2008-03-30

Susan Sontag 過去はもはや重荷ではない


 好きすぎて怖い。 グルーピーなレベルで、スーザンソンタグが好きだ。 ロールモデル! くっはー、なんて良い女なんだ。 





若い読者へのアドバイス…
(これは、ずっと自分自身に言いきかせているアドバイスでもある)

人の生き方はその人の心の傾注(アテンション)がいかに形成され、また歪められてきたかの軌跡です。注意力(アテンション)の形成は教育の、また文 化そのもののまごうかたなきあらわれです。人はつねに成長します。注意力を増大させ高めるものは、人が異質なものごとに対して示す礼節です。新しい刺激を 受けとめること、挑戦を受けることに一生懸命になってください。検閲を警戒すること。しかし忘れないこと——社会においても個々人の生活においてももっとも強力で深層にひそむ検閲は、自己検閲です。

本をたくさん読んでください。本には何か大きなもの、歓喜を呼び起こすもの、あるいは自分を深めてくれるものが詰まっています。その期待を持続すること。二度読む価値のない本は、読む価値はありません(ちなみに、これは映画についても言えることです)。言語のスラム街に沈み込まないよう気をつけること。
言葉が指し示す具体的な、生きられた現実を想像するよう努力してください。たとえば、「戦争」というような言葉。

自分自身について、あるいは自分が欲すること、必要とすること、失望していることについて考えるのは、なるべくしないこと。自分についてはまったく、または、少なくとももてる時間のうち半分は、考えないこと。動き回ってください。旅をすること。しばらくのあいだ、よその国に住むこと。けっして旅することをやめないこと。もしはるか遠くまで行くことができないな ら、その場合は、自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。場所が時間の 埋めあわせをしてくれます。たとえば、庭は、過去はもはや重荷ではないという感情を呼び覚ましてくれます。

この社会では商業が支配的な活動に、金儲けが支配的な基礎になっています。商業に対抗する、あるいは商業を意に介さない思想と実践的な行動のための場所を 維持するようにしてください。みずから欲するなら、私たちひとりひとりは、小さなかたちではあれ、この社会の浅薄で心が欠如したものごとに対して拮抗する 力になることができます。暴力を嫌悪すること。国家の虚飾と自己愛を嫌悪すること。少なくとも一日一回は、もし自分が、旅券を持たず、冷蔵庫と電話のある住居をもたないでこの地球上に生き、飛行機に一度も乗ったことのない、膨大で圧倒的な数の人々の一員だったら、と想像してみてください。自国の政府のあらゆる主張にきわめて懐疑的であるべきです。ほかの諸国の政府に対しても、同じように懐疑的であること。

恐れないことは難しいことです。ならば、いまよりは恐れを軽減すること。自分の感情を押し殺すためでないかぎりは、おおいに笑うのは良いことです。他者に庇護されたり、見下されたりする、そういう関係を許してはなりません——女性の場合は、いまも今後も一生をつうじてそういうことがあり得ます。屈辱をはねのけること。卑劣な男は叱りつけてやりなさい。

傾注すること。注意を向ける、それがすべての核心です。眼前にあることをできるかぎり自分のなかに取り込むこと。そして、自分に課された何らかの義務のしんどさに負け、みずからの生を狭めてはなりません。
傾注は生命力です。それはあなたと他者とをつなぐものです。それはあなたを生き生きとさせます。いつまでも生き生きとしていてください。
良心の領界を守ってください。


2004年2月
スーザン・ソンタグ 『良心の領界』(NTT出版)

