2009-08-31

mischievous

 今週は、友達がオークランドに遊びに来ていました。 なので一緒に遊んですごく楽しかった。 一人は大学で研究助手をしていたときのボスで、もう一人は彼の伴侶。 彼らと私の縁は深く、長い。 私のボスは私と同い年のイギリス人なんだけど、もう大学で専任の講師をしている。 大学から出る予算を使いまくり、研究しまくりな商魂たくましいご立派なお方だ。 そんな彼と私のご縁は十年前のイギリスまでさかのぼる。 当時の私は彼の社会学のプロジェクトの為に研究されていた。 勿論お互いニュージーランドの大学でそのときの相手と再会するとは思っておらず、友達になった後で気がつき腰が抜けるほど二人して驚いた。 「ああああ、あのときのお前か!!」って話だ。 世界って狭い。 そしてご縁って深い。

 そんな彼はたまたま日本の景観の研究をしているので、助手になり、大学時代は二人きりの研究室ではっちゃけた自転車操業をしていた。 そして休みになるといつも一緒に日本に帰り、日本で建築・景観フィールドワークをして、すごく楽しかった。 そういう特別な友達。 

 彼の伴侶はブラジル出身、イタリア在住の建築家だ。 私たちが大抵ニュージーランドか日本にいて、彼はヨーロッパかブラジルにいるので、会えなさそうな感じがするけれども、実際はかなり会っている。 今年だけでも正月を一緒に日本で一ヶ月過ごし、三月、五月、八月と会っている。 計四回。 多分、ニュージーランドに住んでいる友達よりも会っている。  会うたびに、サイトが違う。 日本であったり、ウェリントンであったり、オークランドであったり。 あっはっは。 エアマイル貯めまくりな、ジェットスターな交際。 やっぱやる気ある人の人生って違うわ、見習わなきゃいけんと思うわけだ。

 さて、そのブラジル人の子と私で、イギリス人の彼にちょっと意地悪するのが流行っている。 アクセントをからかったり、若干カクカクした動きをするイギリス人のマナーイズムを、ロボットダンスでからかったりする。(ロボットがキドニーパイを食べる姿を二人でハーモニアスに演じるのが楽しい) ちょっとマゾっけ入っている彼は意外と喜ぶ。 「やめてよー」っていいながらもうれしそう。 かわいいやつめ。

 家に帰って、家人に「いやー、彼らと遊ぶのって最高だ。 最高のボーイフレンドだわ! キドニーパイを食べるロボットのダンスをしたの。」と言って、「しょうがないからやってあげるよ」と頼まれてもいないのに勝手に演じ、途中で一人で我慢ならなくなり、なくまで大笑いした。 その一連の私の奇妙なる行動を眺めていた家人は、「幼稚園生みたいだ…」とつぶやきながらお茶を入れていた。 そんな彼も実はイギリス人。 若干ロボットダンス系の動きをする…。 くふふふふ…。 いじわるな心がむくむくと膨れ上がるよ。 けけけけけ…。

2009-08-30

ケルベロス

 私は、人々に「アンナの面倒を見ているのは自分だ」という印象を与えやすいのだと思う。 しっかりしていないし、自堕落だし、とんちんかんだしで、周りの心ある人々のボランティア精神を爆発させるのだと思う。 みんなして「私/俺のおかげで彼女は大学を卒業できた」と思っている。 実際かなりお世話になったから否定はしないけどさ。 様々な人に餌付けされてここまで育った。

 高校生の頃の友人からすると、「遠い異国から来た転校生」という初対面の時の印象が強すぎたらしく、今でもほとんど介護っていうレベルで面倒を見てくれる。 もう出会って九年近く経っていて、転校した高校も卒業し、それどころかみんなして大学も卒業しているのに、いまだに私の取り扱いが「トースターからパンをとるためにナイフを入れて感電しそうになった外国人児童」から抜け出していない。 多分、これは外国からの転校生割引に私の元来の自堕落さへの心配が加算された結果なんだろう。 みんな本当に優しい。 

 って事で高校生の時からの友達は半端無く優しい。 会う度に「どうだ、最近ちゃんと誰か面倒を見ていてくれているか? オークランドはお前に優しくしてくれているか?」とか、「今度誰々にお前にご飯を食べさせるように頼んでおいた」的な事を言われる。 

いつかは農家になりたい

 六年前、美大に行くか農大に行くかの選択をした。 その時はのりで美大に行ってしまったんだけど、最近やっぱりいつかは農家になりたいと思うようになってきた。 今すぐにっていうのは無いんだけど、ある程度の年になったらじいちゃんばあちゃんの農家を継ぎたい。

 

2009-08-29

P

 最近の日本のニュースを見ていると覚醒剤と政治の話しが多いね。 政治と薬物の夏だったのね。 そもそも覚醒剤って何だと思って調べてみたら、ニュージーランドのスラングでPと呼ばれている薬物の事だと分かった。 こっちでも結構ヒヴィーにP中毒になって人生を貴重な時間をロスしている人達がいる。 

 フラットメイトの親戚に覚醒剤に依存してしまい育児放棄をした人達がいる。 今その男の子は五歳で、よく私の家に遊びにくる。 彼の母親は、子供が産まれてからすぐにP依存になってしまい、育児拒否してしまったそうだ。 それで父親の方に子供が譲られたんだけど、父親も同時期に薬物中毒になってしまった。 なので、母方、父方両方の祖父母でその子どもを育てている。 子供は日常的に一緒にいる人(親や、親代わりの人)達だけでは育たないというのを最近実感する。 子育てをしている人達に休息を与えないと、育児経験も幼児体験もやつれたものになってしまう。 特に、高齢で孫育て+薬物中毒の実子の面倒を見ている+自分の仕事っていう立場は酷だ。 なのでフラットメイトがその子どもを週末に預かったりしている。 

 私と私のパートナーは結構子供好きで、そしてその子の親世代だと言う事もあり結構なつかれている。 彼がMacで作業中の私の膝の上に座り、私がしているデザインの仕事を眺めたり、一緒に図書館やらに行って遊んだりしている。 ものすごく可愛い。 そしてこんなに小さいのになんて大変なシチュエーションにいるのだろうってことと、こんなに可愛い子がいても抜け出せない中毒にかかっている彼の親の事を思うと悲しくなる。 可哀想だと思う。

 最初祖父母達は、薬物中毒になっている彼らから親権を取り上げたら、事の重大さに気がつき、彼らが薬物依存の状態から抜け出せるのではないかと思ったそうだ。 でも結果として、中毒ってのは意志の力でどうなるってのもではないから中毒と呼ぶのだという当然の事実に向き合わなくてはいけなくなった。 罰っせりゃなおるって話しじゃなくて、彼らには治療が必要だ。 話しを聞いていると、悲劇とか、悲惨って言葉しか思い浮かばないような状況になっている。 本当に薬物って怖い。 彼らだって、望んでこんな状況になっているんじゃない。 理性とか意志の力ではどうにもならない状況に、ものすごいスピードで突入してしまうのが薬物の怖さなのだ。 頭で分かっててもどうにもならない状況に人間を追い込む。 一度そういうステージに入ると、体も自尊心も社会的状態も、泥沼のようにメルトダウンしてしまうようだ。 どうやったらその地獄から本人達は救済されるのだろうか…? 

