2007-06-30

夜の美術館

 夜中に生バンドが入って、お酒を呑みながら、展覧会を見るっていうイベントが美術館であった。

ほろ酔いで音楽を聞きながら、夜中に、真っ白い空間の中で鑑賞する現代美術ってのは、素晴らしいものだと思う。 突っ込みどころは山ほどあるんだけど、体感として、経験として、染み込んでくる鑑賞方法だと思う。 

 こういう事を大声で言うと、様々な方向から吹き矢が飛んできて、毒殺されそうだから怖いんだけど、良いじゃん、偏ってるし、ブルジョワジーすぎるかもしれないけど、だからって良さを無視するのはもったいないよ。

 

ほとんど初めて

 とんでもなく二日酔いで、しんどいです。 しんどい。 二日酔いって、こんな感じなのね。 世界が暗い。


友人の実家では、子どもたちが二日酔いになると、だだっ広い牧場の芝刈りをさせられるそうです。 あれは結構にしんどい仕事で、衝撃は体にほとばしるし、匂いも強烈だしで、二日酔いの時にやれる最悪のアクティビティーだろうとは簡単に想像がつきます。 思いついた親は立派。 で、子どもたちは二日酔いであるという事を隠す知恵を身につけるか、それよりももっと根本的に二日酔いにならない呑み方を学ぶんだそうです。 私も親になったらそうしよう。 こんなにしんどい思いを次の世代にさせたくはないよ。 

2007-06-27

高須光聖

高須光聖!


かっこいいよねー。 ああ、なんて素敵なんだろう、高須光聖。 





関係ないんだけど、アホアホマン。 ひどい、これはひどいと子供時代に思い、こういうのの真逆に成長しようと心に決めたものの、大人になってから、なんとなく年に一回は見てしまう。 ひっどいよねぇ…。 そういえば私、けっこう長い間坂本龍一ってコメディアンだと思ってたんだ。 ダウンタウン、ひどい!





でも、高須光聖は大好き。

意外

 久しぶりな友人と夜一緒に時間を過ごした。 彼は日本に来て一緒に遊んだりとかした事がある子で結構仲良しなんだけど、最近お互いに苦手意識が途中から芽生えたようで、1ヶ月ぐらい積極的に二人して完全放置だった。 
 
 とりあえず流れるかのごとく、ひょいっと時間を拾い上げれる瞬間を待とうと何となく思っていた。

 で、昨日水泳をした後にひどくお腹がすいていたし寒いから歩きたくないしで、今だと思い、「プールに迎えにきてくれ。 で、一緒に夕飯を食おうぜよ」とさりげなーく、何事もなかったように携帯にテキストを送ったら、「そうしよう、そうしよう」って普通の返事がきた。 で、遊ぶ事になった。 いい感じのリユニオン。 意外だった。

 ご飯を食べて、コーヒーを呑んで、デザートを食べて、家に帰って酒を呑んで、暖炉の火をつけるのに苦戦して、ランプシェイドとかの自慢をしてと、ものすごくスムーズにことが運んだ。 いい時間だった。 いやあ、放置してみるものだな。 

 痛い思いをして、母に、とりあえずコメントをくれ、教えてくれと頼んだ時に唯一言われたのが、「深追いはするな」だった事を思い出す。 その通りだったよ、ママ!

 で、やっぱさらっとやっとくのが一番だなという思いを胸に秘め、今日他の友達に会った。 そうしたら一緒に来ていた彼の元カノに徹底的に嫌な態度をとられた。 ぎこちないの、なんのって。 焼きもちなのか、ただ単に私が邪魔だったのか、とりあえず、なんか敵意丸出しの態度をとられて、すごく意外だった。 

 まあ、特に面白いわけでも、頭にそんなに血が上るトピックでもないから、どうでもいいやと思って、深追いしなかった。 必死にさせて申し訳ないと一瞬思って、でもそんな高飛車な自分の態度にもまた申し訳なくなり、いやはやとなった。 

 それでも今思い返すと、彼女のジェスチャーが私に伝えてきた、そのどうしても閉鎖的でいたい親密感やらの価値やらが根本的には全然悪い事じゃない風に思えて、腹が立つどころか、なんか結構温かい気持ちになる。 これも意外。 

 仕事関係の大荷物と薪割りの為に新しく買ったでっかな斧を担ぎながら家に帰った。 恥ずかしかったし大変だった。 斧を持ちながら街を歩いたのは初めてだったんだけど、あんまり御薦めできない。 怪しすぎるし、周りの人々に申し訳ない気分になる。 「暴れませんから!」って宣言しながら歩きたかった。 くたくたになって家に着いて、さて、薪割りをしようと、ツモリチサトの靴からスニーカーに履き替えて、ワンピースの裾を結んだ瞬間に、(そう、私は今日はラブリーな格好をしていた。)「斧を私が担いで家に持って帰ってきて、薪まで私が割るのって不公平じゃないか?!」という思いがむくむくと沸き上がった。 なので食卓の上に斧を放っておいた。 きっと言うまでうちの同居人は薪割りをしないんだろうなと思いはじめたら、急激に相手に腹が立ってきて、結果的に私が言う前に薪を割らなかったら引っ越そうと思い込んだ。 で、ちょっとたって居間に戻ったら、同居人が薪割りをしていた。 言っちゃ悪いけど、本当に意外だった。 ほんっとうに、意外だった。 どうやって表現したらいいのか分からないぐらいに意外だった。 面白いねっていう事は沢山期待が出来るんだけど、まともな事に関しては全く期待できない奴が薪割りをしたって言うこの事実に、驚き隠しきれず。 人間革命、おめでとう!って感じだ。 「よくやった!」と褒めちぎっておいた。 是非、薪割りを習慣づけていただきたい。

 
 で、夜およばれしていた女の子の家で、彼女が作ってくれた料理を食べた。 ラザニアとサラダとワイン。 それと私の持って行ったデザート。 愛情が爆発した。 日常的にもっと手の込んだ料理や野菜をたらふく食べているし、人に料理をつくってもらう事にだって、ある程度慣れているのに、体が震え上がるぐらいに感動してしまった。 なんなのだ、これは。 なんか、素晴らしかったの。

 ソファーにごろっとして、テレビを見ながら、だらだらとその子と話している最中も、楽しくて、叫びだして、ソファーの上でジャンプしたいぐらいな感じだった。 幼稚園生の時に、友達が家に遊びにきてくれた時以来ぐらいの喜びを感じたわ。 意外! でも楽しかった。

2007-06-24

日曜日

 二軒先に住んでいる友人と一緒に朝ご飯を食べる約束をしていた。 

 美学辞典からの発見の話しがしたくて仕方がなかったので、とて も楽しみで、楽しみで、楽しみで、だけど寝過ごした。 ばーんと彼が部屋に入ってきた時に、ぐはあって起きて、日本語で何か分けの分からない言い訳をし、 とりあえず、着替えて、歯を磨いたら、君の家に迎えにいくからちょっと時間をくれと、朝からてんてこ舞いになった。 頭はもじゃもじゃだし、パジャマは斜 めになっているし、訳の分からない事をいうし、がしっと抱きついてくるしと、彼もてんてこまいになっていた。 あはは。 私たちの関係程、 「私たちの関係」な関係ってないわ。

