2008-12-31

やっとおさらばだな2008年!

 本当に2008年にはうんざりしたね。 長いのなんのって! 永遠に終わらないかと思ったよ。 

 やっと終わる。 この感じが嬉しい。 

2008-12-30

彼の写真集

 久しぶりに淑と再会。 お互いが日本にいる時期がかぶって良かった。 結局なんだかんだ言って年に一、二回は会えている。 

 別に長い間会っていなかった感じも無く再会。 それでやっぱりブログを続けるって悪くないなと実感した。 お互いのブログを読んでるから話しがスムーズになるって面はある。 でもなんでだろう。 日本にいるとブログを書く気にならなくなるんだよね。 日本語を日常で使えちゃうからかもしれない。 日本語が使いたいっていう欲求が足りなくなる。

 話しは変わって、彼女と行った本屋でサイ・トゥオンブリが撮った写真集を見つけた。 スッバらしかった。 


本当に欲しい。 誰か私に買ってくれ。 プリーズ! 

でもDocumenta12の空間構成や会場を出品作家たちが撮影した写真集は手に入れた。 うっしっし!



Bilderbuch: Documenta Kassel 16/06-23/09



たっぷりと読み込もうと思います。

2008-12-29

モーツァルトとベートーヴェン

 友達の旦那さんが、彼の妻との関係について本当に素晴らしい言葉を言った。

2008-12-27

一緒にいる人によって景色って全然違って見える

  ボスとともに、東京の街を歩いて日本を見ている。 

2008-12-20

長い一日

 長ーいインタビューを、研究対象にしている市の都市計画課の方々にした。 丁寧につきあって戴けて感謝。 日本の都市計画の方法をプラクティカルなレベルで理解できたのは良かった。 これでボスの研究はちょっとは進むのではないだろうか。

 それにしても通訳は得意じゃない。 何語でもどもる私にはちょっとした拷問だ。 二時間ぶっ続けてでボスと都市計画課の人の間に入り、言葉を変換していったら経験したこの無い混乱を最後得た。 頭がこんがらがるってこういう事かと思った。 なんかねぇ、頭の中の回路がぐっちゃぐちゃになったの。 そして目をつぶるとそのこんがらがったぐちゃぐちゃした回路が見えた、ような気がした。 しかも都市計画なんて専門外も良い所の話しだから、聞きながら学んで、それを他の言葉に直してってので、いい感じにこんがらがったわ。 でも興味はある領域だからやって良かったと思う。 すっごく面白い話しだったし、日本側とボス側の話しの噛み合なさっぷりからお互いがどう違うスタンスに立っているのかを客観的に見れて一番得した気分。

 仕事が終わった後、イタリアで建築の勉強をしているブラジル人の友達が日本に到着したので合流して、みんなで渋谷でご飯を食べた。 頑張ったとしてボスがおごってくれた。 ものすっごく美味しい焼き鳥だった。 ほっぺたが落ちるかと思った! それにその久しぶりに会うイタリア系ブラジル人の男の子がチャーミングすぎて、余計にご飯を美味しく感じた。 久しぶりに男の子に会った感じがした。 十回以上食事とかをしていて、本当に親しい友達ってのは異性度がどっかに飛んでいく。 自分に対しての性の対象じゃなくなっていく。 日常的に一緒にいる人には圧倒的に男の子が多いけど、でも色気とかがお互いにないし、関係が近すぎてワクワクした感じとかない。 「そうか、あんまりよく知らないけど、魅力を感じる男の子と一緒に過ごすってこんなに楽しいことだったんだ!」って懐かしくなった。 そういう瞬間って世界が素敵。

 帰り道でよしもとばななの"みずうみ"を読んだ。 ジャケ買い。 
 



人と人が近づく時、お互いの肌の下に入る時、驚くべきほどの恥と弱さを示さなくてはいけない。 優しさや真心や温かさとかっていう相手に捧げたい愛情の溢れる湖には、意外な程過去のコンフレクトや恥ずかしさや弱さもたゆたっているからだ。 そして私はそれを直視するのは、あまありにも死に近い感じがして恐ろしくて苦手だ。 でも恋愛ってそういう悲劇的な面とか、おぞましさと本当は切っても切れないもんなんじゃないかと思う。 そんな事が淡々と丁寧に書かれている小説で面白かった。 

それにしても今日は長かった。 泥のように寝ようと思う!

2008-12-19

お肌のお手入れ

 元々がさつだし、海で泳いだり、日光浴したりするのが好きなので、肌は基本的にぼろぼろだ。 本当は恥じ入らなきゃ行けない事柄なんだと思うんだけど、周りの子たちもアウトドア系の子たちなので、別に一人で悪目立ちしてしまうとかないし気にしていなかった。 でも日本に帰ってくるとみんなびしっとした身だしなみをしていて、お肌もつるんつるんだから、自分が野蛮人みたいに思えてくる。

 昨日は地元鎌倉の本屋さんに行くつもりで外出したら、古い友達から連絡が来て結局新宿で飲むことになった。 鎌倉は海の町なだけあって、日焼けしている人も多いし、基本的にみんなだらだらした服装をしているので私は浮かない。 海辺の町独特のドレスコードってある。 いいわけがましいけど、鎌倉でだと私は地元のサーファーで通せちゃうのだ。 昼間海で遊んで、ゴールデンレトリバーと散歩して、夕方にヨガをして、夜は地元の酒を飲む。 そういう日々の送り方をしているのがバレバレな服装なのね。 そして鎌倉だとそういう人たちが大多数だから結構大丈夫。

 でも新宿で私は完全に変な人だった。 まず、元々は黒いスキニーだったんだけど今は伸びまくった灰色のジーンズに、パーカーにジャケットっていう山崎まさよしがもっとだらしなくなったような格好で、新宿のルミネを歩くのは辛い。 もちろん全部の服に塗料やら接着剤やらがついている。 完全にガテン系の人だ。

 暑いからパーカー脱ごうにも、実は下には下着しか着ていないから脱げないこの情けない感じ。 しかも友達は素敵女子の代表格みたいなエステティシャン。 私と彼女のコントラストがひどい。 彼女は笑いながら「雄過ぎるよ! 服買おうよ!」と忠告をしてくれた。 でも持ち金が三千円だった私は服を買うどころかご飯をおごってもらい、ついでに彼女の彼氏の家にも泊めてもらいお世話になった。

 そして夜フェイシャルをやってもらった。 「もし私の客だったら、やばいですよ、こんな人滅多にいませんよ、って絶対忠告するよ。 この肌の乾燥はひどい。」とびびられる。 「った、助けてくれ。 オゾン層のないニュージーランドで日焼け止めも化粧水も使わずひたすら泳いでいたんだ。」とアワアワしたら二時間フルコースでやってくれた。 マジでいい女だよ。 今朝自分の顔を触ったら、女の肌って感じがしたもん! 
 本当に友情を感じた。 これからもっともっと気を使って生活したいと思います。

2008-12-18

やっと休みだ

日本に帰ってきてから一週間弱、結構忙しかった。 友達二人とボスが一人、私より先に日本に到着していたので、彼らをエンターテインしたりたまった仕事を片付けた。 そしてやっと今日丸一日お休み。 やっほーい!



