぎりぎり

感情的にちょっとぎりぎりだったので、最後のよりどころ、ママンに電話した。

しくしく泣きながら、「私は多分一生なにも達成出来ないし、たいした事できないし、貧乏だし、面白いこともない気がする。 どこに向かってるのかも、どうやってこの状況を脱するのかもよくわからない。」と報告。

「あらー、じゃあ、仕事も辞めて恋人とも別れて日本に帰ってきてちょっと遊んだら〜? 別にどうでもいいじゃない、永住権とか、仕事とか、将来とか。 アンナちゃん、遊び足りてないからそんなめんどくさい事考えてるのよ。」と相変わらずな事を言われて、気が楽になる。

そうだった! 私だけが勝手に私の期待値を上げているだけで、実は誰も、そもそも私に期待していなかった!!

「半年位日本で遊びながらバイトでもして、それでまた半年NZに帰ってバイトとかして暮らしたら?」と言われる。 おかぁーさーん。 あなたの中には、こういうホラー記事あなたの中には存在しないのねーと、ある意味さわやかな気持ちになる。

「アンナちゃん、関東に来ても放射能怖いってメソメソ言うだろうから、京都の山奥とかで暮らして、里でアルバイトでもしたら?」と陽気な事を言われる。

恋人にも「そんなにいろいろと嫌なら、どっか1人で長期間旅行にでも行って、その後帰ってきてもある程度の期間はサポートしてあげれるから、ゆっくり仕事探せば?」と寛容な事を言われる。

ありがたいけど、それやっちゃったら、もう、私、現実社会には戻れない気がする。 

こういう時はピューリタンのクリスチャンの子と話そうと、職場のキリスト教原理主義者の子とランチデート。 「勤労である事、謙虚である事、現状に満たされる事、恵まれている事を認識する事。 感謝する事。」とマントラのように彼女と唱える。 あぁ、本当にこういう時は職場にピューリタンのキリスト教原理主義者がいてくれてよかったと思うよ。

その後、私が落ち込んでいるようだと感づいた香港人の同僚に生きるヒントを貰う。 曰く、「レストランで飲み物を頼む時は、氷抜きでって言え。 その方が飲み物が沢山貰えるから。 ケチでどん欲なアジア人であれ!」 そして、インド人の同僚達にも「ケチであれ! 金を貯めて、裕福であれ!」と励まされる。 励ましになっていないけど、ありがたくお言葉頂戴する。 この感じが私を追いつめているのだけれどもね、耐性作らなきゃだから、ありがたくいただく。

30歳の時点では「私は幸せだ、満ち足りている」と感じたい。 その時、何に自分が幸せを感じるのか、結構みものだなと思う。

2011-12-07

君は一体全体何様なのだ?

自分の話しかしない友人がいる。

彼は本当に「自分がいかに素晴らしいか!」っていう話をひたすら続ける。 下手すりゃ、「そういえばアンナは元気?」って一言すらなしに、ひたすら、ひたすら、永遠と「自分がいかに素晴らしいか!」って話を続ける。 会話にならないのだ。 本当に、会話にならない。

しかも勝手にうちにきて、自分がいかに素晴らしいかって話をしたりする。 選択肢無しに、自慢話の宇宙に連れて行かれる。 居間に入れたら最後なので、台所で立ち話(しかも私は明らかに楽しんでいない)っていう感じであっても、三十分位自分の話をする。

君は一体全体何様なのだ?

自分の自慢話なんて、お前の母親にしろ! 全宇宙でお前の自慢話を聞いて心から嬉しいと思うような人間はお前の母親ぐらいだ!!!!

もしくはとっとと恋人を作って、心を満たしてもらえ! うきゃー!

話を聞いているときの私の心模様はこんな感じよ。


うきゃー!



うきゃー!

実際、彼の仕事は楽しそうだ。 だから今、自分自身の生活に満足していない私は嫉妬する。 「お前になりたい」とは思わないけど、「お前位自分に満足している人になりたい」とは、本当に思う。 なので奴が、ギャーギャー自分の自慢話をしている時に、結構ジリジリと嫉妬で神経焦がされる。

思わず心は崖っぷちだ。

くっそー! いつかお前と関係ない宇宙で楽しく遊んで暮らしてやる!!!

2011-12-06

引っ越したい

引っ越したい。 オークランド市内なんて距離のではなくて、この国から引っ越したい。 本当に、心底引っ越したい。 考えてみたら、もう7年連続で住んでいる。 十分だ…! もう、十分だ! 一体なんの記録を更新したくて、こんなに長いことここにいるのかすら分からん。

一日のうちのほとんどの時間を「引っ越したい、引っ越したい」という思いをおさめるのに使っている。 控えめに言っても、健康的な状況だとは思えない。

仕事がなくなるのは怖い。 新しい仕事が、新しい場所で見つけられるか考えるのも怖い。 未知の状況を通過しなくちゃいけないのも怖い。

怖い事だらけなんだけど、それでも単純にその全てよりも、「このままここに居続ける」と想像する方が怖い。

このままだと私は、すごく嫌みで、人と自分を比べる、次元の低い事ばっかりに気を取られて、幸せになれない人になる気がしてならない。

ぱっと勇気を持って行動がとれないのは、自分に自信がないから。 新しい場所で仕事が見つけられるかどうかって不安と直結している。

はぁー! まったくもって! 仕事ってウルトラ大事だね!

コリアンクール

韓国のグラフィックデザイン。 shin, dokhoさんの作品。

韓国のグラフィックデザイン、大好き。 ハングル文字が使える時点で相当得していると思う。 しまりよすぎ。

クールすぎる。 なんて素敵なんだ。 なんて、なんて素敵なんだ!





shin, dokhoさんの作品、素敵過ぎ…!

あと、これもほしい





tom price: PE stripe meltdown chair at design miami basel 2011via Designboom

ほしい!



日本語版のサイトも最高。

2011-11-24

小さいけど確実な変化 その2

自分の老化に直面し、「今引き戻さないと、とんでもない事になる!」とおののいた私。 最近は引き戻しの為に、小さいけど確実な変化を自分のライフスタイルにおこしている。

2.日焼け止めを塗る





北半球の奴らがやんちゃをしてくれたおかげで、NZ上空にはオゾンホールがある。 結果、こっちで浴びる紫外線の量は日本の7倍! NZで発生している癌の中で一番多いのが皮膚癌だ。 それぐらいにビシバシすっごい日差し。

うちの前の"非常に都会的でコンパクトな"公園ですら、このギラギラ感。 





街中の公園でお花とかに囲まれているだけで、「あなたは小人ですか?」ってスケール感覚になってしまう、このガリバー島。 葉っぱ物ですらこんなに大きい。 木じゃなくてもこのサイズってすごくない…?

