2007-06-11

ちょっと終わった

課題の一つが提出できました。 よかった…。 

あと二つ提出したらお休みだ!

今回結構長めの論文を書いて、出来る事には限りがあると分かりました。
書き終わった内容のレベルが、現実的に考えるとスタート地点的な所だった。

そして友達に、論文の書き方を教わって、目から鱗でした。
彼が「読む人を圧倒させたいとか、感銘を与えたいとか、思ってないよね?」と言われてぎくっとした。 「そういうふうに考えると、論文は書けないよ。 あと、論文は書き始める前に、全部書くものを理解しているべきだから、書きながら考えるってステージはノートの段階なんだ」などなど、素晴らしい事を教わったわ。 そう、書きながら、これは書く前にきちんとノートを作り、構成を理解して、書く内容の意味を私がきちんと理解していないといけないと痛感した。 そういう意味で、私の論文はかなりメモ的。 この文字数でいかに密度と質の高い情報をシンプルに伝えられるかっていうゲームを私はしていなくて、ただだらだら書いた論文です。 要するにメモです。

こっちの大学での学部の論文は、「私が理解した事、知っている事、考えた事」を先生に伝える事が目的とされる。 まあ、どこでもそうなのかもしれないんだけど、基本は自分の知っていて、理解した事をいかに採点者に伝えるかなんだよね。 これは公平だと、驚いた。 

そして人の論文を読んで、参考文献とか脚注とかの便利さにも驚いた。 自分の書く事と関連のある論文を読む事の必然性に今更ながら感心しました。 良く出来たシステムなんですね。 いや、馬鹿だと思わないで! いや、馬鹿なんだけど、美大でだと、一年に一回ぐらいしか論文は書かないのよ。 今回初めて三ヶ月かけて一つのテーマの論文を書いたぐらいなんです。 なんでも新鮮なんです。

 愛すべき近所の住人を巻き込み、推敲を繰り返すごとに自分の語学力の無さを実感しましたよ。 高校の時の友達は頭がいい奴らが多くて、今みんな大学院とか医学部とかにいるんだけど、彼らのその語彙の多さ、そして構成力。 私の稚拙さ、そして先を読む力の無さ。 私の言葉が海藻なら、奴らのはマグロ!!! 早い、早い。伝わる、伝わる。 私の文章があまりにも稚拙だから、今週末から友人が「アンナがいつの日か英語がきちんと使えるようになる日がくるように、英語の授業をするぞ!!」と言ってくれた。 私もそこまで言ってくれる彼ときちんと意思の疎通が出来るようになる日がくるように、頑張る。 

 「英語が上手くなる為の王道は、君が日本語で難しい本を読んで、まず母国語を鍛え直す事だ。 世界をもっと適切に、細やかに見えるように、言葉の勉強をしろ。」とフランス語と英語のバイリンガルの彼が言い、スペイン語とイタリア語と英語のトリリンガルな彼も「そのとーーーり」と力強く宣言した。 

 「適切さと、細やかさ」が必要なのは言葉だけじゃなくて、デザインだってそうだ。 デザインは意味をコントロールして、発信するアクティビティーだと思うので、切実にそうだ。 そして、デザインが言語にドライブされる面はあって、頭の中で使っている言葉が大雑把だったらデザインもおおざっぱになる。 恐ろしいほどに! 特に私は言葉に突き動かされている面があるから余計にそう。 

 あと、論文を書きながら、「コミュニケーション」について考えていた。 コミュニケートの重要性やら、重要だと言われている事ゆえの毒性とか。 私はあまりコミュニケーションが本質的な問題だとは思っていない。 相手が理解しない時は相手の問題でもあると思うし、例えばミスコミュニケーションで摩擦が起こったとしても、コミュニケートできていたらそれがおこらなかったのかとかってのは分からないと思うからだ。 コミュニケーションが大切っていう風潮からは、どっちが先に相手をマニュピュレートできるかのパワーゲームがあるように思える。 まあ、コミュニケーションってのがそういう面だけを意味する言葉じゃないのは分かるんだけど、でも強調されている面に抵抗感がある。 表現とコミュニケーションの違いとかも考えていて、ちょっと混乱した。 

 それにしても、素で、直接的で、適切で、細やか。 そういう能力を日々身につけて行きたい。 表現力を身につけたい! コミュニケートもしたい。 でも、コミュニケートする為に、表現をするってのは本末転倒だと思う。 それだけは確か。

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