2009-03-31

集中力

 私は朝起きれなかった。 どれだけ頑張っても朝起きれない人だった。 あまりにも起きれないものだから子供のころは睡眠障害と診断されて治療を受けていた。 意識していないと強烈に夜型になってしまうし、何十時間寝ても自然にすっきり目を醒す事が出来なかった。 ただ辛い。 眠っている状態から起こされるのがあまりにも辛くて、痛くて、体が壊れそうになるから、寝続けていた。 ただお医者様に「大丈夫、なおるから!」と言われながら幼い頃の私は気がついていた。 これは障害ではなく、徹底的に私の体が我侭すぎているのだと。 どっかで「起きなくていいや」って思ってるのだ。

 社会人になって制作に感じるプレッシャー意外で最も強く不安に思っていたのが、朝ちゃんと起きれるかどうかだった。 最初は強烈に辛かった。 ただ数回遅刻を繰り返して行くうちに「これは徹底的に無理してでも起きた方が結局の所めんどくさくないぞ」と気がついた。 そうしたら起きれるようになった。 起きる事よりもめんどくさいことがあると思えば起きれるのだと初めて気がついた。 「辛い」と感じ始める前に体を起こしてしまう。 そして何も考えずに(ここが強調されるべきポイント)さも寝ていたなんて事実は無かったのごとく普通のパターンに体を持って行ってしまう。 ここで「ああ、私はさっきまで寝ていたのに」とか、ちょっとでも言葉を頭の中で使っちゃ駄目。 自分がさっきまで寝てた事は徹底的に無視するの。 全てを無音で行うのがポイント。 いかにまだ心臓がバクバクしていようが、(私はこの勇気のある行動の所為で毎朝クラックラになるぐらい心臓が高鳴っている)手が握れないぐらいに体が眠っていようが、それを頭の中で言葉にしないで、朝ご飯を食べる。 バスに乗り遅れる苦痛と比べれば、こんなストレス無いがごとし! って事でこの二週間ほど朝起きるの成功している。
 
 この問題をこんなにあっさりと解決できた事に私はえらく感動している。 そしてすごく自信がついた。 ものすっごく、自分を誇りに思う!!!

 そして今私がものすごく身につけたいのが午前中の集中力。 私は夕方の三時ぐらいから作業のピークを向かえる。 だけど、私の会社は残業をする文化が無いので、のりに乗っている時に仕事時間終了になってしまう。 残業するなら、早朝出勤っていうのが我が社の人々の行動パターンなのね。(そしてそんな上級な技、今の私には全く無理だ。) なのでとりあえずいち早く午前中の茫然自失となっているあの情けない状況から脱出したい。 朝起きれるようになったんだから、これぐらい出来るだろうと思う。 早朝からエンジンかかりまくりの人になりたい。 きっとなれる、なれるだろうから明日、頑張って試してみる。 午後に燃え尽きるのはかまわない。 消化不良のママ仕事から去らなきゃ行けない生産性の無い働き方をやめたいのだ。 

 今自分で自分を飼い馴らすのに必死になっています。

HEDI SLIMANE



かんっぺき。

IMO

 一緒に遊んでいて「私たちって平等だ!」と強く思える友達が日本にいる。 まあどんな友達でも平等で公平な面はあるけど、彼らとは最も好きで興味がある事柄が気持ちがいい位にかぶっている故に平等なのね。 貴重だと思う。 滅多にいないよ、そんなに趣味だけが重なる人達って。 細かい好みは違うけど、大雑把にはかなり近い。 心地いいですね。

 とりあえず気がついたら三人は駆け出しの、工業デザイナーと現代美術のキュレーター、そしてインフォメーションアーキテクトになっていた。 役割分担がやけに出来てしまったので、プラットホームになるサイトを一緒に作ろうということになった。

 名前はIMO。 大門のパブでビールを呑んでいるときに適当に決めた。 三人の頭文字から出来ているだけの名前だ。 三人とも芋とYMOが嫌いな方ではない。 

2009-03-30

さすが大将

 友人のブログに横尾忠則の日記が引用してあった。 職場で油断していたボディーに激しくヒットした。 こんなにすかっと笑ったのは今年入って初めてだと思う。  大笑い。 さすが横尾忠則。 日常という崖端の最も優れた場所に火薬を仕掛ける。 一発の爆発で一気にいろいろ崩壊。 やっぱ出来る人は違う。 花火師…。 彼って花火師の大将だわ。

これがその日記の引用。
 
3月5日
韓国から帰国して羽田に着いたら、日本人が全員韓国人に見えた。高速から見るビルも韓国の風景に見えた。帰宅して長男や長女、事務所のスタッフの顔を見たら、皆んな韓国人に見えた。


たかがこれだけの文量に、私の岩盤は崩れ落ちました。

この人って本当に偉大なる花火師だなと思った大人が数人いる。 そして全員結構同じような特徴がある。 妙にすがすがしいのだ。 日々火薬を埋め込む為、最も適切で、深くまで爆発が届くヒビを探しているからだろうか。 心は色彩あふれているのに、頭は妙にすっきりしていた。 だから一緒にいて本当に気持ちがよかった。 すっきりって言っても別に冷たいとか、排他的だとかってわけなじゃく、ただノイズが極端に少ないの。 私も就労したばかりの見習い花火職人として、気持ちよくノイズから自由でいたいものだと思う。 いつの日か、ノイズフリーで、火薬を仕掛けまくり「こんなんでました!」ってやりたいね。

辻 惟雄先生も立派な花火師のうちの一人だ。 多摩美で彼の授業を受けているときに静かな爆発を沢山見た。 目の前でガラガラと岩盤が破壊さえていくのは快感だった。 そんな彼の書いた日本美術史の教科書、「日本美術の歴史」の表紙は、横尾忠則。 表紙からして小爆発。 中は爆発の連鎖。 清々しい。 爽やかではないか。

あっはっは! それにしても、たった2行の文章でここまで旅情とか日常のもろさとか、心の混乱を伝えきるってのは見事なものだわ。 見習いたい。

2009-03-29

きらきらしてる

今日の散歩道
オフィス街から、ダウンタウンへ。



開店前のレストラン。 朝日が店内で乱反射していて綺麗だった。





どっかの会社の入り口にあったインスタレーション。





これもどこかの会社の入り口のインスタレーション。 
一体何の会社なのか、気になる。






ダウンタウンの駐車場。 後ろにちらっと海が見える。 
私はこの地帯が好きだ。
旧い建築の後ろ姿には本当に味がある。

日曜日と月曜日

 週の中では日曜日と月曜日が好きだ。 その二つの曜日の性格が、極端に違うのが楽しい。 なのにくっつき合ってるんだもん。 面白い!

 日曜日は自分を甘やかす日に指定している。 甘曜日。 二日酔いのまま、朝市まで散歩しに行って、カフェで大きなサラダを黙々と食べる。 食後のコーヒー一杯と共に何時間も本を読んだり、考え事をしたり、ぼーっとしたりする。 日曜日は刺激の強い事はあまりしたくない。 ただ、静かに楽しいことだけをしたいのだ。 長い散歩に出て写真を撮ったりとかさ。 

 学生で課題提出が迫ってきていない時期では金曜日と土曜の夜が人生だった。 金曜日に浴びるぐらい呑み、土曜は大抵どっかのパーティーで迎え酒。 その二つの夜に遊ばないと損させられている気分になっていた。

 働きはじめたら仕事中にアドレナリンが出まくっているからか、金曜日まで遊びたいってのがなくなった。 私的には十分一週間を通じて世間様と関わったのだ。 金曜、仕事が終わった瞬間には「もう放っといてくれ!1人で一週間分の反省をさせてくれ!」の境地に追い込まれている。 眠たくてぐずっている子供のような状態なので、家に帰ったらベッドに倒れ込んで、三十分は動けない。 一握の砂ならぬ、一握のシーツ。 バックグラウンドは私の脳内にこだまする「ううううう…」っていう苦悩の音だけだ。 起きててもろくな事を考えないからさっさと寝ちゃう。

 土曜日は生まれ変わったかのごとくすっきりとしている。 チャージ完了だと、立ち上がりやりたいと思っていた事をガシガシ片付けていく。 そして夜遊び。 結構楽しい。 人と遊ぶ一日。

 日曜日。 一人遊びの技を駆使し、街と遊ぶ。  

 そして夕方ウェリントンのスウィートハートとvideo chatをしてお互いの顔を見る。 見つめ合っていて何分間笑わないでいられるかとかやる。 今日は「このケーキ焼いたの! 切る所を見せてあげる」と相 手がケーキを切っている姿を見せてくれた。 私には意味も得も何も無い、けど、友達として彼が焼いたご自慢のレモンケーキを彼が嬉しそうに切っている姿を見届 けなくてはいけないのではないかと義務感を感じるので、ただ私はmacの前に座り、坊ちゃんがケーキを切っている映像を見る訳だ。 画面ドアップの私以外 の人に食べられるレモンケーキとかを見つめるはめになるってのも日曜日の醍醐味だろう。

しまいには「すっごい良い匂いがする。 あー、かがせてあげたい。 今話しながら食べたら、多分君、見ててお腹すいちゃうからそれはやめとくね」と気まで使ってもらった。 私はケーキ切ってる所見ただけで既にお腹すいちゃってるよ! 

一 週間分のとり貯めていた日常の写真と最近好きな音楽を交換して、お互いの仕事についての相談なんかをする。 「こんな事ばっかりしてられない。 僕は博士 論文を書かなくてはいけないのだ!」と、自分の焼いたケーキの自慢と仕事の愚痴を満足するまでやり心の充足を得た彼はブチッとvideo chatを切った。 日曜日だ。 まさに、日曜日だ。  お互い脳が緩みまくっている。

 そして月曜日。 いつも言葉にならないぐらいにハイパーな状態になっている。 血中ワクワク度が最高潮になっている日だろう。 本当に日曜日と月曜日の差って面白い。

2009-03-27

会議

 今日は私の大学時代の教授が会社に来て、一日かけての商品開発会議だった。 朝ご飯、モーニングティー、昼ご飯、アフターヌーンティー、全てをひっくるめての会議。 休憩無し。 楽しかったー! ちょっとしたデザイナーズヘブン。 

 日本で一番すごいデザイン事務所でインターンをした友人が、「あそこはデザイナーズヘブン…。 全ての瞬間が楽しい。」と言っていた。 今日のうちの会社も結構そうだった。 やっぱ良いデザイナーは一緒に働くと盛り上がる。

 教授は一緒に働いていて本当に楽しいんだ。 上司達も働いていて、「おおっ!」ってなるけど、教授のくれる意見はいつもワクワクさせてくれる。 いいね!

