2009-07-31

ウーマンフッド

 大学を卒業して、仕事を始めて、色々な変化が起こった。 その中で一番自分でも驚いているのは、今自分が生まれてはじめて濃厚なウーマンフッドを味わっているって事にだと思う。

 フッドって、英語で性質、状態、身分、境遇、時期を表す為に、名詞の後につける言葉。 だからウーマンフッドは、上手に訳せないんだけど、「女性である状態、境遇、時期」って感じの言葉。

 仕事を始めると、学生の頃と違って一気に様々な年齢や状態や境遇にいる人達と協力する事になる。 関わる人達の背景色がぐわっと増えるんだ。 そのダイナミズムの中では、様々な方向と文脈から、自分を認めてもらえたり、育んでもらえたりする。 そして色々な人生のステージを、彼らを通じて見せてもらえる。 

視界

 画家の知人の視界は、私のそれとは全然違うんだろうなと日々思わさせられる。 特に、相手の撮った写真を見ながら思う。 特別な目を持っているんだろう。




 

ロスコ

2009-07-29

ヘイ メイツ!

 結局なんだかんだで、週に一回はウェリントンの頃の友達に会っている。 みんなオークランドにちょくちょく来てくれるから。 今年、私の古い友人界隈ではオークランド見学が流行っています。

 最近ウェリントンへのホームシックが収まり、オークランドが私の街って思えるようになってきた。 やっぱり新しい街に引っ越すってエネルギーいるわ。 でもこういう経験って、人生への最高のご褒美って感じもする。 違う仕事をしに、新しい街に住んで、これまで会った事がなかった人達と

2009-07-28

Good Old Charles Chaplin

 映画祭の締めとして、チャールズ チャップリンの「黄金狂時代」を見た。 今回はこの映画の為にチャップリンが書いた楽曲をオークランドオーケストラが生演奏した。 私は生演奏の映画を見るのが好きだ。 なんかが違う。 温かさとか息吹とかがあるような気がするのね。 音が流れてくる場所から光を感じる。


 そして私がわざわざ今言わなくても十分周知の事実だとは思うけど、チャールズ チャップリンは映画の天才だった。 映画の原型を見たよ。 圧倒的な芸術を見た後に感じる、魂が洗われきった気持ちを味わい尽くした! 音楽に包まれた彼の映画を見ながら、「こんなに幸せな体験ってあるのか」と呆然としてしまった。


 2200人入る劇場での上映だったんだけど、見事な満席で、非常に観客席の空気が良かった。 観客層が見事に散らばっていたのも良かった。 始めの頃のシーンで劇場にいた子どもたちが、始まりの合図のような笑いをした。 闇に明かりを灯すような笑い声だった。 その直後から劇場中熱狂の嵐に飲み込まれた。 多分私が一人でコンピューターのスクリーン上で見ても、こんなに素晴らしい体験にはならなかっただろう。


 

 

 このロールパンのダンスのシーンには、面白いし、なんかとっても悲しいし、でも素晴らしいし、溢れかえるような様々な感情を喚起された。 完全に美しい。 彼の表情。 ああ、彼の動き。 どれだけの感受性と表現力を持ち合わせた人なんだろう! チャップリン映画ってすごいわ。


 かなりおすすめなので、是非見た事が無い人は見てみて。 面白い。 すっごい、面白いから。

Good old Charles Chaplin

 映画祭の締めとして、チャールズ チャップリンの「黄金狂時代」を見た。 今回はこの映画の為にチャップリンが書いた楽曲をオークランドオーケストラが生演奏した。 私は生演奏の映画を見るのが好きだ。 なんかが違う。 温かさとか息吹とかがあるような気がするのね。 音が流れてくる場所から光を感じる。

 そして私がわざわざ今言わなくても十分周知の事実だとは思うけど、チャールズ チャップリンは完全に映画の天才だった。 映画の原型を見たよ。 圧倒的な芸術を見た後に感じる、魂が洗われきった気持ちを味わい尽くした! 音楽に包まれた彼の映画を見ながら、「こんなに幸せな体験ってあるのか」と呆然としてしまった。

 2200人入る劇場での上映だったんだけど、見事な満席で、非常に観客席の空気が良かった。 観客層が見事に散らばっていたのも良かった。 始めの頃のシーンで劇場にいた子どもたちが、始まりの合図のような笑いをした。 闇に明かりを灯すような笑い声だった。 その直後から劇場中熱狂の嵐に飲み込まれた。 多分私が一人でコンピューターのスクリーン上で見ても、こんなに素晴らしい体験にはならなかっただろう。

 
 
