2009-02-28

王子様の婚約パーティー

 私の仕事上のパートナーである、我が社のマーケッターの青年の婚約パーティーに行ってきた。 私と彼は同い年で、同じオフィスを共有しているので結構日常的に仲間仲間しながら過ごしている。 お互いに激しく宇宙人なので意外と一緒に仕事をしていて楽しい。  

 相手からしたら、1時間ぐらいソファーに寝っころがって絵を描いたり、考え事をしている私がとんちんかんだろうし、私からしてみると相手が完璧すぎてとんちんかんだ。 いつもお洒落で、非常にハンサム、そして体もすごい。 無駄が無い。 無駄しか無い私からすると、完全に宇宙人。 同じ人類とは思えない。 子供が産まれたら、是非あなたのお名前を使わせて下さいと日々思わさせられるタイプの子。

 そんな彼は5歳の時からの幼なじみと、5年間の交際を経て婚約し、今晩見事に美しいパーティーをされなすった。 言葉にならないぐらいに美しい人々の集まった美しいパーティーだった。 彼もハンサムなんだけど、将来の彼のワイフもアンビリーバブルにビューティフルだった。 バビー?!!! 22歳と25歳の見事に組み合わせ(ってことは彼女は2歳の時から彼を知ってるってことだろう)で、なんだか全てが素晴らしかった。 良い光景を拝ませていただきました。 心が浄化された気がする。

 なんか出来上がっている感じの強い子達なんだよね。 コンサバティブな家族から来たから無駄な事にいちいち悩まないってのも一つの理由だろうなと思った。 元々悩む幅が少ない状況で育ったんだろう。 うだうだと骨の芯まで悩むのになれていて、一緒にいるだけでめんどくさい感じのする人達が多い昨今、気持ちがいいじゃないかと思った。 ポリティカルな話しさえしなければ、全く問題ない人達だ。 色んな人生があるなあと感心しました。 

 こういう人達が地球を回すと思ったよ。

2009-02-27

トマソン

 高松次郎を愛する私は勿論赤瀬川原平も激しくリスペクトしている。 

 ハイレッド・センターってでかでかとかいてあるTシャツどっかで売ってないかなあ。 作ろうかなあ。

 ってことでトマソン的なものにも私は弱い。 超芸術を私も発見したいです! 日々そこらへんの完成は尖らせてたいね。 別に変な物が見たい訳じゃないんだ。 純粋なものが見たいんだ。 

 人柄でも社会に対してトマソンっぽい行動をとってしまう人に強く惹かれる。 その噛み合ってなさに純粋さを感じるからだろうか。 まるでモノ派のように尊く美しい存在だと思えるのよ。 ただそこにある物体。 ただ行われた行動。 なにか機能があるようでない。 ただそれゆえに、なんだかの心の回路を刺激される。 トマソン!

 ちょっと昨日は会社の事で頭がこんがらがったので、昔好きだった子に連絡をとった。 助けてくれコールだ。 相手はバーで思いっきり騒いでいたらしく(まあ人生ってのは短いもんですし、青春は新幹線のように駆け抜けていく訳ですから好きなだけ騒ぐがよろしい。 遊べ! 遊んでくれ、好きなだけ!!)うるさくて聞こえやしないからかけ直すことにした。 
 
 そうしたらさすが変人、「パソコンにメールして。 それでいつ話すか予定を立てよう。」と高らかと宣言された。 面接かなんかなのか? 「うわっ、めんどくさい」と思った私は、とりあえず状況を説明したメールを送った。 質問の箇条書き付きのを。 「一個一個返答して下さい」と返答の仕方の説明文までつけて。 (私も変人かもしれない。) とりあえずこれに全部回答してくれたらコミュニケーションはとれたってことにしようっていう作戦だ。

 結構丁寧な回答が来た。 っが、一般常識レベルのことを聞いていたメールなのに(例えば上司との付き合い方とか)、そしてただ聞いてほしかっただけって面もあるのに、根絶丁寧に全部の回答に適切な論文のPDF付きの返事が数時間以内に来た。 しかも「この人に聞いてみたらいかがでしょうかリスト」付きで。 うわー、変人! 

 そんなんどこの誰がわざわざ読むんだよ。 何無駄に知識のひけらかしをしているんだと呆れる。 「お前なんて相手にしたくない。 これでも食らえ」っていう嫌味なのか、それとも本気で私がこれらを読んだら何かを学ぶと思っているのか、「上司との付き合い方」っていうレベルの事柄ですら学術論文使って対処しなきゃいけないぐらいに人間関係に技術が足りないのでこんな返答の仕方をするのか、それともそれの全てか、とりあえず見事に変だ。 久しぶりに涙が出るまで笑った。 ちょっと頭おかしくて良いね。 なんかの意味はあるんだと思うんだ。 推理するのも馬鹿馬鹿しいから推理しないけど、相手の中では筋道通った行動なんだよね。

 職場で、ひーひーお腹を抱えながら笑っていた私を見た同僚に怪しまれたから、状況を説明したら、相手も「そんな変な人見た事無い!」と大笑いしていた。 「いつもそんなんなの?」と言われて「本当に、いつもそう。 近くにいると巻き込まれて、世の中こんなもんだと思えてくるぐらいにいつもこう。」と返す。 彼の言動は多くの場合、多くの人にとって、ただのトマソン。 その階段、どこに繋がってるんですか? 

 幸せになってくれ!と思いながら、ある種の満足感と共にメールをとじ、返事をしないメール用のボックスに入れた。 別に文通なんかしたかない。 このメールは私のトマソン。 どこかには繋がってるのかもしれないが、それはその作り手にしか分からない。

 私が彼を美しい人だなあと思っていた一面は、このとんちんかんさも関係していると思う。 トマソン。 「日本にはトマソンっていうコンセプトがあって、まさにそれと同じ熱さで君が熱いと思う。」って言ったら、相手は一体どう思うだろうか。

2009-02-26

おおっと、分からなくなってきたぞ

 仕事が「あああ?」ってなってきた。 分からん。 流れが読めなくなってきたし、衝突も始まってきた。 大学で聞き慣れていた恐怖の音楽が耳元で流れてきたって感じがするわ…。 ぐわーー! わけわかんない!!

 頭の中ではとんでもない事になっていて、今懐かしい顔をみたら抱きつきながら大泣きしそうな気分だけど、実際は1日に1時間ぐらいこうやってソファーの上でねっころがりながら仕事をしたりしている。(寝る為のソファーは三つある。 やったね!) それか走り回っているか、行き詰まって逆立ちしたり、トランポリンを飛んだり、している。 何故職場にトランポリンがあるのかは謎だけど、私の職場には、結構ナイスな飛び具合のトランポリンがあります。 この不器用な仕事の仕方が、問題なのかもしれない…。 

 このぐったりしている姿を見て大笑いした同僚が「googleのimage検索でofficeって入力したらすぐ出るようにしよう! 世界中の人を一気に敵に回せる。」と張り切っていた…。 私はそのうち、officeの代名詞になるかもしれない。



みんなも職場でこんな感じだよね? 私は日当りが良い所で仕事がしたいので、時間帯によって三つのソファー間を移動します。 それかソファー事移動します。 時間の無駄してんなあ…。 でも、倉庫だから。 倉庫だから出来る事って、動かしたい所にソファーを動かせる事ぐらいでしょう!!!

2009-02-24

教科書のような本






 学生の頃読んでいた本と、働きはじめてから読みはじめた本が変わった。 働き始めると、抽象的な事が書いてある大学教員系の本よりも、フルタイムでデザイナーをしている人の書いている本を面白いと思いはじめた。 上の二冊は特に働きはじめたばかりの工業デザイナーにとって、本当に優れた教科書だと思う。  プロダクトデザイナー以外には特に関係ない話しをきちんと話してくれていて嬉しい。 多くのデザイナーの書いた本は自分自身やデザインについてのプロモーションである場合が多くちょっと実践向きじゃないけど、この二人はコアな部分をきちんと話していて実際現場にいる人にとって有意義。

 エンツォ・マーリの"プロジェクトとパッション"は本当にインスピレーショナル。 

もっとこういうデザイナーの為にしかならない書物を読みあさろうと思います。 贅沢しようと思う。 「なんにでも応用できます!」って感じの貧乏臭い本が幅を利かせている昨今、本当に特定のことしか書いていないのに素晴らしくインスピレーショナルな本に出会えるってのは有り難い。 なんて贅沢なんだ!

訳の分からない仕事に手を出したかもしれない

 既存のプロダクトをよりよい品質に仕上げる為の作戦会議をしています。 むらなく、効率的な生産ラインにするって面も含まれます、多分。  職人さんたちの技術を観察し、改善…、したいなあと思っています。 品質向上。 うはー、難しい。 頭の中がこんがらがるよぉ。 なんでこんなことを手に出してしまったのだ!! でもやりがいあるぞ。 

 何十年も仕事をしている百人近くの職人さん達に向かって「こうやったらもっと素晴らしくなります!」って主張し説得し彼らのモチベーションを上げようとしている、大学を卒業してまだ三ヶ月目の工業デザイナーって、本当に無謀感がぷんぷんしているよね…。 きっと失敗する! しかし私が捨て身で、無防備に相手に向かって「良くしよう!」って言えば、同情して案外話しを聞いてくれるかもしれない。

 どうやったら上手くいくかを午後中考えていて、ワークショップをする事に決めた。 ワークショップ内で一緒に働き、全ての工程での最も優れた技術を記録し、それを「これがスタンダードです。しかもこれからもっと良くしましょう!」って提示しようと思う。 私に教えて下さいと謙虚にやり教えてもらいながらも、アウトプットを残し、相手も刺激する、お互いにとってウィンウィンな状況を目指す。

 その為には、ワークショップのプログラムをいかに組み立てるか、アウトプットの写真とサンプルをどうやって有益なガイドラインに転換するかなどの下準備が必要だろう。 さー、ちょっと頑張ってみるぞ。

2009-02-23

お姉ちゃんと話す

 姉のサイトを見て興奮してしまったので、昨晩は久しぶりに彼女に電話をした。 

彼女はずっと年上だけど、名前も呼び捨てだし、敬語も使わないし、それどころかかなり細心の注意を払って公平に平等に相手に接しようとする。 彼女には私が私のまんまで関わる事が礼義だと思う。 こんなに私のまんまで接する相手はいない。 「とりあえずこの状況を知って、受け入れてくれ! そして色々とご意見お願いします。」な感じで。

 とりあえず近況報告。 お互いまず「今どこに住んでるの?」から。 「南半球のニュージーランドのオークランドって街。 そっちは?」「日本の兵庫」「おお〜!」ってやりあう。 「あれ? いつアフリカから戻ってきたの? そういえばロンドンからアフリカ行ったの? それともその間にどっかいたんだっけ?」って一生懸命相手がたどった道を思い出す。 「あれ、アンナって働いてたっけ? それとも学生なんだっけ?」とかってね。(自分中心な人間たちなので、他人の通った道筋なんて簡単に忘れる。) 自分にとってはスーパービックイベントな話も相手からすれば「またなんかやってんな」の一環なのね。 素晴らしい。 ほとんど人生のバックステージの会話だ。  "表ではこんな事やっております"を説明し合う。