 それにしても、いつも思うんだけど、週末の朝を人とゆっくり過ごす事が出来るってファンタスティッ クだよね。 今回は近所の屋根裏部屋にある、隠れたカフェで、大きなラテとペニーニを食し、「そう、美なんっすよ」と話し込んだ。 途中から彼は照れ照れ になっていたんだけど、ここで相手が照れているからって躊躇したりしない所が、竹馬の友特有の距離感ですね。 お前が照れようが、伝えたい事は伝えさせて もらうぞって話しだ。 

 「君も、そういう事思う? 今私が言った意味で美しいと思って魂が震えちゃう事ある?」とストレートに聞いてみたら、真摯に「あるよ」と言われた。 マジで嬉しかった。  

  そして結構面白い話しを彼に言われた。 今の社会ではこうやって真剣に探さないと、いかに簡単に基本姿勢がネガティブになっちゃうかとか。 御得意の「消 費社会」との関係で説明された。 確かに。 「さすがだわ、兄ちゃん」と思いつつ、キスをして、玄関の前で、手を振って別れた。

 彼との友情は実際の所、文句のつけようが無い。 だけど、何となく不安だから文句を付けてしまったりする。 でも、今日はそういう考え方をやめて、自分の恋人の美しさについて魂が震えちゃうような美しい人である彼との友情を幸せだと思う事にした。 そうしたらすごく嬉しくなった。




  で、家に帰って同居人とゴロゴロしながら、こんなにいい天気なんだから何かしようかねと、作戦をたてる。 作戦は、「相手がきっと決めてくれるだろう」。  車に乗り込んで、エンジンをかけて、ドライブウェイを出た瞬間に「さあ、お前のプランを聞かせてくれ」といいあい、「えええー! 決めてなかったの?」 とお互いにびっくりして交通事故を起こしそうになるやつですね。 

 事故らない為に他の車の流れにのり、何となく進んだ方向から崖と山と 牧場と防空壕が海の横にばーんとある所にいく事になった。 何回か行った事があるから大丈夫と自信満々に運転していた彼は、ちょっと入り込んだ所で速攻で 迷子になった。 私は大丈夫だよ、楽しいよとへらへらしながら山羊とか羊とか馬とかを見ていたんだけど、(気がついたら牧場の真ん中に来てしまったのね) ご本人は幸せじゃなかったらしく、ほとんど初めて切れ切れな彼を見た。 しょうがないから私のどうしようもない話しをして元気を出してもらうと思い、実は 山羊と羊の違いがまだ分かっていない事、馬に似ている牛を見ると、どっちかはっきり言えないことなど、人間としてどうよっていう話しをを伝えて差し上げ た。 下には下がいたってことなのか幸せそうになったから、ほっとしました。



 やっとこさ着いた海岸は雰囲気が全然違っ た。 枯れているけど、ダイナミックって感じの面白い景色だった。 もう一人の同居人は、瑞々しい感じが大好きな子なので、一緒に行く小旅行はジャング ルっぽい水辺が多いんだけど、この子の好みはなんか渋いのよね。 しぶいねー、兄ちゃんと思いながら、結構タフに崖上りをした。 目的地に着く頃にはお互 いがお互いに飽きているから、私は「喋らなくていいかなあ」と一応了承を取った後に、イアフォンをつけて、音楽をガンガンに聞きながら写真を撮りまくっ た。 彼も、逆方向に突き進んで行った。 


 





 この流木は、小さく見えますが、日本にあったら天然記念物ってぐらいにでっかい木です。 






 




神様のお風呂って感じがする。 間抜けなぐらいに全部が大きくて、普通にあるから、逆に私がミニチュアになっちゃった感じがして、面白かった。








  景色が真っ青だった。 








崖と山を上ったら、同居人がなんとも言えない方向の写真を撮っていた。 太陽の写真でも撮っているのですか? そちらには空しかありませんよと、ちょっと不思議な気持ちになる。 不思議な人だなあ。 


 くたくたになって家に帰り、二人で夕飯を作る。 各々に。 で、各々に違うレーベルのビールを呑む。 美味い! こんなに美味しいビールは久しぶりだと、喜んで暖炉に火をくべた。 真冬に呑むビールっておつですよね。 最後に「今週末、最高だった」と同居人が良い、私は「まあまあっすね」と悪態をついて、くっくっくと老人のように笑い、いやはや、いい日曜日だった。 

 もっと贅沢をと、淑にも電話をし、いやはや、本当にいい日曜日だった。 月曜日からの新しい週にわくわくしちゃうぐらいに良い週末だった! 


あとで、撮ってきた写真をのばらいろのひびのウェブサイトに載せるから見てみてね。 バイバーイ。
 

日曜日

 二軒先に住んでいるディランと一緒に朝ご飯を食べる約束をしていた。 

 美学辞典からの発見の話しがしたくて仕方がなかったので、とて も楽しみで、楽しみで、楽しみで、だけど寝過ごした。 ばーんと彼が部屋に入ってきた時に、ぐはあって起きて、日本語で何か分けの分からない言い訳をし、 とりあえず、着替えて、歯を磨いたら、君の家に迎えにいくからちょっと時間をくれと、朝からてんてこ舞いになった。 頭はもじゃもじゃだし、パジャマは斜 めになっているし、訳の分からない事をいうし、がしっと抱きついてくるしと、ディランちゃんもてんてこまいになっていた。 あはは。 私たちの関係程、 「私たちの関係」な関係ってないわ。

 それにしても、いつも思うんだけど、週末の朝を人とゆっくり過ごす事が出来るってファンタスティッ クだよね。 今回は近所の屋根裏部屋にある、隠れたカフェで、大きなラテとペニーニを食し、「そう、美なんっすよ」と話し込んだ。 途中から彼は照れ照れ になっていたんだけど、ここで相手が照れているからって躊躇したりしない所が、竹馬の友特有の距離感ですね。 お前が照れようが、伝えたい事は伝えさせて もらうぞって話しだ。 

 「君も、そういう事思う? 今私が言った意味で美しいと思って魂が震えちゃう事ある?」とストレートに聞いてみたら、真摯に「あるよ」と言われた。 マジで嬉しかった。  

  そして結構面白い話しを彼に言われた。 今の社会ではこうやって真剣に探さないと、いかに簡単に基本姿勢がネガティブになっちゃうかとか。 御得意の「消 費社会」との関係で説明された。 確かに。 「さすがだわ、兄ちゃん」と思いつつ、キスをして、玄関の前で、手を振って別れた。

 彼との友情は実際の所、文句のつけようが無い。 だけど、何となく不安だから文句を付けてしまったりする。 でも、今日はそういう考え方をやめて、自分の恋人の美しさについて魂が震えちゃうような美しい人である彼との友情を幸せだと思う事にした。 そうしたらすごく嬉しくなった。




  で、家に帰って同居人とゴロゴロしながら、こんなにいい天気なんだから何かしようかねと、作戦をたてる。 作戦は、「相手がきっと決めてくれるだろう」。  車に乗り込んで、エンジンをかけて、ドライブウェイを出た瞬間に「さあ、お前のプランを聞かせてくれ」といいあい、「えええー! 決めてなかったの?」 とお互いにびっくりして交通事故を起こしそうになるやつですね。 