 私の同僚が恋をしている相手を誘ってこのイベントに行きたいのだけど、二人っきりだと緊張するから、モラルサポートとしてついてきてくれと言われたので見てきました。

2009-07-25

そんなに悪いのか、日本の景気

 親と電話で話した。 「日本に帰ってきても、仕事を見つけるのはものすごく難しいと思うぞ。 もうちょっとそっちで頑張ってみたらどうだ。」と諭された。

 こっちの仕事の契約が年末に切れるので、新しい仕事を探さなくてはいけないのだけれども、こっちの景気も半端なく悪いのでこっちにいたから何とかなるって話しではない。

 うおーっと、不安が押し寄せる。 不安、津波のごとし。 不安タスティックだぁ。 みうらじゅんの助けをこいたい。 ってことで、「不安 みうらんじゅん」で検索しまくる。 吉田豪によって説明された、彼の心優しい言葉に救われる。

 ふあーん、ふあん。 フアーン、プアーン、ブアーン、ブワワーーン。 うーん…。

もじゃもじゃな熊と春。

 冬の様相も一日ずつ変化している。 何となく今日は季節が春に向かっていっているんだという実感を感じることができた。 一ヶ月強ぶりに晴れ上がった週末となり、オークランド中の人達が外に出て日光浴をしているようだった。



 
 私も同居人と喜び勇んで近所の公園に行った。 柔らかい日差しの下、子どもたちが遊んでいて、大人たちがうろうろしていた。 同居人は私のもじゃもじゃ帽子をかぶり、冬眠から目覚めた春の熊のようにご機嫌に公園をうろうろしていた。 その「ほくそ笑んでいる」感に私は「よっぽどこの熊につって冬は辛かったのだな」と思い、強く共感。 もし誰かが私の写真を取ったら、やっぱりその写真にうつっている私はほくそ笑んでいるんだろうと思う。






真冬の時にした設定のままで写真を撮ったら、光がカメラにが入りすぎた。 ああ、春はそこまで来ているんだと、色が飛んじゃった写真を見ながら嬉しくなった。



熊徘徊。


 後に同居人は自分の写った写真を見て、「なんじゃこのもじゃもじゃ野郎は!」と驚愕していた。 切り取られた自分の姿を見て、自分の毛むくじゃら感に気がついたらしい。 まさに、冬眠から目覚めた動物のようであった。 こんな姿で春は迎えられねえと帰りに床屋に寄っていた。 この毛むくじゃらな印象の5割ぐらいは私のモジャモジャ帽子の所為じゃぁないかと私は思ったのだが、人について床屋に行くのが好きなので、特に訂正せず一緒について行った。

 床屋は混んでいた。 やっとの思いで真冬を越えた野郎どもが毛刈りに来ていた。 毛むくじゃらな野郎どもがガシガシと毛を切られて行く姿は何ともすがすがしく、同居人と「手っ取り早くさっぱり感を味わう為には、床屋で20分ぐらい過ごすのが一番だね。」と言い合う。 彼も非常にさっぱりし、獣度を減らしていた。 熊から、チワワへ。 春はそこまできている。

2009-07-24

ピナ バウシュが死んだ

 彼女の死を今日始めて知った。 私は彼女の踊りを生で見た事がない。 いつでも私が日本にいない時に来日した。 友人たちはみんな見に行っていた。 いつか見えるだろうと思っていた。 友人たちの言う感想を聞きながら、いつか見ようと思っていた。 ピナ バウシュが死んだ。 彼女でも死ぬのか…。 いつか見よう、いつか見ようと思っていたのに…、残念だ。 でも、生で彼女の踊りを見た事がない私でも彼女の偉業を理解する事は出来る。 私は彼女といつか、どんな形であれ出会いたいと思う。 時間が流れて彼女が亡くなったように、きっと時間の流れのうえで彼女に出会うだろう。 

 今日は春の祭典を聴こうと思う。

ちょっとしたどん底な季節

 7月に入ってから、これといってブログに書きたいような事もおこらないし、「今日はマジで伝説だった!」っていう遊びもおこらない。 基本的に地味で、暗く、どっかひたむきな日々をおくっている。 

 毎年毎年この冬から春へと向かう最後の踏ん張りどころなシーズンになると、真冬の疲れが響き基本的にげっそりとしている。 毎年毎年、ほとんど狂気をはらんだ熱と気合いで真冬を乗り切るので、この「寒いけど、道は歩ける寒さだ」って時期に突入すると、リバウンドで駄目人間になっちゃうんだよね。 このぐったりとした感じは、ほとんどのニュージーランド人に訪れる風物詩的な出来事だ。 毎日毎日雨ばっかり降っている。 日本の梅雨が冬の終わりにおこると想像してみてくれ。 惨めだろう…。 真冬は梅雨っていうよりもタイフーン。 毎日、突風と大雨が降っているの。 恵みの雨、魂に刺さる。