 そういう距離感の人と話していて何が素晴らしいかというと、今の状況が全てでないと思い出せる事だと思う。 どんなコンディションやシチュエーションであれ、それが永遠と続く事は無いと長いかかわり合いのある人は思い出させてくれる。 今が全てではない。

2009-02-22

サイト

姉のサイトを見たら、そこで兄のサイトまで見つける事が出来た。 








彼らとは血は繋がっていないのだけど、同じ寮出身で友達と言うには近すぎるし、人格形成に影響が強すぎたグループの人達なので、そこの関係者達は姉と兄としか表現できない。 受け入れない事には話しにならない距離に始めっからいたので、結構相手の存在をすこんと受け入れている。 気が合わない面も沢山あるけど、別に気が合う事が目的の関係じゃないのでそこは問題じゃない。 「あー、もーしゃあねえなあ。 受け入れるっきゃねえか。」ってのが身内だ。 友情というよりは愛の行為。 愛する喜びを知るってのが身内への目的なのかもしれぬ。 しょうがないから、愛してあげなきゃね。

なーんてね。 あっはっは。 何が「愛してあげなきゃね」だ。 実際そんな上から目線じゃない。 愛させてくれてどうもありがとうって次元だ。 あなた方のその強烈なエゴとわがままさから私は人を愛する喜びを学びました。 おかげさまで、すごく楽しいです。 どうもありがとうございます。

受け入れてしまっているからか、本当に簡単に私は彼らから影響を受けるし、まねるのすら恥じていない。 単純に私のコピーキャットだ。 なんだよ、本当に大好きなんじゃん。 恥ずかしいなあ、本当にもう。 素直に彼らがやっている事が素晴らしい事だと思えちゃうし、誇りに思えるんだ。 だから、うん、多分なんか似てるよね。

でも本当に美しくないか、写真。 そして笑えないか、ウェブサイト。 こんな面白い事が出来ちゃうお姉ちゃんとお兄ちゃんがなんだかすっごい誇りだぞ。 

すごい知人

 「この人って本当にすごいよな」って思っている知人がいる。

元々台湾出身でニュージーランドに帰化した、ものすっごい秀才タイプの子がその一例だ。 興味があったってだけで日本語がペラペラになるまで喋れるようになり(大学で教えれるレベルになった。凄いことだ。)、ものすごい数のマルチリンガルで、確かベジタリアン、そして性格がかなり良い。 菩薩のような人だ。 典型的なハイアチーバー。 そしてギャル男。 半端無い日本型のギャル男で、日本のギャル男雑誌とかに出てるっぽい。 さっき日本滞在中の彼がメンズエッグの撮影に行った時の写真を見たんだけど、結構心底その振り幅に感心した。 面白い人がいたもんだ。

シンクロナイズ その2 それと東京奇譚集

 すっげーいい女な友人からメールが来ていた。

お互いが日本に住んでいた頃は、いつでもハネムーンな感じで一緒に遊びほうけていたのね。 私達を含めたそのグループの最大の特徴は、引っ越し魔な所で、何がどうしてそうなったのか分からないけど、たまたま同じ時期に日本に住んでいて一緒に遊びほうけて、同じ時期に皆して世界中にてんでバラバラに引っ越していった。 だから今日本に戻ってもほとんど友達がいない(苦笑)

いつも心の中にその子たちの存在を感じているけれども、今日は外出先でたまたま一人の女の子の事を考えていた。 「うーん、なんかあの女は結婚する気がする。 最近全く連絡をとってないから、パートナーがいるかすら知らないけど、なんか結婚する気がする。 なんか今日は彼女の事が頭から離れないぞ。 元気かなあ。 また会えるのかなあ。 会いたいなあ。 今、この瞬間に一緒にいたら楽しいだろうなあ。 それにしてもあの人はいい女だよ。 今の私が出会った頃の彼女ぐらいの年齢だけど、足下にもおよばないもん。 でもまあ私は私なりに頑張ろう。」って考えていたのよ。

勿論家に帰ったら、ものすっごく久しぶりに彼女から連絡が入っていた。 大笑いだ。 やっぱりな。 だって、彼女の事、今日はとても感じてたもん。 しかも結婚するって。 どれだけ筒抜けなんだよ!! アメリカとニュージーランドがなんだか繋がっちゃったね。 愛だわー。 一緒に遊び狂っただけある。

そういうシンクロナイズとかってあるよね。

それにしても素晴らしい! しかも日本に引っ越してくるらしい。 イーーーハーーー! アメリカよりは会いやすいぞ!

2009-02-20

シンクロナイズ その1

 私の寂しい病が半球を超えて淑とシンクロナイズしているみたいなので、自粛しようと思う。 こんな事でハーモニアスな関係を作っても仕方がない。 もしかしたら、私が元気になったら、淑も元気になったりしないかな? だから元気出す。 二月病の彼女にエールを送るよ。 虚しさは短めに!

 淑に二月病あるように、私には三時病がある。 三時から四時過ぎにかけて、ミョーーに物悲しく、眠く、やる気が起こらず、非生産的になるんだよね。

 三時頃にはカステラとか食べてだらだらしたい…。 

2009-02-19

私は寂しい上に暇なのではないだろうか

 さてじたばたの最初の一ヶ月が過ぎようとしている。 

 私はここで一つ思ったのだ。 この異常なブログの更新率、永遠と続くウェリントンホームシック(特に前の家の写真を見るとやばい)、私は明らかに寂しい上に、暇人だ!

 例えば箸にも棒にも引っかからない過去の事を、うじうじと思い出しては「ああ、あのときああしてれば!」とか「こうしていたら!」とかアホみたいに考えるのも、ひとえに暇だから。 マジで何の肥やしにもならない事をうだうだうだうだと隙あらば私は考えるのだ。 旧い温かい友人たちの事を思い出しては「ううう、もっとハグしてもらっとけばよかった」とか「あそこで手放さなければ!」とかってなるのも寂しいから。 要するに新しい友達が著しく少ないし、全くもって昔の人たちや出来事のリプレイスメントが出来ていないからだ。 得た物よりもういなった物の方が多い気がしてしまうのが問題だ。 暇人な上に寂しい。 このままだと「ピ〜! タイムアップ! アンナさん終了!」ってなっちゃう! この青春キラーな状況、本当にどうにかしなくてはなるまい! 

 ウェリントンで友達に上着を着せてもらいながら、「オークランドでは、私は一人で服を着て、服を脱ぐのだ…。 毎日、永遠とそういう行為を繰り返すのだ。 そういう人生なのだ。 まだ24歳なのに!」と言ったら、結構本気で「最悪だ!!!! 本当にさっさと新しい友達を作れ!」と心配された。 24歳で人に服を着せてもらっているっていう点も相当心配に値するけれども、まあ、そこはおいておいて、本当に自分でもこんなに枯れきった生活で大丈夫?!と思い始めた。 

 そして別の友達にジャケットを今度は脱がしてもらっているときに同じ事を言ってみた。 「やっと何でも自分でやらなきゃいけない地獄のティーンエージャーを終えて、人と寝て起きて服を着せてもらって脱がせてもらって言う小学校低学年以前な私生活に戻れた思っていたのに、その権利を失ってしまった。 このままだと老人になって介護されるまで、ずーーーっと軍人みたいに一人で何でもやっちゃうかもしれない。 咳をしても一人。」とぼやいた。 青ざめた友人は、「最悪だ! 本当に友達作れ! ただの友達じゃなくて、何でもやってくれる成熟した友達を。」と私の手を握り言った。 (この高校からの友達は話しているときに私を握る癖がある。 耳、足の指、膝、など数々のユニークな場所を握られてきたが、普通に手を握られると相当にヤバいのかと思えてくる。)

 その他にも友達に手を握られるだけでどぎまぎしたり、挨拶でほっぺにキスをされるだけで耳まで赤くなったり、バーで逃げたり、カフェで「あれっ? 今って良い時間?」って思っちゃったり、駄目駄目なのよ。 すっげー謙虚な人になってしまっている。

 ってことで、引っ越そうと思う。 もっと人の多いエリアに。 こんなうだつのあがらない状況駄目だ。

 友達よ、これを見ていたら祈ってください。 私の感情が贅沢に満たされる状況をとっとと見つけられますようにって。 

2009-02-18

じたばた

 最近の私の行動を一言でまとめると「じたばた」だと思う。 相当じたばたしている。 オークランドに引っ越して一ヶ月ぐらい経ったけど、見事にじたばたしている。 毎日、じたばた。 まだ居心地は良くない。 くはぁ…。 

 イギリスからニュージーランドに引っ越した頃、結構真剣に毎日イギリスに帰りたかった。 一回親に泣いて頼んで、ニュージーランドに越してから1年後ぐらいにちょっと戻った事もある。 

 日本に戻った時、最初の1年目は大丈夫だったけど、2年目に本当にニュージーランドに帰りたくなって、本当に帰ってしまった。 

 そして今、終始私は「ウェリントンに帰りたい」と考えている。

 太古の記憶過ぎて覚えていないんだけど、イギリスに越した際も私は親に「日本に帰りたい」と泣きついた事があるらしい。 そういえば幼稚園の時も毎日、園の入り口で家に帰りたくて泣いたなあ。

 要するに私は切り替えが悪い。 「はいっ、これでおしまい。 新しい生活初めて下さい。」ってなった時に結構じたばたする。

 昨日夢で友達に「君はいつも日本の事ばっかり考えていたね。」と言われた。 驚いて目が覚めた。 本当にそうだから。

 一回自分がどこからきたかとか忘れてみて、今いる所を受け入れて、とりあえずやれるだけ前向きにやるしかないのかなあと思いました。 前向きに、前向きに。

とどまるところを知らない私の物欲

 多分デザイナーとしてこれはなくさないでおこうとどこかで思っているんだと思う。 それは物欲。 元々物欲は強い方だけど、最近は誰よりも物欲に弱く、物を見るだけでクラックラしちゃう人にならなくてはプロダクトデザイナーとして駄目なのではないかと思い始め、日々物欲に磨きをかけている。 物、ダイッスキ。 同時に中途半端な物は大嫌い。 そこら辺潔癖でいようと思う。 たとえそれで俗物と呼ばれようとも。 だってそれが私の生きる道。 物への愛情と思い入れの無いデザイナーなんて、子供の嫌いな教師位に意味が分からんし社会悪なはずだ。 