 事故らない為に他の車の流れにのり、何となく進んだ方向から崖と山と 牧場と防空壕が海の横にばーんとある所にいく事になった。 何回か行った事があるから大丈夫と自信満々に運転していた彼は、ちょっと入り込んだ所で速攻で 迷子になった。 私は大丈夫だよ、楽しいよとへらへらしながら山羊とか羊とか馬とかを見ていたんだけど、(気がついたら牧場の真ん中に来てしまったのね) ご本人は幸せじゃなかったらしく、ほとんど初めて切れ切れな彼を見た。 しょうがないから私のどうしようもない話しをして元気を出してもらうと思い、実は 山羊と羊の違いがまだ分かっていない事、馬に似ている牛を見ると、どっちかはっきり言えないことなど、人間としてどうよっていう話しをを伝えて差し上げ た。 下には下がいたってことなのか幸せそうになったから、ほっとしました。



 やっとこさ着いた海岸は雰囲気が全然違っ た。 枯れているけど、ダイナミックって感じの面白い景色だった。 もう一人の同居人は、瑞々しい感じが大好きな子なので、一緒に行く小旅行はジャング ルっぽい水辺が多いんだけど、この子の好みはなんか渋いのよね。 しぶいねー、兄ちゃんと思いながら、結構タフに崖上りをした。 目的地に着く頃にはお互 いがお互いに飽きているから、私は「喋らなくていいかなあ」と一応了承を取った後に、イアフォンをつけて、音楽をガンガンに聞きながら写真を撮りまくっ た。 彼も、逆方向に突き進んで行った。 


 





 この流木は、小さく見えますが、日本にあったら天然記念物ってぐらいにでっかい木です。 






 




神様のお風呂って感じがする。 間抜けなぐらいに全部が大きくて、普通にあるから、逆に私がミニチュアになっちゃった感じがして、面白かった。








  景色が真っ青だった。 








崖と山を上ったら、同居人がなんとも言えない方向の写真を撮っていた。 太陽の写真でも撮っているのですか? そちらには空しかありませんよと、ちょっと不思議な気持ちになる。 不思議な人だなあ。 


 くたくたになって家に帰り、二人で夕飯を作る。 各々に。 で、各々に違うレーベルのビールを呑む。 美味い! こんなに美味しいビールは久しぶりだと、喜んで


 

ごもっとも、ささけんさん!



  この本は身近に持っておくに限ると直感的に思い、日本からこちらに帰ってくる時に持ってきた唯一の昔の教科書が、佐々木健一の「美学辞典」です。 多摩美の周りの古本屋さんには必ず数冊売られているというある種の悲しみをおびた一冊であり、実際の所私自身、教科 書として使っていた当時は、知りたい所だけを適当に読んだだけで、売らなかったのが奇跡という感じがあります。 

でも今回はじっくりと始めっから全チャプターを読んでいます。 必死だからね★


 そして、やっと価値が分かったんだけど、この本は素晴らしい! 本当に、なんて為になる本なのだと、読みながら感心し切ってしまったよ。 この本をまだ持っている人は、悪い事は言わないから、たった今からさっさと読み返せ。 端的に言って人類の歴史には恐れ入った。 考え込んだ美学者たちも、彼らのセオリーをまとめあげたササケンも、みんなすっげーがんばった。 役に立つってこういう事かいと思ったさ。


 今回この本を読んで、産まれて初めて世の中の人が言っている事を身をもって体験したと思いました。 「あたし、ごもっともじゃん」初体験をしました。 ぴったりだと思う事って今まで何に対してもなかったんだけど、ありましたよ。 ありました。 全世界に対して「ごもっともーーーー!」って大声で叫びたい衝動にかられました。 


 デザインとも美術とも直接は関係ないんだけど、素朴にして、理解しがたかった疑問が、背骨を得た感じです。 

それは何かと言うと、「好意」に対してです。 具体的に言うと、違う方向に話しがそれるから、さらっといきますね。 

人を好きだっていう状態ってなんて不思議なんだと最近ずっと思っていました。 人を好きになると、シンプルすぎて驚くぐらいの深層の快があるでしょ、想像とかとは結構違う、単純明快の極みのような喜びが。 私はその喜びと快と、単純明快性のダイナミズムさ故に、「もしこれを恋と言うならば、恋って言葉の包括する領域は広すぎるし、なんだか違う気がする。 恋っていう言葉が表しているのは、この生の喜びの1%にも満たなくて、多分本当にこれは複雑な何かだ。 とりあえず私が不思議がっているのは多分、恋じゃない。」とずっとダウティングしていた。 

私が驚いて、これって凄いと思っていたのは、誰かに好意を持つ事で引き起こされる圧倒的な、私の見ている世界に沸き起こる変化の内容についてだったんだ。 

元々悲観的な考え方が強い私が、「これは期待と希望しかない」と状態を体験し、本当に不思議でならなかった! 期待と希望の質感が、自分の生命と共にあるこの不思議。

で、今回美学辞典を読んでいて、私が不思議がっていた事が「美」なのだと気がついた。 そう、うっすらと気がついてはいたんだよね。 どうも、ある種の芸術はこの作用を使っているぞとか、この好意と素晴らしい芸術を好む気持ちは違うのかとか、「素晴らしいから好き」なのかとかとは考えていたんだけど、「美」ではリンクしなかった。(これだから、私は。 いつもめんどくさがって、基本を抜かすから、遠回りする。 この場合はさっさと教科書を読んでおけって話しだ。) 

美とは”「端的な完全性」すなわち、「そのものの概念」に限定されない完全性である。 その価値を直感的に知覚するとき、われわれはそこに美を認めるのである。 また、美における言語や概念は、遥かに積極的な役割を担っている。 美の与える快は精神を活性化する。 その状態においては、概念的な思惟がむしろ積極的に展開される。 例えば、絵画にかかれた或る対象が何であるか分からないときには、むしろそれを解明しようとする。 美は言語的な挑発である。 ” そして、"我々は、言葉によって美に挑もうとする。 すなわち、美は、われわれがそれを言葉によって捉えようと試みたくなるような魅力であり、かつ、どのような言葉もそれを捉えることができないが故に美なのである"と、ササケンは様々な例を出し、まとめあげた。 ただただ、感嘆。

"積極性"を、期待と希望に、「好きだから好きってのはおかしい」っていつも人に反抗していた部分は、"言語的な挑発"に、ぴったりと当てはまる。 多分、私は言葉を使い間違って、「好き」とか「好意」って表現していたんだけど、私はもっと適切な言葉で言うと、"美的体験"を不思議がっていたのですね。 それだったら、そうだよ。 「これって芸術の効果と似すぎてない? 私、頭大丈夫?」とかって思っていたけど、似てるも何も一緒だ。 で、"美的体験"のチャプターを読んでいた時にも、"感覚的で技術的、かつ知的な多層的理解の、力動的なプロセス"、"美的体験は発見的である"とか"美的体験は出会いであり、「開いた体験」という性格を持つ"などなど、そうそうそうそう、そうなんだよって事の連発でありました。 

今まで「好きだから好きで良いじゃん、ごちゃごちゃ考えている方がおかしいよ、何を不思議がっているの?」と私に言ってきた友人たち全員に謝りたいです。 「君の方がおかしいよ。 どうしてこれを語らずにいられない? 不思議がらずにいられない?」と言い続けて、ごめん。 私は多分、違う話しをしていた。 で、私が不思議がっていた内容を分かって。 私が言いたかった事は、こういう事なの。 人を好きになる時に経験する、そこはかとない質感が不思議で不思議で仕方がなかったんです。 多分、私は「なんて美しいんだ。」って言いたかったんだけど、その人個人が美しいとか、そういう事が言いたかったんじゃなくて、”「そのものの概念」に限定されない完全性”についての話しだったからストレートに言えなかったんです。 だって、美って言うと、なんか「外見が適切に出来ている」とか「道徳的に正しい」とかそういう方向だったり、「いやー、人を好きになるってのは青春で美しいっすね」とか質感じゃなくて状況に対する形容詞みたいになっちゃうと思っていたんだもの。 

そして何よりも、「彼って美しい」って言うのとか、「この美しさってのは、こうじゃなくて、ああじゃなくて、もっとうにゃうにゃで〜〜」ってやったら、言われた方が困るでしょ?! 


