ウェリントンにいる友人たちに英語のブログを書くんだとせっつかれる。 日本語でブログを書いているのは、日常的に会えない日本の友達に近況を報告する為だった。 ウェリントンを去った今、ウェリントンにいる友達の為に近況報告の形を作らなくちゃなと考え中。
日本語の文章量を減らして、同じ内容を英語でも入れて(逆しかり)バイリンガルバージョンにしても良いかなとおもったんだけど、そうすると文章の書き方が難しくなる。
日本語リーダーが前提の文章と、英語リーダーが前提の文章だと、例えば最終的に同じことを言おうとしていても、言い方が全く変わる。 分かってもらう為に説明しなくてはいけない事が違うから。 一気に両方の言語ユーザーとコミュニケートしようと思うと途端に難しい。 だから英語は英語で、日本語は日本語で、その言語を使う人達とだけコミュニケートしようと思っちゃう。
例えば、私が日本語を使う友達に話しかける時、大抵の彼らは日本人/日本に住んだ事がある人達だから「ニュージーランドには、シビルユニオンっていう制度がある。 なぜならば〜〜〜。」って続く。 でも逆に英語圏の子に話す時は、大抵の英語圏の国にはすでにシビルユニオンがあるから、「日本にはシビルユニオンっていう制度はない。 多分、それは〜〜〜〜だから。」って書く事になる。 結局私は同じような意味あいの事をコンクルージョンとして持ってくると思うんだけど、それまでのプロセスがすっごく変わるんだ。
この子は生粋のバイリンガルなんだぁと思わさせられるような、言語感覚の発達した子ってのは結構いる。 そういう子は無意識にでもちゃんと中間ら辺の言語を使ったりする。 「どっちの言葉に訳しても通じる」って表現や説明を選ぶのに慣れているんだろうな。 話してて、この子は偉いなあと思うと同時に、どうして私にはそれが出来ないのだろうと謎に思えてくる。 私は多分、本当に言語を使うのが得意じゃないんだろう。
でも試してもいないので難しくて出来ないと思ってやらないのも馬鹿らしいので試してみようと思う。 コンテクストの壁を上手くアジャストして、多言語ユーザーが面白いと思えるような表現が出来る人が、今日の言語センスのいい人なんだろうと思う。 というか、私の求める言語センスってのはそういうのなんだろうな。 挑戦してみる。
1 comment:
ああ、私なりにすごくよくわかります!
いま自分はイギリスから日本語で日本向けに発信しているものしか持っておらず、もどかしくなることしきり。
いつか、飛行機の中にある2,3ヶ国語の冊子のようなので
人々の暮らしバージョン的なものを作りたいとも思っているので、
まずは英語のブログなどを今週にも今日にも始めたい、始めよう!
と思いつつ…。
自分の機能がなかなか追いつきませんが、来週辺りからまた
日本に行かねばならないので、かえって英語のものを発信しやすくなるかもな、と
いま書きながら思いました。
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