2011-03-26

二週間

東日本の震災から二週間が経ちましたね。

東北の人達に一刻でも早く、温かさと安全が確保される事を願ってやみません。

東北、頑張れ。
東北の為に、日本も世界も頑張れ。 
自分も頑張る。

今は心の真ん中に東北があります。
震災以来いつも、東北地方にいらっしゃる方々の事を思っています。

東北地方以外でも、まだまだ苦労の渦中にある方々が多いと思います。
私の友達や家族は東京圏に集中しているんだけど、皆の話しを聞くだけで、
あぁ、自分に出来る事は何だろうと考えさせられるよ。

現状を見つめると、とても悲しくなる。あまりにも無惨で。

でも未来を私は知っている気がする。

東北は、日本は、必ず復興する。
それは疑いのないことだ。

絶対に近い未来で起る事。
それを知っているから、悲しいけど、誇りは失われない。

自分自身が、その証拠だからさ。
私達自身が、戦後おじいちゃんやおばあちゃんが日本を復興させた社会によって育まれた人間だから。 
私たちがいる事が、東北が、日本が復興できる、これ以上にない証拠だ。

だから大丈夫だと思える。

私たちは、叡智も、愛も、機会も、十分に持っている。
絶対に、「ああ、日本は震災以前より、より豊で、賢さに溢れた社会を作り上げる事ができた」と思える日が訪れる。 
それは東北や、日本に住んでいる人達、そして世界中の人達の努力によって絶対におこる。

それだけが、社会に出来る死者への弔いだと思う。
あまりにも沢山、無惨に失われた尊い命を弔う為にも、
もう二度とこの規模の悲劇が起らないように、この悲劇から叡智を得て復興しなくては。

今産まれて来ている子どもたちが大人になるとき、より良い社会をバトンタッチしよう。 
彼らが、同じ失敗を繰り返さないように、彼らに愛と機会と知恵を渡そう。

子どもたちに、この国の子供で良かったと思えるような何かを、瓦礫の間から見つけ、育みたいですね。

これからの東北が、日本が楽しみでならないよ!

昨日は職場で日本の為の義援金を集める昼食会をしたよ。
皆で亡くなった方々へ黙祷をし、日本の復興を願った。

皆とても協力的だったし、深い同情を持っていた。
私たちがやっている事は規模としてはとても小さいけれども、
でも疲れたときや折れそうなときに、
湯たんぽみたいにちょこっとでも日本の人達の心を暖められたらと、義援金を払ってくれた。

いつか機会があれば、是非東北にいまいる子どもたちや、日本の子どもたちをホームステイで預かったり、一緒に遊んだり、
きれいなところに連れて行ったりしたいって言ってくれていた。

皆いつか日本に遊びにいきたいとも言っていた。

今目の前の危機に対する行動は、多分、本当に専門的な知識と技術を持っている人達にしか行えない。
でもその人達をバックアップする仕事を日本中の人達がしているんだと思う。
そして、その日本の人達をバックアップする為に、いろんな国の、市井の人達がいる事を忘れないでね。
一人じゃないよ! 日本だけじゃないよ!
いろんな所の人達の心のかけらが今東北に送られてるよ、日本にも送られてるよ。

在外日本人は、要所要所で日本の事を思い出せてもらう為に、いろいろやります!

ニュースは大抵悪い側面や特殊な状況しか伝えない。
日常の日本がどれだけ良いところか、美しいところか、奇麗なところか、温かい人々がいるところか、
魅力的なところか、そういうのは、多分、もっと直接的なところから伝わっていくのだと思う。

デザインであったり、単純に人間同士の友情であったりさ。

これからの東北が、日本が、本当に楽しみだね!
二十年後に世界をあっと言わせよう! 
多分、これが恩返しだし、弔いだし、未来に対する愛だ!

