2009-12-11

decade

 友人のブログで、00年代が終る事について触れてあった。 

 10年前の事を昨日の事のように思い出せる年代になったと思うと感慨深い。 その頃私はイギリスに住んでいて、かの国はやけにミレニアムミレニアムと騒いでいた。 橋が出来たり、その橋が異常に揺れたり、観覧車が出来たり、花火があがったりしていた。 そして2000年の後半からニュージーランドに引っ越した。 私の00年代はニュージーランドのと重なる。
自分にとっては無色透明。 未来の人達から見たら、多くの、ほとんど全ての時期がそうなように非常に変な時期。 

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 今イギリスに住んでいる友達と、80年代リバイバルについて話していた。 日本の感覚だと80年代は多分、諸悪の根源的な扱いで見苦しい年代なんだろうと思う。 だから80年代のクールネスにあんまり反応できないっていう話だった。 さっきたまたま読んでいた、高橋瑞木さん(水戸芸術館現代美術センター学芸員)の文章、「不可能性の時代」のアート:諸行無常のポストモダニズムにおける実存の試みでも日本の80年代の独特さが書かれている。

社会学者の見田宗介はバブル経済の繁栄を享受し、高度消費社会に向けて邁進した日本の80年代を「虚構の時代」と呼び(注1)、それを受けて大澤真 幸はバブル経済崩壊、阪神淡路大震災、そしてオウム真理教による地下鉄サリン事件など、自然と人災によって脆弱な社会構造が露呈し、人びとがアパシー状態 に陥った90年代を「不可能性の時代」と呼ぶ。(注2)その「不可能性の時代」に成人を迎えた世代を、世間では「ロストジェネレーション」と呼ぶそうだ。 中略

ベルリンの壁の崩壊から、バブル経済の崩壊、阪神淡路大震災、オ ウム真理教の地下鉄サリン事件、そしてアメリカで勃発した同時多発テロからイラク戦争と、国内外の社会の混乱は言うまでもなく日本人の精神構造に作用した が、とりわけ視覚芸術家にとって強いイメージを刻印したのは、おそらくその後に目の当たりにした破壊の光景の数々ではないだろうか。阪神淡路大震災での家 屋や高速道路の倒壊現場や(注3)飛行機の衝突後にワールドトレードセンターが白い煙をあげて倒壊してゆく様子、そしてアフガニスタンのタリバーンによる バーミヤン石窟の大仏爆破の場面などがそれだ。その中でも日系アメリカ人、ミノル・ヤマサキ設計のワールドトレードセンターは近代化が生んだ国際様式の代 表的建築、バーミヤン石窟の大仏は歴史的に重要な文化遺産として知られ、どちらとも公に保護されるべきものでこそあれ、人為的に破壊されるべき対象とは誰 の思いもよらなかっただろう。このとき人々は、これまで蓄積された人智、理念、様式、技術、歴史が保護され、未来に伝承されるべきだという意識化の共同倫 理が、自分たちと同時代に生きる人間の手によって灰燼に帰した瞬間を目撃し、記憶したのである。

 確かに読んでいると凄まじい。 地獄の業火に焼かれるように苦しい神経症の始まりの太鼓がたたかれたって感じだ…。

 でも文章で「日本の80年代」って特定されているように、よそにはよその80年代があったんだよね。 そこに思いを馳せるのも大切な気がする。 だって、自分の中に流れる歴史性って絶対に一つの側面(例えば日本で起こった“事件史”)だけで形成されている分けないもん。 そこだけに焦点を当てると、自分の中にある面白い流れを塞き止めてしまう事になると思う。

 私にとっての80年代って音楽の時代だ。 後遺症には関わっているけど、バブルの時期にあった文化そのものにはあまり影響されていない。 でも、80年代の音楽には今でも強烈に影響されている。 で、多分それがイギリス文化圏とかにいる私たちの世代の特徴で、だから80年代リバイバルが強烈にあるんじゃないかっていう話をした。 70年代の最後にピストルズが解散して、次の世代の音楽(ピストルズのライブにいた42人の人達の音楽)が始まる。 それでJoy Divisionがあって、そのバンドがレイブカルチャーに直接関わっていく。 パンクからレイブ、ニューウェーブに流れていくその系譜が、今20代の人達からすると、ほとんど自分たちの今いる立ち位置の神話的な起源のようにうつるんじゃないかと思う。 思春期入りたての、一番自分に影響を与える音楽の起源が、自分に取っての聖なる音楽になるのかも。 少なくとも自分の事を考えてみると結構そうだ。 その時期のクールネスが発展した先に自分がいるのを結構ダイレクトに感じる。 年上の子たちが夜遊びをした後、ちょっと疲れた感じを持ちながら、昼間はティルマンス的な時間の過ごし方をしていたのを憶えている。 そういう時間に入れてもらえると嬉しかった。 自分は入れない夜のワイルドさがあるのも知っていた。 そこが憧れの先なのだろう。

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さて、00年代が終る事について書いていたブログには、同世代の作家の台頭についても書いてあった。 自分にとって自然な言葉で喋る人達が、表現者として出てきている。 背伸びの対象でも、新しさを求める先にでもなく、自分自身の身の丈とあった、今日の言葉を聞くようになってきた。

次の10年は自分の10年になるだろう。 子供とか孫に「アンナは10年代に色々やってた人だからああなんだよ。 ださいねー/面白いねー」って2040年位に言われるんだろうと思う。
 
だから良い服をきて、良い音楽を聴いて、良い作品に触れて、正直な言葉を沢山喋ろうと思う。 楽しみだ。
 

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