でもやっぱりそうなんだよ。 人を好きになっている時、関係ないようでいて、実は相手の中に美を見ているんですよ。 それがどれだけ相手にも自分にも似合わない概念でも!  


 何か急に実践的に役に立つ方法論とかでは全くないだろうから、知ったから何だって話しだとは思うんだけど、私は本当に感心しました。 この発見すらもが美的体験。 多層的理解。


いやはや、今日は本当に感心した。 そして私が経験した事が結構に一般的であるという、どんぴしゃりな感じに安心した。 久しぶりにぐっすり眠れそうです。


おやすみなさい。

初心忘れるべからず

 休みに入ったって事で、久しぶりに問題を解こうという気分になりました。 学期中に、「ん???」ってなっているテーマに沿って、読んだり、考えたりしています。

 今回の学期を通して感じた事の一つは、私のこれまで受けた美術教育の強烈さ故に、デザインの考え方に上手く自分をシフトできないと言う事です。 そして何よりも問題だと思ったのが、今の私が大雑把しか過去に勉強をした事を思い出せない所為で、良い所を活かせずに、ただ単に呪いになっているって事なんですよね。 デザインにも、自分自身にもデメリットが多すぎる状況になっているぞと反省しました。 今の私の前提とか思い込みの源流を見つめ直し、なおかつ出会い直す為に、昔の教科書やらを読み返し始めました。 

 どれぐらい、自分が忘れているんだろうと、とてもわくわくして読み始めたんだけど、期待は裏切られなかったね。 ひらがなの読み方ぐらいしか覚えてなかったと言えます。 素晴らしい発見。 
 


2007-06-21

Just do it!

 四年生になると産学協同が始まる。 今年の四年生はナイキと働いている。 

 彼らが三ヶ月血と汗と涙を注いできたプロジェクトの発表が、今日と明日の二日間をかけて行われるとのことで、後学の為にも見に行ってきました。 

そうしたらスタジオが凄いことになっていた。 本当に、血と汗と涙。 比喩じゃなくて。 

三年生と四年生はバカ広いスペースを一緒にスタジオとして使用しているので、なんとなくお互いがやっている事を知っている。 私は横目でずっと眺めながら、グループプロジェクトの大変さを感じ、実は応援していた。(特に、自分はナイキとプロジェクトをやりたくないので、来年がアップルかヴォーダフォンという噂を胸に、「今四年生じゃなくてよかったぁ」と思っていた面もある。 そういう感じでも「頑張れ!」って思っていた。)


 当初はナイキ側がアメリカから来る事になっていたんだけど、なんだかの事情で急に来れなくなってしまったそうで、結構本格的なカメラクルーがスタジオに入り、プレゼンの撮影を行っていた。 なーんだ、アメリカ人いないんじゃんと思い、ぷらーっとコンピューターデスクの方に歩いていったら、明日発表のグループがてんてこ舞いになっていた。 

 本当に、血と汗と、涙だった。 比喩でも、冗談でもなくて。 くはー、なんか、結果的に手伝ったこっちまで泣きそうになった。 

 これは、青春ドラマなのかってぐらいにみんな頑張っていた。 爽やかだったし、美しかった。 特に私の友人である日本人の女の子は、本当に頑張っていたよ。 インド、ドイツ、ニュージーランド、日本っていう、多国籍グループっていうやりにくい事この上ない状況の中で、なおかつ唯一の女の子として、本当に、他の人以上の働きをしていた。 お前は、漢だと思った。 来年、私も同じ状況になるだろう。 きっと、私もグループで一人とか二人の女の子になるだろうし、多国籍グループに入るだろう。 そのときに、彼女ぐらいに働けるかと考えると、すっげー難しいだろうなと思う。 尊敬したし、その働く姿を私に見せてくれて、ありがとうと思いました。 ガンバレーーー!

 それにしても私は、学校が終わった事を祝福しようと、八センチ高の赤いピンヒールに、タイトなハイウエストのミッドセンチュリー系のスカートを履いて、お尻と胸を強調し、「女性でやんす。 女の自分、バンザイッ!」っていう格好をしていたんだけど、結局、でっかいものとか重いものとかを担ぐっていう手伝いをするはめになりました。 どれだけ女らしい格好をしても、この強烈なガテン系の仕事への吸引力からは逃れられないのか…。 途中で、ヒールと、ケツとオッパイを、がーんと取り外して、窓の外に投げ捨ててやろうかって一瞬思ったのよ。 こうやって、なんでも取り外しが出来ると人体を便利な何かと勘違いして考えてしまう所に、プロダクトデザインをやっている自分の狂気というか、愚かさがある気がする。 


 とにかく、泣いても笑っても明日が発表だ! 頑張ってくれ、心から応援しているぞと、学校に残って最後の調整をしている先輩たちにエールを送り、「やっべえ、来年私あんなに働けんのか?!」とびびりながら帰路につきました。 うおーーー、どんどんやれる事が難しくなっていくこの感じが怖い!


 

2007-06-20

想像には経験がない

 誰でもそうだと思うけど、小さいときってのは夢がいっぱいあって、ロマンチックな事を沢山考える。 
 例えば、私は照れずに私に、日常的に様々な事を表現してくれる友人が欲しかった。 どのような表現を想像していたかというと、手の込んだ手紙であったり、写真であったり、言葉であったり、音楽であったりした。 

 別に私だけにして欲しいって訳ではないんだけど、私の存在をちょっとでも考慮した表現をしてもらいたかった。 コンシューマリズムとか、芸術とかそういうのと別に関係のない、個人間の表現が欲しかった。 日常の些細な、でも身の丈にあった表現そのものを交換する媒体になるような、そんな時間を過ごせる大人になりたかったとも言える。 そして今でも思っている。

 なんで突然こんな事を言い始めたかというと、それにはっきりと数日前気がついたからだ。 友達が送ってくれた二枚の写真で、静かな爆発が自分の中に興り、なんてすっごい事を普通にしちゃっているのだ、自分たちは!!!!ってぶったまげた。

いつもぼんやりとほとんど全ての行動の裏側にある動機にはっと気がついたんだ。 どうやら私は個人が行う、些細な表現の発表と、イメージの交換を猛烈に大切な事だと思っているようだ。 こればっかりは、私は動機を今のところ追わないし、疑おうとも思わない。 

人間としての大人になり方とか、beingとしての喜びとかを、現代社会に生きる為に大人になるっていうサバイバル的な意味での成長とパラレルで伸ばそうと思うのは、きっと私のネイチャーなんだ。 あきらめなれないぐらいに、小さいときに信じ込んでしまったんだ。

 気づいてみると、比較が無いから長けているのかそれとも、全然駄目なのかすら分からないけど、それでもある程度の理想の範疇内に今がある気がする。

 アレックスはいつも作った物を送ってくれる。 淑という素晴らしい画家の友達もいる。 遠くから景色の写真を送ってきてくれる友人もいる。 思っている事を伝えてくれる、話しかけてくれる人は少なからず、私の周りにいる。 何が素晴らしいって、これが何かの為にあるのではなくて、ただ単に自己主張とか、シェアリングの範疇内だって事だ。 芸術の為でもなければ、売る為でもなくて、当たり前の次元として伝えたいと思ったことがある事を伝えてくれる友人にこの年になって結構囲まれるようになった。 一種の生命力として、ナイーブに周りの人間との表現をアプリシエイトしたい。 


夢が叶った! 