$$$

べガス。 全てが見事に偽物だった。
この写真だけでもパリとニューヨークとグランドキャニオンが混在している。














そしてちかちかしていた。

森 6







森 5




赤い橋を見て、日本を思い出した。
何を見てを思いが日本につながった。

森 4




遠くに見える山が美しかった。

森 3





森 2







湖に映る森の反射が美しかった。

2011-03-22

気を、張りすぎないように

イライラしないように、気を、張りすぎないようにいたいと思う。

2011-03-21





ずんどこずんどこ舗装もされていない道路を進んで、海に向かう。













森は好きだ。 週末はずっと森にいた。

2011-03-13

紙を破くように

 一枚の紙を真ん中でベリっと破いたように、昨日と今日の関係が断絶する時がある。

クライストチャーチの時もそう思ったし、今回の3月11日におこった日本での災害でも同じように、前後の関係が破かれたような気がした。

地震のあった日の昼間(日本時間の朝)に書いたブログの記事の内容が、奇妙な空間に浮かんでいるような感じがする。 その記事を書いた時は、「日本にもいつか地震がくるっていうし、クライストチャーチの経験を活かしてもらいたい。 じゃないと、クライストチャーチで亡くなった方々の命がもったいなさ過ぎる。」と思っていた。

今は、その時の時間から、ベリっと切り離されて、全く違う場所に感情も経験も吹き飛ばされたような気分になっている。

被災された方々が安全な場所に避難できる事を、
行方不明の方々が早急に見つかる事を、
ご家族、ご友人を亡くされた方に人びとの優しさが届く事を祈っています。
そして亡くなられた方々には、深い哀悼の意を。

2011-03-11

地震の後に思う事

2月22日の地震から気がつけば二週間以上が経った。 早いような、長いような…。

地震当初は、救命とサバイバルが最も重要な事だった。 被災した方がサバイブできるように、そして行方不明者の方々を救命する事が何よりも重要視されていた。 本当に非常事態だった。 短期戦。

現在は、復興に向けてのミッションにステージが移行している。 これは本当に長期戦。 この地震の処理をするのには、被災者の方からしたら、もしかしたら一生かかるかもしれない。 そして街単位でも数十年、国単位でも長い時間がかかるだろう。

私が今回の事で強く思ったのは、私達がいかに、この長期戦に入ってからのクライストチャーチの政策にアテンションを払わなくてはいけないかと言う事だ。

阪神大震災の時、私は日本にいたけれども子供だったから、被災者の方々にどのような社会保障が行われたのか、地域の事業にどのような援助が出たのか、被災してから何日後にどうやって行われたのか全く知らない。

今回の地震では私は大人になっていたから、被災後にどのような助けと、どのような人生があるのだろうかと考えさせざるを得なかった。 もしその時自分が雇用されていなかったら? パートタームで働いていたら? 職場が壊れていたら? 怪我をしたら? 家のローンがあったら? 子供がいたら? 病気だったら? 自分の貯金でいったいどれだけの期間、国からの保証無し、仕事無しの状況でサバイブできるだろうか、などなど。 考えたらぞっとした。

それは回りにいた人達にとっても同じだった様子。 周りの人達とは、震災直後の非常事態を乗り切る事と、同じ位のウェイトで、その後の自分の人生の立て直しと復興についての話をするようになった。

今回、クライストチャーチでは被災後一週間の時点で、今後六週間に個人個人に支払われる緊急エコノミーパックの発表があった。 勤務状態にあわせて、週$500から$300支払われる事になった。 (これは本当に生活にぎりぎりな金額で、何かを買い直すとかってのに使える額ではない)

日本のニュースは短期戦の部分をとてもよく報道してくれた。 でも、この国の被災者がどのような社会保障を、どの段階からどう受け始めているのかとか、生活を立て直す為には何が必要なのかなどはあまり報道されていないような気がした。

自分が同じ立場に立った時に、比較対象を知っているというのはとても心強い事です。 どうか遠くの国の事だと思わずに、比較、批評材料として、災害後復興へのプロセスを観察してもらいたいと思います。

今回のことで強く思ったのは、自分の住んでいる地域共同体の人達の意識そのものが自分自身の運命を決めるという事でした。

知識や比較対象を持っている人達が多い共同体に属している事が、自分の命を守る事に繋がります。 どうか、自分のためにも、自分の周囲の人のためにも、震災後の様々なステージに関する情報を持つようにして下さい。

