2009-12-15

2009年の9曲  1.Wolf Parade -I'll Believe In Anything

2009年によく聴いた9曲。

このプレイヤーから聞く方が、youtubeよりも音質がいいので、もしお時間がございましたら流してみてください。 全部、すっごい良い曲だから! 間違えなく素晴らしい楽曲。 でも良いライブの映像とかは下でyoutubeでも載せるね。 良かったら見てみて。





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1.Wolf Parade -I'll Believe In Anything




2005年に出たアルバムからの曲で、その頃からずっと聴いていた曲。 特に去年の年末から今年にかけて一日に何回も何回も聞いていた。 こんなにぱっきりと最近の自分の感じとシンクロしている音楽はないと思った。 4年間かけて自分の中で育った。

2004年らへんの頃、現代美術でだと、
-チラチラとオプティカルな物
-内側から発光するもの
-外からの光を吸収したり受け流したりできるように透明感のある物
-小さな構成要素がランダムに、しかし建設的に積み重なっている物
-仮設的な物
-断片的な物
-終わりと始まりの無い物
などが美しいと思っていた。

その頃の美術は、ポストモダンアートについてのマター、脱構築されたフェミニズムについてのマター、未成年の感性についてのマターとかが多く語られていた。 それら関心の対象を直接的にかなりナラティブな形に落とし込んで話すか、それとも形や配置により生ずるアレゴリーによってアクトするかの違いが際立っていて、とても面白い時期だった。

私は、言葉よりも形で世界を理解したいと思う方なのだと思う。 言葉抜きで物事が理解できるかという突っ込みがあるのは分かるけど、私は近代美術の父であるセザンヌの「世界は円柱・円錐・球によって構成されている」ってのを素直にプリンシパルとしている。 私が何かとふれあう時に、まず最初に関わる側面は形だ。

だからだろう、オロツコやフリードマン達が行った彫刻の復権が美術の潮流に大きく混ざり込んだ2000年代初期の現代美術は私にとって非常に、生々しくエンゲージできるものだった。

私にとって、形は最も優れた表現者で、アイディアをアクトし、コミュニケートしてくる。 私は反応せずにはいられない。

音楽も立体的な形を音で作っているっていう意味で彫刻的なものだなあと最近思う。 私は唄とか歌詞よりも、どうやって音が組重なっているか、いつ音がなっていつ音が鳴らないかってのが気になる。 そして音や構成がよってどうやって動くかも興味がある。 対立がどうやって壊れるか、どこに静寂があるのか、どこに次に繋がる空間の隙間があるのか…。 音の形とか立体感とか、音によって作られる空間性とかにぞくぞくする。

実際、なんか頭の中に、体感的には"目の前に"、色や形が見えるんだ。 始めてこの曲を聞いたときはスピーカーから何千匹もオオカミが飛び出してくるのが見えた。 結構そのものズバリ蔡國強の作品みたいだった。(多分どっかでバンドの名前がオオカミに関係しているってのを無意識で知ってたんだと思う。 安心して、私超能力者とかじゃないから。) 馬鹿みたいなコメントだけど、生まれて始めてこんなに沢山オオカミが飛び出してくるのを感じた。 それはそれは見事な構成だった。








話は戻って、私が04年頃に好きだった要素は勿論時間が断つにつれてちょっとづつ変わっていった。 ある程度成熟や、暴力性、若干の虚脱感や無力感、そして切り詰めがおこった。  20代前半は思っていた以上にタフだった! 村上春樹が昔「20代前半は不安だったし大変だった。 二度と戻りたくない」的な事を言っていた意味が分かったよ。 大人って簡単にはなれないんだなと実感。 多分音楽って救済なんだろう。 もろにそれに対する解決を音に求めた。

 その自分の変化と上手くかみ合って、昔と今をばっちりとつなげたのが、Wolf Paradeがやっていた音楽(特にライブでのパフォーマンス)なんだろうなと思う。

チラチラはザラザラというオプに変わった。 内側からの発光はより強くなった。 透明感の密度には決して明けない真夜中の弾力が加わった。 小さな構成要素は最低限以外は勝手に誰かに捨てられた。 仮設的な物はただ壊れた。 始まりは無かったけど、見事に終った。

ちょっと悲観的なんだけど、「この音楽が好き!」って感動したり喜んだりできる位、実際のところはすっごい楽観的で生命力に溢れている。

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