植物からしたらこっちの日光って本当にたまらないんだろうな。 栄養満天。

そんな日光の元では、特にヨーロッパ系の子たちは日焼け止めを塗らないで晴れた日に外にいると、簡単にサンバーンしてしまう。 サンバーンは、日本語の日焼けの持つニュアンス"肌色が濃くなる"ってのとは違って、"やけど"って感じ。 真っ赤にただれて、下手すりゃ病院送り+命に本当に関わる。 だから皆日焼け止めを塗る。 オプションではなく、必須。多分、世の中から急に日焼け止めが消えたら、NZやオーストラリアからヨーロッパ人も同時に消えるだろう。





そんな中私は全く日焼け止めを塗った事がなかった。 有色人種だからサンバーンも滅多におこらないし、日焼けしたかったし。 上の写真みたいに日陰に座っている人を「なぜこの太陽をエンジョイしないのだ?」と奇人扱いし、太陽の真下を1人でがんがん歩いていた。

しかしなんだか最近肌がみそぼらしく、常にただガサガサしている感じになってきたのよ! 鏡の前で肌を触って、目を見開きながら、小さな声で「ひゃーっ!」っと悲鳴。 その場で日焼け止めを塗ったくるようになった。



自然って厳しい…!

2011-11-23

小さいけど確実な変化 その1

自分の老化に直面し、「今引き戻さないと、とんでもない事になる!」とおののいた私。 最近は引き戻しの為に、小さいけど確実な変化を自分のライフスタイルにおこしている。

その1.  DV夫と妻のような関係であった、「タバコと私」に終止符を打つ

汚いし、貧乏臭いし、下品だし、醜いし、だらしないし、臭いし、アホみたいだし、もうこれは別れなくてはと思いつつもだらだらと関係を続けていた、私とタバコ。 タバコに関して言えば、老けるどころか「これ以上吸ってたら、明日にでも癌になる」って本気で怖くなった。

こんな自己破壊的な行為に身を染め続けてはならぬという事で、離婚。 もう二度と近づかない。

ノンスモーカーになってまだ二週間位しかたってないけど、結構変化があったと思う。

錯覚だったのかもしれないし、確認のしようはないけど、直接的に私が感じていた喫煙のダメージは、吸った直後に鬱っぽくなる事だった。 タバコを吸うと、どよーんと頭に黒い雲がかかる感じがしていた。 そして体温が下がって、急激にダウナーになった。 要するに暗くて汚い状況。 わざわざ薬物摂取してそういう精神状態になってたなんて、絵に描いたような中毒者。 ミー ジャンキー じゃん! 気持ち悪い。

とにかくその「暗くて汚い状況」が一日に何回も訪れないってだけで、祝福。

今でも人と話すときとか、お酒の場なんかで、若干タバコが恋しいなと思う瞬間がある。 まだ体が「こういうときは薬物摂取していたよ!今回はしなくていいの?」と混乱したシグナルを送ってくるのがわかる。 体が一瞬「暗くて汚くて、じめっとした状況に戻ろうよ」と誘ってくる感じ。 でも長続きはしない。 もっても10秒位。

肌からも若干くたびれた感じが抜けた気がする。(2週間しかたってないので、ただの錯覚かもしれないけど)

いやはや、本当にこの最悪な物品の所為で、暗くて嫌な道を通ったなと思う。

健康に関していえば、これが自分が人生でしていた最悪の悪癖で、今後これ以上のダメージを自分が自分にすることはないと信じたいものだ。


ふち

最近、ババアになっていくのを感じる。

未婚で一回も子供も産んだ事がない27歳にして、なんだかもう既に人の良いどっかのお母ちゃんみたいな感じ。 

家でエプロンしている姿とか、窓の反射とかで見る度に「ひゃぁ…!!」と恐怖におののいてしまう。 特に太ってから(今年の私はいつもより迫力を持って太った…!)拍車がかかって、もー、本当に「子供三人いるどっかの肝っ玉母さん」。 

自分で自分に声かけたいもん、「お母さん、今日もおつかれさま」とかって。 脇の下に子供がっしり抱えてそう、私。

少女の先にはレディーの通る道と、ババアの通る道があるのかもしれない。 

私は確実にババアの道に両手を挙げて突撃していっている感じだ。 おぞましい…! 一旦引レディーとババアの分かれ道まで引き戻して、レディーの道に進まなくては…! これ以上本能に従って一本調子に進んだら危ない…!


なのでこりゃ半端ないぞと真面目に肝にすえ、最近「小さいけど確実な変化」を心がけるようにしている。

2011-11-22

卒業式

根っからの王子様な友人の卒業式に今夜行く。

デザインコンペの表彰とかもあるので、結構華やからしい。 そして彼はもう自分が受賞している事を知っているので、もーー、完全に浮き足立ってる。 うきうきしすぎちゃって、幽体離脱しちゃってる感じ。 もどってこーい!

「何時にどこで会えば良いの?」って聞いたら、ながーいimessageがかえって来た。 「めちゃくちゃ綺麗に着飾ってきて。でも“着飾ってます!”ってばれないように。 髪の毛はつやつやに!!」とか、「僕がコンペに勝った事は誰にもまだ言わないで。驚かせたいから」とか、「君は一体全体どれだけ偉いんだ?!」って感じのアホな発言を連発。





はぁ…、着飾ってるけど、着飾ってないように見せるって難しくない?.

「君みたいにすごく素晴らしくて素敵な男の子の卒業式に参加できるなんて、私は本当にラッキーな女の子だと思うよ。 もう、これにて私の20代悔い無し。 親友でいてくれてありがとう。」と冷やかしで言ったら、結構まともに「いえいえ、どういたしまして」と返される。

さすが…! 育ちがいい人は、言葉を疑わない!

私の友達には「君は一体全体どうやって育ったらそこまで高飛車になるかね?!」って子が多い。

そしてどこかその相手の自尊心の高さや高飛車さに、私は多少なりとも抑圧されているのだろう。 私は伴侶に人類ここまで謙虚になれるのかって位に謙虚な人間を選んだ。

彼の前では私が「今やらねばいつやるのだ!」って勢いで高飛車。

高飛車の最終処分場みたいな我が伴侶はある日突然切れて、窓から私や私の友人を投げ出す日がくるんだろうなぁと今からしみじみ思う。

2011-11-20

国籍


こっちにいると、世間話の一環として国籍の話しがよく出る。

まず「そういえば、国籍どこなの?」ってのから始まって、もしNZ国籍じゃないと言えば「いつかとるの?」と聞かれるし、もし「NZ国籍だ」と言うと、「いつ取ったの?他の国籍は?」と聞く事になる。 「祖国が二重国籍駄目だから、NZだけ」とか、「もう一つはイギリス」とか、そんなかんじに話しはすすむ.