 去年の今頃の時期のブログの記事を読み返したら、見事に私の家は泥棒に入られていた。 ああ、ちょど一年前か、あの嫌な思い出は…。 しみじみとしたよ。 元々季節と天候の所為で陰鬱になっていたのに、その上、泥棒。 結構泣きっ面に蜂だった。 そしてやっぱりブログの記事数が極端に少ない。 どの年の6月〜8月位にかけてもそうだから、この時期のやる気の無さはそういうもんなんだと受け入れて、抱きしめてやるしかないのかもしれない。 せめてオークランドに引っ越してきてよかった。 ウェリントンと比べると天候がそこまで惨めじゃない。

 あと数ヶ月地味に、暗く、ひたむきに、心の灯火を絶やさないように、ひっそりと生きようと思う。 ああ、春が待ち遠しい。

2009-07-19

朝から

 朝起きて、寝ぼけ眼で確認した新着メールの中に大学時代の同級生からのメッセージが入っていた。

 オランダのデザイン事務所でインターンをしている彼からのメッセージにはシンプルに""you anna. how come i never heard from u?? hows things? its very awsome over here!"と書かれていた。 彼のホームページを見たら、アムスのコーヒーショップでへべれけになっている姿や、面白そうなプロジェクトについての写真が載っていた。 そりゃそうだろ、そりゃ楽しいだろう。 そりゃあ、とってもオーサムだろう。 オークランドに引っ越し、半年弱。 すでに馴染み、腰を落ち着けて、私生活を重要視しながら必要以上に心地よくやっていた私は焦った。 そりゃ、こんなにのんきに暮らしていたらメールに書く事なんかも無いし、彼の事なんて正直忘れておったわい!

 みんなこういう感情とどうディールしているんだろう。 この自分への「私ちょっとださすぎるんじゃないか?」って感情、そして「うおーーー! 私も何かしなきゃ。」っていうワクワク感。 う−ん。 週末の朝かあら目が覚めたよ。

 昼過ぎに家人と、オークランド在住の元クラスメイトとブランチを食べながらこの話をした。 そしてその後、元クラスメイトの彼とこっちの大学の図書館に行き調べ物をした。 面白い物事も、知らない事もまだまだ沢山あって、世の中に飽きている時間なんてない。 本を読みながらワクワクした。

 うーん! うーん! これからどうなるのかは分からないし、自分がどこに行くのかも分からないけど、でもなんかちょっとワクワクしたし、焦ったぞ。 これからだ。

2009-07-14

接続接続

 珍しく週末も家から仕事をした。 おおらかな会社なので、場所を選ばない仕事は好きなところでやろうっていうルールがある。 私の家は映画祭をやっている会場の近くなので、家で仕事をしながら抜け出して映画をみたりしてすごした。 普通なのかもしれないし、普通じゃないのかもしれないけど、私の会社は新しいもの好きだ。 なのでネット会議とかすごく多いし、結構普通にやる。 会社で使っているソフトを使うと、会社内の人たちのコンピューターにアクセスできる。 今回の仕事は社長と直接やっていたのだけど、彼も私もお互いのスクリーンが見えて、普通に相手のコンピューターを操作できるように設定してある。 スカイプで話しながら、一つのドキュメントを遠く離れた場所にいる二人でああでもないこうでもないって変更していける。 かなり便利。

 カリフォルニアのクライアントに向けての仕事だったので、途中で彼らも参加する。 結構不思議だよなあと思う。 多分10年前だったらこういう働き方はできなかったんじゃないだろうか。 私はたまたま働き始めたときからこういう状況であって、これが当たり前だと思いながら働いているけど、これからどうなるんだろうと思うと不思議な気持ちになるよ。 10年後にはまたまったく違う働き方が主流になっているんだろうなあ。

 日本の仕事のために、いろいろとやっている。 大抵の仕事が海外向けなので、ニュージーランドに住んでいる割には、まだ地元用の仕事をしたことがない。 クライアントにもほとんどあったことがないし、エンドユーザーなんてほとんど会ったことがない。  これも不思議だ。 うーん。 面白い状況といえば面白い状況だよな。 見ている景色や、触れている文化、感じている時代の空気が違う人たちに対して何か素敵な物事を提供することって出来るんだろうかと悩む。 