 村上春樹が文学とかっていう媒体を通じて抽象的に人とコミュニケートするって程度が自分には一番向いていると言っていた。 これはすばらしい言葉だと思う。 

 ってことで物と頻繁に関わり合い生きている私の最近かき立てられている物を紹介します。 

 製本関係のデザインの仕事を今しているから、出版社のサイトは結構見る。 その中で、全体のレベルの高さにただため息なのがPenguin出版。 元々売り出し方が面白くて、魅力的な事を小出しにガンガンやる出版社なんだけど、サイトもとてもよく出来ている。 面白い企画をやる出版社って生き残る気満々な感じがして好きだ。 やっぱり「僕たちは生きています! 活動しています!」って主張するのが大切なんだろう。

 そしてこの新聞のような構成になっているサイトの何がすごいって、全部のメニューのタイトルに、企業の色であるオレンジでPenguinと入っているところだろう。 やっぱり愛嬌のある名前を企業名にしているとこういう遊びがしやすいんだろう。 リンクからサイトを見てみたら驚くと思うけど、一ページ目だけでも数十回自分たちの名前を面白い感じに連呼している。 会社でも商品名や物事のカテゴリー分けをするときにどうやって企業名を連続的に入れていくかとかってのの検討をする。 最初は響きが変でも三回位聞くと愛嬌がある言葉に思えてくるし、多分ユーザーの立場からしてもそうなんだろう。 言葉はちょっと変な感じ位が珍しくて面白い。 そういう意味では永遠とした謎「なんでこの人たちの企業名ってペンギンなの?!」ってのもよく働いているんだと思う。 くはー、この出版社憎い! 絶対内部の人たち全員オタクなんだろうと思わせる位の、作り込みにやられる。



 

 そして彼らの中で最も優れていたと思うプロジェクトが、Great ideas seriesだ。 初めて書店でこのシリーズを見たときは美しくて泣くかと思った。 











 世界中の思想系の古典を集めたシリーズなんだけど、装丁が半端ないんだよね。 全部レタープレスされていて、高級感出しまくりなのにモダン。 しかも驚くべき低価格(このシリーズは全部赤字になるらしい。 利益を出すためのプロジェクトじゃないんだって。 すごいよね。)。 サイトでは、本の表紙サムネイルにアイコンをのせると、拡大されたのが見えれて、それも美しいから是非是非、リンクに飛んでみてみて。 そして物欲を刺激されて。 このシリーズはかっこいい。 

 
 次に物欲を刺激されているのが「ドイツの最も美しい本大賞」だか、なんだかそんな名前のコンペの記録。 ドイツ語読めないけど、見ながらにんまり。







過去の受賞作品がポップアップで出てくるのがかわいい。 コンパクトに整理されていていいと思う。


 そして、今度はそそられる視覚。 ドイツのブックデザイナーのサイト。 美しい。 なんてミニマル。 見たまんま。 





 最後に私のこっちで最も好きな服屋さんのサイト。 超横長でかわいい!!! しかもかかる曲がCaetano Velosoのcucurrucucu paloma! 出来過ぎです。 最優秀賞。




 この曲とはいろいろな出会い方をしたんだけど、特にTalk to herでなったときに恋に落ちた。 良い曲だ。




全部欲しい!

2009-02-17

これはもう欲情のレベルだと思う

とどまるところを知らない、私の物欲! 
「物欲は愛、おしゃれは命」と言い切った友人の言葉を胸に、今日も堂々と欲しい物を高らかに歌い上げます。

物に恋しやすい人にとってはカメラ屋さんは絶対に鬼門なのは皆さんご存知の事でしょう。 とんでもない額をためらいも無く使えてしまう場所ですし、後悔もしませんし、それどころかいい気分になっちゃうのです。 

なんてこった。

何たる物体の威力。 

ただ日本製のプロダクトの嵐であるため、色気や欲情するようなカーブなどが少ないと言う意味で、車とかよりは格好良すぎて失神ってのが少ないのが救いですね。 目の前に広がるは、誠実でちょっと格好つけているけど色気は無いコンパクトカメラか、侍のような一眼レフ。 まあそれでも十分にすばらしく、よだれを垂らしながら、眺める訳です。 「この国鉄的なビューティー」ってやつですね。 そこには少年と老人文化の融合という、元気だけど枯れてる感が漂いすばらしい。  現代日本にまだ残る昭和の香り。 毎日香。

そんなこんなで、ほとんど実家に帰ったような気分でカメラを無心で眺めていた私。 多分、隙だらけだったんだと思う。 そういう状態のときが一番落ちやすい。 っはと気がついたら、もう完全に落ちていた。

 言葉では聞いた事があった。 スペックだって知っている。 プラットフォームがパナソニック製なのも、そしてパナソニックから違う外見で同じ機種が低価格で買える事も、ちゃんと知っていたのに。 それでも簡単に、そして底なしに落ちた…。 これを欲情と言わずして何が欲情なのか。 ううう、格好良すぎ。 ライカ。 持った瞬間に、失神するかと思った!! 美しいんだもん。 美しいんだもん! 魅惑的なんだもん!!! こういうのって持っちゃだめなのだー。 本当に美しかった…。 物体として完成し過ぎ。

 ううう、こんなに美しい物を握った事は無いと、とんでもない物欲にかられた。 本当にすばらしい。 とりあえず、これはアレックスか淑ら辺に切り込み隊長として購入を検討していただきたい。 私はまだへなちょこなので、手は出すまい。 こんなに美しい物、市場に出しちゃだめだって!! 危ないって!! まさに魅惑の香水。 日本製のカメラが線香ならば、こちらは香水。 どっちも悪くない、香水の方が刺激が強く、あがなえない感がとんでもないだけで。 欲しい!








こんがらがる

 ウェリントンから帰ってきてから、妙にいろいろとこんがらがる。 作業もこんがらがるし、発想もこんがらがる。

おつとめの人たちが好き勝手にしない理由が分かった気がする。 週末であっても、プロジェクトの途中にどっかに遊びに行くと、結構頭の中がこんがらがるのね。 

2009-02-16

効率化

 クライアントが渡してあったデザイン案をコメント付きのPDFにして返してくれた。 すごい。 効率的だ。 新しい便利さを積極的に使ってくれる人は良い。 

 で、出していたデザイン案を印刷してみたら変だった(苦笑) 頑張ってやり直そうと思う。

昔の我が家

 昔の我が家に足を踏み入れた瞬間に、幸せが溢れた。 大好き! 本当に良い家だ。 

 庭は相変わらずキラキラだった。 光の庭。 いつも光が散らばっていて、いるだけで気持ちがいい。





 植物も育ってる。





夕方の台所。 ここで二年間いっぱい料理をした。 いろんな人と色々食べた。 温かい思い出が沢山詰まっている。 良い家に住んだ事があって良かった。 





当時は二軒先と歩いて一分の所に親友達が住んでいた。 毎晩お互いの家に出向き、お茶を飲んでいた。 でもみーんな引っ越しちゃったから、私達のご近所生活は解散。 それも清々しくて好きだ。 

2009-02-15

 「俺の新しい家すごいから泊まりに来い」ってので行ってきたウェリントン。 行ってみたら相手はまだ引っ越していなかった。 しくじった! 

 ただ彼の前の家も十分にナイスだから、楽しく過ごせた。 見たまえ、この庭。 庭っていうか海。 ここで朝ご飯を食べたりお茶を飲んだりして午前中を過ごしていると、なんとも言えず幸せになる。 ううう、あたし新しい街で苦労してんのねと、何に対しても「あああ! ワンダフル!」ってなる自分に対して思った。 

 


 湾沿いに経っている家々。 庭がワイルドすぎて笑える。 巨大なブロッコリーに見える。 可愛い。 

 ウェリントンの最大の長所の一つは、普通に素敵な海辺のカフェがゴロゴロあることだ。 

街の中心部から歩いて五分で、普通に海辺のカフェでコーヒーが飲める。 いた時は「海辺で友達とコーヒー飲まないで、どこで飲むの?」って思っていた。 贅沢だって! 今回の旅行で は、心入れ替えて「うううーーー、こんなに気持ち良い事がこの世にあるなんて!」とほとんど涙流さんばかりに感謝しながらその時間を楽しんだ。 私、ウェリントン文句無しに大好きだ。 気持ち良い事が沢山ある。




 大学のクラスメイトと、メチャクチャ楽しく過ごす。 真夏なのに黒の長袖長ズボンなところにウェリントニアンっぷりを感じる。 ウェリントンの人口の半分以上は全身黒だ。 何故なのだろうか。 そして彼も「俺は馬鹿だ!」っていうサングラスをしていて嬉しかった。 

 あー、こうやって海辺でコーヒーをクラスメイトと飲んで、いっぱい話して、別れてすぐに「やっぱり話し足りてない! 明日も会おう!」って連絡を入れ合う、そういう生活が普通だった時期もあったんだよなあ。 本当に人生って、生活って住んでる場所に左右される。 
 
 絶対に海の近くに、また住むのだと心に誓った午後だった。

その可愛い頭に入っている小さなおつむ

 日曜日のブランチをよく一緒にしていた、友人たちとさも先週もそうしてましたって感じに、いつものカフェで待ち合わせをした。 はーー、やっと なんか普通を感じた。 2009年になって初めての「ああ、やっと普通だ。」の瞬間。 みんなして、給料の話しと、どれぐらい貯金しているかとか、どこの 銀行が良いとか、いつ家を買うのが良いのかとか相談。 私にはこういう友達が必要だ。 じゃないと収入全部すっちまう。

 それはともかく、去年の年末に買い、ウェリントンの友達はまだ見た事が無かった私のサングラスは大好評でした。 ちなみに私の父からも絶賛されたこのサングラス。 かけてると、「私馬鹿ですけど、それに関して全くコンプレックスございません。」って気分になれて素敵だ。 みんながつけたがってくれた。 「サングラスで格好をつけてはいけないと思う。 サングラスはとんでもなくキャンプな感じでいかないといけない。」と高らかと私が宣言したら、みんなその通りだと納得してくれた。 真面目なサングラスをつけるぐらいなら、サングラスしないで全く前が見えないほどにまぶしい状況にいる方がましだ。

 この写真のモデルは非常に賢い友人。 どんなポーズが良いかという話しをしていたら、もう一人の友人が「その可愛い頭に入っている小さなおつむは全く何も考えていません」ってのを表現しろと言っていた。 どうでしょう、彼はちゃんと表現できているでしょうか、その感じを。 ううう、この口の感じがたまらん。 可愛すぎる。 うん、よく表現できていますね。 


2009-02-14

ウェリントン

 週末を利用してウェリントンに来ている。

 長々と住んだ町だから体が馴染んでいてとても過ごしやすい。 頭がよく動く。 そういう町が人生に何カ所かあって幸運だと思う。 

 旧い友達にたくさん会って、いっぱい話してお酒を飲んで、美味しいご飯を食べて、普通で普通でとても楽しい。 こういう日々がこれからも続けばいいとかって思う。 でも実際はもう大半の友達がウェリントンを去ってしまったし、来年とかになってこっちに来たらもっとダイナミックに誰もいなくなっているんだろう。 若いってそういうことだ。 みんな移動する。

