2007-10-26

Jazz

友達と、のんきにワインを呑みメキシカンを食べ、すっごいゴージャスな場所でジャズを聞いてきた。 エスプレッソを飲んで、キャラメルを食べて、すっごい、シアワセした。 

遊んでいる時間なんてこれっぽっちもないと分かっているんだけど、遊ばずにはいられない。


でも、本当に良かったんだよ。 遊んで良かった。 後悔はなし! 


これでもかあ!ってぐらいにアール・デコのすっごいきれいな場所で、ふかふかのソファーに座って、生の演奏を聴いて、沢山の人がスウィングダンスをしていて、ちょっとよっぱらっていて、いやはや、本当に気持ちがよかった。 色々と考える事が出来た。 友達は完全に音楽に引き込まれていて、私は一人で落書きをしたりメモを取ったり、お酒を飲んだり、音楽に耳をすませたりと自由に遊べた。 こういう時間が必要なんだよ。 本当に。

良い建築の中で、考えられた照明の元、生の音楽が流れていると、どうしてこうもその中にいる人間がみんな祝福されているように見えるんだろう。 不機嫌そうな老人も、ブロンドの乾いた感じの髪の毛をした中年女性も、みんなそれ故に魅力的に見える。 こういうデザインから導きだされる時間の濃度の高さって、無くなってしまったら困るんじゃないかと思う。 贅沢品とかステイタスシンボルとかそういうのじゃなくて、本当にデザインの力ってこういう何気ない瞬間に発揮されるんじゃないかと、しみじみと思った。 いつもはもっと頑な事を考えるし、頭でっかちなんだけど、とても親しい友達と足とかをぴったりとくっつけて音楽を聞いている時、そしてその空間を魔法のようだと思っている時に感じる感動って、ささやかな分大切なんじゃないかね。 少なくとも私はそう思う。 でも多分多くの私のクラスメイトはそうは思わないだろう。 なんかこういう素朴な事って通じない。





足とかの絵ばっかりかいていた。 人の足が好き。 膝の感じとか、がしっと足広げて座っている人の腰とか。 みちゃいかんと思いつつもじろじろ見て、落書きまでしている。 

後、スウィングダンスをしている人たちのゾーニングがおもしろかった。 隣の人と当たらない感じとかに芸を感じました。 東京二十三区の地図を見ている気分になった。

うわっ!

 あっと言う間に、もう26日かよ! 本当に叫びだしたい。 


 助けてーーーーーーーーー!


 終わんないかも、終わんないかも、終わんないかも! 何も終わらないかも。

 うそ! 終わるもんね。 絶対に終わる。 あたし、すっごい頑張るもん。 張り切りまくるもん。 
 絶対に出来る。 しかもナイスに出来る! 

そんなこんなですっごいパニックになった。 思わず、「もうこの精神状態を維持できない」と、ジントニックをがばっと昼間っからあおってしまった。 マンジェラ着ている素敵な男の子と二人で太陽の光をさんさんと浴びながらお酒を呑んで、ちょっと精神が安定した。 で、学校で黙々と作業。 でも今日が卒業制作提出だった四年生が泣きながら作業していたので、思わず手伝ってしまい自分の仕事はおざなりになった…。 くはあ、意外といい人な自分が憎い! そしてエスプレッソののみすぎで、全然寝れなくなってしまい思わず徹夜してしまった。 くはあ…、後先考えない自分が憎い! 

2007-10-23

好きな人更新


 三大好きな日本人グラフィックデザイナー













 考え方がとか、専門的にとか、
そういうのじゃなくて単純にスタイルが好き。 

外見が好きだと断言できるのって意外と少ない物です。 

すっげーーー、好き。

ピクニック






 日本でだったら台風とよぶんだろう、強風の中海辺へピクニックに行った。

 吹っ飛ぶかと、心から思った。 


 タナーの世界のような景色だった。 

La vie en rose





一週間ぐらい前に、La vie en rose(邦題 エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜)を見た。


エモーショナルすぎて怖かった。 でも色々と考えた結果、良い映画だったんじゃないかと思いはじめてきた。 少なくとも私の得意なタイプの映画ではなくて、だから情操教育として良かった。 慣れないタイプの映画って、見てみるものですね。

2007-10-22

La vie en rose


sad and painで思い出したんだけど、La vie en rose(邦題 エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜)を見た。

