2009-12-31

2009

 2009年は、かけがえのない素晴らしい一年になりました。
地味目に、でも色々な変化に富んだ温かい毎日でした。 良い年だった! 

 去年の年末、淑と珈琲を呑みながら「体が喜ぶとか、心が喜ぶとか、頭が喜ぶとか、そういう断片的な興奮とか感情じゃなくて、もうちょっと全体的な感じに喜びを見いだしたい。 愛の年にしたい。」という話しをしていた。 実現できたと思う。 私、よくやったねと、自分の肩をポンポンたたいてあげたい。

 来年は(あと数時間後だ!)家庭を大切にすると同時に、もっとクリエイティブにいくぞっ。 もっと仕事に夢中になりたいし、もっと質の高い物を、もっとわくわくするものを作る。 デザインに恋に落ちたい。 

 La Vie En Roseが胸に鳴るような日々を過ごしたいですね。


腑に落ちた事

 ゆらゆら帝国のライブが始まるまで親友とぽろぽろと思っている事を話した。 結構同じような事を考えていて嬉しかった。 ガールズトーク@Liquid Roomのバー。 背景では「巨人ゆえにでかい」がロックに演奏していて、会話がどんどん盛り上がった。

 2人で「そうだそうだ!」ってなった事の一つが、リレーションシップに関してだった。
「ある種の男女交際は土着的すぎてついていけん」ってのが共通の意見。 歌謡曲/演歌的世界というのか、とりあえず四畳半的な恋愛はしたくないと言い合った。 歌の歌詞で「あなたあなたあなたあなた」って連呼するやつはヒステリックで恥ずかしいから聞けませんし、やりたくありません。 後ね「うわっ、それマンガで見た…」ってのも避けたいよ。 くさいもん。

 私たちのこの感覚はかなりマイノリティーだよねと頷き合う。 残念だけど、私たちの感覚は比較的珍しいんだろう。 だって結構自分のきわめて周辺以外では見ないもん。 だからって恥ずかしがる必要も無いし、自分をおかしいと思う必要も無いと言い合った。 モラルサポート!

 私の感覚ではパートナーと生活を営むってのと、ボーイフレンドと恋愛を楽しむのって結構別物。 ボーイフレンドには全くパートナーシップを期待しない。 だってパートナーシップって結構難しいし、気持ちよくやる為には自分にも相手にも結構な成熟と自立が求められるって思っているから、私の場合は簡単には出来ないなと思っていた。

 自分が未熟な事やまだ自分自身に自信が無いことは全然悪い事じゃないから、「まだだなー」って思ってたら、素直に無茶せず、気持ちよくカジュアルにボーイフレンドやガールフレンドといっぱいデートして、いっぱい遊ぶ事の方に重点を置けば良いと思うんだよね。 そういう自分と、そういう相手をエンジョイすれば良いと思うんだ。 そしてその間にゆっくり誰かのパートナーになれるように成熟すれば良いんだと思う。 

 じゃないとね、どっかでいびつだったり不平等な関係になってしまうと思う。 コミットメントと執着の違いが分からなくなりそう。 そういうのってなんか土着で陰気。 
 幼稚園の頃のお医者さんごっこを密室でしたいっていう欲求を乗り越えられなかった人達の関係になりそうだ。

 基本的に社会との絆や関係性が成熟していない者同士がディープなコミットメントを結ぶと関係が内向きになってしまう気がする。 だから若いうちは意識的に外向きでいて、デートを楽しんで、いろんな人にあって、自分の成熟を待ってる方が自分にも、自分の将来のパートナーの為にも良いはずだ。 そういう話しを親友とした。 

 とりあえず街角の高校生とかがねっとりと陰気にカップルでいる姿を見ると「もっと遊んだ方が良い。 もっと夜遊びして、音楽聞いて踊って、見聞を広げるべきだ」とおせっかいにも思う。 なんかすっごいもったいなく見えるんだもん。

 私はこんなんだから、友達もそういうのが多い。 前パーティーで男の子が女に子にだらだらと何かを話し続け、女の子が甲斐甲斐しく聞き続けている姿を見 た私の男友達が「俺ああいうの大っ嫌い。」って言っていて、「お前本当に良い男!」って思ったことがある。 あと友人界隈の名言で「口説く奴は嫌いだ。  告白がいい。」ってのもある。 flirtは大好きだけど、口説くとかって、あああ゛、陰気すぎ、
土着すぎ。

 ある程度の歳になったら、きちんとしたパートナーシップを持つのは良い事だと思う。 でも基本的には若い時にいっぱいデートして、いっぱい遊んだ奴の方が良いパートナーやら友人になる気がするから、焦らず遊んだ方が良いと思う。 それこそ遊び疲れるまで。 精神年齢っててんでバラバラだから何歳だったどうって断言は出来ないけど、だからこそ余計に成熟している子のスピードにそうじゃない子がついていこうとしてめんどくさい事になっているってのがあるんじゃないかと思う。 なんかなあ…、そういうのって楽しくなさそう。

 とりあえず、日本のポップカルチャー的恋愛観は分からないし、やりたくないし、やりたいひとは周りの子にペアプレッシャーをかけないぐらいに成熟してほしいよねってのがまとめでした。 曾根崎心中的というか情死的というか、そういう魂のちぎり合いを自分の実力とかキャパシティーってのを無視して重視する文化には関わらないでおこうと思う。

ちょっとした偶然 その2

 世の中は案外狭いなあと思う。

 親友のシオネちゃんと6年前遊んでいた時、「私のゼミですごい雄弁な人がいる」って話しをしていた。 当時の私たちは大学一年生で「大学にはいろんな人がいるんだなあ」って話しの一環だったと思う。 なんかそれが印象的で記憶に残っていたから、仕事のクライアントの雄弁さに「ああ、まるでシオネちゃんが言っていた人のようだ」と思った。 そのクライアントが大学を転校していて、以前シオネちゃんと同じ大学に行っていたと聞いた時に、もしやと思ってはいたのだけど、そのもしやでご本人だった。 六年前の私はまさかその後3年近く一緒に仕事をする相手の噂話を聞いているとは思っていなかった。 ちょっとした偶然。

 ライブの帰り、駅のホームで終電を待ちながら、小腹が好いたのでスシを立ち食いしていた。 その姿が面白かったらしく、若いお兄ちゃんに「お茶飲みますか?」と彼のペットボトルのお茶を薦められた。 おお、人情@品川駅と感動。 電車の中で色々と話して友達になった。 そうしたら私がずっと使っていたニュージーランドで使っていたソフトの開発者さんであり、なおかつ今の仕事相手が一緒だと分かった。 とりあえず、そのソフトに関してのお礼を言う。 そして、仕事相手の悪口を軽く一緒に言えて、その年の鬱憤をはらした。 彼の会社は長野にある日本企業。 私のはニュージーランド企業。 取引先はカリフォルニアにあるアメリカ企業。 うーん…、グローバル化ってやつなのね。 驚いた。

おとうと ちょっとした偶然

 テレビをぼけーっと見ていた時、映画「おとうと」のCMが流れた。 それで、そのCMでは最後にイラストがちょっと出たんだけど、それを見た瞬間に涙が出た。 一瞬のイメージの雄弁さにやられた。

 ううう…、このイラストレーター天才だと、作者を調べたら中学のクラスメイト松本春野ちゃんだった。 最近のブログのテーマ、「同世代の感受性ってすごいよね」は、ついに「同級生/クラスメイト、名前の順前後ろってすごいよね」っていうすごい極地までたどり着いてしまった。 「春野じゃんっ!!!」とあわわわわ。 たまたま昨日彼女の話しを、他のクラスの子と話していたので余計に驚いた。 思春期の影響って…、計り知れない。

 彼女が中学を転校してから会ってなかったんだけど、大学で再会した。 そして今は作品を通じてまた出会った感じ。 すごいよ! かっこ良すぎるぞ。

 

Open Reel Ensemble

 この間Open Reel Ensembleのパフォーマンスを見に、ラフォーレに行ってきた。 

 
Open Reel Ensembleは今日本で一番私が好き/気になっているミュージシャンの子たち。 別に音色とか世界観が私好みとかってのじゃなくて、どっちかっていうと技術的な発想がとても好き。

 
anyway, Open Reel Ensembleは絶対一回は見た方が良いと思う。 25歳の私の感覚からするとthe 同世代。 パフォーマンスに出てくるボキャブラリーが全部分かる感じ。 でも組み合わせが「思いもつかなかった!!」って感じのばっかり。 すっごい。



 彼らは名前の通りOpen reelに音をその場で録音し、そしてそれを演奏し、いろいろな形でその音質を加工し、リズムを作って行く。 またiPhoneを使ってデジタルにもコントロールを音質に与えている。 そして何よりもスーパーフィジカル。 機材が結構でかいから、全身使って演奏する。 もう、そこに私、きゅんきゅん! 友達の間で
Open Reel Ensembleは今年ぐわーっと人気が広がったんだけど、先に見た子から「動きにクラクラするから、楽しんできて」と言われていた。 本当にその通りだったよ!! 

 彼らはダウナーじゃない。 でもキャピキャピしていない。 すっごい「そのまんま」感が美しい。 多分フェイク感が少ない人達が私は好きなんだな。 なんかすっごい正直な気がするんだよ。 

 とりあえず、彼らのチャーミングなブログはここから。 彼らは音をその場で録音して、再生して、それをその場で加工して行き、どんどんと音を重ね合わせて行くプロセスを通して音楽を作る。 これって私の連れ合いもいつもやるんだけど、最近過熱した方法なのかな? それとも伝統的なプロセス?

 同じイベントで作品を発表していた劇作家の
柴幸男君も演劇そのものをそのプロセスで作っていた。(この柴幸男君の作品もすごい良かった。 私の二歳上の子。 この子も怖いぐらいに同世代。) 録音と反復とその音の重ね合わせと構成によるストーリー展開。 すっごい良かった。 彼のインタビューを読んだ時に「Adobeのソフトを使った時のような作り方」って話しをしていて、以前私が思っていた、音楽制作ソフトとグラフィックス制作ソフトのコンセプト
の類似、その中で特にレイヤーっていうコンセプトが現在制作されている物の性格を結構決定しているよなってのが、演劇でもそうだったのかと驚いた。 多分私たち世代は、レイヤーって機能が好きなのだ。

 大学で技術の進化に伴う作品の変化についての授業をうけたことがある。 例えば今イラレとかCADで使われるペジェ曲線の発明が、どれだけデザインを変えたかとかって話し。 デザインや建築でゴシックリバイバルが生じた理由の一つはペジェ曲線の発明らしい。 なんでだか分からないけど、超ディープに観察するとペジェ曲線ってドゥルーズの襞の話しまで行けるらしい。 そりゃこじつけだと思って真剣に聞くのをやめたけど、授業の主題であった、技術の発明とそれに伴う表現の変化ってのは、いつでもビビッドで面白い話題だ。 本当に、たまに「私はペジェ曲線とレイヤーだけで作品を作っている…」って思う事あるもんなぁ。 これが時代からの制約なんだよね。

 そういえばさ、Open Reel Ensembleの面白い所は「発明」に対する喜びに満ちあふれているからだと思う。 それがかれらの透明性とか朗らかさを支えていると思う。 アナログ機材を身体を使って踊るようにコントロールする事、デジタル機材を使ったそれの制御、全てに小さな発明が溢れている。 私はそういう作品がとても好きだ。
 
 あとその晩は
contact Gonzo×姫野さやか(from にせんねんもんだい)の「ddddddddd!! ccoonnttaaccttggoonnzzoo!!!!!!!!」がファンタスティックだった。 姫野さやか、奇才。 クール過ぎ。 殆どあっけにとられた。 客席に背を向ける形で演奏したんだけど、ドラムを叩く人の後ろ姿のすごさを始めて知った。 後上にも書いたけど、柴幸男「反復かつ連続」が完成度すごく高くて良かった。

 夜遊びってすっごい楽しい! 

ゆらゆら帝国のライブに行ってきたぞ。 良かったぞ!