 もっと欲しいと思うけど、それは私の表現力と関係するんじゃないかと思う。 私ができる表現力以上の表現をもし私が受け取れたらそれはものすごく幸運な事で、でもそれは多分滅多に無いことだろうと思うので、もっと表現力が欲しいよ。 だって、もっと伝えてもらいたいもの。 


 友達が意識と経験の話しをしていて、経験は、言葉とは関係なく実感として感じられる事なのだ的な事を言っていた。 赤を見た時に、僕たちが見ている質を経験と言うんだよみいたいな事を言っていて、私は小難しい話しが苦手なので、ぼんやりとしか理解できなかったんだけど、とても面白いと思ったんだ。 容器とその中の水の話しみたいな感じでさ。 容器が言葉ならば、経験は水だ。 多分、そういう話しじゃなくてもっと高次元の何かを言っていたんだと思うんだけど、私は、"赤"っていう言葉と"質としての赤"っていう経験の差を明確に人に言われたってだけで小躍りがしたくなっちゃったんだよね。 (ちょっと話しがクオリア臭くなってきて、そんなたぐいの話しは2003年ぐらいからずっと日本でブームだったよと、大学一年生の時にデザイナーがみんな言っていたよと冷ややかに思ったりもするんだけど、でも話しがずれるからやめる)


 子供の頃に想像していた事には質がないから、体験して初めて経験になる。 見てみたいと思っていた世界の中に今、かろうじて自分がいるっていうのが、その「実」の感じを凄く不思議に思うよ。 想像ってのはしてみるもんだ。 うん、それだけ。

  私に写真とか、面白い話しとかを、伝えようと思って伝えると、とっても喜ぶから一回やってみて下さい。 小躍りするから。

2007-06-19

酔っぱらい日記

「ただ今、非常に酔っぱらっております。

三週間ぐらい、全く呑んでいなかったので、元々お酒に強くない私は簡単に酔っぱらいになります。 呑みながら途中で頭が痛くなるぐらいに呑みました。 

二軒先に住んでいる友人と、」

と、ここまで書いて眠り込んでしまった。

楽しかった!

一緒にスーパーマーケットで買物して楽しかった。 
幼なじみと夜行くスーパーマーケットってのはなんでこうも楽しいのだろうか。 
しこたま買い込んで、二人でえっほ、えっほって家に運び込んだ。 

経験についての話しを彼がしていて面白かった。 
共通の友達の一人がベジタリアンなんだけど、
彼の食べる物と食べない物の境界線の定義が面白くて、
「主観があるか否か」なんだって。
だからムール貝は食べるらしい。 
ムール貝には主観が無いってのが彼の思想らしい。
多分、脳があるか、無いかなんだろう。

で、経験を持てるか持てないか、
クリティカルなポイントなんだと彼が言い出して、
経験とはって話しを色々された。
よく、デザインでだと、ユーザーの経験っていう話しをするけど、
経験についてよく考えた事が無くて、興味深かった。

家で、くだらない事を話して、子供二人でじゃれていたんだけど、
途中でちょっと大人になった。 彼の彼氏がうちに来たのだ。


彼には至上に見目麗しい、少女漫画から出てきたかのようなボーイフレンドがいる。 
前の彼氏はアルゼンチン出身でガエル・ガルシア・ベルナルそっくりの美しい精神科医だった。 
今は若い頃のブラッドピッドみたいなロシア系の彫刻のようなきらっきらな人と一緒である。 
しかも、なんか内面もダイアモンドみたいなんだよね。 

男版、ヴィーナスみたいな、なんか……、白鳥? 

エルミタージュ美術館みたいな男の子で、ヨーロッパの底力を感じた。 
本当にかっこいい。

(それにしても、どうして彼ばっかり、良い思いをするの?! やっぱり、人格が素晴らしいから? 徳の問題なのだろうか…。)

私の家のソファーに、なぜか二人とも大股開きでがっしりと座ってお酒を飲んでいて、
コーヒーテーブルをはさんで一人でちんまりと座っていた私は、
正直どこを見て良いのか分からなかった。 

だって、顔を見ると照れちゃうし、でも下を見ると大股開きなんだもん! 
目線がおっちゃうんだもん。 

しょうがないから、見慣れている友人のおでこを凝視してしまった。 
こんなに不器用な自分が恥ずかしい。 ちんちくりんな気分になったね。 

だって、かっこいいんだもん。

本当に、友人のボーイフレンド程かっこ良くてキラキラしている光の結晶のような人は見た事が無い。 
私の友人もまあまあかっこいいかなとは思うんだけど、彼がある意味かわいそうになるぐらいに恋人がかっこ良かった。 あんな人と朝一緒に目が覚めたりするのってどんな感じなんだろう。 

そのかっこよさに圧倒され、それまでくだらない話し、経験についてとか、バクテリアについてとか、地震についてとか、科学とデザインの混ぜ合わせ方とか、医学部にいる彼の医療系ジョークとか、そういうおたくっぽい方向に盛り上がっていたんだけど、かっこいい人のまでだと、そういう本能丸出しの、ださい話しがしづらくてちょっと困ったね。 


ああ、かっこ良かった。 私の友達は面白い話しをいっぱいしてくれるから、大好きだけど、もしかしたらいつも私がかすりもしないような、美しい男性を紹介してくれるという意味でも好きだ。 

楽しかった。 なんで、あんなにかっこいい人がこの世にいるんだろう。

2007-06-18

青写真

今日、今学期が終了したので、自分の机を整理した。 

とんでもなくぐちゃぐちゃになっていたので、結構時間がかかりました。

この片付いた感じを誇りに思うね!









え? あんまり片付いていないと思うって?
思っていても、これ以上は要求しないでくれ。

で、自分でもなんでこんな物持っているんだと思ったのの一つが文鎮。
机の奥底に隠れていて、持っていた事すら忘れていたよ。





で、手に取ってみたらなにか感触が変。 
裏がざらざらしている。

ひっくり返してみたら、結構荒めの紙ヤスリが張ってあった。
記憶をひっくり返してみても、いつ張ったのか思い出せないんだけど、
確かに、固いし、まっすぐだし、重みもあるし、良いよね。 






昔、自分が作業に集中していた時に取った行動は、
後になると思い出せない事が多くて、こうやって物を片付ける時に、
奇妙な使われ方をした物体が沢山出てきて、結構笑える。





で、びしっと片付けてきました。 
はっはっは。 向かいの机のやつより早く片付けた自分が好きだわ。


友達と夕方に長い散歩をする。
結構魅力的な女性。
女の子と遊ぶのが2ヶ月ぶりぐらいだ。
反応とか、体の距離とかがちょっと違って、
「おお! なんか素晴らしいぞ。」って節々で思った。
反応が愛おしい。

二人とも徹夜明けで、
でも久しぶりにプレッシャーもストレスもない時間で、
寝ちゃうのはもったいなよねって思って、
本当にいっぱい歩いた。 

で、最後に大きくてゴージャズなプディングを食べている時に、
「今日はとても楽しかったから、
夜寝る前に、多分すっごい幸せな気持ちになるんだろな」
と彼女が言った時、しみじみといい人だなあと感動した。





散歩中に通りすがった工事現場で、
ファサードだけが残してあった。 使うつもり? 

