2009-01-31

カーテンとペアプレッシャー

 長々とヨーロッパ里帰り旅行をしていたリースがウェリントンに戻ってきた。 

 多分、気づいている人は気づいていると思うけど、私と彼は張り合っている。 「子供かよ?」ってぐらいに張り合っている。

 元々はもう一人の友達を含めて、三人で張り合っていた。 私が一番若い上に一人で女の子、しかも彼らの生徒という好条件も重なり、たまに戦わずして勝ったりもしていたけれども、それでもやたらと平等意識の強いニュージーランドというお国柄のおかげで、敵は私が余裕を見せた瞬間に後ろから蹴ってくるような攻撃もとってくるのでとても気は抜けない。 

 そんな私達はお互いの新居について結構張り合っていた。 二人して、西沢立衛による森山邸お宅拝見なんてしてしまったので半端無く「素敵なお家に住みたい!」熱が盛り上がってしまったのだ。 

 口では「君がオークランド/ウェリントンに来る時は素敵なお家に泊めてあげるから、楽しみにしていてね♪」なんて言いつつも、本心では「お前よりナイスな家に住むのだ。」って雰囲気は隠しきれない。 お互い激しくお互いをスパイしながら、「どうやって相手にあっぱれな住宅事情と思われるか」の乱を行っていた。 

 しかし私は「貯金したい」につられて、かなりの妥協を今回した。 郊外の住宅地にひっそりと部屋を間借りして住むという結果になっている。 

 そんな中、彼はかなりの勝ち物件を見つけ(しかも一人暮らし!!!シェアじゃないの!)高らかとビデオチャットをして参った。 勿論、google mapのstreet viewのリンクまで準備して。 

 「ウェリントンに来たら絶対に泊めてあげる! 帰りたくなくなっちゃうよ、きっと。」とか馬鹿馬鹿しい事まで言ってきた。 負けたね。 私は完全に負けた。 前々から、「アンが来た時に良い家じゃないとって思うから、すっごい家を探そうと思って」とかってしおらしい事を言って、高めの家を探す言い訳を見繕っていた奴は、まんまと自分を洗脳し、多分かなりの幸運と共に、若干の出費をしたのだろう。

 悔し紛れに、「私の場合君が来たら、私達はメチャクチャナイスなホテルに泊まる。 友達が来る度にそうする。 私はホテルに泊まりたい。 そう、ホテルに泊まりたいのだ。 そっちの方が絶対ナイス! 私、オークランド中のホテルに詳しい人になる。 それに君って、とってもホテル好きじゃん。 ほら、二人してウィンウィン!」とまだ完全には負けてない宣言しておいた。

 それに謙虚に、「郊外の住宅地に住んでいます。 周りには何もありません。 そりゃあそりゃあ見事なものです。 文化という血流が途絶えた場所です。」と白旗は先にふっていたにも関わらず、彼は容赦なく、street viewのリンクまで要求してきた。 そして、リンクを見た後、私が言った通りの事をわざわざリピートしていた。 「アウチ! 本当に郊外の住宅地だ。 周りに何もない。 うわー、人生に一回だけの経験だと思って、ちょっと頑張るしかないねー。 アーティストインレジデンスみたいな感じで。」とかって、もーー、なんて不毛な戦い。

 そして、「何個鉢植え買ったの?」とか、「家具は何色?」とか、細かく調査された。 しかも「今度オークランドに行った時、一緒にカーテン縫おう。 森山邸ばりに素敵なのを!」とかって挑発された。 彼からビデオチャットがかかってくる直前まで、今日買った白いシルクをカーテンに使うために縫っていた私は、考えている事が全く同じで大笑いしてしまった。 どうやら私だけでなく、相手もカーテンと鉢植えで頭がいっぱいになっているようだ。

 「今実はカーテン縫ってたんだよ。 ほら。」って見せた後、「うーん、僕はもっと厚手のが欲しい。」と張り合われた。 頭の中では、お前の話しじゃないんだ!私の話しなんだ!と思いつつ、「まあ、君は男の子だからね。 白のシルクはちょっとね。 もっとがっつりしたのじゃなきゃかもね。 っあ、そういえば、私の新しいシーツ、オーガニックコットン!」とこっちも奥の手まで出して張り合った。 悔しがっていた。 

 最終的に、この本を見て君を思い出したと結構素敵な本を提示された。 うわっ、こんな素敵な本出してくるなんて、なんか悔しい!と、本当は別に本なんか見なくても、しょっちゅう相手の事を思い出しているのに、私も最近見た一番かっこよかった本の事を言って、相手を思い出したと伝えた。 負けない為に。

 私はひねくれすぎているのだろうか。 書いていたら、段々相手がただの良い人に思えてきた。

2009-01-30

工房見学

 何回も何回も生産ラインの現場に行かさせられる。 全ての行程チェック。 ふとした瞬間に「これは工業デザイナーであり続ける限り、永遠と続く作業なんだよな…。」と思う。 キャリアが終わるまで、いったいどれだけの工房、工場に行くことになるのだろう。 

 私の仕事がいまいちなんなのかわかっていない現場の人たちに、「いや、みてますけど緊張しないでください! 監視員とかじゃないので。」と言い訳しながら観察。 「工業デザイナーって何する人なの?」と言われ、「新しいプロダクトをデザインすることと、勿論あなたたちの作業工程をもっとやりがいのあるプロセスに変えていくことです。 全部ひっくるめてデザインします。」と返す。 そうすると色々教えてくれる。 謎のセールスマン状態だ。 

 現代社会の宿命なのだと思うんだけど、アナログな部分とデジタルな部分の差が激しいのに両立しちゃっていて、頭がこんがらがる。 

 物を組み立てている現場って言うのは、本当に今でも意外なほど人間中心だったりする。 確かに使っている工具はハイテクでも、オペーレートする側の知恵だったり、慣れが大きな効果の差を出す。 

 だから見ていて納得する面も沢山ある。 特にうちは工場というよりも工房で、職人仕事が多いから余計にそうだ。 だから結構「ここはこうした方が良いのでは?」ってのを考えるのが難しい。 「この呪術のようなプロセスを工業化しちゃったら、魔法がとけちゃったりしないだろうか…。実はここはカボチャで出来てましたとかってないよね?」って思っちゃうのよね…。 あーーー、こんなんだったら、小学校とか中学校とか真面目に行って、社会科見学とか参加しておくんだった。 今更ながら、よその工場に行きたくて仕方ない。 お〜い! トヨタの人〜! 私に色々教えてくれませんか?

 でもクライアントの90%が海外な我が社を支えているもう一方の側面は、「そこまでしかすか!!」ってぐらいに洗練されたITに支えられていて、そこの研究室に行くと、もう何がなんだか分からない。 

 パソコンの前に一時間座って、「これがこうでこうで、こうなってこうなると、あそこにいって、そこであれがおこって、これがおこって、そうするとあれで、だからこうなります」的な事を聞きながら、頭の中では「何語?!」の嵐。 

 しかも説明してくれる人はITにかけて職人気質なマニアックな人達で、なんだか説明が長い上に詳細すぎて、理解の範疇を軽く超えた、人工言語で語りかけてくるよ、おい、こりゃ困った。 お〜い! 四次元パトロール! 取り締まってくれえ! もー分からん。 何がなんだか分からん! 