 元々がアカデミックな関係だったので、やっぱり今でもどっか気楽だ。  いくら我が社の社風がCEOから平社員まで下の名前で呼び捨てっていうものでも、上司には教授に対してのようにずばずば物は言えない。 結果として伝わる意味が一緒でも表現方法が変わる。 育てている対象が会社か自分自身かっていう違いだと思うんだけど、コーポレイトな関係で誠実であるってのと、アカデミックな関係で誠実であるってのは違う。 自分がそれをどこまで理解できているのかは考えると怖いんだけど(私はかなり社会人として不適切な事を沢山している気がする)とりあえずいつも「最悪来週ぐらいまでには社会人のマナーをマスターしたい」といつも思っています。 なので怒らないで下さい、上司達よ。 いやっ、いっそ怒って下さい、上司達。

 私の社会人としての成熟度の低さはさておき、教授は会う時必ず「今言える事を全部言わなくては!」状態になる。 今日個人的に口を酸っぱく言われたのは「自由にデザインが出来るぐらいに成熟する時期をいつ向かえるかは人それぞれ違う」という事だった。 「ある人は20歳でどうやったらより良いデザインが出来るのか腑に落ちるけど、他の人は40歳かもしれないし、60歳になった時に成熟するのかもしれない。 重要なのは、その段階までずーっと働き続ける事だ。」と言われた。 この教授は私の母校の学部長の教師でもある。 なので学部長が学生の頃の話しを出してきた。 「彼は早熟だったし、教師がいらないタイプのすごい才能がある学生だった。 しかも、誰よりもコツコツと仕事が出来る人だ。 でもいつもあの人は60歳になった時にマスターピースを作れるデザイナーになりたいって言っているでしょ? 君も長期的に考えるんだよ。 そうするとコツコツと仕事が出来るようになるから。 そうすると伸びるから。」と言われた。

 卒業制作のプレゼンテーションの後、みんなでべろんべろんに酔っ払って先生達と話していた時、どうやって色んな選択をしてきたかって話しになった。 1人の先生は「いつも八十歳の自分を想像してみるの。 何かを選ぶ時は、八十歳の時の自分が後悔するかしないかで決める。 そうすると大抵の事は勇気を必要とする方を選択しないと後悔するって分かる。」と言っていた。 そして学部長は「僕は何が欲しいかが分かっているから、そこに向かって歩く。 ただ歩く。 別に選ばない。 何が必要か分かっているから、選ぶんじゃなくて、ただやるの。」と言っていた。 さすが天から降りてきた釣り糸にひっかかった魚は言う事が違うと思った。 ポルシェのデザインをしていた学部長は、神様にマグロの一本釣りをされたような人なんだ。 しかもコツコツ型ときたもんだ。 無敵じゃん。

 私ももっと相手を興奮させたいぞ。 来週は一週間上司が出張でいない。 なので「私が帰って来た日に、大喜びさせてね」と言われている。 あっはっは。  怖いけど、やろう! やらなくてはいけないのだ。 「この娘っ子だけでは駄目だ」と教授が思ったみたいで、上司がいない間は頻繁に一緒に仕事をしに来て くれるらしい。 有り難いじゃないか。 良い週にしたい。

2009-03-25

万年筆 その3 誕生日おめでとう、シオネちゃん

 一週間以上の「あれって届いたのかな?」という悶々が今日解消された。 白サファリは無事、所有するべき人の手元に届いたようです。 イーハー!

 受取人は、私の幼なじみのシオネちゃん。 お気に入りの友達だ。

 実は数年前の誕生日プレゼントで彼女に安藤忠雄の直筆スケッチ及びサイン入りっていうハードコアな本を贈呈してしまった為に、私はそれ以来勝者の苦悩を強いられている。 「ううう、忠雄の直筆スケッチ(確か光の教会)を超える贈呈品って何だ? フランクゲイリーの事務所にでも行って、すみません、友達の誕生日プレゼントの為に何か分けてもらえますかとでも頼めば良いのか…? あー、あの本、その場で送らないで、あと数年寝かしときゃよかった!」と思っていた。

 しかもその時もある程度ディテールにこだわったプレゼント贈呈方法をとってしまっていたので、普通に兎のぬいぐるみとかあげて、はいオシマイってふうにはいかない。 私の沽券に関わる。 なので選ばれたプレゼントは近年私が熱狂している万年筆。 勿論私の会社の人全員私の熱烈な演説により購入済みで、我が社のシンボル的文房具になってしまっているラミーのサファリ!

 でもただ贈っても楽しくないので、焦らす事にした。 いかんせん住所を持っていなかったので、教えてもらい、(ここで何かが来るかもしれないというヒントを出す)ブログに「これってあたしかもしれない」っていう情報と私がこれから送る物がどれだけ私を誘惑していて、綺麗な物かを書き、焦らす。 ただひたすら焦らす。 それが今年の作戦だった。 とりあえず全てのプロセスを楽しんでいただこうと思ったのです。

 シオネも見事に踊らされて、"この前あんなが住所を聞いてきたあと万年筆の日記を書いたのを見て 「もしかして!!」と本当にうれしくて、その場でメールかコメントをしようかと 思ったのだけど、万が一、早とちりだったらいかんってことを考慮に入れて本当に届くまで黙々とまっていました"とメールで教えてくれた。 あっはっは! 単純な奴め! 君のスウィートスポットぐらいお見通しだ! 

 「早とちりかも、でもあたしかも」って時に、好きな相手と夕飯を食べている時に感じる「あらら? 私達って今すっごいナイスな時間過ごしてない? 錯覚?」っていうときめきを思い出していただけたとしたら、私は嬉しいわ。 激しく匂わせておきながらも、核心的な事はしない。 まさに誘惑の王道。

 なんかうまくのってくれたみたいで助かった。 やっぱ、誘惑するときは、される側に誘惑される事を楽しめるメンタリティーがないとやったかいがないからね。 魅せられてなんぼだよ。 君が面白がり屋で良かった。

 もっともっと楽しんで、面白がって、愉快に暮してね。 応援してます。 景気良くいこう!

2009-03-24

サマーヒルペアレント ハンドブック

 昨日の不安な彼との夕飯の後、ちょっと私も不安になった。 

 ただこれをきっかけとして、よく考えたら何か良い事が思い出せそうだとも思った。 何かを思い出せそうなきっかけを掴んだ気がしたんだよね。 それでよく考えていたら、イギリスの学校で言われていた言葉を思い出した。 校長先生が言っていた言葉で、“ I would rather Summerhill produced a happy street sweeper than a neurotic prime minister.”("神経症の首相よりも幸せな街路掃除人に卒業生にはなってもらいたい")ってのがある。 もっと頑張ってみよう、もっと面白いことをやろうっていう情熱と同時に、この発言の持っているニュアンスも大切にしようと昨日思った。 

 学校を卒業する時に「自分の面倒をちゃんと見るようにね」って学校中の人達に言われた。 小さい頃から「幸せになりなさい」と言ってもらえていた事を私は個人的に嬉しく思う。 私にはこういう考え方が向いている。 私はちゃんと自分の面倒を見て、幸せの管理をしたいと思った。
 
 大学を卒業して、働きだして、どんどん自分が大学用にアジャストしていた面がとれてきているのを感じる。 会社の上司に「働くって、どんどん自分自身になっていく/もどっていくってこと」と言われたんだけど、結構そうだなと思う。 大学時代だけではなくて、本当にもっともっと幼かった頃に思っていた事とか考えていた事を頻繁に思い出すようになってきた。 まあ勿論職場にもよるだろうけど、今はそういうシーズン。

 久しぶりにサマーヒルのホームページを見てみたら、サマーヒルに子供を入れている親用のハンドブックが載っていた。 「おおっ、こんなのがあったのか」と思い読んだ。 たまたま友達と親についての話しをしていたので、ちょっと興味深かった。 読んでみたら、かなり笑えた。 当たり前にやっていた事なので、「こんなもんだろ」って思っていたけど、言葉にされて読んでみると結構過激で笑える。 この文章だけを見たら「なんたる環境!」となるだろうし、私の母校がプログレッシブスクールと言われる所以をちょっと垣間みた気がした。 暮してみると、普通以上に普通でも言葉にするとちょっと強烈で笑える。 言葉がすごくきつく聞こえるんだよね。 実際はすごく緩やかで愛情深い所なんだけど、文字で読んでみるとシニカルにすら聞こえる。 この学校について反対意見が多いのも分かる気がする。 なんかえっらいドライな場所に聞こえる面もあるものね。

From The Parents Handbook

Extracts from “Summerhill Parent’s Handbook”
Sending your child to Summerhill is probably one of the biggest decisions you will ever make.

Naturally you are apprehensive; wondering how being a “Summerhill parent” will affect your life.

Hopefully these pages will provide you with information, and perhaps calm some worries.

サマーヒルペアレントのハンドブックからの抜粋

自分の子供をサマーヒルに送るという事は、あなたのこれまでした下した一番大きな判断かもしれません。 サマーヒルペアレントになるという事があなたの人生にどういう影響を与えるのか不安に思う事は自然です。 このハンドブックがあなたの不安を解消する情報を提供していると良いなと思っています。


Being a Summerhill parent

サマーヒルペアレントでいることについて


Well, you have done it. After the packing, preparation, traveling, you have finally left your child at Summerhill. It was all very quick; you found your child’s Houseparent, found his/her bedroom, piled all their stuff in it – then probably a quick kiss or a hug if you were lucky and you are driving away up the front drive, feeling TERRIBLE.

The first thing to do is, don’t WORRY!

とりあえず、やりましたね。 荷造り、準備、旅行を終えて、やっと子供をサマーヒルに届けました。 一連の事はとても早かったでしょう(寮母/父を見つけること、子供の寝室を見つけること、荷物を置くこと)そしてもしあなたが幸運なら子供はハグとキスをしてくれ、あなたは"きわめてひどい"気分で校門から去っていったと思います。

まず始めにする事は、心配しないこと!


Even if your child looked pretty miserable as you left, they are unlikely to be homesick for more than a few minutes at a time. If they are unhappy to begin with, the houseparent and other staff will keep an eye on them and issue cuddles and comfort if permitted!

もしあなたの子供があなたが去る時に惨めそうな顔をしていても、数分以上ホームシックでいる事はまず無いです。 もし長々と不幸な気分で彼らがいるとしたら、寮母/父やスタッフがその子の事をよく見て、その子が許可したら抱擁をし、慰めます。

Rest assured that you will only get phone-calls from your child when they are thoroughly miserable -– just in case you were thinking you could relax and enjoy yourself at home! When they are happily playing or hanging out with friends they are most unlikely to suddenly think, ‘I’ll just go and call home to tell them what a good time I’m having. . . ‘

(もし、リラックスしたり、あなた自身でいる事を家で楽しむ事ができると思っているなら)子供から電話がかかってくる時は、その子が惨めに過ごしている時だけだと請け負ってから休んで下さい。 彼らが幸せに遊んでいたり、友達と一緒にいる時に突然”家に電話をして今どれだけ楽しいかを伝えよう”と思うってのはあまりないと思います。

From now on you will probably feel as though your child is in a separate world from you. You will get very little from the school to tell you how things are going. Just the occasional news letter, which will only say how the weather was last term – nothing important like when your child goes to bed, or if they get enough sleep, or who might be their best friend etc.

これからはあなたは子供があなたと違う世界に離れていってしまったと感じると思います。 学校からは本当にちょっとの事しか伝わってきません。 折々の天気やらを伝えるニュースレターぐらいです。 子供が何時にベッドに入ったかとか、十分に寝ているかとか、誰がベストフレンドになりそうかとか、そういう事はあまり伝わってきません。

When the holidays come you may be lucky and get a detailed account of last term from your child – but more often you will not. What happens at school is usually considered the kid’s own business, not necessarily to be shared with parents and relatives. For you, accepting this is part of learning to accept your new independent, free child. Try to imagine yourself in their place. Do you tell them everything that has happened in your life during the term when they were away? How much sleep you have been getting, whether you went to work or not, who might be your best friend - I don’t think so!

もしあなたがラッキーなら子供が休みで家に帰ってきた時に、前学期の詳細を細かく聞けるかもしれません。 しかしそうじゃない場合が多いと思います。 大抵の場合学校でおこった事柄は別に親や親戚と共有する必要の無い、子供のビジネスとして子供は考えます。 あなたはこれを認める事を通じ、子供の自由と自立の承認を学びます。 もし自分が相手の立場だったらと想像してみて下さい。 前の学期中に、自分の人生におこった事を子供に逐一伝えますか? 何時間寝ているかとか、職場で何があったとか、誰がベストフレンドになりそうかとか。 しないでしょ。

Being a Summerhill parent demands a certain amount of “letting go” of your child. The community of Summerhill will be a powerful part of their life from now on. Being independent does not mean that your child will love or need you any less – but they will probably need you in a different way than before.

サマーヒルペアレントでいる事は、一定の子離れが求められます。 サマーヒルのコミュニティーは彼らの人生の大きな一部にこれからなります。 自立されるという事は、あなたの子供がもうあなたの事を愛してなかったり、必要としないという訳ではありません。 ただ前とは違う形で求められるということです。

The children of Summerhill value their individual lives within the community. They enjoy the freedom to be themselves and to make mistakes. These mistakes can take many forms – most usually petty thieving, breaking bedtime laws, harassing other people etc. All the things that you and I did as children! In the school community the ombudsmen and the Meetings will deal with it with no fuss or bother.