この一週間、私は頑張ってはいないけど、動いてはいた。

水曜日
夜十時頃家に集まっているクラスメイトたちと、一切始めていなかった四年間分の家の荷物の片付けを始めた。 ウェリントンを巣立つまで後八時間。 結構背中がひやっとする経験だった。 



みんなで頑張れば何とかなるってのを実感した一夜でした。



木曜日
早朝、友人たちがサプライズ朝食会をやってくれた。 友達の家に呼ばれていったら、みんながいて美味しい朝ご飯があって、涙なみだ。 そのまま空港に行ったら、もっと友達がいてまた涙。 みんなありがとう、また会えると良いねとお別れをして、おいおい泣きながら飛行機に乗った。 そしてオークランド到着。 一日かけて就職先で面接やら工場見学やら。 徹夜明けなものだから工場で一瞬ふらっとするも、なんとかやり遂げた。



金曜日
朝一の飛行機でオークランドから日本へ。 夜成田。 母と感動の再会。



土曜日
渋谷のハチ公前でこっちに先にきていた友達と再会。 大興奮のまま原美術館と森美術館に行った。 森美術館のチャローインディアはすごく良かった。 好きな作品が沢山あった。



日曜日
東京国立博物館と資生堂ギャラリー、メゾンエルメスに友達を連れて行く。



月曜日
ボスの研究のため、西沢立衛建築設計事務所設計の森山邸見学へ!!! なんたる幸運。 素晴らしい見学となった。 森山さんにお茶まで戴き、あっぱれな気分となりましたよ。 その後いつまでたっても進まないボスの博士号のテーマを決めるため、四時間コーヒー一杯で粘りながら二人会議。 森山邸の360°ぐるんぐるん体験はこちらから



火曜日
ディランの誕生日なので、横浜に連れて行く。 フェリーに乗せて、私の大好きな大桟橋に連れて行き、飲茶を食べてもらう。 彼のために出来る事はなんでもしようと張り切って一日横浜。






水曜日
フィールドワークの為、片道二時間かけて鎌倉から東浦和に行く。 大雨の中ボスとひたすら歩いて、歩いて、歩いて、写真をとって、地図を読んでを繰り返す。 何故雨に打たれてまでランドスケープ建築の研究室にインダストリアルデザイナーの私が働いているのか分からない。 濡れた靴下をしぼりながらちょっと惨めになった。 でも楽しかった。 夜鎌倉に帰ってきてから地元の友達と夕飯。


そして今日、私は寝ようと思う。

2008-12-15

帰ってきたぞ!

 日本についたぞ。 ワクワクだぞ。


なんだかわざとらしい歩き方の友人たちとタワーを背景に東京散歩。

あっちでいつも週末を一緒に過ごしている友人たちと東京での初週末を過ごした。 なんだか現実とは思えない体験。 とっても楽しい。 あっちの生活とこっちの生活がフニャフニャフニャアアって繋がった感じ。 いつもは空港から直接日本の大学の時の友達と呑みに行ってがしっと切り替えていた。 それと比べて今回は日本での生活への変化がいつもより格段に緩やかに行われている。 みんなで遊んでいると、たまたま背景が変わっただけって感じがする。 不思議な感じ。

2008-12-11

おこる人にはおこっている

 最後だしみんなでシャンペンでも開けようと同居人に誘われ、荷造りの合間に呑みにいった。 ああ、なんて優しいのだ。




 良いニュースがいっぱいあるんだよと言われて、細かい話しを聞く。 みんなに夏が訪れて、確かに幸せな感じ。 そして最後にドカンと友達の一人に「xxx建築事務所に入れるかもしれないんだ。 今、最終審査待ち。」と言われた。 その事務所はスイスにある世界一レベルの建築事務所で、度肝を抜かれた。 おこる人には、物事はおこっている。 久しぶりに大きなスケールの話しを聞いた。 すごい!すごすぎると、みんなで乾杯をした。




目の前の友人たちのTシャツが見事に白黒だったので、なんか落ち着いた。 モノクロ、万歳。

2008-12-10

こんなに悲しいのはもう嫌だ!

 お別れの日々が続いております。 私もそろそろこの国とバイバイしなきゃいけない。 心底悲しいものなのだなあと実感しています。 やらなきゃいけない事は山ほどあるから、頑張って気を張っているけど、でもやっぱり結構がつんと来る経験です。 多分今「ハチ公の最後の恋人」とか読んだら泣いちゃうかも。 あああ、お別れって辛いね! でも大切な気持ちだから、味は忘れないようにしていようと思う。 具体的な事はどんどん忘れていいと思うんだ。 でも、この全体の空気とか、忘れたくないなあ。

2008-12-08

小旅行

 クラスメイトの実家に数日間遊びに行ってきた。 小さいけど、確かな旅行だった。
 
ウェリントンの港から、どんぶらこっこと三時間フェリーに揺られ、南島のピクトン港にまずは向かった。


























ピクトン港についたらそこは夏だった。 日々うねり荒れ狂っているウェリントンの天候に慣れている私は心底驚いた。 美しい美しい港だった。 上の写真は港の真横のビーチ。 船着き場の横でもこれだけきれいなんだよ! 恐るべし世界の田舎!


「マオリの伝説とか神話ってこういうのを見ながら語られたんだよなぁ。 なんか納得。」と友達みんなで言い合う。 ここでは地形が主役だ。 ニュージーランドの地形はどっかすごい。 

2008-12-03

Jump!

クラスの子たちと散歩。











向かう先は、木。 ハーイ! 友達が待っていてくれた。 木の下で待っている友達なんて可愛いじゃないか。







私と友達の一部は高い所から飛び降りるのが好きだ。(もし、ちゃんとロープが木とかに繋がっている場合に限るけど…)





この丘からターザンをすると、ウェリントン市が一気に一望できる。 最初は怖いけど慣れるとすっごい楽しい。





私もジャンプ。 ドレスだろうが、スカートだろうが関係ない。 





まさに空中散歩。





やっべー楽しい。


どこでも寝る友人はやはり木陰で寝ていた。 


Newtown Life

一人でだらだらベッドにねっころがり、仕事をしていた。




近所に住んでいる大学の時のクラスメイトもポートフォリオ制作をしていたらしく、じゃあ一緒にやると家に来てくれた。 二人で寝っころがって作業。 悠長な雰囲気だけど、二人とも仕事を見つけない事にはどうしようもないので実は必死。 




そしてこれまた近所に住んでいる、まだ大学で授業を取っている元クラスメイトが学校帰りに家に寄って、私のベッドでゴロゴロする夏の昼下がり。




このままだとみんなして寝ちゃうと言う事でベランダでミルクティーを飲み、ちょっとリフレッシュする事にした。 でもやっぱり話しだしちゃうと、ちょっと一杯のつもりが二時間ぐらいの長話になってしまう。 




大学を卒業した割には、結局クラスメイトと毎日つるんでいる。 アトリエが私のベッドか、誰かのベッドかに移っただけだ…。 


夕方の明かりに包まれる時布団でゴロゴロしながら「うわー!無職って素敵だ!ちょっと楽しいねえ。 こんな時間に布団の中にいて、こんなに柔らかい色に包まれて幸せだねえ。」と言い合う。 でもTシャツ噛んでるから、こいつちょっと焦ってるとみた。




自然の明かりを楽しむ友達は、夕方から夜に移る時間になるとまたベランダで空を見たり、お茶を飲んだりする。 たまにベランダから一時間ぐらい戻ってこない時があって、ベッドで寝ている私は心配になったりする。 そんな友達は愛おしい。 綺麗な人だよなと一緒にいてよく思う。 