 そして大人が薬物中毒で大変だってのと、同時並行で子供の人生も始まっている。 親が大変だったから子供が不幸になったってのは、本当にそれこそ救いが無さ過ぎるので、まわりの大人で出来るだけ幸せな人間になるようにとやっている。 親の問題は親の問題、子供の問題は子供の問題と切り離して考えていいのかは分からないけど、悩んでいる暇はない。 子供はそうこうしている間にも毎日成長していくから。 
 
 私がこの子にしてあげられる貢献はなんだろうかと考えた時に、私が見せてあげられる世界は多様性だと思った。 この子の友達になって、色んな物を見せてあげたいと思う。 世の中には面白いことが沢山あるのだってのを知ってもらいたい。 そして選択肢も沢山あるのだとうっすらとでも良いから覚えてもらいたいと思った。 多分、これが私自身が親からもらった大きな価値観なんだと思う。 パートナーも似たような事を考えたらしい。 彼がこの子と遊びながら「これだけは覚えてもらいたいっ」って思う事が、実は親や周りの人がその姿や生活の仕方から伝えてくれた事なのだと気がついてはっとしたと言っていた。 親の存在/影響の大きさを知る。 複雑な気持ちになる。 

 でも子供の前で複雑な気持ちになっている時間はなく、一緒に本を読んだり、チャラチャラ一緒に歌を歌ったりしている。 最初彼が育児放棄された話しや、虐待された話しのディテールを聞いた時、まだ体に膝の上に座って私のデザインの仕事を見ていた彼のぬくもりとかがあったから、めちゃくちゃ悲しくなった。 なんて悲しいのだと思った。 ただ、彼と遊んでいるうちに、「この子はこの状況の中での希望なんだ。 そしてほとんど唯一の輝ける喜びだ」と思うようになってきた。 彼は悲しくない。 悲しいけど、それでも彼自身は慶ばしい。 

 どんな状況で私とこの子が出会う事になったかってことはさておき、私はこの子にあう度に、すっごい沢山の快をもらう。 この子の存在はすごいプレゼントだ。 この子が幸せで満ち足りた人生をおくれるようにと強く願った。

 こういう近所で子育てって感じは、ニュージーランド独特のものなのかもしれないけど、結構よくある。 前のフラットでは、母子家庭で育っている男の子を週末に預かるビックバディーというプロジェクトに参加していた。 ただ大人の男と子供の男でつるむ+母親に休みを与えるっていうプロジェクトなんだけど、こっちの男の人達は結構多くが参加している。 私も女なんだけど混ぜてもらいよく一緒に遊んだ。 結構普通にこっちも楽しい。 子供と時間を過ごすのは楽しいよな。 巡り合うきっかけそのものは悲惨な事であれ、いや、だからこそ余計に、こうやっていろんな人が出会えるように社会が組まれている事に感謝した。 少しでも貢献できる、何かをしてあげられる、何かをしてもいいんだと思える事は力強い。

 フラットメイトとかがこういうアクティビティーに時間を使うようになり、本当に自分も歳とったんだなあと思う。 この子達自分の子供でもおかしくない年齢だもん。 子供のころ、まわりに風景のようにいた大人達っていう存在に自分もなっているのかと思うと、時間の流れを感じる。 ちょっとはしっかりしようと思わさせられる。

2009-08-25

ケイスケとパイナップル ミズホと彪

 日本の大学時代の友達ケイスケにアレクサンダーワンのワンピースを買って送れと頼んだら「無理です」とさらっと断られた。 でも働きはじめて半年経った事を丁寧に誉めてもらえた。 彼は偉い! 友達の人生に訪れている要所要所をちゃんと気にかけてくれて、色々と言葉をかけてくれて、そして色々と聞いてくれる。 君の存在こそがプレゼントだ!!!

 仕事を初めて半年過ぎて、リ・ブランディングと新しいプロダクトの発表会も終わった。 つい一ヶ月前ぐらいに「本当にこのプロジェクトが終わる日は訪れるのだろうか…?」と思っていたのに、気がついたら色んなプロジェクトが一段階終了していた。 不思議な気分だ…。
実際に手元にちょっとでも自分が関わった仕事が戻ってきた時に思わずぶわっと色んな喜びが胸に湧く。 なんかどっかワンダフルで、ファンタスティックな経験なんだよ。 そして前にも書いたけど、いろんな人にやけに感謝してしまう。

 ケイスケは間違えなくその中でも五本の指に入る、私の大切な友達だ。 彼の気遣いに感謝してもし足りない。 この半年間コンスタントに気をかけてくれて、色々と支えてくれた。 一番かけてほしい言葉を、一番いいタイミングで、日本からぽろっとメールやら電話やらで伝えてくれる。 私の永遠のミューズである彼の伴侶のミズホも含め、二人とも大好きです。 とてもとても君たちは良い感じだ。

 さて、思い起こせば六年前、私は真っ赤なアロハシャツを着て大学に行っていた。 オオヤマはオレンジのパイナップル柄のYシャツを着ていた。 ミズホは彪柄のスキニージーンズを履いていた。 みーんないつも髪型がどっか刈り上がったり、どっかが盛り上がったり、どっかが減ったりとへんちくりんだった。 よく呑んだし、よくご飯を一緒に食べた。 抽象表現主義以前の作家を全員小馬鹿にして、そしてアメリカ現代美術に魂の救済を求めていた。 そして三人ともけっこう真面目に身体表現史の授業では白塗りをして舞踏を池のまわりで踊ったりしていた。 良い思い出だ。 そう、私はこの二人をすごく良く知っているし、彼らも私を知っている。 女友達でここまで一緒に眠りまくったのはミズホぐらいだし、ケイスケとは東京にいる際、ワイン瓶と水一本づつとパン数個、果物やらディップやらを鞄に入れて、昼間っから東京中散歩して、酒と水をラッパ飲みしていた。

 一緒にいるといつも見える景色が美しくて、夕方になると一緒に過ごした全ての場所がダイヤモンドみたいにキラキラして見えた。 隅田川も、品川も、東京の奥まった住宅地も、いつでも最高に胸が締め付けられる景色だった。 ミズホととことこと歩いた路地裏や、ケイスケと散歩したオフィス街の色彩が私を励ましてくれる。

 そんな私達もついに、四半世紀生きてしまったようだ。 三人あわせると、76年! 歩ちゃん入れると、丁度100年! 四人で集まれば100年分の遊びの叡智。 多分私達、今スーパーマリオ並みに最強。 今年の年末のテーマはそれで行こうぜ。 ミズホ、ロンドンでいないから、スカノとかで代用してさ。 「百年祭」だ。 スカノが巫女で、私が牧童で、ケイスケが河童で、歩ちゃんが猫女で、なんか適当に祝し合おう。 


 そう、前置きが長くなったけど、どうやら今日がグループ最年少男子ケイスケのお誕生日なのね。 お誕生日おめでとう。 ミズホの誕生日も、ごめん、おめでとうって言い忘れた。 でもまだ十日以内だから許して。 ミズホもおめでとう!

 おめでとう! おめでとう! これからもいっぱい一緒に遊ぼうね! これからもずっと一緒にいてね。 大好きだから!