今更だけどポニョを見た

映画祭に出品されていたので、ポニョを見た。
オークランド中のキッズが来ていた。 そんな中私とパートナーで、二人してガリバーのようになりながら見てきたぞ。

結果としてかなり好きだった。 同じ監督の作品の中で一番好きかもしれない。 映画館中の子供たちがアドレナリンラッシュを得まくっていたらしく、本気で歌っていて面白かった。 日本語の歌の歌詞が英語の字幕で出ていて、字幕にあわせて歌おうとしてもリズムがあわないらしく、すっごいことになっていた。 うねりが生じていたよ。

狂わしいほどに誰かを求めている恋愛状態ってこんなんだってのを提示してもらえた気がして、「そのとおり!!」と、一人激しく同意して共感しながら鑑賞した。 まさにこんな感じだろう。 喜びの津波だ。 そんな事を子供たちのポニョのテーマソングの大合唱を聞きながら思った。 そんな事を一緒に映画を見た子に言ったら、そういう経験はまだ無いと寂しそうに言っていた。 「大丈夫、いつか人格崩壊するかもって時期がくるから!」ととんちんかんな励ましをしておいた。 そして言った後にちょっと後悔した。

良い映画だった。 感性が慶んだ。 

いつでも彼女は喜びだから

 大好きな、大好きな女友達のジョイちゃんがなんと11月にママになる!!! ついにジョイがママ! ファンタスティック!

 考えてみたら、5、6歳年上の彼女はいつでも私のロールモデルだった。 こういう人生を送りたいぞと思わせてくれる人を知っている事は強みだよなと思う事が、これまでに何回かあって、その度に心の中で「サンキューサンキューバタンキュー!」と感謝していた。

 やっぱいつもステップアヘッドなんだよな。 いつも「今度はこうきたか!」っていうスーパーナイスなニュースをくれる。

 全てが上手くいきますように。 すごい幸せな新しい子供がこの世にクールに誕生しますように。 スウィートハートな彼女のパートナーとの生活が、星屑の集合体みたいにサラサラキラキラしますように。

 あー! いいニュースを運んでくる女って、マジで国宝もんだよ。 宝だ! 赤飯炊け、赤飯!

2009-07-11

歩いても 歩いても

 ああ、何回目かしら。 毎年毎年、同じ事に喜んでいてごめんなさい。 今年もやってきました、映画祭! The New Zealand International Film Festivalsだ! イーハー! 2週間、毎日20本近くミニシアター系の世界中の映画が上映されるのでかなり楽しい。 ただ、アホみたいに映画を見続けるのだ。



 今日は私のこけら落としで、「歩いても 歩いても」を見た。 "ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを 聽きにゆく"ってのりで日本映画を見て来た。 素晴らしかった。 是枝監督はすごい。 この監督は自分の信じているモラルやらメッセージの主張を映画でしすぎる気がする。 そこにだけは臭いなと思って抵抗感があるんだけど、彼と彼のチームが持っている確実な表現力の高さのおかげでそこまでは気にならない。 私はそこにかなりの尊敬を持ってしまうのだ。 己の臭さを超越する堅実な表現力と技術力。 芸術ってその先にあるものだと常々思う。 耽美過ぎる映像にも、ナルシスティックな感じも、結局そんな苦みを超えた喜びがある映画だった。 こんなに見応えがある映画を作れるってすごいよなあ…。

 この作品上映の前に、フェスティバルの総合監督をしている映画批評家の男性が短いスピーチをしたんだけど、その中で「20年後、30年後でも鑑賞に堪えられる秀作。 今回の映画祭で最も美しい映画」と言っていた。 見終わった後に、本当にそうだよなと思えた。 だって、堅実なんだもん! メチャクチャ丁寧に作られていた。 始まった途端から、最後まで泣きっぱなしで見た。 あまりにも緻密に、丁寧に練り上げられた話しと映像で、そしてかなり良い話しを語りかけられてしまい、自分でも呆れるぐらいに心が揺さぶられてしまった。 家に帰って、同居人に映画の説明をしながらまた泣いてしまった。 樹木希林の演技の話しをしていたら「お母さんに会いたい」と思ってほろほろと涙が出て、「お母さんってすごいよね」と言って同居人まで泣かせた。 一体私は何をやってるんだ。

 家族の価値とかを考える時に、また誰かの残した空白や喪失感について思い馳せる時、自分の心の中にジレンマとして浮き上がる考え一つ一つに役柄と役割を与えられているような映画で、全ての登場人物にコネクトする事が出来た。 ただ優しくなりたいと映画を見た後に思った。 だから同居人と、鶏肉とアプリコットのことこと煮を作ってソファーの上で毛布にくるまりながら食べた。