私は日本国籍保有者だ。

日本国籍は
1.二重国籍が認められない
2.おまけで他の国の永住権がついてきたりしない
ってポイント以外では、かなりいけてる国籍だ。

ほとんどの国で審査なしで観光ビザ貰えるし、信用あついし、この国籍でそんなに損する事はない。

それが発展途上国の国籍とかになると、観光ビザですらなかなかおりない。

不法滞在して働かれちゃったり、人身売買が自分たちの国内でおこったりしちゃこまるから。 だから、ビザ申請のときに「金持ち証明」をしなくちゃいけなくなる。 銀行口座にたんまりとお金を入れて「こんなに金持ってますから、不法滞在とかして、陰で風俗で働いたりはしません…!」と証明。 自分が雇われている企業から、「この人は我が社の社員なので、本当に観光だけしてすぐこっちの国に帰ってきて働きますんで、ご安心を」って一筆書いてもらわなくちゃいけなかったりする。

多分、先進国以外ではアッパーミドルクラス以外の人間は海外旅行なんて出来ないのだろう。 一回の旅行の為に何百万も銀行口座に入れて、それの証明を取ってとかってプロセス、ありえないだろう。 無理だよ。「HISで激安のチケット買って、現金10万円位もって海外旅行」なんてウルトラカジュアルな事できるのは先進国の国籍所有者ぐらいっぽい。 他の国の人でそんな額で国境越えようなんて、よっぽどの状況な時以外にはないだろう。 そしてそれは、多分…旅行じゃない…!

私は銀行口座に何百万も入っているわけないワーキングクラスの人間なので、もし先進国の人間じゃなかったら、海外旅行なんて夢のまた夢だっただろう。 たまたま私が日本人だからできているんだ。

本当にこの可能性の格差はすごい。 あっけにとられてしまう。 何なんだこの差は。 同じ人間が、国籍違うだけでこうも扱いが変わるのだ。 国籍の威力恐るべし。


ってことで、NZよりも貧しい国出身の人達は、NZ国籍が取得出来る状態になると、速攻で国籍を変える。 神業なスピードで帰化。 国籍と一緒についてくる自由と信頼を手に入れるために。

2011-11-17

深いねぇ



友達が書いた韓国語のメモを自動翻訳したらこんな文章になったそうだ。

ときおり私は欠乏した人生の中に永遠に席を占めることになることという感じがする。 それは言い換えれば比較的痛みがない倦怠が私に日常的な人生をずっと生きるようにするという感じだ。 しかしそれはまた他の錯覚だ。 持続する倦怠は耐える難しい状況だ。 なぜならそれは近い将来確実な痛みという苦痛な悟りに変わるためだ。 私に現在起きている現象がすぐにそれだ。 via ∞:自動翻訳

片言の言語の美が潜んでいる。  なんかすっごい意味深でクラシックな雰囲気に訳されていて、朝から吹き出した。 友よ、君はフランスの哲学者かなんかだったのか!

2011-11-16

UNHATE

久しぶりに胸が漉かれたような気分になった。 さすがベネトン。 私は、いつでも、いつまでも、ベネトンの広告デザインが大好きだ。 「デザイン」を、直球で投げてくる。

UNHATEなんて素晴らしいキャンペーンネームをよく思いついたなと思う。 まさに、今投げかけられるべき言葉だ。



このキャンペーンのビデオも素晴らしい。



まだまだいける。 まだまだ進める道はある。 ベネトン! よくやった!!!

2011-11-14

うわっ…! なんだかよくわかんないけど、あいしてるかも!

意識しなくちゃあぶないぐらいに、神秘のちからってのはなめてかかれない。 だって瞬間的に興味を持っちゃう対象って、大抵若干神秘的じゃない?

「私には理解し得ないけど、なんかすごそうだし、奥深そうだし、美しい…!」って物のもつ神秘。 「うわっ…! なんだかわかんないけど、あいしてるかも!」って感動。 そこから自分を切り離すのってとっても難しい.

さて、今日のオリエンタリズム。 「うわ、なんだか神秘的! そして、なんだかもうすでに、あいしちゃってるかも…!」

謎の中国のウェブサイト。 クールなシノワズリー。 浅はかなファッション。  読める程度の中国語。 片言な英語。 若干耽美。 私の好みの中心どんぴしゃり。  「き、きみのその片言さとか、でも奇妙に流暢なところとか全部好きだ…!」と興奮。




立ち位置としてこういのが好きだ。 こういう「片言だけど流暢」な人達の中に私も属していたいと思う。




2011-11-09

旅行

もしかしたら、旅行に行くのが好きじゃないのかもしれない。 特に新しいところ、行った事が無い国に行くと考えると、かなり面倒くさい。

「色んなところを見ておかないと、デザイナーとして駄目になる」とか「子供が産まれたらひょいひょい旅行できないから」とか色々思いつつも、「でもすっげーメンドクサイ…!」とうんざりしてしまう。

行き先について調べるのも、やるべき事を決めるのも、「これは見逃したくないぞ」ってのを選ぶのも、何もかもがめんどくさい…!

行ったら楽しいし、帰ってきてからも何回も思い出すし、空港についた瞬間に「来てよかった…!」と思うんだけど、それまでの精神的な乗越えがなぁ。

多分、私臆病なんだと思うんだよね。 想像も出来ない場所に行くのが嫌なんだ。

そんな事をうだうだと考える年末。 旅行、したいような、したくないような…。

2011-11-06

永住権をとった



先週NZから永住権を貰いました。 

これでNZ国内にいるときは、NZ人と同等の権利が得れる。 選挙権も平等に貰える。

永住権がおりた日、街中を歩きながらすごく不思議な感動がわき上がった。

色んな民族の人がいて、色んな言語が飛び交っている。 彼らは民族や国籍は違えど、今から私の「俺ら」なのだ。 私が、weと言うときの範疇は、自分史上最強に広がった。

私はこれ以上になくプロパーに、この移民国家の構成メンバーなのだなと思ったとき、結構な興奮があった。 街角のリビア人も、華僑も、インド人も、パケハも、マオリも、ポリネシアンもみんな私の「私たち」だし彼らのカルチュアルバックグラウンドは、私の社会のカルチュアルバックグラウンドなんだ。

すごくポジティブな経験だ。 嬉しかった。 道を歩きながらすごく嬉しかった。






部屋が暗い

今朝目が覚めて、部屋を見渡したら、すごーく暗かった。 「っこ、これは暗い人の部屋だ…!」と驚愕。 今日は一日かけて、気持ちよくて明るい部屋を作る。 がんばろー!

2011-11-04

宝石泥棒

カープーリングしている同僚がインド人なので、車中でひたすらボリウッド映画の音楽を聞いている。 最近は往年のインド映画の音楽を聞くのが二人の間で流行っている。 これがなかなかに本当に素晴らしい。 ニュージーランドの自然の中を走りながら、大音量でこういう音楽をかけていると、本当に上がる!





上の曲は1967に出た「宝石泥棒」という映画の中で使われたもの。 雰囲気あるよね。

2011-11-01

怖いなと思う事



私は東電の原子力発電所の事故以来、放射能の被害をとても怖く思っていた。 三月の事故以来一日たりとその事や被害の状況を考えなかった事はなかった。 とてもとても悲観的に考えていた。 twitterでも大きな声で戦々恐々とした態度を示している人達を支持してきた。 

正直言って、もう駄目だと思っていたんだ。 関東に住んでいる友達には、全速力で掴むもん掴んで走ってどっかに逃げてほしかった。 実家にも関東の地価が下がる前に家売って西日本に引っ越してもらいたかった。 その話を実家とする度に喧嘩になった.