キャットレイディーとラビーズ

 私は猫に興味が無い。 実は今の家は2匹黒猫を飼っているけど、どっちがどっちなのかも分からないし、フラットメイトに餌をやっておいてと言われればやるし、猫の砂も変えるけど、本当に興味が湧かない。 名前すら咄嗟には出てこない。 これまでも何回か猫と住んだ事があるけど、仲が良かった事は無いし、こっちから触りに行った事も無い。 一匹の猫とは毎晩一緒に寝ていたけど、最後まで名前を覚えなかった。 連れ合いの実家にも猫が数匹いて、毎週末遊びに行っているけど、まだ一回もこっちから触った事が無い。 猫側から触られた事は数回あるけど、こっちからは何もしない。 それが私と猫の関係だ。

 猫が好きな人は猫眼があるようで、道端でもどこでも猫を発見する。 そして話しかけたり、呼びかけたり、触ろうとしたりする。 私は、人が猫を触って「アンナ、猫だよ」って言ってくれるまで、それに気がつかない。 猫はよく分からない。

 私の会社の先輩が中国へ三週間里帰りをして今日帰ってきた。 彼女はグラフィックデザイナーで私の直属の先輩。 ものすっごいキャラクターだ。 私は彼女ほど際立った個性の人間にこれまで会った事が無い。 大陸的とはこういう事なのかと思わさせるほどに、切れ味がよく、きっぷがよく、風通しの良い人で、良くも悪くも次元を超えて大雑把で、そして感情の触れ幅が激しく、面白い。 そして気が強い。 ものすごく面白い。 ワイルド アット ハートとでも言えば表現できるのかもしれないけど、本当に生き物として強いのだ。 

 そんな彼女はとてもとてもキャットレイディーだ。 離婚の際に「私の愛する生き物はこの猫達だけ!」とペットの猫に対する強烈な愛情に目覚めて以来、日々私からすると「そんな事思いつきもしなかった!」ってレベルで自分の猫を可愛がっている。 そして動物愛護団体にも入り、ヴォランティアで様々な動物に慈愛の手を差し伸べている。 

 今日久しぶりにあって、中国での話しを色々聞かせてもらった。 「最初の一週間は外国からの入国者ってことで(彼女はニュージーランドに帰化しているので外国人扱いらしい)新型インフルエンザ対策で隔離されたわ。 毎日ランダムな時間に衛生局から家にいるかっていう確認の電話がかかってくるのよ。」とか、「橋が壊れてたわ。 どっかーんと」とか、こっちからすると”やる事でかいね!”って話しの連発であった。 彼女のお土産のバカでっかいフガシを食しながら、ほうほうと話しを聞いていた。

 そして極めつけの思い出話が、「野良猫を撫でたら、噛まれたの。 そうしたら腕が腫れ上がって、変な赤い線が胴体めがけてブワブワブワーっと広がったのよね。 病院に行ったら、ラビーズに感染したって言われて、一週間今度は病院に隔離されて注射をうたれまくったわ。」だった。 最初、ラビーズという病名がぴんと来ず、またあまりにもカジュアルにその話しをする姿に疥癬かなんかに感染したのかと思った。 (疥癬もかかった友達曰く、地獄の苦しみらしいのでカジュアルな話しじゃないけど…) でも話しを聞いているとどうも狂犬病なので、ウィキペディアを見てみたらやっぱりどんぴしゃりで狂犬病だった。 「狂犬病かよ!!」とあわを食った私。 どこか遠くでの病気だと思っていた。 空港で警告を見るけど、まさかとなりの席のデザイナーが普通に感染するとは…。 のんきな私とニュージーランド人のデザイナー二人で「死んじゃうじゃん!!! ちょっとあなた、すごい危険よ?!」と慌てふためいた。

 「そうよねー、あの猫はきっともう死んじゃうのよね…。 かわいそうに、かわいそうに…。」と猫に対して深い同情を示す彼女。 猫に対する怒りゼロ。 キャットレイディーの神髄を見たって気がしたわ。 やっぱ動物好きになるなら、それぐらいじゃなきゃだわよね。 

 これからも何回かワクチンをうたなくてはいけない彼女は、祖国の恵まれない猫達に深い同情心を示していた。 偉い。 偉い、あなた偉いと、私一人で痺れた。

 三週間の里帰りで2週間の隔離。 本当に、何をやっても大々的ですねとこっちは感心したよ。 とりあえず彼女の復帰と近代医療に乾杯!!

2009-08-22

ってことで終わったのだ!

 なんか本当にこの二週間ぐらいは、いろんな形でプロジェクトのファンファーレをかけていたので、いったいいつどう終わって、新しいプロジェクトが始まったのかうまくわからないんだけど、私が入社してからかかわっていた、リ・ブランディングと新しいプロダクトが発表された/使われ始めた! イーーーーハーーー! 実際は色々片付けなきゃいけないし、全然脱皮感とかない日常の延長でのイベントだけど、でもやっぱりうれしいぞ。 友達とかと手をつないで、公園の芝生の上をごろごろして、見つめあったり、転がったりしたい気分だ。

 本当に、ああ、大人たちってすごい。 このプロジェクトでは本当に上司たちに感動した。 大人たちに感動し、友人や身内にやけに感謝したプロジェクトだった。

 大学の教授に「初めての仕事は、仕事の内容ももちろん重要だけど、それよりも良い人たちと働いて、社会に生きる大人の市民としての姿勢や、働くってことに関する色んな価値観に触れる事が一番大切。」と言われた。 それで彼が勝手に私の就職先を決めて、この仕事をすることになったんだけど、実際に働いてみて一理あると思った。  デザインとか、設計図とか、業務計画とか、そういう面で「こうやるのか」ってのも沢山学んだけど、ビジネスに関することだけじゃなくて、もっと広い意味での大人のアクティビティーについて知ることが出来たと思う。 年齢幅が広いチームで、最年少として働いて、色んな人生の選択やオプションを先輩たちを通じてみた。 そして結構みんな尊い良い人生を生きているし、幸せになるためにがんばってるんだなって言う素朴な感動を得た。 大人ってがんばってる。

 さて、さて、プロジェクト初期に妊娠にきずき、プロジェクトの進行どおりにおなかが大きくなったグラフィックデザイナーさんが、プロダクトロンチと同じ日に赤ちゃんを産んだ。 なんてめでたいんだ! 妊婦さんと一緒に仕事をするってのは、ワンダフルな経験だった。 どんどん赤ちゃん育つんだもん!!! すごいよ。 むくむくと育っていった。 彼女は途中で産休に入ってチームを抜けたんだけど、途中で出血が止まらなくなっちゃって、入院したのね。 それでみんな心配していたんだけど、先月は新型インフルエンザにかかり、元々彼女が遺伝性の糖尿病を患っていたので余計に、みんなどん底に心配した。 宗派とか、信仰の有無を超えて、会社中で彼女の無事を祈った。 赤ちゃんを世界に出すまでって本当にドラマだ。 私はこんなに近くで妊婦さんがいたのが生まれて初めてだった。 味わったことがない気分やら感情を沢山味わった。 

 ああ、時間って流れるんだなあ。  子供はうまれるわ、ブランドは変わるわ、商品は増えるわ、なんかもう、大人たちって本当に生産的だ。 学生のころの消費の鬼だった自分と比べて、この素朴さに驚くよ。 物を作って、売って、儲けて、生活すると。 大人のやってることってシンプルだ。

印刷物がすり終わるとき

 私は印刷物がすり終わった瞬間が結構好きだ。 匂いもいいし、達成感を感じるし。 今も何件か紙媒体系の仕事を終わらせなくちゃいけなくて、こまごまと仕事をしているんだけど、本当に平面紙媒体のデザインって立体物とか動く物とかのデザインと違う醍醐味があって面白い。

 この間写真撮影をしている現場に、その日写真撮影をしなくてはいけなかった広告やカタログが印刷屋さんから到達した。 このギリギリ感、たまりませんね。 市場のおっちゃんのような気分で写真家さんに「ほいやっ! 刷りたてだよ!」って売りさばきたい気持ちに駆られたよ。 もう、手に握ったらぴちぴち動き出しそうな新鮮さ。 ああ、なんでいつも仕事ってギリギリになるんだろう。

