2009-01-12

言ってみるものだ。 そして、所有について。

 サイ・トゥオンブリの写真集が欲しいとブログに書いていたら、友達が本当にくれた。 言ってみるものだ! なんだかんだで最終的に半分ぐらい相手の物になったりするんじゃないかとも思ったけど、とりあえず良かった。 手に入って良かった。

 さて、引っ越しが日常的に頻繁に行われる生活を送っているからか、物の量とか重さとか大きさとかやたらと神経質になる。 発想が「全部まとめて20kg以内におさめたい!」にどうしてもなるからさ。 20kgってのは私が使っている国際線のエコノミークラスで運べる荷物の限度ね。 だから日常的に「私は物をあまり持ちたくない」とか、「私の持っている物で欲しいと思った物は言ってくれ。 すぐに譲るように努力する」とか言っている。 物を持っているのは束縛だと思うんだよ。 だから物欲そのものを抑えよう、抑えようと試行錯誤している。

 で、でも一昨日結構意識が変わった。 近年まれに見る物欲の嵐(しかもスッバラしいやつ)に揉まれて、その迫力にやられたからだ。 くだらない例えだけど、妄想炸裂なセックスの話しとかを聞くと、「人間って…。 私たちは全員去勢した方がよっぽど社会のためではないだろうか。」ってなるけど、でも、それはそれは!ってのを聞くと、「そうだよね!それだよね!回すよね、世の中!」って気分になる。 それと同じで物欲にもあっぱれなのと、無い方がマシなのの間には結構な境界線があると思う。 

 どこでそう思ったかと言うと、金沢21世紀美術館の杉本博司の個展「歴史の歴史」を見たからだ。 

 まずは作品への感想から。 噂はかねがね聞いていたけど、私がまだ実物は見た事が無かった「放電」の写真には度肝を抜かれた。 間違えなく、ここ4年間ぐらいで見た物の中で一番面白いと思った。 これまで以上に「この人どうなっちゃってるんだ?!」っていう喜びと得ました。

 同時に会場に作品とともに展示してあった、彼の収集品の質に度肝と背骨と骨盤を全部抜かれた感じだった。 「こんな物が世界にはあるのか」の嵐だった。 素晴らしく、味わいの濃い、物の力強さや存在感を感じられる良いコレクションだった。 半端無く贅沢だった。 

 そこで私は思ったのだ。 お金を使おうと。 物を買おうと。 彼の収集品みたいにすごい物を私も欲しい。 あそこにあった物全部欲しいと、心底物欲を刺激された! 
 
 潤沢な性欲が素晴らしいように、ただただ沸き上がってくるこの物欲/所有欲も本当は私を前向きにしてくる素晴らしい感情なのではないだろうか。

 そして結果的に杉本博司の作品欲しくなった。 どんな技なのか分からないけど、これから彼の作品はこれまで以上に売れに売れるだろうと心から思ったわ。 たかが24の女が、本気でどうやったら買えるのか考えはじめるぐらいに物欲を刺激される展覧会だったから。 

 美術が好きだとか、芸術の価値がもっと世の中に広がれば良いとか、社会があまりサポーティブじゃないとか、うだうだ美大生やら美術ファンは言うけ れども、それより何よりも、ファンなら、好きなら、買っちまおうぜと妙に脳内すっきりと思ったのだ。 手っ取り早くお金を動かそう、欲しい物は手に入れよう! 美術館とか、美術史と か、美術批評とか、そんなクッション抜きで、まず自分で手に入れて、部屋に飾りたいと眺めて眺めて眺めて、見つめて見つめてってのをしたいと心から思っ た。 物をほしがってはいけないと思っていたんだけど、いや、本当に欲しいなら、もうやっちゃうしかないよ。

 口に出すといつか手に入りそうだからあえて言うけれども、私はいつか杉本博司さんの作品をプライマープライスで買うだろう。 しかも結構近いうちに。

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