神奈川県警にて無罪証明書を入手しなくては労働ビザがとれない事が分かり、焦った私は三泊四日で日本に帰りました。 日本にいた時間は二日強ぐらい。 行く前は「何たる無駄使い、何たる駄目人間。 どれだけ準備をしないのだ私は! どうやってこの駄目っぷりに正当性を与えていいのか分からない。 もう駄目だ。 こんな人間にどうして育ったのだ、この国際的馬鹿!!」と自分に怒ったけれども、ふたを開けてみたら、やってみて本当に良かった。 給料全部吹っ飛んだけど、それでも良かった。
時間がないし、でもやらなきゃ行けない事は結構あるし、買いたい物も見たい物も結構ある中、神奈川東京を競歩で歩き回ったら、本当に楽しかった。 こんなに贅沢な旅行って無いわってぐらいに楽しかった。 なんかこんなに楽しい旅行は初めてかもってぐらいに楽しかった。(でも、これは旅行から帰ると大抵いつも言う言葉だ。)
考えてみると、日本に旅行的な時間枠で行ったのは今回が初めて。 いつも最低でも一ヶ月、大抵三ヶ月ぐらい日本に帰るので、いる時は日常生活を送る事になる。 それにいつもバイトやらインターンやらをやっていたので、普通に労働者で、どう考えても旅行じゃない。 そんな中旅行者/消費者としての東京を見たのは今回が初めてで、非常に楽しかった。 今回は買物しかしなかった。
日本で出ているビジネスとかマーケティングの本を読むと、生活者とか社会にいる人とか、私とかあなたとか、そんな次元を吹っ飛ばして、「消費者をいかに喜ばせるか!」ってのに集中しているのに驚く。
大抵消費できる人は生産もしているし、この消費者に対して一点集中ていう奇妙なミニマリズムは全体感失い過ぎで、おかしいんじゃないだろうかとつくづく思っていた私ですが、今回旅行者(ただお金を落とす人)になり、すっげー面白い目にいっぱいあう事が出来た。 旅行者として行ったらただ魅惑的な素敵な場所だった。 だてに、みんな消費者の事だけ考えている訳じゃないなと思ったね! 気分よかった。 芸が細かい。 消費者に対しては日本はやる事はやっている。 買物にも、作り手にも、売り手にも、物にも、感動した分結構寂しい気分になった。 こんなに頑張っているのに報われないなんて。 よっぽど売り手と買い手の間のリアリティーが乖離しちゃってるんだろうな。 その根幹には人をただの無責任な消費者としてしか理解してないマーケティングがあるからな気がする。
本当は、もっと有機的に全体がコネクトすれば良いのにねと思う。 普通の働いて生活している人達の懐にヒュンっとコンスタントに入り込んでいく物が増えて、日常をもっと豊かにしてくれれば良いのになと思う。 自分がお金を使う事で、自分だけじゃなくて自分が属している社会に潤いとか利益が生じるような、そんなお金と物の交換が日常生活では必要なんじゃないだろうか。 ちょっとしたボタンの掛け違えなんじゃないかなあ。 売り手が誰かを間違えているんだよ、消費者って括りで見ちゃってるから、勘違いのスパイラルが収まらないんだとかって思った。 みんな自分がお金を使う事で、世の中が良くなっていくと思えたら、お金を使うだろうにと思ったのさ。 要するに、人を消費者っていう末端に設定しないで、生活者っていう物事が流れるジャンクションとして理解した方が良いんじゃないかってことを私は思ったのかもしれない。
うーん、何をどう表現していいのかまだよくわからないけど、超短い間東京に行き、そんな事を悶々と思いました。 もっと上手く言葉に出来るようになったら、自分の仕事に活かそうと思う。
No comments:
Post a Comment