2011-10-18

あなたの迫力に私、くらくら

ちきりんのブログポスト、 2011-10-18「先進国生まれ」という既得権益を守るためのデモ がとても良かった。 その通りだと読みながら膝をばしばしたたいた。

私はほんとーーーに、先進国生まれってことで得をした人間の一人だ。

私が幼い頃の日本は勢いがあったし、他の国と色んな面で圧倒的な差があった。 

その時期に教育を受けれた事は、単純に学費が払いやすいとか、生活費が他の国の子よりも多く貰えるとか、とにかく利点が多かった。

お金だけじゃなくて、情報もそう。 「日本人なら誰でも知っているような事」が実は他の国では全然知られていない情報で、その情報のおかげで色々とすり抜けられた事って多い。

大抵の国で簡単に貰えるビザ、簡単に他の国の免許に交換してもらえる位に信頼性のある免許。 私はかなり、他の友達より「日本人/先進国出身」ってだけで得をして来た。

日常生活レベルでそれをバシバシ感じられる位に。

先進国出身ってのはあっぱれな位の特権階級に属しているって事だ。 お金も、情報も、信用も、特権も、芋ずる式に自分の国籍についてくる。 何もしなくても世界の上位10%に自動的にいれるようなものだ。

日本ではミドルクラスの私が、例えば政情が不安定であったり、不正が多い国での「エリート層の子供」と同じ位の経済力を持っているこの驚異。 生活保護を受ける事になっても、もしかしたら他の国のミドルクラスより良い生活できるかもしれない。

友達と出身国の話をしていると気づく事がある。

国内に貧富の差が激しかったり、貧民層が多ければ多い程、お金持ちはウルトラお金持ちなのだ。 「うちの国の地方の農民の平均年収は3万円位かなー」って所は、「でもって、うちの国の首相とかは世界で一番二番にお金持ちなんだけどね」ってパターンがすごく多い。 

「それ君の国の皆で分けて賢く使ったら、皆で先進国のローワーミドルクラス位には速攻でなれるんじゃないの…??」ってぐらいの格差。 日本ではそんな金持ちも貧困層もみた事無いってスケールがそこにはある。

子供だった頃はそれを馬鹿にしていた。 海外に留学してきているそういう国出身の子は大抵親がエリートだ。 「不平等の上で得たお金で、君は海外で贅沢三昧かい。 祖国では民主化すらされてないのに。」ってな感じで。 とんだビッチ。

でもそのパターンを沢山沢山みていて、さすがの私も気がついた。 
このパターンの全く同じのを、スケールでっかくして先進国はやっているのだ。

これまでの先進国は貧困をアウトソーシングしていたのだ。 日本が貪っている富の為に、遠くの国にきっと巨大な貧困があるのだ。 国っていう勝手な境界線をひいて「私とあんたは関係ないから」と気分よくいられただけなのだ。

どっかの後進国の首相やらエリートと農民の関係を、私は国境またいでアジアのどこかの子供とやっているのだろう。

"民主化されてない不平等な国のエリート層の子供"を私には笑えないし、どちらかと言えば「お仲間」なのだなと思い始めた。

それにしてもこの勝手な境界線が先進国の富を閉じ込めてくれなくなったら、「他の国みたいになっちゃう」のは目に見えている。 混ざりたくない人達と混ざらなくちゃいけなくなる。 そして、どうやらその境界線が機能しなくなり始めたようだってのは薄々分かって来た。

パジャマ着て学校に来ていた後進国出身の子たちが、気がつけば私より良い服来て、私より良い車にのっている様子をみながら、どうやら、このままのうのうとしていたら「私の子供の既得権益はそれほど際立ったなくなるんじゃないか」という危機感が、さすがの私にも訪れたのは、5〜6年前。

しかもその子たちの勝ち気さは半端無い。 辛酸なめて来た親とか一族郎党からのプレッシャーと期待と負けてたまるか根性で、もう「今勝たないで、いつ勝つんだ」って勢いで勉強して、働いて、遊びまくっている。 

そりゃそうだ。 ただ先進国出身ってだけでボケーっとしている奴なのに、なぜか自分より境遇が良い人達を山ほど見たら、根性も鍛えられるだろう。 それぐらい先進国側のした、見せびらかしはすごかったし。

ちきりんの日記に書いてあるように、インド人の旅行熱はすごい。 私の職場のインド出身の人達もほとんど皆世界中旅行して、世界中のご飯を食べて、常に次のホリデー先の話しをしている。 それ位たぶん興味津々だし、興味を持った先で、自分に何か良い事が訪れるという楽観的な期待もまだ強く持っている。

そして正直に言うと、彼らって話していてとても面白いのだ。 未来にワクワクしているし、「突っ走ってやる」って感じがすごく強い。

単純にその気持ちを持っているだけでも未来の形は変わるよね。

ちきりんの言う、


繰り返しになりますが、経済のグローバル化は、世界における「先進国と発展途上国」という境界線を無くし、代わりに別の境界線を引こうとしています。
これにより「先進国の市民という既得権益」もしくは「先進国生まれという既得権益」を剥奪されそうになった人たちが、世界中で抵抗を始めているのです。 デモをする人たちはいったい、誰と誰が平等になる世界を夢見ているのでしょう? via:「先進国生まれ」という既得権益を守るためのデモ 

っていうのは、自分自身で常に感じている疑問だ。 私は口では左寄りの事をいつも言うけど、それでも内心では子供は"先進国的状況" で生みたいし、育てたいし、既得権益を与えたいと思っている。 だから内心では常にそこがどこかとか、自分の持っている資源でそこに滑り込む為にはどうしたら良いのか考えている。

特に自分自身が人から怒られやすい立場「アジア人技術移民」だから余計に考えちゃうよ。

NZでは不景気になってから高校ドロップアウトしたような子どもたちが働く場が減ってしまい社会問題になっている。まだ隣のオーストラリアは景気が良いからそっちに行けば働き口があるけど、それでもジャンジャン流れ込んでくる技術移民に対してフラストレーションはある様子。

私はそこで典型的なアジア人移民として、インド人とか華僑とかの子たちとオフィスで働いている。 開き直って他の移民の人達みたいに「技術持っている方に仕事がくるのが当然!」と言えるかというと、実は先進国出身で甘やかされているし、左寄りの意見を言うように育てられてきたのでモゴモゴしてしまう。 「見える範囲では皆で平等がよろしいです。 見えない位の距離に貧乏な人達を囲いましょう。」みたいな事を言い出しちゃいそうな勢いだ。

なんだかわけわかんないよなぁ。 でも波に乗ってなんとかサバイブしていかなくちゃいけないのかなぁ。

職場で今日そういう事を言いながらお昼を食べていたら、「典型的な先進国のミドルクラス出身の贅沢な悩み」と笑われた。 そういわれてしまうと、ぐうの字も出ない。 「それよりも自分の貯金の事心配しな」と言われた。 あぁ! 現実!

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