すごいパーティー

 同居人が本気を出した。 世界で一番美味しいと言われている豚のお腹をウェリントンの最高級レストランから手に入れ、高いワインを入手し、前菜から始まる完全なるコースメニューを作成したのだ。 そして友人らをよんで我が家でディナーパーティーをした。 気合いが入りすぎていて、私は非常に居心地が悪かった。 メンズノンノでもそこまで気合い入った/自分に酔った服装の人いないっすよっていうタイプの男の子達が集まり、本気でファッションの話しをしている所でちょこんと飯を食べれるほどに私は度胸が座っていない。 皆様がジョイディヴィジョンとかを大音量でかけはじめ歌声喫茶状態になった所で私は近所の友人の家に逃げた。 すっごかった…。 多分、一生に一回のパーティーに、我が家で参加してしまった。 同居人の目が見れない…。 

2008-03-25

洞窟滞在記

 洞窟で野宿をしてきました。 

結構おもしろい体験だった。 

そして、本当に久しぶりにホームページを作り直しました。 

http://web.mac.com/annapandatiger/

洞窟の写真とかを載せています。 
まだかなり適当なサイトなんだけど、きっといつかもっと素敵になるはず!

見てみて下さい。

ビーチ

 ビーチに連れて行くよ、泊まりだとよ言われていたから、鞄にシャンプーとかタオルとか化粧品とか本とかを詰め込んで友人が迎えにくるのを待った。 ああ、何も分かっていなかった子供な私。 

 車のブースを明けた瞬間に、きっとこの旅行は私が推理している旅行と全然違うだろうという事が分かった。 「セーター、持ってきた方が良いよ」と彼につぶやかれ、ごっついスニーカーに履き直してモコモコに着込み直した。


 この国の羊達は、海で遊ぶ。 



家 

 家に帰ると、バスキアのポストカードが私のマックの前に置いてあったりする。 イースターバニーが私の為のチョコレートを隠してくれていたりする。 朝 から音楽が流れている。 フレンチウィンドーがいつも全開で寒いけど気持ちがいい。 私、結構家が好き。 というか、同居人の演出が好き。







洗濯

 金曜日から月曜日までイースターホリデーでした。 

 クリスチャン以外の人達は基本的に、溜まりにたまった洗濯物を干して過ごす週です。 同居人全員で洗濯を干しました。 友愛。



2008-03-24

男どもの夕方

 我が家の男女比は、2対2である。 そして基本的に全員しっとりとした人たちで、どちらかと言えば女性的な家だと思う。 ラグビーとか見ないし、ビールも呑まないし。 みんなある程度きれいに暮している、気がする。 

 でも今転がり込んできている兄ちゃんが、本当にコッテコテのニュージーランドの兄ちゃんで、服装から飲み物から話し方から全てが、Bro'なのね。

 このBro' な文化ってのが、最高にこの国のおもしろい所で、私はかなり好きだ。 Bro'はbrotherを短くした言葉で、男の子同士が文章の最後によくつける。 「おい、兄弟!」ってやつです。 アメリカでもオーストラリアでも、この brotherhood文化はあるけど、この国のはなかなかにおもしろい。 アメリカのは背景がアフリカ系の子たちのやつで、こっちはポリネシアのってのが大きな違いだと思う。 そして勝手な推測だけど、オーストラリアのはヨーロッパのだろう。 元々マオリの人達が持っていた、同士を慈しむ文化の現代版なんだけど、基本的に「サーファー系の音楽をかけて、庭で男の子たちが集い、ひたすらビールを飲み、すっげー幸せそうに、あり得ないぐらいに朗らかに、毒気の無い幼稚園生レベルの会話をひたすらする」ってのに集約する。 女も入れるけど、話しの内容がつまんなすぎて「この人達可愛いなあ」っていう程度にしか楽しめない。 女に出来るのはそんな男達を愛でるぐらいだ。 

 
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2008-03-23

見たかった!