 私はグラフィックデザインにはあまりかかわっていないので、このカタログとか広告のプロジェクトには深くかかわっていなかった。 でも自分のメインの仕事(プロダクトデザイン)でやったことが、ユーザーにまず伝わる最初の入り口で、そして本当にワンダフルにその入り口を作ってもらえたので、手に取った瞬間に嬉し涙が出た。 絶対、自分の仕事よりも感動したわ。 それぐらいに良い出来ばえだった。

 カタログはこれまでのプロセスの結果がまとめられたアルバムのようなもので、見ていて、本当に胸が熱くなったよ。 それでまず思ったのが、「このプロセスをこんなに気楽に恐怖心もそんなになく気持ちよく出来たのは、家人のおかげだ!!」って感謝の気持ちと、そして「こんなに面白く仕事が出来たのはチームの皆様のおかげだ」ってことだった。 それ以外何も思い浮かばなかった。 もっとエゴイスティックな「俺様偉大!」系の感情が沸くかと思ったけど、そうでもなかった。 案外、あたし、謙虚な良い人だった。

 周りから見ると、結構淡々と仕事をしていたように見えるらしい。 ただ出来る限りのベストプラクティスを探していた。 プロジェクトをパーソナルにとってしまうことによって制約や自分自身へのセンサーシップが働くのを避けた。 でもだからって出来上がったときに喜びが少ないかというとそういうわけじゃなくて、多分すっごい十分喜んでいる。 淡々と、ただ黙々と仕事が出来るコンディションとシチュエーションを作り出してくれた人たちにすっごい感謝した。 今度、ご馳走作るから待っててねと思った。 プロジェクトが終わったら、周りの人ががんばったねってお祝いしてくれる。 終わってみるまで気がつかなかったけど、実際は、自分がお祝いされるよりも、まずは自分と一緒にいてくれた人に、感謝の気持ちを込めてご馳走を作って、飾らない日をただ一緒に喜びたいと思うのね。 多分、そっちのほうが今の私にとっては贅沢だから。 仕事って、本当に一人ではできないね。 だから楽しい。 ご馳走作るぞー!

2009-08-21

家の車とビートルズ

 家の車はテープしか流せない。 そして私達はテープを一本しか持っていない。(だって今時テープってどこで買えば良いのかすらわからないんだもの…。) そのテープはThe Beatles 1. 車についてきたらしい。 せめてABBA GOLDとかじゃなかった、この幸運を祝福したい。





こんなにこのアルバムを聞いてる人は、私達とコムサデモードの店員ぐらいだと思う。 昨日もドライブがてらにテープ四周ぐらい聞いた。 (そういえばこのアルバムが出てからもうすぐ十年! 時間が経つのって速過ぎる。)

ビートルズの限られた音楽しかこの車からは流れないのだと開き直ってから、もう大ファンかのごとく大音量で楽曲を流し、隅々のディテールまで聞き込んで、歌詞の内容を話し合ったり、ちょっとしたクレバーな音運びを讃えたりと、ビートルズの修行部屋状態になっている。 オークランドで大音量でビートルズを聞いている車があったら、それは間違えなく私の車だ。

 これしか聞くテープが無いから言う訳じゃないけど、ビートルズは車で大音量で流してちょっとしたソリチュードを味わうのにかなり適した音楽だと思う。 そういう文化の出始めの人達なんだよなと納得した。 私は昔ビートルズのそのグラマラスじゃないっぷりが好きではなく、そんなに共感した事がなかったんだけど、世の中に対して疲れはじめてきた頃から味わいが分かようになってきた。 子供時代への郷愁とか、まわりへのいらつきとか、パートナーへの思いとか、どうしても受け入れなきゃいけない挫折とか、そういうのが妙に似合う、慕情な音楽だ。 聞き過ぎたのか、彼らが作曲をしていた年齢と自分のそれが重なってきたからか、最近何曲かを本当にビューティフルだなあとしみじみと思うようになってきた。 Somethingとか、良い曲だと思う。 あと今さら私が言わなくても、十分過ぎるほど十分有名な考え方だけど、"Let it be"というふうにしか受け流せない事柄ってあるよね。




笑っちゃう偶然なんだけど、今日友達のブログを見たら、ビートルズがテーマの記事があげられていて驚いた。 「うわ、この人がこれ書いている間、きっと私大声でビートルズ歌いながらドライブしてたよ!」ってさ。 しかも彼女の知合いのうちの1人がビートルズの曲の中で一番好きなのはAcross The Universeって言っている人がいるんだって。 うーん、他人とは思えない。 私もビートルズの一番好きな曲はAcross The Universeです。 ぶっちぎり。 これから歳をとったり、自分のいるコンディションによって評価する曲は増えていくと思う。 好きな音楽は増え続ける。 でもいつでもAcross The Universeが一番好きだっていう心持ちでいられたらなと思うんだ。 だって、軽やかで切なくて良い曲じゃん。 歌詞がすごく優しい。


2009-08-20

世相が暗い

 日本のニュースを聞いていたら、その世相の暗さに驚かされた。 コメンテーターの香山リカさんが暗い! 彼女は本当に世の中を憂いているのかもしれないし、こういう言葉遣いでしか伝えられない絶望を見たのかもしれない。 冗談抜きで本当に暗い。 聞いていて、「もう駄目だ!! 日本お先真っ暗!」と思ってしまった。 

 言葉は連ね方によって響き方が変わる。 同じ内容の事でも、表現の仕方によっては究極の絶望として響いたりする。 どういう伝え方をするかという所に、そのジャーナリズムとしての、メッセージとしての品質が宿るのだと思う。 そして勿論聞き手側は
 
 

2009-08-18

 食べ物、特に肉に関しての人々の扱い方には特徴が出るよなと思う。 例えば私の会社で合同で食事をする際は、いろんな宗教の人がいるから、「どこの肉屋さんがどうやって屠殺をした肉か」とか「どんな調理法なのか」とか神経質になる。 一切肉食や動物からの食品(卵とか牛乳とか)食べないし、一度でもそれらが触れた食器とか調理道具も使っちゃいけないって人達もいる。 だから本当に協力しあって準備しないと会食は出来ない。 ただこの努力は正当な事で、食事をするってのはそういうものなんじゃないかと思う。 どこかで私は楽に何かを食べれる訳が無いと思っているんだろう。

 こうやっていろんな食文化を見てみると、自分の母国の食文化も「多くのうちの一つ」だと思えてくる。 日本の食事って本当に独特だと思うし、多分私が一番違和感を持つのも食文化についてだと思う。 日本で何回か自分をラディカルで頭がいいと思っているタイプの子と食事に関しての話をした事がある。 彼らが最後まで私からすると理不尽に頑で、感情的になったトピックがいつでも食事に関してだったからそう思うのかもしれない。 食事に関するモラルが独特だ。

2009-08-16

頑張れ家人

 社会人になると色々ある。 会社では時折みんなして集まって会食をしたりする。 民族も宗教もてんでばらばらな集団である我が社はそういう時ちょっと苦労する。 みんなして食べれるものってのがないから、どっかから仕出しをしてもらうってのがほとんど無理なのだ。 だから社員皆で食べ物持ち寄りってのが多くなる。 発想としては素晴らしい。 そして実際素晴らしい。 色んな物が食べれて楽しいし、次の日にはスカイプを通じて会社中で「あの料理を作った人は誰? レシピちょうだい!」っていうメッセージがぐるぐる回る。 良いコミュニケーションになっている。 こっち版サワチ料理だ。