友人たちがとても薦めてきたので。 
「大泣きだよ!」につられて、泣きたかったから一人で夜中にもぞもぞと行った。 


まず、この映画を好きな人の為に、私は私がいかに幼稚かを説明しなきゃいけないと思う。 私の心の耐久度は著しく低くて、なおかつ感度は異様に鈍い。 そういう私が言う事だって事をまず理解してからよんで下さい。 ただ、こういう映画の見方をした人間が一人いるという事への興味で読んでいただけたら幸いです。 


とりあえず、この映画は私にはホラー映画にしか見えなかった。 全部基本的に怖かった。 「ひいいっ」ってずっとなってみていて、映画館の椅子に一人でのけぞりかえって、椅子の手を乗せる所(なんっていうんだっけ?)をぐわっと掴みながら見た。 確かに泣けたけど、ほとんど怖くて泣いただけで、残念だけど感動の涙とかではなかった。 


まず、細かい模様がいっぱいついているものを見るのが苦手だから、壁紙とかカーペットとか、そういう舞台装置全部が怖くて仕方がなかった。 「お仕置き部屋」ってのを想像する時は、ああいうわけのわからない細かいものがある場所を想像する。 海岸の岩のフジツボとか見ている時に失神しそうになる感じと同じで、だから画面をじっと見れなかった。 テクスチャーが普通の映画の五万倍ぐらいある映画で、本当に細かくて、口の中に砂をいっぱい入れられたような気分になった。 あと音楽も凄くリッチで、細かい音とか、つぶつぶとしていて、それも耳に知らないおじさんが海の匂いがする砂をどんどん入れてくるような感じがして、五感が圧迫されて苦しかった。 そういう意味では凄いリアリティー。 

火曜サスペンス劇場とか、昭和のテレビドラマとかと同じで、うらぶれた気持ちになった。 美空ひばりさんとかの存在に共通するテクスチャー。 「蕁麻疹」とか、「渇いた肛門」とか、そういうなんっていうのか、ようするに高熱系。 高熱を出している時に見る夢と同じカテゴリーの映像でした。 エモーショナルなんだもん。 すっごいエモーショナルで怖かった。

頭では「これは距離感の問題でつぶつぶした感じも、主人公の呼吸の感じも、他人事なんだからもっと遠くからの視点で全体を捉えなくては」って分かっているんだけど、妙に吸引力のある映画で、いちいち翻弄されて、最後はぐったりした。 全然、大きな流れやらを掴む事無く、一瞬一瞬が私対映画の格闘だった。 もしこの経験を作り出す事が制作者側の意図だったとすれば、間違えなく大成功。 そういう意味ではとっても上質な映画かもしれない。 うん、なんか急に自分の中での評価が高まってきたぞ。 

良い映画だったかも!


最近、こういう「お仕置き部屋」系インテリアなバーがウェイントンで微妙に流行っていて、「俺、ちょっと大人なんだ」っていう感じの人達が連れて行ってくれる。 さすがに暗いから、そこまで模様で溢れかえったまるで内臓の中にいるような圧迫感はないけど、だからって広々とした感じはしない。 確かに一緒にいる人との距離は縮まる。 そしてこっちはヒヤヒヤしているから、結果として相手に興奮しているような気分になる。 ただ、お店から出た後の開放感で、全てが吹っ飛ぶけど。 お仕置き部屋。 あんまり増えてほしくない系統のインテリアですね。 ううう。 怖い怖い。

夕方の学校

 夕方の学校ってのはどうしてこうも切ないんだろう。

私の机にはさんさんと夕方の光が差し込み私の手の長い影が作業しているものにかかる。

今日で世界が終わっちゃうような気分にもなるし、同時に悲しいものやら淋しいものやらが光に洗われて消えていき素晴らしい明日が始まるような気分にもなる。 どちらにしろ、そのういう諸々を切ないとよぶんだろう。 

切なさってのは、重くのしかかる何かを押しのけようとする、ささやかな心の運動の余韻な気がする。 余韻のテイストが全面に出て、その味が独特だから分からないだけで、実際の所意外と積極的な行動が原因なんじゃないかと、一日のうちの大半が切ない私は思う。 切なくなる為には、案外力強い生命力が必要な気がする。 影にすごい大自然が隠れていたりするんじゃないだろうか。 それこそ、この崇高すら超えたあっけらかんとしたニュージーランドの大自然のようなやつが。 そう考えると、切なさから大地へと繋がり直す、あっけらかんとした心が生まれる。 こうやって、「ああ、切ないなあ」っていう気持ちはポロポロと違う物語へ持っていかれて、沸々と面白いなあという気分になっていく。 