 夜、バーで昔大好きだった男の子がいるのを見た。 さすが狭い町。 ありえないことがおこりうる。 絶対にここにはいないだろうっていうバーを選んだら、わざわざいたからね。 パニックになった。 一緒にいた友達は挨拶をしにいこうと言った。 でも私はそれは出来ないと断った。 相手に気がつかれていたらそりゃ挨拶した方が良かったのかもしれないけど、まだ気がつかれていないし、放っときあうのが一番だと思ったからだ。 ただバーにいる間中すごく難しい気持ちになって、うだうだして一緒にいた友達を不愉快な思いにさせた。 相手には悪かったが、でもうだうだした後にすっきりした。

 結論として思ったのは、まだ私が相手のことを大好きだと言うことと(愛していると言っても過言ではない)、だからと言ってわざわざ自分にとってダメージングなことはしなくてもいいという事だ。 挨拶して、相手の顔を見て、現状の話をして、チャラチャラした社交の会話をかわしたら、ケツにサボテンの刺が刺さるよりもうざったらしいダメージを食らうと、さすがの私でも分かった。 だったらやらんでよろしい。

 相手を見た瞬間の、嬉しさと愛情の再確認は自分を人間として好きだと思わせてくれた。 愛情を持っている人間を見たときに溢れる相手に対する温かい気持ちほど、人としての自分を安心させてくれるものはない。 「自分にはこんなに温かい感情の動きがあるのか」って自分で自分に驚く。 それを感じられたのは良かったし、そんな思いを持てる子に会えたことがあることは財産だと思う。 これは友達にも家族にも感じない温かさ。 可能性としての新しい家族への感情だ。 将来子供を産むことが出来たら素晴らしいだろうなと想像した時に、胸に沸き上がる温かさと同じ性質。 温かい。

 だからって「こんなにスペシャルなんだから、なんとかしなきゃ!!」って、ずかずかとまた何かをする必要なんてこれっぽっちもない。 やるだけやった訳だし、傷つくのは目に見えているし、相手に難しい気持ちを持たせるのもわかっている。 しつこい位に、お互いに将来性があるかないかを試した後の清々しさがそこにはある。 こんなに「すべての調査の結果、これはうまく行かないと深く納得しています。」と思っている事柄はほかには無い訳だ! これは放っておくのが一番。
 
 不思議なことに惹き付けられている時に幸せな対象は、だからって別に一緒になって幸せって訳ではないのだ。 何たる不思議。 ここが合致したら、そいつはワンダフルと思うけど、なぜかたまたま前回の人は全くそうじゃなかったし、それはもうそういうもんなのだと納得するしかない。 いやー、不思議だ。 

 たまに私の中で日本の給食メンタリティーが私に働き、無理してでも手を出したのなら最後まで片付けなくてはと思っちゃうんだけど、実際はもっとカジュアルでも問題は無いのだ。 誰にも迷惑はかからない。 イギリスの給食モデルでよろしい。

 完璧を目指すってのは、人間関係においては暴力だ。 ロールプレイングゲームじゃないんだから、完全クリアする必要は無し。 どうせまた誰かに似たタイプの愛情を持ったら、自分でも呆れる位見事に忘れる事柄なのだ。 そういうもんなのだ。 なんだか分からんが、世界ってのはそういうふうに風通しのいい場所だし、人間関係の力学ってのは意外なほど肩の力が抜けた素敵なものなのだ。 ここで自分に唯一できる、こういう事柄に対する治癒はただ肩の力を抜いて普通に毎日を過ごすことだろう。

 そういう訳で、ヴァレンタインの夜のバーで私は遠くに座っている相手を見て「うん、放っておこう!」と思った。 彼とのことがうまく行かなかったせいで「せめてこれからのことは上手くコントロールしよう」っていう強迫観念みたいなのから、将来のこともノイローゼーみたいに考え抜いたけど、それもなるようになるって発想でいいのではないだろうかと思えてきた。(そういう面ではこれまで全くプラン無しに生きてきたので、今回の失恋により結果的にいろいろプラン立てが出来たので良かった。) どうとでもなれだし、時間は突き進んでいくから、本当に驚くほどどうとでもなるのだろう。 

 なんか結構にナイスな発見だった。 

 さよなら! さよなら! まだまだ愛おしい男の子。 でも悲しくないのは、間違えなくこれから彼よりも甘くて、蜜みたいな人と、いつか私は良い時間を過ごすから。 なぜならばそういうもんだから。 だって私がそうだから。

 まったくもって独特で、相変わらずミニマルで味わい深い、己の道を突き進んでくれ。 変人には変人の輝きがある。 そこまで変人なんだからもう大丈夫。 変人の軌道にちゃんと載れてるから、あとはやるだけ! これからも己の道を突き進み、ある程度の女の人と幸せに理解し合いながら過ごしてくれる事を祈る。 頑張れ! やれば出来る! 

 ただ私と何かの要素がちょっとでも重なる人とはつきあわないでくれ、悲しくなっちゃうからと、ケチンボな事を思った。 「うわっ! こんな女の子がこの世にいたのか!」って私もクラっときちゃう子じゃなきゃ、絶対に駄目! 一生一人ってのは絶対に駄目! 

 お願いだから、とっとと素敵で人格が達者で成熟している女の人と一緒になって、安定した幸せな生活を送ってくれよと祈っている。 そしてもう一回リピートするけど、私ほどは面白くなくて、私ほどは振り回さない、そういう面ではつまんない人とって事で、神様、お願いします。

2009-02-13

ボードメンバー全員出発

 べガスとロンドンで行われるトレードショーの為に、我が社のボードメンバーが全員飛び立った。 行ってらっしゃい株主たち! これから10日間一人で働く事になる。 生産的に過ごせる自信がない、けどやるだけやってみる。

 さっき10日間に私がどう過ごすかを書いた表をプロジェクトリーダーに出した。 結構まじめなやつ。 「うん。 よし。 そうやっておいて。 でも、遊びの時間が全く入ってないじゃないか。 目的を持たない時間をちゃんと入れておいて。 ちゃんとインスピレーションが得れるように、面白い物が見つけられるように、最低でも平日の二日間はただ町をぶらぶらしたり、ギャラリーに行ったりするように予定を組んでください。」と言われた。 すっげー! 「いいんですか?」と聞いたら、「何を手に入れるかとかって範囲を決めてしまっていると、偶然がおこらなくなるし、他を見なくなるから。 いろいろ見つけてきてもらうために雇ってる訳だし。 いっぱい夢想してください。」と説得された。 やばい。 夢想し足りてなかったのかもしれない。

 もしかしたら、すごく面白いポジションで雇われているのかもしれない。 いっぱい歩いて、いっぱい見て、いっぱい見つけるぞ。

 ここ六年位そういう仕事が多い。 大学生のときのバイトもほとんどがリサーチアシスタントで、先生と二人っきりでひたすら遊ぶってのがメインだったし、契約が切れる度に次の先生に雇われた。 今もほとんどそういう感じだ。 そういう星巡りの元にいるのだろ。 次はなんだ? 

 それにしても反動でくそまじめに働いてしまったりもする。 だってすっげー簡単に首になれそうなんだもん、こういう立場って。 それにうちの親はかなり適当なヒッピーで、反動で私は「彼らがぼんやりしてるから私がしっかりしなくては!!!!」ってなってる面があるのよね。 会社に「好きなだけ遊んでください。」って言われると「影でがっちりと働かなくては…」と若干焦る。 うーー、働こう。 遊びつつも働く。

黒い獅子

この間友達から黒い獅子がついたブレスレットをもらった。

とてもうれしかった。 

それをもらった日は不発弾騒ぎで、変な感じにアドレナリンがラッシュしていた日だった。

出会い頭から、私は怒っていて
「君にあえて嬉しいけど、私すっごい不機嫌!! なんか君にも腹が立つ!!! なんだよ、ニコニコしやがって!! 私は君に会えて幸せだけど、すっげーーイライラもしてるぞ!!」と荒れ狂っていた。

今考えると理由が分かるんだけど、相手は「短い時間でも会えれば良い」とか「どうしても会いたい」とか言っていて、なんてわがままなのだとイライラした。 渡す物があったのならそう思うだろうし、しかも渡し物があるのを隠していたからそううじうじした物言いになっていたんだろう。 悪かった。

そんな察しのつかない不機嫌な私は、相手にわがまま言いたい放題だった。
「私に会えて本当に嬉しいって言って。」「会えて本当に嬉しい。」
「今日のワンピースすっごい可愛いって言って。」「すっげー可愛い。」
「わざわざメリッサのヒールを履いてきてくれる女の子と友達でよかったって言って。」「メリッサ履いててくれてうれしい。」
「今日の私の外見は今までの私の中で一番って言って。」「すごく良いよ。」
「私が世界一だって言って。」「もー世界一。」
「私が来なかったら泣いちゃったって言って。」「すごく悲しかった。」
「怒ってるけど、気持ち分かるよって言って。」「気持ち分かるよ。」
「私に会えたから、世界がバラ色って言って。」「アンナに会えたから世界はバラ色。」
「不発弾は爆発しないって言って。」「っはぁ?!」
「爆弾処理班は有能だって言って!!!」「っはあああ? 何の話し?!」 
ってのを繰り返した。 

仕舞には「私が世界一の女の子だって言って。大好きで、大好きでしょうがないって言って!」ってレベルにまで達した。 それぐらいなんかくじけそうにイライラした。

足下に石があったら、蹴り上げたい気持ちに狩られながら彼と歩いた。 

そうしたらワンダフルなアクセサリーをショーウィンドーで見つけた。 勿論、速攻でコレ買ってと我侭を言う。 自分で買えと怒られる。 「もう、君とは話さない。二度と。 目も見ない。」と言ってもめる。 

「あんた、今頭おかしいんだよ。 チョコレートフラペチーノでも飲もう。」とカフェに連れて行かれた。 そういえば、この子は去年の年末ミルクシェイクを飲んでいる時に指輪をくれたよなあ。 あのときは指輪とか買ってくれたのに、今回は買ってくれなかった。 学生の時より貧乏ってどういう事だ…。 思えば遠くに来たもんだ、ああ不発弾…、としみじみとした。

 そうしたら相手がごそごそと「さっき欲しいって言ってたのと全然違うけど…。 もし好きじゃなかったら、僕が見てないところで誰かにあげるか捨てるかして。」と言ってプレゼントをくれた。 

箱のサイズは小さくて、薄い! 

っも、もしや?!と思い、開けて見るとブレスレットだった。 もーーー、その場でカフェの椅子から飛び上がって、相手に右頬キス、ハグ、左頬キス! 

