日記の中で彼女はこれからの若者の選択肢として以下の事を書いている。
1.「雇ってもらう」ことをあきらめ、起業する。
2.若者にしかできないこと(高齢者にはできないこと)で食っていく。
3.仕事のある中国やインドに行って働く。
それにね。当面、若者はどんどん貧乏になるから、高い家賃が払えなくなっていやおうなくシェアハウスに住む人も多くなる。ああいうところは、神経質すぎる人、清潔でないと生きていけない人、違う価値観の人と折り合えない人にはとてもつらい。
子供の頃から個室が当たり前で育った僕ちゃんは、このままではアジアでなんて絶対働けない。でもお金がなくなるとそうはいかない。いやでも住む場所を他人と シェアすることになる。すると、性格がおおざっぱになり、雑多な環境にも慣れる。そう、インドや中国でぐちゃぐちゃになりながら働くのに適した性格の人が いつのまにか増えるのだ。
お〜!! 日本、明るい!!!
ここに書いてある事全部に対して、少なくとも自分はそうなるんだろうなという実感を持っている。 私は雇ってもらう事を諦めているし、(というか40才とか超えてまで雇ってもらいたくない。 自分で自分のボスになりたい。)自分の世代の優位な技術とかで食べてかなきゃどうしようもないだろうと思っているし、日本人相手だけに商売する気は無い。多分これは私が特に私が意識的にそうしたというよりも、これが私の育ってきた場所の標準だからだと思う。 よその国でどうだかは良く知らないけど、ニュージーランドでは高校でも大学でも、そして就職先でも 1.自分で自分が雇用できる人になる 2.自分の特種技能を持つ 3.若いうちは海外で働く のが基本だとして教えられるし、別に誰もそこを疑っていない。 人口四百万人の国家だと望もうが望むまいがそれが当然の事なね。
そしてここが日本との違いだと思うんだけど、ニュージーランドの多くの人はそれを誇りに思っているし、人生に与えられた豊かな選択肢だと考えている。 日本でそういう話しを聞くと、「悲劇」とか「悲惨」ってニュアンスになるけど、別にそういう感じはこっちにはない。
自分がどの国でも働けるような技術を持っていたり、若い頃に様々な国住める事、沢山の経験を積む事はとてもワクワクする話しだし、自分が家庭を持ったら、子どもたちとの時間をもったり旅行に行ったりする為に、やっぱり自分が自分のボスだと何かと楽だ。 リタイアする時は、その会社を売って退職金にすれば良い。
一つの成功例なんだけど、大学の先生達世代(二十年前の学生たち)のデザイナーは卒業後ウェタワークショップを設立した。 コンピューター技術が自分たちの世代の専売特許になると思ったからだ。 彼らはその産業とともに育ち、ロードオブザリングやアバターの特撮を担当して、数々の賞を受賞した。 彼らは、まあ勿論十分にお給料もらってるだろうから会社売る必要も無いかもしれないけど、そうしたければいつでもリタイアしたいときにリタイアできる。 自分の会社を売った値段が、これからの自分の人生にかかる値段を超えていたら良い訳だから。 そしてそこには海外で就職するのも、自国で就職するのも同じ視線で考えている世界中の人達が働きにきている。 ニュージーランドはそういうのり。
私の教授たちはそうやって暮してきたし、多分私達はもっとそれが活発になるのだろうと彼らは言っていた。 「これからは住む場所に縛られなくなるから、僕 らの世代より色んな場所に行けて、色んな物が見えるんだろうね」ってさ。 そして彼らはかなり熱心に新しいこれからの産業と技術を私達に探求しろと口を酸っぱくして言ってくれた。
親世代が今引退を始めているんだけど、やっぱり会社や家を売ってその費用にしている人達が多い。 それで舟を買って世界一周したり、親の家の近くに小さな家を買ってゆっくり暮したりしている。
勿論、全員が全員そういう起業家体質じゃないから、結局は人それぞれだけど、「人それぞれの成功体験」のバリエーションが、日本より多い気がする。