2011-03-03

ーー

話しはがらっと変わるんだけど、日本人のジャーナリストがNZでプロフェッショナリズムにかけた態度をとっていたって話しを聞いた。 この場合欠けていると言われたプロフェッショナリズムは、自分自身がいる場所での優先順位の理解と配慮だったのだと思う。 結果として、逮捕されたり、プレスパスを取り上げられたり、地元のNZ人達が日本人被害者の家族を"日本のパパラッチ"達から守る為に動いたぐらいに嫌な行動を取っていたらしい。

初めその事を知った時は、かちんと来た。
文脈読めよ、それこそ「空気読めよ!」って。

でもその後すぐに、そこだけに日本の人達のアテンションが注がれるのは嫌だなと思った。 同族嫌悪にのまれてほしくない。 それだけじゃないんだよとすごく言いたい。

一般的なNZでの海外プレスに対する印象は、とても好意的なものだと思う。 先日もニュースサイトの一面に、日本から来たジャーナリストが現地の教会で、被災した人達に対してどれだけエンパシーを感じているかとスピーチをしている映像が出ていた。 世界中の人達が自分達を助けてくれている、勇気をわけてくれている事実の方が、被災地でパパラッチしている奴らがいるっていうよりも、注目されている。 そして、感謝されている。 善意をひしひしと感じている。

日本の一部のマスコミがネガティブな行動を取っている事に気を取られるよりも、自分達の行っている善意やサポートがNZを今支えている事を誇りに思ってもらいたいと思う。 そこに注目をして、そして次に繫げてもらいたい。 批評をする事も、改善を訴えかける事も大切なのは勿論の事だけど、でも、それ以上に、自分が人をサポートできている事、ポジティブな事で人びとの記憶と心に残っている事を誇りに思ってもらいたいなと思う。

ネガティブな事を批評するのと同じぐらい、自分達が出来た事、人を支えられた事を誇りに思う事で次の行動をよりよく出来ると思うんだ。

少なくとも私の日本の友達が送ってくれた温かい言葉や、募金とかの事を考えると、本当に自分の取った行動を誇りに思ってもらいたいと思う。

表現の差

同じ事を取り扱っていても、表現の方法によって伝わってくる情報が変わる。

黙祷の時の映像を見比べてみて思った。

TVNewZealandが先日の二分の黙祷を報道したときの映像がこれ。



2分間まるまる見せ、音もかぶせない。 主要な都市からライブで映像を送っていた。 カメラも動かない。 カメラマンも一緒に黙祷をしているような見せ方。 人が動く様子が入ると、映像が切り替わっているようにも見えるから、ある種の意図も感じる。 でも、これは報道というよりも、多分、追悼の一環なので、しょうがないのかもしれない。 追悼に対する真っ当さと、sincereさを示したかったんだろう。 国内でこの映像を見る人の感情を配慮している。

アルジャジーラのは情報量がとても多くて驚いた。 1分27秒の間にこれだけ詰めれるのかと、感心した。 NZに住んでいない人達からしたら珍しいんじゃないかと思う箇所もきちんと映っている。 短い時間の間にNZの持つコンテクストを読み解く情報が沢山入っている。 儀式の前にマオリの長老が祈り、女性が歌う事。 首相の前に置かれているレンガが、震災を象徴している事。 公式発表で手話がつく事。(会社でも会議の時とか、ミーティングには手話がつく) 世界中から人々が助けに来てくれた事。 黙祷の規模の大きさを伝えているし、これがとても感情的な儀式だった事も映している。 こういう文化背景を持っている人達なのねってのを、短い時間で伝えるのが上手なんじゃないかと思う。(あと、印象でしかないんだけど、アルジャジーラって、その場のマイノリティーの人達への扱いを意識的に多く撮って入れている気がする。)





日本の報道は、顔のアップが多い。 文化的背景を知る事を通じて相手に対する親近感を育てるというよりかは、もっと直接的な人間の感情表現を見せる事によって共感させようとしているのかもしれない。 あとニュースに限らないんだけど、日本映画とか、漫画とか、ドラマでも顔のアップが多いよなぁと思う。 感情表現を顔から読み解くのが得意なのかも。 広告もバストアップの写真多いよね。 顔が体のパーツの中でもずば抜けて好きなんだろう。 そして、多くの日本人の方が行方不明になっている事もあり、その事についても報道されている。 

