2010-07-30

シドニーの電車

公共の物を壊したり、汚したりしたいっていう衝動が私にはない。 多分、多くの日本の人達にも無いと思う。 だから日本は街も電車もいつも大概綺麗だ。

アジア圏以外の街に行って、いつも不思議でしょうがないのが、街や公共の物に対する暴力行為だ。 どうして落書きをするのかが分からない。 どうして物を壊すのかが分からない。

誰がどういうメンタリティーでやっているのかが、本当に分からないのだ。 そのアグレッションが本当に理解できない。












電車の中で禁止とされている事も、なんでそれをわざわざ言わなくちゃいけないのかが分からない。




掃除になっていない掃除も分からない。 やるならちゃんとやれよ。

こればっかりは全く理解できない。

現実のシドニー そしてテレビから演歌




オーストラリアの国章はカンガルーとエミュー。 こういうのを見ると路上にきゃつらがゴロゴロいるのかとワクワクするよね。 「やあ!」ってカンガルーに言われたらどうしよう♥と、一人ときめく。

ちなみに下のがニュージーランドの国章。 こっちは何故か人。 いつも右上のぐったりした羊が気になる。 死骸…、なのか?






本家であるイギリスの国章はこんなん。 ワキャーーーっ!ってしてますね。 イギリスはキンキラキンの空想の獣達で装備されています。







一番上のライオンの顔面表情とか、もう、どうしちゃったの…?って感じよね。 ユニコーン、鎖で繋がれてるし。 鎖無かったら、イギリスから走って去って行くのかい、ユニコーン?

さてイミグレを通過して、オーストラリアに入国してみたら、まず人が沢山いて驚いた。 シドニーの人口はニュージーランドの総人口と一緒なので、ニュージーランドの感覚で人の群れを見ると、確かに人が多い。 それは想像済み。 でも日本の感覚での人の多さとは違うだろうと覆っていたんだけど、結構日本的に混んでいて驚いた。 シドニー空港の込み具合はヒースロー以下だけど成田並。 

ここで「オーストラリアでは90年代まで神奈川県と同じサイズの牧場を二人の男が管理していたぐらいに土地がある」って情報からもたらされていた偏見が、シドニーでは通用しないと知る。






旅行先に付いたらまずお金をおろしますよね。 ANZは、オーストラリアニュージーランド銀行。 銀行は一緒でした。 自分の銀行を使ってお金を下し(ただATM機はオージーの方がお洒落だった)、極彩色のお金を手に入れました。 オーストラリアのお金、メチャクチャ派手だった! そしてお札は、ニュージーとも一緒で、プラスティック製。 紙じゃないの。 なんだ一緒じゃーんと親近感。






食べ物が一個一個大きくて驚いた。 こんなに食べれるのかと。 周りを見渡すとサーフボードを担いでいる人達が多い。 きっとサーファーだとお腹がいっぱい空くのだろう。






そしてクリスピークリームドーナツがハラール済みなのにも驚いた。 イスラム教徒でも問題なくドーナッツ食べれます。









私がいつも外国に来たんだなあと実感するのが天気予報を空港で見る時。 中心にオーストラリア。 飛び上がって喜びたくなる。






大陸だから天気予報の規模がでかく、長かった。 オーストラリア全土の天気を伝える為には、日本、ニュージーランドの数倍の時間をかけなくてはいけない。 









空港のテレビ、最近では珍しく日本製だった。 

私が子供だった頃は、こういう場所は大概全部日本製の物で占めていた。 

でもここ5年ぐらいの間に、今度はほとんどすべてが韓国製になった。 空港の中で車の展示とかしていても、やっぱり韓国車。 大きなイベントのスポンサーも韓国企業。

日本製の物や、日本企業が、韓国製品や韓国企業に塗り替えられる流れを、私はずっと国外で見ていた。(日本のプレゼンスって本当に、驚愕するぐらいにこの数年間で激減した。) 

久しぶりに日本製の商品を目立つ所で見て、ちょっと嬉しかった。 

っが、ロゴの照明についているセロファン、片っぽ落ちてます。 おいっ! 
日本の面子の為にも直してくれ!と、日本の家電メーカーのサラリーマン家庭で育った私は切に願う。 