そして日本のラジオのPodcastとかを聞きながら「なんでこの人達は原発4基が制御不能、内3基はメルトスルー状態、レベル7を超える人類史上最悪の原子力災害が現在進行中で、原子力緊急事態宣言が発令されている国に住んでいるのに、こうもその事を話さず、あたかも何もなかったかのようなスタンスで話しをしているのだろう」と不思議で不思議でたまらなかった。

「私は今関東にいたら、既に引っ越せたのだろうか? それともなんだかんだでまだそこにいるんだろうか? どうしたら、引っ越せていただろうか。 どういう精神構造に自分を持ち込めば、避難するという行動が結果としてできるのか。 自分がその立場になった時の為に、それを考えなくては。 ぱっと、"避難出来る人"でいる為にはどうしたらいいのか。」とかなり考えた。

でもクリスマスに2週間日本に帰ると決めた途端に、これまで消化出来ていた怖い話や悲観的な話しが全く頭に入らなくなった。 聞いても「へぇ〜!」って位になったのだ。 これまでは、いちいち打撃を受けて生活の質が著しく低下していたのに、今じゃ「へぇ〜、こわいね〜」程度。

この急変は見事なものだ。

多分、私の心は、自分がそこに足を踏み入れると分かった途端に、怖い情報を排除し始めたのだ。 私の頭とはそんなに関係なく!

航空券を買うまで、私は本気で悩んだ。 そして人類史上最悪の原子力災害が起っている国(しかも目的地は、原発から半径200KM以内)に行くと決めた途端に、「恐怖に対処出来ない!」と心がギブアップしたようで、怖い事が考えられなくなった。 「何悩んでたんだっけ?」状態。

タバコとかの恐怖とすごく似ている。 吸わない人からしてみたら「なんでそんな危ないもの吸うんだ、お前は愚か者だ」と思うけど、吸う人からしてみたら「私は大丈夫」。

私は今回の事で、全く私の理性は信じられないなと思うようになった。

元々そんなに私の理性とか頭は信じられないと思っていたけど、今回のこの自分自身の激変で「自分の理性は信じない方が、せめて若干は理性的だ」と思い始めた。

本当に、この心変わりのありようが一番恐ろしい。 これが私の抱えている巨大なリスクの一つだな。 もしかしたら、誰でもそうなのかもしれないけど。 怖いな。

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そういえば、マッキンゼーのリポートで日本の消費行動(主にITガジェット系)が他の先進国とくらべてどうだこうだと語られていた。 「この日本人の世界のトレンドへの興味のなさを見ていると、既に先進国じゃない感じ」とまで言われていて、「おいおい、原子力緊急事態宣言が発令されてて、メルとスルー状態の原発3基抱えている国をまだ他の国と同じ次元で語るか?」とシュールな気持ちにさせられた。 そりゃタブレット買うお金あったら、ガイガーカウンター買う方が理にかなってるでしょぅ! でもそんな社会的コンテクストは全く無視で、「はい、日本市場として終了。魅力なし。」と判断。 そりゃ、魅力はないだろう! でもそれはガジェット買わないからじゃなくて、もっと人類史上最強に危ない災害が現在進行中だからでしょ? …って、まぁ暖簾に腕押し。 本当に資本主義ってしぶといしなと奇妙な感慨に浸ってしまった。

2011-10-31

ファグ・ハグって言われてもんもんとした




私が結婚する事になったら女友達少ないから、ブライズメイドは持てない。 なのでどちらかというとグルームズメンを持つ事になるだろう。 そして彼らはほとんどゲイの親友達になる気がするって事を同僚に話していた。


また私が唯一人生で唯一ブライダルパーティー(ブライズメイド及びグルームズメン)になった経験は、ゲイの親友の結婚式でのベストマンである。 ベストマンって、グルームズメンの中でも最も男としていけている人のことだ。(とんだ名誉職。)

そしてまだ産まれてもいない私の子供のゴッドファーザーのリストにはゲイの友人の名前が連なっている。


そんな事を言っていたら「ブライズメイドが持てないからブライズゲイってファグ・ハグすぎ! しかも女なのにベストマン!」とゲイの同僚に大爆笑された.

「ちょっとまって! ファグ・ハグって何よ?! わ、私って、ファグ・ハグだったの…?! 勝手に私はファグ・ハグとは1mmも関係ない立場にいるのだと思ってたんだけど…!」と、私アワアワ否定にかかる。


でも同僚にはびしっと「そうだよ、アンナって根っからのファグ・ハグだよ」と宣言されてしまった。


ファグ・ハグって、以下の女の事。
英語スラングのひとつで、ゲイ男性同性愛者)と殊更に親しい関係を持ちたがる女性、その中でも特に非同性愛者の女性のことを言う。 詳しくはwikipedia 参照
なんかすげー、仲間入りしたくないジャンルの眷属だ。  もてなそう。 スティグマ!


確かに女友達が少ないから、ブランチや買い物、観劇はメトロな男の子と、夕飯やお酒、音楽、スポーツ鑑賞はマッチョな男の子とする事になる。  ヘテロの男の子達もいるけど、考えてみるとなかなかなヴォリュームでゲイの子たちもいる。

「確かにゲイの友達いるけど、なんかそれって侮辱じゃない? 私、ヘテロの男の親友も全ての港にいるよ? そして数は少ないが質がいい女友達も全ての港で旗振りながら私を待っている!」と同僚に言うと、「そんな言い訳しても仕方ないよ。 俺だって全ての港にヘテロの男や女の親友がいるよ。 でもそんなの関係なく一部の女はどうしようもなくファグ・ハグなんだよ。 アンナは絶対にファグ・ハグ」とケラケラ笑われながら言われた。

確かに私は一見ファグ・ハグだ。 私の高校時代からの親友のうち4人はゲイだし、大学時代に親しかった子たちも、教師もゲイだった。 職場で親しい相手もゲイだし、夫の友人の中で仲がいい子もゲイだ。 暢気に道を歩いていて、突然知らない男の子に指をさされて「君と友達になりたい!」と言われた事が二、三回あるけど、それも全部ゲイの男の子たちだった。 

でもすごく違和感がある。 なんで私がファグ・ハグって"君に属した名称"が与えられて、君がアンナ・ハグってよばれないんだと、むむむっとなる。

私自身の中にはゲイが好きな女の人に対する強い偏見もある。 それに私の脳内解釈では、「私が彼らに好かれやすい」のであって「私が彼らと殊更に親密になりたがっている」訳じゃないのだ。

帰り道に、1人「私は男性が怖いけど、男性的な包容力とかおおらかさを求めてやまず、ちょうどいい感じの立場としてゲイの男の子たちに惹かれているもてない女なのだろうか…。」と悶々とした。

そしてヘテロの男の子の親友と落ち合い、ケーキを半分こしながらその話をした。(この歳になると理性がある人間は甘いものを食べない。 特にゲイの容姿に気を使っている子なんかは特に。 甘いものが食べたいときはヘテロの、そんなの全く気にしない子が一緒に行ってくれる。)