 今年の音楽納めで、さっきまでゆらゆら帝国のライブに行ってきた。 いやー、良かった! 完成度高い。 全体的に整いすぎてて、そこから本当に大人の底力を感じた。 

 来てた子達の雰囲気も最高にダウナーでまさに私の好きな東京の普通の夜だった。 シャイだけどワイルド。 私は体力もあるし、ある程度情熱的だし、元気だってあるけど、なぜか総合的にはダウナーな人間なのだと思う。 少なくともアッパーじゃない。 声やらテンションやらが"高い"っていう状態が好きじゃない。 って事でゆらゆら帝国の提供してくれた音楽世界は私にとって最高だった。 いやー、本当に良かった。

 そういえば前座のバンド、ヘアスタイリスティックス(中原昌也)のドラムがにせんねんもんだいの女の子だった。 彼女の演奏はこの間原宿でも見た。 彼女って本当にジーニアスね。 惚れちゃう。 いつかにせんねんもんだいそのもののパフォーマンスも見てみたい。 ヘアスタイリスティックスは変態音楽でよくわからんかった。

 ゆら帝の演奏最中、横にいた男の子が彼女の横で躍り狂ってて好感度大だった。 私が彼の彼女ならうっとりしちゃうな。 結構長身大柄がっしりした子で、長髪のクルクルパーマを歌舞伎のように振り乱しながら、彼女の手を取ったりしながらガンガン踊っててさ、彼女も唇がふっくらとした美女で、いやー、愛だったわ。 すっごい良い夜なんだろーなーと思ってうらやましく見ていた。 恋人とゆらゆら帝国のライブ行って、一緒に踊って、(多分、きっと)一緒に家に帰る年末って最高じゃない? ラブだよ、ラブ。 しかも2人ともダウナーだったし。 完全だねと思いながら見ていた。 

 そして踊っている子達を見ながら、台湾での夜遊びを思い出した。 クリスマスの夜に台湾のバーで呑んでいた時、一瞬一緒に行っていた女の子が踊った。 それが本当に可愛くてさー、本当にちょっとの間彼女が肩を揺らしていただけなんだけど、台湾旅行の中で一番強烈に記憶に残っている。 踊る子は宝だ。 

 今回の日本トリップでは展覧会とか音楽とか結構色々行っているんだけど、今のところ大きなはずれは無し。 この幸運に酔いしれてるわ、私。

2009-12-30

良い事

 私の友達の業種や趣味はてんでバラバラだ。 すごく幸運な事だと思う。 いつも面白い話しを聞かせてもらえる。

 私の恋人はミュージシャンで、親友は芸術家だ。 これはかなり幸運だと思う。 運、これで使い果たした気がする。

日NZ生活リズムの差

ブログの本文とは全く関係ないんだけど、友達がしつこく連続的に口説かれるのも物品押し付けて口説かれるのもじったり口説かれるのもニガテ。口説かれること自体がニガテ。告白されるのは好き。と言っていた。 言い当てたなあと感心。


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 私の日本の友人の間でもっとも忙しいだろう人と忘年会をした。 コアなレベルでの価値観とかは共有しているし、笑いのセンスとかも近いからとても良い友達だし大好きだけど、お互いの日常生活は笑えるぐらいに違う。 お互いの生活がシュールリアリズムのように感じられた。

 彼女が属するのは働きマンの世界。 私がいるのはノンタン。 多分、それぐらいに違う。
性格はノンタンの世界に属する私の方がキツいし刺々しく、ムーミンのキャラクターで言えばミー、そして若干鼻兎的だと思う。 彼女の方がもっとマイルドで、ミムラ姉さん系。 でも生き方になると違うのね。 いやー、不思議だ。

 彼女は週末返上で始発終電って勢いで働いている。 私は完全に九時五時。(本当は家に早く帰りたいので、八時四時にしている。) 労働時間は結構人生をコントロールする。 例えば私の場合家に着くのが5時過ぎなので少なくとも就寝時間まで7時間ぐらいはある。 だから家にいる記憶があるし、その間何かをして時間をつぶしている。

 彼女の場合、家にいる記憶はないんだそうだ。 家には寝に帰るって生活だ。 日常の中で、固まりとして一番大きい時間は労働時間なので、それのボニュームによって人生のリズムが決まるんだなあと話しながら考えた。 結果彼女は日常で使っている時間が長い仕事関係の話しが多くなるし、私は家にいる時間の方が長いから何となくプライベートでの話しが多い。

 これは日本とニュージーランドの国民性の違いなのかもしれない。 ノンタンな国、ニュージーランドでは仕事量を減らす事が仕事だと思っているんだと思う。 仕事をしていない時間を増やす為に工業化したし、分業するし、効率化を計る。 生きていくために必要な量のお金をいかに短い間で稼げたら良い仕事をしたってことになるんだと思う。

 日本のモチベーションはなんなんだろうか。 それこそ「仕事したって思って死にたい」ってやつだと思う。 彼女の仕事への情熱はすごい。

 ただなんとなく、日本の会社ではどうしてそんなに労働をしなくては処理できな/利益の上がらない効率の悪い仕事を経営陣達が選ぶのかが、私からしてみると不思議だ。 その事を父に家に帰ってから話したら、「今多くの会社は仕事は選べなくて、小さな仕事を沢山やって景気が回復するのを待つって感じなんだよ」と言われた。 そういう事なのかなあ。 根本的なところで、仕事場にいる時間が人生のプレミアムタイムっていう感覚があるからなんじゃないかと私は思うのだけどな。

 そう、彼女からは結構純粋な仕事への尊敬の念を感じられたのだ。 彼女の価値観の中で仕事をするってのスーパー、ハイパー尊い事なんだよね。 話を聞いていると何となく私ももっと働かなくては人生を損しているのではないかという疑問が湧いてくる。

 
 

2009-12-29

台湾!

 友達四人で台湾に行ってきた。 日本の大学時代の友人らと、NZの高校大学と一緒だった友達の混合グループ。 みんな職業も趣味も違ってかなりいい感じの組み合わせ。 

 元々私と男友達らの伴侶が海外にいて、みんなしてつまんない感じだったので、じゃあ連れ立ってクリスマスに海外で遊ぶかって感じで始まった旅行。 基本的にもっさーとした人間の集いだ。 そんなもさい集団に参加してくれた新婚ほやほやのエロイ系美女。 旦那ちゃんと過ごせたはずのクリスマスを、この自分の伴侶すら手元にいない人間たちの為に使ってくれてありがとう、やっぱり美人は心が広いとみんなで言い合う。 やっぱ満ちている人は、与えられるね!! メリークリスマス!
 
 そんなこんなな不思議寄せ集めな集団での旅行でしたが、案外こういう組み合わせの方が平和だったりするもの。 すべての時間が穏やかで、幸せな旅行になりました。

 

2009-12-28

2009年の9曲  3.Animal Collective -My girl

これも数年前に発表された曲。 音楽に関して言えば私は本当にカッティングエッジじゃない。 消化するためには数年の時差を要する。

音色もリズムも構成も好きだけど、何よりも歌詞がかわいらしすぎる。 こんなこと歌われたら、女子はめろめろだよ。








My Girl

There isn't much that I feel I need
A solid soul and the blood I bleed
But with a little girl, and by my spouse,
I only want a proper house

I don't care for fancy things
Or to take part in the freshest wave,
But to provide for mine who ask
I will, with heart, on my father's grave

On my father's grave
(On your father's grave)

I don't mean to seem like I
Care about material things,
Like a social status,
I just want
Four walls and adobe slats
For my girls


超適当な訳だとこんな感じ…、


僕の女の子

俺に関していえばそんなに必要なものはない
強固な魂とドクドク流れる血さえあれば
でも僕の女の子に関していえば、
この結婚のためにも
俺はちゃんとした家が欲しい

別にいいかんじのものが欲しいとか
流行に乗ろうとかじゃなくて、
僕の父ちゃんの墓前で
心を込めて誓い合った人に
ちゃんとしたものを提供したいんだ

僕の父ちゃんの墓前で
(お前の父ちゃんの墓前で)

物欲満々とかって思われたくないし、
社会的な地位が欲しくてとかってのじゃなくて
ただ壁と天井がちゃんとあるのを
僕の女の子に!!



この歌は女の子の心だけじゃなくて、男の子の心もロックするらしい。 これを流すと家中の男子が大合唱をする。 多分そのとき奴らの中で奴らは超男。 「おれ、まじで漢!」って感じで歌い上げている。 いとおしいじゃないかぁ。 いい曲だあ。 父ちゃんの墓前でって所に本気さを感じるね。

"I just want Four walls and adobe slats For my girls"の後に入るドラムの音と、雄叫びが好きだ。 別に男の子じゃなくても、自分の相手に対してはこう思うよね。 「私の男の子の為に」って目的で何かをやっているときは結構私の心の中で激しいドラムの音と雄叫びがこだましているよ。

この間男友達と旅行にいったんだけど、彼が「自分の彼女にやっていること/やったこと」を話すたびにキラッキラしてて、「おおおおー、なってるなってる、あの音なってる!!」って思いました。 だから私も自分がいかにいい恋人かを自慢し、心の中で雄叫びを鳴らしまくった。


2009年の9曲  2.Battles -Atlas

2009年によく聴いた9曲。

このプレイヤーから聞く方が、youtubeよりも音質がいいので、もしお時間がございましたら流してみてください。 全部、すっごい良い曲だから! 間違えなく素晴らしい楽曲。 でも良いライブの映像とかは下でyoutubeでも載せるね。 良かったら見てみて。





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2.Battles -Atlas

ブルックリンのバンド、バトルズの名曲。 これもよく聞いた。
最初音質の人工的な響きが好きになれなくて、もっと重厚であったりテクスチャーのある音を出せば良いのにと思って拒否。 でも途中からこの人達は正直に、使っている機材の音を祝福しているのだと思い直して恋に落ちた。 2007年発売のアルバムに今更恋に落ちる。 私、本当に感性が鈍いというか、ださいというか、結構物事をアプリシエイトするまでに時間がかかる。 

ビデオでは彼らの作曲のテーマである「反復」を視覚的に表現しようとしているんだそうだ。 確かにいわれてみれば。 でもちょっと鏡への反射が上手に撮れてないからだと思うんだけど、少なくとも私にはそのコンセプトはダイレクトには伝わってこなかったな。 でも秀作だと思うけど。

 


今ウェリントンで結構大きな草間彌生の回顧展をやっている。 それを見にこの間行ってきた。 友達と彼女の鏡面張りのインスタレーションの中で、この曲を合唱してきた。 ほかの観客も歌っていた。 気分はbattles。 とても楽しかった。  その展覧会の写真が彼女の公式サイトにアップされていたので、興味のある方はどうぞ見てみてください。 弥生ちゃん天才だから! 天才だから見飽きない!! 美術館そのものの外壁も全部ドットで包まれていてすごかった。 町の風景がちょっと歪んでいたよ。






この部屋でみんなでBattles。

 




Battlesは結構雄弁というか、考えていることをぺらぺら正直にいうバンドだと思う。 コンセプトであったり、作曲方法など技術的なことをよく話しているのを聞く。 同時に道徳的なこととか人生観とかを言わないとこにも好感。 「これは反復する音をどう構築し合うかが主題で挑戦なんだ」とか「主題をいかにダイレクトに届けるかを気にしている」ってタイプのことを聞くと、音楽もデザインも方法とか技術は勿論違うけど、大まかな挑戦は似ているんだなあと思えて興味がわく。 

 昔ニルヴァーナのネバーマインド制作時について参加していた人たちが話している番組を見たことがある。 多分音楽のミキシング用ソフトそのものと、デザインで使われるようなソフトの基本的な概念が似ているからだと思うんだけど、作業のプロセスがあまりにもそっくりで驚いた。 かたっぽは音、かたっぽは目に見えるものの加工を行っているんだけど、基本的に「足す、引く、重ねる、のばす、組み合わせる」ってのを一つ一つの構成要素にやっていく。

 もの作りの基本的な語彙ってのはどこも一緒なのかもしれない。


 そうやって考えると親近感と尊敬が湧き、最近ちょっぴりBattles、ワーシップ中。

2009-12-22

ピンクのタイツ

 ひたすらのろけ続けられる友達がいる。 東欧出身のグラフィックデザイナーで、私との東京冒険仲間の女性。 6年越しの良い友達。 昨日の夜その子と夕飯を食べて、ずっとお互いの一年間を誉め合う。 「すごいじゃない! 全部良い方向に進んでるね!」と讃え合う。 「良い年だったね〜」と言いながらイカスミパスタを食べて口真っ黒。