ここで私の演歌心爆発。 元々判官びいきのきらいのある私。 何故かこのセロファン片っぽ落ちているテレビのロゴに強烈に同情する。

このロゴは鬱病での自殺や、過労死した人達、残業残業で家にも帰れず空虚な家庭を作り上げた人達の犠牲の上にあるのだ。 会社に入るまでも壮絶な競争を早ければ小学校に入るときから始め、入ってからも競争し、人生を捧げた人達にとっての成功とゴールの象徴なんだよ! せめて、セロファンぐらい…、武士の情けで直しておくれよ。 よよよよよ。

はやく行くぞと、連れ合いに引っ張られ、何をそんなに見ていたのだと聞かれ、事の顛末を話す。 「自国製」とか、「自国の企業」ってのが、愛国精神と入り交じっている東アジア人独特の感覚が分からない連れ合いに、かなりぽかんとされる。 「日本人からしてみたら、松下、トヨタってのは、政府より偉くて、日本の誇りなんだ! 世界にテレビと自動車が供給できていたのが、日本人的にはとても嬉しかったんだ!日本人は日本国民であり市民である前に、日本株式会社の社員なのだ! そして演歌。 今の私は紅白歌合戦並みに、唄心で満ちています。 お能らへんから、日本文化説明させてもらったら、きっとあんさんにもこの感じわかるからっ!」と一応、この感覚を説明してみるも、勿論通じる訳も無く、ずるずると引きずられて空港を後にしました。

止められてなかったら、今度は駐車場でどこ製の車が多いかの調査を始めていたと思う。

演歌。 日本関連の物事を見た時の私のリアクションは、演歌。 よよよ。

想像上のシドニーと現実のシドニー

私にとって未知なる大陸だった、オーストラリアに週末行ってきました。

オークランドからシドニーまでは、飛行機で三時間ぐらいなので、とても近い。

でも精神的距離が非常に遠く、南半球に住んで8年ぐらい立つけど一回も行ったことが無かったんだ。

大概のニュージーランド人は、大阪の人が東京を毛嫌いするように、オーストラリアをけちょんけちょんに言う。 だからさ結構素直にオーストラリアってのは、地獄の釜の底みたいな場所なんだろうと思っていた。

特にシドニーは、オークランドのでっかい版として、本当に酷い所だと聞いていた。

ウェリントンの人達はオークランドが大概嫌いなのね、そしてそういう土地柄の親分みたいなシドニーはもっと嫌いで、みんな悪口ばっかりいっていたんだ。

キャピタリズムによって支配されたシンシティーなんだろうと思っていたんだ。 っていっても私は地上にあるキャピタリズムの楽園、東京出身なので、「ほうほう」とシドニーの噂を聞きながらも「そんなん東京の比じゃないよ」とは思っておったがな。

またまた歴史背景も、オランダ人がこの大陸を見つけて、イギリス人に勝手に$1で売ったとか…、

そしてたまたま冬の砂漠地帯を見たイギリス人達が「ここは流刑地にぴったりだ!」って思って、イギリスの犯罪者を島流しにしたところから移住が始まったとか、

その送られてきた荒くれ者達が、現地の人びと(アボリジニ)を虐殺しまくって、差別しまくったとか、

でも夏はすごい実りの季節で、好物も山ほどあるから、アボリジニから強奪した土地から金目の物をごっそり抜き取って、今じゃお金持ち国家とかって、

ちょっと話しのスケールが大きすぎる。 「それホラじゃね?」って言いたくなるような漠然と広大な感じの歴史。 微に入り際に入りな日本史に慣れていると肝抜かれるわ。

って事で行っていなかった。 心の中で「アメリカとオーストラリアは世界に存在しない事にしておこう。大陸ってのはわけ分からん。」と勝手に片を付けていたのだ。

ところがさ! 行ってみたらさ、本当に素敵な所であった。 今まで行った事がある街の中でも、私の感覚からすると一番美しかった。 人びとは往々に優しかったし、多文化主義の行き届いた町並みだった。