 思わず、「簡単に言うと、こういう事ですよね?」と言い直して、多分あっているんだけど、相手に白けられる。 プログラム一つ一つの影には、それこそ工場レベルの作業工程と、時間と、情熱と、熱意が隠れているのだけど、いかんせん四角い画面の中でチカチカと完成品だけ現れるとそこらへんが分かりにくい。 相手もそれが分かっているから、そこらへん分かってもらいたくて、永遠と色々言ってくれるんだろう。 気持ちは分かる。 でも、私の気持ちも分かってくれ。 

 昨日、今日とひたすら現場の観察が仕事で非常にぐったりした。 長い。 物が出来るまでのプロセスは、長い。 しかもアスペクトが多すぎる。 勿論、この経験は宝物みたいなもので、こんなに色々見れてよかったとも思うんだけど、それにしても長い。

 社長さんに「全部が分からなくていい。 職人になる必要も技術者になる必要も無い。 ただ全体を掴んでくれ。」と言われたんだけど、それでも手に余る。 全体像を掴むのは簡単だけど、でも初めて知る事ばかりだから、あまり発展的な批評が出来ない。 そういう時は、あえて目的や目標に合わせた考え方をやめて、ただひたすら観察するのが一番良いのだろうと思い、無心に脳内へスキャンし続けた。 でも結構自分がやっている事が正しいのかが分からなくて不安だ。 ここで「ここはこうして、こうやって、こうすれば、ほら、結果量が100倍になった!」とかって出来たら、一瞬でヒーローなんだろうけどねぇ…。

 それで、経営陣と戦略会議とか出て、また全く違うアスペクトで物を考える人達に触れて、ふとした瞬間に、本当に人は与えられた仕事で考え方を変えるのだなと急に悟りみたいな境地になってしまったりする。 うん、要するに一瞬集中力が飛んだって事なんだけど。 うへー、結構疲れる。

2009-01-29

トロン! トロン! トロン!

 私の大好きな友達から連絡があった。 彼はトロンというキュートな名前の持ち主で、結構ブログにも頻繁に登場している仲良しの友達だ。 大学の時のクラスメイトで大好きな大好きな友達。

 共通の友達から、トロンがもうすぐウェリントンを去ると言われた私は、結構不安な気持ちで彼にメールを書いた。 「仕事ねえよ、やる気ねえよ、このまま放浪だよ」とかっていうヨワーイ行動でもされちゃったらどうしようと思ったから。 

 すぐ電話をかけ直してくれて(でも真夜中に。 奴は会社勤めの人間の時間の流れを理解してない。)「実はオランダのデザインオフィス(めちゃくちゃ実験的で有名な所)でインターンシップが決まったんだ。 一旦親元に戻って、来月には出発する。 でもその前にオークランドに寄るから一緒に騒ごう。」と言われた。

 私は嬉しくて心がボッカーーーンってなった。 彼の滑り出しが何よりも嬉しい!!! 「すごい! すごい! 本当にすごい! ありがとう、うわー急に私もやる気出た。 頑張って、私も君ぐらいの行動範囲で次のステップ探す! ありがとう、ありがとう、ありがとう! 本当に誇りに思うよ。 君の友達でいて嬉しい。 もうどうして良いか分からないぐらいに好き!」と電話口で連呼した。 声が数オクターブは上がった。

 「インターンが終わったら、アンナがアプライするって言ってたデザインの実験工房にもアプライする。 だから年末にはきっと一緒に××にいるはず。 一緒にヨーロッパ中で遊ぼう。 とりあえずその時期はアンナの予定に合わせるよ。」と言われた。 「っげ! 競争相手が増えた。」と一瞬小心者の私は思ったけど、一秒後には一緒に冒険をしようと言ってくれている友人にとてつもない愛情が湧いた。 そうでなくっちゃ! そうこなくっちゃ! 一人じゃ出ない勇気も、連れ合いがいたらなんとかなるかもしれないじゃん!

 「その実験工房の後はイギリスに行って、RCAでファインアートのマスターを取る。 アーティストになる。 一回目のインターンがこのオランダのデザインオフィスに決まった時点で、そうなる運命なんだと思うんだよね。 この手の世界にとどまる事にしたんだ。」って笑いながら言われた。 確かに。 電話じゃなかったらその場で抱きついていただろうな。 こんなに興奮する話しって無い。 

 私がこれからやりたい事を結構尊重して応援してくれるこの友達は、「だからほら、僕らって利害が一致したじゃん。 お互い頑張ろう。」と朗らかに言ってくれた。 確かに私達が将来立ちたいと思っているポジションについたとしたら、お互いがお互いに結構便利な存在だろうと思う。 

 やったね! 

 多分仕事をし始めると誰でもそうだと思うけど、それまで一緒にいてくれた人達とどこまでこれからの人生を重ね合わせるかとか、お別れするかって問題って思いのほか切実な問題として直面する。 特に私の周りは産業の性質もあって、大概の人はジュニアデザイナー武者修行の最初の時期を違う国で過ごそうとする。

 そして一緒に冒険をしてくれる人が多ければ多いほどに、自分もそのゲームから下りれなくなるし、やる気も湧くし何よりも怖くなくなるから成功率が上がる事も知っている。 でもどうしても譲れない物事もあるから、好きだってだけでついて行けないとか、引っ張り込めないってのもある。

 だから心を込めて、一応好きな人みんなにはプレゼンする。 ここで「私の当座のライフプランはこんな感じです。 もしご意見があれば喜んで聞きます。 引きたい事や、加えたい事、協力してくれる事や、そもそも根本的に修正したい所があればおっしゃって下さい。」って言えてなんぼだろうと私は思うよ。 じゃなきゃ、どうにもなんないじゃん。 売って、魅せてでなんぼだよ、こういう事柄って。 そして、周りがそういう話しをした時は、魅惑された場合私が聞きたいと思っているレスポンスを徹底的にする事にしている。

 聞くだけで切なくなっちゃう、別れたくない相手の将来のプランも、頭の半分で泣きつつ、もう半分ではせめて友達としての誇りを胸に結構大々的にサポートした。 なぜなら、そのプランに結構魅力を感じてしまったから。 後ちょっと涙レベルが上がっていたら、机をひっくり返して、「駄目駄目駄目駄目!! 私のいない人生計画なんてたてないで! そのプラン却下! 大々的に却下。」って言いながら泣きついただろうな。 でもまださすがにそういう人には会っていない。

 たまに運良く色々と重なる人がいる。 そんな時は本当に色んな嬉しい気持ちが沸き上がる。 一人じゃ怖くて結構行動が小さくなってしまう。 たまには人と一緒に歩きたい。 そんな感じで、トロンどうもありがとう。 とりあえず、すっごい嬉しい! 彼の人生が滑り出した! ってか勿論もう滑り出してたけど、結構明確な通過点を通った。 しかもnice one.

 ううう、どうしよう。 興奮して眠れない。

2009-01-28

今更だけど、負け犬の遠吠え

 社会人になった事だし、女だし、負け犬の遠吠えを読んでみた。 

 成田空港からの道中の共として酒井順子の外のエッセイを読んでみたら意外な程面白く、じゃあせっかくだからあの有名な本も読んでみようと思って手に取ったのだ。 

 そうしたら、本の中で負け犬層とされている年齢からは十才ぐらい若い私も、結構確実に負け犬だと分かった。 これは、これは、これは…。 のんきに朗らかに暮していたつもりだったけど、本当は着実に負け犬の階段を登っていたのだね!

 12で家を出てから早12年。 すでに人生の半分の長さを、一人で好き勝手に過ごしてきてしまった。 親御さんの監視下から逃れている期間の長さでは十分、一般的に負け犬年齢層の方々と変わらない所に、私の敗因があるのかもしれない。 ほとんどすべてが当てはまってしまった。 しかもみんなそんな暮し方をしているんだと思っていた。 でも違うんだね。 三十代で、もう結婚していて、子供までいる人っているんだね。 

 たまに人に「アンナのマナーは他の人と違うから」とかって言われる事があった。 それは周りから「そこには手を出すな」と言われた人達や物事に、面白いからって理由だけで手を出して痛い目にあった時。 しょうがないから、笑いながらその話しをした相手に、またまた大笑いされながら「私なら出来ない! まず、そもそもそれをしようと思いつかない! いやー、マナーが違うわー。」と涙を流されながら言われたりした。 そして次に若干真剣な顔をして「本当に、マナーが違う…。」と唖然とされた。 

 確かにそういう事を言ってくる人は勝ち犬になりそうなタイプの子で、多分それは彼女を通じて訪れた天からのお告げの一種なんだろう。 気がついていなかった。 でも多分、そうなのだ。 ここで心を改めて、ライフプランを練り直さないと、多分、確実に十年後の私はもっと負け犬! 