一応「相手がアンナ・ハグなんだよね、私がファグ・ハグじゃなくて」とディフェンス。 彼は大笑いしながら、「違う、絶対違う。 単純にアンナの幼稚さと、わがままさを受け入れられる心の広い人間にゲイの子が多かっただけだ! お友達でいてもらえているんだから、喜んで自分はファグ・ハグだと受けいれろ」と言われて、「ガチョン!」となった。

そして「アンナのつきあう相手も今まで百発百中ファグ・スタグ(ゲイの友達が多い男)だし、二人でフルーツ・フライ(ゲイに群がる蠅)である事をアイデンティティーにいいご家庭を築け」と言われた。

妙に納得してしまい、そうかぁ…、私たちは主役にはなれない性格なのだなぁとしみじみ、自分と連れ合いの事を想った。

私の「ファグ・ハグ」とよばれたくない動機は、それがあまりにも脇役っぽいという我が儘からで、でも我が儘だから心の広い子ばかりと友達になり、それが結局見事にファグ・ハグに着地するのね…。


自分のちっぽけで、未熟なサークルがはっきりと見えた気がした夜だったぁ。

Love






Loewe: Masters of Leather on Nowness.com.

2011-10-29

女友達



私にはあまり女友達がいない。 特にNZでいない。 日本では若干ではあるけどいる。

「なんでいないんだろう」とよく考える。 色んな推測をする。 

説として有力なのは
1 ニュージーランドの女は世界で一番つまらない
2 ニュージーランドの男同士はつるむが、女同士はつるまない
3 女の友情なんてもんはそもそも存在しない
4 実は私の人格が破綻している
などがある.

毎日一回は「どうしてこうも私には女友達があまりいないのだ?」と自分で問答しているので、一年に365個位は説が増えるんだけど、以上の4つが根本的な問題として基本的に常に持ち上がる。

大抵私は女の子といるとき飽きているし、イライラするし、魅力を感じないし、何の話しをしているのか分からない。 だから「二回目にも会いたい」と思わない。 そしてそんな態度が相手にも伝わるんだろう。 二回目に遊ぼうと誘われる事はかなりレアだ。 「私には明らかに問題がある」と遊びに行った帰り道に悶々と考える事が常である。

今週末たまたま色んな企業のブランドマネージャー達にあった。 その中にすっごい楽しくて魅力的な女の人がいた。 しかも数人。

私はいちころになってしまって「あなたってすっごいインスピレーショナル!またあいたい!」と叫んでしまった。

その瞬間、私の説4が消えて、かなりほっとした。

自分は恋に落ちる事が出来るのだと知った瞬間の安堵と似ている。 「私はまだ女性に友情を感じるんだ!」ってのは素晴らしい発見だし、「これまでたまたま運が悪かったんだ」と自分を責める気持ちが溶けるからすばらしい。

同時に「女友達がいない事により徹底的に下がっているバー」を上げなくてはいけなくなる。
「ここまで明るくなくては魅力的じゃないんだな」とか「ここまで良い事が言えないといけないのだな」とか、「ここまで人生に対して情熱的でなくてはいけないのだな」とかって人生の目標を急に上げなくてはいけなくなる。 若干クラクラ。

突き抜けてないと面白くないもんなぁ。

いい女になりたい! そいていい女な友達がもっと欲しい!!


2011-10-27

聖者の行進



職場の同僚が半年仕事を休み、日本とタイにボランティアに行っていた。 

石巻で泥かきをしたという話しを聞き、お礼がしたくて週末にうちでお昼をごちそうした。 こういうときは手巻き寿司がうけが良い。

かなり敬虔なキリスト教徒の彼女は宣教師になりたいんだそう。 世界中にある彼女の属している教会が若い人を集めて宣教師になる為のトレーニングをしているから、それに参加したらしい。 宣教活動とボランティア活動は同時に行われるんだそう.

他の同僚に、「彼女宣教師になりたいんだってさ」と言ったら、ぶち切れられた。 その同僚はインドで育ったので、ずっと宣教師を撲滅するためのボランティア活動を地元で家族ぐるみでしていたそうだ。 勿論マザーテレザも嫌い。 「キリスト教徒の白人がガリガリの有色人種の赤ん坊にキスしただけで聖人だ。山ほどのインド人が貧困や差別をなくす為に家財放り投げ出して、人生注いで頑張っているかを知らない奴らしかあんな茶番は信じない。そもそも人を助けるのに、どうしてその助けられる人が洗礼受けなきゃいけないんだ???」とキレ始め、「お前もパシフィックエリアに住んでるんだから、宣教師達がポリネシア人達に何したか知っているだろう!!!!!」と烈火の如く怒っていた。

宣教師ってのは、やってる人と助けてもらった人の一部と、信者になった人達以外からは非常に評判の悪い眷属だ。

「言ってる事はわかるけど、でも私を育ててくれた社会の人達に助けが必要なときに、わざわざそこまで行って、いっぱい働いてくれたんだ。 私は凄く感謝している。 溺れている人や、火事になっている家が目の前にある時に、そこに飛び込んで人を助けられるってのは、尊い事だ。  心からお礼がしたい。 お礼がしたいし、彼ら目線での話しも聞きたい。 とりあえず君は彼女を招いてのランチには呼ばない。」と言って私は話しをたたんだ。

「お互いの言い分は分かる。 そして、私には特に意見はない。」といつも通りの態度をとる。

余計な喧嘩はしたくないし、そもそも喧嘩出来るほど私はには知識もないし、喧嘩する前に話しを聞いてどういう動機があるのかが知りたいと思い、その日は彼女の他にも職場の福音派キリスト教徒の人達や、その人達の家族を呼んだ。

食事はすごく楽しかったし、彼女の目線を通じての日本の話しも面白かった。 温かさや、彼女の持つ素朴な好奇心や、日本に対する尊敬や、現地に行って、見た人達の持つ「日本にはまだまだ助けが必要だ。これからも続ける。」という態度には心うたれた。

私は日本を愛しているから、日本に助けが必要なときに助けてくれた人が誰であれ、心から嬉しいのだ。 そして宣教師の団体は大抵ボランティアのプロだから、すごく手際がいいし、組織立っているし、基本的には善良な働き者だ。 そもそも日本人には宗教持ってないと不安って感覚がそんなにないから、宣教師にあってもそんなに反応しないだろう。

彼女は日本の他にもタイのスラムにある教会でボランティア活動をしていた。 元売春婦達にキリストの教えを伝え、教会で食事と住処を与え、回春をしている西洋人達に「どうして売春を必要だと感じているのか問いかけ、反応があれば話し合う」んだそうだ。

私のタイの友達はエリート階層の人が多い。 そういう子たちは自分の国の貧困の話しは恥ずかしいし、プライドが傷つくからしない。 あたかも先進国ですって感じで話す。 なので私は「タイにはスラムや貧困があるし、人身売買がすごいらしい」というのは知識として知っていても、なんだかかピンときていなかった。