 彼女の新しいボーイフレンドの話を聞く。 とても素敵そうな人。 写真を見せてもらったら、超長身のフランス人男性が女物のピンクのタイツと白いキャミソールを着て飛び跳ねているお姿がそこに。 「面白そうな人。 面白いのが一番よね。」と返す。 この女、ついに運命の男に出会ったなと思った。 お似合い。

 私のボーイフレンドの話しをする。 両耳の穴にネギの根っ子を突っ込んで微笑んでいる写真しか持っておらず、別にまあそれもありかと思ってみせる。 「あらっ、ネギ…??」とつぶやいた後「優しそう。 うん、優しい人が一番よ。 彼、優しいでしょ?」と詰め寄られる。 あっはっは。 誉められる所はそれだけか。 しょうがないか、ネギだし。

 ひたすら自分のボーイフレンドを讃える会を続ける。 こういう会話は相手を選ぶ。 でも彼女は揺るぎなく「私の男の子が世界一」って思っているタイプの子なので、こっちがどれだけ自慢を仕様がのろけようがおかまいなしで素晴らしい。 しかも男の子を誉めたり、ほれぼれとしたりするポイントが一緒なので、2人で「きゅん!!」ってなりながら話す。 

 それにしてもいつまでたってもこの女性はインスピレーショナルで、お洒落で、美しい。 そして滅茶苦茶かっこいい。 イイオンナだなあと思いながら、彼女のピンクのタイツを履いたハイパーな男の子ののろけ話しを聞く。

 そういえばさ私のボーイフレンドも私の服を着て、ポーズを決めるのがすごい好きなんだけど、これって普通の事?? たまに私のマークジェイコブスのワンピースとか着て、鏡の前でぼけーっと自分の姿を惚けた様子で眺めているんだけど…、みんなそんなんだよね?

2009-12-21

日本初日

家でゴロゴロした後に、ケイスケと散歩に出かける。 目的地は横浜。 目的は私のマルタンマンジェラのブーツを見せびらかすこと。




鎌倉の交差点は現代美術のようにちょっと不思議。 でっかいからかなあ。





中華街はいつだってナイス。 路端で売られる野菜。 中華超市場。 パンダ。 ナイス!









飲茶を食べて満足満腹。

 食べ物屋さんから食べ物屋さんに移動するっていう感じで遊ぶ。 二人で食い倒れ。 瑞穂の分も絶対に食べたぞ。 日本の初日は中華三昧で麗しかった。 中華料理だーいすき!!

2009-12-20

美味しいご飯

 昨晩日本に帰ってきた。 今朝父の作ったパンケーキを食べる。 めちゃくちゃ美味しい!! 彼はお料理が本当に上手。








お父ちゃん最高。



 おこぼれを狙う我が犬。 彼女は私に全く興味がない。 私は彼女に興味津々なのに。 つれないのね。


 飛行機の中でジュリア&ジュリーを見た。 料理を中心として話しが構成されている映画。 「この映画は父は絶対好きだなあ」と思いながら見ていた。 家についてから、実際家にその映画の中心的題材になっているフランス料理の本と、映画の原作があって笑えた。 このレシピ本はお土産でお父さんに買おうかなあと思いながらも、「持ってそうだよな」と思い躊躇したもの。 そしたら本当に持っていた。 私とお父さんはこういう事ですごく分かり合えている気がする。

 連れ合いに「特にご飯の写真を撮ってきて」と言われていたので、何枚か写真におさめる。 私たちは一緒に住んでいる間外食を本当に数える程度にしかしなかった。 それ以外は全部自炊。 一回作ったレシピは二度と使わないっていうルールで料理をしていたので毎回違うものを料理した。 毎日おいしいご飯だった。 勿論お土産のリクエストは日本料理のレシピを頼まれている。 食べるの、大好き。 
 
 今日はこれからケイスケと海辺でデート。 こういうとき瑞穂がいないのが寂しい。 多分、またちょっと美味しいものを食べる。 瑞穂の分も食べるよ!

2009-12-17

仕事について

 五十嵐太郎の「ゼロ〜イチゼロ」的建築シーン:遠い夜明け〜ネットで匿名の議論は可能かを読んだ。 以下、その記事からの引用。

否定はしないが、生産的な場となることを願う

 連載を始めた時は、それでもいくばくかの希望的な観測を持っていたし、最初に書いたように、紙のメディアではなく、せっかくこうした場をいただけるなら、むしろネット上での議論は可能か?を見届けたいというのが大きな動機だった。

 筆者よりも上の世代は、ほとんどネットに直接的にかかわろうとはしない。石山修武や難波和彦らの日記のように、一方的な情報発信はあっても、インタラク ティブな介入を積極的に試みているのは、福島の元建築家、佐藤敏宏ぐらいだろう。筆者はものを書き始めて、途中からネットの世界が大きくなり、片足を突っ 込みながら、日記、mixi、twitterなど、どのようなかかわり方があり得るかを模索している。おそらく、さらに下の世代は学生の時から洗礼を受 け、もっと本格的に付き合い方を考えていくことになるのだろう。

-中略-

 今回の連載では、筆者も匿名のコメントは無視すると述べたが、それでも真面目な議論を横からつつく書き込みを見て、いたたまれなくなった。すべてがそうだとは言わないが、筆者が見る限り、匿名のコメントの方がクオリティは低い。クリエーティブな意見も少ない傾向にある。また議論への意志よりも、悪意に基づくものが散見される。言うまでもないが、匿名はその発言に責任を取る必要がない。だから、言葉に緊張感もないし、思ったまま、悪口も書けるし、言 いたい放題ができる。書き逃げも簡単だ。筆者の信条では、これも言説の自由だから否定はしない。だが、そうしたものに答えないのも自由だ。義務もない。 もっとも、匿名と非匿名が同じ場を共有すると、結局、悪貨は良貨を駆逐してしまう。心ある人は去っていく。

 あり余る時間があれば、匿名の書き込みへの応答を考えたかもしれないが、ほかに実りあるやりたいことをいっぱい抱えているなかで、その選択肢はない。あるいは、もっとこちら側に応答するスキルが必要なのかもしれないが、それは不足していた。

 とはいえ、この連載は、2009年における失敗の記録としてやった意義はあったと思う。前に踏み出して、試みなければ、成功も失敗もない。そして 匿名者は、個人に帰属する成功も失敗もない。ともあれ、失敗という結果を出したということで、連載の役目は果たした。もっとも、筆者の手には負えなかった が、匿名の議論は不可能、であると、断定するつもりはない。筆者よりも下の世代が、匿名のコメントも巻き込んで想像もしなかったような生産的な場をつくる ことを期待している。もしくは将来、ネットにおける議論の場が成熟すれば、匿名でも読むに堪え得る言説が生まれるかもしれない。

 いつか訪れるかもしれない「遠い夜明け」を夢みながら、筆を置く。


仕事柄いろんな国の人達と商売をする。 その際コミュニケーションの質が結構重要なものになる。 

クリスマス食

 連れ合いの実家の方々と一足早いクリスマスの食事をした。 彼の親は息子が大好きで、自動的に息子の連れ合いである私の事も大好きみたいだ。 日本に帰る前に家族の食事をしなくてはと、連れ出された。 良い人達だぁ。

 っが、良い人だろうが大好きな連れ合いの親だろうが、面白いか面白くないかってなると話は別だ。 そう、往々にして良い人は大抵退屈。 愛情深い良い人達は、それ故に若干つまらないのだ。 もうこれ宇宙の真理。 ってことで結構何かに誘われてものらりくらりとかわしていた。 本当に良い人達でそこのところはノーダウトなんだけど、なーんか一緒に過ごすと自分の中の何かが飽きるので。 でもそんな自分に酷いなあと呆れ、対策を一応考えた。 もしかしたらこれから長い付き合いになるかもしれない相手だし、得ていて損するスキルじゃない。

ってことでこれが一年かけて実行した対策。

1.自分にも相手にも急激な変化は望まない
大抵失敗するしリバウンドがあるから。 コンクルージョンに飛びつかず、淡々と構える。

2.だんだんと自分の性格も良くし、相手の牧歌的世界感に適応する
笑えるとか、刺激的だとかっての意外の価値観を知る。

3.相手にも努力してもらう
相手の方が長く生きている訳だし、私よりも良いアイディアを思い浮かんでくれるだろう。

4.全く何も演技しない/自分の親に対してと同じ位に素直に接する
ぶりっ子をしてまで好かれたい相手じゃないし、もし演技している面が好かれても長期的に考えていい事が無いので。 これは会社の上司との違いだね。


3.にある相手側の努力は「食事で釣れ」だ。 お酒が入ると神経質な所が取れて、若干気楽で楽しい人になる私の特性をよく見抜いた選択だと思う。 飲みながら食事ってのがお互いの妥協点だと相手側が悟ったようだ。 実際その通り。 ってことで最近は外食+お酒ってパターンが多い。

そして驚くべき事に昨日の食事はすごい楽しかった。 お互いに対して若干働きかけた結果が見えた気がするよ。 達成感!!

彼からすると、大好きな両親と弟妹と恋人とご飯を食べれる訳だからとても幸せそうだった。 良かった良かった。

メリークリスマス!!

2009-12-15

2009年の9曲  1.Wolf Parade -I'll Believe In Anything

2009年によく聴いた9曲。

このプレイヤーから聞く方が、youtubeよりも音質がいいので、もしお時間がございましたら流してみてください。 全部、すっごい良い曲だから! 間違えなく素晴らしい楽曲。 でも良いライブの映像とかは下でyoutubeでも載せるね。 良かったら見てみて。





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1.Wolf Parade -I'll Believe In Anything




2005年に出たアルバムからの曲で、その頃からずっと聴いていた曲。 特に去年の年末から今年にかけて一日に何回も何回も聞いていた。 こんなにぱっきりと最近の自分の感じとシンクロしている音楽はないと思った。 4年間かけて自分の中で育った。

2004年らへんの頃、現代美術でだと、
-チラチラとオプティカルな物
-内側から発光するもの
-外からの光を吸収したり受け流したりできるように透明感のある物
-小さな構成要素がランダムに、しかし建設的に積み重なっている物
-仮設的な物
-断片的な物
-終わりと始まりの無い物
などが美しいと思っていた。

その頃の美術は、ポストモダンアートについてのマター、脱構築されたフェミニズムについてのマター、未成年の感性についてのマターとかが多く語られていた。 それら関心の対象を直接的にかなりナラティブな形に落とし込んで話すか、それとも形や配置により生ずるアレゴリーによってアクトするかの違いが際立っていて、とても面白い時期だった。

私は、言葉よりも形で世界を理解したいと思う方なのだと思う。 言葉抜きで物事が理解できるかという突っ込みがあるのは分かるけど、私は近代美術の父であるセザンヌの「世界は円柱・円錐・球によって構成されている」ってのを素直にプリンシパルとしている。 私が何かとふれあう時に、まず最初に関わる側面は形だ。

だからだろう、オロツコやフリードマン達が行った彫刻の復権が美術の潮流に大きく混ざり込んだ2000年代初期の現代美術は私にとって非常に、生々しくエンゲージできるものだった。

私にとって、形は最も優れた表現者で、アイディアをアクトし、コミュニケートしてくる。 私は反応せずにはいられない。

音楽も立体的な形を音で作っているっていう意味で彫刻的なものだなあと最近思う。 私は唄とか歌詞よりも、どうやって音が組重なっているか、いつ音がなっていつ音が鳴らないかってのが気になる。 そして音や構成がよってどうやって動くかも興味がある。 対立がどうやって壊れるか、どこに静寂があるのか、どこに次に繋がる空間の隙間があるのか…。 音の形とか立体感とか、音によって作られる空間性とかにぞくぞくする。

実際、なんか頭の中に、体感的には"目の前に"、色や形が見えるんだ。 始めてこの曲を聞いたときはスピーカーから何千匹もオオカミが飛び出してくるのが見えた。 結構そのものズバリ蔡國強の作品みたいだった。(多分どっかでバンドの名前がオオカミに関係しているってのを無意識で知ってたんだと思う。 安心して、私超能力者とかじゃないから。) 馬鹿みたいなコメントだけど、生まれて始めてこんなに沢山オオカミが飛び出してくるのを感じた。 それはそれは見事な構成だった。