0トスレスト0







どろどろどろどろーん。
ぴゅーひょろひょろ。 
えいやーえいやー。
遠くからは太鼓の音。
右から左へ通り過ぎていく笛の音。
視界から一瞬消える蛍の光。
不思議な森に住んでいる奇妙な生き物。
時間の流れは少しずれていて、しかしどこか確実な川の流れ。
植物たちは渦を巻きながら葉っぱを飛ばす。
隠れた栄光をたたえる光るコケ。
惑星同士がしかるべき位置関係に来た場合にのみに生じる数々の出来事。






迷惑同士がさわぐべき親密関係になった場合のみに応じる数々の出来事。
じめじめした森の陰の中輝くシダ。
水玉は葉っぱから落ちながら波紋をあける。
雲は逆に流れ元に戻っていて、満月の銀波に沈むあまの流れ。
奇妙なかおりを飛ばす不思議な生き物。
香りを痕跡に一瞬消える紅花。
左から右へ去る行方不明の猫の足音。
枕元からは霧雨の音。
あいごーあいごー。
ナヌーンゴロカンダ。
てくてくてくてくーと。






2007-10-18

赤ちゃん

友達に赤ちゃんが産まれた。 自転車を飛ばして会いに行く。

贈り物としてオリーブのすでにでっかい木を担ぎつつ運転した。
ちょっと滑稽だったと思う。

出産をした2時間後に母子ともに退院っていう超健康なナイス出産で、私はそんな逸話も含めてとてもスペシャルだと思った。 すごいよね。 2時間で退院よ? 

こんなに元気にトトロのパチもんのぬいぐるみを作って、ケラケラ遊んでいる彼女に私は感動した。






彼女は私がニュージーランドで一番好きな芸術家だ。 でもママになったらちょっと違う人になるのかなと自転車をこぎながら変化を考えていた。 制作とかしなくなるのかなあとか、もうあそこまでハイパーアクティブじゃなくなっちゃうのかなとか。 でも、そんなの私の思い過ごしだったようだ。 赤ちゃんをお互いによく見た後、「スタジオに行こう!」と行って、彼女の作品や制作についての話しをされた。 っか、かっこいいーー! 私の好きになる作家はいつでもかっこいいね。 私、すごい。

 






産まれて三日目の女の子は、素晴らしかった。 美しかった。 

もしこの人の事を美しいとよぶとすると、私の今までの美しいって言う言葉とはそぐわないなと思った。

だってただただ素晴らしいのだもの。 深く考える事もなく、美ってのは普遍的な事だと思っていたんだけど、今回得た心の奥底での彼女への共鳴は今までのどれとも違うから、私の考え違いなのかもしれない。 美って、もしかしていっぱいある? 

赤ちゃんなのに、「この人」とよばずにはいられないぐらいに、完成されている人だった。 徳が高いというか、神々しいというか。 本当に、こんなに美しい赤ちゃんを見たのは始めてで、一体どうしてこうも素晴らしいのか分からなかったぞ。 「どうして彼女はこんなに素晴らしいのか」と結構考え込んでしまった。 






この赤ちゃんはお父さんが中国系とヨーロッパ系のハーフなので、アジア人のクオーター。 みんなで「髪の毛黒いねえ! すごいねえ、遺伝ってすごいねえ」と感動した。 (もう、この赤ちゃんに関してはみんなでなにに関しても感動してしまうのよ) お父さんは2週間ぐらい仕事を休みにして夫婦+赤ちゃんでずーっと家に籠る予定なんだって。 すっごい、素敵な旦那様だと、私乙女チックに感動した。 私も子供を産んだ際には、是非、旦那さんに最初の数週間一緒に休んでいただきたい。 そして一緒に最初の家族のボンディングと、ただただ赤ちゃんにとろける時間を過ごしたいよ。 なんでこんなにこの人たちは素敵なんだろう。