2008-12-01

忘れない為に

泣いたなんだとドラマティックに悲劇的な気分でいた次の日にこんな事を書くのもなんなんだけど、今日は本当に楽しかった。 

高校のときからの私の最高の男友達が、お互いが一日使ってびっちり遊べる最後の日だからって事で思いで散歩をしようと提案してきた。 「一緒にまるまる過ごせる最後の日には何をしたい?」と聞かれた時に、「うーん分からん。 適当に海辺でビールでも呑む?」と想像力のない私は答えた。 でも彼らはもっと繊細で、私の為を考えてくれていて「私のウェリントンで好きで大切な場所全部を一緒に回って、いっぱいいっぱい写真を撮って、思い出話をするってのはどう」と言ってくれた。 こんな提案私からは出てこない。

彼の家に行くまでの五分間でも、まだ昨日の事を思い出して、声を出して歩きながら私は泣いてて、どうしよう、このままだと一日中泣いちゃうかもとかって心配していた。

でもふたを開けてみたら本当に素晴らしい笑いに溢れた一日になった。 

四年ぶりに高校のあるエリアに電車に乗って行ってみんなで散歩をした。 昔住んでいた家を見に行ったり、よく食べたアイスクリーム屋さんでサンデーを買って野原で食べたり、見るもの全てが懐かしくて、嬉しい気持ちが止まらなかった。 天気が記念碑的に良くて、本当に楽しかった。 そして高校について、窓から教室を覗いたり、塀の上を歩いたり、じゃれたりしているうちに、その頃持っていた自由な気持ちが甦ってきた。 昔と比べて私はどんどん良くなっていっているように思い込んでいたから、これは私を不思議な気持ちにさせた。 今は忘れてしまっていたけど、昔は持っていた良い面ってあるんだね。 そういうのを思い出す為に、わざわざ昔自分が関係していた場所に行ったりするのかと納得した。 その頃自分の周りに流れていた空気感に触れて、結構沢山の事を思い出したと思う。 その中にはとても良い気持ちも沢山あった。 

ウェリントンの中心街に戻ってから、ボタニカルガーデンに行って、長い長い散歩をした。 私の好きなガラスハウスの中にある蓮の池を見た。 そしてシダ植物の森も歩いた。 

大学の近くについてから、大学のクラスメイトも合流してみんなでケーキを食べた。 すっごいゴージャスなやつを。 

夕方になって、夕ご飯を作るからと言われて彼の家に行ったら、高校のときの子たちや、共通の友達がいて驚いた。 そしてみんなで彼が作ったピザを庭で食べた。 ワインも呑んだ。 不思議なくらいに幸せだった。 こんな簡単な事がどうしてこうも特別なのか、こんなに幸せなのか分からないぐらいに満ち足りで心が元気でいっぱいになる経験だった。 ただ散歩に行って、ただ大好きな友達が沢山いて、ただそれだけなのに、特別で温かかった。 この質が人生に置ける最も必要な事なんだと、一秒一秒が私に教えてくれた。 

庭でのパーティーを終えて、家のなかに入ったら、みんながニコニコしていて、早く居間に行きなと言ってくれた。 そしてそこにはお手製の巨大なマリオの1upキノコが机の上に置いてあったのだ! 最初何がなんだか分からなくて、でも三秒後にこれはケーキだと気がついた。 しかもBGMでマリオのテーマソングまで流れていた。 そうしたら嬉しくて涙が止まらなくなった。 私は彼の家でマリオを情熱的にやっていた時期があって、今日も高校でぴょんぴょん飛び跳ねながらテーマソングを一緒に歌ったりしていたんだ。 「今アンナが一番好きな物はマリオ!」と、多分誰よりも私に詳しい彼は的確に見定め、わざわざ昨日夜なべをして焼いたそうだ。 うわーーーんって涙が出て、嬉しい嬉しいってみんなにキスをして、みんなでマリオの1upキノコを食べた。 こんなに嬉しい事ってないよ。

こんな事を言うのもなんだけど、優しさとか愛情が無いとやりがいとかって湧かないんだね。 今日疑いなく、単純に嬉しい事がいっぱいあった。 友達がいて、愛情があって、一緒に良い一日を過ごせて、これが人生への軸なんだと思えた。 多分コミットメントは私が考えているほど怖くない。 それどころか誰かに愛情と善意と共にコミットしないと、多分全部が中途半端になっちゃう。 

ずっとコミットメントはただの制約で、リレーションシップは無駄な時間をつぶすための基本的に悪いものだと思っていた。 仕事や作業が善で、誰かとのコミットメントやリレーションシップはそれを邪魔する悪だと思っていたんだ。 でも実際は誰かとコミットしているから、リレーションシップがあるから、働けるし、頑張れるんじゃないだろうか。 自分のこれまでを振り返っても、どれだけ「これはただの依存だ!」とか「人に逃げてるだけだ!」とかって思いながらも、やっぱりそれでも周りの人が大好きで温かい気持ちだったから働けていた。 

愛する人に対する変な警戒心と緊張ほど自分の成長を妨げるものは無い。 こんなにも人にまっすぐ繋がるって重要な事なのかって驚いた。 元来私が正直じゃないから、相手に対しても「駄目駄目駄目、こんなに好きになっちゃ駄目。 こんなに相手の気持ちとか考えちゃ駄目。 こんなに相手の優しさを信じたり、言葉を正直に聞いちゃ駄目。 絶対に裏がある!」って考えていたんだよな。 でも、そんなんじゃ本当になんにもならない。 私はこうもひねくれているのか、驚きが禁じ得ないよ!


家に帰ってから父に電話をした。 そして上に書いてある事を言った。 結構驚いていた。 そしてその通りだと思うと言われた。 確かに彼だって、家族がいるからこれだけ頑張っているんだ。 なんか全てが腑に落ちて、これまで私は何を見てきていたんだろうって気になった。 

雪解けみたいな経験をした。 不思議な、特別な一日だった。

2008-11-29

Wolf Parade I'll Believe in Anything

大学三年生の時永遠と繰り返し聞いていたWolf ParadeのI'll Believe in Anythingを今日パーティーで久しぶりに聞いた。 心に響いた。 多分今日の心境とあっていたのだろう。

今日人とお別れをした。 バイバイをした後、生まれてはじめて、ただ悲しくてオイオイ泣くという経験をした。 意識の上ではある種の達成感があって正しい事がおこっていると思っているのに、ただ体の反応として涙が止まらなかった。 ああ、繋がっていたのは言葉だけじゃなくて、身体もだったんだなあ、体が悲しがっているんだと泣きながら、ちょっと冷静に思ったりした。 私の体が相手を大好きだったんだ。 

ただその人に関してはほとんどの事がそうだったように全てが結構奇跡的に美しかった。 その時森にいたんだけど(ニュージーランドらしいでしょ?)息が止まるほどに美しかった。 相手の声も、多分鼓膜が聞いた事がある中で一番美しい音だった。 深くて、息があって、震えていて、潤っていて、響いていたさ! 色彩の祭りだ。 

バイバイした後は、正しい事が今自分におこっていると思う時に訪れる、静かな美しさがあった。 落ち着きと悲しさと、絶望と希望と全部が静に調和した気分でいて、でも声を上げて一人で泣いていて、頭の片隅でロスコの絵の事とか思い出していた。 そういえば、いつでもその人の事を思っていた時はロスコとか思い出していたなとか、そういう変に現実的な事を冷静に思いながら、体は悲しくて悲しくて涙が出た。 私の中のロスコの絵画はその人に捧げようと思う。 別にその人の事を具体的に思い出したいとかって感じはないから、マークロスコの絵画の中に気持ちを埋め込もうと思った。