見た瞬間に、ぐわっと心に迫るってだけで十分に素晴らしいって事だろう。 新しい見た目。 

2008-03-22


MoMA, New York





同居人と「最近の文化の傾向ってのは一体あるのかね」と話していた。 かなり抽象的な話し。 「あるに決まってるだろうけど、ないような振りをしてあえて悩む」系のゲームだ。 「うーん、色に禁欲的? 時代時代の色ってのがあるけど、今回は白なんじゃないかなあ。 漂白とか、露光しすぎてしまった写真のような白が優勢的なのは珍しいんじゃない? 逆に今、色について新しい何かを語れたら勝てるかもね。」とかなんとか適当にコメントしあっていた。 

そうしたら今行われているMoMAのメイン展覧会のテーマが色だったってことが分かって笑えた。 やっぱみんな考えている事は同じか。 色。 色気。 色々。 色情。 色。 色が漂白されるってのは奇妙な奇妙な、とても奇妙な事なんだろうなと思う。






 そして、この男、リチャードセラ(Richard Serra)は相変わらず、本当に、心からの官能のため息を人につかせる為だけに産まれてきたんじゃないかと思わさせられる訳だ! くはあああ!!

2008-03-18

Dance









限りなく贅沢な男

 今、私は限りなく贅沢な男と暮している。 元々友達で、私が日本に帰っている間に私の部屋に住み着き、そのまま家の開いた部屋に移り、今は立派な同居人になっている。 毎度の事なんだけど、とても変わった人だ。 多分、世の中で出来る贅沢のうちで上位に入るだろう「青春の無駄遣い」を堂々とやっている。 

 建築科を中退し、哲学科も中退し、今は高級フレンチレストランでウェイトレスをしながら、アントワープに留学しようとしている。 今はファッションデザイナーになりたいんだって。 でも傍目から見ると全然努力していない。 「一応頑張っているんです」っていう言い訳を全くする気のないその贅沢さ。 私が夜中に彼の横で課題をやっていても、「僕は絶対に同情とかしないからまず期待しないでね」とキュウリをかじりながら言ってきたりする。 何たる事だ。 そして、真夜中に居間でジョイ ディヴィジョンとかWilliam Basinskiとかを大音量でとても良いスピーカーからガンガンならしている。 お兄ちゃん、君は一体何者なんだい? 音楽の趣味が妙に素晴らしくて、ギャングスタを流そうとも奇妙に空間を美しくする。 

 相変わらず私が大学から家に帰ると深夜を超えている事が多いんだけど、その度に手作りのピザやらとカクテルを共に何となく私を待っていて、二人でベランダに出て呑む。(昨日まではジンがあったんだけど、どうやら今日からはウィスキーのようだ。 辛いジンジャエールと共に頂く。) その間私は彼が音楽にあわせて踊っているのを見ていたり、「これのどこがどうすごいか!」ってのの永遠と続くスピーチを聞いている。 静かな声でうっとりと話すから結構のみこまれる。 たまにベッドの上にアントワープ系のファッションデザイナーの耽美な本を置いておいてくれる。 ランボーとか読んでくれる。 私が落ち込んでいると着物を着て家で待っていてくれる。 で、冗談が完全に子供で、三歳児みたいな事を言う。 お兄ちゃん! どこの世紀から来たの?! 

 一歳年上の私からするとまさに「可愛い奴め」目線であり、「この子、こんなに我が道行っちゃってて大丈夫なのかな」って心配にすらなる。 人ごとだから面白がっていられるし、とても可愛いと思っていられるけど、人ごとじゃなくなったら完全にヒヤヒヤもんな人だ。 友達も偏っているし少ないし、デューラーになりたいとか言い出すし、「可愛い」っていうフィルターだけが私の中の彼を支えていると言っても過言ではない。 「可愛い、可愛い、愛らしい、いじらしい、そんな感じの男だ」と言うのが我が家での常識になっている。 

