2009-03-05
Charlie Alex March
この音楽を購入するか否かで悩んでいる。 アルバムカバーをクリックすると視聴できるサイトに飛ぶので行ってみて、聞いてみて。
「ああ、こういう音楽が体内で流れる生活がしたい」と思わせてくれる曲って良いよね。 きれいな音楽は聞くと、今の生活や体とギャップがありすぎて、ちょっと悲しくなってしまう。 音楽ってのは本当に自分の世界観のものさしだと思う。 こんなリズムがあるんだとか、こんな繊細さがあるのかって驚かさせられる音楽は素晴らしいけど、同時に「なんで知らなかったんだろう、どうなってる私の体内音楽」と焦る。 ほとんど郷愁のように焦る。 「変わりたい」と思っている人がいるならば、聴く音楽を変える事が一番手っ取り早いと私は思う。
ちょっとでも自分の体の感じ以上のものだと、その世界へのあこがれに胸が焦がれてしまうし、自分の持っている価値観のなかで「こういう世界観はちょっと避けたいぜ…」ってのを聞くとやる気がとたんに失せる。 ぴったりのじゃないと自分とうまく機能しないっていう意味で靴と似ていると思う。
淑とたまに音楽の話をした。 二人とも音楽は生々しく体に突き刺さるので、すっごく上質なマナーをこっちが持っていないと、たまにとんでもない目にあうという面でいつも合意していた。 だって空気と時間への色彩だから。 加工食品を食べ過ぎていると、味覚がおかしくなって何でも食べれるようになっちゃうように、音楽でもそういう事があると思う。 聞きすぎたら嫌な意味で耐性が出来てしまう。 そんな体になる位なら、いちいち音楽にびびっている立場の方が好きだ。 刺激と暴力を奪われた音楽に何の意味がある?
慢性的に動揺を避けるため、身を固めて過ごしている人がいるのをみる。 これは音楽だけの話じゃなくて、何に対してでも。 逆にただ動揺しまくる人もみる(多分今の私)。 ごくたまに、結構いい感じになんとでも接する事が出来る人をみる。 何となくそういう人になりたいなあと思う。
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1 comment:
聞いてみた。素敵だった。買ってくれ。
そして、引っ越しして、初めて迎える日曜日の朝に聞くのだよ。素敵な気分になって街に出かけるのだよ。
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