なので彼女の目線と経験を通じたスラムの話しを聞いて、すごく驚いた。 かなりシビアな事がおこっている。

政府に出来る事は限りがある。 たとえ政府が100%の行動をスラムにしても、取りこぼしはおこる。 そして現実では全くたいしたアプローチを、政府はしていないそうなので、取りこぼしばかりだ。 そういうところは、個人が協力し合って支えあっていくしかないのだろう。 投票活動などを通じて、政府を動かす事と同時に、個人として他者を助ける活動は両立させなくてはいけない。 話しを聞いていてそう思った。

「誰かを助ける事と、その人をキリスト教徒にする事は同じ事なの?」と聞いたら「最終的には一緒。 人は幸せに、そして愛し合えるように神様によって作られている。 その状態が自然。 その状態に人を戻してあげる事が、救済なんだ。 神様を知れば知るほど、救済にはそれしかないと分かってくる。」と言われる。 まぁ、そう考えるんなら、人助けとキリスト教徒にさせる事は一緒よなと聞きながら思う。

こういう時お互いの間にちょっとした川が流れる。 私は「なるほど」と聞いている。 でも私には明らかにキリスト教徒になる様子も、そしてアブラハムの神を信じている様子もない。 相手からしてみたら、「理解は示しているのに、自然な状況に戻れていない罪深い人」なんだろうなと思う。

お互いが川を渡る気ゼロ。 ここで「そんなもんさ」と思えるのは、私に宗教的素養が少ないから出来る事だろう。 なんでも「文明違いますから」で片付けられる。 宗教的な人間同士だったら、どっちが川を渡るかで一悶着だ。 「私が神様信じているかどうかよりも、この私のイージーゴーイングぶりを評価してくれよ」と思う。

「ある程度成功している社会がある、そして明らかに機能不全な社会もある。 国家レベルでも差がある。 その差はどうして出来るんだろう」と私が言ったら、その場にいた人達に「キリスト教が基礎の社会か否かがその差を作っている」と断言される。

「ニュージーランドのカソリック団体がワールドカップに参加している20カ国の、社会の平等さと公平さを比べた調査によるとね、日本がダントツ一位で最も公平で平等な社会を実現しているんだよね。 そして日本はキリスト教ベースじゃない。」と一応言って、「じゃあ、日本はエクセプション」というふうにまとまった。

途中ヤノマミの話しが出て、「赤ん坊には魂がまだ宿っていないからって、嬰児殺しをするなんて信じられない。 神様を知らなすぎる。 彼らにたいして宣教する必要がある。 神様が作られた人間がこれ以上殺されるのは許されない。」と言い出したときは、「出たっ!」と思った。

結局夕飯の時間位まで色んな話しを聞いて、話して、それはそれは楽しかった。

多分彼女達からしてみたら、キリスト教的影響を私に与えられた事に喜びがあっただろうし、私からしていたらこんな文明もあったのかと興味深かったので良かった。

実感として、自分が宗教的な人間じゃなかったから出来た事だよなと思う。

時々、もし私がアブラハムの宗教のどれかの信者になったり、キリスト教宣教師達に日っちゃかめっちゃかにされた国出身とかだったら、どんな感じなんだろうと想像する。

ボーンアゲイン クリスチャンになったりすることって、自分の人生でおこったりするのだろうか。 なってみたい気もする。 でもならない気がする。


2011-10-26

1Q84



村上春樹の1Q84の英語版が出版されたので、デザイン業界で軽く村上フィーバーがおこっている。 誰がカバーをデザインしたのか、どうしたのか、意図は何なのか。 今日はやけに彼に関連するデザインブログポストを見た。 Nownessっていうウーバー クールなサイトで村上春樹の作品に関するイラストコンペとかもあったし。 やっぱり、なんだかんだで村上春樹って人気ある. 

本のデザインで、youtube videoが出来るのも、fast co designの記事になれるもの、なかなかに凄いことだと思う。 勿論、デザインをしたデザイン界の伝説、Chip Kiddだってのもあるけど。

いやはや立派である。 売れると良いね、いっぱい。


 


話しはぐっとそれるけど、1Q84は読んでいると、ニールヤングのHeart of Goldを思い出す。


 

Heart of Goldの歌詞はすごい。

I want to live,
I want to give
I've been a miner for a heart of gold
Is these expressions I never give?
It keeps me searching for a heart of gold
And I'm getting old
Keep me searching for a heart of gold
And I'm getting old

生きたいし、
与えたい、
心の金を探す為の炭坑夫として生きているんだ、だよ?

なんでだかはよく分からないけど、1Q84のテーマソングは、私の中ではこの曲だ。

2011-10-25

優勝!


 おらが国の巨人たちが、よその国の巨人たちと、押し合いへし合いしてきて、優勝したよ。 オールブラックス、よく頑張った! 本当にこの熊達みたいになってた!

2011-10-19

Nick Cave's "Sound Suits"




ミュージシャンじゃない方のニックケイブが作った着て踊れる彫刻、サウンドスーツが良い。 こういう感じすごく好き.




ニューオーリンズのマルディグラ インディアンというカーニバルリベラーにインスパイアされている様子。  マルディグラ インディアンって始めて知ったけど、すごいヴィジュアル。すごくすごく見に行ってみたい。 坪野君! 行こう!

2011-10-18

あなたの迫力に私、くらくら

ちきりんのブログポスト、 2011-10-18「先進国生まれ」という既得権益を守るためのデモ がとても良かった。 その通りだと読みながら膝をばしばしたたいた。

私はほんとーーーに、先進国生まれってことで得をした人間の一人だ。

私が幼い頃の日本は勢いがあったし、他の国と色んな面で圧倒的な差があった。 

その時期に教育を受けれた事は、単純に学費が払いやすいとか、生活費が他の国の子よりも多く貰えるとか、とにかく利点が多かった。

お金だけじゃなくて、情報もそう。 「日本人なら誰でも知っているような事」が実は他の国では全然知られていない情報で、その情報のおかげで色々とすり抜けられた事って多い。

大抵の国で簡単に貰えるビザ、簡単に他の国の免許に交換してもらえる位に信頼性のある免許。 私はかなり、他の友達より「日本人/先進国出身」ってだけで得をして来た。

日常生活レベルでそれをバシバシ感じられる位に。

先進国出身ってのはあっぱれな位の特権階級に属しているって事だ。 お金も、情報も、信用も、特権も、芋ずる式に自分の国籍についてくる。 何もしなくても世界の上位10%に自動的にいれるようなものだ。

日本ではミドルクラスの私が、例えば政情が不安定であったり、不正が多い国での「エリート層の子供」と同じ位の経済力を持っているこの驚異。 生活保護を受ける事になっても、もしかしたら他の国のミドルクラスより良い生活できるかもしれない。

友達と出身国の話をしていると気づく事がある。

国内に貧富の差が激しかったり、貧民層が多ければ多い程、お金持ちはウルトラお金持ちなのだ。 「うちの国の地方の農民の平均年収は3万円位かなー」って所は、「でもって、うちの国の首相とかは世界で一番二番にお金持ちなんだけどね」ってパターンがすごく多い。 