サマーヒルの子どもたちはコミュニティー内の独立した個人であることに価値を見いだします。 自分自身でいる自由を楽しみ、沢山失敗します。 その失敗には沢山の形があります。 通常は小さな窃盗だったり、就寝時間を守らなかったり、他人をひやかしたりなどです。 それら全ての事は私達も子供のころにやった事です。 学校内のオンブスマンやミーティングでその問題は解決していくので、気に揉まないように。

Sometimes pupils are quite guarded with parents about what they do at school. Try not to worry if this is the case, it is quite normal. Most children want their parents to see them as saints and are very keen not to shatter the illusion! Whereas they are quite happy to misbehave at Summerhill, they are often not ready to be seen that way at home. You can help the situation if it occurs by ensuring that you don’t have high expectations. In fact, no expectations at all would be better!

時々、子どもたちは学校で何をしているのか親から隠します。 普通のことなので、その場合は心配しないようして下さい。 ほとんどの子供は親に聖人君子として見られたいと思っていますし、その像を壊さないようにします。 ただ家にいる時の自分と違う自分を見せる事にまだ準備が出来ていないのです。 もしそのようになった場合は、子供にそんな期待はしていないと伝えて、彼らを助けてあげて下さい。 実際、そんな期待は全くしていないと伝えてあげるといいです。

Not many of us can honestly say that we never break the speed limit when driving, or park illegally from time to time!

実際の所、私達が車を運転している時の時速や駐車禁止の場所やらを確実に守っているとは言えないからね。

Non-compulsory lessons
授業を強制しない事について

By now, you surely know that at Summerhill lessons are not compulsory. This really does mean that kids can stay away as much as they like.

サマーヒルがクラスの出席を強制しない事はご存知だと思います。 これは本当に、子供が授業い出たくなければいつまでも出ないと言う事です。


As parents, you will have to think very carefully about how you are going to handle this situation when it arises. All too frequently, we have well-intentioned parents who think they won’t mind if their child is not working hard, but when it happens they give the kid a hard time or apply subtle pressure in a benign way.

親として、きちんと丁寧にどうやってこの事柄を対処していくか考えて下さい。 大抵の親は自分は気にしないと思いつつも、実際なってみると子どもたちに厳しくあたったり、プレッシャーをかけたりします。

Remember, at Summerhill your kid could theoretically NEVER go to a lesson – they have that right. Staff members are not going to persuade, cajole or bully your child about lessons. Though, of course, we will always be realistic about a kid’s future options and certainly will approach them to offer help if they are struggling with any aspects of this.

サマーヒルでは、あなたの子供は理論上一回も授業にでない場合もあります。 そしてそれは彼らの権利です。 教師も促したり、おだてたり、その子とでいじめたり一切しません。 ただ学校側はいつでも子どもたちの将来の可能性に対して現実的で、もし授業に出る出ないと言う事で子供が困惑している場合はいつでも手助けをしても良いかと子供と交渉します。

It is painful to see some kids persistently enrol in many classes, maybe to please parents who are knowingly (or unknowingly) applying pressure. These children will not be regular attendees and will frequently develop bad consciences about the whole issue. You can see it wrapped about them like a heavy cloak. It is destructive to their development and their whole attitude to learning.

子どもたちが授業の登録をしまくっているのを見るのは痛々しいものです。 知ってか知らずか子どもたちにプレッシャーを与えている親を喜ばすためにそういう事がおこる場合が多いからです。 そういった子供は定期的な授業の出席をしない場合や、学業に対ししばしば悪い自制心/価値判断を発達させてしまう事が多くあります。 その子どもの周りにおもっくるしいマントのように巻き付いていきます。 子供の発達や学習、態度に有害です。

Remember Neill’s famous quote:
“ I would rather Summerhill produced a happy street sweeper than a neurotic prime minister.”

ニイルの、"神経症の首相よりも幸せな街路掃除人に卒業生にはなってもらいたい"という言葉を思い出して下さい。

Of course, Summerhill kids are very aware of pressures from the outside world. For instance, friends or relatives might be talking about their own achievements in class – this does not go unnoticed and can often make our kids feel inadequate academically. This is something that we constantly have to deal with at Summerhill. Our kids have self-esteem as high as the sky, but academically they often feel vulnerable.

勿論、サマーヒルの子どもたちは外の世界でのプレッシャーを十分に承知しています。 友達や親戚が彼らの学力面での達成を話しているのを聞いたりもしています。 子どもたちはそれに気がつきますし、学業面で力不足だと感じさせます。 これはサマーヒルでは頻繁にディールしなくては行けない事です。 私達の子どもたちの自尊心は空よりも高いですが、彼らは学業面に関しては弱みがあると感じています場合があります。

と、永遠と続いていく。 自分と親が通過した事柄だからだろ。 ものすごく笑えた。 こういう事がいちいち重要だった時期がまるで昨日の事のようだけど、実際は大昔なんだよな。

 私を育てるのは、楽しい通過地点が沢山あると親に言われている。 なんか楽しいらしい。

 もしかしたらサマーヒルに行って楽しかったのは私だけじゃなくて親も同じだったのかもしれない。 子供は周囲から「幸せになれ。 幸せになって、いっぱい遊んで、楽しく楽しく過ごすのだ。」ってやられるだけだからそりゃ楽しいけど、お膳立てしていた親やら学校やらは、いちいち「心配しないで!」とか「子離れの仕方」とか「子供にプレッシャーをかけないように!」ってやりあっていたのだなと思うと愛おしくなる。

 なるほどね、親に歴史ありだと思わさせられました。

 方法はどんなのであれ、基本的に多くの親は子供が幸せで、高い自尊心を持ち、ケアの行き届いた生活を保つ事を望んでいるのだと思う。 そして、同じように突き詰めて考えると友人同士、職場の仲間同士、周りの人達に得てもらいたいと思っているのはそれなんだと思う。 その為に働くし、その為に学ぶのって面は大きいと思うよ。 私は私の友達に幸せでいてもらいたいし、その幸せさは友達なんだから私からも理解可能であって欲しいと思う。 

 だから自分を大切にしていない人を見ると、そんなに自分自身や世界と戦争をする必要はないのにと残念な気持ちになる。 何が幸せで、何が自分にとってのケアに満ちた自尊心の高い生活かってのは人それぞれで全然違うのだろうとは思うけれども、自分でちゃんとそれを考えて、決めて、これだと思っている事に向かって日常を過ごしてもらいたいと思う。 芸術や仕事、家族、恋人はその為の構成要素だと思う。

 友達の間でのメチャクチャな生活の仕方とかを見ていると、生活の為に働いているのか、働く為に生活があるのかと、友達として心配になる。 名指しはしないけど、健康診断でひっかかった、大磯出身のあなた! クソ忙しいみたいだから、このブログを見てるかどうかしらないけど、結構真剣に君の事を私は私の見方で心配してるよ。 価値観が全く一緒だとは思わないから、私が「これを大切にする」と思っている事と、君がそう思っている事は噛み合ない面が多いとおもうけれども、それでもちょっと限度を超えたんじゃないかって気がしてならない。 少なくとも理解できなくなってきたし、友達として止めたい。 自分が私生活で出している声が、ほとんど悲鳴になってしまってないか? 何が欲しいのかはっきりと考えて、バランスとって生活して下さい。 私もそうだけど、君はかなり流されやすいし、落ち着きないから、そこらへんちょっと人一倍考慮した方が良いんじゃないの? ヒヤヒヤして仕方がありません。

サマーヒル

 なんでこんな考え方するんだろうと、自分で自分について不思議に思う事がある。 例えば多分私が日常で使う言葉とか重要視している事が他の人と違うとき、「なんでこんな事ばっか私は気にすんだ?」って本当に不思議になるんだよね。 

 で、結果として思うのは小さいときの教育から受ける影響の大きさだ。 親と学校は両方とも途方も無くインフルエシャルだと思う。 
 
 私の大学での研究室のボスは、たまたま私が行っていたイギリスの学校、サマーヒルに社会学の研究の為に調査に来た事がある男だった。(ちなみにそのときの調査対象の子供が私だったってのはすごい偶然。 ニュージーランドで十年ぶりに再会し、ちょっとしてからお互い気がついた。) なので何でもかんでも彼は私をミステリアスだと思うとサマーヒルの所為にしていた。 「ああ、今日もアンナが遅刻だ。 まあサマーヒルの子だし。」「ああ、またアンナがアンフェアだっておこりだし。 まあサマーヒルの子だし。」ってな具合に。 変なエクスキューズが人生についてしまった。

 とにかく、肌にあっていた学校だったので、私は今でも校長先生が書いた言葉や

From The Parents Handbook

Extracts from “Summerhill Parent’s Handbook”
Sending your child to Summerhill is probably one of the biggest decisions you will ever make.

Naturally you are apprehensive; wondering how being a “Summerhill parent” will affect your life.

Hopefully these pages will provide you with information, and perhaps calm some worries.

Being a Summerhill parent
Well, you have done it. After the packing, preparation, traveling, you have finally left your child at Summerhill. It was all very quick; you found your child’s Houseparent, found his/her bedroom, piled all their stuff in it – then probably a quick kiss or a hug if you were lucky and you are driving away up the front drive, feeling TERRIBLE.

The first thing to do is, don’t WORRY!

Even if your child looked pretty miserable as you left, they are unlikely to be homesick for more than a few minutes at a time. If they are unhappy to begin with, the houseparent and other staff will keep an eye on them and issue cuddles and comfort if permitted!

Rest assured that you will only get phone-calls from your child when they are thoroughly miserable -– just in case you were thinking you could relax and enjoy yourself at home! When they are happily playing or hanging out with friends they are most unlikely to suddenly think, ‘I’ll just go and call home to tell them what a good time I’m having. . . ‘

From now on you will probably feel as though your child is in a separate world from you. You will get very little from the school to tell you how things are going. Just the occasional news letter, which will only say how the weather was last term – nothing important like when your child goes to bed, or if they get enough sleep, or who might be their best friend etc.

When the holidays come you may be lucky and get a detailed account of last term from your child – but more often you will not. What happens at school is usually considered the kid’s own business, not necessarily to be shared with parents and relatives. For you, accepting this is part of learning to accept your new independent, free child. Try to imagine yourself in their place. Do you tell them everything that has happened in your life during the term when they were away? How much sleep you have been getting, whether you went to work or not, who might be your best friend - I don’t think so!

Being a Summerhill parent demands a certain amount of “letting go” of your child. The community of Summerhill will be a powerful part of their life from now on. Being independent does not mean that your child will love or need you any less – but they will probably need you in a different way than before.

The children of Summerhill value their individual lives within the community. They enjoy the freedom to be themselves and to make mistakes. These mistakes can take many forms – most usually petty thieving, breaking bedtime laws, harassing other people etc. All the things that you and I did as children! In the school community the ombudsmen and the Meetings will deal with it with no fuss or bother.

Sometimes pupils are quite guarded with parents about what they do at school. Try not to worry if this is the case, it is quite normal. Most children want their parents to see them as saints and are very keen not to shatter the illusion! Whereas they are quite happy to misbehave at Summerhill, they are often not ready to be seen that way at home. You can help the situation if it occurs by ensuring that you don’t have high expectations. In fact, no expectations at all would be better!

Not many of us can honestly say that we never break the speed limit when driving, or park illegally from time to time!
Non-compulsory lessons

By now, you surely know that at Summerhill lessons are not compulsory. This really does mean that kids can stay away as much as they like.

As parents, you will have to think very carefully about how you are going to handle this situation when it arises. All too frequently, we have well-intentioned parents who think they won’t mind if their child is not working hard, but when it happens they give the kid a hard time or apply subtle pressure in a benign way.

Remember, at Summerhill your kid could theoretically NEVER go to a lesson – they have that right. Staff members are not going to persuade, cajole or bully your child about lessons. Though, of course, we will always be realistic about a kid’s future options and certainly will approach them to offer help if they are struggling with any aspects of this.

It is painful to see some kids persistently enrol in many classes, maybe to please parents who are knowingly (or unknowingly) applying pressure. These children will not be regular attendees and will frequently develop bad consciences about the whole issue. You can see it wrapped about them like a heavy cloak. It is destructive to their development and their whole attitude to learning.

We don’t expect new pupils to attend many classes. For some this is a short-term thing, for others the return to formal learning takes longer. We are as proud of the pupils who seldom attend classes as we are of our academics. We do have strategies if we feel the need to monitor, and we will offer help if appropriate.