話は戻って、私が04年頃に好きだった要素は勿論時間が断つにつれてちょっとづつ変わっていった。 ある程度成熟や、暴力性、若干の虚脱感や無力感、そして切り詰めがおこった。  20代前半は思っていた以上にタフだった! 村上春樹が昔「20代前半は不安だったし大変だった。 二度と戻りたくない」的な事を言っていた意味が分かったよ。 大人って簡単にはなれないんだなと実感。 多分音楽って救済なんだろう。 もろにそれに対する解決を音に求めた。

 その自分の変化と上手くかみ合って、昔と今をばっちりとつなげたのが、Wolf Paradeがやっていた音楽(特にライブでのパフォーマンス)なんだろうなと思う。

チラチラはザラザラというオプに変わった。 内側からの発光はより強くなった。 透明感の密度には決して明けない真夜中の弾力が加わった。 小さな構成要素は最低限以外は勝手に誰かに捨てられた。 仮設的な物はただ壊れた。 始まりは無かったけど、見事に終った。

ちょっと悲観的なんだけど、「この音楽が好き!」って感動したり喜んだりできる位、実際のところはすっごい楽観的で生命力に溢れている。

2009-12-14

音楽

 一年ってある程度の変化に対しては、十分な長さなんだろうなと思う。 去年の今頃の自分と比べると、結構な規模の変化を感じる。 去年と今やっている事が結構違うから、成長に関して言えば比べられないから何とも言えない。 でもただの変化っていう意味では結構変わったと思う。 住む場所も役職も私生活の過ごし方も変わった。 一年ってそういうレベルでの変化は得られるのね。

 今年の始め、私はかなりふてくされていた。 

 

2009-12-13

クリスマス イン ザ パーク

 昨日の夜は我が家の隣のドメイン公園で、クリスマス イン ザ パークという催し物があった。 ドメインは1880年に公共の公園としてオーガナイズされた土地で、200エーカーあるひろーい場所。 中央には国立博物館がある。 色んな庭園や森林があって素敵。 

 そこに35万人集まって、クリスマスを祝う。 世界で一番大きな規模のクリスマスパーティーらしい。 基本的に小さな子供がいる家族向けの野音って感じのイベント。 ライブでいっぱい音楽やって、最後に打ち上げ花火があってって感じ。 

 こっちは本当に陽気な、夏のクリスマス。 みんなタンクトップに短パン、ビーチサンダルで夏の夜の野外パーティーを楽しむ。 35万人中半分ぐらいは子供。 こんなに大量の子供を一気に公園で見た事が無いのでくらくらする。 子どもたち、踊り狂ってたよ。 子どもたちがマジでロックしている姿が微笑ましい、そんなイベント。 









 ちなみにこのパーティーのスポンサーは写真からも分かるようにコカコーラ。 ちなみにこの写真もコーラが作ったオフィシャルサイトから拝借。 見事にいつでもちゃんと御社のロゴが画面に収まっている所に技を感じるよ。 三十秒に一回ぐらい、その社名がなんだかの形で言われてた。 屋台もコーラのが多い。

 今私達がこういう姿だと思っているサンタって、コカコーラの広告からだっていうじゃん。 実際はコーラの広告でサンタのイメージが描かれる前にも、結構赤い服を着た小太りなおっさんって形で表現されていたらしいんだけど、ここまで普及したのはコーラの広告かららしい。 結構コーラ=サンタ。 なのでこの巨大なパーティーのオーガナイザーがコークなのも、その歴史をふまえると実に納得。 もー、サンタもコーラも、会場も真っ赤。 ドメインは、真っ赤で白いしゅわしゅわした感じがあふれている、コーラとサンタ色に染まり上がっていた。 圧巻。

 最後に大音量でマイケルジャクソンが流れて、どでかい打ち上げ花火がガンガンあがった。 やっぱ今年はマイケルなのねと感慨深く聞く。 夏の夜の公園で、打ち上げ花火とともに大音量で流れる音楽としては最強だと思う。 気持ちよさとか、盛り上がりかたとか半端じゃない。 マイケルはパーティー音楽が良い。 大音量で気持ちよく聞くに越した事が無いと実感。 彼の楽曲には陰鬱な面が強いセンチメンタルな好かれかたもされやすい音楽も多いけど、私はそういう作品よりもグルーブたっぷりのパーティー音楽の方が好きだ。 そこから彼の天才を感じる。 なんか、その流れてきたら踊りだしたくなるっていう単純さを忘れたくない。

 最高に大きくて綺麗な打ち上げ花火と共に聞く、Don't Stop 'Til You Get Enoughとかもう完全にゴージャス。 可能な限り大音量で、どんな音楽よりもずっとずっと音量上げて聞いてみて。 「すっげー!」ってなるから! マイケルの踊りを誉める人は多いし、実際すごいなって思うけど、私はそれよりもマイケルの音楽を聞いて、すっげー楽しそうに踊りだすみんなに感動する。 上手く言えないけど、彼もすごいけど、彼に反応する人達の、心の中の何かに結構感動するんだよね。 ちょっと野性的な感じするじゃん。

 とりあえず、メリークリスマス!!

プレゼント

 日本に帰る+クリスマス+友人たちの結婚妊娠出産が多かったので、今週末はプレゼント探しに費やされた。

 私は冠婚葬祭にはあまり関与しない家族で育ち、そういうコンヴェンショナルな行為は、年賀状のお返しとして正月の後に出す葉書ぐらいしか関わった事が無い。(実際、毎年家族は1月1日に届くように年賀状を準備しようとはするのだけど、結局投函するのは成人式を余裕で過ぎたぐらいの時期になる。 我が家は不器用なのだ。)
 
 でも個人的に私は人に贈り物をするのは好き。 なので近い人の誕生日はある程度きっちりとお祝いする事にしていた。 誰かが産まれた日ってのが好きなのだ。 すごいワンダフルな事に思える。 なので勿論出産とかされると、その子の人生、そしてその子の両親の人生をひっくるめてお祝いしたくてたまらなくなる。 多分、誕生系フェチ。

 なのでミュゼッタの為のプレゼントを彼女が産まれた日からずっと探していた。 その間ずっと連れ合いをオークランド中のベビー関連のお店につれ回し、やっとこさ完全に自分が納得した物を見つけた。 何たる偉業。 何たる達成感。

 しかし「もう僕は当分ベビー関係のお店には入りたくない。 この別世界な感じがダメ。 怖い。 なんだか僕は怖くなるんだ!」と最後にぶつぶつ言われ、かつんと来た。 次に妊娠した友達と、彼女のパートナーの為のプレゼントを買いにいく事になっていたので、ここでくじけられたら困るのだ。 一人で買物をしてもつまらないのだ。

 なので「どうして、私の友達の出産が祝福できないのか。 それは私のウーマンフッドが喜べてないってことなのではないでしょうか。 私が女性であって、私の周りに女性の友達がいて、その人達が女性的な事をしているってのを祝福できていないのではないかしら!! それって私寂しい!」と、筋が通ってるんだか通ってないんだか分からない事を言って、相手を混乱させて次のお店に行こうとしかけた。 

 そうしたらそういう私の訳の分からない説得方法に慣れている相手に「付き合っている時点でこれ以上に無いぐらいにあんたの女性性は祝福してる。 かなり核心を突いて祝福してるね。」とごもっともな御言葉をかけられる。 「っち、弁の立つ奴だ…」と思いながらも、「じゃあ違う言い方をする。 私の人生を豊かにしてくれている友達のお祝いを一緒にしないで、何が連れ合い?」ともっとシンプルに言ったら納得された。 

 「そりゃそうだ」って事で、次は妊婦とその恋人へのプレゼント探しへ旅立った。(多分、この連れ合いのやる気をなだめすかすプロセスが、プレゼント探しの醍醐味の一つなのだと思う。 連れ合いの家族へのクリスマスプレゼント探しという、私からしたら本当にどうでも良い事につれ回された際に、相手の言放った詭弁達は実にすごかった。)

 「お父さんになる人って何をもらったら嬉しいのかな。 私としては、妻子から絶対に逃げれないように、鉄の鎖のような強固な義務感を植え付ける教育的な物を渡したいのだけれども。」と言ったら「いや、僕は一瞬でも妻子という義務感から現実逃避が出来て、少年に心が戻れる物を渡すのが良いと思う。 テレビゲームとか!!」と言われ、二人で大笑い。 「だよねー」ってお互い言いあい、お互いの意見に納得してしまったので、また選ぶのが難しくなった。

 永遠とそういう事を繰り返して、やっとこさ、色々と買いそろえる。

 お互いの為のプレゼントも買う。 カードも書く。 ラッピングしまくる。 ああ、年末。 ああ、子供時代は遠くなりけり。 イノセントに「私そういうの加担しない」って言えていたあの頃。 でももらえる物はもらっとった。

 しかし、そんな子供時代を失った事よりも、自分がある程度成熟し、プレゼントを贈れる人がいることの方が素朴に嬉しい。 連れ合いと連名で贈る相手がいる事、そして一人で贈る相手がいる事、その中には旧い友人も、今年に入って知り合った人友人もいる。 結構良い人生じゃないかと思える。

 そして贅沢な物は送れないけど、何かを買えるだけのお金を手に入れた事もうれしい。 自分の稼いだお金をこういう好意の表明や、渡し合う時に心からの愛情と笑いが溢れた時間に使えるんだって実感は良い。 結構「社会人一年目を君は頑張った!」って自分の肩を自分でおめでとうって、ポンポンとしてあげたくなるよ。 感謝の気持ちが湧く。 年末の醍醐味を感じるわ。

 うざい、そして頑なで一元的な無神論者として友人の間では煙違われている私ですが、クリスマスにおけるある面は好きです。 際立った年中行事だと思う。


 っていうことで、まだはやいですがクリスマスの12のことばを。

 

もしも、あなたが悲しんでいるなら、喜びなさい

クリスマスは喜びだから

もしも、あなたに敵があるなら、和解しなさい

クリスマスは平和だから

もしも、あなたが傲慢であるなら、低くなりなさい

クリスマスはけんそんだから

もしも、あなたに負債があるなら、弁済しなさい

クリスマスは正義だから

もしも、あなたに罪があるなら、悔い改めなさい

クリスマスは恵みだから

もしも、あなたが暗闇に沈んでいるなら、灯をともしなさい

クリスマスは光だから

もしも、あなたが心得違いをしているなら、反省しなさい

クリスマスは真実だから

もしも、あなたが心に恨みを抱いているなら、捨てなさい

クリスマスは愛だから

もしも、あなたが絶望をしているなら、キリストに目を向けなさい

クリスマスは希望だから

もしも、あなたに友人がいるなら、探し出しなさい

クリスマスは再会であるから

もしもあなたに愛する人がいるなら、愛を告げなさい

クリスマスは肯定だから

もしも、あなたの身の回りに貧しい人がいるなら、助けなさい

クリスマスは贈り物だから





良い日曜日の夜を!