「それ君の国の皆で分けて賢く使ったら、皆で先進国のローワーミドルクラス位には速攻でなれるんじゃないの…??」ってぐらいの格差。 日本ではそんな金持ちも貧困層もみた事無いってスケールがそこにはある。

子供だった頃はそれを馬鹿にしていた。 海外に留学してきているそういう国出身の子は大抵親がエリートだ。 「不平等の上で得たお金で、君は海外で贅沢三昧かい。 祖国では民主化すらされてないのに。」ってな感じで。 とんだビッチ。

でもそのパターンを沢山沢山みていて、さすがの私も気がついた。 
このパターンの全く同じのを、スケールでっかくして先進国はやっているのだ。

これまでの先進国は貧困をアウトソーシングしていたのだ。 日本が貪っている富の為に、遠くの国にきっと巨大な貧困があるのだ。 国っていう勝手な境界線をひいて「私とあんたは関係ないから」と気分よくいられただけなのだ。

どっかの後進国の首相やらエリートと農民の関係を、私は国境またいでアジアのどこかの子供とやっているのだろう。

"民主化されてない不平等な国のエリート層の子供"を私には笑えないし、どちらかと言えば「お仲間」なのだなと思い始めた。

それにしてもこの勝手な境界線が先進国の富を閉じ込めてくれなくなったら、「他の国みたいになっちゃう」のは目に見えている。 混ざりたくない人達と混ざらなくちゃいけなくなる。 そして、どうやらその境界線が機能しなくなり始めたようだってのは薄々分かって来た。

パジャマ着て学校に来ていた後進国出身の子たちが、気がつけば私より良い服来て、私より良い車にのっている様子をみながら、どうやら、このままのうのうとしていたら「私の子供の既得権益はそれほど際立ったなくなるんじゃないか」という危機感が、さすがの私にも訪れたのは、5〜6年前。

しかもその子たちの勝ち気さは半端無い。 辛酸なめて来た親とか一族郎党からのプレッシャーと期待と負けてたまるか根性で、もう「今勝たないで、いつ勝つんだ」って勢いで勉強して、働いて、遊びまくっている。 

そりゃそうだ。 ただ先進国出身ってだけでボケーっとしている奴なのに、なぜか自分より境遇が良い人達を山ほど見たら、根性も鍛えられるだろう。 それぐらい先進国側のした、見せびらかしはすごかったし。

ちきりんの日記に書いてあるように、インド人の旅行熱はすごい。 私の職場のインド出身の人達もほとんど皆世界中旅行して、世界中のご飯を食べて、常に次のホリデー先の話しをしている。 それ位たぶん興味津々だし、興味を持った先で、自分に何か良い事が訪れるという楽観的な期待もまだ強く持っている。

そして正直に言うと、彼らって話していてとても面白いのだ。 未来にワクワクしているし、「突っ走ってやる」って感じがすごく強い。

単純にその気持ちを持っているだけでも未来の形は変わるよね。

ちきりんの言う、


繰り返しになりますが、経済のグローバル化は、世界における「先進国と発展途上国」という境界線を無くし、代わりに別の境界線を引こうとしています。
これにより「先進国の市民という既得権益」もしくは「先進国生まれという既得権益」を剥奪されそうになった人たちが、世界中で抵抗を始めているのです。 デモをする人たちはいったい、誰と誰が平等になる世界を夢見ているのでしょう? via:「先進国生まれ」という既得権益を守るためのデモ 

っていうのは、自分自身で常に感じている疑問だ。 私は口では左寄りの事をいつも言うけど、それでも内心では子供は"先進国的状況" で生みたいし、育てたいし、既得権益を与えたいと思っている。 だから内心では常にそこがどこかとか、自分の持っている資源でそこに滑り込む為にはどうしたら良いのか考えている。

特に自分自身が人から怒られやすい立場「アジア人技術移民」だから余計に考えちゃうよ。

NZでは不景気になってから高校ドロップアウトしたような子どもたちが働く場が減ってしまい社会問題になっている。まだ隣のオーストラリアは景気が良いからそっちに行けば働き口があるけど、それでもジャンジャン流れ込んでくる技術移民に対してフラストレーションはある様子。

私はそこで典型的なアジア人移民として、インド人とか華僑とかの子たちとオフィスで働いている。 開き直って他の移民の人達みたいに「技術持っている方に仕事がくるのが当然!」と言えるかというと、実は先進国出身で甘やかされているし、左寄りの意見を言うように育てられてきたのでモゴモゴしてしまう。 「見える範囲では皆で平等がよろしいです。 見えない位の距離に貧乏な人達を囲いましょう。」みたいな事を言い出しちゃいそうな勢いだ。

なんだかわけわかんないよなぁ。 でも波に乗ってなんとかサバイブしていかなくちゃいけないのかなぁ。

職場で今日そういう事を言いながらお昼を食べていたら、「典型的な先進国のミドルクラス出身の贅沢な悩み」と笑われた。 そういわれてしまうと、ぐうの字も出ない。 「それよりも自分の貯金の事心配しな」と言われた。 あぁ! 現実!

2011-10-17

Face Hunter : SHANGHAI - xin tian di & french concession, 10/10-11/11

Face Hunterが上海に行った時の写真が彼のブログに出ていた。

上海の子たちのストリートスナップ。 皆さん可愛らしい。 お洒落な子たちの持つ雰囲気はもう他の街の子たちと差がない。









Face Hunterはすごく楽しいブログだから頻繁にみるべし!

2011-10-16

あなたの肌 Ariana Page Russell


今朝、皮膚に問題のある友達同士で遊ぶ夢を見た。 夢の中には沢山の皮膚病だったり、アレルギー体質だったり、アトピー体質の人達が出てきた。 私もその中の1人で、腕に現実よりもずっとシビアな蕁麻疹を持っていた. 

夢の中で「人は、体質や体型が似ている人同士で遊ぶ気がする」と言い合って、私たちは解散した。

夢の中で私が見た炎症した皮膚には、なかなかな不気味な魅力があった。

呼ばれているのかなと思い、目が覚めてから思わずgoogleで"皮膚病"と検索してしまったぐらいに。 勿論現実の皮膚病は見ていてそんなに快感のあるものではないので、二、三枚写真を見てからタブを閉じた。 

でも全く関係ない美術関係のページをブラウズしているときに、引っかかる写真を見つけた。 "意味"はないと思うけど、大抵日常はこうやって不思議と引っかかり合い繋がっていく。

ブルックリン在住の作家、Ariana Page Russellはとても敏感な肌を持っている。 軽く引っ掻いたり、こすれたり、平手打ちをすると、簡単に皮膚に触った形通りのミミズ腫れが出来る。 そんな体の特徴を使って作品を作っている。












なかなかに生々しく不気味で魅力的だ。 そうそう、私が今朝夢で見た友人の皮膚達はこんな感じだったと、彼女の写真を見ながら、自分の夢が現実にも形を持っていた事を嬉しく思った。

また彼女は簡単に皮膚が赤くなる。 その赤のグラデーションをスキャンし、そこから壁紙だったりドレスだったりを作っている。 繊細で、不気味で、女性的で、でも案外スカッとしていて、非常に魅力的だ。

夢の中で私が言った、「人は、体質や体型が似ている人同士で遊ぶ気がする」というのは果たしてどれ位、信憑性があるのだろうか。

この考え方は、夢と現実が繋がるときのような、"意味"はないけど、"ちょっとした面白みはある"ってのとよく似ている。 「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないね」の大きな例の一つだ。

勝手に持った連帯感や親近感ほど、簡単に裏切られるものはない。 ほとんど、その裏切られた瞬間が、テープカットの瞬間だ。 物事はそこから始まる事が多い。

意味はないけど、ちょっとした面白みはある。

2011-10-15

Midnight in Paris

 

ウッディーアレンの新作、Midnight in Parisを見てきた。 主人公の抱えている悶々と、自分の悶々が見事にシンクロしていたのでとてもとても楽しめた. 