Remember Neill’s famous quote:
“ I would rather Summerhill produced a happy street sweeper than a neurotic prime minister.”

Of course, Summerhill kids are very aware of pressures from the outside world. For instance, friends or relatives might be talking about their own achievements in class – this does not go unnoticed and can often make our kids feel inadequate academically. This is something that we constantly have to deal with at Summerhill. Our kids have self-esteem as high as the sky, but academically they often feel vulnerable.

Sometimes parents ask us how their children are doing in class. This is usually not a problem but it is important for them to understand how the school deals with it. Below is an extract from the Summerhill staff handbook:

* In the awkward event of a parent asking things about their child which you feel uncomfortable about divulging, (Typically, does my child attend classes? Or, does my child smoke?) the best response is to remind the parent of the school’s philosophy and suggest that they ask the child themselves. Whenever possible our allegiance must be to the children, who value their privacy here. Of course, we must not mislead parents or withhold information if it is demanded.

* Summerhill does not issue any reports for pupils, but teachers can put together what we call a “report pack” which is a summary of kid’s achievements in class and the community. Its main use is for college applications or for school transfer. It is only given with the child’s permission.

2009-03-23

不安はうつる

 クラスメイトがオークランドに引っ越してきたので、一緒に夕飯を食べた。 まだ仕事が決まっていない彼は心中不安がいっぱいである。 気持ちは分かる。 私が同じシチュエーションだった時、ものすごく不安だったもの。 そしてプロジェクト単位で雇われている私は、soon or laterまた職探しになる。 だから、すごくよくわかる。

 でも不毛な不安よね…。 こればっかりは悩んでいても仕方ないじゃない。 見つかるまでやり続けるしか無いじゃん。

 「どこにも属していないっていう自由が怖いのか、サバイバル出来るかっていうストレスがかかっているのか、どっちが自分を不安定にさせているのか考えてみると良いかもよ」と言ってみた。 これは私が結構考えていた事で、もし自由が怖いと思っている場合は自分をなだめたし、サバイバルに関するストレスを感じている時はやる気に転じさせるようにしていた。 自由が怖いっていう不安を自分を駆り立てる動機に使うと、ものすごい消耗するから。

 彼とバイバイした後、私も呆然と不安定になり、誰かと話したくなった。 これからの人生サバイブできるんだろうかと考えると、ぐらっとくる。 心中を誰かに全部ぶちまけたい衝動に狩られた。 不安は、うつる。 でももしここで私が誰かに不安を告げる電話をしたら、満員電車の中で咳をするようなもんだと思い遠慮した。 それにやっぱり私を不安にさせているのは、職探しをしている間に自分が自信を持ち続けられるかとか、そういう自由をハンドルできるか否かの事柄なので、それは人に「あたし、出来ますかね?」って聞いても聞かれた方が困っちゃうよ。 やるっきゃないだろう。

 自分と全く同じような状況の人が滅多にいないので、話していてもどっかがずれる。 ましてや仕事を探している最中の子に仕事の愚痴やこれからの心配事なんて話してもまともに取り合っちゃくれない。 こういう時は自分と似た状況の人がいてくれたらなあと思える。 たまに、思っている事を人と心から話す事が出来たら、もっともっと良い仕事が出来る人になるんじゃないかと思えるんだ。 でも、案外自分と似たような状況にいる人っていないよね。
 
 たまに全く違う状況を想像してみる。 例えばデザイン事務所とかっていう周りはみーんなデザイナーって場所にいたら、今のインハウスデザイナーとしての就労と全く異なる業務体験になるだろう。 それか大きな所に就職していたら、同期ってのがいたりしてまた違うだろうと思う。 そしてプロジェクトメンバー全員の国籍が違う私の今の職場環境と、チームメンバー全員日本人っていう環境にいても仕事の仕方が変わるだろう。 また、プロジェクトベースでキャリアアップしていくっていう路線じゃなくて、永久就職系の仕事に着いていたらまた全く違うだろう。 国際市場狙いの商品開発と、ドメスティック用の商品開発のプロセスも違うと思うし、会社内で製造するか、会社外でするかってのでも全く違う。 色々と想像してみる。 

 次は私は何を得たいのか、いつから長期的な滞在になる就職をするのか、何個プロジェクトをこなしたら、シニアデザイナーとして認められるようになるのか、そこまでどうやってたどり着いたら良いのか、それに私は半年後にどの国に住んでいるのかすら分からないので、ああ、もう何がなんだか。 

 やっぱり不安ってうつる。 不安をうつしあう友達ではなく、こういう状況をエキサイティングだと思っている子と、興奮をうつしあいたい。 不安プレイは消耗合戦だ。 不安に揺らぐ繊細さよりも、自由と孤独を心底embrace出来るしたたかさと打たれ強さが欲しい。 そんなのは自分に対する無茶な要求なような気もするけど、結果的にその方がめんどくさくない気がするのだ。 会社に行く時は、どれだけ朝起きたくなくても、二度寝するより起きて会社に行った方が後々めんどくさくないってのと同じ感じで。 様々な事は、ただ、もうやるっきゃない。

ファック イン ヘル

 ファック イン ヘル。 地獄でファック。 壮絶。 やるなら天国で愛を作りたいね。

 さて、今日のブログは悪口の羅列です。 最初「うわっ、これは載せたら、多くの人を敵に回す」と思ったので、ターゲットを1人だけに絞り、彼女に電話でこのイライラの内容を伝えた。 そうしたら大爆笑されて、「ブログにも載せなよ」と言われ、まあ、確かに結構笑える内容だしと思い直し、載せる事にしましたよ。 さーーー、私の正直な世界へようこそ。 「うわっ、この人腹の底ではこんな事思ってるんだ」と思ってくれ。

 たまに美術やら芸術やらが好きなんだけど、でも自分とはかけ離れた場所にある物として考える人がいる。 そして美大生の間では卒業したら、即芸術にグッドバイで、「ああ、芸術は遠くに過ぎ去った…」的な事を言う人達がいる。 彼らは社会に出て、芸術やら美術やらは、自分の人生とかけ離れていったと感じるようだ。 

 私はそういう人を見ると「結局この人は何をしたいのだ」とムカムカする。 特に元美大生とか美術を専門的に学んだり、なんだかの形で関わっていた人がそういう事を言うとハラワタ沸騰。 エリーティズムなのかもしれないけど、「お前がそれを言っちゃあオシマイだろ!」となる。

 特に美大生がそういう事を言うと、90年代以降の現代美術史の根幹である「全ては工夫次第!」っていう概念を見事なまでに無視している気がして、「学ばなかったから遠くに過ぎ去っていったんだよ」と冷ややかに思ってしまう。 「毎日の生活に美術が関係なくなっていく…」的な発言を聞くと、「お前の中にオロツコはいないのか? ”介入”は? ”日常”は? トム・フリードマンの鉛筆削りの作品を見て、自分の毎日を変えなかったの? 本当に、こういう時の為の美術じゃん!!」と驚く。 現代美術って毎日を強く生きる為の発想をくれる作品が溢れているのに。 本末転倒な気がしてしまう。 もうちょっと勇気を持って日常に介入しろよ。 だから「君の美術史の教科書を見てみたい!!」ってなるんだ。

 学生の時は価値のある授業とか魂が震える作品とかを探さず、騒げる友達やら就職やらイベントやらを探してたかと思えば、就職したらしたでちゃんと不安タスティックの流行にのって「ああ、これで私/僕は良いのだろうか」ってやって、色々と周りの所為にして、ちょっと流され過ぎてやいないか?と思う。 周りに影響されて自分の見たい物が見えなくなる事を、脱構築や介入やひねりで防ごうとしていた作品がメインストリームだった現代美術の過去20年の遺産は無視なのね。

 だから「なんなの、本当に、もー、流行好きなの嫌いなの?! いったいどこのメインストリームにコミットしてるんだよ!」ってなる。 それにそういうやつに限ってリレーショナルアートとか好きで、騒ぎたがって、繋がり合いたがって、お前流されやすいんだから、下手に集団行動に手を出すな! それか誰よりも豪快に流されろと私は思いますよ! (ってここの部分は私のイベント嫌いが根幹にあるので本当にただの一方的な悪口。)

そんなこんなを切れ切れに友人に電話で伝えた。 話しながら、最終的に2人で大笑いをしたり、色々もっともっと気持ち良い話しをして楽しかった。 そして私が怒っている事と自分の立ち位置は全然違うのだから怒っているだけ無駄だなと思えた。 立ち位置が同じ人がいなかったので、寂しくなって怒っていたのかもしれない。 友人とは価値観が近いので、怒っているのもばからしくなり、楽しい話しをたっぷりした。

まあ、とりあえず、ファック イン ヘルだぜって思わせられる発想ってあるよね。

2009-03-22

すごく良い週だった

 引っ越してから楽しい。 週に三本ぐらいパフォーマンスを見て、コンサートやらギグに行き、まさに人生が戻ってきた感じ。 夜が素晴らしいんだよ! 1人で過ごしていても、人と過ごしていても、ほとんど「ありがたや」って次元で良い。 

 今日は、たまたまナンパされた女の子の彼氏のバンドのギグに行った。 十分ぐらい立ち話をした程度の子だったので、番号を交換はしたけどまさか連絡が来るとは思わず、本当にギグに誘われた時は驚いた。 しかも場所が家のすごく近くで何ともコンビニエンス。 

 てっきりバーやらクラブでやるものだと思って行ってみたら、普通の民家だった。 ただ、ものっすごく素敵だった。 もーーーーーーーー、カメラ持ってなかったのが一生の不覚ってぐらいに素敵だった! 

 庭にステージが作ってあって、ラントンがいっぱい飾ってあって、もーーーーーーーー、本当にきれいでラブリーだったの。 そこに着くまでは、いかんせん知らない人達だし、「まったく趣味に合わない音楽とかだったらどうしよう…」って思っていたんだけど、その場に着いた瞬間にこれはいけると思った。 しかもいる人達みんな面白いし、完全にナイス。 自分の幸運をなんかの巨大な存在に感謝したわ! 男の子は優しいし、女の子は可愛い。 しかもじゃんじゃんビールまわってくるし、ナーーーーイス! なおかついる子たちみんな同世代、同い年も多くて、メチャクチャ楽しかった。 話してて、つきない、つきない。

 で、音楽が始まったら、魂掴まれた。 すっごくよかったの。 完全に私好み。 「こういうのが好き!」ってののど真ん中だったの!! 夏の終わりに完全に素敵になっている誰かの家の庭で、いい感じの子たちに囲まれながら、一番好きなタイプの音楽を聞いて、ただ素晴らしかった。

 バンドの名前はThe Wicksっていうのね、ものっすっごくかっこいい(マジで、こんなにかっこいい人を見たのは二年ぶりだ)キーボードの子がいて、彼はトランペットも吹くんだけどやばかった。 かっこよすぎた。 恐ろしいほどに格好良かった。 ジェスチャーもすごく良くて、私は凝視。 私を挟んでいた子たちのとんちんかんな踊りに巻き込まれながらも凝視。 目が離せなかった。 ここで彼らの音楽が聞けるから、飛んでみて。

 民家で大音量だったので近所からの苦情を聞き来た警察に掴まるまで、かなり盛り上がった。 

 私に訳の分からない踊りを挑んできていた子はサウンドエンジニアの男の子で、オークランドでギグの為にどこに行ったら良いのかとかが分からないと言ったら、彼の部屋に連れて行ってくれた。 「ここ、お前んちだったのか!」と驚く。 良いお家をお持ちだ。 そして大量のローカルバンドの音楽をかけてくれて、2人でウィスキーを飲みながら聞いた。 超ミステリアスな象のプリントがオールオーバーにしてあるリネンのベッドにねっころがりながら、結構良い音楽を聞いて、ウィスキーをがぶ飲みして、エロスの重要性について結構真剣に話した。 馬鹿とパーティーで友達になれてよかった!!! これから彼が行くギグ全部に一緒につれてってもらう約束をした。 しかも「ちゃんとデートにして、イタリアンもフレンチも、オークランド中食い尽くそう!!」と高らかと宣言されてたから、「嬉しい! 私、とってもお腹の好いた女の子なの!」と応酬。 (勿論自分も含めて)馬鹿万歳!