 しかも今の負け犬層の方々なんかよりも始めた時期が早かったという事も手伝って、もっとワイルドに、もっと笑える感じな負け犬になる事は火を見るよりも明か! もう一つおまけに多分低収入で救いない感じになりそうだ。 それは困る。 こいつは困りますよーと、本を読みながら私は思った。 ここで選択肢は二つある。 経済力をつけて、しっかりとした負け犬になるか、誰かと運命共同体として生きる準備をするか。 どっちもめちゃくちゃ難しそうだ…。 この難しい感じに挑んでいくのが大人になるってことなんだろうか。 ってかこんな枠組みを真剣に真に受けて良いのだろうか。 でも結構笑えたから、核心ついているんだよなあ。 そんな事を悶々と考えた。
 

50時間 日本上陸

 神奈川県警にて無罪証明書を入手しなくては労働ビザがとれない事が分かり、焦った私は三泊四日で日本に帰りました。 日本にいた時間は二日強ぐらい。 行く前は「何たる無駄使い、何たる駄目人間。 どれだけ準備をしないのだ私は! どうやってこの駄目っぷりに正当性を与えていいのか分からない。 もう駄目だ。 こんな人間にどうして育ったのだ、この国際的馬鹿!!」と自分に怒ったけれども、ふたを開けてみたら、やってみて本当に良かった。 給料全部吹っ飛んだけど、それでも良かった。

 時間がないし、でもやらなきゃ行けない事は結構あるし、買いたい物も見たい物も結構ある中、神奈川東京を競歩で歩き回ったら、本当に楽しかった。 こんなに贅沢な旅行って無いわってぐらいに楽しかった。 なんかこんなに楽しい旅行は初めてかもってぐらいに楽しかった。(でも、これは旅行から帰ると大抵いつも言う言葉だ。)

 考えてみると、日本に旅行的な時間枠で行ったのは今回が初めて。 いつも最低でも一ヶ月、大抵三ヶ月ぐらい日本に帰るので、いる時は日常生活を送る事になる。 それにいつもバイトやらインターンやらをやっていたので、普通に労働者で、どう考えても旅行じゃない。 そんな中旅行者/消費者としての東京を見たのは今回が初めてで、非常に楽しかった。 今回は買物しかしなかった。

 日本で出ているビジネスとかマーケティングの本を読むと、生活者とか社会にいる人とか、私とかあなたとか、そんな次元を吹っ飛ばして、「消費者をいかに喜ばせるか!」ってのに集中しているのに驚く。 

 大抵消費できる人は生産もしているし、この消費者に対して一点集中ていう奇妙なミニマリズムは全体感失い過ぎで、おかしいんじゃないだろうかとつくづく思っていた私ですが、今回旅行者(ただお金を落とす人)になり、すっげー面白い目にいっぱいあう事が出来た。 旅行者として行ったらただ魅惑的な素敵な場所だった。 だてに、みんな消費者の事だけ考えている訳じゃないなと思ったね! 気分よかった。 芸が細かい。 消費者に対しては日本はやる事はやっている。 買物にも、作り手にも、売り手にも、物にも、感動した分結構寂しい気分になった。 こんなに頑張っているのに報われないなんて。 よっぽど売り手と買い手の間のリアリティーが乖離しちゃってるんだろうな。 その根幹には人をただの無責任な消費者としてしか理解してないマーケティングがあるからな気がする。

 本当は、もっと有機的に全体がコネクトすれば良いのにねと思う。 普通の働いて生活している人達の懐にヒュンっとコンスタントに入り込んでいく物が増えて、日常をもっと豊かにしてくれれば良いのになと思う。 自分がお金を使う事で、自分だけじゃなくて自分が属している社会に潤いとか利益が生じるような、そんなお金と物の交換が日常生活では必要なんじゃないだろうか。 ちょっとしたボタンの掛け違えなんじゃないかなあ。 売り手が誰かを間違えているんだよ、消費者って括りで見ちゃってるから、勘違いのスパイラルが収まらないんだとかって思った。 みんな自分がお金を使う事で、世の中が良くなっていくと思えたら、お金を使うだろうにと思ったのさ。 要するに、人を消費者っていう末端に設定しないで、生活者っていう物事が流れるジャンクションとして理解した方が良いんじゃないかってことを私は思ったのかもしれない。

 うーん、何をどう表現していいのかまだよくわからないけど、超短い間東京に行き、そんな事を悶々と思いました。 もっと上手く言葉に出来るようになったら、自分の仕事に活かそうと思う。

2009-01-27

物について

 今日街を機嫌良く歩いている時に、ウェリントンで荷物を預けている人から連絡がきた。 その人は私の部屋に入居した人で、親切にも私の置いて行った物をまだ預かってくれている。 親切だ。 本当に、親切だ。 

 だけど、かなり私は頭に血が上った。 機嫌が最悪になった。

 私の荷物をどうしたいのだと、相手が連絡を取ってきただけでも、パニックになる切れ切れなこの私。 どれだけバランス感覚悪いんだ。 道ばたに思わず倒れそうになったのには大まかに二つの理由がある。 まず彼女のやる事なす事、殆どに切れるという最悪の属性を私は持っている。 これは仕方ない。 私は彼女に過剰反応する。 もう一つは、昨年の12月頃からの私の日々の主なるテーマになっている物に伴うストレスの所為だ。 

 物! 所有物! みなさんどのようなお考えを、物に対してお持ちですか? 

2009-01-23

すっげーかっこいい男の発言

 高校の時のクラスメイトで、同じ大学でインテリアデザインを専攻していた、頭の偉くきれる素敵な友達がいる。 高校のときは典型的なクールキッズの彼と私は接点すらなく、本当にただの同じクラスの人だったんだけど、大学に入ってから仲良くなった。 お互いの面白さに気がついたのだ。 

 大学で「ネームヴァリューがある大学を出た子とかと比べたら、タフなゲームにこれから参加する事になんだよねー」とかって話しをした事がある。 ニュージーランドってのは英語圏だから、欧米に確かに積極的に就活がしやすいっていう面もあるけど、同時に世界中の人と競争しなきゃいけないっていう事実もある。 そのときニュージーランドの首都の国立大学卒業でも、よその国の名前が通じやすい大学を出た子とかと比べたら見劣りがする。 

 そんなとき、そのクールキッズが「まあ、大学卒業して十年経って、キャリアを積んでいればどの大学を出たかなんて関係なくなるよ。 どう考えてもそうでしょう。」と飄々と言った。 彼は本当に自分の言葉に納得しているようだった。 なんとなく私もそういう風に生きようと思った。 めちゃくちゃお洒落でロックスター路線の彼は頭の中もかっこいいんだなあと思った。

 この考え方は結構いろんなことから自分を自由にしてくれると思う。 十年後に、そういう事柄が色々と問題にならない状況に自分を持っていこうっていう意志もくれる。

 彼は首席となんかの賞を卒業制作で得て、大学の時からITフル活用でニュージーランドからバイトしていたドイツのメディアデザイン系の会社に就職しなすった。 そこを足場にインテリアとか建築の事務所に行きたいんだそうだ。 30代までにOMAに入るとかって普通に言っていて、なんだか彼なら出来ちゃうんじゃないかって気もする。 なんで今時OMAに行きたいのかは謎だけど、どっかオタクっぽい面もある彼には波長が合うんだろう。 

