四日間ぐらい部屋に籠って作業をしていた。 大昔に手伝った展覧会とかのTシャツに、タイパンツ、勿論スッピンで、風呂も入らなかった。 正直、それどころじゃなかった。
終わった事を喜び、一応服を買おうと街に出た。 髪をセットするのも化粧をするのもめんどくさく、帽子を目深に被り、とりあえずグラジなんだという主張をしようと、真っ赤なヴェルヴェットのジャケットに薄汚いズボンを履き、向かった先はユニクロ。
なんか全てがめんどくさかった。 クリスチャン・ボルタンスキーの物悲しい本を読みながら行ったよ。
女物を見るのもめんどくさいと、男物の一番安いセーターを試着した時に「あたしこんなんじゃいかん!」とやっと意識が戻り、一応女物を見る。 で、セーターを買う。 黒いタートルネック。 めんどくさい時は黒いタートルネック。 これはuniversal law.
名前と被っている帽子が一緒だという事で、友人の永遠の女性であるらしいアンナ・カリーナの話しをよくされる。 「あんなに可愛い服装の女の子はいないよ! 本当に可愛いんだよ」と映画まで見せつけられた事を思い出し、一応ちょっとオーバーサイズを買う。 せめてもの理性。 そして友人への貢献。
ちょっと回復してきたぞと、もっと服を見る。
友達はみんな良い人達だから「可愛い服装をしているね」とかって言ってくれるけど、家族はひどいから「もっと日本に適している服装をしてくれ」と言ってくる。 母は銭までくれた。 でもわかんねーよ、どんな格好したら良いのか。 しかし、この日本滞在期間中の冬服を買わない事には、私にはふざけたTシャツと汚いズボンぐらいしか持っていない。 母に泣かれる。
服を見ながら段々落ち込んでくる。 何も欲しい物が無い。 着たい物が無い。 お洒落って、怖い。 例えば何か用事がある時、「誰々とどこどこで食事をする」とか「大学のプレゼンで着よう!」とかあればそれはそれは楽しいし、女の子同士で遊びに行く前に準備をしている時とか最高に楽しい。
でもなんか今はそんな気分もない訳だ。 めんどくさいし、物欲も湧かないし、思わず、クリスチャン・ボルタンスキー。 こんなんじゃいかんと、なんだかゴージャスなジャン・ヌーヴェルの本も読む。 盛り上がりそうで盛り上がらない。
で、服なんて気にするから人生がめんどくさくなるんだと、はっと気がついた。 これはクラスの愛すべき男の子たちの理論を使うしか無いのだとひらめく。
「ねーねー、どうしていつも同じTシャツなの? ジーンズ二本しか持ってないの?」と言う度に、because I canと返してくる彼らと同じように生きようと決める。 そう、私はに出来るのだ。 出来るのだ! 何を着ても問題は無いのだ。 何を着なくても問題はないのだ。 Because I can! なんて心強い開き直り。
そして、先生達。 昔は学生だった彼らもよく見ていると同じ服を永遠と着ている。 ただ、素材感が良くて、Tシャツでもちゃんとアイロンをかける。 そして体を鍛える。 それが一番手っ取り早いんだ。 私のいつも一緒にいた先生は黒いスキニー二本と、Tシャツを片手で数えるぐらいと、同じ色のジャケット三つ(モコモコ、ヴェルヴェット、コーデュロイを気温によって着分けていた)と靴を二足しか持っていないけど、人生楽しそうだった。 そして私はそのミニマルさが分かりやすくて好きだった。
とりあえず、黒いスキニーを一本と長袖のTシャツ二枚を買う。 これで十分だ。 これと冷凍庫の中にヴォッカのボトルが二本いつも入っていたら私はそれで良しとする。
きちんと面倒を見て、清潔に着れば問題無し! 私は質素に生きるぞと、一人で満足。
なんだか今、本当にこんなんで良いのかって気分にもなってきたけど、何を持っているか忘れてしまうぐらいに物を持って暮すよりも、ちょこっとの物を持ち、空間に余裕があり身軽な方が今は良い、はず。
とりあえずこんな感じ。
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