 すっごい良かった。 パーティー1個に行って、「良かったのです…」と言っている時点で、大学時代は遠くなりけりって感じだけど、もしこれが学生時代のウェリントンで行われていたとしても、メモラブルなパーティーだったと思うな。 それぐらいに良かった。 ってか、多分パーティーシーンはオークランドの方が良い。 

もっと遊ぶぞ。

2009-03-20

結婚式

 プロジェクトの為人の結婚式の写真を沢山見る。 一つの式につき1000枚位の写真を拝見させていただいております。 

 最初は結構ひきながら見ていたんだけど、最近はもう美しいビーチで夕日を背景にキスをし合う新郎新婦の写真を見ても全然大丈夫。 それどころかいっそ感嘆。 もっとやってくれって感じになってくるね! 象の上でキスとかもある。 素晴らしいじゃないか。 この象、良い顔してる。 

 見事にキスとハグの嵐。 象の上でキス、月明かりでキス、滝の前でキス、木陰でキス、海辺でキス、崖でキス。 キスに感動っていうよりも、背景の壮絶な大自然に 私は酔いしれます。 写真家もそこら辺分かってるだろうね。 人々は偉大な母なる自然の力をこのような瞬間に借りるのです。 背景の大自然に、コンピューターの作業で疲れた目をいやしてもらっています。

 そして私の好みは大金持ちのアメリカ人たちの結婚式の半端無い感じです。 彼らの想像力に限度無し。 ブライドメイドとベストマンかおのおの十人以上いたりする。 そんなにいたらもう価値無いじゃん! ほとんどチアガールと応援団状態で新郎新婦の後ろにずらーっと同じドレスとスーツを着た人達がいたりするからすごい。 マフューバーニーのカルチュアルバックグラウンドに触れる瞬間。 絶対にここからインスピレーション得たんだと思う。 

 見事に、毎回事務所で良い意味でも悪い意味でも「おおおおおお…」っと伝説になる結婚式をするのはアメリカ人達だ。 スケールが違う。 結婚式以外だとユダヤ系アメリカ人のバル•ミツワーの壮大さもすごい。 絶対に私の一年分の給与以上の資金が使われている。 すごいよ。 本当に、すごい。 見ていて、自分の辛気くささが嫌になるもの。

 ロスとかべガスの式だと、これは一体何回目の結婚式なのだろうって方々のとかがある。 新郎新婦ボトックスの嵐および、写真はナイスにちょっとピンぼけ皺隠し。 そして何回もやってそうな感じがありこなれていらっしゃる。 しかも富裕層の還暦前後の方々なのでお金のかけ方も半端無い。 これで新郎新婦が若かったら文句無く美しい結婚式だっただろうにと失礼ながら思ったりする。 世の中にはおぞましい事をおぞましいとも思わず、される方々がいらっしゃるのだ。 清々しいではないか。 あなた方の情熱と人生への楽観主義に、高らかとこちらも乾杯させてもらいたい! なんか見ててすかっとするよ。

 はあ…、本当に、こうやって世界中の結婚式の写真を見ていると、自分なんてちっぽけなもんだと思います。 本当に、世界は広い。 特にこういう全く自分と関係なかった感じの事柄に触れると心底そう思えるのです。 ああ、なんて世の中ってのは多様性にあふれた空間なのだろうと。

 彼らのこんな事をする動機が全く分からんと最初は思っていたのですが、最近少しだけ分かってきた。 これはオープンな祭りなのだ。 生命力の爆発をさせる一日なのですね。 真剣に考えちゃいけない。 秘儀とかではない。 しみったれた感じに考えちゃいかん。 結婚式ってのは見事にビックバン的で、核融合的で、ケミカルリアクション炸裂なイベントであると理解すべきだと思い始めた。 フルスロットルで、ロイアルストレートフラッシュなパーティーなのだ。 こっちもハイパーにいないと、全く相手側ののりについていけない。 ワンペア、ツーペア的しょぼい感じではディールできない。 ミラクルでアメイジングな感じでいなくては。

 だから私もアドレナリン全開で、花嫁を新郎に渡すときに号泣している花嫁の父や新郎(号泣率高し)を見ながら、つられて号泣。 男の人達の方が何となく傷つきやすくて、弱くて、儚く純粋な存在に見えてしまうのは、女性たちの興奮状態と比べてしまうからか。 大抵の花嫁およびブライドメイドの非日常な興奮状態はすごい。 道ばたでこのテンションの状態の人を見たら絶対に避けて通ると思うよ。 

 まあ、とりあえずなんともすごい状態に人々の心理が持ち込まれるものだと見ていて感心する。 みんな結構良い意味でぎりぎりな感情になっている。 面白い。

2009-03-19

万年筆 その2

 国内便で送った万年筆が相手に届いたので、電話を頂いた。 いっひっひ。 国際便で送った万年筆がもう1人に届くのが楽しみだ。 ただ届かなかった人、がっかりしないで下さい。 あなたに似合う物が見つかったら、宅急便は届きますので。

 ライムグリーンの万年筆を送った相手は、私の大好きなリースでした。 

 万年筆に添えて、超可愛い蝶々のレターパッドにしたためたクールな手紙と、グラフのデザインした紙の箸置きを一緒に送った。 全部大好きだったそうだ。 ただ私のものすっごい癖のある宇宙文字は読めなかったらしく、「同封してあるのは箸置きです」と書いておいたのに、彼は本の栞だと勘違いされていた。 うーん…。 ペン字でも習うか…。

 今日私は私の万年筆のインクの色をターコイズブルーから濃紺に変えた。 ターコイズを使っていた頃は、もうちょっと暗めが良いと思っていたけど、実際使ってみるとなんか違う。 多分、私はボルドー系が使いたいのだ。 うーん。 ボルドー。 そうするとカートリッジではないから、コーンバーターになるのよね。 めんどくさいかも…。 でもボルドーの文字、書きたい。 宇宙文字だけど、書きたい。

貴公子

 貴公子のような、ようなとうよりも、まさに貴公子な友人がいる。 貴公子はなんだかやる事なす事エッロイ感じで素晴らしい。 お気に入りの友達だ。

 彼は私をAnnapandatiger.と呼びかける。 フルネーム(?)で呼んでくださる。 かわいい。 そして週に一回位「アンナパンダタイガーよ。 何故、僕は君からの連絡を全く受けないのだろう。 僕よりもっと良い友達でも作ったのかね?」的なメールを送ってくる。 

私は「っっっっ若様に心配されておる! 近況報告せねば。」と驚く訳だ。

 心境はまさにこんな感じ。



なのでいそいそと筆をふるうのです。 「若様へ。 ご連絡ありがとうございます。 いえいえ、相変わらず友達は全くおりません。 ロンサムカウボーイライフをすごしております。 連絡をとらないのは、ひとえに新しく話す事もないからでございます。 そちらさまはご機嫌よろしくかっておりますか?」とお返事する。

 昨日の夜は近況を報告しない私にしびれを切らした相手からついに電話がかかってきた。 ちょうどいいので最近の彼の活動を褒めちぎっておいた。 彼はちょっと偉いのだ。 「すごいね! 偉いね! 本当にすごい面白い事をしているね! すっごい誇りに思うよ。」と言えるだけ言った。 照れながらも小さな声で、「全然だよ。 もっともっと良いデザイナーになりたい」と返された。 思わず私も「私も!」と宣言。 そして「君が一流のデザイナーになるのが待てない」と言っておいた。 誰にもまだ見せていない作りかけの作品のデータとかを相手に送った。 全く形になっていないのでコメントのしようがないと戸惑わた。 「うん、全然終わってないけど、今やってる事。 君以外はまだ誰も見た事無いんだよ」と言ったら超喜ばれた。 我が貴公子は、褒められ、励まされ、讃えられ、「あなただけなの」っていう態度をとられるのがお好き。 もしくは、私が「お前のスウィートスポットぐらいお見通しだ!」って思えている状態が好きなのだろうと推測してわざわざ喜んでくれているかのどちらかだね。 とにかく、貴公子万歳。

2009-03-16

万年筆 Lamy-Safari-

 万年筆が好き。

 どこで私の万年筆熱に火がついたのかは正確には覚えていない。 本当はおっさん臭い万年筆なんて使わずに、製図用のペンをずっと使っていたかった。 

 ただ元々直線と曲線が交わったりしている形状が好きなので(「好きな形は?」と言われたら、「弧!」って叫びたいぐらいだ)万年筆は形が好きだった。 緊張感があるのに、緩やかで良いと思う。 自然界の美しさを感じる。 伸びかけている植物みたいじゃん。

 特に本体その物もペン先の美しさを反映しているLamyのsafariがプロダクトとして大好きで、密かにこんなに美しい物体が普通に売ってるから世の中ってのはすごいと思っていた。 そして手を出した。 そしたらどっぷりと好きになってしまった。

  たまに文房具屋さんで試してみたかったメーカーのプロダクトを試し書きしてはうっとりしている。 二十代の女なのに、既におっさん。

 結果的に今は二本持っている。 

 勿論モンブランとか、ペリカンのスーベレーン800や1000とかって豪快な買物が出来るようなリッチマンじゃないので、普通にリーズナブルなのを持っているだけだけど。

 オフィスの私のデスクにはペリカンのペリカーノをいつも置いている。 これはペリカンの一番下のプライスレンジのプロダクト。 でもペン先がやっばい上手く作られている。 非常に優れた書き心地。 これは使う度に「優れたプロダクトってこういう事だ」と教えてくれるから好きだ。 こんな物を作れちゃうこの会社はすごい。

 そして日常的には上に書いた、LamyのSafariを使っている。 これは文句なしに物体として好きだから。 一日に下手したら5時間ぐらい握りしめている物なので、好きなプロダクトが使いたい。 結構に綺麗なプロダクトだと思うんだ。 非常に彫刻的。 




 私は定番のイエローを使っている。 


 この間の土曜日、欲しいなあと思っていたSafariの2007年と2008年両方の限定色が一本ずつ売れ残っていた本屋さんに巡り会った。 このプロダクトのボディーの発色は夢のようにきれいで、どうしようもなく物欲が刺激された。 でも別に私はコレクターじゃない。 使わない物は持ちたくない。 自分の今使っているプロダクトを人に譲って、こっちに変えようかなあとかってちょっと考えた。 でもそれだと、07年と08年のどっちを使ったら良いのかがまだ分からない。 だって私は両方にかなり刺激されてしまっているのだ。 

 1分ぐらい考えた後に、2人の友人の顔が浮かんだ。 2人とも、悪くないと思っている人達で、この私の情熱的に関心を持っているプロダクトを受け取るのに適した人達である。

 1人の男の子はとても素敵な字を書く。 そして私と彼は使っているノートが一緒。 まだ知り合って二年ぐらいしか経ってないんだけど、これから10年、20年と緩やかに友達関係が続くだろうなと思っている相手。 いつもすごく綺麗な緑色の物をどこかに持っている男の子なので、ライムグリーンのsafariをあげることにした。 ぴったり!

 もう1人の女の子は物持ちが良さそうな人。 13年間の間、私を見捨てるチャンスは日々あったのにまだ友達。 継続的に人と付き合える人なのだと思う。 物とも長々とやってけるだろう。 それに07年限定の白いsafariを見た時に、「この感じはあの人だ」って思っちゃったんだよね。 このペンもその人もきれいなんだ。 一番旧い友達を、今日もきれいな人だと思っていられるってのはラッキーな人生だと思う。

 「そうしよう!彼らにあげよう!」と思った瞬間幸せ爆発だった。 週末で郵便局が閉まっていたので、月曜の朝一で会社の郵送部に行き、係のおばちゃんに「これ送っといて!」と頼んだ。 あまりにも私が元気よかったから、「プレゼント送るの?」とばればれだった。

 ふふふ。 受け取ったらちょっと自分の事を特別な人だと思うだろうな。 これは「そうだとも、君たちはいつでも特別だ。」っていうメッセージなのだ。 

 兎みたいにぴょーんってとっとと相手の所に届かないかな。

 万年筆大好き。

朝から恋に落ちた

 今、私の会社と一緒に働いている外部のデザイン事務所に恋に落ちている。 そして他の事務所にも恋に落ちている。 やたらめったら落ちている。


 私の会社のブランディングをしているaltという事務所は、半端無く素敵な仕事をする。 現代美術を専攻していた人達が集まって始めた会社で、現代美術系頭でっかちな事を言う割に、かなりきちんとした場所に着地したデザインを提示してくれる。 私が入社した時点でもう仕事を一緒に始めていたので、どんな人達なのか、どんないきさつでコラボレートする事になったのかを知らなかったんだけど、彼らが作る物や考え方を知れば知るほどにメルト。 大好きだ!