BBCの動画は黙祷の様子と、首相へのインタビューで構成されていた。インタビューに答える事によって、首相から国民、世界へとメッセージを送らせている。

同じ素材を報道している2分間弱の報道でも「誰に見せるか」によってとても変わる。 視聴者が世界規模か、それとも現地の人間か、特定の国の国内向けかによってニュースは変わる。

見比べていると興味深い。

2011-03-01

黙祷

今日でクライストチャーチでの地震から一週間経った。

今日は22日に地震がおこった時刻12時51分から2分間、国中で黙祷をした。

私は職場のオフィスが近い人達と集まって、ラジオを流した。 クライストチャーチ出身のラジオパーソナリティーの女性が、自分が黙祷を呼びかけることについて「こんなに悲しい報道をしなくてはいけないなんて」と言っていた。 自分の地元が破壊されてしまった事に対する黙祷を、人びとに呼びかけるなんて、胸の張り裂けるような痛みがあるだろう…。

そして二分間の沈黙。 職場の人達は皆目を真っ赤にしていた。

ニュージーランドは、マオリ語ではアオテアロアという。 白く長い雲のたなびく島という意味なんだそう。 今日のオークランドは本当に晴れていた。 名前の通り、白く長い雲が真っ青な空にたなびいていて、黙祷の間は風の音と、鳥の鳴き声、蝉の声だけが響いていた。 それ以外の音は、全くしなかった。 本当に、人間の作る音がなかった。 沈黙は、自分が大地の上に立っているのだと言う事を、強烈に私に伝えてきた。 自分が、アオテアロアと呼ばれる大地の上に立ち、大地に慈しまれ、育まれ、そして、大地の運命に翻弄されるのだと奇妙に納得させられた。 私も泣けてきた。

黙祷の間、亡くなった人達の顔を出来る限り思い浮かべた。

黙祷の後は、国歌が流れた。 一番目はマオリ語で、そして二番目は英語で歌われる。 ポリネシアのリズムとヨーロッパのリズムが混ざった演奏だった。

youtubeのこの映像で流れているのと全く同じヴァージョンが使われていた。


ポリネシアのリズムは、ニュージーランドにとてもよく似合う。 というか、ニュージーランドの音が集まると、ポリネシアのリズムになるのだと思う。 優しくて、強い。

亡くなった方のご家族、ご友人の事の痛みを思うと、涙が出る。 私だったかもしれないから。 自分がどの立場であってもおかしくない。 日常的に住んでる所、NZか日本だもん。 地震が少ないとは言えない場所だよ。 行方不明になっている方のご家族、ご友人の事を思っても、涙が出る。 そんな立場に、誰一人として立ってほしくない。 だって、自分が絶対に立ちたくないから。 被災された方々の今と、そしてこれからを思うと、その険しさに、"支えなくては"と思わさせられる。

最初、黙祷をすると聞いた時に「そんな事をするのになんの意味があるんだろう」と思った。 でもやってみたら、自分の中にあった悲しい気持ちに対して、「今は悲しんでいいんだよ、亡くなった人の事を思っていいんだよ、悲しみと不安の中にいる人達に感情移入をしていいんだよ」と共同体に許してもらえたような気分になった。 今回のことで自分自身が持った不安や悲しみの解放を許された気がした。 これはお葬式だったのだと後になって気がついた。

そして「これがどうしようもない現実なんだ」という感覚に襲われた。 多分、黙祷するまで、死や喪失にたいして、どこか現実的に感じていなかったのだと思う。 NZに帰ってきてからのこの2日間は、夢の中にいるような感じだった。 まさかこんなのが現実なはずがないって。 でも黙祷を国中でしていて、みんなで黙って、泣いて、国歌まで聞いてるなんて、これはまさしく、本当におこったことなのだと、実感させられた。

クライストチャーチ震災


お久しぶりの人もそうじゃない人も!

元気ですか?
私は元気です。

地震の事で心配してくれた人、どうもありがとう。

たまたま地震がおこった直後が私の27歳(!!!!!!!!!!)の誕生日だったので誕生日のメッセージとともに、結構な数の心配の言葉をかけてもらいました。 本当に、ありがとう。 そうじゃない人も、私といつも友達でいてくれてありがとう。 皆大好き!