最初気がつかなくて、気がついた時に思わず吹き出してしまった。 
ちょっとシュールだよね。

それにしても今日とった写真は青青としているな!



明日から本当は友達と旅行にいくはずだったんだけど、
色々な理由があってウエリントンに残る事にした。
ちょっと淋しいし、残念だけど、残って勉強したいと思ったのよね。

その友達は来学期からアメリカに留学してしまう。
彼は気がついたらとても信頼関係のある友人になっていて、
半年間あえなくなるのがとても淋しい。

淋しいなと思うけど、
こうやって女の子と遊んだりして、
ちょっと「色々な事をいっぱい受け入れよう」っていう気持ちが沢山湧いた。
(この淋しいっていうのを、惨めとかと混同しないでね。 全然違うたぐいのことだから。)

淋しい時に、私から沸き起こる、心を開こうとするストレッチが、
ほぐれるっていう動詞の王様みたいなもので、
悪くないと思う。 淋しくなるけど、悪くないよ! 

そんな事を、電話で相手に伝えてみたら、
大笑いされた。 えへへ。

2007-06-16

甘い運命





っな、っなんて、可愛いんだ!

このかわいらしさはなに?!

2007-06-15

のばらいろのひび

存在すら忘れていたんだけど、私はweb siteを持っていたのだ!

自分でもびっくり。 半年ぶりに更新したので、ご興味がある方はどうぞご覧になってみて下さい。


 http://web.mac.com/annapandatiger/

Windows

 小学校一年生の時から、当たり前のようにMacを使ってきました。 発売日に並んで買ったimacが私の初めての個人用のコンピューターで、ipodは人生の四分の一の時間を共に過ごしていて、これが当たり前だと思っていた。 

父親が結構コアにMacの信者で、ずーっと私の生活にはmacと共にありました。 子供用のMacのソフトの歴史は私の成長の歴史でもあり、勿論、キッドピクスのモノクロの時代から共に成長を続けました。 脳みその半分はMacにコネクトしていたね。 

子供時代の思い出も何もかも、全部ファイルで保存してあるから、十五年前の落書きも、すぐに開けるさ。(怪しい広告のあおり文句みたいになってきたぞ。) レミングスと、シムシティーと、ミストと、「おばあちゃんとぼくと」と、コーラルペインターとキッドピクスが大好きでした。 おたくなお父さんに育てられたので、生まれてはじめて見たウェブサイトは、十年以上前なんですがNASAのサイトと、HONDAのサイトでアシモが階段を登っている動画で、てっきりこれがスタンダードでまずネットに繋がったらNASAのサイトをみるもんなのだと思わさせられていた。

多摩美にいた時も、大学にはmacしかなかったし、その次の大学もmacばっかりで、本当にwindowsって使っている人がいるのかなあと、しばし思ったものです。

でも、今の大学に入ってCADを使うようになってからwindowsが世の中のスタンダードなのだと知った。 今更ながら知った。 私の産まれた年にMacが産まれたように、時幸いにしてintel macが発売され、今私のMacはwindowsと共存している。 

 そして、使うと便利なんだ!
今まで、偏った環境にいたから知りうる事すら無かったのだけど、Windowsって便利だね。 

やりすぎな感じのするデザインで、おせっかいで、十秒に一回はなんだかの警告を受け、音がガンガンなり、ペコペコペコペコペランペランな感じのぎこちない機械的な動きさえ受け入れれば、Macとそんなに変わりがない。 ソフト同士の有機的な関係とか、インターフェースのハーモニアスな動作とか、そんなの関係ないよと思えば、Windowsも悪くない。 警告と、長文の変なメッセージに慣れるのに時間がかかりそうだけど、慣れちゃうんだろうな。 恐ろしいな。 色の構成もおかしくて、やけにビビッドで、スーパーマーケットの中にいる時みたいな「世界中の色を適当に集めました!!!」っていう悪夢にさらされるけど、これも慣れるんだろうな。  ここまで色使いがどぎついならばってことで、agnes bのサイトにあるすっごい色彩のwallpaperを使っているよ。 えへへ。 どぎつくて、ラブリー。





それにしてもwindowsを使ってみたら、いろんな謎が解けた気がする。 クラスメイトの色の使い方とか、意識する所の違いとか、結構OSからの影響がある気がする。 脳みそ半分、自分のパソコンに繋がっている世代だもんね。 ちょっと変な感じだね。

2007-06-13

赤い糸と山

 説明するのもめんどくさい、くそめんどくさいプロジェクトをやっています。 そしてしばし、説明するのがめんどくさいプロジェクトってのはその整合性のなさから既にこけていたりします。 あはは。 幸運な事にこれはグループプロジェクトだから誰かが何かを分かっていると良いな程度に考えているけどね。 

 ラピットプロトタイパーってのを作っていて、それは要するに立体物を成形するための機械なんですが、作ってます。 めんどくさいんだ、これが! 

 で、明日プレゼンなんですが、勿論終わっていません。 勿論! 今日も、元気に機械の構造体の為に鉄を曲げたり切ったり削ったりしたよ。 今の時点で構造体を作っているってのは、とんでもない冗談だよ。 悪い冗談だよ…。 まあ、鉄の作業は好きなので、楽しかったけどね。 ああ、ミリングマシーン。 うるわしのミリングマシーン。 機械になるならば、ミリングマシーンになりたい。 でっかい鉄を削りたい。

 プレゼンテーションでは、そのプリンターをつかってプリントアウトした物を提出するんだけど、機械が出来ていないので、プロダクトも印刷出来ていない。 3Dプリンターだから出来る可能性を探す為のプロジェクトなので、私たちは日常的には立体物の構築に使わない糸を重ね合わせて立体物を作ろうとしている。 でも、プリンターがまだ出来ていないからプロダクトを手で作るはめになった。 糸を重ね合わせている時にふと「ああ、これをやってくれる機械があればなあ」と思ってしまう自分が悲しい。 

 不思議な事に、糸をまいたり重ねたりしていると、車酔いと同じ状態になる。 頭にもやがかかり、胃が奇妙な感じになり、猛烈に体が冷えて、あまや吐きそうになる。 私だけがおかしいのかと思っていたんだけど、やっていた子たちほとんどに同じ状況がおこった。 何かがおかしい。 糸を巻くな! 機械のまねをして糸をぐるぐるぐるぐる色々な形にまき、小さな家具を作ると、とんでもない体調になるぞ。 経験から言わせてもらうわ。 


 なんでなんでしょうね? 一瞬で肩が凝り、指は凍ってこのままぼとって落ちちゃうんじゃないかってぐらいに冷えて、吐きそうになり、立ち上がると貧血で倒れそうになるんだよ。 糸が真っ赤で、支持体は黒い針というその目に刺激的な色のせい?

 分からない。 分からないけど、とっても危ない。 

原因わかる人いる? 