 このサイトは私の好きなサモア系の振り付け師を中心としたダンスカンパニーのなんだけど、実はこれもaltがブランディングしていたと最近知った。 ずっと、「すっげーかっこいいよなあ。 誰がデザインやってんだろう。」と思っていたのだよ。 まさか、彼らだったとは…。 世界って狭い。 このサイト好きすぎて、鼻血出そう。

 
 そして私の最近のモラルサポーターである、近所のギャラリーのキュレーターに「彼らはやっばい素敵」と言われてみてみた、Inhouse Designという事務所も案の定私のスウィートスポットにクリティカルヒットだった。 やっばいだいすき。 落ちたよ、恋に。


しかもサイトは私のほとんど強迫観念の様に好きな縦長。 くは〜! 「これって私のためなんじゃないの?」と典型的なファン心理を持ってしまった。 



 そしてブログもナイス。 今度は横長。 「長いもんは徹底的に長くしろ」っていう心意気にしびれます。 (そういえばいつになったら出来るんだか分からない、私と圭介と瑞穂の合同のサイトIMOのコンセプトも「短いもんは出来るだけ短く、長いもんはやれるだけ長く! そして縦横縦断」である。 ねえ、圭介、本当にいつ私たち自分の事務所のサイトを作るの? 言い出してから軽く400日ぐらい過ぎてないか?)




はあ…、朝から大興奮してしまった。 とりあえず仕事しよっと。

竹尾やっべー熱い

 今日、注文していた竹尾の各種見本帳が届いた。 

「うううっ! これは宝物だ…。」と箱を開いた瞬間に思いましたよ。 輝きが違う。

実は竹尾さんは注文をしている段階からとても良い対応をしてもらっていた。 ほとんどハートウォーミングと表現しても良いくらいに。

 竹尾熱い。

週の初めからやる気がわいたぞ!!

2009-03-15

昔の日記を読んで笑う

 のど元過ぎれば熱さ忘れるってのはこの事で、今昔の日記を読んで大爆笑していた。 

 なにあの異常な更新率。 そして弱音吐きまくり! 「誰だよ、こいつ、あぁ一週間前の私か! あっはっは〜〜〜!!!」と涙が出るまで笑った。 すっげーうける。 だって超弱ってんだもん。 「私のウィークエンドアクティビティーは家探しなのかもしれない…」とか「11月から毎月引っ越してる」とか日々の主題が脱放浪に集約されてしまっている。 ほとんどいつも「うう…」って言葉が入ってるし。 あっはっは、大変だったんだな! 本気で辛かったんだけど、今では本人すらその苦悩っぷりが滑稽で笑えてしまう。 確かに連続四ヶ月で毎月引っ越しってのは堪えた。 っが、そんな面白い経験出来てよかったねと今の私は昔の私に対して思う。 人ごとだから。 やってる時は、本当に勘弁して下さいって感じだったんだけどね。

 いやはや、笑えた。 もしブログを書いている人がこれを読んでいたら、昔自分が書いた記事を読み返してみるとよろしいですよ。 ものっすごく笑えるから。 ああ、人生って喜劇だ。 人生は感じる者には悲劇であり、考える者には喜劇であると昔の人は言いましたが、その通りだと思います。 客観的に考えながら読み返す自分の日記は、当時悲劇として書いていた事ですら、完全に喜劇だった。

 

お料理大好き

 波があるけど、大抵の時はお料理大好きです。 

 特に料理上手だとは思わないけど、手の込んだ珍しい物を作るので周りから評判が良い。 前の家に住んでいた時は、同居人の音楽の趣味と、私の料理とで「あの家の夕飯体験が最も素晴らしい」と言われていた。 なので週に何回かはクラスメイトが集まり私がメインを、友人らが前菜とデザートを作り、ちゃらちゃらと遊んでいた。 私のハグと料理は「すっげーサブスタンスがある感じ」らしく、「なんか他の人のと違うんだよね」と誉められるのだ。

 今回オークランドに引っ越してきてから、最初の二ヶ月は見事に料理をしなかった。 なぜならば仮住まいさせてもらっていた場所の大家さんのメシを分けてもらっていたから。 確かに殿様待遇な感じで好ましい面もあったんだけど、全然しっくりこなかった。 好きな時に好きな様に食事にありつけるという生活を長々としてしまっていたので、作ってもらったものを食べるってのが逆に不自由だったんだ。

 今回の家は食事は持ち回りの合同で行っている。 このシステムは三年ぶり。 結構楽しい。 ただ料理したい放題というこのワイルドな楽しさに刺激されて、今週は私が一人で作りまくっていた。 だって楽しいんだもん!


 料理の楽しさの30%は食材の調達だと思う。 他の30%は料理の過程。 残りは勿論食べる喜び…、と言いたい所だけど、単純に片付けとか台所の掃除が好きなので30%はその喜び。 実際に食べる楽しみは10%ぐらいだな。 人が作ってくれた場合はほとんど99%食べる喜びになるんだけどね、自分がやると違うんだよ。

 とりあえず、喜びを得る為、ずーっと行ってみたかった市場に今日は行ってきた。





 ゲイタウンの象徴、レインボーの旗はためく我がストリートを抜けて、目指すはフランス系移民達の始めたマーケット。 そこには美味しい物が溢れ返っているという話しを聞き、私は週末をひたすら待っていたのだ。 










 全てがナイス! 手作りのホマス、新鮮なイチジク、フェタチーズの詰まったオリーブ、茄子のオリーブオイル漬けとクロワッサンやパンをたんまり買い込む。 「ここからここまで全部下さい!!」ってぐらいに興奮した。 駄目だ、アンナ落ち着くんだ、来週末も再来週末もそのまた次の週末も、週末が来る度にここは開くのだ、いつでも来れるんだからクールダウンしろ、と自分をなだめる。 




しかも市場の奥の倉庫では、お菓子とか乾物系の食材のお店があって、なおかつカフェも沢山あるの! もー、大好き。 毎週来る。 ここでいつも食材買うと固く決心。 

家からこのマーケットまでの道のりには素敵な街路樹が植わっていたり、お花が咲き乱れていたりでかなり幸せな気分になる。 「あたし、もうウェリントンには戻れない…」と思った瞬間だったわ。 ウェリントンの市場はこんなに素敵じゃなかった。













うわーい! お花だ、お花だと一気に陽気になる。 大学生の頃、花を見つける度に立ち止まって「咲いてる」と報告する私に、一緒に通学していた友人に「お前は八歳児か?」と呆れられていた。 なんでなんだろう、花って咲いてるの見ると、結構気分上がるよね?

 花もいっぱい見たし、食材もたっぷり買ったし、今日は張り切って、牛肉とたっぷりのタマネギとマッシュルームを赤ワインでゆっくりと煮た。 パンと共に頂く。

 前の家はヴィクトリア朝のヴィラ建築で、ミッドセンチュリーにリノベーションを施した台所だった。 だからなんか基本的に"家庭大好き"な雰囲気のある美しい台所でした。  そしてメチャクチャ広かった。 今回の家は100才ぐらいのアパートなので、レンガとかモロに出ている"元祖都市生活者"感たっぷりな台所だ。 要するに下手すりゃ監獄テイスト。




台所に作業台がついていないので、この机で食材を切ったり、揉んだり、叩いたりする。 ああ、都会に住んでいるのねって気分になります。 狭い! 料理をすると家中に匂いが伝わる。 まあ、それは素敵だと思う。 ああ、それにしても料理って楽しい。 お料理万歳。 そして週末万歳!!

2009-03-13

勇気と生産性

 エーリヒ•フロムの「愛するということ」を久しぶりに読んだ。 子育てに関するポリシーやらモットーやらが限りなく少なく日和見主義の殿堂の様な我が家で、唯一バイブルの様に読まれていた本がこれらしい。 

2009-03-10

彼らの特別なもの

 っていうテーマのプロダクトをデザインしています。

 彼らってのは結婚をする二人。 「ユナイトしよう!」「おー!」っていう決心をしたり、けじめを付けたり、新しい生活を始めた時の思い出を、どうにか保存する方法は無いかと考え中。

 どんな物を思い出としてとっておきたいと思うのかしらね。

 

なんてこった

 同居人の男の子と話していたら、共通の友達が沢山いる事が分かった。

「なんかこの手の話し方は知ってるぞ」と思い、彼と同じ街に実家がある友人の名前をあげてみた。 案の定彼らは「大親友」だった。

私の以前の同居人の姉の彼女(よくウェリントンの我が家に遊びにきていた)と、今の私の同居人は一軒前の同居人同士だった。 そして私の以前の同居人の、昔の同居人が、私の今の同居人の数年前の同居人。 "同居人"という単語がこんなに多い文章滅多に見ないでしょう。 なので、ほとんどお互いがお互いを知らなかった方が不思議な位に真隣のシーンの人だった。 お互い以外全員知ってる。

「っげ〜〜!マジでデイビットもロージーもグレイスもケレンも知ってんの? やっと私あの界隈から脱会したのに!」ってなったよ。 やっぱり、ファッション、音楽、ゲイカルチャー、この三つが重なると知り合いが多すぎる。 っていうか、彼らが知っている人たちが多すぎる。 知り合いの数が伝説の数って態度の人たちなので、こんな地味で淡々としている私ですら知っている。 お互いを知っていてなんぼの世界は、私には若干濃厚すぎる。

そういえばこの子たちのグループが強烈すぎて、同じ位強烈だけど淡々とからっとしている人とつるまなくてはいけないと焦って今仲良しの子たちと夜遊びするようになったんだよなあ、と自分史再発見にまで至った。 人に歴史あり。

この強烈なグループは大学に入って一番最初に仲良くなり、結局最後の方まで一緒に住んでいた人たちだ。 大昔のウェリントンの人脈をわざわざオークランドで掘り当ててしまった。 歴史は繰り返すのだなあって気になるよ。 うーん、吉と出るか、凶と出るか。 世界って、すっごく狭い…。

2009-03-08

引っ越してよかった!!

