まねしっ子ってのは平たく言うとつまらない存在だと思う。 まねするよりももっと他にやる事やら、やれる事やら、やりたい事があるだろうと思ってしまう。 迷っている時に目の前に自分の好きなスタイルとかがあったら、影響されたりまねしちゃったりするのは分かるけど、でもそこでそっちに走っちゃうのって、迷走をより深めてしまうに過ぎないと思う。
日本の建築やデザインは基本的にはとても面白いと思う。 デザインでも建築でも似たような物が一気に怒濤の勢いで様々な人達から生産されるのは、「時代の空気」とか潮流やらムーブメントってやつなのだろうか。 それともただのまねしっこの仕業なのか。 「っっえええーーー?なんでこんなに似ちゃうの?」ってレベルで同じような物をモブ達(100人中95人の人達)が作る。 どう考えてもラディカルさ無し。 ラディカルな建築家に憧れるのは分かるけど、彼らと同じような事をしてもその人自身は絶対にラディカルになれない。 根本的な要素は努力もせずに憧れている人の努力して得た特異性を流用しているだけだから。 せっかく誰かのラディカルさに憧れているのに、真逆な事になっている。
一つの視点やスタイルが流行るとみんなでまねしてしまうっていう悲しい位の、「流行にのらなきゃいけない」っていう切迫した感じがあるんだろう。 「おいおい、大人なんだからそんなに露骨な事すんなよ。 落ち着こうぜ。 自分が損するだけだよ。」って言葉を掛け合いたいよ。
そんな事を、あまりにも「これはねえだろっ」っていうレベルのまねをしている人の作品を見て思った。 もっと自分自身の、そして他の人の個性とか特異性を尊重してあげれば良いのに。 自分の性格とか個性とかをもっと尊敬してあげれば良いのにねっ!! そしてやっぱり簡単にまねしっこに自分がならないように、きちんと勉強しようと思わさせられました。 名作の模倣からは良い練習方法だし、いろんな事を学べる。 ただ、限度があるよね。
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