2010-04-29

のまれちゃってた

 最近は自分の先の事ばっかりに、気持ちがのまれちゃっていた。 結構疲れた。

 あーでもない、こーでもない、これが欲しい、これが欲し くない、あれがしたい、これがしたいってのに、どっぷり浸かってみて、自分の業の毒っけにやられた。 最終的にはばかばかしくなってしまった。

  最近日本、外国っていうのをよく考えた。

 過去のブログを読んでいると、学生の頃は日本やニュージーランド、イギリスっていう特定の地域 の事を、区切って書いたりしていない。 自分の移動に対する体感が、とてもシームレスだったから。 はっきりとした境目は持っていなかった。 

  働き始めてから急に、ジェレライゼーションが激しくなった。 君は、山本七平にでもなりたいのかいってぐらいの日本語り、外国語り。

 働き始めると、税金も今まで以上にたっぷり払うし、急にぐっと広い年齢の、色んな人達と出会う。 だから嫌でも社会性みたいなのは芽生えるんだと思う。 
 
  大人は裏方だ。 子供たちの為に必死に良い社会をつくろうとする。 子供のうちは、その大人の努力に気がつかない。 働く事の意味や、具体的な動労のイメージは、裏方になって、働きださないと掴めない。

 特に私の場合は親が働いている国以外で働いているから、特にロールモデルが乏しかったんだと思う。

 それでニュージーランドの事を今までの視線と違う風に理解すればする程に、日本と比べたくなったんだと思う。 私の持っていた「働くってこういう事だろう」っていう感覚は、現実の自分が体験している事とすごく違っていて、それに驚いて、「日本と海外」っていう枠組みでその ショックを表現しようとした。

 また時期的に私は、将来どこに住みたいのかっていうのを調査していた。 色んな国の法制度や、社会の成り立ち方を読んでいたから、それでやけに‘選択者目線’になったんだと思う。
 
 私の周りにはコスモポリタンな人達が多かった。 大抵の子は何個か永住権や国籍を持っていたし、色んな言語を話した。 私も、親がそういう環境を与えてくれた。 子供は親に与えられて、初めてそういう暮らしが出来る。 私達が当たり前に思っていた事は全部親達にお膳立てしてもらって初めて成立する事だった。

 当たり前の話、大人になったらそれを自前で調達しなくちゃいけない。 そして、大人になってから、大人の自分に、そういうチャンスを与えるのって思いのほか難しい。 ビザとるのとか、本当に努力がいる。 「フランス料理にするか、イタリア料理にするか」とかってノリで選択できるものじゃない。

 それに家族は年を取るし、自分 も新しい家族を始めるような年齢になる。 もし自分が新しい家族を始めるのなら、今度は相手の家族もケアの対象に入ってくる。

 若いうちの武者修行は色んな所でやってみたいのだと思いつつも、同時に家族との時間も恋しい。

 そういうの悶々と考えるうちに、結構のまれてし まっていた。 でもだんだんと浮き上がってもきた。

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