私自身は北島にあるオークランドという街に住んでいるので、被害はありませんでした。 たまたまその時はアメリカに出張していたから、本当に、ピンピンと元気よく仕事をしております。 二日前にNZに帰ってきました。

さて本題。

多分皆様ご存知だと思うのですが…、先日私の住んでいるNZの南島にあるクライストチャーチという街でかなり大規模な地震がありました。

クライストチャーチは去年の9月にもM7.1の巨大な地震に襲われていたんだ。 その時はロイヤルストレートフラッシュ的な奇跡が起こり、建物やインフラはダメージを受けたものの、死者は出なかった。

結構マジで、クライストチャーチって、"キリスト様の協会"って名前なだけあって、神様に愛されてる?アマデウス?と国家レベルでこの奇跡に胸を撫で下ろしたのですが、しかし、とんでもない事に、先日M6.3の直下型、そして震源地が非常に浅い地震がおこりました。

これってとんでもない悲劇だよ! 多くの建物が前回からの地震のダメージを修理でききっていないところで、エネルギー的には阪神大震災と同じぐらいの地震を受けたから、無惨としか言いようがないよ。 街が壊滅してしまった。

そして日本でも報道されていると思うけど、とても沢山の方が亡くなった。

ちょっとした背景説明なのですが、NZは人口が400万人をちょっと超えたぐらいの、日本でいうと横浜市よりちょっと大きい規模の国なんだ。 小さい上に、世界で一番隣国が遠い国でもある。 しかも隣の陸地は、オーストラリアと南極。 オーストラリアも天災ばっかり最近おこって満身創痍だし、南極は…、孤独はいやしてはくれない。

なので、どこの街を拠点にして仕事や生活をしても、常に人同士の交流が盛んにある。 じゃないと何も機能しないんだ。 大きいと言われている市でも横浜市の区ぐらいの人口規模だからさ。

私も日々一緒に仕事をしているとても大切な関係の人達や、学生時代の友人たちがクライストチャーチに沢山住んでる。 また私の周りの人達も皆、なんだかの形でクライストチャーチとの関係を持ってる。

横浜の区同士が協力し合うような感じで、いつも、常にお互いと関係し合いながら生活している。

NZの"存在感がないことだけが存在感"っていう現首相が、被災者に向けて、今回はっきりと良いスピーチをしたんだけど、その中に"On behalf of New Zealand let me say to all of you: We feel your pain, as only a small nation can, for none of us feel removed from this event./ニュージーランドの代表としてみんなに言わせてもらう:君の痛みを私たちは感じているよ。小さな国家だからこそ、だれも、この出来事から自分は関係ないとは思っていない"という言葉があった。 まったくもってそうで、結構マジで、I feel their painな感じになっています…。

例えば常に仕事を一緒にしている写真家は、今回の地震で家とスタジオとオフィス全てが全壊し、仕事道具も含めて全てを失う結果になった。 オークランドでの身近な人達の中には、まだクライストチャーチにいる親戚や友人と連絡がとれていない人達もいる。 新しい情報を知る度に、心がどんどんと冷えていって、単純に大泣きしたくなるんだ。 うわーんって。 被災した人達と自分の関係が生々しい分、相手が痛みを受けているその姿を思うだけで泣けてくる。

首相が"All New Zealanders have a piece of our heart in Christchurch."とも言っていて、これが本当にごもっともで驚いた。 いつもは小馬鹿にしていたクライストチャーチなのに、実際こういう事がおこってみると、"全てのニュージーランド人の心の一部がクライストチャーチにある"ってのがすごく的確だって分かるんだ。 ニュージーランド人じゃない私の心の一部も、やっぱりいつも、常に、クライストチャーチにあったんだ。 だから痛い。

同時にさ、私今回アメリカにいる間にこれがおったじゃん、そうしたら会う人会う人に、「お前NZ訛だな! 大丈夫か? どの街から来たんだ?!」って言われたよ。 「募金するよ」とも沢山言われた。 地震があった日は、私がもしかしたらニュースを知らないのかもと思った人達に、ものすごく心配されて遠慮されながら、「あのニュースの事しってる?」って言われたりした。 勿論、日本の友達もいっぱいメールくれてありがとう。 距離が近くなくても、逆に距離が近くないからこそ持てる、優しさと余裕があるんだなと痛感した。 これって凄いことだよね! 人って優しい!