 なんだかやけにかっこいい。 本人が自分をちょっとかっこいいと思ってはいるけど、実際どれだけかっこいいかとか分かってないところもかっこよかった。 

 よく廊下で二人で「お前かっこいいなあ!」「お前かっこいいなあ!」と言い合っていた。 私の何がかっこよかったのか分からないけど、誉められて嬉しかった。 あんまり日々の生活でこういうかっこいい人に会う事が少ないので、忘れない為にブログに書いておこうと思った。

変わるんだなあ

 大学の時の友達がみんな「寂しくなったら、すぐに電話するんだよ。」とか、「ちゃんと楽しんでる?」とか「友達出来た?」とか聞いてきてくれる。 本当に優しい人達だよなあと思います。

 私が大切にされていると感じている時と、そうでない時の拗ね方の差を知り尽くしている人達なので、ただひたすら優しい。 ううう、君たちのおかげです。 彼らは私を気にかけていると示してくれる。 

 そして、なんか就職したら会社では毛虫のように扱われ、馬鹿にされ、ぼろぞうきんのようにされるのではないかと私はヒヤヒヤしていた。 変なテレビドラマを見すぎたんだろうか。

 でも意外な事に就職して初めて知ったのは、ものすごく周りが尊敬を込めて扱ってくれるという事だ。 仕事場では人ってのは、基本的にとても大切にされるものなのね。 社風なのかもしれないけど、みんなお互いにものすごくリスペクトがある。 なぜならば、誰もが貴重な人材で、会社の大切なお金の投資先だから。 そういう意味では大学の方が競争社会だった。 なんか目的が違う物同士でお互いに張り合ったりした。 そしてそういう状況にいると分かっているから、お互いがお互いにいたわり合っていたって言う面もあると思う。 大学でのお互いの尊重と職場でのって全然違う。 それに結構驚いている。



「ブルーオーシャン戦略で行く!!」

「これだから新卒は甘いんだ! レッドオーシャン戦略以外無いんだ!!」

「いや、それでSONYは転けたじゃないか!!! 任天堂に学ぼう!!!」

「なんでお前の例えは全部日本のメーカーなんだ!!!しかも何故ゲーム?」

「だってそれ以外知らないからだ!なぜならば、日本人だから!!!でももっと勉強してくる!!!」

「よしきた!」

と鼻息荒く経営陣と喧嘩していると、妙にアドレナリンが出て最後にはお互いにやけに楽しくなっちゃうし、大学での対等とは違う意味での対等さとか平等さを感じる事が出来る。 そういう意味で大学より気が楽だ。 

 やっている事の内容は大学にいたときとさほど変わっていないんだけど、でも周りの雰囲気が違う。 やっぱり最後に本当に作って売るっていうのが入るか入らないかで、本気度が変わる。 しかも同じゴールを目指しているから、大学でのみんな違う物を作っている時とは全然違う一体感があるし、意外な程失敗への恐怖を持たないですむ。 補い合っているっていうのを肌で感じるからだろうか。 私が間違っていたら、相手は本気で訂正してくる。 だって、チームワークだから。 チームの人達と頭が繋がる感じが確かにある。 そして学生の時とは全然違うタイプのリスペクトを社内の人とは持ち合う事になる。 面白い。

 そして怖いおじさん達を怖くないと感じ、対等だと思いながら喧嘩できるのは、いっぱいの人にこれまで大切にされた記憶があって、結構自意識が高いからだってのは分かっているから、大学で良い意味でも悪い意味でも人に揉まれてよかったなあと思う。

 大学にいた時、先生に「今君たちは気がついていないけど、とても美しい時間を過ごしているんだよ。 沢山写真を撮って、見た物や感じた事を忘れないようにしてね」って言われたときの事を思い出す。 確かにその通りだなと思う。

 会社帰りに友達と電話で話していると、相手の出す声のトーンが優しくて優しくて、涙が出そうになったりする。 同じ年代で、同じような興味を持ち、同じ課題を四年間もして、毎日毎日飽きずに顔を合わせ、一日に一回は一緒に食事をとっていたっていう不思議な真空状態は確かにスペシャルだった。 全てがキラッキラに美しかったとは口が裂けても言わないけど、普通に毎日が大切だったし、かけがえがなかった。

 今日、私の大学の教授が会社に来た。 私の卒制の担当だった人だ。 嬉しくって、ハグ。 二人ですっげーにこにこしながら笑い合った。 これからは同僚なんだよなあと思うと変な感じだ。 やっぱり先生は先生なのか、先生の前になると急に大学の頃の態度になってしまう。 なんか面白いな。

2009-01-18

トロン トロン

 大学の時の友達のトロン君から「お前そろそろこっちに戻ってきてんじゃないの?」と連絡が入った。 「いかにも」と答えると、「なんて悲しいんだ! 電話の一本もくれなかったじゃないか!」と怒られた。 「いやいや、まだ戻ってきて四日目ぐらいだから!」(本当は6日目、この数を言ったら怒られると思い、とっさに嘘をついた)と言い訳。 それでも「そんなにいたのか! なのに連絡を入れなかったのか!!!」と怒られた。 一日会っていなかったら、世界が変わっちゃうんじゃないかってぐらいの親密さを私たちが持っていたのを思い出した。

 私たちは今思い返すと多分とても仲が良かった。 くっつき合っていた。 私はウェリントン→東京→オークランドと移動していたので、一ヶ月強会っていない彼の事を恋しがる時間は無かったし、なんかどっか別の宇宙の話しってかんじになっていた。 でも相手はその間ずっとウェリントンで私の住んでいた家のすぐそばに暮らしているから、私とは違う感じがあるんだろう。

 「今何してるの? 私はこれから美術書専門の本屋さんに行って、その後ギャラリーに行くよ。」と言ったら「他にやる事ないの? なんでどこでも同じパターンの生活してんの?」と笑われた。 彼は家でゴロゴロしていたらしい。 自分が細かい部分まで知っている、でももう二度と行く事は無いだろう部屋の事を思い出すとキュンとなる。 「ああー! 今ここに君がいたらどんなに良いだろうって思うよ」と二人同時で言ったのに笑えた。 声を聞くと会いたくなる。

 最近は自分を取り巻く環境がコロコロ変わるから、二ヶ月前のブログを読んだりすると「私、こんな事してたのか!!」と驚く事が沢山書いてある。 人の生活って変わるんだね。 というか人って変わるのだなと思った。 見ている物が結構違う。 勿論、向き合っている人も全然違う。 

 彼とはぐでんぐでんに酔っぱらって、じゃんけんをして勝った方の家に帰り、酔っぱらいすぎていて深く眠れなくて、起きてもまだ酔っぱらっているから平気で相手を起こして、朝焼けをベッドから眺めて、うとうととしては起こし起こされて、酔いが覚めた頃にどちらかが朝食を作って、その後コーヒーを飲みに行って、大学に行ってっていう生活を一緒にいていた。 私が失恋をしてマクドナルドでヒンヒン泣いた時に、横に座ってずっとティッシュで私の顔をふいていてくれた。(この状況は思い出すと笑いが吹き出す。) 傷ついている時に一緒に寝ていると、ちょっと動くだけで"what's up, girl?"と言ってお腹と頭を撫でてくれた。 "Nothing's up, boy."といって、私も相手のお腹をポンポン叩いた。