 そんな彼が仕事が休みの時に大学に来たから、一緒に昼ご飯を食べた。 私のクラスメイトの女の子二人を交えて安いタイ料理屋に行った。 そうしたら彼がかっこよかった。 なんかきちんとした普通の人で、ちょっとかっこいい系の男の子に変身していた。 家でロマンティックな音楽を聞いて、乳首丸出しで踊りまくって、ちょっとでも目を離すと拗ねて、カクテルを作って待っている、あの可愛いけどお前大丈夫かっていう男じゃなかった。 クラスメイトはめろめろになっていた。 人間ってすごい。 変身するのね。 結構な驚きで、お姉さんは目を見張りました。 こうやって若い女性はだまされるのかと失礼ながらに思った。 家の中と外では男性は全く全く全く違う。 若い人よ、だまされるなかれ! 家の中の男性なんて可愛いだけで、甘やかされたくて、アテンションが欲しくて、そして何よりも愛情がただただ欲しい子犬のようなだけなのに、外に出ると、ワイルドぶるからね。 なんてこった。 人って本当に側面が多い。 うっとりだ。



2008-03-16

良くやった!

友人の個展が盛況の内に終わったそうだ。 良くやった、芸術家。 

誉めてやる。


分かってくれとは言わないが、奇妙に歪んだ時間を過ごしていたんだ。 

すっきりとしている今ははっきりとすっごく嬉しいよ! 
頑張ったね。 芸術家はいつでも夢を見せてくれる。 







関係ないけど、大昔の写真でも見て、懐かしがって涙ちょちょぎれて。 
사랑하고 있습니다!






もっともっと関係ないし内輪話だけど、本当にこの人ってよく寝てるよね。 写真の整理をしていたら、この人の寝顔だけで、写真集軽く一冊は作れるぐらい沢山写真があった。 どれだけ一緒に寝ていたんだって話しでもあるんだけど、いやー、美しい。 この人の寝顔ってなんでこんなに美しいんだろう。 「完璧じゃんか」と思わずつぶやいてしまったよ。 寝る子は育つ!



きゅうにきらきら





脳のつっかえが取れたのか、急にいろいろな物が面白い。 

実際のところ、面白がっていられるような状況じゃなくて、やらなくちゃいけないものがてんこ盛りのほとんどホラーな状態にもかかわらず、どうしてだろう! なんて面白いんだ、いろんなもの!

「本当はもっと評価されるべきだし、すっごいすっごい才能の持ち主なんじゃないのか」とおせっかいな事を考えてしまう人がいる。 そういう人はアンテナをあまり張っていない私にですら手に届く範疇で表現を行っているわけだから既にかなりエスタブリッシュされているんだけど、私はもっともっと評価されていてほしいの! その典型が平田オリザ。 すごいだろ、彼は。 どう考えてもすごいんじゃないのか? もっと、もっとその当然のすごさを認められるべきじゃないだろうかと今日一人で悶々と考えていた。

課題がやりたくなくて、googleでオリザのインタビューを読んでいて、心で涙。 なんて男なんだ平田オリザ。 日本にはオリザがいる。 特にこのアーティストインタヴューが良かった。 リンクから飛んでくれ。 読んでくれ。 

ART ITのデジタル版を読みながら、また一人で痺れていた。 世の中私が思っている程に悪くないんじゃないかと思えてきて、色彩が私の中に甦ってきたよ。 特集である「浮遊するジェネレーション」ってのは私があまり浮遊していないからか、So?って感じだったんだけど、それでも全体を貫く色を諦めていない審美さからは力強いものを感じて良かった。 頑張ろう、色彩。 

まだまだおもしろい物は死に絶えていなくて、呼吸は止まっていないのね。 勝手に止めていました。 息をひそめていました。 しかし、そんな必要はもうないのだ。 世の中を見回してみると蔡 國強がグッゲンハイムで大個展をやっているって話しじゃないか。 見たい! ほら、全然止まってなかったんじゃん。 しかも個展のサブタイトルが"I want to believe"ってのにやられた。 私だって信じたい。 私だって信じたい! 素晴らしいタイトルだと思います。 蔡さん、底力が違いすぎる。 そして、また彼の公式サイトが素敵なんだ。 みんな、良い子だから見て。
 