 話しは変わるけど、グループプロジェクトは苦手だとつくづく思った。 作業室の技術者のおじちゃん(結構盟友)に「一人でやれる仕事ってなんだろう。 社交の技術がなさ過ぎるし、仕事も出来ないし、虚しくなるから、私は人とは働けない。」とコーヒーの時間に相談した。 一瞬考えた後に、「ソロピアニスト?」と言われた。 でも、まずピアノを買う為に社会で働かなきゃいけなくて、その後に、先生に習うから人に会わなきゃいけなくて、でもって訓練を始めるのが遅すぎるから、上手くならなくて、困るんだろうねと二人でしみじみとした。 出家? 出家ってのはどうだと、山の奥で一人で、山の実りとを食べて暮らすってのはどうだという方向に話しは進んだ。 なんかそこまでビジョンが見えたらすっごく元気になって、またグループの仕事に戻って、糸を巻いたよ。 不思議なものだね。 いざとなれば、山がある。 それだけが私の心に明かりを灯すよ。

2007-06-11

ちょっと終わった

課題の一つが提出できました。 よかった…。 

あと二つ提出したらお休みだ!

今回結構長めの論文を書いて、出来る事には限りがあると分かりました。
書き終わった内容のレベルが、現実的に考えるとスタート地点的な所だった。

そして友達に、論文の書き方を教わって、目から鱗でした。
彼が「読む人を圧倒させたいとか、感銘を与えたいとか、思ってないよね?」と言われてぎくっとした。 「そういうふうに考えると、論文は書けないよ。 あと、論文は書き始める前に、全部書くものを理解しているべきだから、書きながら考えるってステージはノートの段階なんだ」などなど、素晴らしい事を教わったわ。 そう、書きながら、これは書く前にきちんとノートを作り、構成を理解して、書く内容の意味を私がきちんと理解していないといけないと痛感した。 そういう意味で、私の論文はかなりメモ的。 この文字数でいかに密度と質の高い情報をシンプルに伝えられるかっていうゲームを私はしていなくて、ただだらだら書いた論文です。 要するにメモです。

こっちの大学での学部の論文は、「私が理解した事、知っている事、考えた事」を先生に伝える事が目的とされる。 まあ、どこでもそうなのかもしれないんだけど、基本は自分の知っていて、理解した事をいかに採点者に伝えるかなんだよね。 これは公平だと、驚いた。 

そして人の論文を読んで、参考文献とか脚注とかの便利さにも驚いた。 自分の書く事と関連のある論文を読む事の必然性に今更ながら感心しました。 良く出来たシステムなんですね。 いや、馬鹿だと思わないで! いや、馬鹿なんだけど、美大でだと、一年に一回ぐらいしか論文は書かないのよ。 今回初めて三ヶ月かけて一つのテーマの論文を書いたぐらいなんです。 なんでも新鮮なんです。

 愛すべき近所の住人を巻き込み、推敲を繰り返すごとに自分の語学力の無さを実感しましたよ。 高校の時の友達は頭がいい奴らが多くて、今みんな大学院とか医学部とかにいるんだけど、彼らのその語彙の多さ、そして構成力。 私の稚拙さ、そして先を読む力の無さ。 私の言葉が海藻なら、奴らのはマグロ!!! 早い、早い。伝わる、伝わる。 私の文章があまりにも稚拙だから、今週末から友人が「アンナがいつの日か英語がきちんと使えるようになる日がくるように、英語の授業をするぞ!!」と言ってくれた。 私もそこまで言ってくれる彼ときちんと意思の疎通が出来るようになる日がくるように、頑張る。 

 「英語が上手くなる為の王道は、君が日本語で難しい本を読んで、まず母国語を鍛え直す事だ。 世界をもっと適切に、細やかに見えるように、言葉の勉強をしろ。」とフランス語と英語のバイリンガルの彼が言い、スペイン語とイタリア語と英語のトリリンガルな彼も「そのとーーーり」と力強く宣言した。 

 「適切さと、細やかさ」が必要なのは言葉だけじゃなくて、デザインだってそうだ。 デザインは意味をコントロールして、発信するアクティビティーだと思うので、切実にそうだ。 そして、デザインが言語にドライブされる面はあって、頭の中で使っている言葉が大雑把だったらデザインもおおざっぱになる。 恐ろしいほどに! 特に私は言葉に突き動かされている面があるから余計にそう。 

 あと、論文を書きながら、「コミュニケーション」について考えていた。 コミュニケートの重要性やら、重要だと言われている事ゆえの毒性とか。 私はあまりコミュニケーションが本質的な問題だとは思っていない。 相手が理解しない時は相手の問題でもあると思うし、例えばミスコミュニケーションで摩擦が起こったとしても、コミュニケートできていたらそれがおこらなかったのかとかってのは分からないと思うからだ。 コミュニケーションが大切っていう風潮からは、どっちが先に相手をマニュピュレートできるかのパワーゲームがあるように思える。 まあ、コミュニケーションってのがそういう面だけを意味する言葉じゃないのは分かるんだけど、でも強調されている面に抵抗感がある。 表現とコミュニケーションの違いとかも考えていて、ちょっと混乱した。 

 それにしても、素で、直接的で、適切で、細やか。 そういう能力を日々身につけて行きたい。 表現力を身につけたい! コミュニケートもしたい。 でも、コミュニケートする為に、表現をするってのは本末転倒だと思う。 それだけは確か。

ふとした瞬間に

「あれれ? 私って脳みそ空っぽ?」ってなる瞬間がある。

実は最近私はずっとそれが気になっている。 
私は自分の表現力の無さから一体全体何を学べば良いのだろうか。

2007-06-06

部屋




壁を挟んだ二部屋を使っている。 左手側は寝室で、右手側は書斎/工作部屋。 寝室は私と私の友人なんかの為の部屋で、工作部屋は私と同居人の為の部屋。 いつも、心のどこかで寝室だけは整理整頓しておこうというのがある。 次に作業部屋も可能な限りぴしっとしておこうと思っている(思う事から始まるんじゃないだろうか?)。 居間は、緩やかで水気のある、温かい空間にしたい。 これでなんか私の心の住み分けが分かる。 寝室は、家の外の人間との対人関係の為の準備の空間であり、そして女の子である為の場所で、居間は家の人たちとの私の持ちたい関係を補助する為の空間設計なんだろう。 居間が寒々しかったり、がらんどうとしている時、なんだか淋しいもの。 夜遅くまで作業しているときに、今に下りて確かに数時間前でも人がそこにいたのだという事を、一緒に住んでいる人の持っている鍋やら、まだ温かいケトルや、夕飯の残り香から感じるとほっとする。 そして寝室には秘密を沢山持ち込みたいし、私のあるかどうかも分からない神秘性のようなものを保持する為にぜひともこの空間には頑張ってもらいたい。  そしてこの部屋には、この部屋での私の生活の仕方は、日本で培ったものが沢山あり、ここにいる時が日本の私と一番近い気がして、そういう意味でも好きだ。 

で、人間性全体とでもいうのか、これが私なんだろうっていう客観的で、そしてものすごく現実的な場所が私と同居人の書斎/工作部屋だと思う。 否応がなくね。 私たちの生々しい形がある気がする。 外見はほとんど引きこもりの人間の部屋って感じだし、色気も味気もない(あまりにも殺風景なので、ジェームスディーンがうっとり殺しをしている特大ポスターを飾ってみた)この空間でじたばたするのが実は一番、快の状態だったりする。 不思議な物だ。 


なんで、こんなに頻繁にブログを更新しているかというと、今論文を書いているからで、一つのチャプターを書き上げる度に、脱力して、こう、現実逃避をしてしまうんですよね。 えへへ。

ろうそく


ろうそくの何が良いって、鑞の白さと芯の黒さだよね。 この静かな佇まいの強烈なコントラストを超えるものって、滅多に無いんじゃない? 

