彼のインタビューを読んでいたら、その愛らしさに胸ががっしりつかまれた。
タイポグラフィの実験は(言葉遊びのようで)楽しくて、実験的なもの.
実験的タイポグラフィは意味から離れて自由を獲得する.
斧のような視覚言語でからっぽの空間の秘密を切り開き,
自分のイマジネーションは周りの空間に溢れ出す.
タイポグラフィの実験は視覚感覚が他の感覚と出会うところに生まれる.
それを我々は知覚できる領域の彼方へ高める.
外的な力によって変化をとげる.
「我々にはもう何も残されていない?」
自分たち自身への問いが実験的な作品へと我々を導く.
私は私である.
伝統というものが木の根っこであり幹であるとするならば,
実験というものは新たに萌え出た葉のような,
補完的な存在である.
実験と伝統は同じ木に属しているのだ.
木の太い幹は,
光合成を活発におこなう葉によって,
美しい花を咲かせる.
より大きく美しい木となるために.
実験的タイポグラフィは意味から離れて自由を獲得する.
斧のような視覚言語でからっぽの空間の秘密を切り開き,
自分のイマジネーションは周りの空間に溢れ出す.
タイポグラフィの実験は視覚感覚が他の感覚と出会うところに生まれる.
それを我々は知覚できる領域の彼方へ高める.
外的な力によって変化をとげる.
「我々にはもう何も残されていない?」
自分たち自身への問いが実験的な作品へと我々を導く.
私は私である.
伝統というものが木の根っこであり幹であるとするならば,
実験というものは新たに萌え出た葉のような,
補完的な存在である.
実験と伝統は同じ木に属しているのだ.
木の太い幹は,
光合成を活発におこなう葉によって,
美しい花を咲かせる.
より大きく美しい木となるために.
安尚秀、無敵。 彼の作品について、杉浦康平さんが文章を寄せていた。 神様対決。 全文引用したい位に素晴らしい文章で涙が出そうになる。(ってことでみんなアイデアのバックナンバー「韓国のグラフィックデザイン」を買って全部読もう!)
印象的な部分を引用「安尚秀は、韓国のよき伝統を身に纏う。 繊細さ、大胆さ、そして磊落さ。 対極のものが混在し、緊張を生む。 だが究極の調和に包まれている。 韓国の美の魅力の根源に潜む「矛盾を孕むおおらかな調和」。自然の営みに似たこの調和が安尚秀の作風にも滲みでる。」って所で、そうなんだよと膝を打つ。 なんなのこの大らかさ!!
いいなあ。 いいなあと思いながら安尚秀の作品を眺めています。
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