 今日完全に引っ越した。 もーー、一日中幸せだったよ。

住環境って大切だ! 本当にそう思う。 学ばない女だと言われることがあるけど、今回は学んだと思う。 過去同じ状況に三回なったことがあるからね。 もう二度と根本的に自分が大切だと思っていない物事を優先させるために、自分が実際のところ大切だと思っている事柄をおざなりにはしない。

 そしてこういう状態になったのが三回目だったということもあり、失敗する前にきちんと動けた。 一回目は一年耐えた。 考えてみたらダークエイジそのものだった。 二回目は一ヶ月でその状況から無理やり引越し、後にめんどくさい問題になった。

 二回目の最低な住環境から引越しした時も、その後巨大な幸福感に包まれたんだよね。 「あれっ? 私、今幸せかもしれない」ってなった。 確かあれは二年前の4月2日。 どれだけすんでいた場所に体があっていなかったは引っ越してから実感するものなのだな。

 今回は一回目、二回目と比べると特に巨大な問題は無く、ただ環境が私に向いていなかった。 このままいくと何か問題が生じ始めると思っていた。 

 通勤には非常に不便なことになったけど、しょうがないのだと思う。 私生活はぐっと改善した。 これが、ワークとライフのバランスってやつなのだろう。 どっちかをとればどこかがかける。 だったら、どこをかけさせるかをきちんと決めなくてはいけない。 私は通勤が不便なほうが、私生活が不便なほうよりましだという結論に達しました。 バランスは整ってきた。

 さていつも記録的に早い引越しをする私ですが、今回も軽自動車一個でできました。 車に詰めて、そのままバイバイ。 スーツケースとダンボール一個、それとちょっとした細かい袋数個。 意地でも物を持たない、このスピリットが引越しの際に活きます。 ちょっとそこまでの感覚で引越し。

 午前中に荷物を動かして、午後は買い物に出かけました。 今回の部屋はクローゼットが無いから、衣類をどうオーガナイズするかが肝です。 家具を買うか、否か。 家具を買うってのは、私にとって、考えるだけでもうつ病になりそうなアイディアです。 絶対所有したくないものランキングの上位に確実に入っています。(一位は白物家電。持つぐらいなら、無しで生活したほうが絶対にマシ。次に車、そして家具。)

 ここは大人になって、決心して、買ってしまおうかと一瞬思ったのだけれども、どう探しても買える値段の物で欲しい物がない。 欲しくないのに必要だから買うという屈辱。 しかも引越しの際に呪いのようにのしかかる不便。 そしてふとした瞬間に「私はこの巨大なブツを保管するためだめに家賃を払っているのではないだろうか」となるあの虚しさ。 全てをとって良いとこ無し。 しかも消耗財じゃないから、ちっちゃくもなってかないし、私に合わせて変化してくれる様子もない。 不便、ここに極まるだ。

 買うのならば「ここに一生住む!」と決心して、最低限バルセロナチェアー級の物から我輩は買いはじめたい。 やるならやっちまえだ。

 洋服箪笥を買うか、持っている服を全部売り払い黒のジーンズ一本とTシャツ三枚で生活するかどっちかだよなあと思いながらショッピングをした。 ラックを買うという手もあるが、空間に服がぶら下がっているのが見える部屋に住むのはいやだ。 気が散る。

 90%持ち物をもう一段階先のレベルまで処分しようと気持ちは傾き、ほとんど決心のためだけにうだうだ歩いていた。 そして、たまたま入ったフェアトレードのお店でかごを見つけた。 その瞬間「あたし、服もってられるかも!!」と幸福感に包まれた。 かごならば、欲しいレベルのものが買える値段である。 しかも使い終わった後に人に簡単に譲れるし、処分してもそこまで環境に悪くない、しかもフェアトレードのプロダクト! これだってことで即かごを数個購入。 いやー、幸せな瞬間だった。 すばらしいことにかごは軽いから自分でもって帰れたしね。 こうでなくっちゃ。

 私は、軽量で簡単に解体できて、なおかつ一つ一つの単位でも機能する物が好きです。  要するにかごの方が洋服箪笥にはるかに機能的だと思うし、優れたプロダクトだと思います。 クローゼットのついていない寝室に住むのは今回が初めてだったのですが、またここでひとつ自分の好きな物を知ることができました。 将来に活かします。 風呂敷とか、かごとか大好きです。 しかも応用もきく。 寝室にいらなくなったら、台所に置けば良い訳だ。 使われ方にそこまで縛られないナイスプロダクト。 これが洋服ダンスだと、どうしても永遠に洋服ダンスだからね。 買える値段の洋服ダンスほど、「私洋服ダンスです!」と主張している外見の物が多くなるこの不条理。 一回解体して、組み立てなおせば話は違うけど、多くのタンスはものすごく頑丈にできている。 しかも処分する際に塗料がなんだかとっても環境に悪そう。 ってことで、とにかく、かご。 かごに一票!

 そんなこんなでちょっとづつバランスをとり、ちょっとづつ前進中。

2009-03-07

趣味 ウィークエンドアクティビティー

 週末って大抵何してるの?と人に聞かれることが多い。 ここで何か一発クールなことが言えたらヒップな女なんだろうけど、実際のところ仕事か家探しをしていることが多い。 

 私の趣味は仕事と引越しなのかもしれない。 あっはっは。 変な人。 

 とにかくここ一ヶ月ぐらい、毎週末(週末どころか平日もやってた)ひたすら家を探していた。 信号待ちの瞬間に「私のウィークエンドアクティビティーは家探しなのか…? 大丈夫か、私?」と自問自答してしまったよ…。

 でもって今日引越しをしました。 はあ、ここ数ヶ月、毎月引越ししてるよ。 そのたびに何かを失っている気がするね! でも悪くない。 時に女は引っ越しまくらなくてはいけないのだ。

 新しいところは悪くない。 町のど真ん中だし、周りにナイスなカフェがたくさんあるし! 

 私の新しい家のあるストリートそのものは性風俗通りで、隣の家は「ニュージーランド売春婦協会」。 ほとんどの近所の店は大人のおもちゃ屋さんだけど、悪くない。 そしてギャラリーが集中的にあるストリートでもある。 要するに私のストリートには、売春宿とゲイバーとアートギャラリーのみある。 

 目をつぶろうと思う。 心を無にしてその道を通ればいいのさ。  「ああ、なんかピンクとレインボーとホワイトウォールばっかりだなあ、純粋で暖かい色彩だぁ」って思っていればいいのさ。 私の大学のキャンパスはウエリントンのそういうストリートにあった。 なので姉妹店とか発見しては「おお!多店舗経営だったのか!繁盛してんな!」となっている。 懐かしい。

 さて、こっからはちょっとウェットです。  カットアンドドライな人は読まない方が良し。

 懐かしの大人のおもちゃ屋さん、エロックスオークランド店の前を通りながら私はオークランドに来て始めて明るい気持ちで友達に電話をしたいと思った。 「ヘイ! 私大丈夫だよ、元気だよ。」ってさ。 でも電話を切ったとき悲しくなっちゃうし、きっと切なくなっちゃうと思うから実際電話はしない。 どう関係を続けたら良いのか分からない人との電話は一回一回の終わりが永遠の終わりな気がするのだ。 終わりの確認のための電話をわざわざやりたくない。 良い意味では終わりの確認を通じて「人生ってやつはプレシャスだ」と思えるけれども、単純に悲しくなっちゃうから避ける。 二度と同じことは起こらない、掛け替えのない時間を過ごしていることを実感してしまう。 

 でもすっごい元気に、相手に自分がどれだけ元気で嬉しがり屋な生き物なのかを伝えたいとも思うわけだ。 もう多分自分が住む事のない場所に住んでいる友達との関係って切ないね。

 そんなこんなで小沢健二の「さよならなんて云えないよ」が頭の中で流れていた。



 元気に、元気に過ごしたいですね。 
 まずカメラ。 

 これはノートとペンに比べるとそこまでキャパシティーの広い道具ではない。 ちょっと性質が違う。 でも私にとっては本当に大切な道具だ。 他の二つ同様私にとっては重要な道具。 

 何かの話しをしている時に、写真があるか無いかでは情報の伝達力が全然違う。 「工房でのあのプロセスの時に〜〜」って場面でデジカメで写真を見せれると、「正確に伝わるかな?」っていうストレスから解放される。 

  そして写真を沢山撮るのは、私にとって最も優れた日常のエクササイズになっている。 「写真が沢山撮りたいと思えるような状況にいる為の努力」ってのが意 外と私の中の良い面を育ててくれたと思う。 いない時は(例えば最近は全く写真をってない。 撮る気が起こらん。)どうやってその状況から出発するかを考 えるし、いる時はなんで写真を撮りたいと思ったのかを結構考える。 そして写真にうつっている物を見ながら、また色々考える。 

 それに物としてもとても好き。 カメラも好き、カメラを使うのも好き、写真も好き。 時間が経つにつれて段々と使い方が分かってきた道具。 もっとカメラについて勉強したいし、もっとカメラを通じて勉強したい。

私は去年の始めからCanonのG9を使っている。




98%ぐらい好き。 使いやすいし、やれる事も多い。 それに実際カメラの使い方をよくわかっていない私でもそこまで「お手上げだ!」ってならない所も素晴らしい。 ただまだこれでどこまで何が出来るのかがよくわかっていない。 もっと知りたい!


2009-03-06

道具 大切な物

 段々と自分にとってどんな機材が大切なのかが分かってきた。 

 仕事の為に私が所有できているべき道具はノートとペンとデジカメだ。 どれも他の物と代替え出来ない上に、他の物の代わりの仕事は十分にしてくれる。 これだけ優れた道具は無いと思う。 勿論コンピューターや素材、机、文房具、そういった道具も必要だけど、それらは基本的に誰の物でも使えれば問題が無い。 共有できればそれで良い気がする。 人によって違うと思うけど、肌身離さず持ってないと支障をきたす機材は私にとって上の三つなのね。

 これらは最低限(だけど最高)な道具なので、身近に持っていないと非常につまらない。 「なんだよ持って無いじゃん! つまんないじゃん!」ってなる。 持っていると本当に楽しい。 毎日もっともっと楽しくなっていく関係だ。 私にとっての最低限だけど、最高の財産。

 私が重要だと思っている理由は、1.簡単に持ち運べる、2.応用が利く、3.インプットとアウトプット両方に使える、からだと思う。

 私の生涯基本的に使い続けていく道具はこの3つなんだと気がついた時に、自分自身のやりたがっている事がちょっと分かった気がした。 エンツォ・マーリの「プロジェクトとパッション」の中に、自分が50歳の時の作業部屋を想像してみるという文章が載っていた。 彼の所に学生が話しをしにくる時いつもきく質問なんだそうだ。 その部屋はどこにあるのか、どんな様子なのか、何があるのかなどを学生に考えてもらうらしい。

 私も読みながら考えた。 私は大きな窓のある広い空間のど真ん中に、大きなダイニングテーブルと5つぐらいの様々に作られた時代やスタイルの違う木製の椅子が置いてある様子が目に浮かんだ。 そこが私の仕事部屋だ。 そしてそれ以外の物は何も置いていない。 毎朝人が入ってくる度にその時やっているプロジェクトに関係している素材を小さな物置部屋から取り出す。 そしてみんなの鞄の中に入っているプロジェクトに最も深く関係している物が、ノートとペンとカメラだと思った。

 どうしてこう想像したのか、どうしてそれが理想だと思っているのかを考え直してみた。

 どうして唯一浮かんだ個人が所有する機材がノートとペンとカメラなのか。 そして自分の仕事部屋というテーマなのに、椅子が5個あるのか、そして奇妙にミニマルなのか。

 一週間以上時間があればコツコツとその事について考えた。 それこそ、ノートにペンで書き込みながら。 道具に関しては上に書いたように、1.簡単に持ち運べる、2.応用が利く、3.インプットとアウトプット両方に使えるってのを非常に重用視しているからだと分かった。 この3つのポイントが私にとっての黄金律なようだ。

 空間は私が神経質なミニマリストではなく、他の人と一緒に使えるものはそれを使う事で私と社会が繋がればよろしいって程度の、意外とおおらかな発想なんだと分かった。 大学でやったプロジェクトの中で一番自分が好きだったものは、公共空間で共有される乳母車のデザインだった。 あのプロジェクトはやけに燃え上がった。 不自由になるから物は極力持ちたくない。 でも無くて不便なのも嫌だから、出来れば人と共有したい。 そういう便利を私は目指したいのだ。

 そして私はでっかな楕円形のダイニングテーブルを中心に、集まる必要があるときはオフィスの人みんなで集まって、各々のノートとその時やっているプロジェクトに関係している物を卓上に広げて色々と進め、そうじゃない時はハンティングに出かけるっていう仕事のやり方をしたいのだろう。 1人では無理だけど、5人いたら自分の求めている成果程度の仕事は出来ると思う。 もし私が50歳ならば、自分のパートナーと、三十代ぐらいのシニアデザイナー2人と、二十代のジュニアデザイナー1人のチーム構成で、仕事が回せるような人になっていたい。 

 「なるほど、そうなのね、私。」と納得。

 じゃあ、音楽は?

 絵画は?

 彫刻は?

 植物は?

 台所は?

 足りない物を数えだすときりがないし、実際本当に事務所を持つようになったら、そういう物を置くだろうと思う。 ただ基本は上に書いた空間なのだな。

 最近、道具について前よりもいっぱい考えるようになった。 使っていると楽しいってどういうことか、便利ってどういう事か、豊かな使用体験ってどんなのかとか、日々考えている。 そしてもっと知っていきたい。 案外私は工業デザインが好きなのかもしれない。

2009-03-05

良いサイトをおぼえておく為に

 ちょくちょくデザイナーの川上俊のサイトを見る。 彼はartlessという事務所のダイレクターで、最近だとISSEY MIYAKEのCIをやったりしている人。 「いやぁ、素晴らしい。 全くアカデミックじゃない感じが新鮮で良い」と思いながら見ていた。

 勝手に40代後半ぐらいの人を想像していたのだけど、実は彼は30歳なのだそうだ!! たまげた!!!! すごいな! 