 ただ私ぐらいのへなちょこ人間からすると、仕事を終えて家に帰って、それから人様に食していただく何かを作るってのは、レベルが高過ぎる。 一週間ぐらい前から、「うげーー、楽しみだけどやりたくないべやぁ…」って思わず地元の方言でうじうじする。 そういう事に対するやる気が少ないのだ。

 とりあえず一番簡単そうな料理とは何かと考え、アップルパイを作る事にした。 なんか簡単そうじゃん。 会社帰りに材料を買って帰宅。 そして意味ありげにそれらを台所に置いておいて、ふて寝をしてみた。 家人が作ってくれやしないだろうかという期待に胸を弾ませながら。

 いつも予想を上回る単純さで私を驚かせてくれる彼は本当に今回も単純だった。 帰宅後にリンゴを見た彼は、リンゴを掴んでベッドに飛び乗り、「これはどういう意味だ!?なんで我が家にこんなにリンゴがあるのか?」と私を起こした。 「アップルパイ、作っていかなきゃ、明日から会社で立場無い…。 でも作る気もない。 これにより社会人ライフ終了!!」とつぶやき寝返りをうち、背中から惨め感を漂わせてみたら「大変だ! 今から作ってくる。 母ちゃんに電話して作り方教わるから心配しないで!!」と言って下さった。 この人、こんなに気が楽な生き様で世の中渡っていけんのか?と人ごとながら不安になる単純さ。 しめたものだ。 私もすかさずベッドから起き上がり、背後霊のように相手の後ろにぴたっとくっつき行動を観察する。 時既に深夜。 頑張れ家人。 パートナーシップでサクセスだ! 1人の為に皆が、皆の為に1人が努力!

 って事で無事会社のシェアランチの為に私はアップルパイを持ち込む事が出来た。 ただあまりにも芸がない料理だった為、全く人気がなかった。 あっはっは。 すっごいのを作ってきたおじちゃんに「これっておっちゃんが作ったの?」と聞いたら、そうだと言われた。 「アンナのは自分が作ったのか?」と聞かれたので、パートナーが作ったと答えたら鼻で笑われた。 やっぱ、大人ってすごい。 仕事終わって家に帰って、次の日の為のごちそうまで作るとは…。 いつか自分にもそんな芸達者になれるのだろうか。

写真撮影をしていたよ。

 数日前に今回のブランディングとプロダクトの広報用写真の撮影を終了させました。 2週間に一回ずつ、計5回やった。 プロダクトの撮影の際はカメラマンと彼のアシスタント、デザイン事務所からのデザイナーと彼女のアシスタント、家の会社のクリエイティブダイレクターと彼女のアシスタントという、三人の大人と三人の若輩者で構成される、一日がかりのセッション。 私、デザイナーという肩書きだけは持っているものの実際の所は役に全然たたないのでせめて体力面で貢献しようとひたすら犬のごとく走り回りました。






 写真撮影って、昼過ぎには「お母さん…っ!」ってつぶやきながら天を仰ぎたいぐらいに疲れる。 一回目は初めての経験だったって事もあり、本当に疲れた。 二回目は、上手い事言って途中で逃げた。 三回目からはなれてきたからか、すっごい楽しい! すっげーーーーーー楽しい!!!

 広告用の写真、広告の中で使われる写真、セグメント別のクライアント別の広告用の写真などなど、系10人以上の写真家の方々の作品を使わせていただいております。 プロダクトの写真をとってくれている方は日本人の写真家で、非常に非常に優秀で緻密に丁寧に仕事をして下さる方です。 本当にこの方に撮っていただいてよかったと思える写真が出来上がりました。

 そういう人達と仕事をすると、一回の撮影を終えるごとに、数えきれないぐらいの新しい視点を譲っていただいている実感を持ちます。 デザイナーの方の素晴らしい指示の出し方、写真家の方のそれに対する答え方。 私の上司のまとめ方。 チームワークです。 いい結果を残せる人達ってのはこういう風に働くのかと、人との働き方やデザインのきめ細かさから知る事が出来ます。 一回一回がすっごい濃密。

 今は発想力よりも、技術力を身につけたい。 豊かな技術から、発想を耕したい。 良いデザインをする為に「発想が先か技術が先か」ってのは一概にはいえないけど、技術の修得は時間がかかるから、そして技術とともにしか表せない事っていっぱいあるから、じっくりと成長させてもらえている今は技術優先で。 発想は自由になるために、技術は自在になる為に。 

 大学の課題で、クラスメイト同士のチームプロジェクトをするのと、社会に出てこうやって様々な経験量の差がある人同士で組んで仕事をするのの違いを今回は考えさせられた。 大学でだと失敗が多い。 みんなエゴイスティックだし、どっか目的がとんちんかんだったりするから。 プライドとか自己評価とかズタズタになったりもしたけど、今思うとあのときの経験は失敗こそに価値があって、良い意味で自分の実力と可能性を知れたと思う。 身の程を痛いほどに知れるし、思っていた以上に何かが出来た時は新しい自分に出会ったような気分になった。 

 社会に出て、経験が豊富な人達と働く事になった今は「成功への導き方/成功するまで切磋琢磨する勇気」みたいなのを教わっている。 自分1人では絶対に見えない物事を見せてくれる。 本当に分け与えてもらっているという実感がある。 成功体験を一緒にさせてもらえるって財産だ。 本当にそう思う。

2009-08-12

黒いリップスティック

 上司と、私の会社のブランディングを担当してくれているデザインエージェンシーのデザイナーと三人で散歩をしていた。 同じデザインエージェンシーが担当しているブランドを廻っていたんだけど、好みが重なりすぎるからかお買い物をしまくってしまったわ。 ちょっと、狂っちゃったのね…。

一件目のお店Karen Walkerで(このお店には絶対に入ってはいけないのだ。 何かを買ってしまうから!!)スカーフと口紅を購入。 この時点で「もう一ヶ月は無駄遣いをしないぞ」と胸に固く決めた。 

 そして2軒目のお店、化粧品のセレクトショップに入った途端に、黒い、真っ黒な、どす黒いリップグロスを見つけた。 すごいなこりゃと眺めていたら、店員さんに「これはあなたみたいな人にとっても似合うのよ!!!!!」とごり押しされた。 「えええっ? 黒ですか?」と驚いていたら、上司が横に来て、「確かにいけそう。 試しなさい。」と唆された。 まあ、おもしろ半分にやってみるかと思って塗ってみたら本当に真っ黒。 「あっはっは」と笑いその場をその場をしのごうと思っていたら、デザイナーと上司に「すごい、これはすごい。 強烈に似合っているし、こういうのが似合う人は珍しいし、もったいないからもう買っちゃいなさい。」と説得された。 「いやいや…、私瑞穂じゃないし、それに常識的に考えて黒い唇で会社に行って良いんですかね?」と上司に聞いたら「似合っているから良し!」と言われる。 もうこうなったら引けないので買った。

 



非常に美しいボトル。





昨年のコレクション用に作ったグロスらしく、この写真をお店で見た上司たちに「この髪型にしろ!」ともせっつかれた。 でも、この髪型にしたら私、前見えないからなぁ。


 


赤い口紅を下地につけるとこんな感じ。 これぐらいなら社会的な許容範疇内?