2008-03-15

心理的な距離の調節

プレゼン

 プレゼン前夜、十一時過ぎ頃の学校はこんな感じです。 ギラギラしとります。







今回の私たちは三面の壁に映像を投影するのだ。




そして、みんなでかき集めたスピーカーを部屋中にかくして、いろいろな所から音を流す。





なんだか技術力が必要なプレゼンに聞こえるんだけど、
きちんと作った音声データをipodに落としているから
最後は人力。
いかに一斉に再生ボタンを押せるのかが問題なのね。
結構練習した。




十二時ぐらいにはぐったり。








最後に、ちょっと恥ずかしい話し。



仕事を振り分けたり時間の管理をするのが得意なのでそういう事をしていた。 というかね、誰もそういう事をやってくれなかったからやったって意味でもあるのよ! そうしたら結果的に自分の仕事がなくなってしまった。 みんなの仕事のこぼれた所や、誰かが休憩に入る時に代役での仕事などをこなしていたのでいたので仕事はしていたんだけどね。 そういう人がいないと誰も休憩がとれなくなるし、効率悪いじゃん。

チーム用に壁に貼っていたメモで、自分の欄を空白にしていたら、友達に私の仕事はlook coolと書かれてしまった。 私はすかしているだけなのか?! 少しだけチームメートからの愛を疑いつつも結構笑えた。
 でもlook coolとかStay coolって良い言葉だよなと思う。 誰かはちょっとだけすかしていて、チームメートが心地よく働けるように冷静にやるってのも大切だと思うのよ。 まあ、クールでいるってのは良い事だ。

プレゼン

 プレゼン前夜、十一時過ぎ頃の学校はこんな感じです。 ギラギラしとります。

やるっきゃない

 新しい課題で家具を作る。 素材はきまっていて、タイヤと台座。 これがどう家具になるのか。

こういうのは出だしに遊んだ方が良い。 とりあえず関わるしかない。 って事で、友達とひたすらこれを使って遊んだ。 




どーん。




だーん。





一応飛んだ。 




お互いがお互いにむしゃくしゃしていたので喧嘩をした。 
なんだかこの日はこの友人に対して暴力的な感情しか湧かなかった。 かわいそうに。





私は勝つまで喧嘩はやめません。






すっきりした気持ちで作業を始めたら、友達に射たれた。

ピクニック





 案ずるより産むが易しな経験をた。 この杞憂ってのは、意外なほど日常にちりばめられていて一日にスケールは違えど何回も繰り返されます。 ただ今回のは、かなり案じていて、怖かったから、本当に産むが易しで驚いた。 私はオブセッショナルな性格で、不条理だとか不必要だとわかっていながらも一つのことしか考えられなくなることがよくある。


 情けないことに私の日常はオブセッションと、そうじゃない素敵な物たちだけで成り立っていたりするのよ。 特にこの半年は一人の方への感情がどえらいことになっていて、例え話じゃなく「寝ても覚めても」だった。 ほかの事なんてどうでも良かったんだよね!!! そして、終わってみたらすっきりした。 深く関わらないと、分からない事ってある。 実りが何かと考えると、勿論「得たかった」とかそういう方向に考えてしまうけれども、でも得れなかったとしても、「得れなかった」という経験を得た訳で、非常に不思議な事だと思う。 私は「私が何かを経験する」という事に奇妙な程に感動している。 今は何よりも自分が何かを経験しているという、生きている実感を歓んでいる。 変な話しなんだけど、そんな感じ。 


 友達にぽろりと「欲しかったのに手に入らなかったよ。」と言ったら、みんなの反応が素晴らしかった。 「自由を歓べ!」「良い経験だ!」「美しいじゃないか!」「芸の肥やしだ!」のノリで、びっくりした。 みんな、ポジティブなの。 本当に、こんなにポジティブな言葉ばかりをかけられた経験って無いかも。


 つきものも落ちたので、長い間放置していた友人たちとピクニックをしてきた。 風力発電を眺めながらビールでも飲もうよっていうピクニックで、非常に良かった。 きっと良い事がある!


