NZからは痛みを感じて、他の人達からは人道を感じた。

お前は回し者かってぐらいに、存在感の無い首相のスピーチの引用を続けるんだけど、彼が"この国は被災者の真後ろに立って、僕たちの持っている力を全部使って君たちを支える。 そして世界は僕たちと一緒にいる。 近所のオーストラリ人やイギリスやアメリカの友達、世界中の偉大な国々が、君たちの車輪をまたまわすために肩を並べてくれている。"って言っていて、結構個人レベルでそれを感じたし、それを信じたい。(オーストラリア人はただの近所の人で、友達はイギリスとアメリカなんだなという、この微妙な言葉遣いに、ちょっと吹き出しつつも。)

NZの政府もすごく頑張っている。 世界中の協力を受けながら、被害を最小限にしようとしている。 医療現場の友人たちは、クライストチャーチに送られたり、重症の患者をオークランドに向かい入れて、すごい勢いで仕事をしている。 看護士の友人たちも、身体だけじゃなく、精神的なダメージを癒すために、沢山のプログラムをやっている。 私の友達も沢山献血しているし、様々な形で寄付をしている。

首相が被災した人達に対してスピーチで言った、"On behalf of the Government, let me be clear that no one will be left to walk this journey alone. New Zealand will walk this journey with you. We will be there every step of the way./政府の代表として、この事は明確にしたい。誰1人としてこの旅路を、孤独に歩く人はいない。ニュージーランドはこの旅路を君と歩く。君の歩く全ての道のりで僕たちは一緒にいる。"ってのを、実行するために頑張っているし、実行させるために被災しなかった人達も協力して、アテンションを払っている。 被災した人達の傷を最小限にしようとしている気配は、ひしひしと感じる。

でも同時に、胸が張り裂けそうな人達や、身体が傷つけられた人が多すぎて、優しさはどれだけあっても、ありすぎる事にはならないなと思わさせられるような、悲劇的な情報が沢山流れてる。

そう、だから、出来れば私の友達であるみんなにも、なんだかのアクションをしてもらいたいんだ。

まず自分自身が被災したらどうなるかってのをシュミレーションして、自分の為に必要な物や(eg薬、コンタクトレンズ、水)落ちて来たら危険な物を棚からどかしたり、仕事場で被災した場合の家への帰り方なんかを考えてもらいたい。

そして自分が被災した場合に、他人にやってもらいたい事を、是非、今被災している人達にやってあげてほしい。 例えば募金とか。 

以下のところから募金ができる様子↓

【オンライン募金】
・ インターネット募金「ニュージーランド地震救援金」 (Yahoo!ボランティア)
http://volunteer.yahoo.co.jp/donation/detail/1301020/index.html

・ 日本赤十字社(銀行振込でも受付)
http://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00002021.html

・ Salvation Army(ニュージーランド救世軍)
http://www.salvationarmy.org.nz/giving-back/donate-online/disaster-appeals/canterbury-earthquake-appeal/

・ New Zealand Red Cross(ニュージーランド赤十字 ここがクレジットカードで簡単に募金ができる)
http://www.redcross.org.nz/donate

(この募金リストは、このサイトからコピペした。 日本語で情報がまとまっているページだから是非見てみて。 http://greenz.jp/2011/02/24/nz_earthquake/ )


ただ、ちょっと考えてくれるだけで良いんだ。 何が出来るかを、何がされるべきかを。せっかく、私という子を通して、NZとも若干の縁がみんあある訳だし。 

心配してくれた人もどうもありがとう。 優しさいたみいる。

アメリカからNZに帰ってきた日は、本当にびっくりした。 新聞の紙面の背景が真っ黒に塗られていて、亡くなった人達の顔写真が一面にずらっと並んでいるの。 本当に心が痛いよ。 誰1人として、「この人って地震で死にそう」なんて顔をしていないんだ。 本当に、本当に、そこらへんの普通の人達。 それを見て、また胸がぐしゃっとなった。 私だったかもしれないし、あなただったかもしれない。 なんて悲しいんだろう。

でも泣いていても仕方ないから、強くいなくちゃなと思う。
泣きたいのはクライストチャーチにいる人で、私は支える側なのだから。

長いのを読んでくれてありがとう。
じゃあまた!