そしてその後に行ったパーティーでこの曲が流れていた。



この曲のタイトルは"I'll believe in anything"という。 良いタイトルだ。 グッケンハイム美術館で行われた蔡國強のタイトルは"I want to believe"だった。 このタイトルには心のドアをジェントルにノックされた。 これも良いタイトルだと思う。



"I'll believe in anything"と"I want to believe"。 ちょっとしか違わないタイトルだけど意味合いは結構変わる。 ただ両方、かなり核心をついている言葉として私には響く。

ついでに言うと、数年前のヴェネチアビエンナーレで行われた展覧会"In Dreams and Conflicts"のメインキュレーターFrancesco Bonamiの出したステイトメントのタイトルは"I have a dream"だった。 その文章には素朴に良い事が書いてあったので、コピーしてノートに張ってある。 終わる事の無いテロや戦争、そして差別の話しをした後に、"Today our society still needs to dream and strive to make dream reality. History is an endless stream of dreams generated by conflicts, and the endless stream of conflicts is the tragic concequence of unrealized dream."と言ってその状況で芸術は何をするのか、巨大な国際展の立場とは何かを議論している。

そして同じようなコンセプトで行われたデザインのコンファレンスが今年のアアルトアカデミーの"It's a beautiful day"だ。 この閉塞感溢れる社会情勢の中でどうやって自分で決心をして美しい一日を送るか、そしてデザインに何ができるかってのがテーマだったらしい。 その後コンファレンスの結果の着地点として、参加していたデザイナー達が選び、合同でデザインする事にしたイベントが"結婚式"だったのが面白かった。 デザインのトレンドが9.11以降保守に戻ったと言われている。 人々は安心感があり温かく頼りがいのあるオブジェを選ぶようになっているそうだ。 家を要塞のようにしたいんだろう。 そこで、そういう風潮に反発したがっているデザイナー達が、ウルトラ保守の代表格のような結婚式っていうイベントををテーマに選んだってのは、これに参加したデザイナー達の密かな決心を感じる事が出来て面白いと思う。 あえてそこにいくかって感じの所で挑戦する人達は賢い。 (プロジェクトのドキュメントはここを見て。

そしてこの全体にある自分達の持っている無力感に対して立ち向かおうという風潮はなんなんだろうか。 そしてどうして私もわざわざそういうのばっかり選ぶのだろうか。 本当に世相が悪いんだよなあ…。  そういう状況で強いステイトメントを言う為には本当に勇気がいる。 「ただでさえ失敗が重なっているんだから、これ以上の損をしない為に黙っておこう。」ってなるじゃん。 でもこんなときだからしたたかでいたいし、足りていない物を真剣に考えて、補っていきたいとも思う。 個人的なレベルで言えば、私と相手の間には長い間足りていなかった、言われていなかった言葉とかがあって、それを言うのは簡単な事じゃなかったけど、言った後は少しだけ物事が正しい軌道に動いた気がした。 やった感ありました。 うん。 そんなかんじ。

ある光

日本のミュージシャンで間違えなく一番好きなのは小沢健二だ。 小沢健二ファンの友人のブログを見ていたら、懐かしい曲が貼ってあって、思わず見入ってしまった。 

この曲、"ある光"は良い曲だとは思っていたけど、歌詞の意味が正直全く分からなかった一曲だ。 ただ今日聞いていたら、今私がいる時期に近い状況を歌っているのだと気がついた。
こういう時期の事をこう表現できる人がいるのか。



ある光

作詩:小沢健二 作曲:小沢健二

新しい愛 新しい灯り
麻薬みたいに酔わせてくれる痛みをとき

連れてって 街に棲む音 メロディー
連れてって 心の中にある光

この線路を降りたら赤に青に黄に
願いは放たれるのか?
今そんなことばかり考えてる
なぐさめてしまわずに

見せてくれ 街に棲む音 メロディー
見せてくれ 心の中にある光

この線路を降りたら赤に青に黄に
願いは放たれるのか?
今そんなことばかり考えてる
なぐさめてしまわずに

この線路を降りたら
虹を架けるような誰かが僕を待つのか?
今そんなことばかり考えてる なぐさめてしまわずに

強烈な音楽がかかり 生の意味を知るような時
誘惑は香水のように 摩天楼の雪を融かす力のように強く

僕の心は震え 熱情がはねっかえる
神様はいると思った 僕のアーバン・ブルーズへの貢献

摩天楼の雪 融かされる日に
あと15分ばかりでJFKを追い

連れてって 街に棲む音 メロディー
連れてって 心の中にある光

この線路を降りたら
虹を架けるような誰かが僕を待つのか?
今そんなことばかり考えてる
なぐさめてしまわずに

見せてくれ 街に棲む音 メロディー
見せてくれ 心の中にある光

この線路を降りたら
虹を架けるような誰かが僕を待つのか?
今そんなことばかり考えてる
なぐさめてしまわずに

この線路を降りたら 海へ続く川
どこまでも流れるのか?
今そんなことばかり考えてる
なぐさめてしまわずに

“let's get on board”
“let's get on board”

2008-11-27

近況

 数少ない友人たちへ(かなり私的な近況報告)

あの女は大学が終わったと言っていたけど、今何してるんだと思っていらっしゃるでしょう。 思ってくれていると良いな。 たまには私の事も考えよう!

さて終わったは良いけど、新しい始まりに戸惑っている私です。 正直どこにどう舵をとっていいのかよくわからないというのが現状です。 

私の友人たちの間では、あまりまともに就職活動をしたりした人がいなく、若かった頃の私は「ああはなるまい! 絶対に私は就職して、長いものに巻かれるのだ」と生意気にも思っていました。 ただ、この考え方には二つの奇妙な点があります。 一つは就職を長いものに巻かれるためだけに考えているところ。 仕事はただ巻かれるためにするべきではないし、仕事をそのように考えるのは情けないです。 そしてもう一つは私がただ周りの人たちの人生の持ち方に反発していただけで、そこに私が何がしたいのか、何をしようとしているのかが全く反映されていないところです。 案の定、この考え方では方向性を考えるという意味では動機付けが薄く、卒業後に速攻で「クラップ! 私これから何すんの?!」となりました。 

卒業してから二週間強、昼間は緩い就職活動をしてみたり、軽いプロジェクトを手伝ったり、呑んだくれてみたりして、夜は布団の中で悶々と考えたりしていました。 そしてまだ指針みたいなのは出来上がっていません。 いや、自分の中にはぼんやりとあるんだけど、まだ形になっていません。

私の周りのニュージーランド人たちは大抵「一年間休む」とか「世界旅行に行く」とか言っていて、私はその余裕を横目でみながら、「日本人としてそれはできない。 履歴書に穴はあけられない。 今負けたら速攻で社会の下の下に落ちて一生這い上がれなくて、ネットカフェ難民になってしまう。 きっと悪い事しか将来はおこらないのだから、せめて今小さな良い事をしよう。」と考えていました。 

それに親になんて言われるかとかってのも考えていた。 「お父さんとお母さんになんて言われるか! しっかりしないと絶対に怒られる!! ただでさえ駄目人間なのに!! 負け犬って言われて、親子の縁をきられる!」と結構なプレッシャーを感じていた。

プレッシャーを感じるとやる気が全くおこらないのが私の悪いところで、一人で結局布団の中でぐったりしていました。 心底、ぐったりしていました。

そして昨日恐れていた連絡が親からきて、おそるおそる話をする事になった。 もう、話す前からぐったり。 

ただ結果は想像とかなり違った。 彼らが単純に私を愛している事、結構なんとかなると信じている事、そして焦って何かにコミットしないで、一年間ぐらいかけて、飛び込める穴を探せと考えている事を知りました。 あと、声が聞きたいからもっと頻繁に連絡をとってもらいたいとも言われた。 っそうだ、うちの親はヒッピーだった!!! あまりにも連絡を取らないから忘れてた!! 母はヒッピーだけど、仕事命な女だから、短期間「アンナちゃんは速攻で仕事を決めて本気でそれに打ち込んで暮らすべきだ」と思っていたらしいんだけど、完全にヒッピーな父親に「でも僕たちがアンナちゃんぐらいの年齢のときって完全にぶらぶらしていたじゃん。 彼女もちょっと自分で人生を模索する時期を持つべきだよ。 大きな仕事にコミットするよりも、小さな仕事を沢山経験するべきだ。」と言われて一瞬で納得してしまったらしい。 自分よりぼんやりしている親を持っていてよかった! ”永遠の大学生”をしていた親の二十代に乾杯!