2009-12-11

decade

 友人のブログで、00年代が終る事について触れてあった。 

 10年前の事を昨日の事のように思い出せる年代になったと思うと感慨深い。 その頃私はイギリスに住んでいて、かの国はやけにミレニアムミレニアムと騒いでいた。 橋が出来たり、その橋が異常に揺れたり、観覧車が出来たり、花火があがったりしていた。 そして2000年の後半からニュージーランドに引っ越した。 私の00年代はニュージーランドのと重なる。
自分にとっては無色透明。 未来の人達から見たら、多くの、ほとんど全ての時期がそうなように非常に変な時期。 

ーーーーーー

 今イギリスに住んでいる友達と、80年代リバイバルについて話していた。 日本の感覚だと80年代は多分、諸悪の根源的な扱いで見苦しい年代なんだろうと思う。 だから80年代のクールネスにあんまり反応できないっていう話だった。 さっきたまたま読んでいた、高橋瑞木さん(水戸芸術館現代美術センター学芸員)の文章、「不可能性の時代」のアート:諸行無常のポストモダニズムにおける実存の試みでも日本の80年代の独特さが書かれている。

社会学者の見田宗介はバブル経済の繁栄を享受し、高度消費社会に向けて邁進した日本の80年代を「虚構の時代」と呼び(注1)、それを受けて大澤真 幸はバブル経済崩壊、阪神淡路大震災、そしてオウム真理教による地下鉄サリン事件など、自然と人災によって脆弱な社会構造が露呈し、人びとがアパシー状態 に陥った90年代を「不可能性の時代」と呼ぶ。(注2)その「不可能性の時代」に成人を迎えた世代を、世間では「ロストジェネレーション」と呼ぶそうだ。 中略

ベルリンの壁の崩壊から、バブル経済の崩壊、阪神淡路大震災、オ ウム真理教の地下鉄サリン事件、そしてアメリカで勃発した同時多発テロからイラク戦争と、国内外の社会の混乱は言うまでもなく日本人の精神構造に作用した が、とりわけ視覚芸術家にとって強いイメージを刻印したのは、おそらくその後に目の当たりにした破壊の光景の数々ではないだろうか。阪神淡路大震災での家 屋や高速道路の倒壊現場や(注3)飛行機の衝突後にワールドトレードセンターが白い煙をあげて倒壊してゆく様子、そしてアフガニスタンのタリバーンによる バーミヤン石窟の大仏爆破の場面などがそれだ。その中でも日系アメリカ人、ミノル・ヤマサキ設計のワールドトレードセンターは近代化が生んだ国際様式の代 表的建築、バーミヤン石窟の大仏は歴史的に重要な文化遺産として知られ、どちらとも公に保護されるべきものでこそあれ、人為的に破壊されるべき対象とは誰 の思いもよらなかっただろう。このとき人々は、これまで蓄積された人智、理念、様式、技術、歴史が保護され、未来に伝承されるべきだという意識化の共同倫 理が、自分たちと同時代に生きる人間の手によって灰燼に帰した瞬間を目撃し、記憶したのである。

 確かに読んでいると凄まじい。 地獄の業火に焼かれるように苦しい神経症の始まりの太鼓がたたかれたって感じだ…。

 でも文章で「日本の80年代」って特定されているように、よそにはよその80年代があったんだよね。 そこに思いを馳せるのも大切な気がする。 だって、自分の中に流れる歴史性って絶対に一つの側面(例えば日本で起こった“事件史”)だけで形成されている分けないもん。 そこだけに焦点を当てると、自分の中にある面白い流れを塞き止めてしまう事になると思う。

 私にとっての80年代って音楽の時代だ。 後遺症には関わっているけど、バブルの時期にあった文化そのものにはあまり影響されていない。 でも、80年代の音楽には今でも強烈に影響されている。 で、多分それがイギリス文化圏とかにいる私たちの世代の特徴で、だから80年代リバイバルが強烈にあるんじゃないかっていう話をした。 70年代の最後にピストルズが解散して、次の世代の音楽(ピストルズのライブにいた42人の人達の音楽)が始まる。 それでJoy Divisionがあって、そのバンドがレイブカルチャーに直接関わっていく。 パンクからレイブ、ニューウェーブに流れていくその系譜が、今20代の人達からすると、ほとんど自分たちの今いる立ち位置の神話的な起源のようにうつるんじゃないかと思う。 思春期入りたての、一番自分に影響を与える音楽の起源が、自分に取っての聖なる音楽になるのかも。 少なくとも自分の事を考えてみると結構そうだ。 その時期のクールネスが発展した先に自分がいるのを結構ダイレクトに感じる。 年上の子たちが夜遊びをした後、ちょっと疲れた感じを持ちながら、昼間はティルマンス的な時間の過ごし方をしていたのを憶えている。 そういう時間に入れてもらえると嬉しかった。 自分は入れない夜のワイルドさがあるのも知っていた。 そこが憧れの先なのだろう。

 ーーーーーー

さて、00年代が終る事について書いていたブログには、同世代の作家の台頭についても書いてあった。 自分にとって自然な言葉で喋る人達が、表現者として出てきている。 背伸びの対象でも、新しさを求める先にでもなく、自分自身の身の丈とあった、今日の言葉を聞くようになってきた。

次の10年は自分の10年になるだろう。 子供とか孫に「アンナは10年代に色々やってた人だからああなんだよ。 ださいねー/面白いねー」って2040年位に言われるんだろうと思う。
 
だから良い服をきて、良い音楽を聴いて、良い作品に触れて、正直な言葉を沢山喋ろうと思う。 楽しみだ。
 

Animal Collectiveのライブに行ってきた

 すっばらしかったっ!!!






いつかチャンスがあったら、是非ライブに行ってみて。

2009-12-10

EATING ANIMALS

 Jonathan Safran Foerの新刊が出たので購入。 タイトルはEATING ANIMALS。 ズバリ、肉食についてのリサーチ本。 勿論小説家の彼が書いているので、ストーリーテリングの技も十分に組み込まれていて、読んでいて非常に面白い。 読み終った時に自分にどういう変化がおこるのかが楽しみ まだ出だしの段階だけど、かなり面白く読んでいる。



 公式サイトも結構面白い。



 この作家は77年生まれなので、かなり同世代感が近い。 同じような事を同じように悩んでいて、似たような価値観を持っている。 この激しくしっくりくる感じに、同世代の作家の台頭の力強さを感じる。 これからもっともっと自分の世代の言葉が世の中で使われていくんだろうなと思うと感慨深い。 最近肉食(及び食事)について友達とよく話したり考えたりしていたので、一番のお気に入りの作家の新刊がまさにそれについてだった事に驚いたと同時に「やっぱりね」感が強い。 こういう偶然とか重なりあいがなかったら、日常における勇気の何割方かはなくなっちゃうだろうね。

 

GoodBye Penny

 年の瀬ってのは別れの季節ですね。 去年もそうだった。 今年も結構そう。

 多分私と連れ合いは来年には同居も解消して、結構淡々とした関係になると思う。 恋人と一緒に住んだのは生まれて始めてで、一年間最高に幸せだったし楽しかった。 沢山支えてもらったし、多分私も相手に対して何か温かい事が出来ただろうと思う。 こんなに毎日幸せに、親密に、温かく過ごせたのは、相手の愛情深さと無邪気さのおかげだ。 本当に極上の真珠みたいな男の子だと思う。 いつかは真珠のような男の子と恋に落ちたいものだと思っていたので、まさに願ったり叶ったりだ。 

 彼との友情は、なんか毎日自分が新品に生まれ変わり続けるような経験を与えてくれた。 毎日毎日、何かが綺麗に、整っていく感じがした。

 お互いこんなに日常と人生を誰かと重ねあわせたり、寄り添わしたりしたのは始めてで、二人で「人と人が一緒に人生を過ごす事や協力しあう事、愛し合う事の価値が分かった。」と言いあった。 こんなに素敵な事を知るきっかけになった人が、こんなに素敵な人であるってことは、多分私の人生におけるきわめて幸福な事の一つだと思う。

 でも、まあ、だからって別にずっと恋愛感情が続く訳でも、何か絶対的な感情に繋がる訳じゃない。 相手との関係から、春の萌黄や、夏への扉を感じ始めた事で、今度は違う所で、違う形で頑張ってみようと思えるようになってきた。 多分、前よりはしぶとくなったし、粘り強くなったし、そして良い結果を信じたり、素直に幸福を祈ったりできるようになったと思うから。 ってことで感謝の気持ちで山々だ。 秘密がいっぱい詰まったすごく素敵な、温かい時間を一緒に過ごした。 もうこの幸運からの余熱だけで、あたし多分何でも出来る。

 寂しいけど、悲しくないのは多分本当に私たちが楽しんだし、お互いに対する友情と愛情が深いからだと思う。 あんまり残念だとも思わない。



 ああ、今が初夏で本当に良かった。 生命の息吹を感じるよ。 初夏のニュージーランドの大自然はまさに絶景。 この土地はすごい。 

2009-12-07

Animal Collective

 明日Animal Collectiveのライブに行く。 今年最大級の遊び。 イーーーハーーー!! 待ちきれない!




 興奮押さえきれずグーグルで色々みていたら、なんと日本で一回ゆらゆら帝国と一緒にライブをしていた事を発見。 すっげー、日本すげぇ。 動物がゆらゆら。 最強じゃん。 急にゆらゆら帝国熱が上がり、私が日本に帰っている間にライブがないかを調べた。 あるっ! 12月30日にっ。 速攻で予約。 ああ、人生って素晴らしい…。 その頃に東京にいて、赤ちゃんとか、夫とか、焼き餅焼きの彼女とかがいない場合は、是非御一緒してどんちゃん騒ぎしましょう。 2009年の夜遊び納めだ! 

 それにしても明日はAnimal Collective. さー、私の事をみんなうらやましがって、「くはー、そこに私/僕もいれたら良いのにっ!」って思ってくれてかまわない! 

 イーハー!



 この曲とか、単純にbeautifulじゃない? 音楽っていい。

2009-12-03

小確幸

 連れ合いには年の離れた弟がいる。 今日は彼の高校の卒業式だった。 って事で一族郎党引き連れて弟の寄宿舎のあるクライストチャーチに行脚に行っている。 私は一人オークランドにて労働。

 弟と妹を溺愛している彼は、物の見事に卒業式で号泣したらしい。 「超マジでお前の事誇りに思うよ、ブラザー!」とかって言いながら弟の胸にひひーんって泣きついたそうだ。(弟の方がガタイも良いし、背も高い。) 大興奮で電話をしてきて、「もう、こんな幸せって無いんじゃないかって思うんだよね!!」と言っていた。 私には血のつながった妹も弟もいないのでそれが泣くほどの事なのかがわからん。 どうなのでしょう、世のお兄ちゃん、お姉ちゃん、末っ子の高校の卒業式は勿論号泣ですか? 私の連れ合いは本当にボロボロ泣いたそうです。

 血がつながったのはいないけれども、心の妹弟は沢山いるのが寄宿舎育ちのアドバンテージ。 ってことで、なんとなく友達ってよりももうちょっと温かく、もうちょっと守ってあげたい的な感情を持っている年下の子たちは数人いる。 でも実際の成熟度を考えると、一人なんてもう結婚したし、みんなして私よりずーーーーーーっと大人。 冷静になって考えてみたら、お世話になっていたのは私の方だ…。 ひひーん。 私も年相応な大人になりたいです。

 ただ、そんな幼稚な私でも、確かに彼らの事を思うと胸が温かくなるし、とても優しい気持ちになるよ。 愛おしい気持ちになる。 それは同い年の子でも年上の子でも寄宿舎が一緒だった子たちには(大抵)みんなにそう。 相手の幸せをただ祈れるっていう相手がいるのは良い事だ。 ブラザーフッド・シスターフッド万歳!! 
 家人出張中。 

2009-12-02

タイヨンダイ・ブラクストン

 連れ合いがが8月から騒ぎ始めて未だに大興奮中のアルバムがある。 タイヨンダイ・ブラクストンのセントラルマーケットだ。 楽曲はここで聞けるので視聴してみて。

 たしかに素晴らしい。 彼のようにそこまで音楽に熱中するタイプじゃないので、「考えるだけで涙が出る」ってレベルでの感動はしてないけど、「考えるだけで、元気になる」程度にはやられてる。




 疲れていたのでベッドでごろごろしながら大音量でただずっとブラクストンの音楽を聞いていた。 この二つの軸が呼応しあう感じ、対立構造がある感じはストラビンスキーみたいだ。 絶対この人堂々とストラビンスキーラバーだと思う。 大抵こうやって二つのタイプの音とか質とかが音楽の中で駆け引きをする楽曲は好きじゃない。 でもそれが逆に面白くなるやりかたがあるみたいで、ブラクストンもストラビンスキーもそれが出来ている気がする。 音楽には全然詳しくないので何とも言えないんだけど、多分こういう駆け引き的な音楽を、「対話の駆け引きをやっているのだぞ」ってドラマティックに意識的に見せつけると、それはそれで許されるのだろう。 そんな事を思いながら、次にストラビンスキーの春の祭典をかけた。

 こっちは初夏で昨日の夜は蒸し暑かった。 二人で下着姿でベッドの上にごろっと身を投げ出して、一言も口をきかずにずっと春の祭典を聞いた。 たまに一つの楽曲は、どんな物語を読むよりも、どんな映画を見るよりも、濃厚で豊かな体験を与えてくれる。