「我侭ばっかりで、ごめん!!  本当にもっともっと良い女だったらって、いつも願うんだよ。 そうしたら君にももっとプリーズドしてもらえるのに! 君に対してもっと優しくなりたい、大好きだから! 心入れ替える!」と速攻でコンフェッションをした。 

絶対に、アクセサリーには女を「私ベターな女になります」って反省させる魔力がある。 ロイアルストレートフラッシュだ。 駄目な女にはアクセサリーを贈れ! 一瞬で謙虚になるから。 

つけてみるとすっごい可愛かった。 真っ黒の石が連なっていて、真ん中にちょと間抜けズラした獅子がついてるの。 かなり狂ったデザイン! 

「アンナと言えば黒だから、黒でコンテンポラリーで、でも中国ってのを探したの! あとあんたの大好きな間抜けな空想上の動物!」と誇らしげに言われた。 

「それでね、この間アンナがこれからは化石を集めるって言ってたでしょ?」と相手が切り出した。 杉本博司にむやみやたらに刺激されたって、この子に手紙で書いたんだっけかなと思い出し、「そうそう、骨とか化石とか、見つけたら教えてね。」と返事をした。 

「これもね、そうなの。 黒い琥珀なんだって。 恐竜とかがいた頃の木の化石なの。 中国の人はお守りとしてつけるんだって。」と言われた。 なんか色々考えてくれたみたいだ。 化石出来た、コンテンポラリーだけど伝統的なアクセサリーだなんて、夢みたい!
 
「アンナは、小さくて身につけられる物か、本かぐらいしか喜ばないじゃん。 うん、だからこれにしようと思って、前もこんな事言ってたし、あんな事言ってたし」とこれを選んだ理由を羅列された。 「お前、絶対に良いデザイナーになるよ!! 相手の事、よく考えてる! ニーズに答えたな!! 今のうちにサインくれ!」と感動して握手した。 

それにしても言ってみるもんだ! 化石で出来た真っ黒のアクセサリー+チャーミングな獅子付きのを手に入れた!! だからもう一回、「次は絶対にさっき見た、ダイヤモンドがついたバブーシュカの形のネックレスね!」とリピートしておいた。 「そうかー、お守りかぁ。 じゃあ不発弾撤去もスムーズに行われているかも!」とルンルンした。

なんだかすっごい嬉しかったから、「すっごい嬉しい、特別な気がする!」って言ったら、「いつでもアンナは特別だよ。」と返される。 なんてベイビーボーイ。 本当に、よく出来たデザイナーだ。 もとい、よく出来た友達だ。 「君もすっごい特別!」とお互いの方を叩き合う。 

いやー、反省させられた。 私は人にうじうじされると、私の事をそこまで好きじゃないんだと勘違いして勝手に傷つく。 でもうじうじの背景に「これから相手をすっごい喜ばそうと思ってるけど、拒否されたらどうしよう」ってのもあるんだと思う。 私に出来る事は、そういううじうじを全く持たなくても、安心して「この人なら喜ぶ!」って思われるようになる事だと思う。 そういう気軽な友達に私はなりたい。

2009-02-12

メモ

 何をどう表現しようとしているのかが言語化できなくて辛い。

「視覚的にこれを言って下さい」って、お客さんに頼まれた事を、じゃあどういう声色で、どういう視点から、どういう立場で言ったら良いのかってのの、演技力とか即興力が私はまだ少ない。

 

Rothko

 好意をまとめて、ロスコの絵画のイメージに収納する癖がある。 「ああ、ロスコの絵画のように特別」とロスコの絵画のように特別な事柄に対して思うし、整理できないほどに感情が溢れた事柄は「とりあえずロスコの絵画と同じように感じつつも、そっとしておこう」と努力する。 自分の生活に密着した作品という意味では、ロスコ以上にパーソナルなのはないな。 意外なほどロスコの絵画が生活の指針になっている。 



 今数時間作業をしていたんだけど、結構楽しくなかった。 なんかが胸に詰まっている感じで、自分が一体何の努力をしているのか、全く分からなかったのだ。 私は一体何をしているのだろうかと作業しながら、三分に一回ずつぐらい思った。 何に向かっているのかは分からないけど、自分は確かにどっかへ向かっている。 だけど意識がそれに気づけていなくて、もどかしいし、なんだか上手くいかない感じの連続だった。

「駄目だこれりゃ、私は絶対にこの仕事は向いていないのだ。 この仕事を終わらせたら、もう手を引こう。 よしっ、人生最後のデザイナーとしての仕事だ。 やるだけやって、もうさよならだ。」と十分に一回ぐらい思った。 そしてもう一人の自分が「そんな事言っちゃ駄目! 引き返しようが無いでしょ?! 一体どこに引き返すつもりなのよ、馬鹿!!」と言って喧嘩していた。 

 そして麦茶でも飲もうと席を立ち上がって、作業していた物を見た瞬間に思わず吹き出してしまった。 「!」の瞬間だ。 単純に私はロスコっぽい物が作りたくて、変に苦労していたのだ。 「ああ、あなたに会いたかったのか。」とロスコに対して思った。 「そりゃもどかしい訳だし、まっすぐ上手くいかないに決まってる。 随分とでっかい目標を立ててたんだな。」と呆れるような、自分の素直さに驚くような。 まさか自分がロスコに会いたくて、しかも仕事を通じてそれに触れようとしているなんて、思いもしなかった。

 自分の作っている物が、クライアントの望むスタイルと違うし、そもそものコンセプトとも上手く整合性がない気がして、「もーーー駄目! 全然ゴールに向かわない!」と焦っていた。 エンドユーザーの存在なんて吹き飛ばして、クライアントにいかに好かれるかのみに反応してしまっていた、嫌な時間だった。 そのわりには、エンドユーザーもクライアントも無視して、自分の見たい物を探してしまっていたから余計に変な時間だった。

 とりあえず、自分が妙に突き進んでいた方向だけは分かった。 妥協点を探そう。 自分が進んでいた方向は分かったから、今度はどうやってそれをエンドユーザに魅力的だと思ってもらえるように発展させていくかが勝負だ。 

 あとちょっと仕事しよう。 はぁ…。 本当に変な数時間だった。 百枚ぐらい試作品を作ったけど、どれをやっていても泣きたくなるぐらいに間違ってる感があって、すっごいホープレスな気分になっていた。

 今回はもうやっちゃったからしょうがないけど、お客様に頼まれている商品を作りながら、その商品の中で探し物をするのはいけない。 それはそれ! これはこれ!って割り切ってやらなきゃ。 どっか深い所では繋がっているのかもしれないし、有意義な行動だとも言えると思うけど、自分に変な苦労がかかりすぎる。 探すのならば、デザイン的な批評性とか有意義な問題への問いを探すべきで、少なくともロスコとか探すのはよそう。 学んだ。
 

 









 

作業机が来た

 デザインスタジオに作業用の机が来た! ワックワク! これからもっと激しく工作するぞ。 大の男の腰までの高さの机。 すっごいナイス! でっかーーーいの。





 これまでの二つの机。 これも使いはじめた時はでかいなあと思ったけど、今は結構こじんまりとして見える。



 

 段々と空間が活き活きとしてきた。 





 こんなに広い空間を一人で使うのに慣れてしまったら、これから狭い場所に戻れるのだろうか。 

労働ビザおりた〜!!

 ううう…。 こんなにうれしい事ってない。 労働ビザいただけました。 ありがとう、この国の移民局!! 今度は永住権よろしくお願いします! 学生ビザ、労働ビザと、ビザ取得の階段を上ってきてしまった今、次のステップは永住権。 次に国籍。 もうコレクションとしてそこまでやっちゃいたい気すらする。 極めたい、移民局ヘビーユーザー道を。

 私はビザの申請が苦手で、苦手で、毎回絶望的にぐったりする。 まだ一回も却下された事がないから、周りから見ると得意な人なのかもしれないけど、精神的には結構毎回「もう次やったら発狂しちゃうかも」的な感じだ。 ニュージーランドでは年に一回書き換えがあるから、今回が記念すべき8回目の申請。 慣れろよって話なんだけど、慣れるどころか、毎回どんどん不器用になっていく。 もー、やりたくないんだ。 もーー、勘弁してください、後生なので、勘弁してください、って毎回思う。

 荷造りも、引っ越しも、ビザの申請も、航空券の手配も、人とのお別れもある程度の歳までは全く問題なくできた事柄だ。 ストレスを一ミリも感じなかった。 

 ただそんな生活を初めて8年目ぐらい、22歳になった時位から、苦痛で苦痛でたまらなくなった。 結構本気で「今回はラインを超えなかったけど、確かに赤くて細い狂気と正気の境界線が目の前にちらついた。 次はやっばいかも。」ってガムテープ片手に思った瞬間があったのね。 変な意味で時は満ちたと思ったのですよ。 その時はまだ過去十二ヶ月で6回位の引っ越ししたとかってだけだったのに。 この二ヶ月間で引っ越し5回を超えてしまった、今の私のストレスたるや!! しかも今年の引っ越しの予定は後2回も残ってる。 そのうちの2回とも海を超える可能性のある引っ越しだ…。 今回はちょっと超えるのかもしれない。 見た事が無い世界を見るかも…?

 はあ、とりあえず今回のビザちゃんとおりてよかった。 就職が決まったときよりもパスポートに、WORK VISA AND WORK PERMITって載ってるのを見た瞬間の方が大人になった実感があった。 
 
 本当によかったーーー。 涙でそう。

 

どうやって起きたのか覚えてない

 毎朝起床にはかなり苦労している。 思い返せば四年間毎朝毎朝携帯のアラームを十回ぐらいは設定し直して起きれなくて、ことごとく遅刻をして朝から自己嫌悪の繰り返しだった。 たまに大学に時間通りに着くと、クラスメイトに驚かれながらハグされていた。 「こんな時間にこんな所でお前を見るなんて!」の驚きだ。 普通に授業の時間だったんだけどね。

 社会人になる時に何よりも自信が無かったのは、朝起きれるかどうかだったと言っても言い過ぎじゃない。 毎日ベッドの中で「今目が覚めたら昼過ぎだったとかってのヤダなあ」って本気で焦りなが寝ぼけている。 1日の最大のドラマと挑戦は私にとっては朝起きる事なのだ。 

 でも今日気がついたら六時半に起きていて、気がついたら仕事のメールをじゃんすか書いていていた。 途中ではっきりと目が覚めて、「っは! 今私起きてる! しかもどうやって起きたか覚えてない!」と驚いた。 うっひゃー! こんな事が起こるなんて。 

2009-02-11

長い長いプレゼンテーション

 昨日は生まれて初めて、デザイナーにプレゼンをされた。 

 初、依頼主体験!!

