2012-08-24

8.24 嘘つきアーニャの真っ赤な真実


ものすごーーーーく面白い!

結構古い本なんだけど、まったく古びたところがなくて、すごく新鮮でキラキラしている。

大切なことが沢山書いてある。 エッセイとか思い出話とかってジャンルになっているけど、実際はかなり真摯に、ジリジリと心にわき上がる問題に対して、一つの魂がどう向かい合ったかの告白の本だ。 個人の歴史書。

米原さんは1960年頃プラハのソビエト学校に行っていたんだけど、その時の友達との思い出と、その30年後に出会い直した彼らとのエピソードが書かれている。

すごく興味深くて、現代にも、人間が行きている限り未来にも続くであろう問いが沢山出てくる。

その中で一つ面白かったエピソードは、ソビエト学校に来ている様々な国の子たちの愛国心の話しだった。

私も移民国家で多国籍な人達がいる学校と会社にいたんだけど、そこで感じる「愛国心のパターン」を彼女がすごくドライに書いていて、「そーーーなんだよ!」と膝をバンバン叩きながら読んだ。
在プラハ・ソビエト学校には、五十カ国以上もの国の子どもたちが学んでいたのだが、故郷を離れているせいか、どの子供も一人残らずイッパシの愛国者であった。 そして、故郷への愛着は、故郷から離れている時間と距離に比例するようなものであった。 この距離というのは、地理的というよりも政治的、文化的意味合いの方が大きい。 
たとえば、亡命者の子女で、両親の故郷に行ったこともない子どもほど、今現在は両親の政治的立場とは敵対する母国の自慢にひどく力が入るのである。  
(中略) 
それでも、このときのナショナリズム体験は、私に教えてくれた。 異国、異文化、異邦人に接したとき、人は自己を自己たらしめ、他者と隔てるすべてのものを確認しようと躍起になる。 自分に連なる祖先、文化を育んだ自然条件、その他諸々のものに突然親近感を抱く。 それは、食欲や性欲に並ぶような、一種の自己保全本能、自己肯定本能のようなものではないだろうか。  
この愛国心、あるいは愛郷心という不思議な感情は、等しく誰もが心の中に抱いているはずだ、という共通認識のようなものが、ソビエト学校の教師たちにも、生徒たちにもあって、それがたわいもないお国自慢をしても、それを当たり前のこととして受け入れる雰囲気があった。

日本でだと愛国心って信仰のレベルって扱いだ。 ほとんど、「進化論を信じますか?」「聖書を信じますか?」って感じのトピックと同じ扱い。 だから両方が両方を過激に否定し合う。

でも多分、愛国心ってのは、 そんな理性でうんたらって次元の話しではなくて、もっと食欲や性欲に並ぶ感覚のものなのだろう。 否定するものでも肯定するものでもない。 ただ技術と共に上手く取り扱うものである。

「元々あるもんだ」と思えば、コントロールの方法や、上手な対処法を考える気になれる。 それこそ地球上には様々な食事の方法やセックスの技がある。 多分、自分の愛国心の取り扱い方も、それぐらい多様で良いんだ。 それ位に素朴なものな気がする。

それにしても、本当によく、こんなに細かく緻密に言葉を使っていろいろ描写出来るもんだなと感心感心。 これから米原万里さんの本を読みまくるぞ。

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