 多分こういう男の子の友達は、これからは出来ないんじゃないかと思う。 どれだけぴったりくっつき合って寝ていても、ただ温かくてお互いに優しくて、夜目が覚めたときに窓から見える光の移り変わりをただ一緒に見たいから起こし合える、そういう友達になる為には長い時間がかかるからだ。 それにクラスメイトだから出来る関係な気がする。 職場の人とはそうはいかんだろう。 分からんが、そんな気がする。 こういうたまたま一緒に育っちゃったから仲が良い犬と猫みたいな関係には、育っちゃった後に出会ったら出来ないのじゃないかなあ。 要するに、珍しい関係だった。 そのときは別に珍しいとも特に思わず、お互い好きな子がいたりする時は放っといていたし、日常での出来事の背景ぐらいの扱いだったけど、今頭の中が全然そんなモードじゃないから、「そんな私もいたのか」って感じに思える。 人って変わるんだね。 うーん、変わった友達がいたんだなあ。

2009-01-16

白とちょっと黒

 金沢に夜行バスで行った。 

 バスに乗る前の仕事の打ち合わせに、ロシアの軍人みたいに着込んで、寝袋持参で行ってしまった事が今思えば恥ずかしい。 ロッカーに入れておくとか思いつかなかった。 しかもポスターとかを入れる為の巨大な筒も持っていて、完全に怪しい人だった。 よく一緒に働いてくれたなと相手方に対して思う。 打ち合わせの後はパークハイアットでともちゃんとデートした。 服装と装備についてなにもつっこまなかった彼女に大人を感じた。 私もそうなりたいと思う。

 そう思いつつも、バス停で会社帰りでスーツのまま来ていた友人に笑えた。 サラリーマンとロシアの軍人の組み合わせ。 バスの中でサラリーマンな彼が普通にエルメスのポッドキャスティングとかクラシック音楽とかを聞いていて、それにもなんか笑えた。 人には沢山の面がある。 


 金沢は雪が降っていた。







今回の旅行の目的は、杉本博司の「歴史の歴史」展を見る為だった。 あと、21世紀美術館に行ったことが無かったから、一回は行ってみたかったのだ。 それにしても、こう一発で「SANNAの建築だ! どう見ても考えてもそうだ!」って思わせる所はすごいなと思う。 アイコニックな作品を作るって事にかけては、この人達にかなう建築事務所はないんじゃないだろうか。

















撮る人もカメラも変わっていないのに、写真が妹島+西沢ワールド全開になるところがすごいと思う。 単純にそこまでアイコニックでフォトジェニックな物体って面白い。 そこが一番面白かった。 逆に言うと、そこ以外のコンセプトはあまりにも当たり前になっちゃっている分、新鮮じゃなかった。 それも十分にすごい話しだけど。







ジェームス・タレルの部屋。 天井に四角い穴が空いている。 雪が顔に降ってきた。 


雪が降っていたけど、花も咲いていた。



富士山

 富士山も今回の帰国の隠れテーマだった。 毎日なんだかの形で富士山を見ていた。 しまいには家族で富士山の麓まで行ってしまったぐらいだ。 一緒に日本に来ていた友人が富士山が見える度に、滅茶苦茶可愛く喜ぶから、私はそれこそ必死に毎日富士山を探していた。 富士山ハンターだったよ。


江ノ島にかかる橋から見る富士山。 探してみて。 







地元の浜から見える景色(自慢)。 七里ケ浜です。 私のビーチ。 富士山と江ノ島と浜でじゃれる人々。 めでたくないかい? 私はこれはかなりめでたい光景だと思う。 冗談みたいにめでたいから、他の友達が来た時も連れて行った。 眼鏡君が無我夢中に写真を撮りまくっていた姿は、ホストとしてやった感があり嬉しかったです。 ジュンジュンのまつげがキラキラしていて、奇麗だった。 サトルはワイルドな小学生に戻ってしまった。 歩ちゃんは慣れたもので、かっこ良かった。 そして富士山が雲に隠れて見えない日にきちゃった友人は、そこまで興奮しきていなかった。 やっぱ、キーファクターは富士山なんだろう。 富士山のインパクトを再確認した。 







記念撮影とその撮影。 すっごくまぶしくて、気持ちがよかったからみんながみんなに優しかった。







友達がキラキラ。 あまりにも本気で富士山の写真を撮っていたからおもしろかった。



海! 海! 海!

 小さいときは海が怖いから好きじゃなかった。 そして海が好きって言っている人や、日常的に海辺ばっかりに行っている人達を、薄っぺらい奴らだと思っていた。 でもたまたま海辺に引っ越して、段々と意識が変わっていった。 海辺で暮らす人達に囲まれているうちに、私もコンバートされちゃったんだよね。 海見たらオートマティックに嬉しくなる。 

 海と育った子と一時期濃密に一緒にいて、その子の濃度が海っぽかったってのも良かったんだろう。 私は今でもその子の事を思い出すと、肺にまで満ちる海で泳いでいる時の濃い潮の匂いに包まれるんだ。 海ってのは見た目と、実際水中に潜った時とで、あり得ないぐらいに存在感が変わるじゃん。 その、外側にいるか内側にいるか、それだけでものすごく変わる感じも、その子の事を思い出させてくれて好きだ。 考えてみたらあんなに熱心に一人の子と何から何までやった事はそれまで無かったから、そうする事で相手に対する意識がどれだけ変わるかってのを初めて知った相手なんだよな。 特徴的な思い出として今でもくっきりと体が覚えている。 

 今回も日本にいても海にばっかり行っていた。 「海と、横浜」「海と、鎌倉」「海と、江ノ島」「海と、東京都内」って感じで海にどんな付け合わせを加えるかって感じで、基本は外出は海。 海。 海。 



海と、横浜。 これは友達を横浜に連れて行った日の写真。 シーバスに乗って横浜を海から眺めると、街がジオラマみたいで面白い。 













そして大桟橋。 日本国外の建築関係の人達に「私散歩ついでに大桟橋の上でチョコレート食べたりしてんだぜ。」と言うと、ヘッドロックかけられそうなぐらいに焼きもちを妬かれる。 はっはっは。 はっはっはっはっはー!






シオネに「アンナの卒業付近の頃のブログは神がかって美しかった。」と言われた。 ブランコの写真とか良かったらしい。 でも思わないか? 日本も十分に奇麗じゃん! あー、でもこの景色に見慣れていると、どれだけすごい色彩が夕方になると散らばるかとか、それこそ空気のようになるから評価しなくなるのだろう。 贅沢だ。 でも、そんな贅沢さが無意識のうちに人を支えているのかもしれない。 日本の景色は本当に淡い。

リースと散歩

 先ほどの日記に書いたように、今簡単に自己嫌悪に落ち込めるのアンナです。 気晴らしに日本にいた時の事でも書こうかと思います。

 今回もよく歩きました。 みんなでフーフー言いながら、東京散歩。 今こっちに来てから初めて東京での写真を整理したら、全部すごく薄い色彩で美しかった。 こんなに奇麗で繊細で可憐な街の内部では不景気だったり派遣切りだったりオタクだったりファックトアップな政府だったりが渦巻いて、考えると圧倒される。 ただ、自分はこんなに美しい国に、いる時は美しいとも感じずに住んでいるのだと考えると、母親の事を思った時のように胸がいっぱいになる。







 大将の後ろをついて、てくてくてくてくと、雨の日も風の日も、とても楽しかった。 







 一緒に歩いてくれる人がいて良かったと思う。 彼らの好奇心のお陰で、自分で歩いている時には見る事のない面白い景色を見る事が出来た。 この下の写真は我がボスが「これ大好き! 写真に撮って!!」と叫んだから撮った。 あっはっは。 何が良いんだか。 でも淑のブログを見たらそっくりな写真が。 あっはっは! 好きなのね、あなたたち。



三日目 国際的馬鹿、ついにデビュー

 家も決まったし、ビザについて本腰入れて色々やるぞと決心したのが今朝。 一応全部そろっているはずの書類の最終的な確認を行う。 そして気がついた。 私はついに今日、「国際的馬鹿」デビューしちゃっている事に。 いやったーーーーーー!!!!! 
ばかだーーー!!!