 絶景でした。 

2008-03-12

 感動しいだからかもしれないけど、人と一緒にいると相手が素晴らしいんじゃないかと思えてくる事が多い。 

2008-03-05

動物2

ウェリントンの国立博物館におりますマオリ犬です。 くはああ! 可愛いんだから、もう!



動物1

 可愛い物にあまり興味がないのだけど、昔の人達が作った動物の置物には、「っか、可愛い!!!!!」と心から思います。 最近見つけた物の中でのお気に入りを紹介していきます。

東京国立博物館の東洋館で出会った置物です。 中国で墓の前に置いてあったそうです。 鎮墓獣とよぶそうだ。 結構、激しく可愛くない????? 胸をぐわしっと掴まれたわ。















ちらし



 ぱりっとした色に、麗しいフォントを使っているちらしが好きです。 流行ると良いな。

2008-03-04

ガリバー

 一個前の記事のを書いていて、ふとひらめいたのが、ガリバー旅行記を軸に考えてみたら良いんじゃないかってことでやんした。

 80年後にも同じなんだかは知らんが、今の所近未来にはメタバース(仮想空間は現実じゃないから、ユニバースのユニ(普遍性)ではなくメタ(抽象性)として表現されるらしい)が沢山存在する、マルチバースに人間が存在するっていう感覚になると言われているらしい。 今だって十分にそうじゃんと思うけど、きっともっと、ダイナミックにそうなんだろう。 ガリバー旅行記じゃん! なんか見えてきたぞ!

未来と仮想

 ある通信系の企業との産学協同プロジェクトで、80年後の世界の為のデザインしている。 デジタルメディアデザインの子たちとインダストリアルデザインの子たちでチームを作り、半年かけて研究することになっている。

 80年後には仮想空間と現実空間の重要性の比重が逆になっているのではないかという仮説から、そこで必要とされるプロダクトを作ろうというのが今回のプロジェクトだ。 まず、80年後をシュミレートしようとチームメートとひたすらミーティングをしている。 

 間違えなくPCはもう無いよねとか、インフォメーションテクノロジーは体内に取り込まれて行くのかなとかって部分まではまだ分かるんだけど、そっから先がチンプンカンプン。 ここで私は初めて「異文化にいる」体験をしていると思う。 脳の作りが違うんじゃねえかってぐらいに、なんだか全く意味が分からんのだ。 まさに、夢のガリバー旅行記。 私のチームメートたちは、とても楽しそうに、ぽんぽんとアイディアを出して、未来予想をしていくのに、私はこれっぽっちも80年後の世界に対する想像が無い。 正直言ってお手上げです。 自分の貧弱さに意外な方面から出会ったと感じましたよ。 未来に対する体力や想像力が全く違うのだ。

 美術史やら現代美術やらコンテンポラリーアートやらに集中していたこの過去数年感、今日、昨日を考えるか、百年前を考えるかの違いこそあれ日々過去を向いていたので、未来の事なんて考えた事がございませんでした。 「これからの80年間で起こる変化はこれまでの人類史で起こった変化よりも大きいだろう」と未来学関連の論文を読んだりしていると書いてあるんだけどマジで? 昨日と今日の差に最大限の驚きと過剰な表現を求めている世界に身を置いていた私としては、そんな事を言われたら驚きで心臓が止まってしまうのだけれども!!

