今朝、皮膚に問題のある友達同士で遊ぶ夢を見た。 夢の中には沢山の皮膚病だったり、アレルギー体質だったり、アトピー体質の人達が出てきた。 私もその中の1人で、腕に現実よりもずっとシビアな蕁麻疹を持っていた.
夢の中で「人は、体質や体型が似ている人同士で遊ぶ気がする」と言い合って、私たちは解散した。
夢の中で私が見た炎症した皮膚には、なかなかな不気味な魅力があった。
呼ばれているのかなと思い、目が覚めてから思わずgoogleで"皮膚病"と検索してしまったぐらいに。 勿論現実の皮膚病は見ていてそんなに快感のあるものではないので、二、三枚写真を見てからタブを閉じた。
でも全く関係ない美術関係のページをブラウズしているときに、引っかかる写真を見つけた。 "意味"はないと思うけど、大抵日常はこうやって不思議と引っかかり合い繋がっていく。
ブルックリン在住の作家、Ariana Page Russellはとても敏感な肌を持っている。 軽く引っ掻いたり、こすれたり、平手打ちをすると、簡単に皮膚に触った形通りのミミズ腫れが出来る。 そんな体の特徴を使って作品を作っている。
なかなかに生々しく不気味で魅力的だ。 そうそう、私が今朝夢で見た友人の皮膚達はこんな感じだったと、彼女の写真を見ながら、自分の夢が現実にも形を持っていた事を嬉しく思った。
夢の中で私が言った、「人は、体質や体型が似ている人同士で遊ぶ気がする」というのは果たしてどれ位、信憑性があるのだろうか。
この考え方は、夢と現実が繋がるときのような、"意味"はないけど、"ちょっとした面白みはある"ってのとよく似ている。 「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないね」の大きな例の一つだ。
勝手に持った連帯感や親近感ほど、簡単に裏切られるものはない。 ほとんど、その裏切られた瞬間が、テープカットの瞬間だ。 物事はそこから始まる事が多い。
意味はないけど、ちょっとした面白みはある。
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