その話を聞いて私は「うちの親はしっかりしてないなあ…。 こんな親に育てられたんだから、私がプレッシャーに弱いのも、社会に対して具体的なアイディアを持ってないのも仕方ないかも。 でも彼らがしっかりしてない分、ある程度自分でしっかり考えてやらなきゃな。 がんばろう。」っていう気分になった。 奇妙にやる気がわいたのだよ。 彼らが信じてくれているのなら私は何とかするだろう! そして彼らの期待は私の想像していた期待と結構違うってことがわかって本当に良かった。 

子供として勿論、親の期待には答えたいし、彼らに誇りに思ってもらいたいと思っているから、辛かった。 「父母よ、トヨタマンになれなくてごめんなさい。 経団連にはどうも入れそうにありません。」と思っていたけど、そんなの相手は全く望んじゃいなかったようだ。

ってことで、私は小さな仕事を沢山する人になります。 就職活動自体もその小さな仕事のうちに入れて、コツコツやろうと思い始めました。 私は典型的な勝ち組には多分なれないし、なろうとも努力しないかもしれません。 友達としてそこにがっかりしてしまったらごめんなさい。 多分、あなた方に赤坂で焼き肉をおごる日は遠いです。 六本木ヒルズにもマンハッタンにも多分住めません。 残念だろうとは思うけど、多分他の人がそういう事をしてくれるだろうから、私にはそういう事は期待しないように。 家でおいしいご飯を作ってたまに招待します。 豪華ではないと思いますが、おいしいはずです。 料理、好きです。 夜景は見えないかもしれないけど、すっごい良い画集なら何冊か持っているので、それをお見せします。 それで許してください。

ただこれは別に「いつかなんとかなるはずだ」とか、「待ってれば勝手に何か良い事がおこる」とかって思って積極性を投げ捨てたとか、「私これから私やら私のやりたい事やらを探します」とか、そういうのじゃなくて、もうちょっと自分の将来の夢に正直に勇気を持って行動しようっていうっていう意味なの。 だから期待は捨てないで!!

以上、近況報告でした。

2008-11-25

誰に対してとかじゃなくて

 なんだか状況とか全体とかに対して切ないし、どっか寂しい。

 多分大学が終わって、夏になって、8時になっても外が明るくて、そういうのが重なり合って切ないのだろう。 

 一人に慣れなきゃなあ、慣れなきゃだよなあとしみじみと思っています。

 こういうリンボーな状況になったのが初めてだから

2008-11-23

指輪

 卒業ハイは多分まだ続いていると思う。 ピーク次に比べるとおとなしくはなったけど、まだまだ結構やりたい放題だ。

 今日はクラスメイトと昼ご飯を食べにいった。 そこで彼がしていたブレスレットが可愛かったから、軽く甘えながら「何か身につけれる物が欲しいの、だからくれない?」と言ってみた。 そうしたらこれは誕生日にもらった物だからあげれないけど、何かあげたいと言ってもらえた。 言ってみるものだわ。 二人でちょっと興奮して、じゃあ今から買い物に行こうと街に繰り出した。 そしてかなり可愛い指輪を買ってもらった。 だから私も相手に同じデザイナーが作った男物の指輪を買ってあげた。 

 「ミルクシェイクをのみながら交換しよう。 カフェまで違う道を通って、テーブルで会って、お互いにプレゼントがあるなんて知らないふりをして驚こう!」と言われて、おもしろいと思ったのでそうした。 そして五分後にカフェで待ち合わせをして、私はチョコレートシェイク、彼はバナナシェイクを呑みながら、指輪交換をした。 

 二人ともめろめろにとろけながら「すっごい幸せ!」と連呼。 「実はアンナがクラスメイトの中で一番のお気に入りだったんだ。」と言われたので、私は高らかと「気に入ってもらえた上に、指輪ももらえるなんて、お前と同じクラスで良かった!」と宣言をして、お互いの肩を抱いた。 何たる栄誉。 

 お互いに四年間頑張ったねと誉め合って、そのまま海に散歩に行き、長々と歩いた。 

 男しかいないむさくるしい大学で学んだ事の一つが、いかに男の子ってのがロマンティックで愛らしい生き物かって事だ。 もーすごい、すごい、可愛い。 女の子も可愛いけど、男の子も可愛いのね。 私、男の子産みたいと思ったもの。 

 今日のクラスメイトとのデートは黄金だった。 私は満足いたしました。 本当に可愛い指輪なので、今度写真をアップします。 っくっはーってなるよ!

2008-11-22

結婚式とかについて

 仕事の関係で、結婚式周辺について調べている。 そこらへんのデザインを次はする事になるかもしれないんだ。 

 結婚の経験は今の所全くないので、よってあまり情報も持ってないので、調べていると色々関心させられる。

 オーソドックスな形から、個性的なのまで、もうほとんど結婚式の周りって小宇宙だわ。 「これでもかっ!!」ってぐらいの情熱が沸き上がっている領域なのだと知りました。 周りで結婚した人達の中で結婚式らしい結婚式をした人がいないから、そんなの存在しないんだと思っていたんだけど、する人はする。 そして、私はそれをこれから盛り上げたいと思っております。 

 最近、情けない感じにだけどリレーションシップについて考えさせられる事が多かった。 私やら相手やら、友達同士のやら、定義しようとすればするほどに指の間から砂が落ちるかのごとく、大切な物が失われていくような感じだった。 「うわっ、これは学校では教わらない」と日々思いました。 でもその不器用な、一見無意味な日常の積み重ねから何かは得たような気もする。 そしてそれをなんだかの形で定義やら命名やらが出来たらなあとも思う。

 もし結婚式とかに関していい情報をお持ちの場合、是非教えて下さい。

2008-11-13

昨日から今日

 昨日からいろいろな事がおこった。 結構多くのクラスメイトがウェリントンを去っていくので、昨日が最後のみんなで一緒に遊べる日だった。

 昼間からバーベキューをして、みんなで肉を食べたりビールを呑んで、いっぱい日光浴して、本当に楽しかった!! 