この手とか、素晴らしいよね。 思わず、スケールモデルだとつぶやいてしまった。 なんて良いんだろう。 


自分が赤ちゃんだった時の事なんて勿論思い出さない。 だからずっとこのサイズでこの考え方で生きてきたような気がしてしまう。 でも両親からすると、こんなに小さいときから今の私を全て含めて「あんなちゃん」として見ているんだろう。 こんなに素晴らし(かっただろう)小さい私と時間を重ねて、今の大きな私を手にしている彼らは、私が思っている「私」とは全然違う見方で「私」を理解しているんだろう。 そう思ったら、すっごい嬉しくなった。 とてもとても嬉しかったです。 


この家から直接大学にいかなくてはいけなかったので、海岸線を一時間かけて自転車で走った。 とても天気がよくて、海がキラキラしていて、とてもきれい で、写真に取るのもしゃらくさいと思って、ただ一生懸命マウンテンバイクをこいだ。 海風が強くて涙が出た。 どうもよくクラクションを鳴らされるな。  男性がこっちを見るな。 「モテ期?」と疑いつつ自転車を漕いでいて、最後ら辺で気がついたんだけど、風で服がめくれて胸が丸見えだった。 うう、とりあ えず可愛いブラジャーで良かったと、自分をなだめる。 そうか、やっぱおっぱいは良いんだな。 赤ちゃんがおっぱいをのんでいるのを見た直後だったので、 優しい気持ちにすらなったよ。 でも突風の中ヘルメットかぶって、ごっついマウンテンバイクで立ち漕ぎしながら海風で泣いている女の胸なんかで良いのか?  もっといいものがあるんじゃないか?

2007-10-15

細々と色々あった一日 大陸な一日

 今日は、ドローイングのファイナルハンドインだった。 これで選択科目は全部終了で、残すはコアペーパーのファイナルのみ。 


 やっったーーー!!!!


 相変わらず、すっごいラストミニッツになってしまい、「お、終わらないかもしれない」を心の中で繰り返す。 

 でも何故か心中穏やかなのね。 年を重ねるってのは、じたばたするよりもとりあえず何かをやる方が早いと気がつく事なのかもしれない。 前のような、気を緩めた瞬間に涙が出てくるような事もなく、ただマシーンのごとくやった。

 心は穏やかで焦った行動も取らないけど、でも頭の中で流れている音楽と映像はまさにこんな感じ。

 変な組み合わせだと思うけど、この2曲が入り交じってガンガン頭に流れていたよ。


 

 



やっぱ、焦ってたのかもしれん。


それにしても、徹夜明けなので三秒以上連続して同じ事が考えられない。 きちんと構成した文が書けないので、箇条書きで行きます。


★ プレゼンでは瞬殺だろうなと思い、戦々恐々としながら走って行った。 何故走っていたかって? 走らないと間に合わないからさ。 三時間の遅刻。 最後から三人目で発表。 「これこれこれをしました。 さあ、殺して下さい!!!!」とヤケッパッチでやったら、無茶苦茶誉められた。 すっげーーー意外。 最後まで全く読めない授業だった。 ワンダフルで洗練されているとまで言われた。 全部蛍光色でやったのに。 やってる間ずっとマイケルジャクソン聞いていたのに。 うーん…。


★ ブルガリア人とロシア人の教えている単位で、彼らの言っている事は正直、私には全く通じない。 
???となるしかない。 言語の問題ではなくて、(単語そのものの意味は分かる)文脈が全く読み取れないのだ。 奥行きが分からない。 フランス人、ブルガリア人、ロシア人が教わった人たちの中でトップスリーに難解で、チンプンカンプンな人たちで、「ああ、あたしには大陸はでかすぎる」となるのよね。 この御三方は、ドイツ人の先生の時よりも分からん。 ドイツ人の先生の時は言っている事も文脈も分かったけど、なんでそれを望まれているのかっていう動機の部分が全く掴めなかった。 「それしてなにになんの?」が頭の中をぐるぐる回っていた。


★ 考えてみたら、セルビア人とか、ロシア人とか、ブルガリア人とか、今年は(というか結構いつも)私の人生において東欧の人たちがわんさかといたなあと彼らの滑らかななまりを聞きながらしみじみ。 


★ プレゼンの最中にフランス人の子たちがごのごのと話していて「いはーー、君たちの言語はなんでだかこの授業中に聞くと圧迫感があるから黙って下さい」と奇妙に興奮する。 