 さて、国際的馬鹿ってのは、読んで字の如く世界をまたにかけた馬鹿という意味です。

例として、

1. 帰国先で自分のパスポート及びそこに貼ってあるビザを紛失する。 って事は渡航先に行けない+渡航先のビザの申請を母国でやり直しで、ものすっごい労力と時間がかかる。 勿論、飛行機のチケットも買い直し。 

2. 空港でチケットを紛失している事に気がつく。 今はどうだかしらないけど、当時は買い直しだったらしい。(十年ぐらい前の話し)

3.  古典的な方法として、なぜか、空港でパスポートの期限が切れている事に気づく。 どうやってチケットを買えたのかが七不思議。(普通旅行会社に聞かれるよね?) ママ! あなたはどうやってそのチケットを買ったの? 

4. 強制帰国させられる。 恐ろしすぎて内容は言えない。

5. 日本に着た瞬間にノロウィルスに感染。 飛行機に乗れるぐらいまで回復した時点で、強制的に帰国。 機内ではバイオハザードとして扱われる。 

6. 数年ぶりの帰国、体が緊張から解けすぎて肺炎で入院。 飛行機に乗れるぐらいまで回復した時点で滞在期間終了でタイムアップ。 そして渡航先でもぶり返す。

7. その他諸々

(健康関係のやつは馬鹿じゃない。 アンラッキーなのだな。 うん、ワーディングがよくない。 国際的にアンラッキー。)

全部、友人及び身内のした失敗談です。 私はそれらを見て、かなり用心深く「こういう事は避けなくては…。 こういう事は避けなくては…。」と思っていた。

でも! ついに! 私は巨大な忘れ物をした。 あっはっは! もう、内容は恥ずかしすぎて言えないよ。 でもね、すっごい大切な物を忘れてきたのでで、誰の目にも留まらないスピードで一旦日本をまた通過します。 もうっ! 馬鹿!!!!!! 馬鹿!!!!!!! 世界一の馬鹿!!!!!!!! 太平洋一の馬鹿!!!!!!! 私の馬鹿!!!

もーーーーやだ。 今日という今日は本当に「?????」ってなった。 まさにきょとーんって感じ。 しかも移民局に言って聞かれるまで、気づきもしていなかった。 

でもこれって心配事の氷山の一角なんだよね…。 とりあえず住処だけは片付いていて良かった。 これでまだ住所不定な生活だったら、本当にもっとぐったりしていたと思う。 とりあえず、ファーーーーーーーーーーック!!!!!

二日目 炎天下のサバーブで永遠の散歩

 家探し二日目(オークランド三日目)は、宮崎アニメの中に自分がいるのかと錯覚するぐらいに真夏の炎天下の下で行われた。 

 テーマは会社の周りでの家探し。 冷やかし程度にやろうとしていたのだけれども、見学先の家の間の距離が簡単に一時間ぐらいあり、それを全部徒歩でやって、普通に肉体労働だった。 結構車が欲しいと思った。 

 私は今回着いた日から、人事の人の家に泊めてもらっていた。 ものすごく懐の広い、人事という意味を深いところで理解している人だよなと思う。 普通は人事だからって、別にこれから勤める事になる見ず知らずの人の面倒を自宅で数日間も見ないだろう。 本当に良い人だ。 偉い。 

 彼女の家から出発する度に私の迷子ライフの始まりだ。 右も左も全く分からない。 ただひたすら永遠と続く住宅街を地図とともに歩き、第一村人、第二村人、要するに遭遇する全ての人(酷い時は一時間ぐらい誰とも遭遇できない)に「私、正しい道をあるいておりますか?!」と確認しながら歩いた。 真夏の炎天下の暗夜行路だ…。 そしてやっとこさで会社の周辺に着いた。

 会社の周りは「ここはトンガか!」って勢いでポリネシアの島々からの移民が多いエリアで、庭先でや道ばたで人々がゴロゴロ寝ている。 日本の感覚で見ると軽くスラムだ。 ポリネシアンな雰囲気がすごい。 写真撮りたいけど、撮ったら殴られそうだから放置。 普通に動物とかがうろうろ歩いている感じもマジでトンガ。 やっぱ住んでいる人が、そのエリアの雰囲気を作り上げるのだなあと感心した。 ウェリントンと全然違う。

 ぐるぐると歩き回り、数多くの社会保障で生きているシングルマザーの家とかを見た。 そういう感じの人達が空いている部屋を貸して収入を得ようとしているんだよね。 馴染み過ぎそうだから遠慮させていただく。

 そして、最後の家(会社から歩いて15分ぐらいの場所)で、「子供いないし、ここで良いじゃないか!」って気分になっちゃったんだよね。 初老の夫婦(夫オランダ人、妻韓国人)の家の一部を人に貸せるように改造してあって、そこに転がり込む事にしてしまったのだ。 なぜならば、全部あるから!!!! 完全に全部ある。 プロフェッショナルなコーヒーメーカーまであり、ベッドに毛布までかかっていた。 「っさ、皿洗いとか掃除とか買い出しとかの分担ってどうなってますか?」と聞いたら、当たり前みたいに「全部自分たちがやるよ。 ちなみに家賃にちょっとお金を上乗せしてくれたら三食出しても良いよ。韓国料理ですが。」とまで言われた。 完全に養子縁組だ。 韓国料理大好きだ。 トイレットペーパーとか買いにいかなくて良いなんて! なんてワンダフルなライフ! しかも彼らとは台所以外の場所は共有じゃないというお得っぷり。 要するに、一部屋分だしたら、専用の食事と家具と風呂と居間がついてくるマジカルな家なのだ。 「うう、私、このままここに当分住みます」とその場で決断。 しかも、契約書無し。 「最低でもどれぐらいいなきゃいけないとかないの? 契約しなくて良いの?」と再確認したら、相手はあまりそんな事考えていなかったみたいできょとんとしていた。 

 面接の後、私がランドスケープ建築の研究室で助手をしていた事を知った彼らは「じゃあ、庭をデザインするのを手伝って下さい。 禅っぽい庭が欲しいんです。」とオファーしてきた。 さすがにこんなに良いディールは悪いなと思っていたので、喜んで交換条件として庭をデザインする事にした。 って事で私は週末は庭師だ。

 これが事の顛末です…。 好条件な気がしてしまったので、結果的に庭を作らなくてはいけなくなったけど、会社の近くに居を構える事になってしまいました。 都心に住みたかったんじゃないのか、お前と自分に自分に突っ込みをいれるも、なんかこうなった。 しょうがないよ、流れるように物事って流れるんだもん。 って事で、住宅地の奥の奥、ポリネシアンな世界を通ったその先で、私は禅っぽい庭を作る事になりました。

2009-01-15

一日目 オークランド中心部散歩

 さて、最初は町中から探そうと、中心部の中心部を狙い定めてぐるぐる見て回りました。 一日で十軒ぐらい見た。 

 とりあえず家具付きの部屋を探しに探して、歩きに歩いた。 

 こっちは日本のような不動産仲介業のシステムがないから、自分でネットに転がっている情報を拾い、その家の人と連絡を取り面接の予約を入れて、とことこと向かう事になる。 で、そこで運命の対面になる。 家と、家の人達と! お互いにものすごくお互いを判断する緊張の数十分。 どっちかが「嫌だ。」と思った時点で即切り上げで、お互いの利点がかみ合うと、根掘り葉掘りお互いの事を聞き合う事になる。 