 そして思わず言葉に詰まって、もう会えなくなる子たちの前にたつと涙が出て、切なかった。 

 めそめそしてても仕方がないと、海の横の大きな公園でみんなでサッカーをした。 二時間走りっぱなし。 裸足でクラスの子たちとひたすらサッカーをして、ゴールが入る度にお互いをおんぶしたり、蹴っ飛ばしたりして、本当に楽しかった。 大学の先生に「気がついていないのかもしれないけど、君たちは本当に美しい時間を今過ごしているんだよ」と言われた事を思い出して、また走りながら涙が出た。 私たちは確かにかけがえのない時間を一緒に過ごした。

 家に帰りシャワーを浴びて、お分かれするのは寂しいから近所のクラスメイトと集まって夕飯を食べた。 夕飯を食べてもまだ満足ができないから深夜営業をしているマクドナルドでコーヒーを飲んで、次の日に会う約束をして、さよならをした。



 その後、なんか体の中に力がみなぎっているのを感じたから、ゲイのカップルの家に行き、「あと八時間ぐらいしたら役所が開くから、みんなで行って、君たちは結婚をします。」と宣言した。 そして彼らの家を去り、朝また行き、彼らを叩き起こし、役所に行った。 

 ニュージーランドにはシビルユニオン法という、同性同士でも、異性間の結婚と同等の権利が認められるユナイトの仕方がある。 二人の保証人が必要で、私は勝手に私と私の親友以外、彼らの結婚の保証人にはなれないと決めていた。 元々私と親友が朝食を食べる約束をしていたので、そこに彼らが合流し、そのまま役所に行けば合理的であるとひらめいたのだ。

 役所に行ってみたら、結構二人ともビビっていて(そりゃそうだ)、ちょっと強引すぎたかなとか、不安にもなったけど、まあ、ねえ、本人たちも「アンナが今日結婚しろって言ったんだからしょうがない」って言ってたし、そういうもんなんじゃないでしょうか。 

 うーん…、事のスケールが大きすぎるからよくわからん! ただ彼らだって拒否権は私に対してあった訳だし、多分、これで良いんだと思う。 

 受理されるまで三日間かかるので、月曜日に正式な儀式を役所でする事になった。 とりあえず、それまでは静かに、時間の流れに身を任せるにこした事がないだろう。

 役所の帰りに会ったほかの友達にこの話をしたら、相変わらず強引だと驚かれた。 私もたまに私は強引だと思ったりするけど、さすがに誰かを結婚させたのは今回が初めてで、そしてもう二度としないと思う。 とても、とても、とても、とても、とても大切な友達の人生の事だからやったし、だからこそ、この「友達同士を結婚させる」っていうカードは、彼ら以外には使いたくないんだ。 私の中のこの役目は、彼らのためだけにあったんだと思う。 

 ちなみにシビルユニオンの書類を提出した人の片割れと、保証人である私と私の親友はみんな同じ高校に行った。 その高校はニュージーランドで初の性転換をした国会議員の母校であり、非常に性の平等について神経質な高校だった。 良い高校に行ったと思う。 

 高校時代の事を思い出すと、これと言って特別な事はなかったと思ったりもするんだけど、こうやって高校時代の友達の結婚の保証人になれたりしているから、何かすばらしい事を私たちは共有したのかもしれないと思う。 

 私たちは美しい時間を過ごしているのかもしれない。

2008-11-09

土曜日





 土曜日はひたすら寝た。 金曜日のプレゼンの後、完全に呑みまくって、どっか大切な所がぶっ壊れた感じがした。 いや、まだしてる。 でも土曜日の感じと比べたらちょっと現実感が戻ってきた気もする。 

 興奮しすぎていてベッドでは寝れないので、朝方ベランダにうつって寝た。 ついでにシーツとかも全部洗濯した。 

 お互い二日酔いだから、連れ合いと寄り添って寝る気すらおこらず、ひたすら、ひたすら、寝た。 っが、勿論プレゼンの後のパーティーで、二人を叩き起こしてくれるだけのゴシップがあって、その情報がクラスメイトたちから回ってきたから、頑張って起きて、張本人たちに聞きにいったりした。 そんな感じの一日だった…。

おお、おわった…かな?

 実感は全然ないけど、多分終わった! 変な二週間だったよ…。 そしてパワフルな四年間だった! きゃーーー変な気分!!!

 とりあえず、最近とった写真でも。

 提出の前は、毎晩私の家で徹夜パーティーでした。 楽しかったと言えば楽しかった。 みんなのぐったりっぷりがすごい。









 朝方はみんなすっごい事になっていた。 でも毎日こんな感じだった。 この写真は結構記念碑的な写真。 この日を境にみんなが狂気の世界に突入したのね。 ここにうつっている人全員のその後数日の話しを知っているけど、それはそれは見事だ。 あっはっは。

 

2008-11-05

世界が勝った

 明日の朝、卒業制作提出です。 っぎゃーーーー!!!!! 

今日はクラスメイト殆ど全員でアトリエに籠り作業をしてる。 今日が最後なんて信じられないよ! 泣きそう! 

インターネットラジオを流しっぱなしにしてアメリカ大統領選を聞いていた。 「今誰が勝ってる?」「世界が勝ってる。」「今は?」「世界が勝ってる。」っていう会話を繰り返し、オバマが勝った瞬間にとりあえず皆で「世界が勝った!」と叫んだ。 なんだか分からないけど、自分たちもこの卒業制作のプレッシャーから勝てそうな気分になった。 「今だけは楽観主義でいさせて! なんだか世の中これでマシになる気がするの!!」と友人たちが口々に言い、彼の勝利宣言を聞き、涙。 今回のアメリカ大統領選挙は、私のクラスでは勝手に「世界対アメリカ」になっていたのだ。 そしてなぜか、彼に自分を重ね合わせていた。 オバマのカリスマはすごい…。 

さーーーー、あと十二時間、頑張ります! 最後の徹夜だ! 

2008-11-02

提出もぎりぎりだから

 「課題が終わらないから、やけっぱっちな行動をとっても誰も怒らないだろう」と推測し、酔いつぶれる事にした。 

 友達が、同居人の企画した自分の家のハローウィンパーティーにどうしても行きたくなくて、「俺と寝室か物置に隠れてくれ」と頼んできたからだ。 「っじゃあ、物置でお願いします」ともう一人の友人を含めた三人で隠れる事にした。 友達と大喧嘩をしながら車で僻地にある彼の家についたら、確かにこれは嫌かもって感じのノリのパーティーだった。 みんな変装していて、ものすごく酔っぱらっていて、そして楽しい、善人達の集まりだった。 日陰者な我々には若干輝きが強すぎる、そんな感じでした…。 とりあえず喧嘩しながら開場入りをしたのは私たちぐらいだと思う。 出だしから景気が悪い。

 地下の物置は、一応デコレーションがしてあった。 ものすっごく狭い空間で、でも鏡を配置して若干空間に広がりを持たせている所が閉所恐怖症のランドスケープアーキテクトな彼らしく、少々愛らしい。 しかも同居人に「つまんねえ奴だな」と思われたくなかったらしく、一応アロハシャツを着て変装(のつもり?)をしている所が痛々しかった。 上でどんちゃん騒ぎが行われて楽しそうな間、私はこの怪しい照明の物置小屋に景気の悪い男友達二人と隠れていました。 写真を取ろうとしてもドアを開けないと全貌が写せないような空間なんだよ。 ほのかにおもしろくて私一人でずっと笑っていた。





結局酸欠になって、ラウンジに上がり酔いつぶれて私は先に帰った。 次の日の昼過ぎに電話をして結局最後はどうなったのかと聞いたら、パーティーは朝の四時まで続き、最終的には家の壁に穴が空いたらしい。 酸素用の穴? 何考えているんだか分からない友人達は愛おしい。 その調子でこれからも頑張って!

タラちゃん

 タラって名前の友達がいる。 高校一年生の時の数学の教室で席が隣になって以来の友達。 (たしか、それは私が初めて高校に編入した日だったはず。 日本の大学の友達も入学式で席が隣だった子たちだ。 私、友達運が良いか、それとも極端にレイジーかのどっちかだわ!)