 私の日常的な態度から、連れ合いは私が好きな音楽はきっとものすごいミニマルでドライな音楽が好きなんだろうと思っていたそうだ。(真夜中にJoy Divisionかけてるのに?!) 春の祭典に対して私が強い思いを持っているのが意外だと驚き続けていた。

 パティースミスが以前「どんなジャンルの音楽を聞く人にも愛される楽曲ってある。 例えばストラビンスキーの春の祭典、そしてルー•リードのWalk on the Wild Sideとか」って発言をしていた。 さすがパティー様、確信しか突かない。 本当にその通りだと思う。 「パティー様もそうおっしゃっていた」と言ったら、相手も納得していた。 春の祭典は私の生きている時代の始まりの音楽だと思う。 私たちはまだ春の祭典の演奏中にいる気がする。 だから好き。

 その後に、連れ合いのヴァイオリンの練習の為ドビュッシーとラヴェルを聞く。 彼のお気に入りの演奏録音にあわせてヴァイオリンをひく。 生演奏は体にしみる。 私は本も読まないで、ただベッドの上でねっ転がりながら音楽を聞いていた。

 自分の中も外も、部屋の空気も、色調も全部が治っていく感じがした。 どんどんと治癒された感じがした。 相手が練習を終えてベッドに飛び込んできた時には、私はこれまで体験した事が無い位にすっきりとして、気持ちがよくなっていた。

2009-12-01

greenz.jpサステナブルコミュニティ 【シアトル通信No.5】すごいシェフ達のとにかくすごいレストラン! “Great Food. Better Lives!”
http://greenz.jp/2009/11/30/seattle_report_05/;


食に関するプロジェクトをやってみたい。 この記事はすごいインスピレーショナルだった。 良いプロジェクトっていつでもインスピレーショナル。 そうであるかないかが「良いプロジェクト」とそうじゃないプロジェクトの差なのだと思う。

2009-11-30

仕事はラディカルに、生活は穏やかに

 「仕事はラディカルに、生活は穏やかに」と、尊敬している現代美術のキュレーターと作家が言っていた。 良い言葉だ。 いつも意識している。

 仕事は、まだそこまでラディカルに出来ていないと思うけど挑戦している。 もっとラディカルに、もっとシャープに、もっとはっきりとといつも思ってる。 沢山の喜びを込めたい。

 そして穏やかな生活。 パートナーと住みはじめてから全てがかわった。 とても静かで、とても穏やか。 「人はこうやって穏やかで安定した巣作りをして、新しい生命を迎え入れるのねぇ。」としみじみと客観的に腑に落ちる。(まあ、まだ迎えないけど。) 

 それにしてもまさかこんなに巣作り的でプリミティブな生活があるとは知らなかった。 睡眠欲、性欲、食欲という身体にまつわる三大欲求にて繋がっている。 なんかお互いの体の延長線上に相手の体がある感じなんだよね。 恋愛相手っていう絆なんかよりも、もっと「腹」とかっていうダイレクトな絆がそこにある。 結果驚くべき穏やかさ。 ただ結構頻繁に暇。

 昨日、すごい熱中していた仕事が一つ終わった。 私も、私の生活に振り回されていたパートナーもぐったり。 二人して今日はすごい悲観的な気分に浸った。 「なーんか、これからの人生にも世の中にも何も良い事がおこらない気がする…」って雰囲気になっていた。 これは結構いつものパターンで、エネルギーとか喜びとか沢山の感情をプロジェクトに注いじゃってるから、終わった次の日は虚無感と倦怠感に包まれるのよね。 そしてそれを自分も知っているから、無防備に落込んだりはしない。 仕事帰りにピラティスに行って、気持ち良いエクササイズを沢山して、家に帰って彼の作ったごちそうを食べて、二人でゴロゴロした。 荒狂い果てた馬車馬のような神経をなんとかして「ドウドウドウ!!」ってやるのね。 でもまだ体中にバチバチ何かが放電しているのを感じるけど。 今は小さな声で「ドウドウドウ!! ドウドウドウ!!」ってやっている。


Laura Owens
UNTITLED
2000
 
 話しはそれるんだけど、私とパートナーの生活を思うと、ローラ オーウェンスの作品を思い出す。 静かで調和が取れているようで、実は危険とかアンバランスさとかがいっぱい隠れている。 まぁ、今はそういう日々を楽しみたい。 
 
 それにしてもこういう感じに疲れた日は、とけたビターチョコレートみたいな睡眠がとれるんだよなぁ。 そして明朝にはなにかすごい素敵な予感に包まれるんだ。 そう、そのはず!



 

2009-11-25

ゆるい失敗…

 私は結構好き勝手な格好をして職場に行っている。 今日は、ピンクのTシャツ(目ん玉からレーザービームが飛び出ているスーパーガールのイラスト入り)に、黒いチュチュ、そしてピンクのアディダスのギャングスターシューズ、そしてマークジェイコブスのアホみたいにデコラティブな鼓笛隊の隊長みたいなジャケットを着て職場に行った。 テーマは頭をしたたかに打ったバレリーナ。 

 そして会社に着いた後に、今日は通産省のお役人の方々+我が社の社長、役員たちと会議だったと思い出した。 がちょん! 完全に一人でチンドン屋。 「ぬぬぬぬぬ、脱いで良いですかっ?!」と会議の途中で叫びだしたくなったよ…。

 皆様も、服装にはお気をつけ下さい…。 TPOは社会人の基本です…。

2009-11-24

24 hour party people

最近口を開けばこのピリオドの

2009-11-22

宮台真司にしては良く言った

 宮台真司のなんにでも意見を持っている所が苦手だ。 

 どうして、一部のパブリックインテレクチュアルは、なんにでもコメントできないといけない、なんにでも一言持っていなくちゃいけないと思っているのか気になる。 そういう「ぼぼぼぼぼ、僕なんにでも答えられますっ」っての、とっとと超越しちゃえばいいのにね。 

 たいして知らないし、奥行きもって理解してない領域の出来事に一言いおうと思った時に、アナロジーのすり替えとかを通して、ただ文句を言っているような"批評"になるんだと思う。 どんな領域であれ、端から見たらいつでもどっか死に体で、だからこそその荒れ地の中で一つの活路を見つけられるのがプロフェッショナルなんだと思う。 だからのっぺりとした批評とか批判ってしても意味が無いと思うんだよね。 だって、それって死にかけてるもんを指差して、死にかけてるって言っているようなもんじゃん。 そりゃそうだ。 ほっときゃなんでも死ぬ。

 まあ、そんなこんなで建設的にパブリックインテレクチュアルでいる事って難しいんだろうなあと小学生のような感想を持ってしまう今日この頃。 頑張れ、パブリックインテレクチュアル!!

 話しはかわって、このラジオの宮台真司のコメントはすごくいいと思った。「就職に夢を求めるな!」ってテーマで彼が話しています。 仕事での自己実現とかを求めるよりも、プライベートしっかりさせて、労働者というよりも、市民としての喜びをきちんと持てというご意見。 本当にそうだよね。 人間って色んなアスペクトがあるじゃん。 労働者であり、消費者であり、生産者であり、市民であり、女であり、男であり、恋人であり、パートナーであり、友達でありってさ。 本当にキラキラな多面体だ。 仕事をしている自分だけが自分じゃない。 人生って考えた時に労働者でいる自分は、他の自分のアスペクトより重要だろうか? これは仕事を始めたからすごくよく考える。

2009-11-21

選択肢はあるのよね

 さてさて親友オヤヤを授かった友人に「私達入籍もするよ。 アンナはどうするの?」と言われて、結婚の話しをした。 

 ニュージーランドでだと3つぐらい、連帯のための市民契約の方法がある。 一つは古典的な"結婚"、そして"シビルユニオン"、最後に事実婚(ディ・ファクト)。

 結婚は多分日本とほとんど一緒。 結構クリスチャンヴァリューが基本にある感じ。 適応するのは異性同士の人達。 結婚した男女は夫婦になる。 一緒に住んでいた期間とかは関係なく、ペーパーワークを完成させたら夫婦。 そして離婚に2年かかる。 その2年の間NZにいなきゃいけないとか色々あり、国際結婚 には向かない制度な気がするのであまり考慮にいれてない。 細かい事は知らないけど、なんとなく感覚として思うのは、古典的な結婚っていう制度は誰にとっ ても自分の母国のを使うのが有利だって事。 相手の国のそれでしてしまうと、それを解消する際にかなり不利になる。 「得する人、損する人」の配分方法が 圧倒的に保守的なので、自分がその国の保守的な意味での上位者とかじゃないかぎり、何かあった時にしなくていい損をさせられる気がする。 別に離婚前提で 考えている訳じゃないけど、なんかなぁ。

 シビルユニオン法は、パートナー同士は「連帯のための市民契約」をしている者同士として扱われる。 権利的にも内容的にも結婚と同じなんだけど、基本的 コンセプトが、市民同士の連帯なので宗教色とかがなく、別に性別も関係ない。 元々は同性愛者の子たちへ作られた制度。 私は同性愛者の友達も多く、彼ら が享受できていない権利を、たまたま自分が出来るからって使いたくないっていう発想がある。 「いやー、君たちはユナイトできないけど、私はできるからし てきて利益をもらってくるわ」ってのは友達としてどうだろうと思ってしまう。結婚したくない理由の一つはそれなんだよな。 なのでシビルユニオン法に対し てサポーティブだ。 せっかくある多くの人に開かれた制度で、無くなってほしくないので、もしニュージーランドでペパーワークを使ってユナイトするとなっ た場合は、一つのステイトメントとしてこれを使うのもあり。

 最後に事実婚。 これが一番地に足が着いたプロセス。 ペーパーワークよりも、それまで一緒に過ごしてきた日々の日数や、共有したりしている物事から判 断される。 こちらでは結婚していなくても一年以上同棲している場合、法的いは結婚している人達と同じ権利がそのカップルに与えられる。 この制度の利点 はユナイトしている状態を解消した際、慰謝料や財産分与が"離婚"と同じカテゴリーで行われる。 大抵一年以上一緒に住んでいたら沢山の物は共有になって いるし、よっぽどクレバーにそれまでやってないかぎり、ごちゃっとするのは当たり前。 そういう際に一人が大きな損をさせられたりしない為にかなりいい制 度だ。 同棲(事実婚)をしている人達はパートナーと呼ばれる。 法律的には今の私達のがこれ。 ただ精神的には相手とそこまでお互いの人生を重なり合い 離れないものとは思っていないので、事実婚をしているとは宣言しない。

 今のパートナーともし将来的にユナイトするとしたら、その時は相手がイギリスとニュージーランドの二重国籍、私が日本国籍なので、その三つの国のうちのどれかの制度を使う事になる。 

 まあ、とりあえずこういう事って本当に所変わればだよね。 そこのお国柄がすごく出ている。
  
 そんな事を、親友と話した。 私からすると彼女達のやり方って理想的。 一番自分にとってナチュラルなプロセスだな。 彼女達は何年か同棲していて、両方の家族とも仲良しで、そして赤ちゃんを授かった。 そして日本の場合は、子供に有利な社会条件を与えようと思うと親が結婚しているのが一番なので、結婚する事にした。 私は法律なんてその程度の物だと思っている人が好きだ。 

 意地悪な考え方なのかもしれないけど、ナイーブに「結婚したいっ結婚したいっ」って言っている人を見ると、その時点で大切なものが見えてないからダメな気がしちゃうんだよね。 その古典的なファンタジーにのまれている時点で、どっか信用が置けない。 その時代錯誤というか、古風というかな考え方に、「お育ちのよろしい事でよかったね」という感想も持つ。 同時に何歳になってもただのお育ちのよろしい子供でいても人生愉しくないのではないかと思ってしまう。

 現実的に人と一緒に住める能力と、お互いにきちんと働きかける姿勢と、日々深まっていく愛情と感受性がお互いの間に詰まっていているって実感があれば、そんなディズニー映画みたいな事はいわないよなあと思う。 ちゃんとやる事やってりゃ舟は進む。

 

ベイビーラッシュ

 最近私の親友に赤ちゃんが産まれた。 ミュゼット・デェジタール・ミルキーちゃんというお名前。 妖精さんのようなお名前の女の子だ。 ものすごく柔らかそうで、ほっくりした赤ちゃんで、写真を見ただけで私はとろけた。 「でかしたぞ!」と親友を誉め讃えた。

 そして昨日、もう一人の親友からもおめでた速報が、お腹のスキャンの写真と一緒に届いた。 涙が出そう。 すごい嬉しくて、速攻で電話をして「人生で一番嬉しいニュースだった」って告げた。 大げさじゃなくてね、結構心底そう思ったんだよね。 

 カイ君、アイリスちゃん、ミュゼットちゃんと、親しい身内のような友達の間に新しい人達が加わってきている。 何年か前にはどこにもいなかった、本当に新しい生命。 キラキラのピカピカの子たちだ。 生き物が新しい生き物を産むって言う、こんなに当たり前で平凡な事が、実は、少なくとも私にとって最もなんだか半端無く素晴らしく感動的な事だ。 自分がアンナおばちゃんになれるのがとても嬉しい。

 そんなこんなで大興奮しながら親友と電話で話し込んだ。 彼女のパートナーの興奮している声も聞こえて、ハッピーな空気をお裾分けしてもらった。 

 (赤ちゃんの話しとは関係ないんだけど、彼女と彼は、今年の正月に私の実家に遊びにきてくれた。 そして彼は影で我が母に「イケメンっ。 やっぱ土地持ってる子は笑顔の輝き違う。 おおらかさを感じるわぁ。」ととんちんかんな誉められかたをされていた。 私は本当にイケメンってことばを使う人がこの世にいたこと、それが我が母だった事に軽い衝撃を受けた。)

 いやーそれにしても、こらから私達の毎日はどんどん楽しくなっていくね! でかしたーーー!! 大吉ーー!!

