2010-01-25

多分、そんな事ないと思うけど

 たまたま小さい時から周りの人に、私の世代の子は大きくなったらきっと外国で働く事になると言われて育った。 多分出稼ぎって感じよりかは、もっと明るいグローバリゼーションにのとった発言だったんだと思う。

 日本で大学生やインターンシップをしている時には教師や周りにいた大人たちに「就職は絶対に海外でしろ」と連呼された。 歴史家が多い環境にいたんだけど、彼らは日本はもう末法って感じに時代を眺めていた。  今の日本は"自己破産寸前の家が、正月恒例の海外旅行をやるって程度の舵取りしか出来てない"、よっていても私の世代は損するだけってのが彼らがくれた理由だった。 そんな馬鹿なと思いながらも、頭の中には結構残った。

 日本でリクナビかなんかが主催の就職フェアに行った時、そこにいる何万っていう学生を見てこりゃ敵わんと思いクラクラした。 とんだドングリの背比べだ。 そこはかとなく暗い気持ちになり、そこにいた就職カウンセラーの人に色々と質問した。 「こういうシュウカツをして、大きな会社に入るっていう黄金ルートを通らないと私は不幸になったり地獄に落ちたりするんでしょうか?」と聞いたら、その就職カウンセラーの人は「こういうシュウカツはやってるふりなだけで、実際の就職活動じゃない。 良い仕事や良い人生ってのを考えた時に、もっと自由に職業を選ばなくては/色んな方法で仕事をさがさなくてはいけないって気がつくはず。 仕事はそうやって探すべき。」と言われた。 地獄に仏とはこの事なり。

 大学の教授は社会人になった最初の数年間は「良い人間たちがいる会社で働く事が重要」と私に言った。 「愛情深い家族が持てている人達が多くて、色んなライフステージの人間がいる会社」ってのを、社会人人生の最初に見ておかないと、感覚が狂うってのが彼の主張だった。 また私が女であることも気にして、子供を持っている女の人が多い会社ってのが彼の選考基準だった。 「これから2年間ぐらいは、ビジネスの廻り方とこれからの人生と家庭について学びなさい。 デザインはその後についてくる。」と言われ、彼が決めてくれた先の会社に私は就職した。

 ニュージーランドではまず国内で就職できる事が珍しいので、大抵世界中でシュウカツをする。 実際クラスメイトの間で、卒業と同時に国内で工業デザイナーになったのは私だけだ。 みんな当然のごとくいろんな国の散らばっていった。 

 いつか起業をして、自分が自分のボスになりたいと思っているんだけど、その時にベースがどこであれ(仕事の仕方によれば、これからは別にどこの国にいても働けると思う)、市場は中国とかインドとかになるんだろうと思っている。 どっかで別に日本の人に物を売りたいとかって気持ちにならない。 また今とてもエキサイティングなプロジェクトを友人と細々とやっているんだけど、それも特に日本の若い人へっていうよりも、日本を経由して、他の国の同じ世代の人とかに発信したい。 発信先の対象に日本も含まれるけど、one of themって以上に考えられない。

 今回日本に帰っている間に、すごいクリエイティブな人達に会った。 一部の人達は酷く日本に憤慨していて、憂いていた。 15歳ぐらい年上の彼らは、きっとどっか私よりもずっと日本の成長や、日本にいる事でもっとよくなる自分の人生っていうのを小さいときに言われていたんだろう。 だから傷ついているし、こういう憤り方をするんだなって見ていて思った。 彼らはすごく悲観的で斜に構えた発言をしていた。 でもその内容が、こっちからすると普通の事柄だったりして、それにも驚いた。 彼から見たら、私の人生や人生観って地獄絵図そのものなのかもしれない。

 私は何よりも、その傷ついている大人に対して、シンプルにかわいそうだと思ってしまう。 多分、私より楽観的な時代に育ったんだろう。 こっちは最初から結構警告されていたから別にそこまで傷つかない。 "政治家を見ていると「日本が嫌いなのか?」と奴らの行動に腹が立つ"とか、"中国市場はでかいけど、餃子に毒を盛るような奴らとは働けない"と言う彼を見てその繊細さに驚いた。 そういう神経に育てられていたら、そりゃ現状は辛いだろう。 提示されていた将来と、今の違いにもがく事になるのかもしれない。

 シュウカツしていたり、転職を考えている友達に日本で沢山会った。 

 私は連れ合いとの家庭の為に仕事をしたい。 人生の為に働きたい。 仕事の為に働きたくない。 仕事の達成感や、そこからの恩恵は、家族や大切な友達との時間に使う報酬にしたい。 そこをしっかり意識しながら仕事をしたい。

 でもこれも単純に私の周りの大人が私にそう言い続けてきたからだろうなと思う。 もし私の周りの大人が「仕事の為に仕事をする事の美徳」とか、「若いうちは死ぬほど働け」とかっていう話しをしていたら、それをころっと信じていただろうと思う。 

尊敬するデザイナーの山中俊治さんのブログ、「デザインの骨格」にこういう事が書いてあった。

"最後の方で石井さんが、十歳下の古田さんに贈った言葉が印象的でした。

「あなたのような立場の人が、理想に酔った宗教者のように、一週間も寝ない事に象徴されるような自己犠牲を良しとする発言をするべきではない。宗教 家古田貴之とリアリスト古田との落差を埋めるために、ドーピングを重ねたような状態で無理に走り続けていくと、いつか必ずこわれます。実績を持つあなたが そうなったら、多くの人を巻き込んでしまう。あなたには古田貴之を信奉する若者がたくさんいる。そうした人たちを育てて欲しいし、百年後を変えるような仕 事をして欲しいから、どうか体を大切にしてください」"

これを読んでいたら色んな事を考えさせられた。 私はどう暮していきたいのだろうか。

4 comments:

Lefol said...

