夕方の学校ってのはどうしてこうも切ないんだろう。
私の机にはさんさんと夕方の光が差し込み私の手の長い影が作業しているものにかかる。
今日で世界が終わっちゃうような気分にもなるし、同時に悲しいものやら淋しいものやらが光に洗われて消えていき素晴らしい明日が始まるような気分にもなる。 どちらにしろ、そのういう諸々を切ないとよぶんだろう。
切なさってのは、重くのしかかる何かを押しのけようとする、ささやかな心の運動の余韻な気がする。 余韻のテイストが全面に出て、その味が独特だから分からないだけで、実際の所意外と積極的な行動が原因なんじゃないかと、一日のうちの大半が切ない私は思う。 切なくなる為には、案外力強い生命力が必要な気がする。 影にすごい大自然が隠れていたりするんじゃないだろうか。 それこそ、この崇高すら超えたあっけらかんとしたニュージーランドの大自然のようなやつが。 そう考えると、切なさから大地へと繋がり直す、あっけらかんとした心が生まれる。 こうやって、「ああ、切ないなあ」っていう気持ちはポロポロと違う物語へ持っていかれて、沸々と面白いなあという気分になっていく。
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