2009-03-23

ファック イン ヘル

 ファック イン ヘル。 地獄でファック。 壮絶。 やるなら天国で愛を作りたいね。

 さて、今日のブログは悪口の羅列です。 最初「うわっ、これは載せたら、多くの人を敵に回す」と思ったので、ターゲットを1人だけに絞り、彼女に電話でこのイライラの内容を伝えた。 そうしたら大爆笑されて、「ブログにも載せなよ」と言われ、まあ、確かに結構笑える内容だしと思い直し、載せる事にしましたよ。 さーーー、私の正直な世界へようこそ。 「うわっ、この人腹の底ではこんな事思ってるんだ」と思ってくれ。

 たまに美術やら芸術やらが好きなんだけど、でも自分とはかけ離れた場所にある物として考える人がいる。 そして美大生の間では卒業したら、即芸術にグッドバイで、「ああ、芸術は遠くに過ぎ去った…」的な事を言う人達がいる。 彼らは社会に出て、芸術やら美術やらは、自分の人生とかけ離れていったと感じるようだ。 

 私はそういう人を見ると「結局この人は何をしたいのだ」とムカムカする。 特に元美大生とか美術を専門的に学んだり、なんだかの形で関わっていた人がそういう事を言うとハラワタ沸騰。 エリーティズムなのかもしれないけど、「お前がそれを言っちゃあオシマイだろ!」となる。

 特に美大生がそういう事を言うと、90年代以降の現代美術史の根幹である「全ては工夫次第!」っていう概念を見事なまでに無視している気がして、「学ばなかったから遠くに過ぎ去っていったんだよ」と冷ややかに思ってしまう。 「毎日の生活に美術が関係なくなっていく…」的な発言を聞くと、「お前の中にオロツコはいないのか? ”介入”は? ”日常”は? トム・フリードマンの鉛筆削りの作品を見て、自分の毎日を変えなかったの? 本当に、こういう時の為の美術じゃん!!」と驚く。 現代美術って毎日を強く生きる為の発想をくれる作品が溢れているのに。 本末転倒な気がしてしまう。 もうちょっと勇気を持って日常に介入しろよ。 だから「君の美術史の教科書を見てみたい!!」ってなるんだ。

 学生の時は価値のある授業とか魂が震える作品とかを探さず、騒げる友達やら就職やらイベントやらを探してたかと思えば、就職したらしたでちゃんと不安タスティックの流行にのって「ああ、これで私/僕は良いのだろうか」ってやって、色々と周りの所為にして、ちょっと流され過ぎてやいないか?と思う。 周りに影響されて自分の見たい物が見えなくなる事を、脱構築や介入やひねりで防ごうとしていた作品がメインストリームだった現代美術の過去20年の遺産は無視なのね。

 だから「なんなの、本当に、もー、流行好きなの嫌いなの?! いったいどこのメインストリームにコミットしてるんだよ!」ってなる。 それにそういうやつに限ってリレーショナルアートとか好きで、騒ぎたがって、繋がり合いたがって、お前流されやすいんだから、下手に集団行動に手を出すな! それか誰よりも豪快に流されろと私は思いますよ! (ってここの部分は私のイベント嫌いが根幹にあるので本当にただの一方的な悪口。)

そんなこんなを切れ切れに友人に電話で伝えた。 話しながら、最終的に2人で大笑いをしたり、色々もっともっと気持ち良い話しをして楽しかった。 そして私が怒っている事と自分の立ち位置は全然違うのだから怒っているだけ無駄だなと思えた。 立ち位置が同じ人がいなかったので、寂しくなって怒っていたのかもしれない。 友人とは価値観が近いので、怒っているのもばからしくなり、楽しい話しをたっぷりした。

まあ、とりあえず、ファック イン ヘルだぜって思わせられる発想ってあるよね。

No comments: