2013-07-31

遊びすぎ

遊びすぎた後は、ただただその時間が恋しい。

何が具体的に恋しいのか、思わず考え込んでしまう。

俳句みたいに、モンタージュみたいに、印象や感情や色調や質感が溢れる。

はぁ、遊びすぎちゃったな。 でも、人生こうじゃなきゃ。 
って想いの繰り返し。

湿潤療法

自転車でおもいっきり転んで、両手両足、かなりな怪我をしてしまった。
アウチアウチだ。

病院に行って、おじいちゃん先生に「痛くない、痛くない、大丈夫、大丈夫」と言われながら治療をしてみらった。

きっと胆にまでしみる消毒液じゃばじゃばやられるとビビっていたんだけど、全然そんなことなかった。 

今時の、擦りむいたり切ったりした場合の治療ってのは、湿潤療法ってのが王道で、その場合は「消毒をしない」「乾かさない」「水道水でよく洗う」が3原則なんだそう。

いやー、時の流れを感じたわ。

前進未来的な絆創膏(サランラップみたいなの)と包帯でつぎはぎされ、一見フランケンシュタインになってきました。

転んだ直後は衝撃を受け、「誰か今すぐ私の肩に毛布をかけて、やさしくポンポンって肩を叩いて!」って感じだったんだけど、今はけろっとしている。(一人シャーロック状態だ。) まぁ、痛いけどね。 この程度で良かった。 本当に。 ついでに車にはねられていたらとかって考えると、心底ぞっとする。 あぁ、今日も元気に野うさぎのように遊び暮らせていることを道路の神様に感謝。







2013-07-17

7.16

最近、人生で一番影響を受けたかもしれない女性と再開した。
しかも、二番目に影響を受けて、三番目に影響を受けた気がする女性達とも再開した。

相手に対する愛情が、ある一線を超えていて、ただただ好きで好きでたまらない人がいる。 彼女達がそう。

その人たちと一緒にいる時、尊敬や、憧れや、愛情なんかが大爆発する。

そしてそんな人は、ほとんどが少し年上の女性だ。 

動物的なものなのだろうか。 私は自分より少し年上の、ある種共通の質感を持った女性にすごく弱い。 簡単に影響を受けるし、完全に愛に落ちる。 ぼちゃんと。 恋ですらない。 愛。

その中でも、私にとっての永遠のミューズみたいな女性がいる。 私は14歳の時に会って以来、会うたびに、何回でも、彼女に対する愛に落ちなおす。昨日も会ってきて、また魔法にかかってきた。 ころっと。 

数年ぶりに会っても、昨日まで毎日会っていた気になるね、変わらないね、嬉しいねという話をしながら、「私たち、こんな感じにおばあちゃんになってくんだよ。おばあちゃんになっても一緒に遊ぼうね。」と言いあって、自分の人生は幸せで、すごく楽しいと確信した。

私が犬だったら、しっぽ振りまくってたはず。

この、好きさ、男の人には滅多に持たない。 持っても、関係がうまくいかない。 本気になってしまって、恋愛感情もついでに爆発してしまうからだろうか。 

とりあえず、この女の人達と同じような質を持った男の人と結婚して、子供を産んで、死ぬまで一緒にいようと思う。  そんな人生素敵すぎる!

2013-07-16

7.15

京都の鴨川のほとりで、「韓国近代美術の百年」を読んだ。

1. 鴨川のほとりは、素晴らしく気持ちがよかった。 
本を読みながら、こんなに気持ちがいい時間がこの世にあったのかと驚いてしまった位に。
京都住みたい!

2. そしてこの本は最近読んだ本の中で一番面白かった。
すごーーーーーくおすすめ。

3. 文章のスタイルが英語の論文のフォーマットと似ているので、とても読みやすい。 人に苦労なく読ませるための書き方をしている。 とてもよくデザインされたソフトウェアを使っているような気持ちになる。

4. 「国境を超えたアイデンティティの確立 ナムジュン・パイクと李禹煥」というチャプターは、読んでいて胸に迫った。 「移民である」という私自身のストーリーと重なり、とても励まされた。 見渡してみると私の友達は移民が多い。 日本人で移民になった人。 移民として日本に来た人。 国中殆ど移民達のニュージーランド。 「日本人である」という感覚すらもが、自分の中にある移民としての自分に内包される。

本の中に書かれていた、
"国を離れたアーティストたちが、母国と、自分で新たに選んだ国との関係を維持することは難しい。移住とは単なる物理的移動ではなく、肉体的にも心理的にも生活のすべてを変える移動であり自らの文化的アイデンティティに混乱を引き起こす。白南準と李禹煥の作品には、母国の文化的アイデンティティとも移住先のそれとも確定できない性質のものがいくつも見受けられ、それらは国境というものを超えている。この論文が探求しようとしているのは、こうした超国民性である。断片化された母国の記憶が作品にいかに現れているか、それは新しい経験を次から次へといかに統合していくのか、そしてかれらを国境を超える美的アイデンティティを、いかに構築していくのだろうか。"
という文章から、自分も含めた様々な友人たちを思い出した。


2013-07-07

アニコレ

日本ではアニマルコレクティブを、アニコレとよぶらしい。
きっとアニマルコレクティブも喜んでいると思う。

彼らの2009年頃に出たアルバムを、
今でも3日に一回位通しで聞いている。

夏になってからは一日一回は通しで聞いている。

別にファンではないのだけど、
習慣性があり暇な時に流してしまう。
新しいアルバムとっくに出てるのに、まだ古いのを聞いている。


それにしてもさ、彼らって本当に良いなと思う。
体の感じとか、フーディー(フード付きパーカー)の感じとか
腕まくり感とか、カーディガンとか、チノパンとか
汚い髪の毛とか、光る机とか。
素敵だ。

自分が男でうまれていたらどんな人だっただろうかとたまに考える。
そんな時、彼らぐらいの不潔感を颯爽と着こなす無骨な野郎であったなら良いなと思う。
って、ハードル高すぎか。

Astral PatternとかExtra Lifeとか





イギリスの星が降ってきそうな夜空。
ポピーが咲いている田園風景。
周りの人の体温。
なっている音楽。
小笠原の虫や花。

大切な時間を思い出そうとするときに
浮かび上がる景色には、夏が多い。

音楽を聞きながら、夏の感覚を思い出すと、
無敵な気分になる。

夏には甘い音楽が似合う。




2013-07-05

恋愛

友人が、彼の同居人に恋に落ちてしまったらしい。
久しぶりの恋愛話にかなりワクワクしてしまった。

しかも、その同居人は今晩他の男の子を
家に連れ込んでいるらしくて、友人大困惑。

「寝れない!」ってことで2人で話し込んだ。

相談相手に選んでもらったのは嬉しいけれども
私は全然こういう話しに向いている方じゃない。
ワクワクするし、楽しいんだけど上手じゃない。
あんまり発想に機微とか芸がないんだよね。

関係を楽しめるだけ楽しんで、
相手を素敵なデートに連れて行って
2人で幸せな時間を過ごして、
見つめあって、そのまま流れ込んで愛し合って
「他にも世界があるんだ」と気がつくまで
2人っきりで愛し合い続けると良いんじゃない?
って程度のアドバイスしか思い浮かばない。

世の中にそんなに複雑な人なんていない気がするから、
積極的に喜びを相手に働きかければ
相手も、ある程度の段階までは楽しんでくれて、
もし恋人として長期的に愛し合えなくても
まぁまぁの結果になるんじゃないかと思うんだけど、
どうもそうじゃないよね。

すごく好きな友達だから、全部上手くいってほしいんだけどな。
その子が本気を出したら、手に入れられない女の子なんていないと思うんだけどなー。

ワクワクする!

2013-07-01

ニューエイジ

NZから日本に帰ってきて1年経った。 同じ頃にイギリスから日本に帰ってきた友達と話していて出てきた共通の感想。 どうも、ニューエイジっぽい人が日本には多いぞ。

80年代の典型的なニューエイジ運動そのままってわけではないんだけど、そこにIT的な要素が加わった感じ。 「新しい時代」「新しい世界」「新しい社会システム」「新しい働き方/キャリア」的に、ニューなエイジの到来をやけに聞く。 それ自体は社会の変化とか進歩で常におこることなんだろうけど、そこに「それが今なのだ。特異点的なことがおきているのだ。」って念押す感じが、どうにもこうにもニューエイジっぽい。 震災とか原発事故とかがあったからなのかな。

「ニューなエイジ到来 SOON!」的な高揚感と同時に、ニューエイジ運動を補完するスピリチュアルな行動は女性用の文化にすごく多い気がする。 男の人達のニューエイジがIT的な感じで、女性用のは己の身体&スピリチュアリティーの慈しみと発見なようだ。 日本の本屋さんの女の人用の本のセクション、ニューエイジかオカルトかスピリチュアル関連が多くて驚く。

あとニューエイジてまとめ方自体、あんまり日本では有名じゃないというのも最近気づいた。 「ニューエイジっぽいですね」って言っても、通じないことが多い。 だからひとくくりにされずに、日々の色んな活動にちらばっていて、なんだか興味深い。

自分自身の中にあまりニューエイジ要素がないので、あんまりピンとこない。 

なーんか、ニューエイジ的テンションとかフレイバーが入ると、それだけで面白くなく感じちゃうんだよなー。 

ニューエイジとかスピリチュアリズムとかより、断然アートの方が私は好きだ。