最後にフラットについて。 私は世界中の若者の暮しかたを調べた訳じゃないけど、見て来たり聞いてきた話から推測するに、こんなに人間が一人暮らしをしている地域って日本以外に無いんじゃないかなぁ。 やっぱ家電を作ってでっかくなった国なだけあり、白物家電も何もかも一人一人に売りさばくっていう戦略をとったのか、松下? それとも不動産屋さんの陰謀? やっぱ駐車場にしろ、部屋にしろ、小さい場所から最大の利益を上げるって、一人一人から結構な額をとるってことなのかなあ。 私はそうやって解体できる単位にまで社会を解体して消費させた事が、結構根本的なダメージを社会に与えたのではないかと、たまに真剣に思う。 こんなに国民が一人暮らししている国って他にあるのかなあ。
家電及び不動産業界の人には申し訳ないが、少なくともイギリスでもニュージーランドでは若い人達で一人暮らししている人ってすっごく珍しい。 一人暮らしをしているのはアジア人の大金持ち留学生ぐらいだ。ものすごく狭い部屋に、莫大な費用をかけて住んでいる。 一人暮らしの場合は全てがものすごく小さく、そして高い。
典型的と言われる人生ラインは18歳で家を出て、フラッティングをし、段々と家賃を上げていって、最後にはけっこう綺麗なフラットに親しい人達や自分のパートナーと住み、今度はパートナーと二人で住み始めるって流れ。 勿論人種や宗教、家族関係によって形は全然違うけど、メインストリームはそんな感じ。
白物家電は家についている場合もあるし、そうじゃない場合はみんなでお金を出し合って中古のを買って、引っ越す時にまた売る。 家具然り。
私は引っ越しの際に必要じゃなくなった物は、救世軍に寄付している。 そうすると救世軍の持っているお店で売られて、その売り上げがチャリティーに回される。 宗教的には、全く救世軍とは関係ないんだけど、出来るだけいつも必要な物が救世軍で売っていたらそこで買って、いらなくなったらそこに寄付している。 彼らのチャリティーの活動内容が結構好きだから。 連れ合いは、ホスピスショップ(売り上げがホスピスに行く)を良く使っている。 そうやって生活費を安くして、旅行に行ったり、たまに美味しいものを食べたりしている。 私はこれぐらいで、別に良いんじゃないかと思うのよね。
光熱費やらなんやらの基本料金も全部家の人と割り勘できるし、家のメンテナンスや掃除も交代制にしているから楽。 階段をあがるように、段々とメンテナンスの必要な大きな家に引っ越していったから、家や庭の面倒のみかたも学んだ。 フラッティングの最大の利点である、安いお金で大きなスペース得て楽しんでいる。 でっかい一軒家が私は好きだ。 居間と寝室とダイニングと風呂とトイレははなればなれであってほしい。 庭も欲しい。
そして何よりも、私がフラッティングしていてよかったなと思うのは、一緒に住んでいる人達に何かがあった時に支えてもらえる事。 喧嘩をすることもあるけど、風邪引いた時とか、ちょっとくよくよしている時、家の中が健康的で他の子が活き活きとしているのはすごく支えになる。 別に家族でも団体行動でもないので、チームワークは感じても、べったり一緒な関係では全くない。 それでもやっぱり精神的な安定が本当に得れるし、人と一緒に生きるっていう基本的な事を学ぶ事ができる。
一人暮らしもしたい人はすれば良いけど、でもやっぱり生活方法にはバリエーションがあった方が良いと思うんだ。 色んな暮しかたの中から選べる方が幸せな生活を得やすいのではないだろうか。 その為に「こういう幸せな暮しかたもあるよ」っていうのの品数がもっとあって良いのと思う。 若者なら、一人暮らしか実家暮らし、もしくはネットカフェか路上とかって、選択肢が少なすぎる気がするし敷居高すぎる気がする。 日本の不動産のルール、遠慮を込めていっても奇妙だし高額だし。 もっと、もっと、クリエイティブに、色んな幸せな生活の仕方をどんどん実験していいのではないかと思う。
そんな事を、ぼんやりとchikirinの日記読んで考えました。
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