 すでにレポートの提出の仕方や授業内での情報の交換の仕方がハイテクすぎて戸惑っている私は、80年後の仮想世界についてなんて考えるだけで頭が痛い。 楽しいけど、痛い。

 英語で書かれたこの手の文章は意外な程多いし、今回初めて知ったんだけどクラス中の人が一回ぐらいはSFを読んでいるし、結構先の未来予想を何個かは知っているようだ。 私はそんなの自慢じゃないが一個も知らない。 体感温度として、「これからの10年間で日本は私が知っている日本と比べて嫌な感じに変化していってしまうんだろう」っていう末法思想みたいなのは日本にいた時にニュースなんかでガンガン見たけど、意外と技術が絡んだ未来予想を私は知らない。 よく東洋と西洋の自然観の違いとかってのは聞くし、確かにあるよなとも思うんだけど、それよりも(それによって?)未来観や科学観の方が全く違うんじゃないかと思えてくる。 今のテクノロジーにあっぷあっぷしている私は先を思ってヒヤヒヤする。 

 仮想空間ってアイディアもよく分からないし、未来的ってのもよく分からない。 分からない事づくしからこのプロジェクトは始まっています。 誰か良いアイディアとか知っていたら教えて下さい。

2008-03-02

色 戒



 李安のラスト コーションを見た。 共産党員と、ゲイのカップルと私で、なんだかちょっとめんどくさい組み合わせで、うふふふふって見に行った。 

 私は、格闘技のようなセックスも、ご立派としか言えない審美的な要素も、日本と中国の対比を歌を通じてした事もとても好きだった。 日本料理屋のシーンは名場面だと思う。 良い作品で、劇場を出た後はうっとりすらしていた。 そんな時は大抵は肩を抱いてくれる友達がいて、えへへと街を歩く。 が、今回は違った。

 「登場人物の動機が甘すぎる」「政治的描写にインパクトが無い」等々、永遠と喧嘩が始まった。 面子とか、アンダープレッシャーでのヤケッパッチの行為とかそういうのを理解する気すらないお方たちだった。 様々な生き方があるのだなと、映画を媒体に友人を通じて知ることができた。 政治的な人達ってのはよく分からない…。 女ってのは/アジア人ってのはこんなもんなのだと言おう物なら、フェミニストのゲイたちに袋たたきにあうことは火を見るよりも明らかで、言える事は、「いやーあのセックスは凄いね」ぐらいだった。 一緒に映画を見る人は選ぶべきだ。 

どうして良いのか分からない

 あまりにもつまらないパフォーマンスを見てしまった。 魂に引っ掻き傷を残す経験だ。

今ウェリントンは芸術祭をやっていて、世界中のパフォーマーをよんで様々なイベントをやっている。 そのうちの一つがストラヴィンスキーの春の祭典の上演であった。 アメリカ在住の若手中国系振り付け師が制作したんだけど、おぞましいほどに質が悪かった。 春の祭典にあわせて、似非禅的な、終始怠くとろく、毒の無い、腐る直前の牛乳のようなパフォーマンス。 新鮮でもなければ、発酵もしていなく、熟してもいない。 取りつく島が無いってのはこの事だ。

「終わってくれないかな…、いや、でももしかしたら良くなるかもしれない。 とんでもない大どんでん返しがあるかも。 あたし、最後まで耐える!」と見続ける事2時間。 最後まで駄目だった。 何故、私は銭を払ってまで、この悪質な恋愛の追体験のようなものをしなくてはいけなかったのか。 この芸術祭のダイレクションは何なのか? 私が暴れてやろうかと思った。 

私は何を見ても喜ぶ方だし、なかなかに幸せなオーディエンスだと自負しているけど、駄目なもんだは駄目だ。 イライラが収まらず、日本の友人たちに電話をして慰めてもらうも、怒り収まらず。 くはああああ!

2008-03-01

おめでとう!

 私の親愛なる芸術家が個展を開き、しかも結構いい感じにいっているそうである。 淑よ、本当に良くやった。 堂々と音信不通になるし、そのストイックさとか、孤独さとかに付き合い長いのにいまだに驚かさせられるけど、変人枠としてこちらも堂々と許す! 大好きだから、あなたにしか見えていない世界を私にもこれからも、いつも、見せて下さい。 かっとばせー!!!