以上、マルチカルチュアルな、実際ニュージーランド人より外国人のほうが多い教室からでした。


★ プレゼンが終わった時点で既に夜で、打ち上げとしてプルガリア人とフランス人のクラスメイトたちとビール呑み、トルコ料理を食べた。 すっごい楽しかった。 みんな徹夜明けなので、ふらふらなんだけど、こればっかりはさぼれない。 最近、ずっと移住してから何世代かたっているニュージーランド人たちと一緒にいたので、このヨーロッパの感じが懐かしかった。 

そういえば、私は昔イギリスに住んでたんだよなと、急に自分の態度やら考え方やら話し方が変わった事から思い出した。 変なコードがあって、相手によって私の雰囲気がガラっと変わるんだよね。 ヨーロッパのバックグラウンドの人たちと一緒にいる時の自分の態度が一番すっきりしていて、愛らしい行動も簡単にとれるしある意味好きだ。 背骨とか、意志とか、自分とかをある種のコントロールとともに自由に出来る感じが好き。 NZのコードの時に「これって頭が割れちゃうぐらいにbig issue!」って思っている事がアリンコのレベルに変わるのとか、我ながらおもしろい。 

勿論一番純朴で牧童な感じでいられるニュージーランドのコードも、些末な事をごたごたとただ考えていられる日本のコードも、アウトオブコントロールな感じなアジアのコードも全部好きだし、どれもただのツールでやらなきゃいけない事だから比較する事もできないけどね。

ただ、こうやって一緒にいる人によって、まるで季節が変わるかのように自分自身が大きく変化するんだという事は忘れちゃいけないなと思う。 そこには希望がある。

★ ブルガリア人の女の子は、the 東欧って感じのイケイケの色気ぷんぷんとしているのが当たり前な、性への喜びを知っている奴で、その気力体力そして悪気のなさに、ジメっとした陰翳礼賛な私はいつも驚く。 私はただの友達同士の食事だと思って行っていたけど、彼らを家に返した後に「いくなら、あっちの方の男ね」と断言したのとかにびびった。 見定めていたのか!

 私は、他の人の事を思いじめーっとしていた。 が、こうやってガンガン行けば過去は栄光のものとなるのかと納得。 

すげーよ。 

★ 後で他のプルガリア人の子たちが数人合流して話しの内容はそればっかりになった。 「ダブルデートでね」と流し目ぷんぷんに話していた。 「マジで?! あれデートなの?!」と「打ち上げの食事=栄養補給」だった私はまた驚く。 で、みんなしてセックスの作戦をたてていた。 あっけらかんと、悪びれも無く、そして華々しく美しく。 「あんなは2週間後の次のプレゼンまで彼らと遊んで、前の人の事なんて考えちゃ駄目よ。 で、今の人たちが上手くいきはじめてから考えれば良いじゃない。 はっはーん。」と言われ、「っは、っはっはーん…?」と返す。 が、確かに。 彼らってすごい。 大陸の人たちってすごい。 ジェネライゼーションはしたくないけど、これだけイグザンプルが多いと思わずしてしまう。 大陸の人たちって、ダイナミック。 こういう事に関しての文化的な深さが全く違うと思う。 何百年分もの先人たちの叡智が脈々と日常の中に織り込まれているような気がすんだよね。 話しの途中で、その子のお父さんから電話がありプレゼンの結果を聞かれていた。 さんざんだったと言った後に"fuck it"と言われたそうだ。 まさに! まさに! まさに! すっげーよ。 マジで、日が当たる所を歩いている感じがするね! 

★ 私は実はただのカマトトでおぼこい大和撫子もどきな、ださい女なのではないかと数々の「はっはーん」の後に思えて来た。 

★ もう誰も正気が残らないぐらいにふらふらになってきた頃に、「あのクラブで踊りまくれば良い訳よ。 そうしたらやな事なんて忘れるわ。」と言われ、「ああ、あのクラブは”悪趣味なクラブに行ってビールを一杯飲んだ後に爆笑して帰る”っていう、悪趣味に悪趣味で勝つっていうゲームをしていた時に彼と行った所だあぁぁぁぁ」と一瞬陰翳礼賛がぶり返した。 けど、「オッス! とりあえず、2週間大陸的に生きます!」と力強く心に誓う。 が、あのクソクラブには行かんがな。 はっはっは、両方に勝つ。 私は、私の今までの生き方反省しつつ方法論を大陸的なものに変え、だからと言って、今までの美意識は譲らんのだ。 勝つ! 私、勝ちます。


 ★ 今日は、妙に大陸的だった。 太陽がでっかい感じだったね。 オッス!