それなりの理由があってのことですが、
日本に行くときはいつも、「戦場に向かう
ような心持ちってこんな感じか」と思います。

物心ついた頃から何だかいつも日本以外の
”カイガイ”に出たくてしょうがなかった気質のみで、
私の周りでは、就職や仕事や人生のことを示したりサポートしたりしてくれるような環境や生身の
出会いがありませんでした。

あっても、自分の妄想を広げ過ぎて気がつかなかったのかな。
そんなわけでとにかく当たって砕け、何だか自分にとって
道らしく見えるところに踏み入って歩いてきた気がします。
思えばかなり動物的ですね。
そんな自分に罪悪感があったりもしましたが、そう生きる
楽しさを味わい、覚悟も備わりました。

これからは日本向けでなく、日本を通して世界へ発信したい、
という思いに共感します。

shione said...

うーん共感。私がしばらく社会人そのものを降りることにしたのは、人生のために働けるようにするため・・・オザケンじゃないけど、いまの流行りとは別のペースで生きる場所を本当に探したいんだったら、一回この電車を降りなきゃダメなんだろうな、って思った。

最近過ごしてた環境では、暴走に巻き込まれたときに、社会にいいのか?これ、ってことにただ加担するしかなくなりそうだった(くらっ!)。事態が進んじゃってからじゃ仕切り直すのは相当大変だろうなと思ったんだよね。自分より若い子に全然教育的でない影響与えるのつらいし。3年間いた分はそれはそれで意味はちゃんとあったけど。

あんなの自然体で良質な生活の日記、これかもたくさん書いてね!
日本の友達だと、世相の悪さを共通に持ってるからか、「あの子はもっと大変だから」っていう気遣いのループが沈黙へと向かわせるのか、「おおそれだそれ!」っていう生活を話してくれる子が少なくって。だから景気のいい話たくさん書いてねー!

と、暗そうなことばっか書いたけど(ごめん)、もしかしたら妄想かもしれない悪いイメージに飲み込まれては意味がないので、なるべく素直にのびのび暮らしたいと思います。


私の場合は回りの大人に「日々真面目に過ごして神様に感謝」だの「学問は美しい」だのばっかり言われて育ったので、肉食的なお金稼ぎは元来不得意、文無しにはならないように気をつけねばだけど。。霞をくって生きてはいけん・・・

Anna said...

Lefolさん

 良いですね! 獣道。 好きな道です。

 日本は多分世界の京都ですよね。 世界の多摩ニュータウンみたいな処に長く住んでいる私には、伝統とか文化とか濃過ぎる。 でも同時にそれが面白いなとは思います。 ただ、別に面白いと思うだけで、それが他より優れているかいないかとかは考えないけど。

 その程度の距離感でいるのが良い土地だと思う。

 海外に住んでみたいぞという思いで、結局今海外に住んでいるってのは胸の漉く話しです。 とても良い話しだと思う。

 家についての話しなのですが、最初の一週間、友達や家族のいる場所にいない事がじれったくて、完全にホームシックでした。

 でも次第とこのプロセスその物が新しい家を得る為の行為なんだと思えるようになってきて、楽になりました。 Lefolさんのブログに書いてあった言葉のおかげだわ。 どうもありがとうございます!


Shioneちゃん

友達のくれるプレゼントの一つは、一人の人間では出来きれない経験を、分け合う事ができるってことだと思うのよね。

自分じゃ出来ない事は友達に外注で、自分に出来る事をして、仕事帰りとかにちょこっと会って、お互いの経験を分け合えば良いんだと思う。

そういう意味で、いつも前向きに暮しているシオネはとてもインスピレーショナルだわ。

「日々真面目に過ごして神様に感謝」だの「学問は美しい」だのっていう価値観は他の人には無くて、でもシオネには与えられている事だから、そこからの経験を私にも分け与えてくれると嬉しいな。

メインストリームの就職活動の方法論の問題点は、信仰や芸術、良質な文化とかからの価値観を完全に無視している所だと思う。 それがその後の勤労倫理にも影響している。

勿論、仕事は仕事なのだけど、あたかも仕事程度の価値観が人生の価値観っていう押し付けがましさが虚しさをうむんだと思う。

ちゃんと自分で両方意識しなきゃダメだ。 片っぽの価値観だけではやってけない。

"両方が見事に合致した善良なる人生"
なんて無いと思うんだ。 右手と左手が一本の手じゃないように。

だからどっちかから完全なる満足感を得ようとかってのは無茶な話しな気がして、せめて、自分の中で色んな交渉とか良識ある妥協をしたいなーと思っています。

勿論、世相が悪いとそんなん言ってられなかったりもするんだけどね…。 でも、世界的なスケールで見たら、市場は拡大しているわけだし、まあそこまで悲観的にならなくていいと思う。

シオネはなんとかなるよ。 私は私が心配だ!!!

Anna said...

シオネちゃん

そうだそうだ、私の中の朗らかな人ナンバーワンな爺ちゃんの話しをブログに書いた。

私の教授で、今の職場のスーパーバイザーなんだけど、えっらい朗らかなんだよ。