吹き出してしまう事






夜中に食器を洗っていた。

左手側に汚い食器を、そして右手側に洗った食器を。

ほとんど全部の食器が白くて、気がついた時に吹き出してしまった。 

我が家にはだぶっている物が多くて、たまたま両手側とも同じような食器がおかれていて、それも余計に面白かった。 物って面白い。

面白いと思い写真に取った。

2007-06-05

多摩美で教わった事

が、意外と役に立つときがある。 結構奇妙な授業だった物ほど、後から「ああ、こういう事」ってなる。 逆にド派手だった授業とかは、先生の思い込みに巻き込まれて、今批評的な立場になったりする。 そしてそれはまた素晴らしい事だと思う。
 
今、機能主義についての調べ物をしていて、この考え方が実は対して重要じゃないんだという事に気がついた。 いや、とても重要なんだけど、あくまでも一時代の一つの考え方でしかないのだという事の発見ね。 

深く考える事が出来る媒体として、機能主義とかモダニズムって別に悪くないというか、スッバラしいんじゃないのって思うのが、多摩美からの影響なんだろうなと思う。

歴史の読み方とかどこを重要と思うか思わないかってのの判断の仕方は多摩美で教わった事がすごく影響していて、そしてこれは結構癖のある変わった考え方なんだなってのが、色々な本を読んでいると分かってくる。 

おちょこ

 おちょこが三つあった。

同居人の挙動がおかしくて、「今日のお前は変だ!」「いや、普通です」「いいや、普通と言いながらもコミカルすぎる」と言いあっている時に、手元を確認せずにティーポッドを取ったら、横においてあるおちょこが落ちて割れた。 非常に美しいおちょこで、とても慈しんできていたので衝撃は並でなく、日本語で「なんてこった! しまった! やってらんねーよ!! 家にかえりたい!」と言ってしまうぐらいにふがーんと落ち込んだ。 これからは人とお酒を呑む時に、二つしかおちょこがないじゃないか。 ってことは、さしで呑む事になるんじゃないか。 そんなの嫌だ!

 まあ、君や他の同居人が割っちゃったら許さなきゃいけなくなるけど、自分で割ったんだったら別に許さなくても良いし、ただ落ち込めば良いから良かったとするわと言い、床にかがみ込んでいたらすっごい考え方をして生きているんだなと同居人に笑われる。

 笑っている同居人の横で、心の奥底では「元々はお前の挙動が今日おかしいからだあーーー。」と叫んでいた。 笑うってどうよ? お前、どうしてこの傷ついている私の横で笑えるのだ?

 最近私が気がついた事は、この人間にわざわざ心を近づける価値は無いという事だ。 そういう質を多分こっちが持っても、持たなくても多分、結果は全く変わらないね。 そういうタイプの人間だと一緒に住んで2ヶ月目に気がついた。 この人間とは、さらっと弱みを見せずに建前の関係を持つ事に限ると日々思わさせられる。

 外見的には、もう一人の同居人の方が冷たく、シャープな感じなんだけど、実際の所結構逆で、知れば知るほどに優しくしてあげたいとか傷つけたくないとか温かさを注ぎたくなる。 なぜならば、彼の人との関係の持ち方が優しさと温かさでできていて、ちょっと話すだけでも心がほわっと温かくなるからこっちもそうしたくなるのだ。 

 そして一見柔らかい、今日挙動がおかしかったこの男は結構に冷たい。 自分と他人の間にはギロチンがフランス革命ばりに、がっちゃーーーーんと落ちているのである。 空間が違う! 兄ちゃん、お前ヨーロッパ人だねと勝手にジェネライズをしている。 割れたおちょこを眺めながらそんな事を思ったよ。 行間を読むとか、無し! その強烈な個性に面白さを感じ一緒に時間を過ごしたりはするけどね。 

 

2007-06-03

食事

体調が良くないので、食事を振り返ってみる事にした。

金曜日

昼まで寝てたので、朝ご飯はなし。
前の日のみかんの食べ過ぎと、お酒の飲み過ぎで頭痛に悩む。

昼ご飯

ひき肉をオイスターソースと豆板醤とかのソースでいためたのとキャベツのサラダ
カボチャのスープ
コーヒー

夕方
コーヒー
チョコレート

夜中
ヴォッカ 五杯ぐらい

ブロッコリーニと豚肉をいためたやつ
キャベツのみそ汁
中国のパン

友達と台所で映画を見ながら、
だらだらと食べる。

土曜日



ルッコラ、目玉焼き、ドライトマト、グリルドトマト、ベーコン、いためたマッシュルーム、バジルを、トーストの上に乗っけたやつ。
コーヒー


干した果物とナッツ類をぼりぼりと。
熱燗のお酒


魚のレモンとセージのソースで焼いたやつと、
オクラと梅をあえたのと、
キャベツのスープ似と、
生のマンゴスチン
熱燗のお酒
コーヒー










なんかとんでもない組み合わせの食事をしているのね、私。

どうしちゃったの!!!
なんでわざわざ外国で、日本酒を呑んでいるの? つまみがオクラなの?

悪食だ。 こいつは悪食だ。
そしてもしかしたら呑みすぎかもしれない。

きちんとした食事を今週はするぞ! お天道様に誓うぞ。

とりあえず、一週間だけでもきちんとした食事のサイクルをしてみようと思います。
頑張ります。 

2007-06-01

最近の遊び4




注射器は便利だ。 一日に一個は使っていると思う。


先を指で押さえると、押す部分の所がぽーんって吹っ飛んで楽しい。

無意味な遊びなんだけど、結構癖になり、三十分ぐらいやった。





次に、コップの中にスモークを入れて、



お互いの頭にかけあうという、注射器の押す部分を吹っ飛ばすゲームよりも意味の無い事をやり、さすがにこれは五分でやめた。


湧きゃ湧きゃ喜んでいたら、みんなが集まってきて風船膨らましたりして遊んだ。
そんな事をしたら日が暮れて、家にかえりました。

最近の遊び3



風船に入れてみよう。 しかし、痛いぞ! 冷たいぞ! 風船がどんどん凍るし、難しい。 体勢が恐ろしく奇妙だったので、手伝うはずの私は涙が出るまで笑ってしまった。



三分ぐらい友人とあたふたした後に、そうだ、座って軍手をして、ゆっくりとやれば良いのだと気がつきました。



で、水を入れると、どんどん膨らむ!



だーん!




きれいだった。

最近の遊び2



私の棚に、見慣れない物がおいてあった。



白い変な物。


 
ドライアイスだ!


最近の遊び

電気を流して鉄に銅をくっつける遊びをした。

電流を流すぞ。 


このカップの中に銅の粉を入れて、


電気を流して、

焦げちまった!

だから、抵抗をいっぱい間に入れてみた。
この白い箱は全部抵抗。 どうして私たちは電池とかを使うって発想を持たず、わざわざモーター用のトランスフォーマーを使っていたのか不思議でなわないわ。






でも、