 隣の芝は青いので、その晩私もパートナーに「赤ちゃん欲しい!! 赤ちゃん欲しい!! 今すぐ産みたい! 今すぐ授かろう!」とじゃれついた。 「アンナちゃんは本当に無い物ねだりだ。 今例えば君のキャリア重視系の男友達に電話したら、十分後には"私、あんたと今すぐ別れて、キャリアを積む為の修行巡礼に出てくる。 さいなら。"ってなるんだ。」と笑われた。 前科山積みの私は「ごもっとも! ごもっともですダーリン」と大笑い。 いやー、影響されるよね。 あっはっはー。

2009-11-20

Feta stuffed lamb burgers with mint yoghurt sauce

Servings: 2
Preparation Time: 30 min
Cooking Time: 10 min
Level of Difficulty: Moderate

Give plain beef burgers a makeover! These Greek inspired lamb burgers
are seasoned with salty feta then topped with a garlic and mint
yoghurt sauce for zing.

Ingredients
250 g extra lean lamb mince
1 individual shallots, peeled, thinly sliced
1.5 clove garlic, crushed
1 tbs fresh parsley, (plus 2 tbs fresh oregano), chopped
1/2 tsp lemon rind, finely grated
1/2 tsp ground cumin
1/2 tbs vinegar, (sherry)
30 g feta cheese, crumbled
1 serve egg white, (1 egg white)
100 g skim plain yoghurt
1.5 tbs fresh mint, chopped
2 small wholemeal pita bread
1/2 medium tomato, sliced
1/4 medium onion, (Spanish), thinly sliced
1/4 whole capsicum, (yellow or red), deseeded, thinly sliced
Instructions

* Combine lamb, shallots, 2 cloves garlic, fresh oregano, parsley,
lemon rind, dried oregano, cumin and vinegar until thoroughly
combined. Season well with salt and pepper. Add feta and egg white and
mix to combine. Shape lamb mixture into 4 patties. Place on a plate,
cover and refrigerate until ready to use.

* To make yoghurt sauce, place yoghurt, mint and remaining garlic
in a small bowl. Stir to combine and set aside.

* Preheat a grill over medium-high heat. Add patties and cook
without moving for 3-5 minutes. Turn and cook for a further 3-5
minutes or until cooked through. Repeat with remaining burgers if they
do not all fit on grill pan at once.

* To assemble burgers, slice each pita in half horizontally. Place
a burger on one half and spoon over 2 tablespoons of yoghurt sauce.
Top with tomato, onion and capsicum and remaining pita half. Season to
taste with salt and pepper.

Notes

* The patty mixture can be made a day in advance and stored in an
airtight container in fridge. Any leftover cooked patties can be
stored in fridge for 1-2 days and reheated in microwave. Add some
mixed salad leaves, cucumber slices or grated carrot for extra crunch.

2009-11-17

ローストチキン

 女の子なのでたまに仕事帰りとかに産婦人科に検査に寄る。 そういう日は、連れ合いがごちそうを作って家で待っていてくれる。 どんなニュースが食卓にきても、とりあえず美味しいご飯があるだけで素敵な時間になるので。 なんでなんだろう、頭では特に自分の体に問題は無いだろうって分かっていても、それでも病院って行くだけで肝が若干冷えるよね。 そんな時はごちそうが一番。

 今回はローストチキンだった。 ハチミツとマスタードとハーブがたっぷりのソースがかかっていてすっごい美味しかった! 一緒にローストした野菜もたっぷり。 全部私の好きな野菜。 いい子だぁ!! 

 デザートは、ナツメヤシのソースがかかったロールド•オーツ(燕麦)のケーキだった。 ヒマワリの種とかもいっぱい入ってて本当に美味しい、幸福な味。 いいめにあわせてもらえたので、恩返しとして、私は次の日のおやつ用にブルーベリーの蒸しケーキを作った。

 帰りが遅くなる時は、どっちかが一人で料理する事が多いけど、大概は二人で料理をしている。 一緒に料理したり、ケーキ焼いたりするのって、結構最強のエンターテイメントだなって思う。 作ってる間は良いコミュニケーションが取れるし、出来上がったご飯は美味しいし、一緒に食べたら楽しいし。 お料理って全体的にとてもいい。 リレーションシップにブーストがかかる。

 仕事から家に帰って、一緒にケーキとか焼ける相手がいてよかった!ってのが今のところ人と暮らす喜びの実感できている中で一番おおきいのかもしれない。

2009-11-14

どこに住もうか

 さっき散歩している時ふと、住んでいる町に恋に落ちていないと結構人生が寂しいなあと思った。 オークランドに引っ越してきて、9ヶ月たった。 まだなじめないし愛着もわかない。 どっかぴんとこないんだよね。 

 これまでも住んで一年以内に新しい町に愛着を持ったことがないから焦ってもしょうがないのだろうとは思うんだけど、もしかしたらどれだけ住んでも、何も感じない町なのかもしれないとも思えて、むむむと考え込んでしまう。

 家人と喧嘩をし、悲しいなあととぼとぼ公園を歩いているときに、結構考えた。 ウェリントンでは好きな人とかと喧嘩をしても、町は美しかったし、目の前の景色は奇跡みたいだった。 悲しいことがあっても、抱かれている感覚があったし、どこかは徹底的に美しかった。 こっちではそういうのはなくて、ただドライで不細工な町並みが続くのみだ。

 なんだかなあ…、なんだかなあ…って思ってしまうのよね。 せめて住んでいる町には癒されたい!!

 

2009-11-13

Love will tear us apart



名曲すぎなので、会社でずーっとリピートで聞いている。 くはぁ!!

途中であぁって涙が溢れる。 じわっと出てくる。 不思議だ。 心が震える。

2009-11-12

お買い物、お買い物。

日本に住んでいないので、実際中ではどういう感じなのかってのは分からない。 でも去年の年末とかネット上のニュースで見る日本は、消費者が消費者としての倫理観や義務感を持つ事を放棄しているように見えた。 (放棄しているのか、それ以外を知らないのかは分からないけど。) 「明らかにこれは搾取行われまくってるでしょ…」って値段のプロダクトを買いあさっている消費者の姿が「こんなに値下げが出来るクレバーな会社」っていうメッセージとともに報道されていたし、企業側に何かの落ち度、「偽造」とかってのがあると鬼の首を取ったかのごとくハイパーにリンチしていたように見える。 そりゃ偽造した企業も悪いけど、でもそれよりもそもそも市民に、市民として消費活動を行う為の倫理観やら教養やら、他者に対する想像力が欠けている事が問題なんじゃないかと思えてならない。 

どうして一部の国の人達には他の国の人達と比べて、消費活動に関する情報が著しく伝えられていないのだろうと考えると、なんかどっかで誰かがかなり意識的に口をつぐんでいるんだろうって気がしてしまう。 そんな事を下の記事を読みながら考えていた。

別に完璧に激しく倫理的に行動するべきだとかとは思わないけど、ちょっとは考えたいし、他の人にも考えてほしい。 お金を使うってのはすごい事で、良い意味でも悪い意味でも自分の住んでいる世の中にインパクトを与えるんだって事をもっと肌身に感じよう。

greenz.jpサステナブルコミュニティ 草食系消費者の国、ニッポン?32カ国を対象にしたCSR意識調査を発表
http://greenz.jp/2009/11/09/international-csr-survey_ntt_data_smith/;

jin kuramoto: tea set

倉本 仁さんの新作が素晴らしい。

製造工程も含めて一気に見る場合はコチラのリンクから→jin kuramoto: tea set





























物欲刺激されたわ!

2009-11-11

ギャングスタなシューズ

ここ5年ぐらい欲しかったタイプのスニーカーを手に入れた!




 






キュンキュン。 これはいていっぱい歩くのだ。

マラソン熱

 最近ジョギングを初めた。 目指せ市民マラソン。 むくむくと「気持ちよく沢山走れたら、どれだけ素敵だろう!」っていう思いがつのって、連れ合いや同居人達に習い始めた。 れぃちゃんの日記にも、マラソン大会に出たって話がのってた。 やっぱ流行ってるよね。 やっぱ、なんとなく「いっぱい走りたい!」っていう熱があるわよねっ!

 今日も走るぞ。

2009-11-10

Why なぜに?

茂木健一郎氏、所得4億無申告…印税や出演料など

 脳科学者の茂木健一郎氏(47)が東京国税局の税務調査を受け、2008年までの3年間で約4億円の所得の申告漏れを指摘されていたことがわかった。

 3年間に著書の印税や講演料、テレビの出演料などの収入があったが、一切申告していなかった。無申告加算税を含む所得税の追徴税額は1億数千万円に上るという。茂木氏は期限後申告に応じて、既に無申告分の納税を済ませ、近く無申告加算税分も納付するとしている。

 茂木氏の説明などによると、茂木氏は06〜08年、「ソニーコンピュータサイエンス研究所」(東京)のシニアリサーチャー(上席研究員)としての年間約1000万円の給与所得のほか、著書の印税やテレビの出演料、企業や大学などの講演会の講演料など4億円近い雑所得があった。

 茂木氏は、給与所得と雑所得を合算して納税額を確定させ、居住地の税務署に確定申告する必要があったが、06年から08年まで全く申告を行わず、源泉徴収分を除いた所得税1億数千万円を納税していなかった。銀行には数億円の預金があったという。

 茂木氏は、著書が売れ、メディアにも頻繁に登場する一方で、確定申告をしていなかったことから、2〜3年前に税務署から申告を求められたこともあった。それでも申告を行わず、税理士に税務処理を依頼することもなかったという。

 無申告加算税の税率は、過少申告加算税(10〜15%)より高い15〜20%と定められている。

 茂木氏は、東大理学部物理学科と同大法学部を卒業した脳科学者。「脳を活かす勉強法」「ひらめき脳」など多数の著書があり、テレビ番組のキャスターやコメンテーターとしても知られている。
(2009年11月10日03時12分 読売新聞)



どれだけ勇気があるのだろうか。 これってなんか彼の政治的なジェスチャーなの? 反抗児? 何かの主張なのか? 奇妙だ…。 わっかんねえー。 

2009-11-09

Hausu

友達に見てみたいとせっつかれている。 字幕版とかってどこで手に入るんだろうか…。




2009-11-06

赤ちゃん登場

 親友がつい先日無事始めての出産をした。 外の世界に出てきた子は女の子。 

まねしっこ

 まねしっ子ってのは平たく言うとつまらない存在だと思う。 まねするよりももっと他にやる事やら、やれる事やら、やりたい事があるだろうと思ってしまう。 迷っている時に目の前に自分の好きなスタイルとかがあったら、影響されたりまねしちゃったりするのは分かるけど、でもそこでそっちに走っちゃうのって、迷走をより深めてしまうに過ぎないと思う。