 家具付きの家の最もナイスなヴァージョンは、プール及びジムがついているアパートメントだ。 っていうか、さすがにそんな施設がついていたら家具ぐらいはどーんと入っている。 なのでちょっと見てみた。 大抵が寝室二つで、だから2〜3人でシェアする事になる。 (カップルが入っていると、基本料金なんかを3人で割れるから2人で住むより安くなる。 だから広告には「カップル入居希望」ってのが多い。 ただ問題はよっぽど出来た人達同士で組み合わないと、カップル側の意見が細かい所で勝ちやすく、シングルで入っている人が日常的に淡々と負け続ける事になる。 怖いね。)

 まあ施設が整っている分、家賃も結構ぶっとんでいる。 すっごいお金持ちの学生とかが住んでいて、青春を謳歌している様子を多く見た。 ウェリントンでは全く見ない光景なのでちょっと驚いた。 そしてプラダを着た悪魔に出てきたような子たちが私の面接官となり、速攻でお互いから打ち切り。 そのときの最も適切な言葉は「今晩、何を思ったか連絡を入れます。」 勿論、どっちからも連絡を入れない。

 次にもうちょっと値段を下げた家具付きの家を見てみた。 プールとジムが消え、やたらめったらアジア人の大学生の多いマンション群だった。 寝室で両手を広げると、軽々両方の壁にタッチできて、台所は前の家のトイレぐらいの広さだった…。 ありえないので、「いやー、こんなところがあるってのを知れて良かったです。 いやはや、興味深い、興味深い。」と訳の分からない事を言いながら速攻でとんずら。

 夜ら辺になると仕事をしている人達の家での面接が始まる。 個性のある面白い所が見つかりやすい時間帯だ。 で、結構いい感じの物件を見た。 ただ、なんか私が得る利益が、家賃のレベルまで行き届かない感じで、うーん…って感じだった。 心臓に矢をうたれたような物件には巡り会えず。 唯一元倉庫のロフトがナイスだったけど、でかくてがらんとしている分、心地よく暮らす為には結構な投資をしなきゃいけないのは目に見えていた。 

 一日目の収穫はそんな感じ。

仮の宿はかろうじて見つかった

 ぎりぎり滑り込みセーフな感じで、当面の住処が見つかった。 どんなところかって? 

「お前、気でも狂ったのか!」って場所。 職場からもっと田舎な方向に向けて歩いて十五分の場所です。 自分の持っていた大方の期待を見事に裏切った結果となりました。 私は知らない御家族の余っている部屋を一部屋分けていただきました。

 実は結構安い倉庫を改造したナイスで巨大なロフトをオークランドのキャピキャピした場所の中心の中心部(日本で言う所の渋谷の交差点的な勢いの場所)に見つけていたんだ。 だからそこに引っ越す気になっていた。 だって、ナイスじゃん。 壁全部レンガだったし。 全てのパブリックトランスポートの始点の真横にあったし。 

 ただそこには問題があって、私がメインのテナントとして六ヶ月間の契約を大家さんと結ばなきゃいけなかったんだ。 それが何を意味するかと言うと、敷金を払わなくてはいけないし、途中で嫌になってもとんずらできなんだよね。 まあ、常識的な話しだ。 大方の人はその程度の事ならするだろう。 ただ私はこの歳になってこんな事を言うのは恥ずかしいんだけど、コミットメントフォビアが強く、結ばなくて良い場合は極力契約はしたくないのだ…。 だって、人生、何があるか分からないじゃん…。 

 あともう一つの問題は、家具付きじゃなかったの。 ある程度の家財道具はもう既に住み始めている人達が持っていたんだけど、寝室は空っぽだったんだ。 ってことはだよ、結構な時間と労力及び資金を使い、色々とかき集めなくてはいけないって事だ。 考えるだけで頭が割れそうになった。 

 実は今回の仕事はミニマルで六ヶ月、いたければいたいだけって形で相手側と約束しているの。 なので契約書も六ヶ月分しかまだサインしていなくて、五ヶ月目ぐらいにお互い相談しようって話しになっている。 まだ始まってもいない仕事だから何とも言えないけど、心のどっかでは六ヶ月後に居たい場所が決まっていて、だから生活をがっちりと固定したくないんだよね。

 だからもし家具付きじゃない所に入ったら、それこそ全てが揃い、落ち着いた頃には引っ越す為に売りはじめるって感じになりそうで、それはあまり良くないよなと思う。 不経済だ。 それにそれに使う時間をポートフォリオ制作に回さないと、多分、私痛い目にあうし。

 ってことで、ただ今の現住所は職場のすぐそばです! くっはー、こうなるとはっ! ついさっきまで思いもしていなかったぜ。 って事で今回の家探しの話しをこれからちょっとしたいと思います。

2009-01-14

何とかなってきたかも

 すごい投稿のラッシュだと感心してくれるとうれしいな。 家探しは、ニュージーランドのヤフオクのようなサイトTrademeを使ってやるから、ネットカフェに一日に何回も立ち寄ることになるんだ。 もし、今後日本語リーダーの方でニュージーランドのオークランドにフラットを探すことになる方、是非参考にしてください! 家探しは春先及び秋口に! 真夏な今、家を探すと、汗だくで道端で倒れこんじゃいたいぐらいに疲れますよ! ただ、今が一番空き家が多い時期でもあります。 学生たちが夏休みでいないから。

くはー、それにしても疲れた…。 何も考えずに眠りたい。 寝るぞーー!

まだ幸運は訪れていない

 家探し難航中です。 両手を広げると壁に触れるような部屋しか発見していない! なんてこった。 冗談かよって場所ばっかだぜ、おい、こりゃ。

 でも若干楽しい。 きっと何とかなる! 何とかなるだろう! 祈っておいて!! 本当に、これを読んだ皆さん、「アンナちゃんがファンキーで、満足できる家をさっさと見つけ出しますように」って心の中で三回ぐらい唱えてください。 プリーズ。 思いは海を越えるから。 

ラブ!
アンナ

悩みは尽きないのです

 今、家を探しています。 はあ…。 どこにどのような形で、どのような金額を払い住むべきなのかが分からず悩んでおります。 大体の見当はつき始めてきたんだけど、まだまだ何がベストな形態なのかは分からないね。

大まかな選択肢は2つあるんだ。
1. 会社の近くに住む

利点 安い、近い、貯金ができるかもしれない
欠点 とんでもない住宅地の中の田舎。 多分住んだらネットサーフィンぐらいしかエンターテイメントがない。 一緒に住むことになるだろう同居人と話の共通点を見つけるのが難しそう。  何かが絶対に枯れる。 生活がむやみやたらとコンパクトになる。

2.都心に住む
利点 刺激はある。 大学の図書館や、町の本屋さんなどリサーチをしたいときに便利。 町歩きができる。 夜映画館に行ける。 多分、そこまで寂しくない。 ギャラリーがある。 夜中に行けるカフェがある。
欠点 高い、遠い、確実に貧乏になる

でも、2を選ぶ気がする。 

頭の中で、「確かに遠いし、高いし、貧乏になるけど、それを上回る利益があるきがする。」と己をずっと洗脳しようと働きかけているから、きっともう心の中では決まっているのだ。 だって、住めないよ! あんな地方の貧しい住宅地には! 週末に町に出ればいいではないかとかとも考えているんだけど、なんかそんなこともいつの日かしなくなり、引きこもり、秋口には鬱になる気がする。 

もし決定的に「こんなライフスタイルは維持できない」と思ったら、引っ越せば良いのだから、とりあえず2を試そうと思う。 ああ、この決断が決定的なミステイクじゃないことを祈る。 

確かに私は田舎が好きだし、森とか海とかないととは思うんだけど、同じぐらいに文化も必要だと思うんだよね。 多摩美も、鎌倉も田舎だったけど、それでもすばらしい図書館であったり、禅寺があったりしてなんとかなった。 ただ、あばら家が連なっている田舎は正直、家族がいるとか、車があるとか、インターネット大好きとか、テレビ見ても見ても見飽きないとかってタイプの人にしか向かない気がする。 

私、とりあえずこれから数ヶ月は貧乏でも街中に住む! だって、じゃないとこれまでの生活とのギャップが大きすぎて、絶対に精神がやられるもん。 それは困るじゃないか!

よし、決めた。 

2009-01-13

着いた!

 飛行機に飛び乗り、放心状態でいること10時間以上。 あっという間に職場に着いた。 今、私は誰のだか知らないデスクを借り、ブログを書いている。 そしてここは夏だ。 

 とりあえず着いたことが嬉しい!! 褒めてくれ。 とりあえず出勤は出来た。 

 さーて、これからどうしようか。 とりあえずこの一週間の私は心して家を探そうと思う。 そして働く。 

 これから何がおこるのか、どんな生活になるのか、どんな人と一緒に過ごすことになるのか、そういうのが全く見えなくて面白い。 アドヴェンチャーだ! こんなに先が読めない感じ始めて。 まさに夢のガリバー旅行記。 


 さて、友達のブログを読んでいたら、私と遊んだことが書いてあった。 私のワンピースと、首にぐるぐる巻きにしていたマフラーを褒められていた。 イーハー! 「女の子らしい格好をして、丸の内を闊歩」という私の趣旨を友人は楽しんでくれたようだ。 二人の会話のテーマは「景気良くいよう」だった。 二人ともちょっと傷心で、景気悪い雰囲気に簡単に転がれる心理状況だったので、出てきた言葉が「景気良くいよう!」。 様々なことは今でも思い出すとイライラして腹が立ち、崖があれば蹴っ飛ばしてやりたくなる感じなんだけど、でもそんな感じよりも景気良くいたい。 ある程度爽やかでいたいし、すっきりとしていたい。

 友人は相変わらず、良い子で美しかったし、良い意味で軽々しかった。 「負の遺産はいらないんだよねー。」とかって言うからかわいかった。 ほかにも面白い言葉使いが多かった。 ユーモラスな人だ。 美しい女だ。

 その後、地元に帰り道を歩いていたら、私の永遠のスウィートハートにばったりあった。 相変わらずすごく素敵でゴージャスだから嬉しかった。 疲れていたし体調が悪くなりそうな予感があったので「ちょっと祈っておいて」と頼む。 「自分で祈れ!」といわれたので「私は私のためには祈らないのだ」と断言しておいた。 彼もすごくユーモラスだった。 美しい男だ。 話しただけで、体調の心配なんていらなくなるぐらいに元気が出た。 この人好きだなあと体が思える人がいることを嬉しく思う。 好きな友人に会うと体調が変わる。

 こっちにくる直前に淑と「今年のテーマは愛にしよう。 アモーレとか情熱とかじゃなくて、ラブの方。 愛情の方。」と話す。 体が喜ぶとか、心が喜ぶとか、頭が喜ぶとか、そういう断片的な興奮とか感情じゃなくて、もうちょっと全体的な感じに喜びを見いだしたい。

 とりあえず、ある程度良い家を見つけよう。 部屋がなきゃ、何もできないし。

着いた!

 心を無にして飛行機に飛び乗り、放心状態でいること

2009-01-12

言ってみるものだ。 そして、所有について。

 サイ・トゥオンブリの写真集が欲しいとブログに書いていたら、友達が本当にくれた。 言ってみるものだ! なんだかんだで最終的に半分ぐらい相手の物になったりするんじゃないかとも思ったけど、とりあえず良かった。 手に入って良かった。

 さて、引っ越しが日常的に頻繁に行われる生活を送っているからか、物の量とか重さとか大きさとかやたらと神経質になる。 発想が「全部まとめて20kg以内におさめたい!」にどうしてもなるからさ。 20kgってのは私が使っている国際線のエコノミークラスで運べる荷物の限度ね。 だから日常的に「私は物をあまり持ちたくない」とか、「私の持っている物で欲しいと思った物は言ってくれ。 すぐに譲るように努力する」とか言っている。 物を持っているのは束縛だと思うんだよ。 だから物欲そのものを抑えよう、抑えようと試行錯誤している。

 で、でも一昨日結構意識が変わった。 近年まれに見る物欲の嵐(しかもスッバラしいやつ)に揉まれて、その迫力にやられたからだ。 くだらない例えだけど、妄想炸裂なセックスの話しとかを聞くと、「人間って…。 私たちは全員去勢した方がよっぽど社会のためではないだろうか。」ってなるけど、でも、それはそれは!ってのを聞くと、「そうだよね!それだよね!回すよね、世の中!」って気分になる。 それと同じで物欲にもあっぱれなのと、無い方がマシなのの間には結構な境界線があると思う。 

 どこでそう思ったかと言うと、金沢21世紀美術館の杉本博司の個展「歴史の歴史」を見たからだ。 

 まずは作品への感想から。 噂はかねがね聞いていたけど、私がまだ実物は見た事が無かった「放電」の写真には度肝を抜かれた。 間違えなく、ここ4年間ぐらいで見た物の中で一番面白いと思った。 これまで以上に「この人どうなっちゃってるんだ?!」っていう喜びと得ました。

 同時に会場に作品とともに展示してあった、彼の収集品の質に度肝と背骨と骨盤を全部抜かれた感じだった。 「こんな物が世界にはあるのか」の嵐だった。 素晴らしく、味わいの濃い、物の力強さや存在感を感じられる良いコレクションだった。 半端無く贅沢だった。 

 そこで私は思ったのだ。 お金を使おうと。 物を買おうと。 彼の収集品みたいにすごい物を私も欲しい。 あそこにあった物全部欲しいと、心底物欲を刺激された! 
 
 潤沢な性欲が素晴らしいように、ただただ沸き上がってくるこの物欲/所有欲も本当は私を前向きにしてくる素晴らしい感情なのではないだろうか。

 そして結果的に杉本博司の作品欲しくなった。 どんな技なのか分からないけど、これから彼の作品はこれまで以上に売れに売れるだろうと心から思ったわ。 たかが24の女が、本気でどうやったら買えるのか考えはじめるぐらいに物欲を刺激される展覧会だったから。 

 美術が好きだとか、芸術の価値がもっと世の中に広がれば良いとか、社会があまりサポーティブじゃないとか、うだうだ美大生やら美術ファンは言うけ れども、それより何よりも、ファンなら、好きなら、買っちまおうぜと妙に脳内すっきりと思ったのだ。 手っ取り早くお金を動かそう、欲しい物は手に入れよう! 美術館とか、美術史と か、美術批評とか、そんなクッション抜きで、まず自分で手に入れて、部屋に飾りたいと眺めて眺めて眺めて、見つめて見つめてってのをしたいと心から思っ た。 物をほしがってはいけないと思っていたんだけど、いや、本当に欲しいなら、もうやっちゃうしかないよ。

 口に出すといつか手に入りそうだからあえて言うけれども、私はいつか杉本博司さんの作品をプライマープライスで買うだろう。 しかも結構近いうちに。

言ってみるものだ

 サイ・トゥオンブリの写真集が欲しいとブログに書いていたら、友達が本当にくれた。 

2009-01-07

光が射してくる

 「港の人」という地元、鎌倉由比ガ浜の出版社がある。 この本はそこから出ている本。
 鎌倉の本屋で山積みになっているこの本の佇まいにほれぼれとした。 近年見た本の中で最も美しい装丁。 

 「光が射してくる」というタイトルは、怖いけど、本当に力強い良い題名だと思う。 滅多に使えない大技な言葉で、「ああ、言って良かったんだ…。」と初めてその題名を見た時に思った。 光が、射してくる。

2009-01-02

年越し食い倒れツアー

 友人らが鎌倉に来て、一緒に年越しをした。 そして終始食べ続けた。