体とか、病気への対応って、地域柄が出ると思う。
サブスクライブして読んでいるブログでたまたま体について書いてあったので興味深く読んだ。
産後うつと中村うさぎとタイガー・ウッズ by クローデン 葉子さん
中村うさぎ著書にみるビョーキに対する日米差異 by 渡辺千賀さん
前者はイギリスに住んでいる日本人の方、後者はアメリカ在住の日本人の方が書かれた記事。 主に医療や病に関して、日本とそれぞれの国でどう違う対処がとられているかについてと話している。
違う国に引っ越して、医療制度や“健康”って言葉の意味の差に驚くのは王道だと思う。 制度的な面でも、技術的な面でも、そして倫理であったり、身体への認識とか、見事に地域ごとに違うから。 食べ物とかと同じ位のレベルで文化の違いを感じる事が出来る。
そして私も、上に書いてある二人のブログの題材になっているように、産婦人科的な事と精神に関する事の差は特に感じる。 身体観やセックス、ノーマル、アブノーマルに関する認識の違いがモロに出るので、差が見えやすいからだろう。
以前にも書いたけど、こっちではGPと呼ばれる地域の医療センターにいる医者に自分を登録して、かかりつけになってもらう。 緊急事態の場合以外は、まずそのGPに会い治療してもらう。 だからよっぽど専門的な治療が必要になった場合以外は、内科/外科/産婦人科/眼科っていうカテゴリー無しに、診察される。 定期検診やら癌検診やらも、GPにやってもらう。 恋人が出来た際や、誰かとセックスした際もGPに会いに行って諸々の検査をしてもらうし、家族計画やらなんやらも一緒に考えてくれる。 ものもらいが出来たときに会う人と、ピル処方してもらう為に会う人が同じってのは面白い。 渾然とした自分の体をそこに感じる。
だから相手に対しては、日本での医者患者という関係よりも、自分と健康管理のコーチ/アドヴァイザーっていう感じがする。 治療されに行くと言うよりも、自分自身をマネージする為に行くという感じがする。
なんでそういうふうに感じるかというと、‘知る’って言う事に重点が置かれているからな気がする。 すごく説明されるし、自分自身から色々質問する事を推奨される。 ブックレットとかも結構置いてあるし、病気の予防も治療も、薬よりも何よりも基本的な知識とそれに基づく実践が大切なのだと言われている感じ。 そういう意味で結構プログレッシブだと思う。
他民族国家の場合、医療関係はプログレッシブな態度を突き抜かないと、多くの人の医療を受けるチャンスを奪ってしまうのだと思う。 興味深い。
どんな病院やGPであれ、でかでかと“ニュージーランドにおける保健医療、障害者サービスを利用する際の権利”が張られているのが面白い。 これは保健医療•障害者サービス委員会という行政のグループが啓蒙している事柄。 そこのウェブサイトに行くと、三十カ国語以上に訳されたリーフレットがダウンロードできるので、英語と、その地域に多い民族の独特言語版で医療機関に張ってある。
大体こんな感じ
1. To be treated with respect.
1.尊重と共に治療される事
2. To be treated fairly without pressure or discrimination.
2.強制や差別の無い公平な治療を受ける事
3. The right to dignity and independence.
3.個人の尊厳と自主性の権利
4. To receive a quality service and to be treated with care and skill.
4.高い品質のサービスと、技術とケアの伴った治療を受ける事
5. To be given information that you can understand in a way that helps you communicate with
the person providing the service.
5.医療関係者とのコミュニケーションを助ける、あなたの理解できる情報が提供される事
6. To be given the information you need to know about your health or disability; the service
being provided and the names and roles of the staff; as well as information about any tests and
procedures you need and any test results. In New Zealand, people are encouraged to ask
questions and to ask for more information to help them understand what is going on.
6.あなたの健康と障害に関する知る必要のある情報を与えられる事:サービスの内容、職員の名前とその役割、検査や治療の内容と検査結果。 ニュージーランドでは自分が受けている治療を理解するため、医療関係者に質問をする事、より多くの情報と助けを求める事を推奨しています。
7. To make your own decision about your care, and to change your mind.
7.自分の意思でケアを決定でき、またそれを変更出来る事
8. To have a support person with you at most times.
8.ほとんどの場合において付き添いを伴える事
9. To have all these rights apply if you are asked to take part in a research study or teaching
session for training staff.
9.医療研究、あるいは研修実習の被験者となった場合でも、これら10項目が適用される事
10. You have the right to complain and have your complaint taken seriously.
10.サービスに対して苦情を申し立てる事ができ、その際には真摯な対応を受けられる事
NZでは、自分が自分の体のコントロールを持てている、マネージ権を持っているいという感覚を重視するのだと思う。 受けている治療について深い理解を持つ事や、「あなたはこれらの事を自発的に求めて良いんですよ」っていうリスト自体が、その自分が自分の主権を持てるように誘導されている。 これは同時に医療関係者がもめ事を回避するために、啓蒙しているツールなんだとも思う。 「アーサティブでいようぜ」っていうメッセージだ。
別にどっちが良いとか悪いとかじゃなしに、随分日本と感覚が違うんだなと驚いた。
以前日本で鬱病の治療を受けている知人が、もしかしたら、その治療の流れを理解できてないのではないかと思えた事があった。 その人は、基本的に医療に対して受け身で、そして治療を受けていて、投薬されている自分自身をみじめな存在として捉えていた。
もしかしたら、そういう発想になってしまうのは、鬱病だったからかもしれない。同じ精神的立場に立っていない私にはそれが「医療サービスと患者」の立場によって生じている事か、それとも「病気の性質」がそうさせていたのかは分からない。 ただ違和感が強く残った。
NZでは「薬を飲んで、精神的な余裕を作り、その間に根本的な原因などの対処をする」っていう認識が強いのではないかと思う。 職場環境であったり、人間関係であったり、鬱的な状態でいたら問題解決が出来ないだろうから抗鬱剤を処方されるのだと思っていた。 その人はあたかも、抗鬱剤を抗生物質のように捉えていて、根本的な治療がそこにあると思っているように見えた。 そして患者さんが治療を受ける事で自尊心が低くなっているのも含めて、医療提供者側の説明不足なのでは無いだろうかと思った。
そしてもしかしたら日本では「自分が自分自身に対するコントロールを強く持てている」っていうメンタリティーが治療の支えにならない/求められていないのかもしれない。 愚痴るのも治療のうちなのかもしれない。 その「相手の方に力がある」っていう受け身な状態も確かに安心感あるし、絶対感を感じられるから。 私はどっちの考え方で接された方が早く治るかは分からないから何とも言えない。
だから、多民族で形成されている国での、医療システムの方法論を作るってのは非常に難しいんだろなと想像した。
NZでは医療通訳を無料で提供してもらえる。 以前一緒に住んでいた人は、緊急治療室に勤める韓国人の看護婦の方で、韓国人の方を中心に治療を行っていた。 「この方法が普遍的」ってのが無いから、包括力の強いプログレッシブなポリシーとともに、多元主義的アプローチがとられているのだろう。
興味深いなあと思いながら、眺めていた。
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