2009-07-10

最近ちょっと忙しい

 この2週間、写真撮影の為にありえんぐらいに雑務が重なり忙しかった。 初めて仕事のお持ち帰りをするはめになった。 ライフハッカー集団の我が社で残業とか仕事のを家に持ってかるってのはありえない話しで、残業するぐらいなら早朝出勤っていう体質の会社なんだけど、この仕事量はそういう努力では乗り切れなかった。

 ああ、眠いよ、疲れたよ。 早く仕事を軌道に載せたいよ。 あとちょっとの辛抱だけど、ちょっぴりしなしな。 くすん、くすん。 もうちょっとがんばるから応援してて、誰か、お願い。

バイバイ マイケル



 世界最強のお別れの歌は、JanetのTogether againnだと思う。 これぐらいの感じが丁度いい。 すごく、こういう感じって良い。

 スカノが「きっとアンナが激しく落込んでいる」と思って、ハネムーン先のアムステルダムからその日の内にすごく優しいメールを送ってくれた。 他にもこれまで一緒に住んでいた人達が結構「アンナとマイケルジャクソンのPVを見まくっていた頃が懐かしい」と言ってくれていて、そういえば一緒に住んだ人達とは誰とでも絶対に何回かハードアウトなマイケルジャクソンナイトをしたんだよなと思い出した。 あまりにも当たり前にやっていたから、一緒に住んで私の生活パターンとかを知っている人とかに言われるまで気がついていなかった。 なんか私とマイケルの関係を、すっげー大切にしてくれている気がした。 ありがとう、ありがとう。 

 あえて言う必要も無いぐらいの世界の設定の一つとして、マイケルジャクソンって一つの独特な芸術を築いた偉大なる人だ。 本当に世界の設定のうちの一つみたいな人だったから、亡くなってびっくりした。 本当に1Q84に滑り込んだような不思議さだった。 マイケルジャクソンがいない朝が来るなんて。 追悼式を見て、ただの1人のエキセントリックな、でも生身の人間だったんだよなと思ってすごく悲しくなった。

 あまりにもオプティミスティックで、ワクワクしていて、清らかで、超絶技巧で、ワンダフルな、ただただワンダフルで、本当に一つの「こういう感じって良いよね!」の鏡のような楽曲をマイケルは沢山作ってくれたから、結構私は一人で勝手にマイケルの音楽に繋がっている感じを持っていた。 バイバイだけど、子供が産まれたりしたら、世界の設定の一つとしてガンガンJackson 5やイケルのアルバムをかけて聞かせて、「こういう感じって良いよね」ってのを繰り返すんだろうなと思うから、やっぱりどっかバイバイじゃないのね。 だからやっぱりTogether again.

2009-07-01

珍しくネガティブだけど結構復活

 全部かっちりと終了させて、マジでどっかここではない国に引っ越したい! うんざりだ!!! もう飽きた!!!

 フラットの事とか、前の友人との間の物の貸し借りとか、地味だけど生活に対してファンダメンタルな要素も多くダメージも大きい事でちょっともめてます。 ストレスフル! 久しぶりにストレス感じてるよ。 気がたつ、気がたつ。

 こういう事がある度にくじけそうになります。 でも永遠と続くんだろうなあ。 こういう瑣末な日常の問題って忘れた頃に訪れて、私の人生にストレスを与えてくれるのだろう…。 いらないのにね、こういうテイストは。 そしてなんて弱いんだろうか、私のストレス耐久力。 こういう時、家族とか、ケイスケとかミズホとかがいる日本に帰りたくなる。 今ならアズミもいるし、ジョイちゃん達も帰国してくるらしいし、意外と日本に友達が戻ってくる数年間になるっぽいんだよな。 そんなこんなで関東圏でぬくぬくとしたいと思ってしまう。 っが、日本を襲っているらしい激しい景気後退の波を考えると恐れをなしてしまう。 暗黒の雲が日本列島に多いかぶさっているように見えるのだ。 すでにそのイメージが現状の景気をより悪くしているのではないかとすら思えてくるわ…。 ううう…、進退窮まった。 って、1人でドラマティックに自己憐憫に浸る。

 でもこういうときは、あともうちょっとだから頑張ろうって思うよね。

 何がどうあともうちょっとなのかは分からないけど、多分、あとちょっとしたら少しは気が晴れると思う。



 追記*
問題の元凶になっていた友達に連絡が取れた。 しかも、なんと相手は今オークランドに旅行に来ていた! おいっ! って事で一緒にビールを飲む約束をした。 そうしたらかなり気分が復活した。 なんとかなる。 きっとなんとかなる。