そういえば昔、あゆみちゃんとかとゴスっぽい化粧してオジーオズボーンごっことかしていたよなと懐かしくなったよ。


家に帰り、家人に今日あった事の報告をした。 「これ買ったの! もー、冗談みたいな事にお金使っちゃったよ」と言ったら、塗ったところを見せてくれと言われた。 塗ってみたらまた非常に評判が良かった。 軽く欲情された。 「次僕と散歩に行ったり、コーヒー飲みに行く時に絶対に塗ってきてね!!!!!」と念押しされ、今朝化粧をしていた時に横からヌッとこのグロスを出してきて、わざわざ塗ってくれた。 何故?! 普通はもっと「春めいていて、きゅん」って感じの桜色グロスみたいなのが上司及び夫受けするのではないのか? 私のこれまでの計算はまちがっていたのか?


数日後にリブランディングと新商品の発表会をホテルでやるんだけど、その時のドレスを買いに行った際、かなり普通に可愛いワンピースがあり私はそれを欲した。 ただその場にいた夫に「確かに可愛いし、似合っているけど、ほんっとーーに、そこら辺にいる普通の姉ちゃんって感じ。 だからやめた方が良いよ。」と制止された。 「そこら辺にいる普通の姉ちゃんで十分なのですが…」と言ったら、だだをこねられて結局買えなかった。 その事をウェリントンから遊びに来ていた元クラスメイトに言ったら、今から彼が一緒にお店にその服を見に来てくれるとなった。 試着し、その姿を友人に見せた。 「可愛いし、良いけど、本当にただかわいらしい格好がしたい男受け狙ってる普通の姉ちゃんって感じがするから、やめときな。」とまたもや止められた。 「間違えなく私は男及び上司、そして何よりも顧客受けを狙っている普通の姉ちゃんなのですが…。 そしてこれは私の会社のパーティーで、社員として出席する訳ですし、別にドレスコード"奇抜"とかって訳でもなく…」とモゴモゴする。 なんなんだこの男達は。 どれだけ私の女道及びサラリーマン道の邪魔をしたいのだ?! 「お前らはケイスケか!」(ケイスケは私の日本の親友でド派手な格好をした女を好む)と突っ込む。

 そんな事をじめじめと考えていた矢先に黒い口紅登場で上司に「これぬってパーティーに来る事!」と言われ、普通のドレスはどう考えてもマッチしないので自動的に却下になってしまった。 それを聞き喜ぶ家人。 知らなかったけど、黒い口紅って人気なのね…。 はあ…。 それにしても髪型どうしよう。 アレクサンダーワンみたいなショートにしようなかなあ…。 女道及びサラリーマン道は意外と険しい。 そうえいば、アレクサンダーワンのワンピースが欲しいから、ケイスケ、これ読んでいたら速攻で送ってくるように。

2009-08-10

しっと

激しい修行を積んだお坊さんが最後に戦う感情は嫉妬なんだそうだ。 睡眠欲や食欲、性欲、全部過ぎ去った後にも残るのが嫉妬。 「隣の山の坊さんの方が俺よりえらいって言われてるんじゃね?」となるんだとラジオで聞いた。

英語でだと嫉妬を表す言葉が二つある。 ジェラシーとエンヴィー。 人によってどう違うかってのの説明が変わるんだけど、私が聞いた話では、「自分にも可能性があった事と、でも上手くいかなかった」って状態なのがジェラシーで、「そもそも自分がうらやましがっている対象を自分は全く持ち合わせていない」ってのがエンヴィーらしい。 

トンガだ! トンガだ!

 今度トンガ王国に行く。 2回目の訪問だ。 友達の親がトンガに赴任しているので、そこにみんなで泊めてもらうんだ。 トンガ! あまり観光地化されていない

2009-08-09

Tyondai Braxton

Tyondai Braxtonの新譜Central Marketが素晴らしい。  すごい楽しい音楽。

アップリフティング、筒美京平

 筒美京平は本当にすごいと思う。 本当に。 歌謡曲に置ける黄金率というのがあるとすれば、ばっちりその比率を抑え、気持ち良いぐらいに「こいつは収まってますね!」って状態に音楽を持って行ってくれていると思う。 なんかもう殆ど、正しい。 正しい境地だ…。

 今日たまたまnokkoの人魚を聞いていた。 そしてその正しい歌謡曲っぷりに感動していた。 作曲者を調べてみたら、案の定筒美京平。 すっげーよ、筒美京平。 




 これで歌謡曲の名曲中の名曲”ライブがはねたら”までもが筒美京平作だったら、もう筒美京平神社を建てて、お参りするしかないと思い、もっと検索した。 そうしたら作詞作曲nokkoだった。 おしい! nokkoも筒美京平も本当にいいよなぁ。 正しい。 キラキラしているよ。





この可愛さはなんなんだろう。 なんて可愛いんだ!! でもライブが終わってから食事を食べるって、遅すぎやしないか? ライブ、一体何時に終わってんの? 私の知っているミュージシャンたちはライブが終わったら即パーティーで呑みまくるので、この歌詞には驚いた。 変わった生活スタイルだなと驚く。 

 それはさておき、本当にいい歌詞だと思う。 小学校の低学年の頃私はnokkoが大好きで、学校から友達と歌いながら帰ったりしていた。 その頃の事を思い出した。 小学校の思い出はいつも下校の景色と天気に繋がる。 下校の時間が自由な感じがして好きだった。 まだまわりが明るくてキラキラしている夏の土曜日(私が子供の頃は土曜日も学校があった!)の昼下がりの下校時はヘブンリーだった。 子供心に自分の下校時の気持ちと、この歌詞が重なっていたんだと思う。 (そしてめんどくさくて休み時間も、授業の時間もあまり好きじゃなかった私は、学校にいる間は中島みゆきとか口ずさんでいた。)

 塾に行く為に電車に乗っているときは、カセットテープで小沢健二の"犬は吠えるがキャラバンは進む"を聞いていた。 その中の"カウボーイ疾走"が大好きで、巻き戻しては聞いていた。 アップ リフティングな音楽が好きだった。 そして勿論、筒美京平様作曲の小沢健二の曲、"強い気持ち、強い愛"も大っ好きだった。 要するに私は軽やかでアップ リフティングな曲に弱い。 

 子供の頃に聴いた音楽の影響ってのは半端なくて、今でもふとした瞬間に自分の心の中で流れていたりするから驚く。 自分と生き続けるものなのね。 

2009-08-08

ミニマリズム

 よく人にミニマリストだといわれる。 自分でも確かにそういう面もあるよなと思う。 無駄な物はいらない。

 ってことで、親知らずを抜いてきた。 口内に快適なヴォイドを作った。

 前に一本抜いた時、痛くなく帰り道普通にご飯とか食べれて、「私の人間として最も優れた長所は親知らずが抜きやすいって所なのではないだろうか?」とすら思った。 今回も全くそんな感じで、歯医者の帰りにパートナーのお母上のお誕生日会with近所の人達という食べまくりなイベントに参加してきた。 「え? 抜歯してきたばっかなの? 麻酔がきれたばっかり? 痛くないの?!」と人々に驚かれた。 この間生まれてはじめて眉毛を抜かれて、そのあまりの痛さに悶絶苦闘して、エステの部屋で奇声を上げ、始まって三分で「もうやめてくれ」と逃げ出した話しを知っていたお母上達は、「抜歯は大丈夫で眉毛が駄目なの?」と混乱していた。 多分、私、やられるならドカンとやられたい方なんだと思う…。 ちまちまと眉毛を抜かれるのは拷問だった…。 そういうところもミニマリスト…。

 それにしても、親知らずでめんどくさい思いをした人はみんなこう考えたと思うけど、本当になんで抜かなきゃいけないような歯が存在するんだろうかね?! 昔の人は親知らずが生える事には数本アクシデントで歯を失っていたからとかなの? なんでこんなめんどくさい物があんの? 生えてくる時、痛いってばさ! なんなの、自分のアゴ?