これがサイト





それとブログ


 



そして前にも書いておいたけど、とても好きなブログがANOMALIE。 しみじみと面白い物が小出しに載っている。 ナーイス。 そこに載っていた、フランスでのカニエ・ウェストがお洒落すぎてたまげた。 このお洒落さはすごい。 とろけた。


Charlie Alex March


 この音楽を購入するか否かで悩んでいる。 アルバムカバーをクリックすると視聴できるサイトに飛ぶので行ってみて、聞いてみて。

 「ああ、こういう音楽が体内で流れる生活がしたい」と思わせてくれる曲って良いよね。 きれいな音楽は聞くと、今の生活や体とギャップがありすぎて、ちょっと悲しくなってしまう。 音楽ってのは本当に自分の世界観のものさしだと思う。 こんなリズムがあるんだとか、こんな繊細さがあるのかって驚かさせられる音楽は素晴らしいけど、同時に「なんで知らなかったんだろう、どうなってる私の体内音楽」と焦る。 ほとんど郷愁のように焦る。  「変わりたい」と思っている人がいるならば、聴く音楽を変える事が一番手っ取り早いと私は思う。

 ちょっとでも自分の体の感じ以上のものだと、その世界へのあこがれに胸が焦がれてしまうし、自分の持っている価値観のなかで「こういう世界観はちょっと避けたいぜ…」ってのを聞くとやる気がとたんに失せる。 ぴったりのじゃないと自分とうまく機能しないっていう意味で靴と似ていると思う。

 淑とたまに音楽の話をした。 二人とも音楽は生々しく体に突き刺さるので、すっごく上質なマナーをこっちが持っていないと、たまにとんでもない目にあうという面でいつも合意していた。 だって空気と時間への色彩だから。 加工食品を食べ過ぎていると、味覚がおかしくなって何でも食べれるようになっちゃうように、音楽でもそういう事があると思う。 聞きすぎたら嫌な意味で耐性が出来てしまう。 そんな体になる位なら、いちいち音楽にびびっている立場の方が好きだ。 刺激と暴力を奪われた音楽に何の意味がある?

 慢性的に動揺を避けるため、身を固めて過ごしている人がいるのをみる。 これは音楽だけの話じゃなくて、何に対してでも。 逆にただ動揺しまくる人もみる(多分今の私)。 ごくたまに、結構いい感じになんとでも接する事が出来る人をみる。 何となくそういう人になりたいなあと思う。

終わってみると

 「なんでこんな事に時間がかかっていたんだ?」と思う。 多くの事に対して。

2009-03-04

面白いではないか!

 幼なじみの日記をmixiで読んでいて、その子がものすごく面白いって気がついた。
mixiに彼女の日記がアップされている時滑り込むかのごとく、そのページに飛ぶ。

 元々傑作だよなとは思っていた人なんだけど、ここ数年は育児でちょっとその力が弱まっている感じがしていた。 全てのエネルギーを赤ちゃんを育てる為に使っている感じだったんだよね。 勿論それは幸せな事だけどね。

 娘さんが2歳を過ぎたから、ちょっと生活パターンが変わってきたのか、それとも私が年をとって彼女の味をもっとわかるようにな

2009-03-02

Hardcore

 こんなにハードコアなサイトは初めて見た。 むやみやたらと感動してしまった。 すっげーや。 黄金のテキストサイトだ。 中身だけで勝負! 日常とは全く関係ない事に詳しくなる事が出来るサイトです。 企業サイトとしてはこんなにインパクトのあるものはまだ見た事が無いです。 



古文書の複製本を作っているイギリスの会社なんだけど、なぜか四カ国語も翻訳があり、そのうちに日本語も含まれる。 多分ユダヤ教徒の方々のやっている会社なのだと推測するのだけど、ユダヤ教とその歴史への敬愛の念が半端無い。 企業理念の熱さ無限大。 サイト自体にものすっごくディテールがある。 行動全てが微に入り際に入りで、密度が半端無い。

いやぁ…。 すごい人たちがいたもんだ。 是非一度一緒に働かさせてもらいたい。

2009-03-01

ヒッピーと働くということ

 私の会社の役員達は皆ヒッピーだ。 綺麗な身なりをしているし、清潔で上品な格好をした人達なので一見ヒッピーにはうつらないけど、彼らの青春や考え方を参照すると激しくヒッピー。 

 まず大前提としての特徴、「猛烈にアップル コンピューターを尊敬している」っていう面でまず合格。 私の親を見ていてもそうだけど、今50代から60代の人にとって、アップルコンピューターって「俺らの世代!」なんだよね。 自分達が社会で働きはじめた頃にこのCMを見た彼らへの衝撃は、多分今の私達には想像もつかないぐらいのものだったんじゃないかなあと思う。 アップルコンピューターは今日の物ってイメージが強いけど、私達の親世代ぐらいからすると、やっぱり彼らの青春と理想を反映した会社なんだろう。

 

 私の父も70年代をアメリカの西海岸の大学で過ごした典型的なヒッピーなんだけど、今でも私の産まれた歳の話しになると、このCMのことを話す。 「良い歳に産まれた。 1984年はMacの産まれた歳だ」とうっとりとされる。 そんな彼も勿論、アップルの伝道師。 会社で役員達に産まれた歳を話した時にも同じ反応をされた。 

 産まれたときからずーっとMacがあって、週末にはMacのお店に連れ出されて美しさを永遠と語られていた私からすると、「Mac、Macうるせえよ!」となるけど、なんか気持ちは分かる。 今この鬱蒼とした気分の世の中に、私の理想を反映しきちんと社会的に成立した会社が登場したら一瞬で大ファンに私はなると思う。

 なんか肌に合う会社だと日々思うのだけど、根底にはApple的な世界観の肯定=ヒッピー文化があるんだろうな。 

 「あなたを雇った理由は、会社にとっていつでもオープンマインドで、違う意見を言う人が必要だから」と堂々と言って、それが本当に口だけじゃない所もApple的な世界観があるからだろう。 私は一つのカウンターカルチャーとして雇われているんだなとつくづく思う。 一石を投じて、硬直してしまう可能性があるミーティングとかに活発な議論を持ち出させる為に雇われている。 別に私の意見がゴールにたどり着く為の舟になることは求められていない。 変人枠で入ったんだと思います。 あぁ、もっと変な人にならなきゃ。 それが私の役割なんだ。

 後この人達ってヒッピーだよなあと思うのが、書類の直し方だ。 ボスッシングというよりも、コーチングの方に向いているのがヒッピー達の人の良さだ。 「上から物を言わない」ということに命を賭ける集団でもある。 これもやっぱり父と一緒だ。 上から物を言われたことはないけど、いっぱいのアクティビティーを私と一緒にやってくれる間に色々と学んだ。(残念ながら主にMac関係だけど) 

 「一応やってみたけど、多分この書類の書き方は間違えています。 だって、これまでこの手の書類は書いた事が無いから。 自信ないです。」って言いながら書類を提出した時に(しかも会社側が外注先に出す一番重要なデザインの発注書だった)「この手の事に正しいとか間違えているとかは無い。 ただ一番伝わりやすい形かが問題。 だからそういうことは心配しないで。」と言われて、全員で読み返した後に、分からない所を徹底的に洗い出して(このプロセスでかなりコンセンサスがとれたし、完成系が出来上がった)最後は私と社長で書類を整えた。 すっげー自分がやっている事が分かった、良い仕事の仕方だった。 

 要するに一番理解が浅い人が仕事の最初の段階をやって、その内容をプロジェクトメンバーで訂正していくプロセスをミーティングとして使い、そこで合意をとり、最後に一番その仕事が上手な人が付きっきりで一緒に文体を整えるっていう流れなんだよね。 合理的だと思う。 というか、若手にとっては非常に良い体勢な気がする。 プロジェクトメンバーの合意もとれるし、多くの人の目が通っているから内容も伝達性の高い文章になるし。 
 
 この集団での働き方もヒッピーっぽいよなあと思う。 個のレベルではカウンターカルチャーとして人を重宝し、集団になると民主的で次の世代に何かを伝える気が強い。 やっぱり楽しく働いて、でも合理的にやってとっとと終わらせて、家に帰って遊ぶっていう強い目的意識があるかなんだろう。 

 大学の教授がこの会社に私を入れた時に「多分君はここと肌があうから」と言っていたのだけど、この事だったのかと思う。 私も仕事は最小限で後は遊んでいたいタイプです。 なので一石二鳥とか大好きです。 便利な物に弱いです。 「今やっている仕事を同時にどうアーカイブ化させて次に最初からやり直すっていう時間のロスをなくすか(しかも楽しく)」とか必死に考える方です。 もっとこういうことが上手になりたい。 そういう意味での仕事上手になりたいぞ。

世の中には様々な価値観が溢れている。 後開き直りって大切だ。

 依頼された仕事をする時、最も重要なのは相手が何が最終的に欲しくて、それに向けて私に何ができるかを推理する事だと思う。 だから最初は相手のプロジェクトの内容とか性格についてちょっと考える。 「こういうのが欲しいのかな?」とか「こうやったら良いんじゃないか?」とか。 お互いの考え方の癖とか嗜好が近ければ近いほど一緒に働いていて楽しいし、いい感じの領域まで頑張り合える。 もし、結構離れていたら、今度はどうやって説得し合うかが肝になる。 それはなかなかに面白い。 デザイナーの仕事っての半分ぐらいって日々の説得の合いなのかもしれないと最近思いはじめてきた。 ひたすら人を説得しようとし、人の説得に耳を傾ける。 そして残りの半分の仕事は、残ったものをまとめていくプロセスなのね、きっと。  

 それにしてもどれだけ近い感じがする相手に「うわぁー、変わってんなぁこの人。なんでこれが必要だと思ったんだろう?」って提案が絶対にある。 特に私は必要度が95%以上ない部品はそこにある必要無しと思うタイプなので、私的にそこまでそれがそこにある必要に納得できていない物には、激しい疑問を持ってしまう。 ただ、そうすると最後にかなりノイローゼー気味にミニマルで、神経質の固まりな物体が残ってしまったりする。 それは良くない。 反省を活かして、瞬間的に「いやっ、この差を個性とよぶのだ。 世の中にはこういう情報を求める人もいるのだ。」と自制するようにしている。 しかしどう考えても変な価値観で動いてんなあと思ってしまう面は残る。 世の中には様々な価値観が溢れていると思う瞬間だ。 

 その謎な面が生じている動機を見極めて、私的に「こうやって表現した方が良いんじゃない?」っていう風に変えようとする事も出来る。 ただそこまでやっていいものかっていう気にもなる…。 

 そういう時「あの人ならどうするかしら」と数人のデザイナーを思い出してみる。 出来るクラスメイトであったり、尊敬しているデザイナーであったり。 絶対、とことん話し合うだろうなと簡単に想像がつく。 しかも相手にも自分にも負荷がかからない方法でやるだろう。 ううう…、良い物を作る為には"ぎこちなくない人格"ってのがとんでもなく大切なのかもしれない。 それってどっかで買えませんでしょうかね…?

 そういえば私の会社ではある種の開き直りが非常に重要視されている。 結構目から鱗な態度で私は好きだ。 要するに会社ってのは100人ファンがついてくれたら、かなりなんとかなるらしい。 なのでその100人を熱狂させる為にこっちは頑張るべきだって態度だ。 だから「皆様に好かれる為に」とか「これをやったらヴォルーム層を狙い撃ち!」とかってのを全く気にしない。 いかに少数でも熱狂的なファンを狂わせ、歓喜の渦に落とさせ、周りに我々がどれだけ素晴らしいか伝道して頂くかが鍵だ。 そこらへんかなり開き直っている。 そこしか気にしないっていうポリシーが結構貫かれていて清々しい。 私も色々と開き直るべきだよなあと思わさせられます。 目的を定めて、他の場所は開き直るのだアンナ! でないと選択肢が多すぎるし、世の中は様々な価値観で溢れ返っているから迷子になってしまう。