 

2007-10-14

手紙 たまには手書きで。

カフェで他の仕事をしつつも、暇だったので手書きブログを作ってみる事にしました。 クリックして拡大して見て下さい。








手紙

たまには手書きで。 

先に言っておくけど、帰国子女の美大生の漢字能力は皆様の想像を絶して低いので、この小学校低学年並みのひらがな文章に驚かないように。 







 母から手紙が来た。 手紙をもらうのは五年ぶりぐらいだろう。 いつもはメールで連絡を取っているんだけど、やっぱり手書きって良い。 嬉しかった。 

2007-10-11

眠いし寒い

 今週で一応学校が終わる。 ただし、私の学部だけ後数週間授業がある。 有り難いんだか、有り難くないんだか分からないけど、雄々しい学部なので、周りが終わったからって終わってくれやしない。

 とりあえず今週提出ラッシュになっている。 ぐへえええええ。 先週から今日まで、一応毎日五時に起きて学校に通った。 今学期まで私は徹夜派だったんだけど、先月ぐらいから急に早起きの方が楽だと思いはじめて、十二時になったら絶対に寝て五時に起きる事にしている。 そうすると一日が長い! でも、全体的にはすごいスピードで過ぎていて、四週間前の週末にやった事が、まるで今週末のイベントだったような錯覚にとらわれる。 

 今日一つ大きな課題の提出をして、そうしたら脳みそがすっきりして、それまでうだうだと悩み悩みやっていた事に対して、「もうどうでもいいからただやっちまえ!」っていうのりになってきた。 だから今日の午後の私はたくましかったですよ。 古い友人たち全員に是非見てもらいたいものです。

 一昨日考えていていたんだけど、喜びには段階がありますね。 「悩む喜び」「決断する喜び」「終わらせる喜び」。 個人的には終わらせる喜びが一番後腐れが無くて好きなんですが、悩んでいる時はその悩みの喜びに取り付かれ先に進めなくなったりします。 要するに、私の問題は「決断できない」なんだろうな。 

 話しは変わって、私の学部は雄たちの群れで結構仲間意識が強いです。 今回の団体行動は、クラスの半数が取っている選択単位であるドローイングの提出期限をのばしてもらうでした。 スタジオの為の作業をやっている時に、「おい、金曜日までにドローイングできるか?」という話しになり、全員で「無理だ!!!!」とパニックになり、エレベーターに飛び乗り、ドローイングのコースコーディネーターの所に懇願しに行きました。 あまりの人数と必死な感じのおかげで、提出は月曜日にのばされ、本当に命拾いした。 じゃなかったら、あたし、とんでもない事になっていた。 団体行動万歳。

 エレベーターは妙なボンディングの場所で、十人ぐらいで乗るとその満員な感じが楽しくてみんなで何かをする事にしている。 例えば、これは人数が少ない時もやるんだけど、お互いを激しくつっつきあうのが流行っている。 工業デザインのスタジオがある三階から一回までの間でお互いをただ笑いながらつっつきあうのね。 

愛おしい行動ですよ。 

後は、いっせいにジャンプするってのもある。 勿論、エレベーターは緊急停止するし、止まる時にすっごい衝撃がある。 きっと危ない行動。 でもちょっと楽しい。 で、みんなでキャーーー! ギャーーーー! オーーーー!!って叫んで、ちょっとした遊園地状態になる。 

ただやりすぎたから学校側が危険だと怒って、私たちの階だけ一時期エレベーターが止まらなくなった。 工業デザイナーたちだけ、階段を使わなくてはいけない試練の時があったのですよ…。 まあ、2週間ぐらいで許していただけましたが。 

あとは学校中に響き渡る音量で音楽をかける、昼寝当番みたいなのがあり、交換でソファーで眠る、水曜日の夜中は学校でビールを呑みながら模型を作るなど、微妙な文化を私たちは作っている。 

私、クラスメイトだいっ好きです。 

とりあえず、クラスメイト大好き週間が極まりはじめて最近はみんなを見るだけで母のような気持ちになりちょっと涙。 「坊ちゃんたちも大きくなりよって」の心境だ。 母というよりも、乳母?