 記念として記録しておこうと思う。 

 今私の会社ではリブランディングをしている。 これまでのヴィジュアルアイデンティティーおよび、ブランドとしてのポジショニングを進化させる時が来たので。 ってことで外部のブランディングに強いデザインコンサルタンシーに一連のグラフィックスの仕事を頼んでいる。 

 昨日は彼らの初めてのコンセプトプセゼンテーションで、すっげー面白かった。 六時間ぶっ通しのプレゼンで(2時に着た彼らは8時に帰った)、全部口頭と紙媒体で行われた。 ずっとハイテンションでプレゼンを続けていく彼らをみて、この人達スタミナあり過ぎと驚く。 私は何回か集中力を失った。

 昔グループプロジェクトをやっているときに、自分が情熱を持って関わっている事柄ほど他者の意見を受け入れにくいという事を知った。 どんなに自分が冷静でいるつもりでも拒絶してしまうし、どれだけこっちがやっても最初は拒絶される。特にプレゼンの時なんて、相手はこっちを興奮させようと必死な訳だし、自分もなんだかのリアクションをしなくちゃと思っちゃっているし、変な消耗合戦がおこりやすいのだ。 ただ本当はそんな奇妙に頭に血が上っている感じになってはいけないのだと思う。

 これって慣れで、一回自分には(そして多くの場合周りにも)そういうメカニズムがあると気がつくと脱せるんだけど、結構それでこれまで消耗していた。 

 しょっちゅうぐったりしていた私に呆れた友人に「人は他人から発動された変化を受け入れない」って前提で、「でも、受け入れた方が多くの場合はいい変化ができる」から、「自分の立場を緩やかに決めておいて、落ち着いて消化していくのがいい」と言われたのがよかった。

 そんなこんなで最初っから、何もしなければ自分から自動的に拒絶反応が起こる/もしくはあら探しを始めると思っていたので、結構感情のコントロールをした。 コンクルージョンに勝手にジャンプしない事、相手が提出したものを消化してからこっちも意見を言う事、決して頭に血を上らせない事、拒絶しない事。 そして私は依頼主としての経験が全くないから、全ての可能性を最大限に活かせている/活かせるとは決して思わないこと。(リミットがある事を認識するとパニックになりにくい) 

 またやってくれた作業量と、わかりやすい提示方法など私たちが今仕事が気持ちいい状態で進められるように考慮してくれていることに最大限の敬意を持つようにした。 実際それぐらい、すごくきちんとコンパクトにロジカルにプレゼンは纏められていた。(それでも6時間かかったけど。)

 ただ横にいた人があまりそういう事を考慮しない人で、コンクルージョンにジャンプしようとするので一緒に働いていて、もったいないと思った。 まあ、性格の違いだけど、そういう人と自分がどうやって働くかも考えなきゃだなと思った。

 長々と前提について書いてしまったけど、内容はとっても面白かった。 「へ〜! こういうアプローチもあるのか。」の嵐。 良いアプローチなのかどうかは、私にまだ批判材料が少ないから何とも言えないんだけど、絶対に大量のポテンシャルがあるのは確か。 それをどう使うかだ!

 それにしても本当に学ぶ事が多かった。 資料の作り方、言葉の選び方、場のコントロールの仕方、勿論仕事の内容、レベル、全部から「うおー、これぐらいできるようにならなきゃだよなあ」って思ったし、脳内コピーアンドスキャンの嵐だったよ。 

 最後は失神しそうに疲れたけど、でも良い経験になった。 次はこれでどうやって結果を残すかだ。

 私の依頼主(立場が数時間ごとにころころ変わるからつかれる)と夜電話で話す。 仕事がしやすい人でよかった。 本当によかった。 これも、私の仕事のしやすい依頼主でいる事の重要性を教えてくれるエピソードになりそうだ。

 仕事の結果は、質だと思う。 どんなプロセスで作られていようが、結果として質のいいものができたら、結構なハッピーエンドだ。 プロセスもよかった、質も良かったなんて、滅多にないのかもしれないけど、あるべきだと心から実は思っている。 じゃないと、ストレスが! 内蔵が!! 環境に負担が!!

 頑張ってこー! ;) 

2009-02-10

不発弾騒ぎ

 何故平日の夕方に友達にちんたら会っていたのか。 これには不思議な背景がある。

 会社も忙しい時期だし、副業でやっているグラフィックの仕事もたまっていたしで、本当は遊んでいる場合じゃなかった。

 中国から帰ってきたばかりの友達が空港から会おうと電話をくれた時、すっごく会いたかったけど多分無理だよなとかって考えていた。 電話で声を聞くとすごく会いたくなる。 でもきっと会えないから、ちょっとめそめそしながら、駄目だと思うと断りを入れた。 

 そうしたらその直後に、警察官がオフィスに入ってきて、「不発弾が隣の工場で見つかったので、早く避難して下さい。 このエリアは完全に閉鎖です。」と普通に言ってきた。 「昨日はスーパーマーケットに買い出しに行きました」って言ったのと大して変わらないトーンだった。 だからこっちも「ああ、不発弾、不発弾。 あれね、爆発してない爆弾でしょ? よし、鞄、鞄。 片付けて去らなくちゃ。 あ、爆弾処理班の人達に宜しくお伝えください。」って普通に退去。 友達に「状況が変わったから、会える。 ちょっと待ってて。」とすぐに電話をかけ直して伝えた。 

 ハザードテープが張られているエリアを出た途端に、「ああああ? 不発弾? はぁ?」っとなる。 確認する為に隣の工場に行きたいぐらいな気分だった。 でも勿論もう戻れない。 なぜならエリア一帯閉鎖されているから。

 うーん、なんだか訳が分からないと思いながら友達に会った。 多分会ったら、ほっとしちゃったってのもあり、怒りととんでもないアドレナリンラッシュが沸き上がった。 不発弾って何だ! なんでそんなのが隣の工場にあるんだ! 危ないじゃないか!!! なんかどっと疲れたーーー!

無事

 出社したら、無傷で我が社の一帯は現存していました。 

 爆弾処理班がんばった! ほめてやる!


2009-02-09

ハローアゲイン、ボーイフレンド!

 去る者がいれば、来る者もいる。

一人仕事を決めて旅立ったかと思えば、一人仕事が決まらず帰ってきた。

「俺、中国行ってみる!あそこで働いてみたい!」と言って、一ヶ月前に旅立ったクラスメイトは、「あそこだけは勘弁だ」と言って帰ってきた。 肌に合わなかったらしい。 もー、なんだか情けない! でも嬉しい! それにとりあえず興味があったからって理由で現地にちゃんと行ってみただけでも偉いと思う。

国内線乗り継ぎの為にオークランドに彼は止まってくれて、今日会って来た。 

会ってその場で進路相談。 「世界で一番雇用がある国から、世界で一番雇用がない国に戻ってきやがって」と私が悪態をつく。 でも彼は元々本当にマスプロダクションされるための工業デザインをやる気がなかったので、中国じゃないだろうと私も思っていた。 

元来のしっかり者の彼は、まだ仕事が決まっていないことにかなり焦っていた。 横にいて複雑な気持ちになる。 焦っても何か状況が変わる訳じゃない。 問題は何をするかだと頭では思う。 でも気持ちもわかる。 
 
 そしてその後、教授と、中国で工業デザイナーをしている彼の息子も来た。 工業デザイナー四人で集まり、進路とかの作戦会議。 結構教授が厳しい事をクラスメイトに言っていて驚いた。 

 「君が履歴書をただ送るのが簡単なように、履歴書だけ送られてきても、相手は簡単に断るよ。 ちゃんとその事務所を知っている人を探して、仲介してもらって会って履歴書とポートフォリオを渡しなさい。」とか、「最初はただ働きでいいので、自分が会社にどれだけ貢献できるか知ってくださいって言って働かせてもらいなさい。」とか、「明日自分がコンサルタントをする会社に連れて行くから、そこでちゃんと自分を売りなさい。」などなど…。

 うーん…。 やってみたら、自信もついていくんだろうし、どんどん強くなれるプロセスだと思うけど、話として聞くと怖いよなあ。 多分自分もそういう事をこれから何回かはしなくてはいけなくなるのだろうと思う。 そういう事の繰り返しのジュニアデザイナー時代が終わったらまた違う意味での挑戦とかがあるんだろうし。 

 これからそういう事をする彼と、そういう事をしまくってオランダに仕事を見つけた彼と、簡単に仕事を手に入れた私と、どっかで差が出るだろう。 何が幸運なのかはわからない。 元々打たれ弱い私は、そういう状況に投げ出されたときに大丈夫だろうかと考えた。 うーん、どう考えても大丈夫じゃないだろう。 そんな時に唯一の自分の支えになってくれる「いい経歴が乗っている履歴書と推薦状」のため、今日がんばらなくては。 じゃないと未来の私は今の私に怒るだろう。

 息子さんが中国での体験を聞かせてくれた。 従業員五万の工場とかあるらしい。 工場の向かいがその人たちの住む町になっていて、みんな同じ制服を着ているんだって。 まあ、この話はただの「へー!」の一環なんだけど、いろいろ刺激的な話が多くて面白かった。 分業が進みすぎて、これ以上作業工程を割る事はできないってぐらいに単純化された仕事をして、町中みーんな同じ工場で安いヘアドライアーを作っている人たちでって想像してみる。 「そういう状況だとデザインってのはただの絵だと思われるんだ。 天才的な人が三秒ぐらいで絵を書いて、それを法外な値段で売りつけてくるっていう風にしかビジネスサイドの人には思われないんだよね。」と嘆いていた。 でもそんな状況だから挑戦が多くて楽しいそうだ。 私のクラスメイトはそういう状況をみて、絶望的な気持ちになったそうだ。 両方の気持ち、すごいわかる。 どっちも間違ってない。

 久しぶりにデザイナーだけに囲まれて、いろいろと考えさせられた。 怖いけど、愉快だった。 不愉快な事が多い世の中、自分のコミットしている分野を面白いと思えてよかった。
 
 多分、これからもずっと仕事ってのは楽しいけど不安定で、それがいろんな形でプライベートの人生にもハネッかえってくるんだろう。 

 とりあえず、一回ちゃんと行ってみたいと思った場所に行って、なんだかの方向に心を固めたのは偉い。 お帰り友達、これからも頑張ろう。

2009-02-08

夏祭り

 昨日の夜はオークランドの華僑の人たちがオーガナイズしたラントン祭りで、町中が夏祭りムードたっぷりだった。 せっかくだからと二人でぷらぷら歩く。 

 「現実じゃないみたいだ」と連呼しあう。 結構夢のような空間だった。 街の中心部の大きな公園に大量の面白い形をしたラントンが連なっていて、とても美しかった。 情緒があった。

 そういえば、この間の花火大会の時もこの子と一緒にいたんだよなと思い出した。 その時「今こんなに良い友達といれて幸せだから、次の花火大会の時もこれぐらい幸せでいなくちゃな。 そういう目標にしよう!」と思った事を思い出した。 花火大会じゃないけど、七年ぶりの夏祭りでは確かに幸せでした。 

 屋台が連なっている場所で、お互い思わず物を買いそうになった。 テンプテーションがすごいんだもん。 くだらないけど可愛いラントンとかを手に取る度に、「次に移るときに捨てるだけだから買うな! 自分の魂の自由のために、買っちゃいかん」とお互い自制し合う。 その日の朝まで移住の準備で物の処分と格闘していた彼の発言には鬼気迫るものがあった。 でもお祭りなんだし何か買いたい。 止まらない消費欲。 ってことで花を一輪買う。 うん。 これはいい買い物だ。 ためらいなく捨てられる。 枯れるからね!