2009-08-05

みかん 好き好き大好き

 私はみかんが好き。 みかん。 ひらがなでも美しい。 蜜柑。 漢字だと官能的。 みかん、大好き。

こっちでも冬になるとみかんが出回る。 イギリスにいた時は、この果物はサツマと呼ばれていた。 ニュージーランドだとマンダリンと呼ばれている。 サツマは、日本の薩摩蜜柑からきている名称なのだろうか。 マンダリンは、大陸で喋られている中国語の共通語という意味でもあるし、中国からの官吏という意味でもあるらしい。 きっとニュージーランドには中国からこの果物がきたのだろう。 少し大きめの蜜柑はタンジェリンと呼ばれ、これはタンジール人(今のモロッコ人)って事らしい。 きっとモロッコ産なのだ。 同じ英語圏でも地域によって食べ物の名詞は全然違う。 ちょっと面白い。

 日本にいた子供の頃、じいちゃんばあちゃんが段ボール箱いっぱいの蜜柑を冬になると送ってくれた。 幼児だった私は、毎年一日に十個近く蜜柑を貪り喰い、足の裏とか手とか、体の末端をオレンジ色に染め上げていた。 でも自分で買うとなると遠慮/ケチ心が生じる。 学生の頃は「蜜柑は一日三個にして、節約しよう。」とかってやっていた。 しかし働き始めたら、私の収入は私の使いたいように使える訳で、もう、全く遠慮なく蜜柑を買いまくって食べまくっている。 ここでケチっちゃ日々の労働が報われない。 本当に大人になった実感を得ているよ! 蜜柑、食べ放題!!

 そんな感じで日々飽きずに蜜柑を食べている私を見ていた友人は、「この動物の餌は蜜柑なのだな」と決めつけたようだ。 なので外出すると蜜柑がポケットに入っていて、結構所かまわず蜜柑の皮を剥いて私にくれる。 蜜柑歩き食い。 なんか舌を噛みそうで思わず立ち止まってしまう。(試してみて下さい。) 特に車がびゅんびゅん通っている大通りで蜜柑を食べていると、普段より敷かれるリスクや、驚いて舌を噛んでしまうリスクが上がってしまいそうで怖い。 ってことで立ち止まる。 私の家の界隈で立ち止まっている人は売春婦とピンプたちしかいないので、"蜜柑を食べている人達と売春婦達が高速道路の入り口付近で一列に並んでいる"っていう奇妙な光景が広がってしまっている。 うーん、蜜柑、場所を選びますね。

 でも大好きだから、友達が蜜柑の房を渡してくれる度に、犬だったらしっぽが振り切れるぐらいの勢いで喜んでしまう。 本当に美味しいよね。
 

2009-08-04

美形な牛

 週末に同居人の実家に里帰りした。 金曜日の夜は遊び、土曜日は仕事をし、夜に相手の実家に帰り、日曜日は田舎でのんびりするってパターンが好きだ。 人の実家で、人の親にご飯を作ってもらい、暖炉の前で犬とゴロゴロし、心地好い布団で寝ると。 やっぱ実家って良い。 大人の作った住環境って若輩者の私が作ったそれなんかとは比べ物にならない程に心地好い。 料理が出てくる所も素晴らしい。 





 オークランドから車で1時間ぐらいの場所にある彼の実家は気の抜け具合が私の実家のある鎌倉と似ていて好い。 この家によく遊びに行くようになってから、生活パターンが日本に住んでいた頃に似てきた。 週日は都心で、週末は田舎で犬と遊んでいる。

 この家はペットに牛と豚を飼っている。 友達が幼かった頃は彼が飼育繁殖して、市場で売らせてお小遣い稼ぎをしていたらしい。 カルチャーショック。 本物の牧童だったのか…。

 そしてこの家の牛はえらい美形だ。 人間でこういう雰囲気を持ち合わせた人がいたら恋してしまうと思う。 ほれぼれとしてしまい、牛舎の横で時間を過ごした。 偉いかっこいい生き物を私は日々食べているのだな。

 










形良いお尻。 涼しげでキラキラした目。 美形だ。


牛の横に椿が咲いていた。 花が咲きはじめる季節になるとワクワクする。 あともうちょっとで気持ちがいい季節になる。 イヤッホーイ! 咲け咲け、咲け咲け、もっと咲け! 


2009-08-03

ウェリントンのダーリンが来たぞ

 結局なんだかんだで、週に一回はウェリントンの頃の友達に会っている。 みんなオークランドにちょくちょく来てくれるから。 今年、私の古い友人界隈ではオークランド見学が流行っています。

  最近ウェリントンへのホームシックが収まり、オークランドが私の街って思えるようになってきた。 やっぱり新しい街に引っ越すってエネルギーいるわ。 で もこういう経験って、人生への最高のご褒美って感じもする。 違う仕事をしに新しい街に住んで、これまで会った事がなかった人達と協力し合うってのは楽しい。 

 だからって価値が下がる訳でもないのが、古き良き友達の素晴らしさ。 今週は連続で幼なじみ達がウェリントンから遊びに来てくれてすっごく嬉しかった。
 
 この間、私を多分最もよく知っている、ウェリントンの夫的友人達が来た。 たまたま女らしい格好をして行った。 カフェでチョコレートムースを買ってもらい、「なんて素敵なワンピースな んだ!そしてなんて美しいブーツなのだ!」と誉め讃えてもらう。 だから私も「なんてかっこいいんだ!なんて素敵なんだ!会う度に素敵になる!!」と誉め讃える。 ここまではいつも通り。

 それで私がヘラヘラ笑いながら「女らしい恰好しようと思って」と言ったら、速攻で真顔になった彼に 「大丈夫? 無理しなくて良いんだよ。 心地好い?」と質問された。 変化を悟ったらしい。 彼はそう言う所をすごく気にしてくれる。 「うん。 女の人 である事がなんか嬉しいし、楽しいんだ。」と返したら、「それなら良かった。 でもやめたくなったり、自分の内側と違うと思ったらやめるんだよ」と言われた。 なんてデリケートな奴なんだ。 「大丈夫? 無理して女性らしくしてない? ちゃんとしっくりしてる?」って気にしてもらい、結構単純に友達に大切 に愛されている実感が湧いて嬉しくなった。 「うん。 大丈夫。 ありがとう、そういう事を言ってもらえるとすごく嬉しい。 友達って感じがする。」と言 いながらじゃれついた。 