 日本の建築やデザインは基本的にはとても面白いと思う。 デザインでも建築でも似たような物が一気に怒濤の勢いで様々な人達から生産されるのは、「時代の空気」とか潮流やらムーブメントってやつなのだろうか。 それともただのまねしっこの仕業なのか。 「っっえええーーー?なんでこんなに似ちゃうの?」ってレベルで同じような物をモブ達(100人中95人の人達)が作る。 どう考えてもラディカルさ無し。 ラディカルな建築家に憧れるのは分かるけど、彼らと同じような事をしてもその人自身は絶対にラディカルになれない。 根本的な要素は努力もせずに憧れている人の努力して得た特異性を流用しているだけだから。 せっかく誰かのラディカルさに憧れているのに、真逆な事になっている。

 一つの視点やスタイルが流行るとみんなでまねしてしまうっていう悲しい位の、「流行にのらなきゃいけない」っていう切迫した感じがあるんだろう。 「おいおい、大人なんだからそんなに露骨な事すんなよ。 落ち着こうぜ。 自分が損するだけだよ。」って言葉を掛け合いたいよ。

 そんな事を、あまりにも「これはねえだろっ」っていうレベルのまねをしている人の作品を見て思った。 もっと自分自身の、そして他の人の個性とか特異性を尊重してあげれば良いのに。 自分の性格とか個性とかをもっと尊敬してあげれば良いのにねっ!! そしてやっぱり簡単にまねしっこに自分がならないように、きちんと勉強しようと思わさせられました。 名作の模倣からは良い練習方法だし、いろんな事を学べる。 ただ、限度があるよね。

2009-11-04

自分の事を沢山考える事

 最近一部の友達との関係がめんどくさくなってきた。

みんなで料理

 私の今の家は本当にボロい。 かっこ良く言えばグランジ、正直に言えば「おかーさーん、この家人住んでるの?」「っし、大きな声だしたら聞こえるでしょ。 住んでるわよ、電気ついてるもん。 そうだっ、悪い事したらこういう家に吸い込まれちゃうんだからね!! いい子にしてなさいよ。」的な家。 幽遊白書とか、ジョジョとか、そういう往年のジャンプ作品に出てきそうな怖い家、それが我が家!

 私、これまで結構美しくてロマンティックな家に、ちゃらちゃらしたメトロセクシュアルなウエリントン出身の子たちと

2009-11-02

チェリーブロッサム

 家に帰ったら、机の上に桜がいっぱい落ちていた。 連れ合いが花泥棒をしてきたようだ。 キュン! ベッドの枕元に飾る。 はるだわ。






 




すかのさん、さすがです。

友達のつぶやき、「人の一生はぞっとするくらい長いけど、家族や大切な人と一緒に過ごす時間と考えるとあまりにも短すぎる。」にぐっとくる。

あと、「
20代前半を若いとかは言わない!私の中で若いのは17歳まで。」これもごもっとも。 さすがです。

 毒々しいけどでも読むのが止められねえグルルルルルルル…と獣のように、旧友スカノのtwitterを読み漁る昼休み。 セックス関係のつぶやきがすごく良い。 会社の昼休みに読むのに、もっとも適したけだるさ=人妻のエロス。

2009-11-01

色町

 前私が住んでいたストリートはカラフルだった。 ニュージーランドで一番栄えている繁華道、Queen streetの一番てっぺんに交差している道-Karangahape Roadはこの国で一番古い性風俗通り。 繁華街→芝居街→風俗街→売春街と奥まっていくと深まっていく色彩。 その最も奥まった場所に住んでいた。 それはそれは濃厚。 バス停に24時間座っているメンバーが一緒系の場所だ。 いつも同じ売春婦とピンプとホームレスがずーーーっと覚醒剤で完全にラリってそこに座って各々の客引きをしている。 そんな一角に住んでおりました。

 せっかくなので近所のレポートでも。
 
 まず、最も奥の奥から。

 ニュージーランドでは売春が合法で、ちゃんと売春婦協会のようなものもある。 でも勿論キリスト教原理主義の人達やらは、積極的に売春を嫌い何としてでも止めようと思っている。 なのでそういう人達は道端に車を止め、ずっと見張っている。 女を買う男たちは車で道端をゆっくり走り、売春婦を品定めするので、車のナンバーをメモり、その人の家族や仕事場に証拠写真を送りつけるんだそうだ。 多分産婦人科の前で「人殺し!!」と叫んでいる人達の派生だろう。

 私の家の周りを縄張りとしている売春婦たちはファファフィネがほとんどだった。 ファファフィネってのはポリネシア系の(主にサモア)出身のトランスジェンダーの昔は男の子だった女の子達だ。 どんなに寒い時もほとんど裸って位の露出でずーっとうろうろしている。 なんでこのグループの人達の縄張りなのかは謎。 サモアの教会が目の前にあるから? 彼女たちは酔っぱらっているし、覚醒剤でぼんやりしてしまっていてもう全く訳が分からない。 体中訳の分からない痣とか、虫さされの跡とかがあって、なんとも言えない気分になる。 ただじろじろ見てるとめちゃくちゃな絡まれ方とかをするので、見て見ぬ振り。 こんな地域に公衆トイレがあったら勿論中で人が死ぬに決まっていると言う事で、ここのエリアにはトイレが無い。 なのでたまに自分の家の駐車場とかで用を足そうとしている不届きものがいるので、そういう時はさすがにこっちも「ここはトイレじゃねえ!!」と怒鳴る。 それか家の真横にある売春婦協会に告げ口に行く。 今思うとすげえ所に住んでたな。

 どんどん繁華街に近づいていってみる。

そうすると次はアダルトショップが軒並み並ぶ。

ゴシック

家人大絶賛のニューヨークのバンドExtra Life. 「なんて美しく歌んだ」と感動しきっていた。 確かにちょっとThe Smithっぽい感じがして良いかもしれない。 

こういう音楽はゴシックとカテゴライズされたりするらしい。 一緒にいる人が絶賛していると、どっか素晴らしいんじゃないかって気がしてくる。





でも、ちょっとロマンティック過ぎる? それをゴシックと呼ぶの?

2009-10-29

無人島 お茶の時間

 とても幸せそうなオーラを出して、おじいちゃんおばあちゃんが崖っぷちの茂みに隠れながらお昼を食べていた。











 彼らの見ている景色を後ろから撮影した。 私も年をとっても無人島散策とかをして、夫と景色を眺めながらお茶を飲んだりご飯を食べたりしようと決めた。

我が寝室

私の寝室には、奇妙なほど楽器があります。









 ドアを開ける度に何かをひっくり返すのではないかとヒヤヒヤする。 ドンガラガッシャンってなるのが怖い。 まだ数えてないけど、パッと見ただけでも、アコースティックギター二本、エレキギター二本、ベース一本、ドラムセット、太鼓数個、キーボード、予備のキーボード、ヴァイオリン、トランペット、そしてアンプ数個とギター弾く時に足下に置いておいて、踏むやつ(なんなんだ?)がこの部屋にはある。 ドンガラガッシャンとしてしまうリスクがとても高い。

この楽器の持ち主は、この家の住人達とバンドを組んでいる。 全ての部屋にこれぐらいの勢いで音楽関係の何かがあるこの家は、音楽に対して素養の無い私にとってはほとんど異国。

この間無人島に行った日、彼らはギグがあるので朝までクラブで演奏して、遊んで、DJまでして帰ってきて、それでも朝八時に起き、ヴァイオリンの練習をし、朝市に出かけ、そして無人島で走り回っていた。 そして無人島ではずーーーーっと歌っていた。(私はこの時点でギブアップ) それでも足りなかったらしく、次の日に自転車で160kmのクロスカントリーをし、またその次の日にサーフィンやらウィンドサーフィンをしていた。 そしてその間にヴァイオリンの練習やら学業やら仕事(みんな工学関係の人達で呆れるぐらいにガリ勉理系)をしていた。 これまで私は詩的な人間たちとデザインやらアートやらをやり過ごしていたので、この怒濤の体力におったまげる。 やっぱこれぐらい体力無いと、楽器とかってひけないのだろうか。 分からん。 

光の祭り

 10月末から11月初めのインド歴の第七番目の月の初めの日は、インドの暦での新年らしい。 その日はディーワーリー(光の祭り)とされ、どんちゃん騒ぎ。

 ウェリントンでもインド人コミュニティーは他のエスニックと比べて大きな方だっけど、オークランドだと巨大! もう、本当にインド系の方々ばっかり。 直接インドから移民してきた人達もわんさかだし、フィージーなどを経由して来た人達もいる。 わんさっか。 わんさかわんさか。 だからお祭りの規模もでかい!

 私の職場もITとかソフトウェアデベロップメントとか会計とかそういう数とか計算とか関係している役職は皆一様にインド系の人達だ。 よって社内の菜食主義者ボリュームが非常に大きく、会社内での会食のときは、最も戒律が厳しい宗派の菜食主義の人が食べれるカレーを出している。 ものっすごい美味。 東洋人も西洋人も中東人もポリネシア人もみんなして、メチャクチャ質素な菜食カレーを食する我が社。 合理的。 

仕事柄彼らと一緒にやる事が多いので、毎日地球の秘境、世界の神秘、宇宙と最もダイレクトに繋がっていそうな文化の人達の伸びやかで健やかな個性に常に感動させられている。 「そんなに頭よくてすごいね。ほとんど魔法。」としみじみと言うと、「日本文化は高貴、インド文化は神秘」とみんな判を押したように言ってくる。 これは有名なフレーズなのだろうか…? それともうちの会社内だけで言われている事? これは友人の母上の名台詞「韓国には事故がある、日本には事件がある」以来の麗しい偏見だと、一人気に入っている。

 さて、そんな私の職場のカレー自慢はさておき、私は更なるカレーを求め、ディーワーリーフェスティバルに行ってきた。







 港で行われたんだけど、混み混みで海に落ちるかと思った。
 









屋台がずらーっと出ていて、食べ物とか飾りとかがいっぱい売ってる。 「これでもかっ」ってぐらいな密度でせめて来る感じがたまらない。 ものすごい濃いマンゴーラッシーを飲みながら、この飾りを見つめていると、禅寺しか無い街鎌倉出身の私はふと意識が遠のく。 次の超大国と言われるインド及び中国の共通点は「密度」だと思うのですが、彼らが時代の雰囲気をリードする時にデザインはどう変わるのでしょうか。 CADでこの密度を書き出すのは至難の業だぞ。 きっと面白いことになる!  あと、インド料理で使われている調理道具は本当にエレガントで美しい。 調理道具って多くの場合その地域の理想とされる美意識を表していると思う。 非常に彫刻的。 














 これは、私の偏見なのかもしれないんだけど、インド文化圏出身の方の腕組み率は非常に高い気がする。 いつもインド人に囲まれる時にそう思う。 統計とかどっかにあるんだろうか。 新年のお祭りなだけあり、みんな綺麗な格好をしていて好感度高し。 綺麗。

 





















 ボリウッドコンペティションみたいなのも行われていた。 みんな踊りまくっていた。 インド系の芸能人の人達が司会をしていて、勿論英語で行われているんだけど、多分インド人界隈で喋られるような言説をただ英語で話しているだけで、結果リアル字幕的な感じになっていて面白かった。 リアクションとかジョークとかユーモアとかが全然違い、意味としては英語だから分かるんだけど、でもメッセージは心には響かない不思議な時間。 やっぱ文化背景が違う人達のユーモアって、よっぽどの笑い好きか笑いのつぼがゆるい人にしか響かないわよね。 周りがどっかんどっかん笑っているのを横目に「っど、どこが笑うところだったのだろう…?」となる。 ちょっとハードコアなセクションでこのエリアはインド系の人達が多かった。







インドと言えばな、紫スーツ+巨大な襟のシャツを発見した時はうれし泣きしそうになったよ! こういうところで買えるのね。 この嬉しさは大阪のおばちゃんの服にスパンコールの動物が本当についていた時に近い。 あとちょっとで買いそうになった。