主人公は作家志望のアメリカ人。 自分の送っている日常にしっくりきていない上に、元々うじうじした側面のある男だ。 趣味はノスタルジアに浸る事。 そんな彼は強気な婚約者と彼女の両親と一緒にパリに旅行に来る。 

そしてパリにて彼の現実逃避願望が炸裂。 「俺ここで暮らしたーーーい! 特に1920年代の、パリでその頃のヒップスター達に囲まれて暮らしたい!」と大興奮。 現実逃避願望が強い私にとっては「分かるっ!分かるっ!」って感じだ。 

そんな彼が願ったり叶ったりで1920年代のパリにタイムスリップ! ばったりゼルダやフィッツジェラルド、ヘミングウェイ、ピカソ、マティス、ダリ、T.S.エリオット、ガートルード・スタインにバンバン出会う。 あがるあがる、彼の感情。 しかもそこで恋までしちゃう。 そこでどうなる…っていうのがこの映画。 

 小粒なんだけどしっかりとまとまっていて、きちんと出来ている良い映画。 繰り返し、時間があるときに取り出して見たいタイプの作品。 こういう映画が人生に何本かあるとありがたい。 

見終わった後に友達とクレーパリーに入り昼食を食べた。 「どう?タイムスリップしたい時代とかってある?」とお互いに聞き合う。 彼も私も「さっきから考えているけど、実際の所はないね。 まずコンタクトレンズない時代には行きたくないし。 どっちかっていうと未来に行きたいとかかなぁ…」という所で話しがまとまる。 

私には現実逃避願望があり、彼には野心がある。 常に「ここではないどこか」を求めている。 似ているようで違うところは、彼には夢があって私にはないところだ。  

そして映画の主人公は過去を理想視していた分どこに逃避しているのかが分かりやすかったけど、私は理想視出来ている場所がないので、逃避がしたい場所すら分からない。

目的地が持てないこの状況。 冒険と取るか、迷子と取るか。

2011-10-05

極めた先にあるもの



カープーリングをしている同僚がインド人なので、車内で常にインドの歌謡曲や、ボリウッド映画の曲を聞いている。 違和感感じるのは最初の一週間位だ。 その後は、やけにしっくりくる。

それがなかなかに素晴らしい。 音楽的感覚はアジア文化圏のものだからしっくりくるし、でもやっぱりインドのオリジナルだし、聞いていて楽しい。 とにかくとても音楽的。

上のビデオは世界で一番高度の高い道(ヒマラヤ山頂らへん)で撮影されたらしい。 「ボリウッドの俳優級じゃないとこんな高度で踊ったり出来ない!」と自慢される。 ちなみにここで戦争が出来たのはインドとパキスタンだけで、他の国のへぼぴん兵士だったら、みんなして高山病だから無理らしい。 「良かったね!」としか言いようがない。

山道で飛んだり跳ねたりした後に、今度はチベット人達が沢山住んでいる地域にうつって歌って踊ろう。 それが非常に美しい。 「ああ、ルーツびしばし感じます!あんたらはアジアの父さん母さんだ!」となる。

大自然とかきれいな地方とかで撮影するって良いよね。 外国人ですら楽しめる。 多分インドの人達も、インドは巨大だからこうやって自分と関係がないインドの地方や民族を堪能しているのだろう.

アジア人の若い子が集まると、やっぱりなんだかんだで韓国の芸能人や音楽の話をする。 皆が知っているから、話題にしやすいから。 そして結構マジで、次はインドなんじゃないかと思う。 アジア人の好みを極めた先にある感じがするから。

特にこの曲は良いと思う。 好きだ。 イスラム神秘主義、スーフィーのメヴレヴィー教団の曲調が基礎になっているんだって。 あのくるくる踊る人達! このビデオは膝がっくんってなっちゃう位にダサいので、そこを無視して音楽だけ聞いてみて。(こういう気遣いが必要。) 私は友達とこの曲を大音量でかけながら、ニュージーランドの自然の中を突っ走っているときに、かなりぐっときた。 心の中で、彼らがくるくる踊ったよ。






いいねー! くるくる来るねー! 数学的!

そういえば今こっちでは中華文化ごり押しがすごい。 アメリカ系のブロックバスター映画とかも、中華文化押し押し。 特に子供向けの映画はすごい。 もう育っちゃった世代から偏見をとったり、“憧れさせる”のは難しい。 でも子供は違う。 ちょうど私の世代が日本のアニメとかゲームを子供時代に触れて育ったから、日本に対して抵抗がないように。 今の子供への「世界の半分は中国! ニーハオ!!」って感じにキャンペーンが行われている。 (日本では今隣の国の文化が目立ってうざがられているっぽいけど、もうすぐ大陸が子供に向けてやってくるから、今の状況なんて可愛いもんだよ。)

でもいかんせん、中華文化は「渋い」。 しかも技がまだあまりない。 パンダと武道と武道を究めた先の謎のパワーか竹林。 それに比べてインドのは派手だし、超絶技巧(エンタメの極意を分かっていらっしゃる)から、案外一回プロパガンダ的に子供たちに見せまくったら、ころっと世界のエンタメの覇権を握るのではないかと思う。 特にアジア人の間では常識が近い分、「ああー、わかるわかる!」ってなるんじゃないかなぁと思う。

そうなったら素敵だなと思う。 中国とインドの文化がもっと世界になじんだら、アジアに対する偏見ってずっと薄くなると思う。 そう思わない? きっと楽しい。

2011-10-04

2011-10-01

1914:クワキウトル族とヌートカ族





アメリカ議会図書館のサイトには膨大な数の写真のアーカイブがある。 人類の宝の山状態なので、時間があるときはぷらっとこのサイトを見に行くと時間旅行が出来る。  クワキウトル族とヌートカ族の写真はここから見えるよ

1914年頃に撮られた写真。 

みとれてとれてしまう.




















これらの写真はアメリカ大陸の先住民族の写真を撮っていたEdward S Curtisという写真家によるもの。 この写真家の残した物たちはすごい。 情報としても優れているけれども、それと同時にポートレート写真としてすごい迫力なのよ。 今度はそっちのシリーズの写真もあげる。