本当に私は偏見に満ちていたなと驚き続けた週末だった!
もっと荒んだ感じの場所を想像していたのに、実際はキラキラした輝いた街だったよ。

見事にニュージーランド人のルサンチマンにだまされていた。

韓国に始めて行った時にも同じような事を思った。
私はとても親密な韓国人の友達が沢山いて、いつも「日本の噂話しや、ニュースで聞く韓国が、彼らを育てた土地だとはどうも信じられないが、きっと彼らが特種なんだろう」と思っていた。 

しかし行ってみたら、文化的で歴史が深く、人びとは親切で愛情深い、素敵な国土を有する場所だった。

今回の経験と抱き合わせて考えると、結果はクリアだ。
要するに、隣近所の人の言う事はあんまり信じちゃいけん。
これ鉄則。


シドニーは本当に美しい港町で、いつも私が何となく思っている事、
結局の所都市の力や魅力は、元々の自然環境にかなり影響されるっていうのを強く実感させてくれた。

シドニーの自然と、そしてそこに人間たちが建てた建築がの呼応が本当に美しかったんだ。

こんな場所が地球があるのかと驚いた。 

連れ合いも始めてオーストラリアに行ったんだけど、終始「なんて素敵な場所なんだ…! 今まで完全にだまされていた!」と驚き続けていた。

馬鹿は私だけじゃなかったか。

二人で手を取り合い、ひたすら街の美しさにうっとりする週末を送った。

オーストラリア万歳!

2010-07-28

お味噌汁とか、おっぱいレイディーとか。

 会社に行きたくないと拗ねてみた。

 そうしたら連れ合いが、日本の朝ご飯をリサーチし、「お味噌汁と白いご飯を炊いたから、今すぐ立ち上がって朝ご飯を食べるのだ!」と励ましてくれた。

 なので最近は朝ご飯和食。 和むわー。

 親友に赤ちゃんが産まれて、彼女は最近おっぱいレイディー道、一直線なママライフを送っている。 私の親友にここまで尽くされるなんて、赤ちゃんは本当にラッキーボーイね。

 きっと彼はスーパークールな奴になって、後々脱おっぱいレイディーをした彼女にいっぱい尽くしてくれるだろう。 その時が楽しみだね! そして言うまでもなく、きっと今も大変だけど、すっごい楽しいはず。 だって、私も勝手に想像するだけでワクワクするもん。 毎日君たちの幸福を祈ってるよーー! にこにこしててねーー!

 朝ご飯が和食なだけで一日が素敵になったり、誰かが私にちょっと優しいだけで、やる気が戻ってきたり。 こういう日常の単純な喜びの基礎を作ってくれたのが両親なのだよなと最近特に実感する。 特にママだね。 ダディーも頑張ってるけど、何故かママには敵わない。 ママが私の楽観さとかの基礎を作ってくれた。

 今その基礎作りを、おっぱいあげながら、新しく産まれた赤ちゃんのなかにいっぱい建てている我が親友は、それだけで頭をなでくりまわして、胴上げしてあげたい位にクールだ!

 そういう事を考えると、今日もとりあえず仕事に行こうと思える。 なんでだろう。 不思議と繋がってるね。

2010-07-12

Wellington

 友達の送別会に行く為に、ウェリントンに行ってきた。

 彼は私の恩師であり、ボスであり、悪友である、とても親密で素敵な友達。 二人で自転車操業の研究室を運営していた。 こっちの夏休みになると、二人で研究の為に冬の日本に帰り、一緒に冒険をした。

 彼のパートナーは当時ミラノに住んでいて、クリスマスになると私達と合流しに東京に来て、私の多摩美の頃の友達も交えて、何年間かとても素敵な冬を過ごした。 

 そんな彼のパートナーは、ブラジル、ミラノと建築家として放浪した結果、ロンドンに居を落ち着けた。 そして長らく超遠距離恋愛をしていた二人は、一生これから一緒に過ごそうと決心したらしく、NZの大学をやめて、彼はロンドンに引っ越す事に決めた。 