まあ、そんな感じ。 あとちょっとだ、頑張るぞ。

2007-10-08

がちょん

 前の提出の成績が帰ってきた。 全部、さんざんだった。 「こんなに一気に悪い点だけなの始めてだ。」と呆然とした。 本当に、がちょんときましたあ。

 原因は分かっている。 私には熱意が無かった。 これっぽちも無かった。

それにしても、「あたしって」の瞬間ってのはよく訪れるものです。 

土曜日の夜中、静かなバーで一緒にいた人に「君はシニカルすぎる。」と断言された。 その後、違う二人に「人間に対する愛よりも物に対する愛の方が強いんじゃないか」的な事を言われた。 今日帰ってきた成績と批評には「システムを考える情熱はすごい。 直接的な物そのものには君が興味が無い事はよくわかった。 システムを考えたいのならそこをのばしなさい。 ただ、使う人(この場合は乳母車を使う親と子供)に対する興味と同調する心を後少しでも良いから持ちなさい。」とかかれていた。 私はシニカルで、人より物が好きだけど、物よりもシステムの方が好きで、いつも「これよりあれがすき」と遠くばっかりをみている現実逃避野郎なんだろうか。 それともコントロールする人にでもなろうとしているのか? 1984年生まれだから? ビッグブラザー?

この数日の間に私の機能不全な所が急に露見したような気がする。 今日、鉄を曲げながら結構本気で考え込んでしまった。 「あたしって人間失格?」と。 

勿論、こういう批評を言ってくれる人たちは私に大きな貢献をしてくれているので、そういう人たちが周りにいてくれるというだけで、私って素晴らしいと思う。 そう、それだけで

2007-10-04

近所

 私の近所は友達が偶然沢山すんでいる。 2軒先には親友が住んでいて、それも偶然に同じ時期にお互い引っ越してきたんだけど、それだけでも私は興奮して「すっごい! 私たちってすごいね!」ときゃーきゃーやっていた。

 で、昨日玄関を出たら、どうも知っている顔が前を歩いていた。 私をこの国によんだ高校の先生だ。 私がここに来たのは彼女が誘ってきたからで、結構人生を変えた人。 でもめんどくさがりやなので大学に入ってから連絡を取っていなかった。 

 お互い驚愕し「どうしてここにいるの?!」と言いあう。

 そうしたら分かったんだけど、私の向かいの家が彼女の家だった。 三歩の距離。 毎日彼女の家とは知らず見て暮しておりました。 

 親友は高校に入った時始めて友達になった子で、先生はこの国で始めた会った人で、全員でわざわざ数回の引っ越しの後、三歩の距離に住んでいる。 すっげー。

 こういう偶然が沢山ある。 偶然って良いよね。

固仕事

 気持ちよく一日を過ごそうと思い、クラスメイト全員分、マフィンとビスケットを焼いていった。 勿論、同居人のお昼ご飯の分と、隣近所の家の人分も焼いた。 嫌いな人にだって、マフィンはあげる。 先生にもあげる。 みんなにあげる。 

 そして夜は一時間一回も休みなしで、クロールと平泳ぎを繰り返し、健康第一当たり前。 朝は六時半から起き、朝時間を大切に。 勿論、親にも楽しくやっている事を伝伝えるメールをした。 



 ああああ!!!! やりたくないんだよ、俺はsolid worksでのモデルメイキングがやりたくねえんだ!!!!!



solid worksってのはまさに陰気の固まりであるCADシステムで、一向に私はなれる事がなく、脳みそが割れて腐りそうになるんだ。 内臓を全部掃除機で吸われているような気分になってくるんだよ。 心がポッキリと折れるんだ。 ええ、ポッキリと。 

宇宙のような、大自然なプログラムで、「?!?!?!」って事の繰り返しなのだよ。 不思議な事しか起こらないソフトなんだ。 この、コンピューター大好きっ子で、魔法使いのように他のソフトは考えなくても、直感で使いまくれるこの私は何故だか分からないけど、solid worksだけは駄目なんだ。 

勿論、じょじょにだけど使えるようにはなってきている。 しかも楽しい。 ひとりでに顔は笑う。 ただ、激しく裏切られる。 「おい!!!」っていう行動を相手が私の予想に反して始める。 おいおいおいおいおいおいおい!!!