 彼と会えて嬉しかった私は終始ニコニコだった。 「本当に笑顔ね」と相手に言われて、「それが最近思うんだけど、よっぽど安心している相手にしかここまでニコニコはできないんだよ。 だってやっぱり笑顔の時って心がすっごい無防備になっちゃうじゃん。 だからいつもは出来ない。 でもニコニコしてないと心が枯れるから、笑顔でいていい時は好きなだけしなきゃだよなあって思ってさー。」と言って、相手はそんなもんかって顔をしていた。 どれだけニコニコしていても大丈夫な相手ってのは、ダイアモンドだ!

 夏祭りを仲良しのクラスメイトとちんたら歩いて、ビールを呑んで、次に引っ越す街の話しをして、本当に幸せだった。 夏だから相手の体もすごく熱くて気持ちよかった。 お互いの腰に回している手が汗ばんで、触れ合っている肩が別の生き物みたいに熱かった。 そんな感じで夜風の中散歩をしていると、ずっとずっとこのまま道が続けば良いと思えた。 だから湾岸と町中をくまなく散歩して、くたくたになるまでホテルに帰らなかった。 もうしばらくは着ないだろう彼のTシャツを着て、二人でベッドに体を投げ出して、音楽を聞きながら、買ってきたアイスを食べて、穏やかだった。 窓を開けると街の騒ぎが聞こえて、夏の風が入ってきて、本当にこんな瞬間を友達と過ごせてよかったと思えたよ!

 結構心底、相手のこれからの幸せと成功を祈った。 これから彼に山ほど良い事が訪れますように! すっげーワンダフルな彼女が出来て、どんどん彼を愛してくれますように。 もっともっと良い男になりますように。 寂しい思いをしませんように。 二人ともちょっと頑張れば航空券が買えるような社会的状況にいれますように。 要するに、二人ともまともな人間になれますように!! 食いっぱぐれませんように!

 いびきをかいて寝ている相手を見ながら「これだけ祈ったんだから大丈夫だ。」とやるだけやった感を感じた。 これで上手くいかないはずが無い。 クラスメイトの女の子がわざわざ、こんなに祈ったんだもん。 大丈夫だろう! ちょっと失敗したり痛い目にあっても、なんだかんだで立ち直れるだろう!!

バイバイ、ボーイフレンド!

 オランダのデザイン事務所でインターンが決まった友達が今日飛び立った。 

 乗り継ぎのため国際線ターミナルのあるオークランドにて一泊しなくてはいけないということで、私と一緒に遊んでくれた。

 我が家は狭くて遠いので、ホテルを取り、ロビーで待ち合わせをした。 大人気分だ! 

 ロビーで待っていたら、遠くからものすごい大荷物の野郎が来たので、こりゃまた大変だと思って見ていたら彼だった。 大笑い。 元々移民で、もうこっちに帰ってくる気がない彼は、八年間分の持ち物を、30kgまでにまとめていた。 頑張ったほうなんじゃないか。 「ここにある物以外、君の持ち物はもうこの国には無いのかい?」と聞いたら、嬉しそうに「全くない!」と断言された。 片付けたね!

 ホテルの部屋でスーツケースやボストンバッグを開けてみたら、懐かしい服が沢山入っていた。  「全部君だぁ」と変な感想を言った。 全部が全部、いろんな時に見たお洒落で趣味のいい服や物で、懐かしくてホロリときた。 これからもこの子をよろしくね、ちゃんと包んであげてねと服に話しかけたくなったよ。

 とりあえずスーツケースの中を写真にとりまくった。 そして携帯の待ち受け画面にして、相手に変態がられる。 あっはっは。

 相手はウェリントンで旧友達に囲まれながら過ごしていた、卒業からの三ヶ月。 そのうちの二ヶ月を日本とオークランドで過ごし、結構孤独にやっていた私は相手にじゃれついた。 なつかしい! 温かいし柔らかいし話しは簡単に通じるし、本当に嬉しかった。

 次の日朝ごはんを食べながら、これからの話をした。 「年内にイタリアで会おう!」とか「30までには絶対にシニアデザイナーになってなきゃだよなあ」とか。 卒業直後と比べ、かなり楽な精神状況で将来の話を出来た。 

 「今回の引越しで思ったけど、やっぱ35ぐらいには引っ越さなくていい家が欲しい。 定住したい。」と相手に言われて、「私もまったく同じこと思った!!! ただ私の場合は30歳だな。 そしてあと二年ぐらいは引っ越しまくりな生活になるとも思ったから、絶対に身軽でいなくちゃとも思った。 多分それの反動だよね。 今から自分の定住する家の事考えてはニヤニヤしてるもん! こんな家具買いたいとかって考えてる。」と笑いあった。

 定住するためには、これからの数年をどうやって過ごすべきかという作戦会議をした。 できるだけ早く何年間も勤めたい場所にシニアデザイナーとして就職する事が手っ取り早い定住への道だろう。 その為には、しっかりとジュニアデザイナー武者修行(もしくはデザイン聖地巡礼)をやり終えるしかないという結果になった。 今引越ししまくった分、きっと定住するときはしっかり定住できる、はず!

 勿論ジュニア時代もシニア時代も全部同じところでやっちゃうっていう手もある。 だけど、なんかそれもそれで特にそうする理由が無いんだよな。 オークランドにずっと住もうとは到底思えないし、だったらもっと放浪しなくてはだ。

 まあ、究極の定住案の一つである自分の個人事務所を開くためには、結構な量のコネクションがその町にいる。 ってことはきっとシニアデザイナーとして働いた事務所がある場所が定住地になるんだろう。 そう考えると今しかこの移住の嵐のような生活は出来ないわけで、だったら楽しんでやった方が良いとも思える。(引っ越し辛いけど。) 楽しんでこの引越し貧乏ライフをやるしかないのね。

 彼とバイバイした瞬間は結構悲しかった。 でも悲しんでばかりはいられない。 大丈夫。 これからも私達はいい友達だし、怖い目にあったり、いろいろと焦ったり、がんばったりを、違う場所でも同じ時期にできるのは素晴らしい幸運だ。
 
 じゃあね、大好き、擦れないでね、難しくならないでね、苦い人にならないでね、元気でねと手をふりあってバイバイ。  

「最低でも10日に一回はなんかの発見をしよう。 もし二週間以上何も発見がない生活を送っていたら焦ろう! 単純に好きだと思えるものをいっぱい見つけよう!」と約束した。

うん、バイバイだ! バイバイ!!! バイバイ! 

2009-02-06

オークランド博物館

 オークランド博物館は、ウェリントンのより規模がでかい。 





オークランダーの主要な人種の文化背景の展示、
産業革命以降のデザインのコレクション、
マオリやポリネシアの芸術文化の展示、
最上階は第一次、二次世界大戦での戦没者の慰霊碑があり、戦争関連の展示がしてある。 (そこには日本のブースもある。 零戦も展示されている。 そこは結構泣ける。 はじめて行った時はボロボロと涙が出た。 その話しはまたいつか。)

  オークランド博物館のマオリ及びポリネシア系のコレクションはすごいよと言われていたんだけど、本当にすごかった。 ウェリントンの博物館との力の差を感 じた。 ウェリントンの博物館は、正直ちょっと審美眼が弱い場所なので、「ここで見た物をマオリの全てだと思っては絶対いけない」と直感で思っていたんだ けど、本当にその通りだった。 すっばらしかった。

 やっぱり美術館とか、博物館ってなんだかんだで、力のある物を集めなきゃいけないと 思う。 物としての輝きがあるものを集めなくては駄目だ。 輝きがあるものは、雄弁に語りかけてくるもの。 なんでも適当に集めて、その横にテキスト置い たから多弁ですっていう態度では絶対にいけない。 

 初めて見た魅せられるマオリの彫刻達を見ながら、「やっぱりな、やっぱり、芸術がない文化は無いんだ。 優れた物には全部似たような力強さがある。」と本当に不思議な気持ちになった。 優れた物はなんだか似たオーラに包まれている。 なんなんだろうね、これは。











 大概のマオリの彫刻とかは元々嫌いじゃなかったけど、今回は「好きっ、っていうか言葉に出来ない。圧倒。」って状態になった。 素晴らしかった。 尊敬した。

 ウェリントンの博物館にある物達は、政治的に正しい状態にする為に展示してありますっていう程度で、作品数も割かれているスペースも広いのにあんまりピンと来る者が無かった。

 「人々はなんでだか分からんが、すごい物をどこでも誰でも作り出す。」という信仰があった私は「なんかおかしいぞ。 なにかおかしい。 どれもこれもB級のレベルにしか思えない。 本当に彼らの文化ってその程度なのか? ってかそんなの文化なのか? そんな人の集団ってあり得るのか? なんなんだ、誰か教えてくれ! こんなにクラップな物ばっかり何百年もこの人達は作ってきたのか?!」と混乱していた。 7年程、毎回行く度に「本当に、これが人類の宝として取っておかれる物なのか。 未来に残せる物はこれしか無いのか? それとも私がおかしいのか?」って思い続けてきたんだよね。

 すっごい人種差別者と思われながらも、友達に「マオリの文化には物を作り出す事によって、何か突き抜けようとか、光悦を得ようとかって発想は無かったのかなあ。 生気も覇気もない。 君は好きだって言ってたけど、本当に? 政治的に正しくいようとしてるだけじゃない? 見てて、体が驚いたり、目が離せないってなったりしてんの?」と聞く度に、白い目で見られていた。

 でも私は間違えていなかった。 やっぱりどの場所でも人はすごい物を作る。 マオリの文化の芸術は外のどれと比べる事も出来ないほどに素晴らしく、そして外のどれとも共通して素晴らしかった。 そして、ウェリントンの博物館はそれを全く収集できていない。

 この発見は私を元気にしたぞ。

 そういえばアジアの美術のセクションで日本の物として展示されていたのは、去年のギャルソンのコレクションだった。 やっぱりな。 ものすごく素敵な、素敵なドレスでした。 川久保玲は日本の宝だ。

Waitangi Day

 今日は国民の休日でした。 

この時期にニュージーランドにいるのは七年ぶり。 こんな休みがあったのなんてすっかり忘れていた。 高校生の時は心待ちにしていたなあと郷愁。 

 Waitangi Dayとよばれている今日は、1840年にマオリの酋長達とイギリス側がワイタンギ条約を結んだ日を記念した祝日です。

 っが、勿論先住民と侵略者達の結んだ条約がスムーズな物な訳が無く、今日は「英語訳とマオリ語訳の内容が違いすぎるぞぉ、ごらあ!!」と怒るマオリの人々+「英語読めんかったお前がわるいんじゃぁ!」の政府側の一騎打ちの日だ。 

