2011-11-01
怖いなと思う事
私は東電の原子力発電所の事故以来、放射能の被害をとても怖く思っていた。 三月の事故以来一日たりとその事や被害の状況を考えなかった事はなかった。 とてもとても悲観的に考えていた。 twitterでも大きな声で戦々恐々とした態度を示している人達を支持してきた。
正直言って、もう駄目だと思っていたんだ。 関東に住んでいる友達には、全速力で掴むもん掴んで走ってどっかに逃げてほしかった。 実家にも関東の地価が下がる前に家売って西日本に引っ越してもらいたかった。 その話を実家とする度に喧嘩になった.
そして日本のラジオのPodcastとかを聞きながら「なんでこの人達は原発4基が制御不能、内3基はメルトスルー状態、レベル7を超える人類史上最悪の原子力災害が現在進行中で、原子力緊急事態宣言が発令されている国に住んでいるのに、こうもその事を話さず、あたかも何もなかったかのようなスタンスで話しをしているのだろう」と不思議で不思議でたまらなかった。
「私は今関東にいたら、既に引っ越せたのだろうか? それともなんだかんだでまだそこにいるんだろうか? どうしたら、引っ越せていただろうか。 どういう精神構造に自分を持ち込めば、避難するという行動が結果としてできるのか。 自分がその立場になった時の為に、それを考えなくては。 ぱっと、"避難出来る人"でいる為にはどうしたらいいのか。」とかなり考えた。
でもクリスマスに2週間日本に帰ると決めた途端に、これまで消化出来ていた怖い話や悲観的な話しが全く頭に入らなくなった。 聞いても「へぇ〜!」って位になったのだ。 これまでは、いちいち打撃を受けて生活の質が著しく低下していたのに、今じゃ「へぇ〜、こわいね〜」程度。
この急変は見事なものだ。
多分、私の心は、自分がそこに足を踏み入れると分かった途端に、怖い情報を排除し始めたのだ。 私の頭とはそんなに関係なく!
航空券を買うまで、私は本気で悩んだ。 そして人類史上最悪の原子力災害が起っている国(しかも目的地は、原発から半径200KM以内)に行くと決めた途端に、「恐怖に対処出来ない!」と心がギブアップしたようで、怖い事が考えられなくなった。 「何悩んでたんだっけ?」状態。
タバコとかの恐怖とすごく似ている。 吸わない人からしてみたら「なんでそんな危ないもの吸うんだ、お前は愚か者だ」と思うけど、吸う人からしてみたら「私は大丈夫」。
私は今回の事で、全く私の理性は信じられないなと思うようになった。
元々そんなに私の理性とか頭は信じられないと思っていたけど、今回のこの自分自身の激変で「自分の理性は信じない方が、せめて若干は理性的だ」と思い始めた。
本当に、この心変わりのありようが一番恐ろしい。 これが私の抱えている巨大なリスクの一つだな。 もしかしたら、誰でもそうなのかもしれないけど。 怖いな。
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そういえば、マッキンゼーのリポートで日本の消費行動(主にITガジェット系)が他の先進国とくらべてどうだこうだと語られていた。 「この日本人の世界のトレンドへの興味のなさを見ていると、既に先進国じゃない感じ」とまで言われていて、「おいおい、原子力緊急事態宣言が発令されてて、メルとスルー状態の原発3基抱えている国をまだ他の国と同じ次元で語るか?」とシュールな気持ちにさせられた。 そりゃタブレット買うお金あったら、ガイガーカウンター買う方が理にかなってるでしょぅ! でもそんな社会的コンテクストは全く無視で、「はい、日本市場として終了。魅力なし。」と判断。 そりゃ、魅力はないだろう! でもそれはガジェット買わないからじゃなくて、もっと人類史上最強に危ない災害が現在進行中だからでしょ? …って、まぁ暖簾に腕押し。 本当に資本主義ってしぶといしなと奇妙な感慨に浸ってしまった。
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