 かれこれ8年来の友達。 今日は彼女に私の卒論の校正をしてもらった。

 彼女の家に行ったら、彼女はベランダのハンモックで白い麦わら帽子を被って眠っていた。 ハンモックを揺らしたら起きて、軽くハグをしてくれた。 「夕飯作ってあげるから、ちょっと待ってて」と言われて、ハンモックを譲ってもらう。 午後の日差しが温かくて、最近ちゃんと寝ていないからうとうとした。 「起こしてあげるから寝てなよ」と言われて「じゃあ二十分ぐらい眠らさせて」と言い、速攻で深い眠りに落ちた。 一回目が覚めた時に視界が真っ白で驚いた。 私が日焼けをしないように、彼女が麦わら帽子を私の顔に載せていったのだ。 

 そしてまた寝る。 夕飯が出来たと起こしてくれて、二人でチキンと黄色いピーマンがいっぱい入ったトマトソースのパスタを頂く。 

 ぽろぽろと最近あった話しとかをしていたら、涙が止まらなくなって、わんわんと泣いてしまった。 「美味しいし、タラちゃんと別の国で暮すの切なすぎるよぉ。 タラちゃーん! うわーーん!」と子供のように泣いた。 私が感情的になるのに慣れている彼女は「ご飯食べながら泣かない!! お皿下げるよ!!」と言いながらご飯を食べていた。 「うん、泣かない」と言いながら泣きながら彼女が作った夕飯を食べた。 「人が作ってくれたご飯を食べるのが久しぶりで…。 ほとんどミルクシェイクとスコーンで最近生きていて…、それかビール。 だからパスタが魂にしみた。」と泣いた言い訳をした。 

 食後に彼女が私の文章を直しながら、二人でデザートのチーズケーキと甘いミルクティーを頂いた。 また泣けた。 「このチーズケーキはスーパーマーケットで買ってきた冷凍ものだよ。 もし、工業製品的食品がファンタスティックで泣いているんだとしたら人間として惨めだから、泣くのをおよしなさい。」と突っ込まれ、また泣けた。 「卒業制作、辛い」と言い訳をして同情してもらう。 本当は彼女と違う国に住むのが寂しい。 

 こんなに愛されていると実感させてくれる友達っていない。 「タラちゃん程、一緒にいて愛されているなあ、ケアされているなあと思わさせてくれる友達っていないよ。 タラちゃん、本当に特別。 タラちゃんといると私特別な気分になる。」と泣きながら言ったら笑われた。 「マフューやらトムやら、ディランやらがどれほどアンナの面倒を見てるか知ってるよ。 あんたはただ極端に女の優しさに弱いだけ。」と言われて、確かにと一瞬思いつつも、涙。 日常的な私の面倒を見ているのは彼らの方だけど、私は泣かないどころか注文すらつける。 彼らの前だと「おい、私の靴下脱がせろ」的な駄目女になっちゃうんだよ。
 
 親しい男友達は私が彼の家に行くと、使っていない白いランプシェイドを私の頭にかぶせる。 「これがアンナの安全地帯。 このランプシェイドを被って、僕とソファーに座っている時のアンナは温かい事しか考えない。 仕事の事は考えない。」と私が眠るまで呪文を唱える。 確かに、多分、優しい。 逆の立場だったら私にはそんな忍耐力は無い。 っが、ランプシェイドはごつごつしていて正直、頭に長期的にかぶせるのはどうかと思う。 その点、白い麦わら帽子は柔らかい。 男友達はドラマティックだけど、女友達は細やかだ。 そんな事をぽろぽろとタラに話していたら「靴下脱がさせたの?! あんた妊婦?!」と大笑いされた。 私も泣き笑い。

 あー、タラちゃん大好き。 今日は久しぶりに私もこういう人になりたいなと思った。 これぐらい周りの人が「私愛されてる! ケアされてる! 私って特別!」って思えるような優しい人になりたいよ。 私、優しい人になりたいです。 靴下はこれからは自分で脱ぎます。

2008-10-30

名前をつけてやる!

 友達の卒業制作の名前をつけまくっている。 そして彼らのプレゼン用の写真に出まくっている。 変な仕事ばかり頼まれる。 しまいには「このプロジェクト用の文章を日本語で書いてくれ!」とまで言われた。 何故?! 

 でも夕飯を買ってくれるというので書いた。 彼のプロジェクトの名前は「小石」という。 (勿論私がつけた) 小石っぽい形のマルチコントローラーなのね。 一応考えて書いたんだけど、あまり労力の感じされない上に、私以外クラスメイトの誰も読めない所が虚しい。 なのでここにのせておく。 




こいし

こいし ころ ころ こいし ころ
触って 変わって 撫でて 変わって
こいしころころ こいしころ こいしころころ こいしい ころ
東京駅の階段で ウェリントンの街角で 
こいし ころ ころ こいしい ころ こいしい こいし ころ
触って 起こして 覚めて 変わって
こいし ころころ こいしころ こいし ころ ころ こいしころ
オリエンタルベイの砂浜で 小さな小石を握りしめ
こいしいころころ いしころ ころ いし ころ ころ
触って 変わって 撫でて 変えて
こいしころころ こいしころ 
ヴィクトリアの階段で
 由比ケ浜に向かう道で
てくてく歩いて 
坂を上って
いしころころころ 
いし ころ ころ
こいしい ころ ころ こいし ころ
音楽を聴いて 私を聞いて
こいし ころ ころ こいしころ
触って 撫でて
こいしい ころ ころ 
こいし ころ





なにやってんだかよく分からない女が街をぶらぶらと歩きながら彼の作ったコントローラーを使っている所を描写しています。 ちょっとした冗談です。 もし、プレゼンで読み上げるはめとかになったら…、どうしよう…。

2008-10-26

どさくさで…

 気がついたらテロリストとつきあっていた。
「アイスランドは、お金遊びをしすぎちゃって、ついにイギリスで反テロ法を適用されちゃったよ…。 私ってテロリスト?」とアイスランド人の友達に言われた時、私は呑んでいたビールを吹き出した。 今アイスランド人の子たちと話すといちいちすごい事が飛び出てきて肝が冷える。 反テロ法って名前がすごい…。

 焦った友達たちが作ったサイト。 笑っちゃいけないけど、ものすごく笑える。 
http://indefence.is/


 

2008-10-21

mobile me

 ずぼらだから、意識的にコントロールフリークになろうと日々挑戦しています。 なので一日の作業工程を作る、もしくは人に作ってもらいながら毎日の生活を送っています。 まあ結果としてずぼらだから、予定の八割方達成できたらって程度の作業率だけどね…。

 っで、色々なソフトとか紙媒体とか使って無駄な時間を失わないようにってやってたんだけど、ついに究極のコントロールフリークシステムに出会った気がする。 これはすごい。 すごさが目立たないぐらいのすごさがある。

 それはAppleのmobile me! あまりにもよく出来ているから、iphoneも買ってより一層のハーモニアスな電脳世界を作り上げたいと本気で思い始めたよ。 私のmac二台、大学のPC、そしてMotorolaの携帯、全ての予定表と連絡先、タスクマネージャーがシンクロしています。 地味なすごさだけど、実際便利だ! しかもユーザーインターフェースに新しい所が全くなくて、ただのデスクトップと同じ使い心地なんだよ! そういう意味でウェブデザインを越えてる。 ブラウザ上に私のmac worldが広がる広がる。 オンライン、オフラインの壁を越えた感じが素晴らしいです。 



 ちょっと近未来を感じました。 この使い心地はすごいのでmobile meのアカウントホルダーは是非一回使ってみて下さい。 ここまで来たか感があります。 ものすっごく地味にいいんだよ!