 そう言えば、”夫”なんて雄々しい名称で相手を呼んでいるけど、実際私は始めてあった頃から結構頑張って相手 に「君が男の子だからって男らしい事とか役割をする必要は無いんだよ」ってのを示してきた。 大好きな友達だから、そういうのにこんがらがって、めんどく さい奴になってもらいたくなかったんだ。 彼の元来の性格とマッチョな感じなのはあわないし、まわりから求められている事と、自分自身の間の差に傷ついて いるのも知っていたし。 私だってそうだ。 ある一面では女の子としてちやほやされると楽しいけど、本当の所はがっしりとそんな女だ男だってのを抜きにし て、きちんと私を受け入れてほしい。 子供なりに私たちは頑張ってきたのだなとしみじみしてしまった。 子供同士の友情をなめちゃいけない。 今思い返し てみると「それでも嫌な感じの圧力をかけた事があるわ」って反省する事は多々あるけど、お互い成長するにつれて上手に愛情表現が出来るようになっている し、前よりもっと相手を受け止めている。 結構なんだかんだ全部ひっくるめて愛せている気がする。 良い友達だ。 でも、多分彼とかにかなり激しく甘やか されて、お互いを守りすぎて絡めとられたから、お互いこうも「私って女の人なんだ!」ってのとか「俺って、男なんだ!」って体にしっくり来る気づきが遅 かったのではないかとも思える。 そういう意味でお互いめんどくさい成長プロセスを取ってしまったのではないだろうか。 まあ、いろんなプロセスがあると 思って納得しよう。

 また、「これから色々と不安だわ」とか、「どこにどう行ったら良いのかとか、どう選択したら良いのかって考えるとこんがらがる」的な事を言ったら、もう一人の方の友達に「楽しいじゃない」ってかなり声に思いを込めて言ってもらえた。 彼も移民の子で、同じような事を考えて、心配したり、不安になったりしているらしい。 でも、どっかで先が見えないって考えないで、選択肢が多いと思っているんだと思う。 強い子だ。 自分に言い聞かすみたいに、「アンナにある選択肢は全部良い選択肢だ」と言ってくれた。

 お互いがお互いに住んでいる距離が離れていても、ライフステージは似ているし、私たちは大きな幹から枝分かれしたような関係だ。 長い時間を一緒に過ごせないからどうなる、こうなるっていう話しじゃない。 すごく嬉しかった。 これからも大切にしたいし、是非大切にしてもらいたいと思いましたよ。 夫たち万歳。

ウーマンフッド

 大学を卒業して仕事を始めて、色々な変化が起こった。 その変化の中で一番自分でも驚いているのは、今自分が生まれてはじめて濃厚なウーマンフッドを経験している事にだと思う。 仕事を始めるとウーマンフッドが始まるとはしらなんざ。 ビジネスを行うっていう非常にインパーソナルな側面が始まった分、残りのパーソナルな面もはっきりと見えやすくなるからだろうか。 学校や実家などから切り離された環境に身を置く事で、一個人としての自分が見えてきた。

 フッドって、英語で性質、状態、身分、境遇、時期を表す為に、名詞の後につける言葉。 だからウーマンフッドっていうと上手に訳せないんだけど、「女性である状態、独特の境遇、時期」って感じの言葉。

 仕事を始めると、学生の頃と違って一気に様々な年齢や状態や境遇にいる人達と協力する事になる。 関わる人達の背景色がぐわっと増えるんだ。 そのダイナミズムの中では、様々な方向と文脈から、自分を認めてもらえたり、育んでもらえたりする。 そして色々な人生のステージを、彼らを通じて見せてもらえる。 同じオフィス内に「結婚50年目」「妊娠六ヶ月」「離婚したて」「婚約中」っていう全然違うライフステージにいる人達がいて、仕事の話しをしていない時は、なんだかんだでそういう話しになるので、色々と聞く。 激しく情操教育されているよ!

 日本でイタンーンをした先は男の職場だったんだけど、「伴侶及び自分の家激ラブ」な人達が多い場所で暇さえあれば皆して自分の奥さんの話しを自慢し合っていた。 その様子を見て、私はすっげー不思議な気持ちになっていた。 だって、学校だとそういうの無いじゃん。 おおお、大人になるってそういう事なのか?! 何故?!と激しく疑問に思っていたのだけど、最近原因が分かった。 仕事が終わって疲れて家に帰ったら、もう遊ぶ時間なんて殆どないし、あっても自分のパートナーと励まし合ったりしているうちに一日は終わっちまう訳で、こうなったら気合い入れて外遊びに励むか、家遊びに励むかのどちらかの選択を選ぶ事になる。 だからだ。 これは一種の趣味なのだ。

 うちの会社は女性が始めた会社なだけあって、結構女性に優しい。 仕事のペースも、考え方もあまりスポーツとか競争とかがベースになっている感じはしない。 どっちかっていうと繁殖とか、耕すとかそういう感じだ。 まわりに影響されやすい私は結構簡単に女性性の内にある喜びみたいなのに反応し始めた。 これまで殆ど男子校のような場所にいて、ブルファイターのように暮らしていた分余計に。 第三次性微的なウーマンフッドの開花があってから、なんか体の感じすら変わってしまった気がする。 生きていると変化が色々とおこるんだなあ。

ニュースの差

 日本で報道されるニュース映像と、ニュージーランドでのそれには結構な差がある。 

 英語圏にいると、ある程度簡単に他の国のメディアでも、言語が英語の場合はいろんなチャンネルで放送されているので、アルジャジーラも、CNNも、BBCもFOXも見る事になる。 FOXは人間というその愚かな存在そのものを憎みたくなるほどの強烈な冗談放送局で、見事にクソな事しか報道しないから話にならないけど、ほかのニュースチャンネルは勿論バイアスがかかってはいけるど、己のスタンスにのとってある程度の仕事をしていると思う。 まずジャーナリストが現場に行っているし、そこからちゃんとインタビューや映像を集めてきている。

 例えば中東問題についての報道の時、日本でニュースを見ていても、日本のジャーナリストが現地に行って、現地の街角の人達にインタビューしたり、拷問されている人達のいる現場に潜り込んできて映像を取ってきたりってのはあまり無いと思う。 英語圏のニュースだとめちゃくちゃいっぱいある。 道ばたの人に話を聞いたり、普通の学校の様子や市場の様子、平均的とされている職場の様子をジャーナリストたちが集めてきて、夜のニュースで流している。 勿論、拷問されている人達の様子や、女性がボッコボコに公開処刑をされている様子なんかも、モザイク無しで流している。 そこには、現地のおっちゃんとか、おばちゃんとか子供の姿が生々しくある。

 先日そういう映像を見て心臓がつぶれそうな気持ちになりながら、「こんなん、日本の私の親とかが見たら、ショック死しちゃうよな」と思った。 その瞬間にはっと、そういえばこういう映像は全然日本で流れないと気がついた。 ショック映像として、雑誌に載る事はあるかもしれないけど、“中立的”とされている夕飯時のニュースでは流れない。 日本ではイラストとか文字情報が多く、「お茶の間民俗学」的なちょっとした部族間についての情報をコメンテーターが説明したりする程度で、現地の映像はあまり見ない。 アニメとドキュメンタリーの違い位に違う気がする。 

 日本に暮らしている人達のどれ位が、今日のイラクの市場や街角の様子を、遠く離れているけれども、地は繋がった先で行われている日常の光景として見た事があるかと言うと、案外多くはないんじゃないかと思えてくる。 だって、ジャーナリズムがそういう働きをしないから。 日本でおこっている事件の場合は、現場に行って、そこで色々と情報とか映像を集めてきて使っているけど、海外の事になると比較的安全とされているところ(結果ニュースというよりは、情報バラエティー的な内容になる)に行く程度だと思う。 東京にいる人が、大阪の町並みに感じているような「実際にそこにある場所」としての現実感を、海外の事になると日本の報道は表現できないのではないかなと思う。

 これは予算の違いなんだろうか。 度量のでかさとか肝が座っているか否かなのか。 それとも報道っていう概念の違いなのか。 こうも今日という同じ日を、違う形で取り扱っている姿に驚く。