今みんなsolidworksを使っているので、大学のコンピューターの前に一列に座り、みーんな独り言を言っている。 「もうちょっと、もうちょっと曲がって!」とか「まだまだ、もうちょっとでしょ、がんばって」とか。 私も日本語と英語のぐちゃまぜのひどいのをずっと言っているので、隣の人達がすぐに変わっていく。 私の独り言を聞くのは多分、耐えられない事のだろう。 ひどいもの。

あああああーーん、solidworksの神様よ、降臨したまえ!

スウィートかつカジュアル

 乙女会議をしている。 むせ返るほどの"真性ガーリースパーク"に満ちあふれたすっごいのを。

会議の結果として今の所出ているのは、「ビターにはなるな、もっとスウィートに!」と、「カジュアルでいろ」。 


 スウィートかつカジュアル!


"ヘーゼルナッツクリームをはさんだウェハース"な感じだと会議出席者が説明していた。 その通りだろう。


スウィートかつ、カジュアル。 極めたいものです。

2007-10-02

just do as much as you can

 ちょっと前に「時間的に無理があるプロジェクトの場合って、引き受けるのと、引き受けないの、どっちが誠実でお互いの為になると思う?」と知人に相談した。 

 彼は本当に変わった人で、頭の回転の方向が私の真逆にいくので話していてとても楽しい。 私が逆立ちしても思いつかない事を言う人だ。

 そんな奇妙は彼は"Well, just do as much as you can!"と言いやがった。 「え? そんな態度で良いのか? それがベストなの? というか、それって常識? そんな話し聞いた事ないよ。 問題は終わらせられるか終わらせられないかじゃん。」と返したら、「ぜんっぜん、常識じゃない」と笑いながら言われた。 

 そんなに終わらせられなかったらってのが怖いなら適当にフォトショップに画像を入れて、ぼやかしフィルターかけて、タイトルつけりゃ良いじゃんと言われた。 「君、君の学生にもそんな態度で教えてるの?」と訊ねると、とりあえずdo somethingとは言うねと返された。 

 おかげさまで逆説的に私は不肖ながらもなにがやりたいのかが分かってきたよ。 とりあえず、彼の言う方法じゃないってことだけは確かだ。 私は、終わらせるし、なおかつぼやかしフィルターは使わない。

 その時の会話がとてもおもしろかったので作業をしながら一人で思い出し笑いをずっとしていた。 意外な所で意外な人が作業を影で支えてくれたりする。 この、とんちんかんな会話とか良い例だ。

2007-10-01

変な人の日記

 私は自他共に認める強烈なブラコンを持ち合わせている。(そして、ファザコンでマザコンで、男兄弟しかいないという不幸からシスコンでもある。 コンプレックスの固まりのような人間です。)

 私と兄の関係は弱くあまり結びつきもなく、一緒に遊んだ事もあまりないのだが、それが災いしてか本当に強烈なのを持っている。 アホみたいにお兄ちゃんっ子だ。 お兄ちゃんが好きで好きで好きで好きで、好きで好きで好きで好きでたまらないのである。 家族に会いたくて泣いた事は一回しかないが、それも主にお兄ちゃんに会いたくて泣いた。 でも、実際の所お兄ちゃんの話しは滅多にしないし、私に兄弟がいる事すら知らない人も沢山いる。 私から兄の話しを聞いた事がある人はその私の淡々とした感じから「関係、薄いんだね」と言う。 その通り。 実の兄とは半年に一回一分ぐらい話せば良い方だ。 だから、変な転換が生じて私はクレイジーなのである。 

 結果、友達もお兄ちゃんぐらいの年齢の男の子たちが多い。 そもそも、弟か妹のいる人としかあまり友達になれない。 なぜなら私はものすごく「末っ子」だから。 ただただ甘えていたいという狂った願望があるのです…。 年下の友達も沢山いるけど彼らにも年下の兄弟がいて、私と友達の関係は年齢すら関係なく、兄/姉と妹の関係である。 私、6歳の子にも甘えられる自信がある。

 今うちの兄にそっくりな友達がいる。 ニュージーランドヴァージョンのうちの兄だ。 そうとしか表現出来ないぐらいに似ている。  だからつきまとっている。 思わず日本語で「お兄ちゃん」とよんでしまう。 ああ、この甘美な響き…。

 おっと。 そろそろ変態街道まっしぐらになっていって、友達のブログと区別がつかなくなっちゃいそうだから撤退するぞ。 

 あー、一日中ただ甘えて過ごせたら良いのになあ…。