 大学で「しまった、今日中にやらなきゃ行けなかった作業が終わらなかった」って思い、予定表を変更して、その後家に帰って自分のmacのicalを開けてもちゃんと修正されているなんて夢のようじゃないか! このスムーズさで卒制を乗り越えたい、けど、それとこれはまた別の話しかもしれない…。

どういう事だよ、これっ

 淑が血液型占いなんてださい事をやっていたから、なんだか私もやってみてしまった。 だって、淑の結果が「真面目で責任感があり誠実、良い人」なんて出てるからうらやましかったんだもん! 質問の回答と血液型にあわせて性格判断みたいなのをされるんだけど、やってみたら酷い結果が出た。 うーん…。 とりあえず私を知っている人はこの結果を読んで、腹を抱えて笑って下さい。 お金が大好きで、変で、ずるい、そんな女と友達なのはあなた自身なのですから。

血液型ゲノム
http://blood-genome.com/

 お金大好き天然B型

全く行動が読めません。
真剣度: ★★☆☆☆
天然度: ★★★★☆
適当度: ★★☆☆☆
きまぐれ度: ★★☆☆☆


性 格
相手よりも上の立場にも下の立場にも振る舞うことができます。現実的であり利己的であります。好き嫌いがはっきりとわかれるでしょう。他人を自分にとっての損得だけでしか考えていません。ケチケチするのは嫌いで、健全にお金を使います。抜群の集中力をもち、色々な困難を切り抜けて行きます。ちょっと悩んだりして調子がでないときがあり、ちょっと遠回りに物事に向かう時があります。ひねくれたところがあり基本的に人は疑ってる、あなたはさらに常軌を逸しています。人の予想の斜め45度上の結果を出します。ちょっとずるいところがあります。


仕 事
押す時と引く時がはっきりわかれる動きをするでしょう。時期によってやる気の上下があるでしょう。手抜きもします。とにかく利益や結果を優先していきます。仲間とは助け合いたいと思っています。相手の気持ちをまるで心を読むかのように察することができ、周りの人の信頼を集めます。休みのときにも仕事のことを心配したりして、やるべきことに集中できないときがあります。世の中は悪であると思っており、他人を心から信頼しません。それはあなたはどちらかというと変だからです。


恋 愛
臨機応変に相手の男性に合わせて行動します。たまーにテンションあがってイケイケになります。またしっかりとした経済力を重視します。頭の回転が非常に早く、相手の男性の信頼を得ます。急に相手の男性が冷たい態度をとると、そればかり考えてしまうときがあります。あなたは人を信じることが段々できなくなっています。しかし理解されがたいのはあなた自身です。相手と繋がりたいという気持ちが強いです。

2008-10-19

A-ha

A-haのTake on me のビデオはミュージックビデオの革命のような作品だったらしい。 キャッチーで80年代の代表のような曲自体も有名だよね。 

映像の内容にあわせてその曲の替え歌を作ったのが、このビデオ。 ミュージックビデオの代表のようなこの映像については、よく友達と話す。 そのときに使う言葉が羅列されて歌われているってだけでこれだけ笑えるのかと感動した。 クラスメイト達と見ながら泣くまで笑った。 

Take on me: Literal Video Version


私たち三人と、知らない人数人がバス停にいた時の話しなんだけど、QueenのAnother one bites the dustの意味が分からなくて、友達に聞いた事がある。 で、「誰かがぼこぼこにされて倒れ込んだ様子を、"地面の砂ぼこりを噛む"って言い表しているんだよ」と言われて納得した。  そして英語が母国語じゃない人の為に超説明的な替え歌にして歌おうという事になり、「誰かが殴って、顔面から倒れて〜」って三人で歌いながら歌詞を作っていった。 そうしたらバス停にいた人達が大笑いしはじめて、結局バスがくるまで見ず知らずの人達も協力して替え歌を作って遊んだ。 ひたすら何かを描写する替え歌ってのには奇妙な魅力があると思う。 少なくとも一回目にその題材で遊んでいる時は大笑いできる。

土曜の夜

 週末とかも関係なく朝から晩まで大学にいる。 

 週末の夜は大学から家に帰る時に繁華街を通ると酔っぱらい達が溢れている。 「こいつらには他にやる事無いのかよ!!」と心の中で悪態をつきつつ歩く。 他にやる事の内容がひたすらCADで設計図作りな私に、そして時間と心に余裕がある時は私もその酔っぱらいの一員として朝まで飲み歩いている私に、悪態をつく権利は無い気がするのだけど、それでもちょっとむかっ腹。

 今日はきれいな格好をした素敵女子が、大学の横のユースホステルの窓に向けて御自分の胸と女性器をがばっと道ばたで見せていた。 よっぽど酔っぱらっていたのだろう。 窓からこれまた酔っぱらった男の子たちがキャーキャー騒いでいた。 彼女の友達と思われる人達も「キャー♪」ってなっていた。 しかも車に轢かれそうになっていた。 道ばたでその瞬間を見た、多分その場で唯一のしらふな私は「人間って…」とうなだれた。
 
 そしてギャングスタなファッションに身を包んだ、強面な男の子集団とバス停で一緒になって、「恐喝されるんじゃなかろうか」とか「ボッコボコにされたらどうしよう」とヒヤヒヤした。 でもバスが来た時に「お先にどうぞ」と笑顔で優先され、バスの中でもなんだか気を使ってもらった。 

 露出狂になっていた素敵女子と、マナーの正しいギャングスタを五分の間に連続して見ながら、土曜日の夜だなあと思った。 私は夜遊びをしてなかったのに、ちょっとその狂乱に参加させていただいた気分になった。 劇をみたような感じだ。

2008-10-18

マネキンのある景色

インド料理

 インド人とポリネシアの島々の人達、そして南米の人達が沢山住んでいる地域に住んでいる。 そこらへんの料理には事足りない。




 最近のお気に入りの食堂。 インドのスウィーツが沢山売ってるの。 でもインドのスウィーツは何が長所なのか分からない。 甘く、ないんだよね…。 なんか初めて体験する旨味であって、どう処理して良いのやらわからない。 ただカレーは美味しい! 




近所の友達と地元の新聞を読みながらだらだらと夕飯を食べる。 日本にいた時も地元の食堂にはよく行った。 なんかそういう程度の外食が好きだ。 大切な行事な気がする。 

2008-10-17

ココナッツ

 トンガに行ってからたびたびココナッツを飲む。 移民街に住んでいるから、そういう食材を手に入れるのが簡単なんだ。 地元の友達とは普通の飲み物として重宝している。

 大学で疲れたから鞄からココナッツを出して、ちゅうちゅう飲んでいたらクラスメイト達に爆笑された。 何となく私の中でココナッツは一般常識に解禁されていたからそんな反応されるとは思わなかったのでおもしろかった。 みんなが集まってきて私がココナッツを飲んでいる写真を取っていた。 ちょっと照れた。 真顔でココナッツを鞄から出して、無言で飲んでいたのが変だったらしい。 もっと大々的にやらなきゃいけなかったのね。

 



 確かにココナッツってスペシャルだよなと思い、地下の作業室でドンガラガッシャンと工作をしている友達にお裾分けして反応を見る事した。 カメラマン同伴でココナッツ巡礼。





ものすごく反応が良かった。





作業室の技術者のおじちゃんにココナッツを割ってもらう。 





みんなで美味しく頂きました。