 私は冬の度に、東京で恋人としての二人と行動していたので、唯一彼ら二人を良く知っている人だった。 多分、だから彼からしたら私は大切な友達だったんだと思う。 私はいつも彼の行動を、彼と彼の恋人、二人の為の行動として認識していたし、こっちからちょくちょく彼の様子を彼の恋人にも伝えていたし。 私は二人の関係がとても好きで、彼らを思うと胸が温かくなる。

 送別会では彼を好きな人達が沢山来ていた。 彼の生徒も沢山来ていたし、同僚たちもいて、彼の業績や人柄の素晴らしさ、情熱、聡明さを讃えていた。

 通常のケースなら、そこには彼のパートナーがいて、彼の事をすっごい誇らしく思って、心を温かくしたんだろう。 パートナーの不在をすごくすごく残念に思った。 だって、みんなすっごく去って行く彼を讃えていたから。 現場にいたら、本当に本当に誇らしく思っただろうな。

 その事を今度ロンドンにメールして、伝えてあげなきゃって思っている。 「想像するだけでもすっごく嬉しくなっちゃうぐらいに、みんな君の恋人が大好きで、特別だと思ってるんだよ!!」ってさー。 結婚(って言っても、デファクトにするらしいけど)への最強のはなむけだよね!

 私も、こんなに素敵でかっこいい子と、友達な事がすごく嬉しくて、去っちゃう事は寂しかったけど、すごく幸せだった!

 彼の素晴らしい所の一つは、わざとらしくない、でも上品で親密な愛情表現だと思う。 私には数人ウェリントンにとても親しい友人がいる。 高校生の時からの友達で、彼も私を通じてたまに会っていた。 そのうちの二人とは東京で一緒に旅行をしたし。

 でも送別会に呼ぶほど親しくはないだろうと思っていたので、最初彼らを招待したと聞いた時はその太っ腹ぶりに感心した。 彼は「お世話になった人達に感謝の念を示したい」って事で送別会の為にかなりの額を自分で出したし、私の飛行機代も出していたので。

 ぼけーっとしている私は、案外すごく彼らの事が好きだったのかなあと思っていたんだけど、後になって私の友達に「あんながすごく楽しめるように、あんなの好きな人達もみんな呼びたかった」って言ってたよと言われた。 友達は彼に「招待してもらうのは申し訳ない!」と言ったみたいなんだけど、「来てくれたらあんなが喜ぶから」って言って誘ったみたい。(勿論彼らが、そこまでいっぱい遊んだ訳じゃないけど、お互いにとても好意は持っていて、いい関係だってのが前提にある)

 私はそれを聞いて、すごく感心した。 なんて良い人なんだろうか。 私は感情的であけっぴらに「大好き大好き」ってやるから、そうしない彼は、「まあ、悪くないんじゃない?」って程度に私を好きなんだと思っていた。 でも、考えてみたら、いつもすごくサポーティブでいてくれたし、支えになっていてくれた。 そして私の友達にもとても優しかった。

 今回は自分の送別会の中に、マトリョーシカみたいに、私の親密な友達同士のパーティーも内包してくれた。 そういう男なんだよなあと、すごく相手の事を誇らしく思った。

 なんて素敵な男の子なんだろうね。 本当に本当に誇らしかった!

 彼に対して大好きな気持ちでいっぱいで、とても幸せだったその夜を、私の他のとても大切な子たちと一緒に過ごせたのは最高だった。 私は高校のときの友達と手をつなぎながら、みんなが去って行く彼に言う素敵なスピーチを聞く事が出来た。

 高校の時からの友達には「彼は本当に素敵で、愛情深い人だね。こんな友達がいてよかったね!」と言われて、結構ほろりときた。

 去って行く彼からは、ロンドンで新しい生活をパートナーと始める事で、大興奮で、とても幸せなのが、横にいてひしひしと伝わってきた。 それもすごく嬉しかった。 で、彼のいろんな人にたいして持っている強い愛情と忠誠心は、パートナーとの関係が充実しているからなんだよなってすごく納得した。

 私は多分、ホスピタリティーとか思いやりを実行する技をまだあまり持っていないんだと思う。 いつも友達の私にしてくれることを通じて「こんなに人に優しくしていいんだ」って知る。 その度に、温かくなれる。 熱を分けてもらえる。 体の細部に血が巡る。

 嬉しいね。