 ほとんど呪いあいの状況まで険悪なディベートになれる、ホットなトピック、ワイタンギ条約。 しかも今では誰がマオリで誰が政府側なのかすらよくわからなかったりするから、もう訳が分からん。 

 高校生の時、この祝日の前後にかけてかなり学校でも話し合いをさせられたし、本物の紙っぴらも見に行ったりした。 でも、いまいちよくわからない。 でも、分からないという立場でいちゃいけない雰囲気もある。 「誰も分からないから、もめてるんだ馬鹿!!」と怒られるのがオチだ。(いや開き直ったら、何か道が開けたりするかと思ってと言い訳してみるも効かず。)


 結果長期的に政府はこの不平等条約を無視し、やっと不条理に土地や権利を奪われたマオリの人達の声が政策に反映されはじめたのが、1975年。 今でも沢山の裁判が続いているそうだ。 

 それにしても見事な程に私は何もこの事について知らないので、昨日は深夜オークランドの国立博物館で行われた「ワイタンギ イブ」のイベントにに行ってきた。 

 オークランド博物館では月1で、深夜まで博物館を解放して、パネルディスカッションとライブパフォーマンスをテーマ事に行っている。 イベント名もそのまんまに"LATE"。 

 ものすごく込んでいた。 結構有名なDJやバンドが来るって事で若い人が多かった。 


 パネルディスカッションも込んでいた。 ここはちょっと年齢層が高かった。 





 
 

ワイタンギデー

 今日は国民の

2009-02-05

ガーリーな感じ

 最近ガーリーなイベント用に仕事をちょこまか頼まれる事が多い。 本業とは関係ない仕事なんだけど、結構やってて楽しい。 優しい気持ちになる。





 それにしても倉庫ははじっこで作業していると寂しい気持ちになっていく。 もしこれから倉庫一個与えられて、「ここにデザイン事務所を始める感じでよろしく願いします。」とかなり大雑把な事を言われたら、まずは机は真ん中ら辺に配置した方が良いですよ。 元々机がはじっこに置かれていたとしても、真ん中に動かすぐらいの心構えでやりましょう。 





注文している家具が届くまで、昔の職人たちが使っていた家具を使っている。 結構味があって好きだ。 もう使わなくなった国際展示会用のスタンドを捨てるのがもったいないので、布をはいで色々と張れるように変えた。 とりあえず杉本博司展で買ったポストカードを飾る。 空間が変わる。 これで本物とか持ってたらどうなるんだろう。 うわーー! 将来オフィスを持った時にどんな作品を飾りたいかって考えると涎が出る。





 何故、机が二つあるのか。 答え。 一つだと変だったから+グラフィックデザインの人達もたまに工作する時に使えるから。 日常的には、片方の机でしている作業に飽きたら、もう一つに移動するってのをしようと思う。 大学の時もそうだった。 Macが置いてあるデスクワーク用のオフィスと、この机二つと、本を読む時用のソファーとコーヒーテーブル。 オフィスの台所にある食事用のダイニングテーブル。 家のデスク。 今年の私は机運がすごい。 机には不自由しない。 しかも使わなくなった展示台を含めたら、多分私は三十個以上は台を手に入れる事ができる。 大人になるってこういう事なのか。





ただ難点はこの青い机に座ると、ソファーが見えてしまって、そっちに誘われてしまうという事だ。 あと奥の部屋が見えて、社長さん達の仕事っぷりがこっちから観察できてしまうのよな…。 ちょっと気恥ずかしい。

2009-02-04

みんなでポーズ


 写真の整理をしていたら、正月らへんに友達と集まった時のを見つけた。

 アンドレ、リース、圭介、瑞穂というゴールデンな組み合わせでブラジルのトロピカリア展を見に行った。 みんなして真っ黒の服装をするグループの中で、全身緑色の服を着てきたランドスケープ建築家のその魂に痺れた事を思い出す。 「全身緑色の服の組み合わせってのはすごい」と賞賛して、名誉ある緑色のラインの場所に収まってもらった。 それにしてもみーちゃんが可愛すぎる。 あいやーって顔してる。

私と倉庫




 これが私の作業台。 オフィスはまた隣の部屋にあって、そこで大抵のデスクワークはしている。 そのオフィスはCEOとかマーケッターの子とかと共有。 ガタゴト音を立てられないし、ゴミを床に投げ出したりとか出来ないので、工作系の作業はここでやる。 一人プロダクトデザインオフィス。 グラフィックス系の人達はデスクワークスペースにいるので、結構一人。





 ミーティング用のソファー達。 夕方ら辺、疲れたらここでうずくまる。 奥に見えるスペースが台所。 そこでお昼とか作って食べてる。 





 そして、全く手を付けていない未開の空間。 実はロフトもある。 そこも未開。 広くないか? 私の目の錯覚なんだろうか。 すっごい広く感じる。 私がアーティストだったら、お給料までもらって、倉庫を使いたい放題なんて「良い話しだ!」だろう。 でも私はそんなに大きなものを作っちゃい無いので、結構この空間で何をしたら良いのか途方にくれる。 この空間に生命感を一体どうやったら与えられるのか。 

 机をはじっこなんてせせこましい場所に置いているから、がらんどうにうつるのだろうか。 でもこれでど真ん中に置いてもどうかと思うんだよな。 

 これで親しい友達とか、外のジャンルのデザイナーとかの子たちと同じスペースが使えたら、ものすっごく楽しいだろうなと思う。

 とりあえず、私の倉庫ライフは始まったばっかり。 もっともっと成熟した大人になった頃には、倉庫丸々一個を好きなように使える技を持てていると良いなと思います。

2009-02-03

オークランド

 オークランドには見たくない物が結構ある。 「ううっ、こんなの見たくなかった。」ってのの嵐だ。 まだ目が慣れていないからかもしれないけど、自然はとやかく都市としてはあまり美しくないと思う。 例えばこの歴史のありそうなタワーの裏には、ピッコロ塔のような物が。 そして、その下にある映画館もどう考えてもおかしい。 宇宙からの波動でも受信しているのだろうか。 視界に入ると思わず目を伏せてしまう。 変な町並みだ…。 










 オークランドにはアジア人がメチャクチャ多い。 人口の八人のうち一人がアジア人なんだそうだ。 ポリネシア系の人達も多い。 世界最大のポリネシア人の居住区らしい。 十人に一人がポリネシア人。 そしてマオリ人もずば抜けて多い。 マオリ人も十人に一人ぐらい。 住んでいる人種がウェリントンと違うから、街の雰囲気も文化もとことん違う。 私はたまにオークランドじゃなくて韓国に住んでいるのではないかという気分になる。 町中ハングルだらけ。 

 (アジア人は国籍を変えない人が多いから、永住権だけって場合もあるけど)でもみーんなしてニュージーランド人なんだよなあと思う。 こういうそれまで交わらなかっただろう人達がたまたま同じ所に移住して、それにあわせて様々な物事が変化していくのね。 私の孫の世代とかはどうなっているんだろう。 世界の多摩ニュータウンであるニュージーランドには結局の所誰も将来的には残らないんじゃないかと思ったりもするけど、もし、まだニュージーランドが続いているとしたら、結構面白いところになるんじゃないかと思う。 

 ただ、現状では各々の人種のコミュニティーが強い気がして、なんか不器用な感じがする面もある。 外の人種と交わらない感じなのかなあ。 まだ街のダイナミックスが分からなくて、何とも言えないんだけど、結構今まで住んだ事がないタイプの場所だから、おっかなびっくりだけど面白い。 

 あと教会がやけに多い。 韓国人コミュニティー用の教会をよく見る。 そしてポリネシア系の人達用の教会もごろごろある。 外にも色々と私にはよく違いが分からない教会がある。 教会ばっかりだ。 職場にもキリスト教徒の人とかいる。 これもウェリントンではあまり無かった事柄だから、新鮮と言えば新鮮。

 不思議な街だ。 まだ慣れるのに時間がかかりそう。 多くのウェリントニアンはオークランドを敵視していて、「オークランド=シンシティー」と刷り込まれてしまったのかもしれないんだけど、まだ街に対しての愛情が湧かない。 いつか慣れるのかなあ。

荷造り

荷造りが大嫌いだ。 特に国際間で行き来する荷物を作るのが本当に嫌い。 重量とか、送って良い物とか、全部、めんどくさすぎる。 旅行用程度の荷物なら全然問題なんだよ。 最低限の荷物だけですでに重量オーバーになっていて、にっちもさっちも行かなくなるような荷造りが嫌いなのだ。

 今、海外で行われるトレードショー用に我が社ではひたすら、荷造りをしている。 我が社っていうかミーがしている。 

スーツケース十数個目をつめ終わった時点で、あり得ないぐらいの重量オーバーになっていた。 でも、どれも必要なもの。 「こっから先は私は知らん。 数十万円ほど、追加料金を払ってくれたまえ!」と開き直るしかなかった。 本当に重いものはもう送ってあるんだけど、展示台など解体して手で持っていけるものは、持っていくことになったから、こんなに大変なことになっているのだ。 

 何を持っていって、何を送るのかは私が入社する前に決められた物事。 私には手の出しようがありません。 いたとしても、こんなに大変なことになるとはやってみなくちゃわからなくて、普通に「そうそう、節約節約」ってほざいた気がする。 

 合計で500キロは軽く超える荷物を全部解体し、(中には、ものすごいサイズの展示台もあった)ひたすらつめた。 しかもアメリカ、イギリスと巡礼するトレードショーなので、「これはイギリスで必要なくなるから、このスーツケースに入れて、誰々が持ってかえってくる」とかって頭を使わなくてはいけないのね…。 もう、くじけそう。 外注したい!! 日本で数人の友達が展示会の仕事についているんだけど、本当に電話して発注したかった。 全部やってくれ!! こっちに来て、私の代わりに展示会の下準備をしてくれ!!
 
 
 先週末はウェリントンに結構な量の荷物を大して詰めずにおきっぱなしにしていた荷物を友人が持ってきてくれた。 私の部屋に入居したその方は、私の荷物をまとめ、車で持ってくるという苦行を強いられたのだ。 荷物をおいていったのは私で、迷惑をかけているのも私なのだけど、相手から「これはどうしたい? あれはどうしたい?」と連絡が入るたびに失神しそうにイライラした。 「しらねーよ。 荷物のことなんて話したくもないよ。 全部適当にやって、うちの前まで運転して持ってきて、窓の外にそっと置いていってくれ」って気分になったね…。 やはり持ち物は24kg以上もってはいけない、という掟を自分の中で強くしたさ。

 そして、持ってきてもらった荷物を運ぶのも尋常じゃなく重かった。 運びながら、心では泣いたわ。

 全身筋肉痛だー。 ばきばきだー。 こんなに地味な仕事で、こんなに派手に体がいたくなるなんて。 ううう、荷物嫌い。