2009-08-29

P

 最近の日本のニュースを見ていると覚醒剤と政治の話しが多いね。 政治と薬物の夏だったのね。 そもそも覚醒剤って何だと思って調べてみたら、ニュージーランドのスラングでPと呼ばれている薬物の事だと分かった。 こっちでも結構ヒヴィーにP中毒になって人生を貴重な時間をロスしている人達がいる。 

 フラットメイトの親戚に覚醒剤に依存してしまい育児放棄をした人達がいる。 今その男の子は五歳で、よく私の家に遊びにくる。 彼の母親は、子供が産まれてからすぐにP依存になってしまい、育児拒否してしまったそうだ。 それで父親の方に子供が譲られたんだけど、父親も同時期に薬物中毒になってしまった。 なので、母方、父方両方の祖父母でその子どもを育てている。 子供は日常的に一緒にいる人(親や、親代わりの人)達だけでは育たないというのを最近実感する。 子育てをしている人達に休息を与えないと、育児経験も幼児体験もやつれたものになってしまう。 特に、高齢で孫育て+薬物中毒の実子の面倒を見ている+自分の仕事っていう立場は酷だ。 なのでフラットメイトがその子どもを週末に預かったりしている。 

 私と私のパートナーは結構子供好きで、そしてその子の親世代だと言う事もあり結構なつかれている。 彼がMacで作業中の私の膝の上に座り、私がしているデザインの仕事を眺めたり、一緒に図書館やらに行って遊んだりしている。 ものすごく可愛い。 そしてこんなに小さいのになんて大変なシチュエーションにいるのだろうってことと、こんなに可愛い子がいても抜け出せない中毒にかかっている彼の親の事を思うと悲しくなる。 可哀想だと思う。

 最初祖父母達は、薬物中毒になっている彼らから親権を取り上げたら、事の重大さに気がつき、彼らが薬物依存の状態から抜け出せるのではないかと思ったそうだ。 でも結果として、中毒ってのは意志の力でどうなるってのもではないから中毒と呼ぶのだという当然の事実に向き合わなくてはいけなくなった。 罰っせりゃなおるって話しじゃなくて、彼らには治療が必要だ。 話しを聞いていると、悲劇とか、悲惨って言葉しか思い浮かばないような状況になっている。 本当に薬物って怖い。 彼らだって、望んでこんな状況になっているんじゃない。 理性とか意志の力ではどうにもならない状況に、ものすごいスピードで突入してしまうのが薬物の怖さなのだ。 頭で分かっててもどうにもならない状況に人間を追い込む。 一度そういうステージに入ると、体も自尊心も社会的状態も、泥沼のようにメルトダウンしてしまうようだ。 どうやったらその地獄から本人達は救済されるのだろうか…? 

 そして大人が薬物中毒で大変だってのと、同時並行で子供の人生も始まっている。 親が大変だったから子供が不幸になったってのは、本当にそれこそ救いが無さ過ぎるので、まわりの大人で出来るだけ幸せな人間になるようにとやっている。 親の問題は親の問題、子供の問題は子供の問題と切り離して考えていいのかは分からないけど、悩んでいる暇はない。 子供はそうこうしている間にも毎日成長していくから。 
 
 私がこの子にしてあげられる貢献はなんだろうかと考えた時に、私が見せてあげられる世界は多様性だと思った。 この子の友達になって、色んな物を見せてあげたいと思う。 世の中には面白いことが沢山あるのだってのを知ってもらいたい。 そして選択肢も沢山あるのだとうっすらとでも良いから覚えてもらいたいと思った。 多分、これが私自身が親からもらった大きな価値観なんだと思う。 パートナーも似たような事を考えたらしい。 彼がこの子と遊びながら「これだけは覚えてもらいたいっ」って思う事が、実は親や周りの人がその姿や生活の仕方から伝えてくれた事なのだと気がついてはっとしたと言っていた。 親の存在/影響の大きさを知る。 複雑な気持ちになる。 

 でも子供の前で複雑な気持ちになっている時間はなく、一緒に本を読んだり、チャラチャラ一緒に歌を歌ったりしている。 最初彼が育児放棄された話しや、虐待された話しのディテールを聞いた時、まだ体に膝の上に座って私のデザインの仕事を見ていた彼のぬくもりとかがあったから、めちゃくちゃ悲しくなった。 なんて悲しいのだと思った。 ただ、彼と遊んでいるうちに、「この子はこの状況の中での希望なんだ。 そしてほとんど唯一の輝ける喜びだ」と思うようになってきた。 彼は悲しくない。 悲しいけど、それでも彼自身は慶ばしい。 

 どんな状況で私とこの子が出会う事になったかってことはさておき、私はこの子にあう度に、すっごい沢山の快をもらう。 この子の存在はすごいプレゼントだ。 この子が幸せで満ち足りた人生をおくれるようにと強く願った。

 こういう近所で子育てって感じは、ニュージーランド独特のものなのかもしれないけど、結構よくある。 前のフラットでは、母子家庭で育っている男の子を週末に預かるビックバディーというプロジェクトに参加していた。 ただ大人の男と子供の男でつるむ+母親に休みを与えるっていうプロジェクトなんだけど、こっちの男の人達は結構多くが参加している。 私も女なんだけど混ぜてもらいよく一緒に遊んだ。 結構普通にこっちも楽しい。 子供と時間を過ごすのは楽しいよな。 巡り合うきっかけそのものは悲惨な事であれ、いや、だからこそ余計に、こうやっていろんな人が出会えるように社会が組まれている事に感謝した。 少しでも貢献できる、何かをしてあげられる、何かをしてもいいんだと思える事は力強い。

 フラットメイトとかがこういうアクティビティーに時間を使うようになり、本当に自分も歳とったんだなあと思う。 この子達自分の子供でもおかしくない年齢だもん。 子供のころ、まわりに風景のようにいた大人達っていう存在に自分もなっているのかと思うと、時間の流れを感じる。 ちょっとはしっかりしようと思わさせられる。

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