弱々しいとか、くよくよしているとか、そういう「弱いなお前!」っていう態度の男を英語でpansyという。 元々は同性愛者とかって意味だったみたいなんだけど、私の周りではあまりそういうニュアンスは無くて、ただぐだぐだしている人の事をそうよんでいる。
例えば知合いの一人は典型的なパンジー。 女の子に振られてくよくよしながら「人生が面白くない。 人生ってださい。」とぼやいていた。 そんな姿を見た彼の母親に「あんたってパンジーね」と言われたと、またくよくよしていた。 頭の中で彼をディスクライブする言葉を長い間探していて、しかも本当にパンジーって言葉ががっちりはまってしまったから、嵐のような面白さにかられ「本当にパンジーだよね、君って本当にパンジーだぁ!」と涙を流しながら私は笑ってしまった。 相手はまた落ち込んでいた。 人生がださいんじゃない。 君の態度がださいのだ。
でも考えてみると私もかなりパンジー。 男の子じゃないから自分をパンジーとよんでいいのか分からないけど、隙を見つけた瞬間に「人生ってださい。 勇気なんて出ない。 お先真っ暗。」と考えはじめる。
そんな私は今日、久しぶりに振られに振られ続けた人を大学で見かけた。 もう、速攻でパンジー! 壁にガコンと頭から直球で倒れ込みたい気分になった。 即、「人生が面白くない。 人生ってださい。」モードに入った。 同居人と待ち合わせしているカフェに向かいながら、「何にこんなに力を吸い取られているの?」と考えていた。 どうして、たかがこんな事でこんなに今でもがっくり来るのかが不思議だ。
カフェについてロングブラックを注文し、同居人に「ねえ、君は一年に何回ぐらい自分がパンジーでいる事を許す? そもそも、君ってエデンの園に咲いているパンジーかいってぐらいに純パンジーだけど、世の中ってのとはどうやって渡り合っていらっしゃるのでしょうか?」とぶしつけな質問をした。
質問の返事を直球では決してしない同居人は「フォーミュラーワン、アンナは見る事が出来る?」と聞いてきた。 「見れない。 怖いもん。 速いものは怖い。」と応えた所でちょっと嬉しそうな顔をして「僕は見える」と言われた。 ちょっとの間「なんでF1?」と思いながらコーヒーを飲んでいた。 そしてちょっとしてから「ああ、私は彼よりもパンジーかい!」と気がついた。 とりあえず二人で笑った。 ちょっと考えてみたけど、あまり私がパンジーじゃない状態でもいられる事を証明できる物証を発見できなかった。 本当に、そんな事じゃないんだろう。
家に帰って、ソンタグをまた読んだ。 昔の記事(過去はもはや重荷ではない)で丸々引用した、若い読者へのアドバイスを繰り返し繰り返し読んでいる。 毎日意味が新しくなるし、心にゆっくりと根を張っていくのを感じる。 本を読もう。 ぐだぐだしたり、勇気が出ないと思ったり、心の色彩が変になったりとかってのは繰り返すけど、でも、なんだか大丈夫だから。 本をよもーっと。
1 comment:
やっほ!お久しぶり。最近私、ソローの『森の生活』というのを読んでます。19世紀のアメリカで、2年間くらい森の中で自給自足の生活をしてたときの思索エッセイなのだけど、なかなか良いよ。世捨て人のような生活の中のエッセイだからときどきつっぱしりすぎじゃない?ってとこもないわけではないけど、これは良い本だと思うのだ。
機会があればぜひご一読を☆ ってもう読んでたらごめんねー。(ソンタグは『反解釈』に手を出して、私には難解でなかなか読み進まず。)
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